はてなキーワード: 網膜とは
私は、これからデッサンを学ぶ。これから書くのは私がなぜデッサンを学ぶかということだ。
デッサンを学ぶ理由については諸説ある。それが現在においても、最も簡単な視覚的表現方法であるという人もいる。デッサンがアートにおける基礎であるから。という人もいる。忍耐力をつけるためという人もいる。というように、書籍や、インターネットで調べれば様々な答えが出てくる。つまり、これが「答え」というものはない。つまり、自分で何のために学ぶのかを考えておく必要があるだろう。実態が完全に掴めていなくても、とっかかりとなる「やる理由」が必要だ。実態が掴めてくれば、また学ぶ意味を見つけることはあるだろう。このブログを見つけた人でデッサンを学ぶ理由を探している人は、あくまでもこれは私見であるので、参考までにとどめておいてもらいたい。
私なりの答えとその理由をここに置いていく。
デッサンとは、「高度な観察(入力)」と「高度な表現(出力)」である。
私の知る限りでは、デッサンはまず筆を持つということはなく、描写する対象を時間をかけて穴が開くほど観察する。文章で書くとこれだけなのだがこれが実に奥が深い。例えばリンゴをデッサンの対象にするとしよう。見始めて間もない頃は、部位ごとの色の違いがぼやけて見えるのだが、時間をかけて観察すると、網膜に焼け付くように色の違いがくっきり見える。そうすることで、リンゴを実際に描くことに一歩近づく。だがそれだけで書けるだろうか。デッサンをやったことがない人はデッサンのために適した紙、エンピツ、その使い方を知る必要もあるだろう。ツールを知り、その使い方を知ることも重要なのである。それを知ってもまだ描き通すには程遠い・・・
一方デザイナーとは、私の中では「特定の誰かにとって価値のある視覚的表現を生み出す職業」である。
そして、デザインにおける工程では、まず、顧客が欲しいものを見つけることから始まる。つまり、顧客を観察することである。これをおろそかにしてはいい成果は生み出せないであろう。観察して見つけたものを表現する必要がある。それは言葉でも、絵でも写真でもできるかもしれない。何で表現するかを見極め、どのように表現するか考える必要がある。そのためには、表現するためのツールを知り、その使い方を知る必要がある。
というように、デッサンの素人、デザインの素人である私でも、いくつか共通点が見つけられる。ここから私は、デッサンにはデザインの基礎が秘められているという仮定にたどり着いた。もっとも、これはデッサンを実際にやらなければ気付かなかったことであろう。実際にやっていない人は、何もわからないままデッサンのやり方を調べてやってみる必要もあるだろう。
幼い頃、「あいうえお」を学ぶ意味を理解して学んだだろうか。私は知らないことだから学んだのだと思う。
「あいうえお」の組み合わせで単語が生まれる。なら、「ひこうき」や「あざらし」といった単語を1つ1つ覚えるよりも、「あいうえお」を覚えてしまえば、どんな単語だって扱える。
デッサンもきっと、デザインにおけるその類だと思う。というか、自分なりに意思を持ってそう解釈していく
おわり
ラブライブ!サンシャイン!!ってあるじゃないですか。
主人公の高海千歌ちゃん、先輩スクールアイドルμ'sに憧れつつも、彼女たちのように「輝く」ことなんてできないよ…と悩み続けていたのが記憶に新しいです。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、高2になっていた。」
失礼な言い方ながら、こんな記事を読んでいるあなたのことでしょう。ぶっちゃけそんなに成功した人生を送ってるような方じゃないと思います。
年収が1000万、大切な人がいる、学歴、職歴、持ち家、彼氏彼女、人の価値を人が決める上でのステータスは各々が違います。それが高ければ低い人もいる。その高低で優劣をつけ、普段の生活で「アレよりはマシ」と比較し、なんとか穏やかな生活を送りたいと無意識に思っている。私は22年目の人生で、少ないながらも様々な本やドラマを鑑賞し、そんな人生を送っている人がほとんどなんだろうなと思いました。
年収1000万、大切な人がいる、学歴職歴etc... もしこれを読んでいるあなたが、これらのどれかを実際に所有しているとして、自分のこころに問いかけてほしい。
本当にそれで満足ですか?これまでの人生は胸を張って「満足でした」と即答できますか?
私はできません。
中学でそこそこ勉強を頑張って、そこそこの高校に入り、大学でもそこそこの大学に入り、来たる6月に23回目の誕生日を迎えて23歳になります。
昨年は海外留学も1年経験しました。多くの人とも言語を超えて交流をした気でいます。
来年からは就活が始まります。きっと、そこそこの企業に入るのでしょう。よくわかりません。
前置きが長くなりました。
これを読んでいるそこそこの人生を送るあなたにもうひとつ質問です。
本当に輝いている人をその網膜が捉え、脳裏にその映像が映し出されたとき、人はどうなると思いますか?
