はてなキーワード: 旧日本軍とは
体罰、暴力、いじめ、根性論など旧日本軍の陰が色濃く残る忌むべき競技。
一刻も早く無くなれと切に願ってる。
メジャーは「アホなアメリカ人のお遊び」としか思わない。黒人が少ないことからお察し。でも科学的なところはちょっと好感アリ。
オリンピックでメダルを取った?人を殺す競技のメダルなんて要らねーよ。
あっ嫌い。
チャラい
長い、つまらん
そもそもオリンピックが嫌い。
どこの国も(特に日本)(←これ重要)貧乏人差し置いて金持ちが観戦するために何千億の金使って…
あー応援する気になれない。
日本的で醜悪。
スポーツじゃねえよ。
NHKが関わってるのも駄目、耐えられない。
世 界 標 準。
「他人に知識がある前提を求めるのは馬鹿」と言ってるはてな民もフットボールのことを知らない人は即刻バカにするのは当然。
ブンデス、リーガE、プレミア、セリエA、リーグアン、知ってて当たり前。知らない人間は差別の対象。
先進的なヨーロッパに非常に根付いているスポーツで、日本は遥かに遅れてる。
まず高校サッカーという野蛮な大会は即刻止めて有望なフットボール選手はクラブのユースに一本化しろ。
全国の小学校の芝生化は急務。場所がなければそのへんの野球場壊して作れ。文科省はこれやってから解散しろ。
世界標準に追いつけ。
フットボール選手は他のスポーツ選手と違い、知性に溢れ、清潔感があり、たとえ高給でも庶民感のある素晴らしい人達。
日本人フットボール選手はまだそこまでのレベルではないが、いすれ追いつけるように善処すべき。
FIFAという組織が少し残念。でも、トップ以外は素晴らしい形態の組織。さすがフットボール。
子供ができたらプログラミングと同様に必ずフットボールをやらせたい。
横ですまんけど、俺が思うにはいかに次期政治の質を上げてもらうか、くらいが安全かつ確実に国民が出来ることだよ。そのためにこの選挙期間中、与野党と党員・支持団体・公務員さん・周辺企業から膿をいっぱい出してもらわなくちゃ。
改憲・護憲、親米・親中・保守、どうなろうが辻褄が合っていればうまくやれるよ。
問題は、例の「仮免総理」みたいなそもそも政治をつかさどる質のない奴とか、検察を抱き込むパワーを臆面もなく行使する奴とかが政治の中央で邪魔することだよ。同じ与野党内に国賊がいるんもんだろう。国粋主義者は否定したくなるだろうが、旧日本軍の中にも売国奴みたいなが結構中枢にいたと聞くよ。
世の中には幽霊となった人が恋人の危機を救うだとか素敵なメッセージを残していくだとかそういった話も多々あるようなので
そういう存在もいてもいいかなくらいには思うのだが、そういう世界の扉を開けたことは一度もない。
そういうものを見た、何かが写っていた、気持ち悪かった、などという話に聞くたびにいわゆる『霊界』『死後の世界』『あの世』などと呼ばれるものに疑問を挟んでしまいうまく信じることができない。
『死』を受け入れられないというわけではない。
私が死んでも世界は変わらんと思っている。私という存在が消え去るだけだ。
死んだという報せを聞けば何人か悲喜こもごもあるだろうが、それこそ49日ほど過ぎれば死んだことすらどこかへ行く。
たまに思い出されて、「ああいたなあそんなやつ」。そんな人たちもいなくなれば、完全に消滅だ。そういうもんだと思っている。
だからこそ確認したいのだ。本当に死の向こうに、霊体だけが暮らす新世界があるのだろうか?
あらかじめ書きたいが、別にかの世界や特定の宗教等を否定したいわけではない。
○○は××だからwwwwwはい論破wwwwwww などとやる気は一切ない。むしろ逆だ。可能であれば完全に存在を証明されて論破されたい。
これを見て、こういったモノに詳しい誰かが非の打ちどころのないコメントを残してくれるのを見たい。それを心待ちにしている。
(1)心霊写真ってどう思う?
