今回のガルパンの映画では旧日本軍をモデルにしたチームも出てきたのだが、やたら突撃しようとする。
良くある映画のおどけ役のようにコメディタッチでそれが描写される。
弱いことで有名なイタリア軍より使えない。
劇が進み、元になったTVシリーズの主人公と一緒に戦ってきた女の子達に「逃げても反撃のチャンスはある」
(記憶が曖昧)的なことを言われ、「撤退」を「転進」と言い換えて正当化し、その後ゲリラ的に戦うようになる。
それで思ったのは、制作側はどれくらいパリのテロを意識していたのかということである。
フランスのメディアの中には「神風」と呼んでいる所もあり、例えば、「自爆テロを行おうとする心」を
どれくらい和らげる効果があるのか、どれくらいそれを狙っていたのかという点。
遠くもない将来、多分、違法動画がネットにアップされるだろうし、アラブの人達(主に男)はそれを見ると思う。
アルスラーン戦記も見ている訳だし。
「問題の構造はもっと深い所にある」と言われれば確かにそうなんだろうが、「短絡的な行動」というのは
大概にして、自分が(一時)風下に立つことを認めないことから始まる。
風下に立った上でよく相手を観察し理解しようと努めてみると、攻略の糸口も見つかるのではないだろうか。
もちろんそれをアラブの人達に言っても通じないんだろうが、おそらくアニメは勝手に吸収されると思う。
いやではなくて強く思うのはあの面白さは認めざるを得ないのではないか、アラブの人達(主に男)も、
ということであり、考え方が勝手に吸収され消化され蓄積されるのではないかと思う。
本物の戦争をしている男たちが 女ごときがやっている決して死にもしないお遊びに果たして心を動かされるかな?
パリのテロがあった時期ならとっくに完成してただろ アホなの?