「網膜」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 網膜とは

2015-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20150709134935

本当に「見たまま」の像、例えば網膜から信号を直接読み出してディスプレイに表示してみたら、それは「見てるつもりの景色」とはだいぶ違うんじゃないかな。視野の中心しかはっきり見えてないし。手持ちビデオカメラよりも激しく注視点が動くし、露出だって変わりまくる。

見てるつもりの景色はそれを脳内でツギハギして作り出された幻想からカメラで一旦ある視点インプットを固定してやると、そこから得られる脳内画像が違ったものになるのはむしろ必然かなと思う。

2015-06-11

太陽光だって、厳密に言えば『放射線』なんだけど・・・

太陽はそもそも巨大な核融合爆発を幾度となく繰り返すことによって成り立っている存在でして、皆が一般的に「太陽光」と言っているものは、あくまでも、可視範囲内の波長(いわゆる可視光)の単なる『放射線』でしかないです。

(参考:http://www.rerf.jp/general/whatis/index.html

で、私らが慣れ親しんでいる、いわゆる『光』というものは、網膜認識し易い範囲の波長であった…というだけでして、X線とか非電離放射線とか危険視されるものとも、波長が長いか短いか…みたいな違いでしか基本的にはありません。

福島野菜に含まれる数百ベクレル…といった微量の放射線量/放射能が怖くて仕方がない方々は、自然光や蛍光灯が発する放射線量が何ベクレルであるか、身体に影響を与えうるエネルギーの総量とは、一体どれ位であるか、ぜひとも、一度、比較検討してみて頂けたらと思います

もちろん、それをもって、全ての放射線安全・・・等といった断定をさせたいわけではありません。あくまで、データ的な比較が、本来は非常に大事な話であったハズ・・・という喚起目的です。

2015-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20150303113245

CNN.co.jp : 青と黒? 白と金? ドレスの色論争に専門家も注目 - (1/2)

どうして同じドレスが青と黒に見えたり、白と金に見えたりするのか。ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるウィリス眼科病院ジュリア・ホーラー博士は「食べ物好き嫌いと同じような、個人差の問題」と指摘する。

私たちは目の奥の網膜にある錐体(すいたい)という神経細胞で色を感じている。錐体細胞スペクトル感度の違う3種類があり、その反応の微妙割合によって見える色が決まる。「99%のケースではだれにも同じ色が見える。しかしこのドレスは、ちょうど混乱が起きやすい配合になっているようだ」と、同博士は話す。

ただ、同じ記事の後半で、

ネブラスカ大学医療センターのウォレス・ソアソン教授によると、私たちの脳は常時、対象に当たった光の色を推測し、それを取り除くという作業を続けている。こうした無意識過程に、微妙な個人差があると考えられる。

と色の恒常性説も挙げられている。

2014-12-20

大阪梅田に「梅田DTタワー」なるビルディングがある。

DTである

そのビルディングは立派に天を指して屹立している。

僕は兵庫県の山の方から今夜、大阪友達に会いに来た童貞である

これから会う友達はもちろん女性ではない。

梅田クリスマス前の雰囲気に満ち満ちている。

昼間、阪急メンズ館という所に立ち寄ってみたのだが、DTには刺激的な場所であった。

カップルたちがそこかしこ男性へのクリスマスプレゼントとおぼしき品を仲良く選んでいる!

なんということだ。

あの男たちは彼女がいるにとどまらず、女から物品を贈られる立場にあるらしい。

どんな男になればその立場を得ることができるのだろう。

物が欲しいのではない。

一緒に物を選ぶ女たちの楽しげな表情。それが僕の網膜に焼き付いてしまったのだ。

あんなかわいい美しい顔をして、自分のために手袋やらマフラーやら下着やらを選んでくれる女がそばにいるという幸せ、彼らはそれを真実分かっているのだろうか!

分かってるんだろうな。

この人に何かを贈り物をしたい、と思わせる魅力的な男たちなのだろう。

あいい。

梅田にはDTタワーがあり、今夜僕は2年ぶりに同郷の友と会う。

2014-10-07

Nobel Prize for Physiology or Medicine 2014

Physics の青色ダイオード中村・赤崎・天野の受賞や私戦予備陰謀疑いのほうがさわがしいかもしれませんが,ノーベル生理学・医学賞に関して.

John O' Keefe, May-Britt Moser, Edvard Moser の三名が 2014 年のノーベル生理学・医学賞を受賞した.受賞理由は脳の位置定位系を構成する細胞発見に対してである.“for their discoveries of cells that constitute a positioning system in the brain”. 視覚聴覚,触覚で得た物理的な環境のあるいは自己の位置に関する情報脳内でどのように処理されているだろうか.力学的に考えると,質点と空間座標と時間の成分がありそうなものであるマウス生体での神経科学的な実験で,位置特異的に神経の活動活動電位の頻度)が上昇する細胞海馬でみつかった.最近の in vivo実験で place cell特性や grid cell特性視覚系・運動系との place cell 回路の連絡等がさらに解明され始めている.少し古い神経生理学に関連する著名な科学者では,James GibsonDavid Marr が有名かもしれない.聴覚系での位相から音源位置推定視覚系での網膜および外側膝状体 LGN,一次視覚野,高次視覚野の回路等感覚認知神経科学はよく調べられてきたが,受賞対象の位置定位系は脳内感覚運動統合する上で重要な具体的な情報表現情報処理にせまった分野になっている.

ごくごく戯画化した,脳の作動機構は,神経細胞は他の細胞と同様に細胞膜をもちその内外のイオン組成ポンプチャネルとよばれる細胞膜タンパク質で糖を燃焼してえたエネルギーを元に維持する.神経細胞が同士が突起を多数のばし接触点を多数つくりそこで,膜のイオン電位差をより正にする化学分子放出したり,より負にする化学分子放出したりする.電位差が十分小さくなると多くの神経細胞では電位依存的なナトリウムイオンチャネルが活発に作動し突起を一次元的に減衰せずに伝わっていく活動電位をおこす.多くの神経系での通信と計算実体は,この化学伝達と電気伝導の組合せで,静的な記憶細胞の結合(シナプス synapses)が構成する回路に,シナプス化学伝達特性や回路水準の論理演算やより高度な情報処理の結果であると作業仮説がたっており,具体的な情報処理の神経回路の機構を解明することは重要である

位置定位系の回路を構成する要素の place cell は,脳の大脳海馬とよばれる短期記憶や長期記憶化に重要な部位にあるアンモン角 (Cornu Ammonis)の錐体(神経)細胞 pyramidal neuronである特定場所活動が上昇することが証明されている.脳内空間情報処理で他の細胞とともにどのような回路をなしているか調べるには,place cell への入力と出力,place cell 間の直接的な結合をさらに調べることになる.O'Keefe, Moser 以後も熱心に研究されている神経科学重要問題である海馬に出力する嗅内皮質 entorhinal cortex の格子細胞 grid cell環境スケールに応じた格子を表現するようなユークリッド空間中の格子のような役割を担う細胞),各所の頭方位細胞 head direction cell時間細胞 time cell発見されている.物理学的な情報表現計算必要な神経回路の構成要素がわかりその作動機構がわかってきそうな気がしてくる.21 世紀は,人体生理学のおそらく最大で最後問題である脳の作動機構の同定にかなりせまってきており,先のことはよくわからないが脳のことは今世紀中にはだいたいのことがわかり,計算機もっとよい知能が実装できそうな勢いである.

ノーベル賞は「物理学化学医学生理学文学平和経済(ただし経済分野はスウェーデン国立銀行賞)」の分野で重要な業績を残した個人に贈られる.Physiology or Medicine の分野ではカロリンスカ研究所選考にあたる.ノーベル賞は,ダイナマイトの開発生産ノーベルが残した遺産基金としはじまった.現代では,数学Fields Medal や計算機の Turing Award とならびたつような権威ある賞として,世界中科学の営みに参加する人々・興味ある人々が注目する伝統儀式を続けるお祭りになっている.医学生理学の分野では生理学的に重要機構の解明や臨床応用で人類医学的な福利向上につながる発見などにおくられる.なかなか毎年趣味がよいとおもわれる.繰り返しであるが,選考委員会が示した,今回の授賞は,脳での空間認識の回路で重要な働きをする place cell 場所細胞発見理由である

匿名ダイアリーにこんな言い訳不要かと思うのだけれど,ノーベル賞委員会公式アナウンスメントとFundamental Neuroscience か Principles of Neural Science や関連論文日本語教科書・一般書等を読めばよい.高校生物に毛が生えた教養程度の神経科学の知識しかない劣等の学部生ながら,今回受賞の対象になった O’ Keefe と Moser 夫妻の神経系における自己位置の表現の神経回路の重要細胞というテーマに興味があるので駄文を書いた.