昔々はちょっとしたブームになり、織田無道だとか宜保愛子だとかが毎週のようにTV番組に出てきていたこともあった。
今は「おわかりいただけただろうか」か。流行の強弱はあれ、ずっと続いている心霊写真ブーム。
ところで、あの手の番組に出てくる写真や動画、構図や被写体って似すぎてやしないだろうか。
人間の体は頭、胴体、両手両足、股間まわりと大まかに言ってもこれだけパーツがあるが、
心霊写真って、ぼやっと全身が写っているか部分的なものは頭と手ばかり写っているように思う。
「顔と手には思念が残りやすい」などという話を聞いたりもしたが、それならケツや乳に思念が残ったっていいじゃないかと思う。
短小をバカにされて自殺した童貞男の幽霊がいて、夜な夜な女の宿泊客の顔にBUKKAKEてくる……とかさ。逆にデスペニスでもいいよ。
もうひとつ言うと、人間が霊体を認知するのって圧倒的に視覚じゃないかと思う。
音は幽霊の描写としてよく使われる手段ではあるけども、この音がするから幽霊だというのはイマイチ証拠に欠ける。
においというのはある種個性として認知されるものだが、『この建物はなんだか幽霊くさいぞ』とは聞いたことがない。なんせチョコボっぽいし。
いわゆる『向こうの世界』からくるものが圧倒的に人間ばかりだと思う。人間すぎる。
旧日本軍の兵隊や髪の長い細身の女性の幽霊の話はごまんと聞くが、ヒグマやサメの幽霊が暴れて人が死んだという怪談話を稲川淳二がしたことがあるだろうか。
霊はこの世に未練があってなんちゃらかんちゃらと言うなら、人間さまのご都合で殺されまくった動物の悪霊なんてアホほどいそうなもんである。
忠犬ハチ公の幽霊はご主人が帰るまで待ち続けたのだろうか?そんな話も一切知らない。
地獄という場所も圧倒的に(宗教的に)悪いことをした『人間』を懲らしめることに特化した施設のように思う。
今どきはペットだって洗礼を受けるし、葬儀だって開くわけだろう?
『動物には動物の天国や地獄がある』と主張する人もいるようだが、その世界観が取り上げられたものはほぼないように思う。
どうすれば天国でどうすれば地獄か、どうすればより高次の生き物に輪廻転生できるか、などという判断も人間さま向けの基準だ。
吸血や捕食を生業とする生き物に転生したら、殺したり奪ったりしないと生きられんわけで。
そんな生き物に転生させといて殺すな奪うなと言ってもじゃあどうすりゃいいんだよ……ってなもんじゃないか?
(2)ともちょっとリンクする部分があるが、見出しのままだ。あの世でパンは焼けるだろうか?酒が作れるか?と言ってもいい。
例えばパン職人ひとすじでこの世を去った人がいたとしたら、天国でボサッと呆けてるとは思えない。そりゃ、いっちょ自慢のパンでも焼くかと思い立つだろう。
逆にパン職人だったお父さんを見送った遺族だって、「お父さんはきっと天国でもおいしいパンを焼いてるよ……」とか言うだろう?
お父さんの生き生き天国ライフをかなえるには穀物と菌の存在が必要である。まあいい。生きたものがあの世には行かれないだろうから生きてはいないはず。
つまるところ、『植物や菌類の幽霊』なるものが存在するかどうかだ。
存在するとして。
パンを作るためには穀物をすり潰して粉にしたものをアレコレしたあと菌によって発酵させて、焼くという工程が必要だ。
工程の最中、穀物は当然として菌も死ぬよね。焼かれるわけだし。だとして、幽霊が死んだらどこへ行くんだ??
すぐに生き返って元に戻る、だとしたら最悪だ。イースト菌の霊からしたらなんべんも焼かれては生き返ってまた焼かれるわけだ。
ダンテの神曲に出てきた地獄の図とまったく同じことが天国にいながら天国に行ったパン職人によって引き起こされる。鬼かオヤジ。
さらに死んだ者用のナニガシが存在するとなると、それは無間地獄である。天国にいながら地獄という図は変わらないのではないか。
存在しないとして。
パンはどうしたら作れるだろうか?
墓参りの時に、生前好きだったものを供える習慣がある。寺の坊主に言わせると、お供え物の霊的なナニガシだけを受け取るのだとかなんとか。
これを使えばイケそうな気もするが、毎日墓前に小麦粉とイーストパウダーをお供えする遺族なんて存在しないだろう。なんせ傍から見てどう考えてもおかしい。
せいぜい跡継ぎ息子が焼いたパンをお父さんもぜひ試食してくれ旨いだろうと供えられる程度である。
お父さんも天国でパンを焼きたいのだが、このままではこの世に未練が残ってしまいお父さんが化けて出てしまう。
焼くことが可能だとして、パンはどうなるのだろう?幽霊はパンを食うだろうか?
