はてなキーワード: 長期間とは
コンピュータのソフトウェアを開発、運用するエンジニアが持つべき知識やスキルの基本セットとは何か?
例えばインテル系CPUのアセンブラが書けます!と言った場合に就活で有利になる場面がどれだけ想像できるか。
UMLのクラス図書けます!とか、暗号化の理論はバッチリだぜ!とか、相対性理論なら任せとけ!とかの場合に
おうおうおう、だったら弊社のホームページをカッコよくしてくれよみたいな案件を無難にこなせるのかというと
甚だ疑問では無いだろうか。
一昔前はソフトウェアはハードウェアのおまけだったわけで、ハードウェアこそがエンジニアが抑えるべき基礎だった。
時代は変わり、ソフトウェアでできることはものすごく多くなった。スマホアプリを作るのに組み込みの知識がなくても困らない。
だからこそ、現代のソフトウェアのみのエンジニアは旧来のコンピュータ関連エンジニアと道を分かたれている事を自覚しなければならない。
今の時代の最適解を見つけるのは困難かもしれない。
だけど組み込み系やマイコン制御をしないのであればアセンブラやC言語よりも優先して学習することはいくらでもある。
html,css,javascript をある程度自在に扱えるようになるのも長期間の訓練による積み重ねが必要になる。
コンピュータサイエンスネタが無いな……これはプログラミングに役立つネタももちろんあって、構造化プログラミングやオブジェクト指向プログラミングなんかもそうだけど、表層的に関数分けました、クラス分けましたとかしてもうまくいかない。ネストが浅けりゃいいってわけじゃない。プログラミング以外のネタもある。サラリーマン巡回問題とか。
桃源郷は現実に存在しないから憧れる、それはあるかもしれません。でも凄く悲しいんです。だってまだ人間に興奮出来る人達っていくらでも手に入るじゃないですか、その、えっと、二次元上に投影されたなにかとか、あるいは二次元上に投影された奥行きがあるように見えるだいたい60分くらいある何かとかがですね。
私はですね、二次元上に投影されたなにかとかをですね、はい、それを探すだけでも1枚2時間とか平気でかかるんですよ、というか2時間で1枚も見つかったら良いほうですね、何しろインターネット上の絵師もサイトも全部私は彫り尽くしてしまいましたからね。真面目な話既存の絵師が新しい絵を投稿してくれるのを待つか、新世代の誕生を待つか(長い人生を書けてこれは現実のものとなりました!)、それとも新しく何かサイトが誕生していないかとか、他の絵師が突然目覚めないかとか、マジで待ちなんですよ。凄く辛いです。ああでもそれは少し脇に置いておきましょう。
あのですね、ちょっとですね、自分で手錠と足枷を買ってみてですね、拘束してみたんですけどこれはちょっとダメだなぁと、じゃあどうしようと思って、氷像にされてみたいので一回氷をたくさん作ってみたんですけど、冷たいし普通に痛いし氷が次から次に解けていくしそもそも拘束感が全然無くてこれもダメでした。
それで特殊メイクとかの話とちょっと繋がるんですけど、最近ちょっと真面目に考えてるのが石膏の型取りなんですよね、全身の。いや取ったからって言って何も使わないんですよ。だけどほら、石膏取ってる間って全身動けないじゃないですか。凄く石化っぽいなって思ってて、お金かかるけど体験するなら石膏の型取りだなっていうのはいっつも思ってます。
あとついでに石膏の外側に勝手に胸とか盛られたりしてそのまま猥褻な見た目にされて美術館に何日も飾られたりされたら凄く良いなぁとか思ったんですけどこれもちょっと難しくてですね、というのも排泄の問題が出てきますからね。
こうなると前の穴と後ろの穴にチューブでも突っ込んでという話になるんですけど、チューブが外に見えちゃったら「なんだ人入ってんじゃん石像じゃねえじゃんただの変態じゃん」って思われるからこれはちょっと受け付けないんですよ。あくまで私は無理やり石化されたいだけなので。