応えは、「受け止めきれない」です。
ラブライブ!サンシャイン!!の話に戻りますが、昨日2月25日(土)はAqoursの1stライブが横浜アリーナで開催されていました。
幸運なことに私も参加することができ、座席もセンターステージが近く、トロッコが通る通路真横という最高のポジションで、自分が本当にこんな席に座っていていいのかと思うほど。
はてな匿名ダイアリーで書くようなことでもないですが、私は本当にAqoursのある声優さんと結婚したいと思っています。ガチです。3年以内にLINEアカウントを交換するし、5年以内に結婚する。声優五カ年計画。
そんなことを言いつつも、「やっぱリアルの彼女もほしいよね」という訳で、先日「オタク辞める」宣言を発表したところです。
未だに携帯のアルバムから声優の画像が消えることもないですが、これ以上オタクみたいなイベントに行くのは辞めようという決意。
一方で、「某Aqours声優ちゃんと結婚したら、1stライブの話をされた時に反応に困る。要所要所でポイントを押さえ、共感しないと信用してもらえない。」という推測より、「Aqoursのライブには行こう。あれなら顔も覚えられないし。」という理由で今回のライブに参加した次第です。
結論、甘かった。
一挙手一投足、身体の頭からつま先、手の先の細かいところまで自分でコントロールしつつも、ステージの上で持ち前の若さと経験を武器に誰よりも大きく振る舞う彼女。
普段書かれているブログの文章のように、のびのびとして本当に自由。それでも、時折見せる20歳とは思えない刹那な慈しみの表情。本当に20歳とは思えない。
ライブ中盤。
トロッコを用いた楽曲で、某Aqours声優ちゃんが私のいるサイドへ。残念ながら私がいる方とは反対の、ステージ後方へと私の5m先で舵を切り、網膜がキャッチする彼女はどんどんと離れていってしまいました。
おとなしく切ない曲調だったこと、そしてそのなかでも可憐に踊りながらも私から離れる彼女を見てふと、「あんなに仕草が美しい人類は他にいない、絶対に結婚したい。」と思う。これまで彼女に対して抱いてきた感情で、一番強かった。
「来てよかった。彼女のパフォーマンスを見れてよかった。」そう思っていました。
ここまでは。
2曲目の曲中で、メンバー全員がトロッコに乗り、こちらへと向かって来ました。
私の横には通路、つまりこれから視界に何も遮るものなくAqoursを観れる。ヤバい。死ぬんじゃないか。しかもこの曲だけトロッコのスピードがやけに遅い。めっちゃ真ん前に来るやつ。
そうこうしているうちに、小宮有紗さんを先頭に多くのメンバーが目の前を通り過ぎるものの…私の方向から見えるのは正面ではなく、背中でした。
「それでもやっぱり声優さんってマジ綺麗だな。すげーわ。小宮さんとかあの茶髪どこで染めてんだろ、めちゃ綺麗。」とか油断していたところ、某Aqours声優ちゃんの番に。
「かわいい」
何もできない。
人は無力、何もできない。
あまりにも私の手の届きそうで届かない頭上で輝く彼女の姿を見て、私は何も為すこともできませんでした。
地下ドル現場のオタクみたいに「それ!」って言って指を指せばよかったのか、そんなことできない。思考が追いつかない。
μ'sのときはよかった。ステージの上にはライクの感情はあってもラブの感情を乗せることはなかったから。
南條さんを応援させていただきつつも、ラブな感情が芽生えることもなく、エモい時は「エモいなぁ。すげぇなぁ。」といったところで止まっていた。良くも悪くも。
好きな人がいれば、その動きに魅了され、感情の行き場がなくなる。
それを目の前でインファイト状態でやられたもんだ。無理、輝きすぎ。処理できない。
そしてその瞬間、初めて感じた「ステージ側の人間」と「ファン」の距離。
これまで3年以内にLINE交換したかった私、今思えば本当に甘かった。この両者の距離感を近所にある小川を飛び越えるくらいの難易度だと考えていた。甘い、甘すぎる。
何故なら、ステージで輝く彼女に対して、こちらは何を披露するでもなければ生産してもごくわずかなものしかクリエイトすることのできない「普通の人間」だからだ。
彼女の身振り手振りのひとつひとつには、幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ね、養成所に入り私が想像することもできないであろうレッスンに耐え抜き、私の知らない場所と時間にもレッスンをして、私がのこのこと大学でスマホをいじっている時間にもバイトをし、私が暇だ暇だとぐだりながらバイトをしている時間にも練習をしていたその全ての結果が身を結んだオーラを纏っている。
その動きは、私のような普通の人間では手に入れる、意のままに操れるような代物ではなく、それに手を伸ばそうとしても、ホーリーピークという事務所、バンダイビジュアルや子会社のランティスをはじめとして、様々な権利がその手を拒む。
そもそも、何の努力もこれまでしてこなかった普通の人間と、私の経験してこなかったものを多く見て私の頭上で輝く人間が一緒になっていいはずがない。
大学受験の頑張り?留学の経験?そんなものケツ拭く紙にもなりゃしない。
海外留学で得た経験は所詮は蜃気楼みたいなもので、実際に今日あのシーンを脳裏に焼き付けた瞬間、それを受け止めきれることができなかった。
海外で得た経験なんか声優の前では無力だった、何も受け止めきれない、何も理解することができない。そんなもんですよ。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、21歳になっていた。」
今からでも、変われるんでしょうか。
未だにくだらない下ネタを肴に男友達と笑いあえるメンタル中坊な私でも、就職までのあと2年で変われるんでしょうか。
そんなわけで、絶対に一般人ではないであろう、熱愛結婚報道等でよく用いられる「(お仕事の関係者だけど世間で言えば) 一般男性」になりたい、なろうと思います。バンダイビジュアルにでも就職しようかしら。そう思いつつも、帰りの電車で自分の頭上で起きたことがフラッシュバックしてきては、「本当に好きなのに絶対に付き合えない。無理。輝いてるもん。」とこころの下の方の扉を開けた深海へと今宵も意識を沈ませるのでした。
明日から頑張りたい、変わりたい。そう思いつつも、その一歩を踏み出せないまま明日も普通星人として横浜アリーナの1万人以上のファンのうちの1人と化して、流れるビートに身体を預けたまま、明日へと運ばれる電車で気づけば自宅のベッドに全重力を任せて眠るだけなのでしょう。
「某Aqours声優ちゃん、絶対今回のライブで人気出るよね。ライバル増えるよ、頑張って。」
これに関して一言。
それは関係ない。
果たしてそのなかの何人が、今日私が感じたようなキモチを味わうのか。
ひょっとしたら、そのなかには幼少期から彼女のことを応援し、日の目が当たらずよくわからんスマホアプリのCMに出ていたり、ノルマが課された演劇の舞台へと熱心に幾度も通いつめたファンがいるかもしれない。
ありがとうございます、あなたのおかげで彼女の輝く姿を今日拝むことができました。
こんな気持ちになったのは、幼稚園の頃に同じクラスだった知代ちゃん(仮名)を初恋だとするならば、おそらく2度目。