死んでるんだから食わないというのなら、飢えに苛まれる地獄というのはよくわからない存在になりそうだ。
それに、そう、お供え物だ。我々が良かれと思って供える故人の好物や茶などは、実はありがた迷惑ということに……。それは悲しすぎる。
かと言って普通に食べるということにしてしまうとそれはそれで大変だ。これまでン万年の間に死んだ人間はそれこそ星の数ほどいるわけで。
食い物が、足りなさすぎる。
なんだか「オバマさんが広島に来て、原爆の悲惨さを知ってもらえたら」だの
「日本って謝罪を求めない美しい国だよね」だのいう会話を最近立て続けに聞いた。
で、彼らは全員オバマと一緒に元捕虜が一名同行することが決定したことを知らなかった。
もちろん、ホワイトハウスが退役軍人に配慮したため、このような決定が成された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160522-00000057-mai-int
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201605/CK2016052302000121.html
元捕虜はフィリピンで旧日本軍の捕虜となって足尾銅山で強制労働させられた94歳の男性だ。
彼は今回の訪問に当たって
「兵器は人を殺害するので、全ての兵器は嫌なものだ。しかし、戦争を引き起こしたのは米国ではなく、ドイツと日本だ」
「オバマ大統領は、中国や韓国に対し、日本軍の占領の苦しみからもっと早く救えなかったと謝るべきだ」と発言している。
このような思想を持っている元捕虜をわざわざオバマ大統領に同行させる意図は明白だろう。
結局のところ、今回の訪問でアメリカでは原爆正当化の意見が盛り上がっているし、
それに対して日本は何も抗議できず、ましてや我々は謝罪など求めないなどと、なぜか胸を張っている。
むしろ原爆正当化の格好の機会をセットアップしたということになるだろう。
さらにいえば、元捕虜に対して日本が謝罪しなければいけない、日本が降伏するのが遅かったのが悪かった、という議論さえ出てくるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160420120806
オスプレイによる物資運搬を批判すると「災害支援まで政治利用」とか
わけわからん頭悪いのが湧いてくるけど、それ言いがかりだから。
してから熊本へ。熊本ではオスプレイ受入のために着陸地整備(水巻等)
しかもそもそも現地の物資は不足していない。届いた物資を仕分け
各々の避難所への運搬が滞ってる。人出とトラックが圧倒的に不足
しているということ。
なのにオスプレイバンザイのアホ脳では安全側・念のために物資は少しでも多いほうが
いやいいところは大いにあったよ、みんなが仲間になるアベンジャーズ展開とか好きだし贅沢だし、絵はもちろん整ってるし構図も面白くて、音なんかは爆音上映をやるところもあるだけあってほんと良かったんだけどさ。
でも明確な不満点が結構大きかった。
不満点の一番は、チハタンと継続っていう味方側の新キャラ2勢力が魅力なかったこと。魅力なかったっていうかハッキリ言って不快だった。
洋画のギャーギャー騒いで事態を悪化させる子供キャラって嫌われやすいけど、私の中でチハタンはそれと同ポジションだった。
オタクは馬鹿なキャラを嫌いすぎる傾向にあるし、私もその性質があるから、できるだけ広い心でキャラに接しようとは思ってるものの、それでもチハタンには苛立ってしかたなかった。
大洗のみんなも、テレビ版の序盤ではポンコツで、「真面目にやってくれよー!」と全く思わなかったと言えば嘘になるんだけど、でもがんばれベアーズ系としてはお約束だし、こういう作品群の中ではもどかしさがかなり少ない方で見心地がよかったんだ。