だからチューブは中に通す必要があるんですが、そうなると石膏内部にかなり可動域が生まれることになりますよね、そうなるとそもそも拘束されている感覚が失われてしまって両立しないんです、これは。かといって排泄管をなくして我慢して毎日石膏されなおすかとか4時間おきに取り直そうとかいう話にすると今度は長期間拘束されていることによる自分は石化されているんだという最低限の自己暗示すら無くなってしまって興奮できない自分が容易に想像できてしまいもうだめなんですよ。難しいですね。
あのですね、少子高齢化が我が県のみならず日本人全体の問題であるように、石化現実化問題も日本人全体の問題であると、私はそう強く主張していきたい。解決案を発明してくれる方や石膏代を出してくれる方、募集してます。どうかご連絡ください。
ここ最近辞めたいばっか言ってる増田です。本気で辞めようと思っています。
辞める理由としては
・度重なる仕様変更や無茶振り(IT系ではあるあるだけども)、減っていくベテラン社員、いつまでたっても報連相すら出来ない上層部…etc.と今の会社に疲れきってしまった。というかうんざりしてる。
・まだ残っていた出来る人が立て続けに辞めていった(残った人数で回すのは到底無理)
・今まで分散していた仕事&責任がこっちに回ってきそう(社外向けに君を全面に押し出していこうと思ってるよ!的な感じ)
惰性で残ってた所にきっかけが出来てしまったって感じです。本当は辞めて一年くらいニートしてたかったんだけれど、残念ながらまだ心身ともに「うーん…不調だな…」って状態が続いています。(たまに駅で涙が出てきたりするけど、まぁまだ普通かなって)
なので傷病手当てもらいつつ休養…とかは難しそうかなって思っています。あともらうためにハードル高杉。
で、お聞きしたいこととしては
・長期間の無職状態は再就職の際に不利になるのか。(数か月程度なら言いようがあるみたいだけども、長引けば長引くほど不利になる…んだろうな)
・辞める前にやっておいた方がいいこと(未だにクレカ持ってないのでいい加減作った方がいいかなって思ってます。あと歯医者の定期検診行っとこうかなって)
って感じです。
なんか全体的にフワッとしていてすみません。
初めて仕事を辞めるんでとにかく不安で不安で…あまり相談出来る人がまわりにいないというのと、管理職や人事担当の方が多そうな気がするのでここで相談させていただきました。
27歳、女。貯金は300万程度、家族(現在無職×2)と暮らしてます。
長文乱文大変申し訳ありません。
http://www.byosoku100.com/entry/2018/06/21/125251
今日本で一番お金を持っているのは高齢者である、ということになっている。高齢者だけではなく多国籍にまたがるグローバル企業もお金を持っているはず。
この両者にお金を使ってもらわないと、日本は少子高齢化と経済の縮小によって、更に小さくなっていく。
移民も嫌だ、増税も嫌だ、となればお金のを持っている人間や組織がお金を使っていくしかない。
とは言っても、欲しいものが無い状況において、お金を使いたいという人間はいないだろう。
経済の流れは縮小しているのに、日本人が持っているお金だけが増えている状況を打開するにはどうするか。
今の日本は、第一次世界大戦の大戦景気が終わって不景気になり、関東大震災が大消費地の東京を直撃して市場自体が崩壊しかかっている時と似ている。
日本に被害が及ばない程度に、日本の近くで大規模な戦争が長期間続けば、日本は同盟国を支援するために財政出動せざるを得なくなる。
VLOG(ヴィーログ/ブイログ)とはVideoLOGの略称で、BLOGがテキストの日常ログであるのならば、VLOGは映像の日常ログという表現が解りやすい
日本でよくあるような室内で商品レビューをしたり、ゲーム実況したり、馬鹿騒ぎしたりする日本式Youtube動画フォーマットとは違い、北米を中心として発展した動画フォーマットで彼らをVLOGgerと呼ぶ