本気です。
彼女の舞台、まだ原石だった頃の彼女を見ているあなたは本当に羨ましい。時間は止められないと知って、君と早く会いたかったよ。本当に早く会いたかった。
所詮はラブライブ!サンシャイン!!という大箱コンテンツの、しかもアニメ放送後からファンになった身。
それでもやらなきゃならない。吐いた唾は飲まない。そこに関しては徹底して彼氏候補ナンバー1の座を意地でも奪いたいと思っています。
満足した人生を送ってますか?という最初の質問から普通の人として生きるまで。
現状、私はそこそこの人生を送っているものの、満足していません。
「幸せは足元に転がっている」
そうです、そんなことは百も承知です。それでも彼女と笑いあいたい、対マンで。サシで。頼むよ。
本当に満足して生活を過ごしたい限りです、過ごすぞ。
そんなわけで、Aqoursのライブが終わった明後日から生きられる自信がないので、どうすれば声優さんと結婚できるのか。「声優さんになる」以外の回答ができる経験談をお持ちの方は是非ともコメントいただきたいです。飲みましょう。
あと、本当に最後の曲が終わってアドレナリンが出まくってたのか、一目散にステージからセンターへと俊足で駆け抜け、おまけに自分の腰の高さまでありそうなくらいにモンキージャンプをしてけらけらと最後まで満面の笑みを見せた彼女。
4時間にも及ぶステージ。映像なんかがありつつも、やっぱり3時間くらいはステージで歌って踊っているわけで。
いくらダンスが好きだ、愛してると言いつつも、本当に他のメンバーを置いてきぼりにするくらい、アクセルベタ踏みで最高速度を叩き出せるあのスタミナは心底恐れ入った。
3時間のライブをして、普段トレーニングをしてるミスチルの桜井和寿さん。
彼もライブ中によく走るけど、彼女のようなスピードを出しているところは見たことない。おまけに、彼女は3時間のアクトを踊りきった後。
マジで怖かった。アドレナリン出まくってたんだね、表情からでもわかったよ。マジでテンション高かった、やっぱかわいい。
マジで身体のラインが出ていたので本当に辛かった。アイドルといえど、公衆の面前で身体のラインを出すのはやめてほしい。
本日ハマのステージで素敵なパフォーマンスを見せてくれたAqoursのメンバー18人の皆様。そして想い人の某Aqours声優さん。
1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった.
医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRはCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった.
結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った.
ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MRの検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ.
そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった.
未破裂動脈瘤という病気がある.未破裂動脈瘤は動脈血管の何らかの理由で薄くなった部分が風船の様に膨れる病気で,それが破裂すると大量の出血が起こる.この未破裂動脈瘤が脳の動脈に起こるのが未破裂脳動脈瘤である.
逆に,破裂さえしなければ,瘤が相当大きくない限り(そもそも瘤が破裂せずにそこまで大きくなることは稀)何らかの症状が出ることはまったくない.また破裂するタイミングは予測ができない.
脳と言っても,瘤が脳を覆っているくも膜の内側にあるか外側にあるかで破裂した場合の結果が変わってくる.
脳動脈瘤がくも膜の内側で破裂した場合はくも膜下出血となり,1/3の患者が死亡,1/3の患者が重篤な障害,1/3の患者が特に何もなく日常生活に復帰できるという話だった.外の場合は硬膜外出血という別の病気となる.
私の場合は左目の奥,くも膜の内側にあるためくも膜下出血の恐れがあるということだった.
聞かされたときはなんだか現実感がなかった.「この一年で破裂しなくてよかったですね」「そうですね.ははは」という会話をして再度MRを撮るということになった.
脳動脈瘤の原因について尋ねたが,未だによく分かっていないらしく,先天的に血管の壁が薄いところがあって,そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった.
タバコやアルコールが後天的な原因と考えられているらしいが,私はタバコも吸わないし,アルコールも一滴も飲まない.なりやすさは遺伝するらしいが,くも膜下出血で亡くなった近しい親族はいない.男性より女性の方が若干なりやすいということだったが,私は男性である.なぜ動脈瘤が発生したのかはよく分からなかった.
再度撮ったMRの結果としては,瘤の大きさは1年前と変わっていなかった.未破裂動脈瘤は破裂する前に大きくなることが多いため,期せずして1年間観察することになったが,とりあえずは安定しているように見えるということだった.
動脈瘤の手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらい,今度からはその別の病院に通うことになった.
新しい病院で脳血管造影を受けた.これは造影剤を流すためのカテーテルを腕から脳まで入れてCTで血管の三次元構造を撮影するもので,血管の様子を3Dモデルとして見ることができるという優れものである.
造影剤が流された瞬間,血管がカッと熱くなるのが分かり,普段は意識することのない自分の脳内の動脈がどこを走っているのかが体感として分かるという斬新な経験をした.
理由はよく分からないが,CTを撮っている時に,閉じている目の裏に飛蚊症のようなつぶつぶが動くのが見えた.
検査の結果,私の動脈瘤は細長い形をしており,長径が4mm,短径が2mmほど,先端に乳房に対する乳首のようにぽっちりと膨れている部分があることが分かった.
「通常5mm以下で形が均一なものは様子を見るということが多いが,君の場合は5mm以下だが形が不均一で,daughter sac(ぽっち)があり,かつ平均余命から考えて君はまだあと30年は生きてもらう必要がある.手術したほうがいい」医者が言った.「普通,君の年齢でこうした未破裂の脳動脈瘤が見つかることは珍しい.ほとんどが破裂してから病院に運び込まれて緊急手術して死んだり障害が残る」「破裂する前に見つかってよかったね」
破裂する確率はどれくらいか尋ねると,形や大きさにも依るが君の場合はだいたい1年で1%から2%くらいじゃないかなということだった.「君が80歳のお爺さんなら様子見するところなんだが」長く生きるならその間に破裂する確率は累積してやはり高くなる.
「そんなベルヌーイ試行みたいなことを言われても」と私は思ったが,実際そんなもんなのかもしれなかった.要は不発弾がいつの間にか脳内に埋まっていたということなのだ.