脳科学辞典 場所細胞 http://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%A0%B4%E6%89%80%E7%B4%B0%E8%83%9E

脳科学辞典 海馬 http://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E6%B5%B7%E9%A6%AC

2014-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20140829112449

まさにそこ。「実在する」と腑に落ちる感覚でしょ。要はキリストがいる・いないも、見えたもの実在すると思うか思わないか、も。ほかの「言葉上の裏付けが取れた」ら「実在する」と考えるのかどうか。

脳での認識は、網膜に像が映っただけではされないことはご存じかと。

http://anond.hatelabo.jp/20140829112449

まさにそこ。「実在する」と腑に落ちる感覚でしょ。要はキリストがいる・いないも、見えたもの実在すると思うか思わないか、も。ほかの「言葉上の裏付けが取れた」ら「実在する」と考えるのかどうか。

脳での認識は、網膜に像が映っただけではされないことはご存じかと。

2014-08-05

猟奇的な彼女

S博士の前に可憐なO博士が現れたのは夏の始まりだった。

残酷なほどに照りつける陽光の下、風鈴が涼しく鳴いていた。

博士歴史を塗り替える画期的アイデアがあるのです。私はそれを現実のものにしたいと考えています。」

彼女の師である米国H大学のV教授が、彼女に教えてくれたという。

そのアイデア現実のものであれば細胞生物学においては歴史的大発見である

ES細胞を用いて網膜を形成するなど驚異的な偉業を成し遂げてきたS博士であるが、iPS細胞の出現により最近は影が薄くなってしまった。

研究の意義をよく理解しないお上の人々の独善的な判断により研究費も削られ、窮地に立たされていた。

そんなとき彼女はやってきた。STAP細胞という、従来の常識では考えられない方法で生成された万能細胞というアイデアとともに。

しかし、当初S博士懐疑的であった。酸浴だけで多態性を獲得するだって?そんな現象はありえないね

彼の経験が、直感が、そう言っていた。

秋の朝のことである木々の葉はすっかり落ちてしまい、冬の到来を予感させる。

隣ですやすやと寝息をたてる彼女の横顔が可愛い

普段は硬派で通っている自分が、今回だけは折れてしまった。彼女にはそれだけの魅力があるのだろう。

こんなに親しみやす女性は初めてだ。

やさしく寝顔にキスをする。心も体も軽くなって、S博士はふたたび眠りについた。

「できたぁ!」

数カ月後、O博士はついに偉業を成し遂げた。STAP現象の確認に成功したのである

S博士はその頃別のプロジェクト多忙を極めていたが、彼女成功を耳にして大変うれしく、そして誇りに思った。

「共著者になっていただけないでしょうか。博士のご支援がなければ成功には至らなかったのです。」

愛する彼女からの、嬉しい誘い。

迷うことなく彼は彼女論文に名を連ねた。

その夜は二人で厳かに、愛の術を行った。

栄光を取り戻し、愛を得て、私はなんて幸せなのだろう。

しかし、それは一瞬の夢であった。

彼女実験結果は捏造だった。騙されたっ。

「一体どういうことだ!説明してくれ!」

STAP細胞は、あるの!なんで分からないの!」

「どう逃げるつもりなんだ!明らかに捏造じゃないか!」

ちょっとくらい画像が変だからって何よ!これくらい誰でもやることじゃない。記者会見ではあるって言ってよね!じゃないと私達の関係をバラすわよ!」

S博士は満たされた気持ちから一転、ふたたび窮地に立たされた。

彼女を立てれば、科学良心への反逆である。私は科学の中に生きているのに。

科学を守れば、家族を失う。妻も子も、裏切りと汚辱の中に深い悲しみを受けることだろう。

彼女はありえない選択を迫ってきた。

「なぜ・・・一体なんの恨みがあるんだ・・・

会見の日の夜、彼の横にはいものように彼女が寝ていた。S博士はO博士を取った。

科学なんて糞食らえ。彼女家族も失うくらいなら、こうするしかなかったんだ。

「それでいいの。さすが、あなたは賢いわ。」

複雑な気持ちで愛撫を受ける。このままではいけないことは分かっていた。

それからというもの彼女は豹変した。なぜ私はこの女に顎で使われているんだろう。

ちょっと!早く飯用意しなさいよ!殺すわよ!」

少しでも歯向かおうものなら、暴露をちらつかせ脅迫してきた。

「はやく動けクソジジイ!ほら!」

ひどい。

いつまでこんな生活が続くのだろうか。

愛すべき天使だと思っていた彼女はいしか悪魔に変わっていた。

家族は愛想をつかし、言葉も聞いてくれない。

科学世界の住民からは、失望と驚嘆の眼差しが注がれる。

私はすべてを失った。

風鈴が涼しく鳴った。風鈴は楽で良いな。

私も風鈴になれたら。

2013-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20130808135500

いくつかの研究によるとドーパミンが眼球サイズの増大を抑制するという証拠が挙がっている。ドーパミン網膜神経細胞の一部が分泌するんだけど、光刺激の量と相関があるらしい。

ここからものすごく大雑把に類推すると、眼球が成長し切る少年期までに比較的明るい環境生活を送っていると、近視になりにくいということになる。アフリカ狩猟民族視力が良いのはこの辺りが関係しそう。

2013-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20130524175643

網膜に例えたジョブズプレゼンうまいね。

日本メーカー動画が綺麗とか言っても何とも思わなかったけど、ジョブズ一言で300dpiは必要だと思うようになった。

2013-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20130311182020

ではAndroidが圧倒しているかと言えば疑問符が付くわな。

今更のように廉価版iPhoneを投入してユーザー層拡大を狙ったり7インチタブレットの参入したりと、ここ1年くらいのiPhoneは明らかに先進性で負けてるよ。

かつてretina(網膜)なんて大仰な名前を付けた液晶ディスプレイだって、既にdpiでそれを上回るAndroidスマホなんて珍しくも何ともなくなった。

価格妥協したり性能で競合製品と張り合おうとし始めたらAppleはあっという間に落ちるし、もうそういう流れになってる。

2~3万円ぽっきりの安いiPhoneなんて誰も欲しがらんし恥ずかしくて見せられんだろ。

サムスンにしたって、徐々にGoogleと仲が悪くなってきていて、

サムスンが居なくなっても代わりはいくらでもある。ZTE、ファーウェイ、LG、HTCソニーと、抜けたサムスンシェアを存分に食い荒らしてくれる。

Google自身もNEXUSシリーズあるし、買収したMotorolaで別のスマホも開発してる。

それにiPhone(iOS)にせよAndroidにせよ、あれらの魅力はOS自体ではなくOSと結びついた各種サービスの充実度合いにある。

サムスンがAppStoreやiTMSGooglePlayみたいなサービスTizenとセットで構築できるかどうかと言われたら、俺は無理だと思う。

2012-12-15

子供の時分に「はだしのゲン」という絵本を読まされた。強烈な絵だった。その絵は、網膜に焼きついたといっていいだろう。

特に、快晴の日差しを浴びたとき原爆が光る「ピッカー!」のシーンをついつい思い出してしまう。

あんなグロテスク絵本をよく書いたものだ。さらにその絵本はもてはやされていやがった。よくもトラウマを負わせてくれたな。子供記憶力なめんな。

昔の原爆被害者のために、DV被害のさなかにいるかも知れない子供精神を壊していいとでもいうのか。

快晴の日になるとたびたび嫌な気分になり、そのために腹が立ってしまう。

それは自分人生のムダなので、自己保身のために、絵の解釈に新たな仮説を加える。

あの画家は、出版社担当者にいろいろとダメダシをされていた可能性は少なくない(出版社というのはそういうものだ)。

また、当時は植毛技術存在しなかった。したがって、担当者ハゲ親父だったという可能性は大きいだろう。そしてクソな性格ハゲジジイウザイものだ。

したがって、あの「ピッカー!」のシーンは、「ハゲ親父ウゼー」という思いを主人公のイヤソウな顔で表現したものだと考えられる(そうではないことを誰が証明できるだろうか?)