その見心地のよさは、バカさのレベルがほどほどだみたいな話ではなく、私にはよくわからないけど何か演出でうまくやってたり、キャラの魅力でカバーリングしてたり、そういうことで絶妙に飲み込みやすくしてるんだと思う。
でもチハタンはそういう心地よさがなかった。
テレビ版を終えての試合、ってていで始まったから、大洗の子らは凄く成長したし、他校はもとよりレベル高くて、一段上のステージでのハイレベルな争いを見れると思ったのよ。
野球で言えば日本シリーズ、とびっきりの最強vs最強、全ジャンル最強決定戦、スタローンとジャン・クロード・バンダムどっちが強い、そういうワクワクをかき立てられた。
なのにチハタンだけ馬鹿なのが、ハイレベルなカッコヨサや美しさを見せてくれそうなところをグッと押し下げて、大洗の足も引っ張ってるし、それどころか戦闘全体の足も引っ張ってるように感じられてなんだか悲しくなってしまった。
もちろん、お話の流れとしてある程度ルーキーキャラがいた方が作りやすいのはわかる。
ゲームでも続編ではレベル1からだし、ロックマンはロックバスターのみ、スネークだってほぼ無装備から、ランスも毎回怠けて弱くなってる。(この辺にも賛否はあったりするけど)
キャラの魅力でカバーしてくれたらよかったのかもしれないが、とにかくまあ尺がなくて、既存キャラたちの描写も食い足りないくらいなわけで、チハタンは事情も立ち位置もキャラもよくわからないポッと出の迷惑な子らって見えてしまった。
おまけに旧日本軍パロってのが、輪をかけて校風萌えもキャラ萌えもしづらくさせてる。
ガルパンってただでさえミリタリー・軍事・武力・戦争萌えのキワキワを歩いてて、色んな議論があるわけですよ。
平和教育受けた私としても多少抵抗があって、でも周囲の盛り上がりで試しにテレビ版を見はじめてみたら、上手にオブラートに包んでくれてたし、ほかの魅力が大きくって結局大好きになった。
でも日本軍パロは、かなりド真ん中じゃん。触れづらいとこに切り込んでるじゃん。
それが軍事賛美やオタクの右傾化に繋がるとは思わないけど、咀嚼するのに多少顎の力と喉の力が必要だ。スクリーンを見てて、外国パロに比べてどうしても色々考えてしまう。私の日本の軍備への屈託も煽られるし、「ああー、これっていろんな議論のネタになるだろうな」というファンダムについての余計な懸念も想起されてしまう。
とはいえ、だから創作において日本軍パロは控えるべきだ、とは思わない、そうするとますますタブーでアンタッチャブルになっちゃうし、それがよいことだとは感じないから。でも現状では私が身構える属性なので、この属性を組み合わせるキャラは受け入れやすいものにしてくれてる方が嬉しい。
しかし実際に旧日本軍パロをしたのはチハタンですよ。めっちゃ足を引っ張るってだけでイラ立つのに、おまけに日本軍パロで、食べづらい+食べづらいで、まったくもうやりづらいんすよ。イラ立つから好きになりづらくて、でも旧日本軍パロなせいで「あいつらホント駄目だな!」と本気で嫌悪するのもキツめの左翼の人っぽくて嫌だし、けれど一方で「も~、バカな子カワイイ♥」と頑張って萌えるには旧日本軍への悪印象が強くてやりづらいし、ホント扱いに困る。
なのでチハタンが、複雑に嫌い。
後半ある程度活躍してたけど、それも前半の悪印象を覆すことはありませんでした。ダメな子たちが成長する魅力はテレビ本編の大洗の子らに遥かに及ばず。
成長を描くんだったらチハタンよりもオタクチームや風紀チームを、「優勝に貢献はしたけど他に比べるとまだ今一歩 → 完全に頼れる仲間に」とか、ウサギさんチームが次期エース格にとか、その辺の大洗の子らをもっと描いてくれた方がずっとありがたかった。
具体的には隊長のスナフキンが盛り下げまくりでお前なんなんだよ!
そういうキャラ付けもありだとは思うけど、やりすぎで盛り下げすぎ! チハタンとは違う意味でしょっぱくしてる!