昔からある偏頭痛はこの動脈瘤と何か関係あるのか問うと,「全く関係ない」ということだった.「偏頭痛は生まれつきのもので,治るということはなく,それぞれの患者さんが偏頭痛の起こるきっかけを把握して予防するしか無い.ちなみに60を過ぎると起こらなくなることが多い.今は良い頓服薬があるから出しておこう」というので偏頭痛用にマクサルトという頓服薬を貰った.「頭痛があったからこそ今回動脈瘤が破裂する前に見つかったわけで,何がどう転ぶか分からんね」
私は病院からの帰り道に死ぬまでに破裂する確率を計算してみた.医者が言うように1年で破裂する確率が2%とすると,98%の確率で来年も破裂しないまま今と同じように生きているということだ.2年後も破裂しないままでいる確率は0.98*0.98でだいたい96%すなわちこの2年間の内に破裂する確率は100-96で4%ということだ.同様に平均寿命である80歳まで生きるとすると,残りの寿命は54年,0.98^54は0.34.34%の確率で破裂しない.逆に言えば,80歳までに66%の確率で破裂するということだ.
実際のところは破裂しても1/3の患者は日常生活に復帰できるので,80までにくも膜下出血で死ぬか重篤な障害によって死んだ感じになる確率は0.66*(2/3)で44%ほどと言える.
手術せず破裂しないのを祈るのは分の良い賭けとは言えなかった.
同様に,今から24時間で破裂する確率はどれくらいだろうと考えてみた.1年で破裂する確率を同様に2%とし,1年を365日とする.1日24時間で破裂する確率をxとすると,(1-x)^365=1-0.02であり,これを解くとxはだいたい0.000055となる.
すなわち0.0055%で24時間以内に破裂するということだ.後で調べて分かったが,これはだいたいスマホのガチャゲーで一回の試行でトップレアを引くのと同じくらいの確率である.私はとりあえず安心した.
同時に,自分って死ぬんだなと思った.幼い頃に死んだ祖父の冷たくなったゴムのような手を思い出し,それから交通事故で亡くなった小学生の時の親友を思い出した.
思い返すと,私は日々を死んだように生きてきたなあと思った.そしてこのまま突然死ぬのは嫌だなあと思った.死んだら何もかもどうでもよくなるので,生き残った場合に備えるべきだと思った.今まで研究にも就活にも後ろ向きな態度だったのを恥じた.
出すつもりのなかった研究予算に無理やり応募し,興味のある企業のインターンに応募した.
脳動脈瘤の手術のやり方は2種類ある.ひとつは頭を割り開き外からクリップで瘤を留める方法,もうひとつはカテーテルで血管の内側からプラチナ製のコイルを瘤内に詰める方法である.私の場合は瘤の位置がかなり脳の奥にあり,クリップで留めるのは難しいということだったので,カテーテルでコイルを詰めることになった.SFが好きなのでいつか身体に機械をインプラントしたいと思っていたが,まさか治療のためにこうして脳内に物体をインプラントすることになるとは.
コイルが詰められた瘤は血が血栓として固まって破裂しなくなり,二週間程度で膜ができて固まった血栓が飛ぶ心配が無くなるということだった.ただし,術後二週間は血栓ができにくくなる薬を飲む必要がある.
治療の過程でカテーテルの様子をCTで観測する必要があり,そのため長時間放射線に被爆することになるが,最近の機械は少ない放射線でかなり見えるようになっているので,そこまで気にする必要はないらしかった.昔は皮膚が放射線でやけどして赤くなったり,まれに白内障になったりということもあったらしいが,今はそんなことはまったくないとのこと.実際に放射線で皮膚や目に異常が起こることはなかった.
手術の成功率はだいたい97%程度ということだった.単純に考えて2年様子を見るくらいなら手術したほうが良いということだ.私は手術を受けることにした.
結論から言うと手術はうまくいった.関東では全身麻酔でやることが多いらしいが,関西ではカテーテルを入れる入り口である太もも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく,関西の病院だったので局所麻酔だけだった.
なので手術中は自分の脳内でカテーテルが動いているのが分かった.血管自体に痛覚を感じる神経は無いらしく,違和感だけで痛みはなかった.術中はバルーンで血流を一部止めるということだったが,脳というのはよくできていて,一箇所を堰き止めても全体の血流が滞らないように根本の血管が輪になっているので大丈夫だという話だった.後で医者曰く,「いつもは破裂してくも膜下出血を起こして運ばれてきた高齢者の動脈硬化した動脈瘤ばっかり手術してるんだけど,未破裂だし動脈硬化も無いし手術はやりやすかったよ.血栓による脳梗塞も見たところ起こってない」とのこと.
結局のところ手術のための入院で最も辛かったのは尿道カテーテルだった.脳に異物を入れるのよりも尿道に管を入れるほうが痛いというのも妙な話だが,入れるのも痛かったし,抜くのも痛かったし,抜いてから排尿するのも勇気を振り絞る必要があった(痛いが思い切って出すのがコツ).抜いた後排尿しようとして時折尿道から空気が出てくるのは奇妙な感覚だった.
手術直後は凄まじい頭痛が起こった.偏頭痛とよく似た慣れた痛みで,今までの偏頭痛では見たことのなかった歯車のようなギザギザしたものが空中に見えた.朦朧とした意識の中でこれが閃輝暗点というやつかと思った.気分も最悪で手術後にコイルの様子を見るためのMRを撮っている途中で我慢しきれず吐いてしまった(大変申し訳なかった).
翌日になるとだいぶ頭痛は収まったが,それでも一ヶ月ほど偏頭痛のような頭痛は続いた.最初の一週間は眠れないくらい痛い時もあった.他の脳動脈瘤の治療をした人の話を調べると術後にこうした頭痛を起こしている人はいなかったので個人差があるようだ.