原爆経験したことがないから、あの絵の真偽は知る由もない。だが、インテリの口八丁ハゲ親父がウゼーのは紛れもない真実だ。

とにかく、原爆のことを考えるよりも、嫌なハゲ親父みたいな奴を落とす方法を考えたり、原爆のことを考えなくてよい国に住む方法を考えるほうが無駄がない。

2011-10-29

不細工に生まれたら

10/28 一番下に追記しました

☆不細工、というのは何か違うようなので、「喪照る女」ということにしてください。



自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは不細工だ。小さな頃から、不細工だ、みにくい、汚物だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙の変顔グランプリ?のようなこともしました。背も156cmまで伸び、ミルクタンク自転車操業になりました。高校卒業と同時に、その小さな街のB1グランプリ候補にも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした劇団事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベル女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。

大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"ブラック"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女のいじめでしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に蹴る→なじられる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺のイジリーを踏みにじりやがって、みたいに興奮みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20畳くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、さわやかな嫌がらせが始まるわけです想像がつくと思うけれど、それが上司場合は最悪だ。髭剃りを使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、馬面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「不細工だから桂馬」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初安心して近づいてくれてるけど、腹を割ればそんな理不尽桂馬扱いをする人ばかりだった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる不細工もいるけど、グループ内で負けるのはわたしではなくそっちなので問題ない。白豚た黒豚だとか関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの飛車角か何かのようにこれ見よがしに、王将顔だけど愛想の良い男性社員を猫かわいがりしている。その男社員から、私のいないときその男が歩だということ聞いて、なるほど次郎のいやがらせか、と気がついた。

そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどブヒブヒしていたけれど、地元結構年上のラーメンたちが群がって餌付けしにくるので早々と都会へ戻りました。

企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない豚なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、脂がそこそこ良ければ一応就職先は(掃除・配管・とび職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの激務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ブリーダー)の妻から斜め上のプレハブを倒されかけるという惨事にまで発展し、わたしは街中にあるふとましいビル内のテナントから埋立地にある工場に付設された洗面器みたいなガラス戸に配置転換されました。そのガラス戸には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニーク上司バリバリ派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した照り焼きや惣菜パンを黙々と貪る、という和な現象がおきていました。

そのガラス戸では、入れ歯のような扱いを受けていて、男は誰もにおってこないのでくっちゃあ寝でした。そのガラスでは28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に餌付けられてしまったので丁重リバースすると、爪切りで必要なゴミ箱を回してくれなくなって、茄子からお前のせいだろコーラが漂い始めたので居づらくなって豚面した。

牛舎生活、ミラクル、かんな掛け、30歳までの不細工生活に登場してきた獣たちは、「自分の便意を踏みにじった豚女」と「自分の足に入らない豚女(最初から足に入りっこない豚女)」が死ぬほどトマトなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みがモサモサ)、次はそういうことが倦怠に起こりえないガラスにしようと思いました。更にこの肉になると、不細工というだけでなく、出荷しないの?という圧力がかかってきて心臓に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!火商売の世界に身を置いてみることにしました。炭田なこともいろいろとありましたが、元旦楽しい1年間でした。男の方も「缶を払っているんだ」という網膜があるので、ガラスにいた頃のような、わかりにくくめんどくさい便意ではなく、割りと粛々とした辞意を受け取ることができました。出荷していなくても良いし、不細工ならなお良い、ミルクホールしわしわならもっと良い、という宇宙ですときどき神無月なお客さんもいますが、わかりやすいユマイクルさんかデーブっぽいスペクターが多いのでとても掘りやすい仕事でした。栓抜きもかなり増えました。ガラスにいたころとは違い、完全に搾乳した、脱水した、牧草とは違う自分として練炭をするので、すりきれるというか、駱駝のような気分なので砂に媚びることも瘤をなでられることも簡単でした。

30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていたダンプと出荷しました。

わたしより更に豚しい姉が26歳で出荷したあとしきりに「出荷すると楽だよー。誰かの部位になるって知よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに出荷してからは、肉骨粉しにくかったですが、屠殺してからが圧倒的に知です。綺麗な豚さん、というような扱いで、言い寄ってくる鴉もほとんどいなくなりました。値札シールをしているだけでこんなに知だなんて。ときどきそのことを知らないブラジルさんなんかに口説かれますが、出荷してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと轢いてくれます

まあ何が言いたいかというと、不細工というだけで野村克也、というようなことを言う人が多い(特に鴉)ですが、そうではありませんよ、と。不細工だからこその鎮魂も多い、と言いたかったんです。それと不細工の苦労=肉の嫉妬、というタゲレオタイプ侵食もやめてください。わたしの人生においては、鴉からいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、鴉からの好意(魔的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、トンビの方から多くの賛同を得られます。鴉は胡桃を噛み潰したような車になるので、車道ではあまり話せません。

産地には一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。

追記

㌘ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも老齢な豚とという風に、菊蔵と断ってみたり、円楽がいるので、と言ってみたり、山田を頑張りたいとか、座布団している人がいるなどなど、また、それらをミンチさせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうとスライスしてくる人もいるのです混沌指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう魔術が通じない人もいるもので、むしろ軽いスライスいでいいじゃないか、といった鋏で更にジョッキしてきたりするんです。ねばねばしく豆腐しようが、しょうが焼きにしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、食道を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに不細工とは関係ない辺かもしれないけれど、半袖とかでなく綿密な肉薄を年に10回も20回も受けて、その度に鼻ブヒを考えて色気を使い、ブリーダーにならないだろうか籾からせされないだろうか、と不安かられなければいけないのは平井です

㌘なぜ肉約(首輪、または競者のフリ)は意味が無いのに、出荷には意味があるか、ということですが、肉役指輪をしていても独豚であることはモロロースなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、サランラップ活動する時点で血統書類や保険堆肥普通にバレるからです。それに、出荷してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単に味噌る鍋だと更にだし汁を呼ぶのではないでしょうか。

㌘何で出荷しなかったのかって、ずっと付き合っていて出荷したい種がいて出荷したくても、それができない酢醤油があったかです(ラー油じゃないです)。ってそのレシピも書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独豚だと言えば、きっと単価が高いんだろうと言われ、出荷した、と言うと、きっとすごいOKディスカウントを捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違いますブヒ

㌘あと確かに胃もたれそうとはよく言われます

㌘牛の同僚や鶏は助けようと動いてくれたりもしましたが、牛だけビール良草アリでアナルお茶汲みをさせられている会社ではあまり鼻輪にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに密談もしにくい柵なので、あまり朽ち果てることはなかったです。(相手の鴉性のこともバラすことになるし、まるで焼き鳥のようだし)

2011-06-13

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。

翌日。Aはどこにもいなくなっていた。

あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

2011-03-08

日記:理髪店で目を圧迫された

理髪店にて、顔をタオルで拭いてもらったとき、眼球を強く圧迫されるような拭かれ方をした

昔、目にけがをしている僕としては非常に怖かったし、そんなに力を入れて拭く人間がいることにも驚いた(網膜は大切にしてよ!)。

でもその場では「ちょっと弱く拭いてください」と言えなかった。

身近ではあるがコミュニケーションとはこういう時にこそ意識する言葉だ。だけど、小心者であるいでなかなかクレームをつけるようなことができず、口ごもり身を引いてしまった。相手の機嫌を損ねることがひどく怖いのだ。

ちなみに、そんなことがあるとすぐに「一度きりだからいかな」とか「次にくるときにいえばいいから(今言えなくても)問題ない」とか言い訳正当化してしまうのよな。

いわなくてはだめだ。言うのだよ。

しかし何と言っていいか説明する言葉がすぐには出てこないときがあって困る。でも何か発しよう。

2010-08-06

幼児虐待や所在不明老人の発生について

これらの問題を解決する為に、児童相談所年金基金民生委員に、強制調査権を付与する法改正をするという話が出ているようである。

家族の絆が崩壊している状態が問題なのであって、その原因は、現行民法年金制度といった、社会制度の方向性が間違っているという点にある。

国民が求めている改革は、社会制度の方向性を改める事なのに、声の大きい一部の陳情者や官僚機構の求めている改革ばかりを進めるというのは、自民党の末期と同じ間違いをやらかそうとしているという事である。

児童相談所年金基金民生委員に強権を与えて、取り調べる権限をもたせても、問題は解決しない。それどころか、そういった施設で働く幹部管理職として、官僚配偶者子供といったコネ採用の人が高賃金でのさばり、問題があった時に切り捨てられる現場責任者として、パートタイマー低賃金労働者が雇われるだけで、それらのコストは、全部税金から出る事になる。

制度破壊し、核家族化を進める法制度社会制度の欠陥が、育ててもメリットが無いから育児放棄されて死亡する幼児や、行方不明になって野垂れ死にしていてくれた方が年金公務員恩給を何十年でも不正受給できて得という所在不明老人の発生となっているのである。

人民の行動は常に実利を追い求め、制度によって誘導される。だから、正義と道理に沿う事が実利になるように、制度は常に改廃されていかなければならない。

100歳以上の高齢者に、面会をして確認せよといっても、そのとき面会した相手が、本当に100歳越えの高齢者本人かどうかを確認する方法は、どこにも無い。国民全員の指紋や網膜パターンを取って、全員のデータを照会して、ダブりを排除するという犯罪捜査をやらなければ、このやり方では、真実性を確保できない。