基本的にアウトドアであり、普通の日常生活で行った商店街や飲食店、ウォーキング、自転車・自動車移動、旅行などを一人称視点で時にはトークを交えながら日常を紹介するという動画フォーマットだ
商品レビューも日本のものとは一部違う部分があり、最大の違いが日常を映すというフォーマットなため商品レビューした商品が後日のVLOGにも登場し、使い続けている様子を観ることができるという違いがある(つまりレビュワーが長期間使っている商品こそ良い商品だと判定できる)
日常は映像・音声問わず不快な雑多なノイズが多いため、それらを機材や収録技術などで可能な限り廃して品質劣化を少なくしようとするというのもVLOG文化の特徴の1つ
映像作品としての性質も持ち合わせ、ドローンからの美しい空撮や、アクションカムによる激しい動き、洒落たトランジション、挑戦的な色味表現など、日本によくある室内型では編集効率上で廃されてしまう部分にもこだわっているVLOGも数多い
個人的に面白く感じるのが、特別な日にフォーカスしたものばかりてはなく、ホームビデオかと思うような本当に極々普通の日常を切り取っているVLOGgerが少なくないこと
チキンレースのように過激な表現に向かうのではなく、切り取られるのは日常の大切さや、家族愛、友情、そして故郷の様子などであり、本当に普通の生活を送る人がVLOGというジャンルでYoutubeへ動画投稿をしている
VLOGの影響は室内型で人気を博したYoutuberにも及び、突然人気YoutuberがVLOGという単語を用いて動画投稿をするなどの現象が起きている
ただ、既にVLOGへ興味をフォーカスしている人々は知っているだろうが、VLOGを積極的に投稿するのは30代以降が多く、その視聴者層も同様に30代以降が主流で、若者の流入が非常に少ないという面を持っている
これは撮影機材やパソコンなどにこだわり始めると資本的な余裕が必要になること、映像制作動作編集に一定以上の知見が必要なことに由来すると思われる
むしろ10代20代の若者の最近の興味はVLOGgerではなくVTuberの方で、刺激を求める彼らが何の変哲もない日常を切り取ったVLOGは少々つまらないのではないかと感じる
日本で主流の室内型Youtuberがどうにも合わなくてYoutubeをあまり観ないという人は、一度VLOGで検索し視聴してみては如何だろうか
アカデミアにいるわけでもない人間が酔った勢いで吐き出すので,間違っていたら寧ろ積極的に否定してほしい.
今年度の科学技術白書が話題を集めている.ブコメでは金がなくて雑務が多いんだから当然だという指摘が多くて,その指摘はある程度正しいように思える.僕は企業の研究者だけれども,実際に日本の大学の先生方は(その分野の権威であっても!)たった100万の研究費を出すだけでもとても良くしてくださるし,100万円ぽっちにそれだけ頑張らないといけないのだから当然のごとく忙しい.(海外の大学に研究費100万円なんて言ったら門前払い.少なくともその10倍からスタート)
じゃあ国がもっとお金を出すようになれば技術力の低下が解決するのかというと,少なくとも自分がいる分野ではその段階を超えつつあるのではないかと思っている.一昔前に話題になったポスドク問題の印象で,金を出してポストを増やせば論文数が増加すると思っている人はそれなりにいるのではないかと思う.しかし今,僕がいる分野では寧ろアカデミックポストが余っているらしい.ポストは減っているのになぜそれが余るのか.答えは簡単で,アカデミック人材がそれを超える勢いで減っているのである.僕がいる分野では,文科省の狙いが成功したのかたまたまなのか博士卒が多く民間企業に就職している.民間企業に就職すれば給料は多いし,なによりも期間の定めなく働ける.研究は自由にできないかもしれないが,大学にいても文科省様のおかげで好きな研究ができるわけではない.そして育てても育てても企業へ流出し,そして更に企業への就職志向が強まる悪循環によって,僕の観測範囲では博士新卒の6〜7割かそれ以上が企業に就職している.