1日経って,シャワーを浴びるために頭に湯をかぶった時に,左目に奇妙な筋が走った.明るいものを見て目が部分的に眩んだような感じだ.初めは何か明るいものを見て焼き付いているのだろうと思ったが,いつまで経っても消えなかった.閃輝暗点の一種だろうかと思い,しばらく様子を見ることにしたが,一向に消える気配が無い.翌朝眼科を受けたところ,左目の網膜の一部に浮腫ができているということが検査で分かった.原因は不明で,考えにくいが詰めた動脈瘤から血栓が網膜の血管に飛んだ恐れがあるということだった.通常,血管にはそうした血栓を通さないための仕組みがあり,そうした血栓が目に行くことはあまりないことらしい.
私としては熱いシャワーを頭に浴びたのがよくなかったのではないかと思う.それで血管が広がり血栓が通過してしまったのではないか.眼科医は「時間がかかるだろうが,浮腫は軽度のもので年齢的に若いから治る可能性が高い」と話した.神経の修復を促進するためのビタミン剤と血行を良くする薬を処方された.もしかしたら左目はずっと一部が見えないままなのかとウンザリしたが,見えていなかった左目の奥の動脈瘤という危険な穴が,命を脅かさない代償として目に見える位置に移動したのだと考えることにした.
退院後は血栓を作りにくくする薬を二週間飲んだ.応募していた企業のインターンが受かったため,それから二ヶ月の間インターンに参加して企業で結構忙しく働いたが,最初の方は頭痛が残っていた以外に動脈瘤の治療が何かの問題になることは無かった(目も実際のところそんなに気にならなかった).痛みや症状がある内は不安で頭が一杯になるかもしれないが,少なくともそうした不安がずっと続くことは決してないということが分かった.人間は適応するのだ.
それから数カ月が経ち,今現在は左目の網膜上の浮腫もほぼ無くなった.目が暗順応する過程でもやもやとした揺らめきが時折視界の外側に見えることがあるが,ほとんど日常生活する上では気にならなくなっている.
また,あれだけ頻発していた偏頭痛がほとんど起こらなくなり,起こっても以前ほどの痛みを伴わなくなった.思えば偏頭痛で毎回痛かった部分が動脈瘤のある場所だったのでやはり何か関係があったのではないかと思う.
手術前に応募した研究予算はやはり燦々(*1)惨憺たる結果だったが,インターンさせてもらった企業からは内定を貰ったので,来年から務める予定である.
脳動脈瘤は年齢に関係なく成人の5%程度が持っていると言われている.ほとんどの人にとって知り合いの内の数人は持っているということだ.ほとんどの脳動脈瘤は小さく,破裂することは稀だが,それでも全ての脳動脈瘤は破裂してくも膜下出血を起こす恐れがある(というかほとんど全てのくも膜下出血は発見されていなかった未破裂動脈瘤が破裂することで起こる.逆に未破裂脳動脈瘤が無い人はくも膜下出血を起こすことはほぼ無い).
くも膜下出血を起こしてからでは遅い.MRを撮ったことがない人,特に偏頭痛に悩んでいる人(*2)は一度MRを撮ってもらうことをおすすめする.
たとえ,未破裂脳動脈瘤があったとしても,パニックになる必要は無い.5%は引くかもしれないが,スーパーレアを引くのは難しい.
(*1) 20170108修正.コメントで多数指摘があった通り「燦々」は誤字.燦々たる結果だったらよかったのだけれど.指摘ありがとうございます.
(*2) 20170108修正.偏頭痛と脳動脈瘤は無関係なのでこういった提案はおかしいという指摘があったが,その通りである.医者の言によれば,脳動脈瘤を持っている人の中には偏頭痛持ちの人もいればそうでない人も脳動脈瘤が無い場合と同じようにいるということだった.ただ,私の実体験として,脳動脈瘤の治療後に偏頭痛の発生する頻度が激減したことと発生しても以前と比べて痛みが軽くなったことから,私の場合は両者には何らかの関係があるのではないかと考えている.しかしながら,これはたかだか一個人の体験から来た本人の推量であるので,一般的な話と考えるのは無理があった.指摘ありがとうございます.
コミケは変わった。
以下、オッサンの繰り言な。
昔もいたよ、床にベタァーって座ってるやつ。
でもこんなにいなかったよ。
こんなたくさんレイヤーいた?
彼女たち、サブカルチャーに興味なんてないよ。オジサン分かっちゃうんだよね。
ちやほやされたい、パコりたい、ATMゲットしたい。
多少まともな女人でもモデルか女優になりたい(あるいはもうなってる)。
サークルもジャンルも知らんのばかりだから、仕方なくレイヤーのおっぱいばかり見てたよ。
帰ってから、網膜に焼き付けておいたおっぱい思い出しながらシコったよ。良い時代になった。
オタ趣味がライト化したせいか、普通っぽい人もたくさん来てた、サークルエリアには。
でもカメコは紛うことなきキモオタ。オジサン……じゃなくても分かる。
宮崎勤時代を彷彿とさせる。パンピーに侵される前の、あの時代に戻りたい。
でも、持参したモバイルWi-FiルーターのWi-Fi接続に手こずったのは想定外。
混線? 何度Wi-FiをON/OFFしても自分のSSIDがリストに表示されないの。
バァーって『幼女大好き』みたいなSSIDばかり表示されて、自分のが見つからない。
仕方なく禁断の5GHz帯を使わせていただきました。冬までには出所したいです。
→違うんだ。定量的に表現できないんだけど、明らかに増えてるんだよ。今は運動会の保護者席かよっていうくらい、点じゃなくて面で場所占有してんの。
◯もうレイヤーは別のとこで単体でやって欲しいよね
→コスエリア以外でコスしている人多くない? ルール違反じゃないの?
それとワンフェスも過激。フィギュアじゃなくてオッパイのために夏冬行ってる。
◯ 場内の写真が普通にネットにどんどん上がっているのが一番の驚き。
→エアコミケができるようになったことには驚いている。#C90のタイムライン追ってるだけでも結構楽しいよな。
◯いっかい行ってみたいんだよな。
→来いよ、新参。……怖いのか?