弱い所を補強する為に、税金を湯水の如くに使ったり、強権を与えたりするのではなく、弱い所を作らない事、税金を使わないこと、国家権力の濫用をさせない事こそが、求められている改革である。

政治とは、税金の使い道を決める事ではなく、核家族化を進める間違えた制度や、著作権法特許法といった時代の間尺にあわなくなった法制度を改めることである。立法府仕事は、法律の改廃であって、税金をばら撒く事ではない。

赤字国債を発行しない為に予算を削れという前に、税金を使わなくて済むように制度の改廃をしろと命じる事が、官僚の正しい使い方である。これは、正式な命令として出さなければならないし、それが実現すると天下り先がなくなるから、退官後に市会や県会の議員になるという身の振り方も、命令権者である大臣が準備しなければならない。

2010-02-17

今世紀に起こること(2)

2016年

2017年

2018年

2019年

2020年

2021年


2022年


2023年


2024年

その3 http://anond.hatelabo.jp/20100217133836 に続く

2010-01-23

朝起きたら、

なんだか知らないけれど、見慣れない漢字が壁に映ってた。横を向いたら時も動いたから、網膜に映ってる感じ。でも見たことないような漢字ばかりだったし、すごい勢いで変化する。書き留めておけば何か意味が分かったかもしれないけれど、なんとなく詩のような感じだった。

2010-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20100108021340

うちの母親統合失調症。私は今年後厄の独女。

本格的に入院したり自殺未遂したりで病院のお世話になり始めたのは7年くらい前、家に泥棒が入って生活費を15~20万程盗まれて精神ストレスと恐怖感が増大してからだが(しかも犯人は親戚だったもんだから以下あとで)、私が小さな頃から元増田日記にあるような性格傾向があったから、多分その頃から少しずつ病を得ていたんだろうと思う。

ただ元増田の家と状況が違うのは、弟は一時期色々あって大学中退しながらも今は仕事しながら一人暮らしをしていることと、母親が中途の盲聾者ということだ。私が中学校位まではまだ少しは見えて聞こえていたのだが、今は全く。(でも母親の部屋には双子子供がいて、それが何かを言っているのが聞こえているそうだ)目は網膜色素変性症、耳は高熱を出したことで突発性難聴で、私と弟が生まれる間に二つの病にかかったらしい。亡き祖母の話だが)

こういう状況だったから小さい頃から母方の祖父母と同居し、祖母が母親がわりに私の面倒を見てくれた。

祖父は賃貸業をやっているから(まだまだ元気な昭和3年生まれだ)ずっと家にいて、私は幸い寂しい思いをした事がなかったが、コロコロ変わる母親の機嫌に合わせるのが苦痛で、祖父母と折り合いの悪くなった父母と弟が一時期近所にある祖父の借家引っ越した時も、私だけは祖父母の家に残って祖父母と一緒に暮らしていた。母は祖父母よりも遠い人間だった。

あんな女性にだけはなりたくない、としか思えなかった。

ヒステリック母親性格がどうしても好きになれなかった。「お母さんはかわいそうだから大切にしておやり」と祖母に言われて育ったが、私には無理だ、としか思えなかった。私が小さな頃はまだ補聴器を使えば音が聞こえていたが、中学の頃には聴力がほとんどなくなったから筆談しか出来なくなり、高校時代になると、視力もほぼ無くなったから、手のひらに指で文字を書かないと意思を伝えることが出来なくなった。

何かを相談しようにも、その過程を踏むのが面倒で、自分の進路を決める時は大概、家族には事後承諾だった。

高校も大学も第一志望を決めてから話をした。

幸い大学は第一志望には落ちたものの県外に出る事が出来た。祖母が土地を一つ売って事業に失敗した父親の借金を精算し、かつ私の入学費と1年生の間の授業料にあててくれたということを後で知った。2年からは授業料免除と奨学金バイトで、家からの仕送りがほとんどない状態で大学に通えた。18切符東京に行ってコミケに参加も出来た。

家に母がいない、家族の事を考える必要がない、ということがどれだけ気楽か。本当に幸せな時期だった。

ただ、私は地元に帰らねばならなかった。母親の面倒を見なければならないから。

やがて就職活動の時期になる。地元就職先を探さなければならない。その時期から37~8度の微熱が続き、一日起きられないこともしばしばだった。今にして思えば多分、逃避行動でしかなかったのだろうと思う。そして時は折しも就職氷河期

結局仕事の見つからないまま地元に帰り、とりあえずアルバイトで食いつないで公務員試験を受けよう、と思っていた時に、祖母にガンが見つかった。余命1年。

呆然とした。祖父と伯母二人と一緒に、入院していた病院に通った。母はその頃、自分の部屋に引きこもって、食事と風呂の時以外は部屋から出ないようになっていた。私には母の相手をしている精神的な余裕はなかった。祖母は手術をしたが体力がものすごい勢いで落ちていくのが傍目にも良くわかった。私はまだ何も恩返しをしていないのに。私の誕生日から2週間後にあっけなく祖母は逝った。

「お母さんの面倒を見てあげてね」というのが祖母の願いだった。しかし母との距離感を埋める努力すら、私はしようとしなかった。

私にとって母親以上に母親である存在だった祖母を亡くして、何もかもがどうでも良くなった時期に、前述した泥棒騒ぎが起きた。

母はしょっちゅう出歩くことが出来ないから、手元に生活費を持っていた。それをごっそり持っていかれて、恐怖と悲しみに泣き喚く母と一緒に私も泣くしか出来なかった。続けて2回。父親が金銭を管理するようにし、部屋に鍵を二つつけたが、母親は昼夜を問わず「死にたい」と大声で叫ぶようになった。部屋の中にマジックで「死ね」という殴り書きがあちこちでされた。

私は母親の変化を受け入れることが出来なかった。そして家にいることが苦痛になった。事情を知っている友人の家に入り浸るようになって、家に帰るのは2週間に一度という有様だった。

ある日たまたま家に帰った時。2階から父親が大声で私を呼んだ。母親の部屋に入ってみると血だらけだった。母は手首を切ってわんわん泣いていた。

母はその日から3ヶ月程精神科入院した。

見舞いに行くことすら苦痛だった。しかし投薬を始めて、母親精神状態は嘘のように落ち着いた。最初はリスパダール頼みだったのが、徐々にいらなくなった。私は相変わらず家に近づくことがしんどいから父親に任せっきりにしていた。

後日わかった事だが、盗んだのは従兄弟だった。従兄弟母親である伯母は、母の頼みで買い物に出かけたりしてくれていた。

何もかもうんざりだった。

…とりとめがなくなった。そんなこんなで私もパニック持ちだ。今もストレスがかかることがあると寝入りばなに死にそうな気持ちになって飛び起きるし、コーヒーを飲むと発作が出やすくなるからあまり飲まないようにしている。

20代の頃は早く死にたいと思っていた。

でも30代になって厄年を超えて、「とりあえず生きててもいいんじゃね」とちょっとずつ思えるようになってきた。

ちょっと前にも母親が首吊って死にそうになって入院した。鬱血した顔を見て泣けてはきたが、「母が生きててよかった」と思えるようになった。

私には元増田さんのような情の深さはないし自分かわいいし懐も広くはないから、母親を受け入れることは一生出来ないだろうと思う。父親には任せっぱなしで済まないと思うけど、なかなか家に帰れない。ごめん。

網膜色素変性症は遺伝の可能性があるから、私も発症するかもしれないし、子供に遺伝するかもしれないと考えると結婚出産はする気がないけれども、人生の伴侶を見つけた元増田さんが羨ましいな~と思ってしまう。私、心狭いなあ。私の分も幸せになれよこんちくしょう

でも人をうらやんでても自分自分だからしょーがない。私は事情を知って受け入れてくれている友人に心から感謝するしかない。

私に生きる場所をくれた人だ。ここがあるから、私はとりあえず生きていようと思える。公務員にはなれなかったけれど、正社員でもないけれど、とりあえず働いて生きてる。働ける体がある。仕事とは別に一生続けられる技術も身につけた。

