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colabo案件に関して
djyutou(ゆとう)
https://note.com/djyutou/n/n7621cfdb39fd
仁藤みたいな少女保護団体に保護される子はワイらが想像絶するような環境で育ってて、年齢によっては児童相談所の対象外になる若い女の子もいる訳だ。
一切そんなデータはない。これがコラボの正当性になるというのはさすがに無理がある。
そんなことを誰も言っていないので、これも無理がある。
一番ひどいのははてな匿名ダイアリーを引用している点。
これ、あんたが書いたやろ。
どこまで本当かわからんけど、こういう子をどうするかでしょ。
真偽不明ならこういう子は存在しない。あんた自分でうそ書いたね。こういう自作自演はやめようよ。
ワイは仁藤のみならず全てのNPOに公金投入は反対だけど、colaboの保護活動自体は否定もしてない訳よ。
colabo潰されても他に保護団体あるからいいじゃねえかって人もいるだろうけど、他の保護団体にも今後厳しい目は向けられるだろう事を想像つかんかね。
それ、全部NPO法人が不正で自浄作用がないんだから仕方ないだろ。盗人猛々しい。どうして常識がないのだろう。なんでも人のせいにするのか。本当にあきれる。
こういう無理筋な擁護ばかりしているの、かえって反感しか高まらないからやめた方がいい。まさかと思うけど、わざとやってないか?
https://twitter.com/izumillion/status/1611990856277585927
@izumillion
Music journalist, single mom and cat lover. フリーで音楽業界の通訳やってます。最近スタイリスト見習いも始めた模様。ハイパーCO2クリエイター。人間には珍しく寒い季節はずっと冬眠しています。KADOKAWAより書籍「ブレない子育て」発売中。Amazonアソシエイト利用中。
@izumillion
ホントこれなんですよ。
“仁藤を叩くのに寄付はしてあっという間にcolaboに投入される公金は超えても、家出少女の為に寄付しようとは思わんでしょう。”
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note.com
colabo案件に関して|djyutou(ゆとう)|note
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@izumillion
返信先: @izumillionさん
対Colabo用に秒速で寄付された7000万円、家出少女に使われるように寄付されない世界だからみんなたちが嫌いなタイプのフェミさんたちが頑張るしかない世の中になってるんですよ。
公金泥棒を平気で擁護するために女性を持ち出すの完全に貧困ビジネスで詐欺ですね。
理論物理学者を目指していた。高校で評定平均5を達成していたこと、中学から数学のコンテストやコーディングの競技大会で数回入賞していたこと、高校生対象の物理の国際コンテストへの出場経験が評価されてアメリカの大学に進学した。学費も全て免除。しかし英検1級とTOEFL90以上の英語が全く使い物にならず授業で遅れを取り孤独になり3ヶ月で挫折した。当初俺より英語が酷かった中国人のルームメイトは怯むことなく授業で発言しあちこちに話しかけ、すぐに友人を作り英語力をめきめき向上させていた。
日本に帰国して受験勉強を開始するが舐めてかかって東大理一に落ち早稲田の理工に進んだ。入学してから友達を作れば良いと思っていたが、入学式の時点で既にSNSでグループができていた。孤独と劣等感から大学を疎かにして起業、webサービス制作やゲーム制作に取り掛かった。借金はしなかったが一つも当たらず単位と時間を失った。幾度も留年したため裕福でなかった我が家に予想外の学費が重くのしかかる。俺に「末はノーベル賞か事務次官か億万長者か」と期待していた両親の目が日に日に冷たくなる。
ようやく目が覚めて大学に真面目に通う。在学年限ギリギリまで通ったため大学院の進学は許されなかった。新卒で大手に入るのは絶望的でベンチャーすら待遇の良い所は落とされる始末だったため、民間は諦めた。近所の人と親の「〇〇君は都庁に入ったんだって。すごいね」という会話を聞き都庁を目指した。「勉強だったらこっちのもの。大学受験と同じ轍は踏まない」と猛勉強し一次試験は突破した。しかし二次試験で落ちた。就職先がないまま卒業することが確定した瞬間だった。既に親の期待はゼロ。勉強は不得意だったがコミュ力はあってスポーツ推薦で大学を卒業し新卒で就職していた弟との評価は逆転しており、「弟を見習いなさい」という言葉を浴びながら生活している。