◯幾ひととせ じゃない。ひととせ か 幾とせ だ。
→悪い。
→悪い。屋内専用チャンネル使った。屋外専用チャンネル、電波のチェックだとかいってブチブチ切れるんだよ。使い物にならん。来夏までには出所したいです。
系統としてはユダヤ資本が何百人会議で世界金融をしかしてその正体は敵か味方か爬虫類人というアレである。
はためには勤勉で真面目な少年だった。
体育会系でこそなかったものの外向的な性格で、友達も多かった。
まれに「世界の真実を教えてやる!」と友人を集めて9.11に隠された陰謀だとかホロコーストの真実だとかを流布しようとすることを除けば、おおむね普通の高校生だったと思う。
彼は性別の別け隔てなく友達づきあいするタイプではあったが、私はあまり深く関わらなかった。
今思えば後学のために彼の主張をすみずみまで拝聴しておくべきだったかな、と悔やまないでもないが、私は私で当時恋に勉強に何かと忙しい女子高生だったのだ。
今はもうあの頃の制服は着られない……。
しかし遠巻きに見ていてさえ、彼がなぜ陰謀論にハマっているのかわかる気がした。
彼は生真面目な人間だったのだ。
無遅刻無欠席だとか、進級に関係ない夏休みの課題は計画的にうっちゃったりせず全部やるとか、その程度の生真面目さではない。
なにもかもキッパリパッキリしていなくては気がすまない人間だった。
正義感も強かった。義心に溢れていた。
自発的に近所の自然保護団体?(教育機関的な役割も兼ねているようだったが実態はよくわからない)に属しているようで、そのグループの活動でも少年部のリーダー的な役割を担っていた。そのことを知ったのは彼がEM菌の普及活動の講演会にスピーカーの一人として登壇したからだ。
見た目は「いい人」だった。
いや、事実「いい人」だったんだろう。
クラス内の評価も「おおむね良い奴」だった。彼の口走る政治ネタは影では冷笑的に受け取られていたが、彼の眼前でバカするのはなんとなく憚れられる空気があった。
哀れみでも、恐れでもなく、ただ「こいつは良い人」だからという遠慮があったんだと思う。
キャリア官僚として官庁に就職し、ゆくゆくは中央の政治に関わっていきたい。
そう言っていた。
彼は学年一の秀才というわけでもなかったが、もちまえの生真面目と努力を惜しまない姿勢が評価され、
推薦でそれなりに優秀とされる大学へ進んだ。
私はフェイスブックをやってないし、彼の下の名前も忘れてしまったので、ググろうにもググれない。同窓会は成人式のときに一度開かれたっきりだ。
この前ふと気になって、高校大学と私と同学でその後某省でキャリア官僚になった友人に「あの子、どうなったんだろうね。もしかして、同期で入省したりしてない?」とたずねたが「いやあ、聞いてないなあ」とどうでもよさそうな返事をされただけだった。「もしかして、あの子のこと好きだったとか?」
いや、そういうのじゃないけど、と私は言って、それでもうこの話題は打ち切りになった。
高校の卒業式が近づいたある日のこと、帰り際に彼に呼び止められた。
みょうに緊張した面持ちで私の経験則から言って、十中八九、告白の前触れだった。
予感は当たり、彼は私に想いをぶつけてきた。付き合ってくださいと。大学は違うけど、遠距離になるけど、その、なんというか。
私は最敬礼で「ごめんなさい」と言った。
彼はしばしショックを受けて硬直したのち、こう問うてきた。
「え……なんで?」
ここで、「なんで?」と訊くようなやつだからだ、と言ってやってもよかったのだが、その日たまたま私は虫の居所が悪かった。ので、ウソをついた。
うち、爬虫類飼ってるから。ヒョウモントカゲモドキ。
なぜ、ヒョウモントカゲモドキという馴染みのないワードがあそこで出たのかはわからない。
前日にNHKかなにかの動物番組でたまたま出てきてそのキュートなビジュアルが脳と網膜にやきついていたためだったろうか。にしても、その瞬間までにはまったく忘れていたのに。ヒョウモントカゲモドキ。
今では、私の部屋で私の帰りを唯一待ってくれるのもヒョウモントカゲモドキのエクレア(通称エーちゃん)。
2020年、ディープラーニングの発達により、画期的なSPAM-AI(人工知能)が完成。
人間の投稿とスパム投稿の識別ができなくなり、SPAM-AIの意味ありげで意味のない不毛なレスの嵐によって増田は完全に荒廃する。(第一次増田の冬)
2025年、はてラボは増田のログイン認証に網膜認証を採用。SPAMロボットの一掃に成功。
増田は再び活気を取り戻す。
2030年、世界的に普及していた網膜認証を完全にだます義眼がインドの闇マーケットから流通。
網膜認証を突破したSPAM-AIによって再び、増田は荒廃。(第ニ次増田の冬)
読みたくない投稿を選んで非表示にすると、同じユーザの投稿はすべて非表示になる機能により、
2040年、ユーザ別非表示機能の排他性は平穏をもたらしたものの、投稿内容のマンネリ化が進み、
http://anond.hatelabo.jp/20150715014005
(づつきです)
通常のネットは当局から禁ぜられ程なく使えなくなったが、「もう一つのネット」は問題なく作用した。
珠洲子は住まいのある東京都北区赤羽(Akabane東京都の地名。濁音化せずに日本語で書くとAkahane。ハネhaneは元来ハニhaniであり、ハニは「土」を意味する。すなわち赤いハニ(red soil)が地名の由来となっている)から脱出するまで1度だけ襲撃を受けた。都内から離れた後は襲撃はなく、追手はひとまず撒けたことになる。襲撃した相手はハーバード大学3刀流の使い手だった。この流派は2050年代にネットが身体の操縦に役立つ技術になった際、ヨーヨー・マビルマーク・ザッカーバーゲイツ・アダムズシニアジュニア3世を名乗る、ハーバード大学を後に退学になる男によって創始された。3つの刀を間違った日本の文化に即して扱うもので、その内の一つは特に電子的に管理し中空に浮かせておくのが特徴だと師匠から教わった。『名探偵ホームズ』には「バリツ」という武術が登場する。シャーロキアンのこれでもかって程の執拗かつ綿密な研究のおかげで、「バリツ」が19世紀末ロンドンで実際に教示されたことは21世紀後半の現代ではよく知られている。日本の作法が伝言ゲームで面白く意味を持つ。ハーバード大学3刀流はこの時代の「バリツ」なのだ。