ガルパンTV~OVAは、否定に傾いてめんどくさく陰気に考えちゃいそうなところを、適度なしんみりさでうまく抑えてくれたのが私は好きだったんですね。片眼鏡なんかに対して、ほかのメンバーが不満をため込んでやる気をなくしたりしそうなのに、そこで否定的なことを言うキャラがいない。好みはあるだろうけど、ガルパンにおいてはそういう優しい世界だったのが私は見ていて楽しかった。
けど能登スナフキンはヤバイ。そんなの気にしない。否定しまくり。ひねくれてるとかムーミンパロとかそれだけじゃ片づけられない否定。ヤバすぎ。
継続高校の校風の説明、ポジションの説明、各キャラクターの説明がなかったのも痛いです。それらがうまくやられてれば、あの厭世的なキャラ付けもきっと愛せたと思うんだけど、なかった。どこの国をモチーフにしたのかもよくわかってない。
北欧? なの? みたいな。
CV石田みたいに出てきて思わせぶりに盛り下げること言ってなぜか参戦してきて戦闘シーンだけやたらカッコイイ動きして静かに退場したかと思ったら最後のセリフも持ってった。ホントなんなんだあいつら。
この2陣営への鬱陶しさが魚の小骨みたいにずっと邪魔で、気持ちよく味わえなかったのが非常に残念。
同じ新キャラでも、大学選抜の子らは、やっぱりキャラ描写薄いのでめっちゃ好きとはならなかったけど、決して不快ではなく嫌いでもないです。
今やってるプロジェクトおろそかにしてどんどん次にいこうとする
今年にはいって完全に新しいプロジェクトを始めたばかりなのに、
上司に、
次は何やる?そろそろ次に行かないとダメだ。って言われたわ
俺なら◎日で出来るが口癖。
顧客折衝、設計、プログラム、デザイン、テスト、既存プロジェクトの改修、保守、
全部一人でやらされてる。
たまに力仕事の雑用すらあるし。
仕事の進め方が完全に異常
スピード感があるとかいう表現じゃおさまらなくて、旧日本軍もびっくりの領土拡大。
間違いなく自滅を招くわ
もうやめるわ
「第二次世界大戦のドイツはひどいことしたよな」って言うときにさ「ナチス・ドイツはひどいことしたよな」って言うよね。
これ「ドイツ」と「ナチス・ドイツ」は違うってことでさ、「『ナチス・ドイツ』はひどかった。我々は反省して今は『ドイツ』です。『ナチス・ドイツ』と『ドイツ』は違います」ってことだよね。
日本もさ「第二次世界大戦のときの日本は良くなかった。でも反省して今は違うよ」って言った方がいいと思うんだよね。
それで第二次世界大戦のときの日本をなんて言うかなんだけど、「旧日本軍」もまあまあかな。「枢軸国・日本」っていう表現も見たことあって、これもいいなと思う。
「他になにかないかなあ」って考えてみてね「『東條JAPAN』ってどうだろう!」と閃いたのね。
「東條さんが率いた日本はちょっとやらかしちゃったけど、今は違いますよ」って感じで。
「東條JAPANは酷かったけど、安倍JAPANはそこそこ良いよ」って感じで。どうかな。
まあ問題は「東條JAPANは酷かった」って言ったときに「何を言うか!東條JAPANは酷くない!」って言う人達が出てくるとこなんだよね。
だから「ナチス・ドイツ」と「ドイツ」は別物と思ってもらえるんだけど、「東條JAPAN」と「安倍JAPAN」は類似のものと見られちゃうんだな。
当方大学生、実家は朝日新聞購読だ。小さいころから新聞やテレビで、日本と隣国韓国の間には「慰安婦問題」というものが存在していることを知っていた。どうやら、慰安婦問題は、戦争中に日本がやらかしたマズいことの一つらしい。しかも、お金や時間が解決してくれるたぐいのものではないようだ…
しかし、「慰安婦」とは何だろうか。「慰めて安心の女性」…? 新聞は、政治的合意や韓国の世論は報道しても、「慰安婦」が何なのかはまるで報道しないじゃないか。
この疑問に答えが見つかるのは、インターネットを通じてアダルトな知識に汚染されてきた頃である。ああ、慰安婦って旧日本軍に性的なアレを強制されたわけね…そりゃああんまりだわ大日本帝国…新聞がモゴモゴとごまかしていたのも納得である。
さて、今慰安婦関連の報道を見ると、「性的サービス」それ自体に言及するものは少ないものの、随所随所のwordingに、それを連想させるような工夫が施してある。そういった報道を見た人たちは、自分たちの想像する「強制的な性」のイメージと重ね合わせて、慰安婦の残虐性を理解する。この事情は日本も韓国も同じだろう。まさか韓国の歴史教科書も二次大戦のところだけR18というわけにもいかないだろうし。
こういった教育・報道のスタイルは一つの問題をはらんでいる。それは、実際のところの慰安婦の実情に関する(議論はあるにしろ)知識を持っている人は、日韓関係に関心がある人だけで、それ以外の大多数は、自分の中でしか「慰安婦」のイメージを持てないことだ。