俺が小中高で受賞した数学、英語、書道、作文、プログラミング関連のトロフィーや賞状、新聞に載った時の切り抜きがリビングに飾られていたのだが、最近父が「こいつの目を覚まさせる」と言って全て撤去し捨てた。今更平均以下の年収で生活をギリギリ維持するだけの人生を送っても楽しくないので大学を卒業したら死ぬつもり。既になるべく迷惑のかからない、死んだことすら気づかれない方法を考えて準備はしてある。来世は野良でも室内飼いでもなんでもいいから猫になりたい。人生マジでつまんなかった。
1 運転中に、〇川急便の見習いから、追突・押出し・引きひげの交通事故に遭った被害者がいた
2 被害者が依頼した弁護士は、着手金50万円振り込まれたあとは、相談すっぽかしたり、齟齬のある交通事故証明書の修正申告もしなかったり、被害者を迫害
5 被害者は、東京弁護士会法律相談センターの業務委託として委任するという旨のウソをつかれて契約してしまった、と主張した(懲戒請求でも主張したが認められずに終わったもの)
6 被害者は、相談センター所定の契約書書式の正本で双方のハンコもある「受任報告書」を弁護士に提出させようと思い、「文書提出命令申立」(民事訴訟法)を行った
7 しかし裁判所は、決定を引き延ばしたあげく、棄却(法律上、契約書類の提出申立は棄却できないはずなのに、だ)
8 さらに裁判所は、「証拠調べの必要がないときは、文書提出命令を棄却し抗告も認めない」旨の判例をこっそり作っており、即時抗告も却下
10 被害者は、弁護士に名誉棄損で反訴され(ムカついてツイッターに弁護士登録番号を書き込んでいた)、弁護士は3万円、被害者5万円の支払い判決で、事実上敗訴
11 判決書の要約「弁護士がウソをついていたとしても、てめーが契約を決めたんだろうが? 口約束でも契約は契約だ」
別に現代の職に対する要求値が上がったから晩婚化したわけではなく、
江戸時代だって番頭が結婚したのはとりわけ有能な者で30歳くらい
番頭はエリートだから(震え)にしたって農村部でも男の初婚は25歳〜28歳だよ
現代でもそうだが職人の見習い・下積み期間は給与が安いのだ。ITだってそうだね
結局のところ、勤勉な者が子孫を残すわけではなく、
ちゃっかりしてるヤツがやることやらずにノリで子ども作って連なって現代に至るわけだが、
こればかりはどうしようもない
どこの国も 子ども以前に自分自身の責任が取れないDQN と 幼稚園から大学まで私立余裕の金持ちだぞ、子ども作ってるの
現在34歳の無職の男である。約7年実家でニート。俺には家が近くて仲良くなり、小学生時代はよく遊んでいた同い年の幼馴染(男)がいる。俺と幼馴染の人生を比較すると面白かったので書いてみる。
俺
地元国立大学の教育学部附属小中学校を経て偏差値71の県立高校へ進学。小中高とサッカーに打ち込む。勉強もでき友達もたくさんおり、高校では彼女もいて楽しい毎日だった。地元を離れ旧帝大学法学部に進学。友達が出来ず勉強に打ち込むが成果が出ず先行きが曇る。同じ大学のロースクールを卒業するも司法試験に2年連続落ちる。撤退し就職して上京する。半年で鬱になり遅刻多発、退職しようとするも解雇される。27歳で実家に帰り今に至る。
幼馴染
地元の町立小学校、中学校を経て偏差値40未満の工業高校に入学するもバイクで昇降口にタックルし一ヶ月で退学処分。工務店の職人見習いになるもすぐに辞める。県庁所在地のある繁華街でキャッチ(高校時代塾の帰りなどにすれ違うと手を振ってくれた)。俺が大学を卒業する頃に高校卒業認定に合格し専門学校に進学。専門学校を卒業し大手IT企業の子会社に就職し上京。職場で出会ったらしい女性と結婚。現在二児の父。
こんな感じ。俺が司法試験を撤退してワンマン社長の会社の営業をしている時に東京で幼馴染と飲んだのが最後なんだけど、その時には逆転されてた。かつてはお母さんを心配させ、近所で怖がられていた幼馴染は立派な社会人で二児の父親。一方、近所で優等生扱いだった俺はニート。毎日小遣いをせびってはかつて幼馴染がキャッチをしたり喧嘩をしていた県庁所在地の駅まで電車で向かい、ネカフェに行ったり、古本屋で買った漫画をドトールで読みながら過ごしている。同窓会の招待などが届いた時は親から参加費を貰い、同窓会には参加せず繁華街のピンサロに繰り出す。
一橋大と東工大はそれぞれ「理系分野が弱い」「文系分野が弱い」となじられてきたから、ここでお互いの強い分野を見習い合って強化することに決めたんだよ。
一橋大は理系のソーシャルデータサイエンスの学部まで作ったし、東工大は文系のジェンダー論に本腰入れて取り組むようにした。
ただの単科大の時代はもう終わり。