つまりいまお金を多少投入されてもこの分野ではその研究費を投入できる人材がいない.企業から呼び戻せるほどの給与と安定したポストを用意できるだけの長期間かつ大きなの予算が与えられれば別だけど,流石にそれは現実的ではないだろう.ポストの空洞化がこのまま進めば教える人がいなくなるので,日本でこの分野はそのうち滅びるのかもしれない.博士卒の人材が就職したことで産業界に根付きつつある技術も,人材が安定的に供給されないのでは滅びるだけだろう.企業に博士人材が流出するのは一部の分野だけだから大丈夫!寧ろ殆どの分野では企業への進出が進んでいない!と主張する人もいるかも知れないが,そもそもそういう分野は博士取る人が減って同じ結果になるんじゃないかと思っている.
大学改革や選択と集中も必要だろう.でも日本のエリート教育の根幹を支えるアカデミックポストの魅力を大幅に引き下げてしまったのは大きな失敗ではないかと思う.そりゃあ腹芸が得意な役人にとって大学の先生方は扱いやすかっただろうけれども,日本の根っこを支えている人たちであるという敬意を失ってはいけなかったんじゃないだろうか.少なくとも研究計画の説明中に寝てんじゃねえよ.
https://anond.hatelabo.jp/20180518014637 の続きです。
2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。
レポートや感想というよりは感情の吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います。
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
・基本的に自分の千早観丸出しなので独善的解釈を多く含みます。
●公演の概要
●感情の整理。
●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。
注意:ここから先は今井麻美さんについても必要な場合は言及いたします。
1.如月千早の約束をかなえる⇒リベンジのMR公演を実現させる
2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ
基本的に後遺症が残ったり、長期間の治療リスクを発生させるようなことは、たとえ可能性が低くても絶対に避けるべきです。
どういう理由があってもです。
何よりこんな思いはもうしたくないのです。
だからこそ、何か防ぐために出来る事があるならやっておきたいと思いいろいろと考えてみました。
それはそれとして、私は今回の公演を否定しません。如月千早のやったことを否定しません。
彼女の何を思って舞台に立ったのか、それを考えれば考えるほど、その選択をした彼女はまさに私が応援してきた如月千早そのものであり、私が支えたい、応援したいと思ったアイドルの選択として痛いほど苦しいほど納得できます。
公演が成功だったとは口が裂けてもいえません。
が、それでも私は、「避けるべきリスクを避けずに行われたあげく、結果製品レベルのサービス(すなわちちゃんと歌えるソロパート)が提供できなかった」という理由をもってして、「今回の公演はすべて失敗でありあらゆる判断は間違っていた」と結論付ける事は絶対にしたくありません。なのでしません。
これはこの章においてなお理性の1000倍存在する感情の判断なので、理性に欠けておりいろんな意味でよくない判断だと思います。
それでも私は如月千早が舞台に立ったこと、そしてその決断をした背景と意思を否定したくありません。
結果、第三部は互いに傷ついてぼろぼろになりながら何とか最後までたどり着くというかたちになりました。
多くの部分で良くも悪くも感動があり、大きな心の動きがありました。
私はより如月千早を好きになり、応援したいと思い、支えたいと思いました。
でもこんなライブは二度とごめんですし、絶対に繰り返してほしくないですし、繰り返させないようにしたいです。
その上で、がんばった千早とその思いは否定したくないのです。絶対に。
なので私の中でこの公演については例外として扱います。唯一無二の例外です。
これ以外は絶対にもう二度と同じようなことは認めません。というつもりで生きていきます。
目的は3つです
今回の件のリスクの重大さを理性的に判断するには今井麻美さんにも注目する必要があります。
なぜか。今回のような無理をしてリスクを背負うのは如月千早と今井麻美さんであり、実存存在は今井麻美さんだからです。
今井麻美さんは声優であり歌手です。したがってのど・歌声というのは命と同じぐらい大切なものです。
そこにリスクを負うということが今回行われました。これは大変なことです。
今井麻美さんは如月千早役だけをやっているわけではありません。
一個のコンテンツが、ひとつのイベントが、その人の人生を左右するようなリスクを背負わせていいのか?
