私は、これからデッサンを学ぶ。これから書くのは私がなぜデッサンを学ぶかということだ。
デッサンを学ぶ理由については諸説ある。それが現在においても、最も簡単な視覚的表現方法であるという人もいる。デッサンがアートにおける基礎であるから。という人もいる。忍耐力をつけるためという人もいる。というように、書籍や、インターネットで調べれば様々な答えが出てくる。つまり、これが「答え」というものはない。つまり、自分で何のために学ぶのかを考えておく必要があるだろう。実態が完全に掴めていなくても、とっかかりとなる「やる理由」が必要だ。実態が掴めてくれば、また学ぶ意味を見つけることはあるだろう。このブログを見つけた人でデッサンを学ぶ理由を探している人は、あくまでもこれは私見であるので、参考までにとどめておいてもらいたい。
私なりの答えとその理由をここに置いていく。
デッサンとは、「高度な観察(入力)」と「高度な表現(出力)」である。
私の知る限りでは、デッサンはまず筆を持つということはなく、描写する対象を時間をかけて穴が開くほど観察する。文章で書くとこれだけなのだがこれが実に奥が深い。例えばリンゴをデッサンの対象にするとしよう。見始めて間もない頃は、部位ごとの色の違いがぼやけて見えるのだが、時間をかけて観察すると、網膜に焼け付くように色の違いがくっきり見える。そうすることで、リンゴを実際に描くことに一歩近づく。だがそれだけで書けるだろうか。デッサンをやったことがない人はデッサンのために適した紙、エンピツ、その使い方を知る必要もあるだろう。ツールを知り、その使い方を知ることも重要なのである。それを知ってもまだ描き通すには程遠い・・・
一方デザイナーとは、私の中では「特定の誰かにとって価値のある視覚的表現を生み出す職業」である。
そして、デザインにおける工程では、まず、顧客が欲しいものを見つけることから始まる。つまり、顧客を観察することである。これをおろそかにしてはいい成果は生み出せないであろう。観察して見つけたものを表現する必要がある。それは言葉でも、絵でも写真でもできるかもしれない。何で表現するかを見極め、どのように表現するか考える必要がある。そのためには、表現するためのツールを知り、その使い方を知る必要がある。
というように、デッサンの素人、デザインの素人である私でも、いくつか共通点が見つけられる。ここから私は、デッサンにはデザインの基礎が秘められているという仮定にたどり着いた。もっとも、これはデッサンを実際にやらなければ気付かなかったことであろう。実際にやっていない人は、何もわからないままデッサンのやり方を調べてやってみる必要もあるだろう。
幼い頃、「あいうえお」を学ぶ意味を理解して学んだだろうか。私は知らないことだから学んだのだと思う。
「あいうえお」の組み合わせで単語が生まれる。なら、「ひこうき」や「あざらし」といった単語を1つ1つ覚えるよりも、「あいうえお」を覚えてしまえば、どんな単語だって扱える。
デッサンもきっと、デザインにおけるその類だと思う。というか、自分なりに意思を持ってそう解釈していく
おわり
別にいいけど遠回りじゃない? 5美大デザイン科合格者でデッサン下手な奴なんかゴロゴロ居たよ 構成下手な奴は受からないけど