こと性的な意識については、タブー感もあいまって未だグローバリゼーションからほど遠い状況にある、隣国である日韓でも、儒教的世界観の強弱や出版物に対する規制の変遷などの点で、二国が共有する「性」のイメージはほとんど存在しない。それどころか国内でも、世代や地域・社会的階層によっても、性的なものに対する意識というものは如実に異なる。
慰安婦について直接に言及しない報道スタイルは、こうした違いをそのまま包摂してしまう。しかし、報道の受け取り手は自分の「慰安婦」のイメージを口に出すことはないから、その違いが表面化することはない。それでも、「慰安婦」という共通の言葉の中にある、意味論的「慰安婦」は、日韓関係の専門家陣が創造できないほど多様なのではないだろうか。このことは間違いなく今後も「国民的合意」の形成の障害になることだろう。
今回のガルパンの映画では旧日本軍をモデルにしたチームも出てきたのだが、やたら突撃しようとする。
良くある映画のおどけ役のようにコメディタッチでそれが描写される。
弱いことで有名なイタリア軍より使えない。
劇が進み、元になったTVシリーズの主人公と一緒に戦ってきた女の子達に「逃げても反撃のチャンスはある」
(記憶が曖昧)的なことを言われ、「撤退」を「転進」と言い換えて正当化し、その後ゲリラ的に戦うようになる。
それで思ったのは、制作側はどれくらいパリのテロを意識していたのかということである。
フランスのメディアの中には「神風」と呼んでいる所もあり、例えば、「自爆テロを行おうとする心」を
どれくらい和らげる効果があるのか、どれくらいそれを狙っていたのかという点。
遠くもない将来、多分、違法動画がネットにアップされるだろうし、アラブの人達(主に男)はそれを見ると思う。
アルスラーン戦記も見ている訳だし。
「問題の構造はもっと深い所にある」と言われれば確かにそうなんだろうが、「短絡的な行動」というのは
大概にして、自分が(一時)風下に立つことを認めないことから始まる。
風下に立った上でよく相手を観察し理解しようと努めてみると、攻略の糸口も見つかるのではないだろうか。
もちろんそれをアラブの人達に言っても通じないんだろうが、おそらくアニメは勝手に吸収されると思う。
いやではなくて強く思うのはあの面白さは認めざるを得ないのではないか、アラブの人達(主に男)も、
ということであり、考え方が勝手に吸収され消化され蓄積されるのではないかと思う。
フランスの同時テロは民間人が犠牲になることが問題視されているのに、
しかしこれを頭ごなしに否定するのはカミカゼをやってきた日本がするのはおかしい、
・攻撃対象
自爆テロは不特定多数の民間人を標的にしているがカミカゼは米軍のみを標的とした。
ここで民間人が狙えたら狙っていただろう、という「だろう」推定は歴史において全くの無価値であり議論の余地なし。
「信長が本能寺で暗殺されなかったら」というライトノベルでも書いてガガガ文庫にでも送ってください。
・動機
戦力差のある中で米軍に対する対抗処置として腐った旧日本軍が青年兵たちに強要した作戦がカミカゼであるのに対し、
自爆テロは洗脳こそされていたが法的な強制力はなく、ISへの参加は実質的には自主的な参加が大半を占める。
また、カミカゼはそうしなければ本土の家族が米兵に殺されると脅されてきたので防衛するという決死の意志がある。
まだ差異点はあるが、類似点といえば「自爆」の2文字しかないのに、
ドヤ顔でカミカゼと同じというブログ・ブコメを繰り返す人たちは一体どこをどうみて同じだと言っているのだろうか。
自爆行為が同じであるならば自爆でいっしょだね♪で終わる話だろう。
それ以上話を広げようと躍起になるから話が破たんする。
なんとかふぇーすみたいな人もいれば、ありむーみたいのもいるのが艦これ界隈。ただまあ、悪目立ちするのはなんとかふぇーすみたいな人よね。
という意見があったので言わせてもらうと。
有村さんは毎日Twitter上で、旧日本軍の蛮行愚行を検証し世に広く知らしめる活動をしているわけですけれども。
だからといって、そもそもの艦これ支持という原罪が免責されるわけではないという寸法ですよね。
善き左翼の態度として許されるたったひとつの道は、その有村さんを「艦これのことしかつぶやかない。悪人ではないけど無益」とアンフォローした北守さんやクーコさんの方法。
ただひとつ。それだけなんですよ。
有村さんは生まれつきの脳機能の特徴から、艦これの艦娘に対して性慾を制御できないというキャラクターと、同人誌による収入を断つわけにはいかないという、差し迫った経済的理由から、止むを得ず、ああした矛盾を自分のなかに飼い慣らさざるを得ないという、そういう病理なんだよ。
在特会のメンバーが、外国人排斥デモの帰り道に捨て犬を拾ったら善人なのかという話。
蛭子能収だって戦争法案反対とか言っておきながら、日本財団に億単位で献金しているわけだ。
有村さんが奨学金を踏み倒しながらDMMに天文学的な単位の課金をしているという事実は、いわば脱税して作った金を森喜朗に献金しているのと完全に同一。
それだけは言いたかった。
悲しい手紙になりました。
横だが...