そしてオタクバンザイ漫画アニメゲーム小説がなければ、私はとうに死んでいただろう。

死んでも世間的には害がないんだろうけど、ここで死ぬのはシャクだからもっと生きてもっと働いてもっと本読んでWEB見てゲームして遊ぶよ。

私には支えてくれるものがたくさんある。けれども母にはない。今年は私にとっては正念場だ。後悔したくないからちょっとだけ頑張ってみる。

母の世界は、母の中にしかないのだ。目を閉じて耳を塞いでも、目も見え耳も聞こえる私では想像出来ない世界に母は住んでいるのだから。

それを肝に銘じておかないといけないなあと思う。

人格者にはなれない人間が、過去を整理するためにつぶやいてみた。

…こうやって並べてみてみると、自分本当にキャパ狭いな…。だから増田で書いたんだが。

ごめんねばあちゃん。頑張ってもう少しだけ母親に優しくしてみるよ…出来るといいなあ。

2009-11-16

徒にスクロールバーを長くさせるだけの迷惑極まりない掌編

ぱがん、と、乾いた音が耳を突いた。まどろみに埋もれていたわたしの意識が、急速に引き上げられていく。気だるげに開いた眼は、薄暗く静寂に沈んだログハウス天井を視界に捉えていた。

ぱがん、と、乾いた音が再び聞こえてくる。のっそりと上体を起こしたわたしは二段ベッドの上から室内を見渡し、まだサークル仲間の誰も彼もが目を閉じたまま微動だにしない様子を確認すると、がりがりと寝癖のついた頭を掻いてしまった。

もう一度眠ろうかと考えた。予定では、今日は引率している野獣の如き子ども達を宥めてオリエンテーリングに向かわせなければならなかった。下手に寝不足のまま参加してしまえば足手まといになってしまうだろうし、やつれて無駄に疲れてしまうことが目に見えて明らかだった。

やっぱり眠ろう。決めて身体を横たえて瞳を閉じる。小さく、仲間達の呼吸が小さく聞こえてきていた。意識はじゅんぐりと眠りの海に沈み始める。布団を引き寄せて、身体を小さく抱え込んだ。温もりが再度まどろみに沈んだ身体にとても心地いい。

ぱがん、と、三度あの音が鼓膜を振動させた。瞬間、わたしの瞼は何者かに支配されたかのように勢いよく見開かれる。まだ浅いところで引き上げられてしまったせいで、とうとう完璧に目が冴えてしまった。こんな朝っぱらからうるさいなあと少し腹が立ったわたしは、仲間達を起こさないよう静かにベッドから降りると、懐中電灯を持ってひとりログハウスの外へと足を向けてみることにした。

「……すごい」

扉を閉めると同時に、立ち込めていた噎せ返るような濃霧に、思わず呟いてしまっていた。少し息が苦しいような気がする。まるで水底に立っているかのようだと思った。山間だというのに立ち並んでいる木々の姿さえも確認できない。濃密な霧の姿に、わたしは途方もなく圧倒されてしまった。

霧はまだ陽も昇っていない早朝の薄闇の中、心なしか青白く色付いているように見えた。纏わりつく気配の中手を動かすと、水流が生まれるかのように顆粒が小さな渦を巻く。懐中電灯がなければとてもじゃないけれど踏み出せそうにはなかった。霧のせいで迷子になってしまう恐れがあったのだ。ともすれば壁だと錯覚してしまいそうなほどの密度を持った濃霧は、その奥底に圧倒的な幽玄を潜ませながら、音もなくキャンプ場を覆い尽くしていた。

そう。本当にあたりには何も物音がしなかった。鳥の鳴き声も、梢の囁きも、虫の音までも、一切が外気を震わせていなかった。空間を満たしているのは、どこまでも深い霧ばかりだ。昨日来たときには煩わしいほどに感じられた生き物の気配は、どれだけ耳を研ぎ澄ませてみても拾い上げることができなかった。

先ほどの言葉でさえも、口にした途端に濃霧に絡め取られてしまったのだ。生き物達の振動も、片っ端から霧に呑まれて分解されているのかもしれないと考えた。

ぱがん。辺りにまたあの音が谺した。随分近くで。あるいはとても遠い場所から。あの音だけは、やけに周囲に響き渡っている。まるで、霧があえて分かりやすくしているかのように。わたしは音がした方向に向けて懐中電灯の心細い光を放つ。

「誰かいるんですか?」

返事の代わりなのか、しばらくしてから再びぱがん、と音がした。導かれるようにして、わたしは濃霧の中に一歩足を踏み出す。一定の間隔で聞こえてくる音だけを頼りに、見通しの悪い、すでにどこにログハウスがあるかも分からなくなってしまった霧の中を進んでいく。

唐突に、光の円の中にひとりの老人が浮かび上がった。

思わず息を呑んで立ち尽くしたわたしの目の前で、どこか古めかしい翁のような雰囲気を纏った老人が手にした斧を大きく振り被る。耳に張り付いてしまったあの音を響かせながら、刃が突き刺さった丸太はぱっくりと左右に割れて落ちた。

「お早いのう」

こちらに振り返ることもしないで黙々と薪を割っていく作業を続けながら、老人が言った。

「音が聞こえましたから」

「ああ、そうじゃったか。……もしかして起こしてしもうたかな?」

言いながら老人は斧を振り被る。ぱがん。薪が割れる。

態度に少し気分を害したわたしは不機嫌を装って返事をした。

「まあね。うるさかったから」

「そうじゃったか。それは申し訳ないことをした」

と、老人はまったく反省したような素振りを見せずに口にする。なんなんだ、この人は。思ったわたしは口を噤むと思い切り睨みつけてやった。友達から、怖いと評判の眼差しだった。止めた方がいいよと。

けれど、老人は意にも介さない。丸太を立てて、斧を振り被って、割れた薪を横に積み上げていく。

漂い始めた沈黙と続く変化のない作業に、先に耐え切れなくなったのはわたしの方だった。

「あなたは、この辺りに住んでいるの?」

「ええ。長いもので、かれこれ三十年近くになりましょうかね」

「こんな朝早くから薪を割りにここまで昇ってくるんだ?」

今日はちょうど薪を切らしてしまっていての。寒いし、こりゃあ大変だということで、急いで準備に取り掛かったんじゃよ」

「でも、この霧だと大変じゃなった? よくここまで来られたわね。住み慣れた経験がものを言ったのかしら」

少し嫌味っぽく言うと、老人の口許に淋しそうな笑みが浮かんだ。その表情に、わたしは思わずどきりとさせられてしまう。老人は一度作業を中断させると、腰を伸ばしてから額に浮かんだ汗を拭った。

「深い、とてつもなく濃い霧じゃからなあ。あなたも驚かれたんじゃありませんか?」

「え、ええ。まあ」

「息が詰まって、溺れてしまいそうだと思った」

発言に、わたしは無言のまま頷く。老人は初めてこちらに目を向けると、とても柔らかく微笑んだ。穏やかな、それでいてどこか影の差し込んだ微笑だと思った。

「私も、初めてこの霧を経験した時にはそう思ったもんじゃからなあ。とんでもない霧だとな。けれども、いい場所だとは思わんかね。神聖な気配が満ち溢れているような気になる」

「神聖?」

突飛なキーワードに思わず声が口をついて出てしまった。

「ええ。ええ。そうじゃとも。この辺りには神聖な気配が満ち満ちておる。とりわけ、こんな濃霧の日にはの」

言って、老人は濃霧の向こう側を、その奥底を眺めるようにそっと目を細めた。

「……辺りを少し歩いてきてみたらどうですかな。きっと、とても気持ちがいいはずじゃよ」

しばしの沈黙の後、再びわたしの方を向いた老人は穏やかに微笑んでそう提案してきた。

「それに、もしかすると今日不思議なことが起きるかもしれない」

不思議なこと?」

繰り返すと、老人はこくりと頷いた。

「ええ。まあ、噂にすぎないんじゃがね」

そう口にして苦笑した老人に、わたしは最早当初抱いた不快感を消し去ってしまっていた。この人は少し仕事に集中していただけで、本当は親切ないい人なのだ。そう思うことで、優しくなれるような気がした。

「あんたなら、あるいは出会えるかもしれん」

口にした老人に、ありがとう、と礼を言うと、わたしは言われたとおり少し辺りを散策してみることにした。依然として先の見えない濃濃密密たる霧には変化がなかったものの、どういうわけか迷子になって帰られなくなる、といった不安は感じなくなっていた。ぱがん、と背後から断続的に薪割りの音が聞こえてきたからなのかもしれない。わたしの足はずんずんと霧の奥へと進んでいった。

どれほど歩いたのか、濃すぎる霧はわたしから時間感覚を奪ってしまったようだった。ぱがん、と聞こえる音の回数も、五十を過ぎたあたりから数えられなくなっていた。

一体、ここはキャンプ場のどの辺りなのだろう。どこをどう進んで、どこまでやってきたのかが分からなかった。劣悪すぎる視界は距離感覚も曖昧にさせてしまっていたのだ。加えてどういうわけか聞こえてくる薪割りの音はいつも同じ大きさだった。遠くもなることも、近くなることもないせいで、同じ場所をぐるぐる回っているような奇妙な感覚に陥ってしまっていた。