一般的に言えば「コンテンツ側の都合だけで持たせるのは絶対NO」です。
以上が(1)の確認です。アイマスを長く続けるためにはコンテンツ全体でこういった事態を招かないような仕組みを保持し、信頼を獲得する必要があるようにも思います。
このことから今回の件については、今井麻美さん自身も少なくない割合で「如月千早を舞台に立たせる」という判断をとったのではないかという推察が出来ます。
リスクを負う本人の意思はまったく考慮されず、ライブ制作側(バンダイナムコ)からの強要だけで強行ということは考えにくいからです。
あくまで推察であり、経緯の詳細が判明することはありませんが、少なくとも今井麻美さんの判断0で決まったということはないでしょう。(そんなことしてくるような極悪人集団と10年以上辛酸をなめながら同じコンテンツを作るなんて到底無理です。)
これは逆も言えることで、演者が無理を押して出たいといっても主催側がOKを出さなくては舞台が始まらないはずです。
1つ前の公演の終了が会場時間の1時間半前ということも考えると、主催側としても公演の中止や内容変更についてかなり厳しい状態で判断する必要があったであろう子とも想像できます。
では、今井麻美さんは何を思いあの舞台に如月千早を送り出したのでしょう?(ポエム開始)
今井麻美さんにとって如月千早が大切で特別な存在であるということは随所のインタビューやコメントなどで知ることが出来ます。
今回はその如月千早のMR公演の初回であり、現実世界における初めての舞台でした。
私はおそらく世界で一番如月千早のことを思う今井麻美さん自身が、少なからず今回の公演を予定通り実施することにこだわった可能性はあるのではないかと思っています。
千早を最もよく理解し、千早とともに悩み、歩き、喜びと苦しみを分かち合ってきた今井麻美さんだからこそ、ゆずれないものがあったはずです。
自分の負担とか不利益とかそういったことを超えて、如月千早にとっても、今井麻美さん自身としても、逃したくないもの、失いたくないもののために、今この時をどうしてもゆずることができない。
そういった感情があったのではないでしょうか。
如月千早は絶対にやりきるはずだ。やりきってみせる。彼女の志を、積み重ねを嘘にしないために。
そういった思いがあったのではないでしょうか。
そういう妄想です。
(3)について。
ポエムでもちょっと触れましたが無茶をする背景には演者と舞台主催側両方の都合があるはずということです。
ではどっちかを説得できれば今回の事態は避けられるということで、そこにヒントがありそうです。
ポエミーおおめの前置きが長くなりましたが、私としては
といった意見です。
上記を踏まえ取り組んでいくとよさそうなことを考えてみました。
最近ではもう前時代的な感覚になってきていると思いますが、スポーツ競技、特に若年層の部活動などでは怪我や不調を押してチームに貢献しようと試合に出たりそれで結果を残したりする選手が居ると、美談化され感動物語としてもてはやす風潮がかつて見られることがありました。
「その選手が自分の意思でやってんだからいいやろ!」というのが有りますがそういう問題だけではないです。
どちらかと言うとその選手の周り、コミニティの価値観が作る空気のほうが問題になってくると考えます。
コミニティの中で上記のような行動がもてはやされていると少なからずそれを強制する力が働き、場合によっては逃げられなくなります。
チームの柱、そいつが居ないとどうしても戦えないような試合でエースが限界を超えて延長戦に永遠に出場し続ける。
そうするとほめられる風潮がそれを後押ししている可能性は大いにあります。
そして一番厄介なのがその風潮のせいで「そうしないといけないのでは?」「そうしなかったら私は薄情ものになるのでは?」と言う気持ちを選手に抱かせる可能性があるということです。
「みとめてやらなくちゃいけないのでは?」「こいつの意思を踏みにじるだめな大人なのでは?」という迷いを監督や指導者に抱かせる可能性があるということです。
アイマスの元祖である765ASの歌姫、蒼の系譜の如月千早が行った今回の公演が美談化され神格化されたとしましょう。