日本軍、いじめが多かったみたいだぜ。ググるといろいろ出てくるよ(外国の軍もそんなかもしらんけど)。
階級社会好き。人の住める国土が狭い自覚のある(=定員が少ない)、日本人の特性だと思う。
南京のは、日本人村が襲撃された通州事件というのが発端だったといわれているけどね。
マニラ市街戦でも、旧日本軍はめちゃくちゃをやったそうだ。便衣兵を恐れていたからだろうが、多数の一般市民が旧日本軍人に大変むごい目に遭わされた。
ふむ。まあ対日については言いたいように言わせておけばいいと思う。我々の祖先はかつて枢軸国として世界大戦を引き起こしたのはまぎれもない事実だし、ソ連が宣戦布告をしないままに攻め込んできたなど極めてどうでもいい。パールハーバーの方が100倍酷い。
だがしかし、ヨーロッパ戦線においてソ連があの当時何をしたのか、それだけはみんな正確に知っておいてもらいたいので増田に書く事にした。
第二次世界大戦において最も甚大な被害を受けた国の一つがポーランドだ。
あまり近現代史に興味が無い人はよくソ連がWW2当初より連合国側だったと誤解してるが誤りだ。アメリカイギリスフランスのようにナチスに毅然と立ち向かった「純・連合国」と比べるとソ連の狡猾さ、言い換えれば卑怯さが際立つ。
ポーランドは世界大戦勃発直後にソ連とドイツに分割占領され、その一年後には有名なカティンの森事件が起こる。ソ連がポーランド兵士・将校を1万人も虐殺して埋めた悪名高い事件である。WW2で各国がやらかした「残虐さ」でいえばドイツが独走で1位確定であり、2位は原爆落したアメリカ(落したこと自体を批判する意図は無い。ただ残虐さは否定できまい)、3位はソ連じゃねーかって俺は思ってる。「悪い順」ならナチスドイツ・日本のワンツーでもいいし我が国の侵略を正当化するつもは一切無いが、しかし残虐さで言えばこいつらがトップ3である。それは譲れない。捕虜1万人も殺して埋めるとか旧日本軍も真っ青ですわ。南京?ねーよ。寝言は寝て言え。
ようするにWW2初期はドイツとソ連はタッグを組んで欧州を荒らしていたわけ。何が戦勝国側だよって話。ただ、すぐに仲違いしてソ連もvsドイツを宣告する。
で、その後ソ連はポーランドに対して決定的に非道いことをやらかす。
ワルシャワ蜂起だ。
1944年夏にソ連はドイツが治めるワルシャワ(ポーランドの首都)へと侵攻する。そしてワルシャワ市民とレジスタンス(ドイツに反抗していたポーランド亡命政府を支持する市民ゲリラみたいなもの)へ向けて、ナチスドイツへの反抗を促したのだ。「我々が外から攻めるから君達は中から攻めろ」とね。それを信じたワルシャワ市民は全力を挙げて蜂起する。
しかしソ連はドイツの反撃を食らってあっさりと侵攻を諦めた挙げ句、自分達はもうワルシャワに攻めこまないという情報すらも中のポーランドレジスタンス側に伝えなかった。装備で圧倒的に劣る市民兵士が落ち目であったとはいえナチス正規軍に単独で太刀打ちできるはずもなく、ワルシャワは都市ごと完全に崩壊。実に20万人もの市民が装備の整ったナチスドイツに虐殺され、炎で真っ赤に染まるワルシャワの空ををソ連赤軍はワルシャワ郊外で傍観していたという。ひでえ。
その後、ナチスドイツがイギリス等の連合国側に押され瓦解したタイミングを見計らって、ソ連赤軍はがら空きのワルシャワに侵攻し無血占拠。火事場泥棒。挙げ句にポーランドのレジスタンスを静粛し、当時イギリスに亡命していたポーランド亡命政府も無視し、ソ連の息のかかった傀儡政権を立ち上げる始末。ひでえ。
ポーランド国民のソ連への悪感情をよそ目にまんまと東ヨーロッパ陣営に引き入れる事に成功したのだ。
何なのこの鬼畜っぷり。ひどいでしょ?終わってるでしょ?あんだけポーランドにひどいことしておいて、戦後は子分にするなんて凄過ぎますわ。
WW2を学ぼうとすると、どうしても日本は当事者だし、さらに極悪非道の代名詞ナチスに目がいきがちだけど、ソ連も相当糞なんです。こんだけひどい立ち回りしておきながら、戦後は戦勝国としてアメリカとため張るぐらいの大国として君臨したソ連はある意味凄い。感心する。
そしてそんなソ連を頑張って何十年も押さえ込んできたアメリカはやっぱり偉い。