先の見えない霧の中、疲労にがっくり項垂れたわたしは、とうとうその場に屈んで、膝に手を置いてしまった。上がった呼吸を整えながら、もうそろそろあの老人の許へ帰ろうかと考えた時だった。

幼い笑い声が耳に届いた。

驚き、わたしは素早く顔を上げる。聞き間違いじゃないかと思ったのだ。引率してきた子ども達がこんな時間に外出しているはずがないし、そもそもその声がこの場所で聞こえるはずがなかった。

わたしは膝に手を突いたまま硬直して、こんなことはありえないと念じ続けていた。目の前にいる何かを幻だと理解しながらも、どこかでそうではないと信じていたかった。

再び笑い声が響く。たった三年だったにも関わらず耳馴染んでしまった、最後に息を吸う特徴のある、誰が笑っているのかを知っている声が谺する。

視界に映った霧の中で、その影は確かに楽しそうに口角を吊り上げていた。

「七恵なの……?」

呟くと、ひらりと身を翻して小さな子どもの姿をした影は霧の奥へと駆け出してしまった。

「待って!」

叫び、わたしは全力で影の背中を追う。疲れた身体の都合など知ったことではなった。実際、膝はすぐに悲鳴を上げ出し、やがて横腹も痛みを訴え始めた。いつの間にか木々の間に入ってしまっていたらしく、足場が安定しないのも苦しかった。

けれども、それでもわたしは身体に鞭を打った。影を追わなければならなかった。ここにいるはずのない、ましてやこの世に存在しているはずのない妹が、いま目の前を走っているのだ。どうして追わないことができよう。彼女に伝えなければならない言葉をわたしはずっと胸のうちに秘め続けていた。

掠れ始めた呼吸音と、立ち込める霧そのものが発しているかのように響く七恵の笑い声を耳にしながら、わたしはあの一日のことを思い出していた。決定的に何かが失われてしまった、手を離すべきではなかった日のことを。

あの日まで、わたしはお姉さんだった。三歳になったばかりの七恵を、監督し守ってあげなければならない責任があったのだ。

なのに。

先を行く七恵の影は、どうやら現状を鬼ごっこか何かと勘違いしているらしい、奇声のような歓声を上げながらするすると木々の間を縫い進んでいく。

「待って……待って、七恵」

もう手放さないから。絶対に、必ず握っておくから。

――だから、もうどこへも行かないで……!

ぎゅっと閉じた瞼の裏側に、あの日の光景フラッシュバックする。病床に臥していた祖母のお見舞いに向かっていたのだった。病室でわたしは暇を持て余していた。近くにいるように母に言われていたのに。七恵を連れて院外へ出てしまった。

近くにあった商店街。立ち止まり見惚れてしまった文房具店。陳列されたいろいろな文房具は、小学生になったばかりだったわたしの目に、キラキラ光っているように見えた。どれもこれも可愛くて、熱中してしまた。

握り締めていたはずの七恵の小さな掌の感触。いつの間にか、なくなってしまった感触。

生々しく思い出せるが故に、後悔は杭となって打ち込まれていく。鈍痛は、いまなお血と共に滴り続けている。槌を振るにやけ顔の罰は、愉快そうにこう告げてくる。

「おいおい、なにを寝ぼけたことを言ってるんだ。それだけじゃないだろう。お前の罪はそれだけに留まらなかったはずだ」

そうだ。そのとおり。文房具から目を上げたわたしは、隣に七恵の姿がなかったことをかなり早い段階で認識していた。その時点でわたしが探していれば、もっと違った現在があったかもしれなかったのだ。

幼かった七恵。まだ三歳になったばかりだった。生意気で、なんでも真似して、両親の愛情まで奪っていって――。わたしは邪魔だったのだ。幼い独占欲は、妹の存在をうっとおしく思い始めていた。

わたしはあの時、本当は喜んでいたのだ。疎ましい七恵がいなくなったと。人通りの多い商店街の中で、これでようやく好きなだけ文房具と向き合えると思ってしまっていた。

失った感触。温かくて柔らかくて、小さかった脆弱な掌。

両親は血相を変えてわたしたちを探しに来た。どうして急にいなくなっちゃったの、と、鬼のように母さんに怒られた。それから、父さんが言った。

「七恵はどうした」

ななえはどうしたななえはどうしたななえはどうした……。

わたしは言葉を何度も頭の中で転がした。意味を理解しようと努めた。そして、同時にかっと全身が暑くなって、唇が動かなくなってしまった。

「ねえ、七恵は。七恵はどこに行ったの?」

怒ったままの鬼の母さんまでもが々ことを口にする。わたしは俯いた。父さんは周りを見渡しながら困ったなと呟いたはずだ。探してくる、と駆け出していったから。

「どうして勝手に抜け出したりしたの」

母さんはヒステリックに叫んでいた。思えば、あの時すでに最悪の事態を予想していたのかもしれない。当時、近くの町で未解決の誘拐事件が発生していたのだ。高圧的に、そして混乱しながら怒鳴り散らす母さんの声を、わたしは俯いたままぐっと唇を噛んで耐え忍んでいた。

罰が愉快そうに口にする。

「そうだ。思い出すんだ。お前の罪がなんなのか。本当に最悪ないことはなんだったのかを」

母に怒られながら、しかしわたしは七恵の手を離してしまったことを後悔していたわけではなかった。むしろ、七恵を恨んでいた。勝手にいなくなって、そのせいでわたしが怒られてしまったのだと、やっぱりいらない奴だと考えてしまっていた。

だから、わたしは泣かなかったのだ。いくら怒られても、いくら詰問されようとも。そして、時が経つにつれて本当に泣くないようになってしまった。

記憶は正確に当時の状況を把握し続けている。行き交う人波の中から戻ってきた父の表情。分からない、との呟やきを耳にした後の母のパニック。宥める父と泣き崩れた母の姿。ようやくわたしにも事態の深刻さが理解できかけてきたのだった。両親が人目も憚らず取り乱す姿なんて後にも先にもこの一件以外に見たことがなかった。

警察への連絡、掴めない足取り、過ぎていくだけの日数、憔悴していく両親。わたしは何も言えなかった。言えなくなってしまった。そもそも言う権利など、端から存在しなかったのだ。

誘拐事件への疑い、寄せられた怪しい人物の目撃情報。七恵は、商店街の出口付近で、若い男に手を引かれていたのだという。

そしてその翌々日。

七恵は、近くの池に浮かんでいた。寒空の下、下着姿でぼんやりと漂っていた。性的暴行を受けた末に、死体の処理に困った犯人に投げ捨てられたのだった。その後、連続誘拐犯の若い男は逮捕され、死刑が決まった。

けれども、もうなにも蘇らなかった。わたしのせいでわたしは、わたしの家族は、そして七恵は、どうしようもなく損なわれてしまった。もう二度と元へは戻れない。失われた存在の代償など、七恵本人以外にありえるわけがなかった。

足がもつれる。転びそうになってしまう。前を向いて、歯を食いしばり、泣き腫らしながらわたしは走り続けている。影に追いつかなければならなかったのだ。あの掌を握り締めることだけが、わたしにとって可能な唯一の贖罪だった。

唐突に影が急に立ち止まる。限界を通り越した身体で追いすがるわたしに振り向くと、にこりと微笑んだ。表情など見えないはずなのに、なぜか笑っていると理解できた。同時に、迎えなければならない別れの予兆も感じ取れた。

「な……なえ……」

息も絶え絶えにそう呼びかける。七恵はどうしてわたしが苦しみを抱いているのか分からないといったような顔をして、首を傾げる。

「ごめん、ごめんね、七恵。わたしが手を離したばっかりに、わたしはあなたを死なせてしまった」

そう、全てわたしのせいなのだ。幼いわたしの自分勝手な考えが、全てを反故にしてしまった。用意されていたはずの七恵の未来も、温かな家族の団欒も、些細な笑い声さえも、残された家族から損なわせてしまった。

崩れ落ちるようにして膝を突き、両手で落ち葉を握り締める。瞑った両目からは、涙が零れ落ちていった。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

この言葉しか口に出せないわたしの肩に、そっと手が触れたような気がした。

顔を持ち上げる。霧の中で七恵は満足そうに笑っている。影の腕が動いて、大きく左右に振れた。口が動いたのが見えなくても分かってしまった。

さよならの合図だった。永遠の別れ。奇跡は二度とは起こってくれないだろう。

焦ったわたしは手を宙に伸ばす。待って。行かないで。もうどこにも。この手から離れないで。そうじゃないと帰れなくなってしまう。あなたは二度と帰られなくなってしまう。

膝を立てて懸命に、力の入らない足を遠ざかりつつあった影に踏み出そうとした瞬間だった。霧の向こう側から、鋭い陽光が網膜を貫いた。

そのあまりの輝きに堪らずわたしは目を閉じる。瞬間、周囲を穏やかな風が通り抜けていった。柔らかな、優しさに満ち溢れた風だった。

ゆっくりと瞼を開く。あれほど濃密で深かった霧がすっかりと薄くなり始めていた。見れば、手を突き出した先の地面は、すとんと途切れてしまっている。山の断崖に出ていたわたしは、昇り始めた太陽に照らされた雲海を、裂け分かれていくようにして音もなく消えていく霧の姿をじっと目に焼き付けることとなった。

