2週間の合宿期間中、続(監督の名前)は、夜のミーティング時間を利用してくり返し整備の大切さを生徒たちに説いて聞かせた。
すなわち
用具を大切に出来ないものは、野球に限らず、その道での上達を望めない。
用具の中でも、まず大切なのがグラウンドだ。
練習をするうえで、すべての土台となるグラウンドが荒れたままでは、技術の進歩はないし、何より野球をしていて楽しくない。
グラウンドを粗末にすると痛い目に遭うとか、罰が当たるとか、そういうオカルト的なことを言うつもりはないが、荒れたまま練習をしたのでは、全くの時間の無駄となってしまうのだ
と、続は説いた。
ここで続は、平成元年のプロ野球ペナントレースにおける、あるエピソードを持ち出した。
その年のパ・リーグは、近鉄、西武、オリックスが、終盤まで激しい優勝争いを繰り広げていた。
近鉄は、ブライアントの奇跡的な連続ホームランで連勝を遂げ、優勝をほぼ手中に収めた。
このダブルヘッダーの第二試合、近鉄に負け、優勝の望みをほぼ絶たれた西武ナインは、
大きな落胆と共に、自らのホームグラウンドである西武球場を引き揚げていった。
その際、当時西武の主砲であった清原和博は、帽子を取ると、グラウンドに深々と一例をしてからベンチを後にした。
目の前で優勝を持ち去られるという大きなショックを受けていたにもかかわらず、例を忘れなかった清原のこの行いは、テレビ中継でも放映されたから、ちょっとした話題となった。
その年のオフ、テレビ番組「プロ野球ニュース」の企画で、落合博満が清原と対談した。
その席で落合は、「どうしてあの場面、グラウンドに礼をしたの?」と、清原に尋ねた。
落合の目には、清原の行為は奇異に映り、それを一種のスタンドプレーか、あるいは何らかの意図を持った行動と勘ぐったのだ。
しかし清原は、そんな落合の邪推とは裏腹に、こともなげな顔をして
「いえ、あれはいつもやってることなんで、あの日もそうしたまでです」と答えた。
つまり清原にとって、グラウンドに感謝の礼をすることは、単なる日常的な行為であった。
いつも行っている、当たり前の習慣だったのだ。
そうして清原は、かつてないほど大きなショックを受けたこの時も、そのことを忘れなかった。それほど、肝の据わった男であった。
「つまりおれの言いたいのはそういう事だ」と、続は言った。
「このエピソードから、何を感じるかは皆次第だが、俺は何かを感じた。
端的に言えば、そんな清原を格好良いと思った。だから、おれはそんな姿勢を見習いたいし、皆にも勧める。」
続は、生徒たちにそんなことを話して聞かせた。
するとこの話は、生徒たちにそれなりの影響を与えた。
次の日から彼らは、グラウンド入出時の礼を欠かさないようになった。
そうしてこの習慣は、迷径学園野球部同好会が部と昇格した以降も、変わらずに受け継がれる伝統の一つとなった。
一つだけ言っていい? 読点おおすぎない? あと整備の話なのに礼の話になってない?