珠洲子はこうした刺客(Shikakuここでは珠洲子を追捕するために派遣されたエージェント)を2秒半ほどで退けた。刀が落ちて金属音を立てるのを尻目(Shirime)に聴きながら、珠洲子は師匠(Sishou)の事を思い出した(remember)。珠洲子の師匠の一人は陳老師(Chen-raoshi、チンさん)という名前で、昔幕府があった場所の名の付いた優秀な弟子を手掛けたことで知られる。珠洲子もそのまた優秀な弟子だ。
「教えの歴史的な古さが強さをもたらすのでない。当然新しいからと言って勝つわけではない。よかったのう!」
チンさんの教えはよく分からないこともあったけれど、この言葉は間違っていない。歴史の重みはある種、不必要だ。必要なのは揃っている道具で今考えることだ。
2時間42分後、珠洲子は岐阜県関市に到着した。明治・昭和・平成、さらにその次と次の元号の時に行政区の変遷があり関市も随分様相を変えた。人も変わった。ここには鷲見(すみ)太郎という政治家がいる。彼女は彼に会いに来た。事前に「もう一つのネット体系」を経由し短報を送っておいた。鷲見はネットが身体を操作し始めた50年代に先鋭的に反対を唱えた男で、のち中央政界で1期務め、現在は岐阜県議の職にある。珠洲子の主人は、鷲見にアポイントを取るよう手筈を整えていた。珠洲子は鷲見の邸宅に予告通り忍びこんだ。鷲見は報せを受けてから警備を敢えて「普通」にして待っていた。政治家の邸宅における警備を縫うことは「普通」は不可能。しかし21時4分現在、書斎にいる鷲見の眼前に可愛らしい女性が難なく現れ、彼に簡単なブリーフィングを伝えていた。当然、ブリーフィングよりも忍びこんだ事実の方が、より雄弁に「もう一つのネット」の機能と彼女の任務とを物語っていた。
「私の反ネット勢力のツテを頼りたいのだろう」「左様です」「あまり役に立たないと思う」「何故です…」「かつてネットが身体の制御に使用されようとしたとき、多くの人が危険だと唱えた。その内に先鋭化して回線切ってネットを捨てるべきと考える者が現れた。」「…」「スイッチのようにオンとオフだけで考えてはならなかったのだ」「?」「ネットを捨てるべきと言った連中はその内コンピュータが不用と言い、テレビや暇つぶしの携帯ゲームが害悪だと訴え、車も複写機も信号機も要らない、電子的なデバイスをあれこれと捨てようとした」「…」「そしてついに眼鏡がいらない、とかスリッパが要らない、もっと自然に過ごそう! とか言い始めた」「…」「そうなると火薬も羅針盤もいらないし、文字もいらないし衣服もいらないし石器も言語も要らなくなる…ということに多くの人間は、どこかの段階で、気づいた」「??」「人間は道具を使う。ネットに異を唱えたはいいが、どこまで自分が道具を持ち、使っていたのか。そこに無自覚に、ネットだけをつついていたんだ」「反ネット勢力の名簿はいただけないのですか?」「勿論差し上げよう。だが今話したごときの懊悩、えっと悩みね。…悩み。道具に関する悩みを私や私と同じような人間は共有している。だから私の同胞では…ネットをストップしようと考えただけの時代の人間ではダメだ。おわかりいただけたかな?」「…わかりました」
鷲見の邸宅から去り、関市内吾妻町の、関市が幾度も合併する前からあるホテルに赴く。「もう一つのネット」でホテルにチェックインし、「もう一つのネット」で架空の銀行口座から架空の資金をホテルに支払う。自分の部屋でモルツビールを空けながら10時のニュースを見つつ、鷲見からもらったリストを網膜で走査する。
2缶目がもう少しで飲み干せるぐらいの時に、関係者の中に元カレ(Moto-kare昔の男性の交際相手)の名前を見付けた。「???」
インターネットは誰が管理しているか? ほとんどの人間はこれを気にしない。
インターネットが普及して80年ほどが経過した。無線による生体ネット接続が通用し、網膜に映して必要な情報を得ることが一般化した。
「昔の人間は、網膜の情報なくしてどのように車の運転をしていたのだろうか?」なんて話題が小学校の生活の授業で登場する。
観光地や官公庁の案内が、紙や吊るされた案内掲示板によって確認されていたという祖母の昔話に驚いた。
最近は微力な電力を提供することで、人間の動作の補助をネット経由で行なうことも多くなった。初めは介護施設で試験的に創められ、今では街を歩くときに障害物などに対応して移動の補助を行ないうるようになった。すでに老人だけでなく、生体ネットを持つ者の多くが、この動作補助アプリケーションをダウンロードして日々を送っている。視力を眼鏡で矯正した往時の人々と同様に、動作を矯正して正しい、より強い動作が可能になった。
かつてIPアドレスやドメインの管理はアメリカの民間団体であるICANNによって行なわれていた。インターネットの利便性が人間の身体性にまで及ぶようになった時、些細な、かつ歴史的に何度もあったような、単純な理由をもって、インターネットの支配権をめぐる争いが起こった。その結果、新たな管理者が現れた、ネットを管理している者の正体は複合的な国家とそれから委嘱された営利団体により巧妙に隠されて一般の人間には見えにくくなっている。そもそもインターネットは大変便利で使うに越したことは無いのだが、その仕組みを考えたり理解したりすることは、一般人には極めて困難だ。そしてネットの管理者はその点を突き、管理者の意に沿わない人のネット接続をはじくようにした。ネットは警察権と癒合したのだ。「犯罪者」は、ネットを外された瞬間、見事にぎこちなく、身体動作がガタガタになる。古典的表現で言うなら眼鏡や杖を外されるようなものだ。諸々の視覚情報も得られず、たくさんあるネット認証ゲートの使用もできない。