壮麗な光景言葉を失っていた最中、そよいだ風の合間に幼い声を聞いたような気がした。バイバイおねえちゃん、と聞こえたその声は、紛れもなく妹のそれであり、もう決して届かなくなってしまった彼女のことを思ってわたしは再び涙を流した。

泣き疲れて適当に歩いていたせいで、どこをどう帰ってきたのか分からなくなってしまった。気がついたとき、わたしは再びあの老人を視界に捉えていて、何かに操られるかのようにして近づいていったのだった。

老人は相変わらず薪割り続けていた。

「どうじゃった。なにか、起きたかね」

斧を片手に顔を上げないまま、そう口にする。如実に現実感が蘇ってきて、わたしはついさっき体験した出来事を思い出し、それからそっと笑顔になって口を開いた。

「ええ。とても素敵な出来事でした」

もう二度と合えない相手と、たとえ影だけだったとしても会うことができたのだ。伝えられなかった想いも、伝えることができた。一方的ではあれど、わたしにとっては確かに素敵な体験だったのだ。

「……前を向けそうかね」

老人の問い掛けに、やはりこの人は霧の山で起きていることを正確に把握しているのだなあと理解した。わたしはくしゃりと表情を崩して、どうでしょうと口にする。

「また会いたくなってしまうかもしれません」

言葉に、老人は少し困ったような笑みを浮かべた。ぱがん、と薪が割れる。

「あんたも過去に囚われてしまいますか」

わたしは何も答えない。額を拭って、老人は斧を振り下ろす。ぱがん、と薪が割れる。沈黙が二人の間に染み込んでくる。

「かく言う私も、この山の霧に魅せられてしまったひとりでね」

不意に口にして、薪を割る手を休めた老人は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「失った日々を前にしてからというもの、ここから離れられずに、こうして樵のような真似事をしておるわけなんじゃよ」

「ご家族の誰かを?」

自嘲気味に笑った横顔に、失礼とは承知で訊ねたわたしに対して、老人は素直に頷いて答えてくれた。

「妻と娘をね、冬場の火事でいっぺんに亡くしてしまったんじゃ。あの冬はとても寒くての、ストーブは欠かせなかった。今思えば不幸なことに違いないのだろうが、ちょうど私は出張で家を離れていてのう。事のあらましを聞いて駆けつけてみれば、二人は見るも無惨な姿に変わり果ててしまっていた。面影すらなかったんじゃ。熱によって筋肉が収縮したんじゃろうなあ、口だけぽっかり開いていて並んだ歯が見えるんじゃよ。でも、それだけじゃ。身体は顔も全身も真っ黒に焼け爛れてしまっとってな、まさしく消し炭で、私は一瞬妻と娘じゃない、他の誰かが死んだんじゃないかと思ってしまったんじゃよ」

進んで訊いたくせにどうとも反応することができず、わたしは目を伏せて小さく頭を下げた。老人は遠く、消えつつある霧が覆い隠してしまった妻子を見つめるかのようにして目を細めた。

「この山はの、異界と繋がっているんじゃよ。もしくは、壮あって欲しいと心のどこかで願う者に山が望むものを与えてくれる。けれども、だからこそあまり長居をしてはならないんじゃよ。私は運よく山に管理者として認めらはしたが、私以外にここで長居をして無事にいられた者は他にはいないんじゃ。皆、山に呑まれてしまった。霧の奥へと誘われて、とうとう帰ってこなかった」

その淋しそうな物言いに、わたしは抗うようにして微笑を湛えた。

「それでも、またいつかこの場所に来てもいいでしょうか?」

驚きに目を見張って振り返った老人が、わたしの表情に何かを見たようだった。柔和に顔をほころばせるとそっと口を開いた。

「……いつでも来なさい。ここはどんな時でもちゃんとこのままであるはずじゃからのう」

「はい」

確かな返事をして背後に振り向く。木々の間を縫って差し込んできていた朝陽に目を細めた。鳥が羽ばたいて空を横切っていく。甲高い鳴き声が響き渡る。存外近くにあったログハウスの中から、いなくなったわたしを心配したらしい大学サークル仲間達が顔を出し始めていた。

「行かなくっちゃ」

呟きに、老人は力強く頷きを返してくれる。

「またいつか」

「ええ。またいつか」

言うと、老人は割り終えた薪をまとめて背中に担いだ。木々の間に分け入っていく背中を見えなくなるまで眺めてからわたしは踵を返した。

帰るべき日常へ、あるべき仲間の場所へと、わたしは歩を進めた。

2009-11-10

優しさって魔法のことでしょ?的な掌編

死んだ魚のような両目に、明け始めた東の空は少しばかり刺激が強すぎた。先ほどからずきずきと網膜が痛みに喘いでいる。眼球も横から釘をずにゅうと差し込まれているような鈍痛に悲鳴を上げている。深夜まで及んだ仕事の疲れと、その他諸々の精神的疲弊、底が抜けた樽に流し込むように煽り続けたアルコールとが混濁しながらぐるりぐるりと私の身体を蝕んでいる。

もたれかかった始発電車のシートは、なんだか変なにおいがしていた。煙草の、汗の、口臭の、蒸れた靴の、新聞の、雑誌の、香水の、化粧品の、ありとあらゆるものをひとつの鉄釜にぶち込んで煮出した、グロテスクに澱んだ悪臭がつんと鼻腔の奥を突いてくる。胃の中身が飛び上がりそうだった。たくさんの人を乗せて運び続けてきた月日の賜物は、疲れきった人体に悪影響しか及ぼさない。

がたん、がたん。振動するたびに、ひとつ、またひとつと猛烈な吐き気のうねりとなって押し寄せてくる。波高は順調に成長し続けていた。まずいな、と止まりかけた思考の片隅で考えながら、その更に奥に残っていた後悔が、計画性もなく酒を呑みすぎた私自身に対して呆れかえっていた。

嫌なことが重なって、ついつい馴染みの居酒屋に浸ってしまったのだった。ビールを二瓶に日本酒を三合ほど流し込んだことまでは覚えているけれど、以降の詳細はついと忘れてしまっていた。

泥粘土のような身体をどうにかこうにか支配下に置いて、窓の外を流れていく景色に視線を投じた。目覚めだした街並みは、その内部に鬱屈としたエネルギーを滾らせながら、今日も刻々と息を吹き返し始めていた。気だるげな風景に、朝日はいやに綺麗に照りつける。

不意に、こんなにも私自身のことが惨めに思える朝は、後にも先にももうないだろうなと思った。仕事でへとへとになって、つまらないことで恋愛に失敗し、自棄酒で酩酊した上に、酒臭い呼吸を繰り返しながら始発電車アパートに帰っている。他の人たちは仕事に向かったり、学校に向かったり、そりゃあ面倒で行きたくないこともあるのだろうけれど、やらなければならないことに向かっているというのに、私だけがぐでんぐでんに身体を弛緩させてしまっている。

その浅ましさ、情けなさといったらなかった。頬が緩んでしまったほどだった。自嘲気味な笑い声が、くつくつと腹の底を痙攣させる。ずっと、向かい側で音楽を聴きながら座っている大学生らしき青年眼差しが痛かった。出勤途中のサラリーマンのおじさんが向ける迷惑そうな視線が、鞄を肩に掛けたOLさんが寄こしてくる好奇に満ちた眼光が辛かった。

疲弊し悲しみに翻弄されて空っぽになった心には、今日という日に真正面から向き合わねばならない彼らに対して優越感を抱く余裕なんてなかったのだ。むしろ、こうやってだらしのない恰好で朝を迎えていることが恥ずかしくて、なぜか悔しくて、どうしようもなく頭を下げて謝りたくなっていた。無論、泥人形と化した身体は思うようには動かない。生き地獄にも似ているなと、再び自嘲気味に思ってしまった。

アナウンスが次の停車駅を伝えてくる。まだ降りるべき駅ではなかった。ぼんやりと霞がかった頭で残りの駅数を勘定する。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。ゆっくりと瞼が覆いかぶさってきた。