ニュー山王ホテル
ニュー山王ホテル
ニュー山王ホテル(ニューさんのうホテル、New Sanno、ニューサンノー、New Sanno U.S.Force Center、ニューサンノー米軍センター])は、
東京都港区に所在する、在日米軍の施設である(管理者はアメリカ海軍)。
この施設はホテルの形態をしており、アメリカ軍関係者が東京を訪問した際の宿泊施設、及び在日米軍のための保養所、社交場として機能している。さらに、駐日アメリカ大使館関係者にも開放されている。
日本人は勿論、アメリカ人であっても軍と無関係の民間人は、原則として立ち入ることは不可能である。施設内で使用される言語は英語、通貨は米ドルとなる。当施設では他の在日米軍基地と同様、日本人の雇用例もみられる。利用や宿泊の条件は、アメリカ海軍の規定に拠って厳しく規定されているが、とりわけ週末には満室となり、宿泊予約が取れないことが多いという。
日米地位協定などについての協議を行う、「日米地位協定各条に関する日米合同委員会」の会合が開催されることでも知られる。
第二次世界大戦終結後の1946年(昭和21年)、アメリカ軍は旧日本軍の山王ホテル士官宿舎(東京・赤坂)を接収、以後占有した。
1983年(昭和58年)10月、同地は旧山王ホテルのオーナーであった安全自動車などの所有者に返還された。その代替として日本政府からアメリカ軍に提供されたのが、現在のニュー山王ホテルの土地・建物である。
現所在地は、安立電気本社跡地であり、部屋数(149室)、床面積(15万平方フィート)から、駐車場台数(74台)に至るまでのすべてが、移転前の旧山王ホテルのそれらと同一となっている。1981年6月に建築着工され、1983年6月に完成、同7月の閣議決定と日米間の政府協定の締結を経て、同年7月16日にアメリカ軍に提供された。
1983年11月に、日本の国の関係機関、ニュー山王ホテルの代表、地元町内会等から構成される「ニューサンノー米軍センター地域連絡協議会」が設置され、定期的な協議が行われている。
2004年から2006年にかけて、内外装に対する大規模な改修工事が行われた。作業は大成建設が施工し、特別な大理石を敷き詰めたロビーを始めとする重厚で華やかな仕様の工事には、1,000万ドル以上が費やされたという。
客室数:149(全室禁煙)
建物:地上7階、地下1階
管理部隊:極東海軍施設技術部隊(アメリカ海軍横須賀基地司令部)
売店
まず内容がよくない。
1.自己犠牲
2.勧善懲悪
3.暴力
明確な悪が存在しそれを懲らしめる絶対的な善性が存在すると刷り込むなど価値観の多様化したグローバル時代において害悪でしかない。
こんな映像を子供に見せ続ければ「この世は力あるものが善悪を決めるのだ!強い側が正義!」という歪んだ思想に支配されてしまう。
自己犠牲をこよなく愛し、絶対の正義を信じ、己の力こそが善悪を決めると信じるケダモノに育った我が子など誰が夢見るのだ。
擬人化された象がカレーパンマンの吐瀉物を頬張るホモセクシャルとスカトロジーの暗示映像などよりもよっぽど子供に悪影響を与えるだろう。
この歌は聞くものにこう問いかける「何のために生まれて、何をして生きるのか」そしてこうつなぐ「答えられないなんて、そんなのは嫌だ!」。
ふざけるな!!!!!
こんなくだらん歌詞はピーターパンシンドロームのアラサーロキノン野郎が公園で弾き語りしていれば十分であろう。
子供はただ生きればいい。
流されるままに生きることしか出来ないのが子供の不幸であるが、それが人生の理由を探し求めることによって解消されることはない。
流されるしかない己と、そこに意味を見出そうとする自分、ダブルバインドで真っ二つに引き裂かれて自己分裂を起こすだけだ。
夢や理想や生きる意味など、誰に問われることもなくいつの間にか持っていた物だけが真実なのだ。
人に答えを求められて生まれた夢など大抵が強がりのこじつけであり、自分を縛るだけの純粋なまでの呪いだ。
生きる喜びなどを子供の前でわざわざ歌うのも許せない。
そんなもの、生きる悲しみや死の恐怖に襲われた大人だけが感じるべきものだ。
くだらん!!!!