https://www.youtube.com/watch?v=Yd97ccIjh9M
自分はこの動画が好きだ。あるあるネタとして面白いのもあるが、
ミスをした部下に対する中間管理職の対応としてかなりイイ線行っている、見習いたいと思うからだ。
一方で、コメントでは良い/悪いと賛否両論あるとともに、部下側の視点でしか話されてないように感じる。
ある程度、上司側の思考もわかる立場のおっさんとして、どの辺りが良いと思うかを言語化してみたい。
まず、これをやっておくとさらに上に対して2点はっきりと主張出来る
この主張をすることで、部署の能力・私の管理能力・本人の能力の3点をガード出来るのである
動画では表現されていないが、前述の主張をするためには以下の2点を必ずやっておかなければならない
後者はまぁ落ち着いてから考えればいいとしても、前者は即である。
別の部下に頭を下げて差し込む・自分で巻き取って残業するなど、なるべく部署内で行いたい。
隣の部署に影響が出るようなら頭を下げて、昼飯のひとつも奢る必要があるかもしれない。
なんにせよ部署を超えるのは「部署内で解決出来た」の主張が弱まるので避けたいが、どうしようもなければ飲むしかない。
とりあえず各所に頭下げて乗り切るのである。
上記が上司が考えることの大筋で、「ミスした部下にどう向き合うか」に割ける脳内リソースはそんなに高くない。
優先順位的にも、「今後同様の事故が起こらないための体制作り」に入るトピックである。
そして、「部署の能力・私の管理能力・本人の能力の3点をガード出来る」に本人を入れたのは温情であって、
極端にドラスティックな判断をするなら、「本人は切りますので今後同様の事故は起こりません」でも良いわけである。
まぁそこまでやると会社の体力・国の体力が無くなって自分たちの首を絞めるのである程度リソースは割いて教育するが、
会社は学校では無いので教育も慈悲で行うわけではなく、余剰分を使っての投資である、どれだけのリソースを投資するのは会社のさじ加減なわけである。
教育という名前でたまたま落ちてる会社の余剰リソースを掻っ攫ってはたくさん喰らって強くなっていって欲しい。
たまたま落ちてるんじゃなくて潤沢に配り歩けという主張はおじさんがやっておく。
乙女ゲーと聖女もので、王道から外れていて、かつ、好きなタイトルを挙げてみる。
悪役令嬢に転生するものの、乙女ゲーのPRGパートが好きすぎてレベル99まで上げてしまう。
聖女になれる素質を持ちながら、誰でもなれる魔物使いになる主人公。
悪役令嬢の体に魂が入り込む形で転生、元の体の持ち主の冤罪を晴らそうとするが……。
かなりシリアスです。
シリアスです。
乙女ゲームのヒロインに転生するが、それに気が付かず(乙女ゲーを知らず)、メイドとして生きていく。
シナリオ強制力はある程度あるものの、チート能力で跳ねのけていきます。
悪役令嬢が断罪一日前に前世の記憶を取り戻し、盤面をひっくり返す物語。
なんで外出に執事がついて回るの?あんたは常に屋敷で堂々としてろ!服なんか着せるな!紅茶入れるな!あんた最上級使用人だろ!屋敷の使用人で1番偉いんだろ!あんたの仕事は事務仕事!一万歩譲って主人の大事な外出に付き従うならまだしも娘の外出になんか付き添うな!娘も執事なんか連れてくるな!娘用の侍女がいるだろ!
メイドは男主人や嫡男の部屋に気安く入るな!気安く話しかけるな!お前の仕事は家事!廊下で男性家族に会ったら頭だけ下げて話しかけるな!見習いメイドは家族に姿を見られるな!主人や嫡男のお世話は従者と下僕がやる!
というかその従者と下僕はどこにいる!男性家族に服着せて、お茶淹れて、外出に付き添うのは男性使用人のお前らの仕事だろ!メイドに嫡男の世話なんかさせる貴族がいるか!
騎士ども!お前らはその家の子供ら(主人公)が思い付きで始めた外出に付き添うほど暇なの⁈
あと、主人公に悪意をなした貴族が勧善懲悪で処刑されてるシーンよくあるけど、なんで本人が王都にいるの?代理人置いとけよ!処刑される前に領土で兵を挙げて抵抗しろよ!プロローグで「中世ヨーロッパ」って書いてあるよね?あと昔の中国の皇帝ならともかく中世ヨーロッパの領主が王に忠誠心ないなんて当たり前だし、処刑したらもっと面倒くさいんだから賠償金もらってもっと遠くの領地に送り込んだけ!簡単に貴族や領主を処刑すんな!宮廷貴族は別ね。
王族とか爵位の仕組み、教会とか権力争いとか、そういうとこ妙に現実に寄せて具体的にして、「中世ヨーロッパ風」って書いてあるのに、上に挙げたような所が全く説明されず、さも当然ですみたいな感じで書かれてるのがよくわからん。現実と違う所ちゃんと説明しといてくれ。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。