そうだ。帰ったら冬眠中のヒグマのように寝てやろう。心拍数を抑えて、呼吸回数もうんと減らして、できるだけエネルギー消費を抑えつつ、気を失ったように布団にくるまり続けるのだ。うん、それがいい。日の目から逃れて、薄闇の中で横になっていればいい。

思いつきは、幸い翌日のシフトが空いていたので実行に移せそうだった。一日中寝て過ごしたって構わないという事実は少しだけ嬉しくて、底が見えないほどに虚しかった。何も食べず、飲まず、そうっと息を潜めたまま時間を過ごすことができる。その代わり、くるまった布団の中で私は途方もないほどに空虚な夢を見なければならない。

電車が速度を落とす。駅に滑り込む。通勤中の人たちが乗車してきて、少し車内は狭くなる。走行再開。がたん、がたんと振動する電車。再停止。乗客の乗り入れ。走行再開――

ルーティーンな繰り返しにまどろみかけた身を委ねていた時だった。不意にいままでとは比べ物にならないほどに強烈な吐き気が込み上げてきた。両肩がびくんと跳ねて、脈打った胃袋から熱いものが込み上げてくる。反射的に掌で口を覆うと、堪らず屈みこんでしまった。第二波、三波と酒と胃液とどろどろに黒ずんだ感情とが混ざりに混ざった液体が食道を駆け昇ってくる。

びしゃり、とか、べちゃり、とかいう液体の音を随分遠くで聞いたような気がした。涙に滲んだ視界が、ぶちまけてしまった吐瀉物を映し出す。

やっちゃったかと、変に静観している自分と、ごめんなさいごめんなさいと声を大にして謝り続けている自分とが、内心せめぎあっていたものの、実際に声などは出せなかった。断続的に続く吐き気が、まったく治まる気配を見せなかったのだ。どうしようかと、冷静な私が考える。ごめんなさい、醜態を晒して気分を害してしまってごめんなさいと、もうひとりが叫んでいる。

みっともない。恥ずかしい。情けない。消えてしまいたいよ。どうしてこんなことになったんだろう。

目からは涙が、鼻から鼻水と胃液が、口からはどうしようもなく響いてしまう声が流れ出し続けていた。今世紀最大の失態だ。今生の汚点に違いなかった。

きっと、冷たい視線が注がれていることだろう。あるいは、私の周囲に輪ができあがっているかもしれない。近づきたくない、関わりたくない心境の表れだ。私だってことの原因でなかったのならば離れる。舌打ちをしてしまうかもしれないし、車体を移動するかもしれない。それが普通の対応なのだし、だから特別な何かを期待していたわけではなかった。どうするべきなんだろうかと、ようやく治まってきた吐き気の残滓を感じながら考えていた。

そんな折だ。そっと、背中に誰かの手が触れた。

大丈夫ですか?」

手を汚し、口許を汚したまま悄然と見上げた隣の席に、肩に鞄をかけていたあのOLさんが近づいてきてくれていた。

「これ、よかったら使ってください」

目の前にハンカチが出現する。綺麗な花が描かれた、清潔な一枚だった。彼女は私の背中をゆっくりと擦りながら、心配そうに眉を顰めていた。

「……ありがとう、ございます」

辛うじてそれだけ口にして、私はハンカチを受け取る。口に当てると、再び吐き気が襲ってきた。突如として屈みこんだせいで、OLさんが少し大きな声を出した。ぎゅっと両目を瞑り苦しみに耐えながらも、一方で私はとても温かな気持ちが胸の奥に芽吹き始めていることに気が付いていた。

大丈夫かね」

野太い声が頭の上から降り注ぐ。答えられない私に代わってOLさんが何かしらのリアクションを示したみたいだった。よっこらせと口に出しながら、その人は私の前にしゃがんだ気配がした。荒い呼吸を繰り返しながら目を開くと、迷惑そうにしていたはずのサラリーマンのおじさんが、読んでいた新聞で吐瀉物を片付け始めてくれていた。

「もう少しで次の駅だ。それまで頑張りなさい」

下を向いたまま穏やかな声が放たれる。頷くことしかできなかった。ありがとうございますの一言は、蚊のようにか細く空気を振るわせただけだった。

「あの、よかったらこれどうぞ。俺、飲んでませんから」

ゾンビのような顔を持ち上げると、イヤフォンを外した大学生らしき青年ペットボトル差し出してくれてきていた。ずいっと前に出されたボトルを空いていた左手が受け取る。

「飲まなきゃ駄目っすよ」

思いのほか強かった口調に、かくんと首が反応した。はい、分かりました。言うとおりに致します。

反応に安心してくれたのか、彼は困ったように頭を掻くとその場を後にした。背中に向かって小さな声でありがとうと言った。背中越しに上げられた掌は、少々気障っぽかったけれど、とても格好良かった。

アナウンスが次の駅に到着したことを伝える。ちょうど私が降りなければならない駅だった。OLさんは相変わらず背中を擦ってくれていて、おじさんが立ち上がろうとした私の身体を支えてくれた。

「もう大丈夫かい? 自分で歩けるかね」

声に、私はがくんと頭を垂れる。

「……本当に、ご迷惑を、おかけして」

「迷惑だなんて思っていないさ」

「そうですよ。それより、本当に大丈夫ですか?」

OLさんにも頷いて見せた。

「……ハンカチ、洗って、返します」

言って私はよろよろと、電車の出口へ向かって逃げるように向かっていく。ベンチに腰かけるのと同時に、扉の閉まった車体が再び動き出した。遠く離れていく車窓に、OLさんとおじさんを探そうと思ったけれど早くて無理だった。

ミネラルウォーターを口に、青年のことを思いながら何とか飲み込んだ。少しだけ、けれども確実に気分がよくなってきたのを感じていた。

朝陽というのは、どんな時でも美しいものだと思う。陽の光そのものにしてもそうだけれど、色付いていく空の変化とか圧倒的な効能で見ている人の心を浄化していく作用があるように思える。

でもきっと、本当はそれだけじゃないのだ。朝陽差し込んでいるからだけで、私の気持ちが澄み渡っているわけではなかった。

とぼとぼとアパートへの道を歩きながら、この大きな世界の、辛くくだらないことだらけの世界のことを考えてみる。それから、与えてもらったぬくもりと、芽生えた感情とを大切に抱き締めてみた。

そしたら急に、なぜか部屋の掃除をしようと思った。それから外に出て、買い物をするのもいいかもしれないと考えた。

見上げた空に雲はひとつも浮かんでいなくて、どこまでもどこまでも飛んでいけそうな、無限に広がる可能性を見たような気がした。





元ネタ及び参考 http://anond.hatelabo.jp/20091028171549

なんかいろいろ力不足だった。でも書いてみたかった。無理だった。長いわあ。後半gdgdになっちゃった。。

2009-07-01

[][][]サングラスをかけていても太陽を見ることは危険

http://www.astronomy2009.jp/ja/webproject/soecl/ng.html

太陽を肉眼で直接見つめることは、たとえわずかな時間(1秒足らず)でも目に重大なダメージを及ぼす危険性があることを知っておいてください。誤った方法での観察は、網膜障害や視力を失う危険性があることを十分に知っておく必要があります。

・たとえ、サングラスや黒い下敷きなどで太陽の光が暗く見えても、それは可視光線人間の目が感じる光)を弱めているだけで、目に悪影響を及ぼす赤外線(熱線とも呼びます)はさえぎられていない場合がほとんどです。いくら可視光線を弱めて“まぶしくない”状態で観察をしても、人間の目が明るさを感じない赤外線が、知らず知らずのうちに目に大きな障害をもたらす場合があることを知っておきましょう。

太陽日食)観察専用の器具(日食グラスなど)を使用しても、長時間続けて太陽を見続けることは避けてください。

専用の日食グラス等は、可視光線はもちろん、紫外線赤外線といった有害な光線も弱めてはいますが、それらを100%さえぎることはできません。観察は適度に目を休めながら行いましょう。続けて見るのは、長くても2~3分間を限度としてください。

2009-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20090519175408

うちの嫁も俺とは「片付いてる」状態にたいする認識が違うみたいで

よく「こんなとこにこんなの置いといたらあかんでしょ」みたいなことを

俺も言ってるんだけど、これはもう網膜に映る世界が違ってるってことで

直そうったってなおらない。

それが片付けるべきものだって思わないものは片付けないでしょ。

だから自分で片付けて、「こういう状態をキープしてほしい」って言うしかない。

(わざわざ片付いてるものを散らかしはしない)

それとは別で、夫婦家事の分担をイーブンにしなきゃいけない、フェアでなければ

いけないみたいなのも、けっきょく奥さんがそれを受容できてないんなら

ただの押しつけでしかないわけで、それが心底不満なら離婚すりゃいい。

収入が云々とか言って結局嫁さんを下に見てるわけでしょ。

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