そんな中、ほかのアイマスアイドルの演者達が似たような窮地に立たされたとしたら。
今回の事はあってはならぬこと、深く反省し戒めるべきことだとコンテンツ消費者側が認識していることを表明する必要があります。
皆さんお気づきの通り私はこれを行うことが出来ません。
私は先ほど自分勝手な感情論で「今回の公演を絶対に否定しない」と決めたからです。
ですので皆さんが私の代わりに、今回のような体調不良を押して、後に影響が残るかもしれない健康的身体的リスクを演者に背負わせる公演はダメ!ということをコミニティの共通認識にしてください。
「プロデューサー達はアイドルの健康について大変関心が高く、無理をすることを好まない」
私はその動きに参加も貢献も出来ませんが、邪魔は絶対にしません。
意思決定機関の内の一方、舞台主催側であるアイマス制作陣営に「消費者は演者の体調が優れない場合は、公演強行よりも中止や代打、演出変更での対応を高く評価する」といった認識を伝えるということです。
これが最も直接的で効果的だと思います。そしてそれ以外ほとんど手がないようにも思えます。
どうやったって当日現場でまさに今判断のとき!となっているところに私達は口を挟めないです。
ですので、中止や代打や演目変更が妥当で最善だと判断させるための材料を事前に送っておくしかないでしょう。
私は、今回のMRのアンケートにはかなり強めに複数個所「今後はもう絶対にやめてほしい」と意見を書きました。
これは私にとって直接第三部公演を否定しない行為だったので何とか実施できました。
5/17の深夜(正確には針はてっぺんを越えているのでもう5/18です)、果たして明日の公演はどうなるのか。
はじめはネットに散らばる色々なプロデューサーの記録を拝見することで感情を整理しようと考えました。
色々な意見や見方、捉え方が有り、千早へのアイマスへの愛がありました。
そして多くの方の思いに触発され、私はよりいっそう色々と考える結果になりました。
そんな中、自分の感情を整理するために怪文書をしたためたわけですが、いまだに様々な感情の渦が心をめぐり、落ち着きません。
結局、元気に力強く歌を歌う千早に再び出会うことでしか整理できない何かを感じているのかもしれません。
彼女の窮地に手を差し伸べることが出来ず、逆に彼女に救いを求めているというなんとも情けない状況です。
情けなくても何でもいいので私は心から如月千早に元気になってもらいたいです。
2018/05/18に開催された千早主演公演に参加してきました。
結果、彼女はこの日の公演をすべて歌いきってくれました。
参加した1部、2部公演の感想をレポートにまとめました → https://anond.hatelabo.jp/20180518235241
「そんなに嫌なら辞めればいいじゃんか」
どうして、そんな簡単に言えるんだろう。
またあんな苦しい思いをして、他人に品定めされて、働くところを、生きる価値を見つけなきゃいけないのだろうか。
何十社も何百社も探して、私とは何かを見つめて、お祈りメール貰って、面接では散々言われて
おんしゃおんしゃ。
三年も四年も前の話だけど、あの時のことはもう思い出したくない
言ってしまえば、所詮私が馴染めなかっただけで、その会社に染まれなかっただけで、私が馬鹿だっただけで、理解して動けなかっただけで、「つらい」という感情で片づけて、逃げるように辞めていいと思っているのだろうか。
他人にしてみれば、簡単なことなんだろう。他人の人生なんて、簡単なものなんだろう。私もきっと、他人がつらい思いをしていれば、辞めたらいいじゃん、と言ってあげるだろう。
言ってしまうだろう。だって、私にはその人の人生とは関係が無いから、その人がどうなったって、私には関係が無いから。
優しさで発してくれるその言葉は、ただ私に重くのしかかるだけ、
つらい、苦しいって病気の振りして、病気みたいな症状が出て、それでもまだ、私は自分が壊れかけって認めたくない。いや、認めているけど、心の底では、こんなもので、って思っている。
むしろもう壊れきっている。
みんな、苦しい思いしているのに、それらしい症状が出ているからって、そうとは限らないじゃん?