誰だかよくわからない管理者が露骨にその支配権を表明し、強制的な徴兵や労働を人民に課すようになった。逆らえばネット接続を外されてしまう。そうすれば生きてはいけない。ネットを梃子に人々はたやすく支配された。私はその状況を打破するために、1990年代後半に造られた「もう一つのネット体系」の復原を試み、ほとんど成功させた。直接のデータは紙媒体、それも感熱紙に印刷しており当局もそこまで情報をカバーしていなかったことは幸運だった。ほとんど歴史学者みたいなことを続けて、私はwwwに寄生する形で改良を重ねついに実用段階を迎えた。
「通常」のネットがある日突然使えなくなった。既に私の研究は当局に露見しており、ネットの不正使用ということで逮捕されると網膜に通告がなされた。25分後に警察が到着するという。
私の家は中山といい、代々貴族の家系で家格は羽林家(Urin‐ke)というレベルで中級の貴族だった。貴族制度などから恩恵を得る時代はとうに過ぎて、羽林家だからといって何か得するわけでもない。一つ変ったことといえば、随身(Zuijin)として古代(Ancient)から忍者(Shinobi)として仕える秦(Hata)という一族(Family)がいることぐらいだ。21世紀の今日び忍者なんて流行らず、一族の最後の生き残りであるくのいち(Kunoichi)珠洲子が一人仕えるのみだ。それが必要かどうかは措くが、彼女は先祖からの知識や知恵や武術を高いレベルで継承したという。私より4つ年上だから今年33になるのだろうか。栗毛の短い髪に大きな二重瞼の瞳。顔の造形は美しく、飲み屋でよくナンパされるという。高い運動神経は美しい身体曲線をつくる。足首がキュッとした美脚を30代でも維持していることが自慢なんだよー、とよく私に話しかける。
珠洲子を呼ぶ。「…ここに」時代劇じゃないんだからそんな台詞言わなくてもいいのだが。裾の短い、くのいちの装束を身に付けた珠洲子が現れる。本当にくのいちはこんな格好してたのか? 謎だ。「君に生体接続を試みる。別種のネットだ。」「?」「私は拘禁される。…が君は逃げのびて、支配的なネット規制の現状を打破してほしい」「…かしこまりました」「仕組み、多分使えば慣れるはずだ」「…かしこまりました、任務ということでよろしいですね」「そうだ、任務だ」任務といえば逆らえないのが随身の定め。酷い話だが、彼女を脱出させる唯一の方法だ。別れの際も、普段のように会話できれば良かったのだが。
太陽はそもそも巨大な核融合爆発を幾度となく繰り返すことによって成り立っている存在でして、皆が一般的に「太陽光」と言っているものは、あくまでも、可視範囲内の波長(いわゆる可視光)の単なる『放射線』でしかないです。
(参考:http://www.rerf.jp/general/whatis/index.html )
で、私らが慣れ親しんでいる、いわゆる『光』というものは、網膜で認識し易い範囲の波長であった…というだけでして、X線とか非電離放射線とか危険視されるものとも、波長が長いか短いか…みたいな違いでしか、基本的にはありません。
福島産野菜に含まれる数百ベクレル…といった微量の放射線量/放射能が怖くて仕方がない方々は、自然光や蛍光灯が発する放射線量が何ベクレルであるか、身体に影響を与えうるエネルギーの総量とは、一体どれ位であるか、ぜひとも、一度、比較検討してみて頂けたらと思います。
もちろん、それをもって、全ての放射線が安全だ・・・等といった断定をさせたいわけではありません。あくまで、データ的な比較が、本来は非常に大事な話であったハズ・・・という喚起が目的です。
CNN.co.jp : 青と黒? 白と金? ドレスの色論争に専門家も注目 - (1/2)
どうして同じドレスが青と黒に見えたり、白と金に見えたりするのか。ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるウィリス眼科病院のジュリア・ホーラー博士は「食べ物の好き嫌いと同じような、個人差の問題」と指摘する。
私たちは目の奥の網膜にある錐体(すいたい)という神経細胞で色を感じている。錐体細胞はスペクトル感度の違う3種類があり、その反応の微妙な割合によって見える色が決まる。「99%のケースではだれにも同じ色が見える。しかしこのドレスは、ちょうど混乱が起きやすい配合になっているようだ」と、同博士は話す。
ただ、同じ記事の後半で、
ネブラスカ大学医療センターのウォレス・ソアソン教授によると、私たちの脳は常時、対象に当たった光の色を推測し、それを取り除くという作業を続けている。こうした無意識の過程に、微妙な個人差があると考えられる。
と色の恒常性説も挙げられている。
そのビルディングは立派に天を指して屹立している。
僕は兵庫県の山の方から今夜、大阪の友達に会いに来た童貞である。
昼間、阪急メンズ館という所に立ち寄ってみたのだが、DTには刺激的な場所であった。
カップルたちがそこかしこで男性へのクリスマスプレゼントとおぼしき品を仲良く選んでいる!
なんということだ。
あの男たちは彼女がいるにとどまらず、女から物品を贈られる立場にあるらしい。
どんな男になればその立場を得ることができるのだろう。
物が欲しいのではない。
一緒に物を選ぶ女たちの楽しげな表情。それが僕の網膜に焼き付いてしまったのだ。
あんなかわいい美しい顔をして、自分のために手袋やらマフラーやら下着やらを選んでくれる女がそばにいるという幸せ、彼らはそれを真実分かっているのだろうか!
分かってるんだろうな。
この人に何かを贈り物をしたい、と思わせる魅力的な男たちなのだろう。
まあいい。