もし、病気じゃなかったらって考えたら、ただのよわっちい奴ってことになってしまう。だから、病気かもしれないってこと、認めたくなんかないし、ただの笑い話にしたい。
休日は毎回涙が止まらないのも、不正出血が続くことも、頭痛が止まらないのも、眠れないのも、自分自身を傷つけてしまうのも、ただ私が弱いだけで、構ってチャンなだけで、全然病気とかそういうんじゃないんだって。
辛くても苦しくても、どうしようもないことってあるじゃん。
人が死ぬこととかさ、別れとかさ、それが私にとっては仕事だったのかもしれない。
頑張っているねって褒めてもらえてうれしい、でもだんだん息苦しくなってしまう。また褒めてもらうためには?もっと認めてもらうためには??もっともっと、私をほめて、認めて、すごいっていって、流石だねっていって、じゃないと私はここに居る意味が無いんだよ。
それが結局、自分の首をしめて、良い人ぶって、出来る振りして、出来ないくせに、分からないくせに、嫌いなくせに。
一人暮らしを始めるために買ったもの、買って貰った家電はどうしたらいいの?実家にかえりゅ~~~って泣きついて帰って、つぎまた一人暮らしをするってなったら一から揃えるの?あほでしょ?
考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきて、考えたくなくなって、結局つらいくるしいって言って、死にたくなるだけ、
どうせ、だれも救ってなんてくれないし、結局他人事だから、親と言えど最後まで、私が死ぬまで面倒を見れるわけではないし、結局私がどうにかするしかなくて、私が稼いで、私が生きていくしかなくて、でもそれはとっても苦しくて
どうして働かなくて生きていけるの?生きているの?私には許されなかった世界で生きているの?どうして欲しいものを買えるの?どうして行きたいところへ行けるの?至極まっとうな人間になった私にはかなわないのに。
どうしてあなたは、私が望んでいる生活をして、苦しんでいるの?理解できないよ。
どうして、どうして私はひとりなんだろう
でも、他人と一緒とか今更無理だなぁって思う。
宝くじでもあてて、一軒家でも買って、一生働かなくて済むようになりたい。
週4の4時間とかなら許せる。とにかく長期間拘束されて、パソコンと電話とにらめっこして、顧客からも上司からも責められて、たまに貰う飴に騙されて。
どうしてこんなに苦しいのかも分からない。仕事を辞めてからって幸せになれるわけでもないだろう。
どうしたらいいんだろう。苦しいよ。今日もとっても苦しい。
もう私にはどうすることも出来ないってこと、分かってほしい。
誰にだ。
誰も救ってなんてくれないし、だれもわかってなんてくれないよ
わざとぶつかってくる人を追い回して罵る女をやっていた。小柄な女なのでこういった輩に頻繁にわざとぶつかられた。
当時の私も仕事やらなにやらで心身共に擦り減っていたのもあって、鬱憤を晴らしたかったのかもしれない。そんな事馬鹿げていると当時から薄々気が付いていたし、そんな理由で自分の行為を正当化したくはないのだけど。
相手に反撃されるかも、刺されるかも、線路に突き落とされるかも等と叱ってくれる人はいたが、長期間鬱を患っていた事もあって、いつ殺されてもいいと思ってやっていた。そしてわざとぶつかってくる人に反撃する事は本当に気分が高揚した。
ぶつかられた時点では私は被害者で、相手は男、私は女、一般的にはこちら側が弱者と見られるだろう。一人で反撃するよりも周りの人を味方につけるのが効果的だった。面白いほど周囲は私の味方に付き、わざとぶつかってきた人を擁護する人は誰もいない。大半のわざとぶつかってくる人は弱い人だ。まず反撃はしてこないし、刺しても来ない。しかし中には逆切れして殴りかかってくる人もいた。そんな時は周囲の男性が取り押さえて警察に突き出してくれた。逃げられてしまう事も多かったが、駅のホームなら殴られるまではいかなくとも駅員さんに引き渡す事もできる。
これは都会に住んで、人混みを歩く時が多かった事が幸いした。わざとぶつかってくる人よりも、助けてくれる人の方がずっと多い。叫んでも誰も来ないような所だったら、もっと狼狽えていたかもしれない。
そんな周囲の善い人達に気付かれないように、わざとぶつかってきた人を小突いたり罵ったりするのは本当にスッキリしたが、大多数には善人ぶる自分はマジのクズだ。特に逃げられかけた時に全力で付け回して罵るのは最高だったな。
殺されてもいいと思ってたから、極論を言えば相手を線路に突き落としてやってもいいとも思ってた。
「ねえねえ、最初は反撃して来ない人に見えた?」と言わんばかりに嬉々としていたかも。
こんな書き方をして伝わってしまうだろうが、恥ずかしながら未だに武勇伝のように思ってしまう気持ちが完全にはなくならない。
やっていた事は正当防衛の範囲内に見えるようにしていたし、被害者として周囲に話す事もあった。しかし一般的に弱者に見える事を利用して鬱憤を晴らしていた本心を恥ずかしく思い、この気持ちに関しては限られた数人にしか話していないし、心理的には「無敵の人」に近かった、死刑になりたいからと殺人を企てる人と同じだった、と思う気持ちが今は多くを占めている。それは転職が成功して、大事な家族が増えて、失くしたくない生活を得たからだ。
今はこんな風に思っていても、人はいつ人命よりも鬱憤を晴らす事を優先するような環境や精神状態に陥るか分からない。できるだけ多くの人が心穏やかに暮らせる世の中が訪れるようにと願うようになったのもまた、偶然私が穏やかな環境を得たからに過ぎない。
でももしかしたら本当は正当防衛かもしれない自分の行為に罪悪感を持ってしまう今の私が歪んでんのか?
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
反対派の意見として「治安が悪化する」「日本人の職が奪われる」「稼いだ金を母国に送金されるだけ」というのがあるけど、治安の現実的なデータとしては外国人犯罪は減少傾向にあるし、
現状のデータで「外国人犯罪は減少傾向にある」ってなんの意味があるんだ。
アホかお前は。
アホなんだな。
つまりお前ぐらい知能が低くて浅はかな人間が移民政策に賛成してるってことだ。
結局国の負担や不安要素になってるケースはいくらでも見つかる。
彼等を雇い入れて利益を出したい企業は国のことなんか考える必要が無い。
短期的に彼等の労働力を使い、都合が悪くなったら放り出すのが合理的行動になる。
放り出された外国人は消滅するわけではなく生きていかないといけない。
そうなったときに社会(国でもよい)に莫大なコストが発生するが、
彼等を呼び寄せて短期的に利用した企業はそのコストを負わない。
というのが利益を生む最適行動になるので、企業は必ずそういう行動を取る。
これに対抗する手段は無い。
対抗する制度を作るのが極めて難しいうえに、企業に味方しない政治家は当選出来ない。
企業以外誰も得しない。
厳しく選別して無職になったら即放り出すような運用を徹底するなら可能だが、
はてなサヨク中高年が言いたがるような日本の落日のためでは無い。
そういうことをやると人権無視だと言うことになって結局制度を維持できなくなるからだ。
中国やシンガポールはサヨク中高年風に言えば「人権意識が低い」ので(彼らがそのような批判を日本以外に向けることは決して無いが)あのやり方が出来る。日本には無理。
2・強い悪意を持って日本を破壊したいと思ってるだけの反日サヨク
3・お前のような無邪気なアホ
ということになる。
ちなみに1や2は3を装いがちなので、
俺はお前についても本当にただのアホなのかどうかはかなり疑っている。
見落とされているポイントだが、たとえば株式とか仮想通貨とかボラティリティの高い資産に投資を行った場合、ある一時点での評価額は当然大きくふれるが、移動平均を取れば変動はさほどではない。裏返して考えれば、これらの資産を一度に現金化しない限りは、ボラティリティはさほど問題にはならず、期待値だけを考えて、それが大きくなるようにボラティリティの高い資産に投資を行うべきだろう。
そもそも人生において、巨額の現金が一度に必要なことはほとんどない。おそらく唯一の例外は、住宅を現金で買おうとする場合のみだろう。だが、これも住宅ローンという形で割賦支払いすることが可能だし、自動車もローンやリースにすれば、月々の支払は大したことがない。
資産に関しては、決して一時点での時価で一喜一憂する必要などないのだ。売却前の時価評価など、あくまでも幻のようなものにすぎず、それを少しずつ現金化していく限り、長期間で均して考えれば、変動はずっと小さくなるのだから。