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2024-01-06

睡眠導入剤を飲んだ後にこれを書いている。

先に告げておく。

今は処方中。

処方中においての内の文章だ。

数カ月前からメンタル病み、今はまだ休職している。

精神科医に掛かるのも今回がはじめてということで、ざっくりとした診断を受けた。

その結果としてとりあえずは投薬によって様子を見ることに。

処方されたのは睡眠導入剤

就寝前に1錠、飲む。

今まで睡眠障害に対する薬を飲んだことがなかったため、ちょっとした不安があったものの飲むようにしている。

効果はすぐに表れる。

酩酊したような、周りがほんんやりと映りはじめる。

寝ぼけているような…むしろ…夢の中に居るかの追うなぼやけ具合がある。

たとえばPC モニター

俺は今、薬を飲んで朦朧とした状態でこれを書いている。

スマホではなくPCで。目に映る目の前のモニターには増田日記を書く用の画面が表示しており、ここまでは別段いつもと同じだ。

ただこの薬を飲んで画面を見ると、いつもと異なって目に映るようになった。

それが何なんかを知らしめたいがためにこれを書いている。

はじめてのときは質感だった。

目の前のモニターが表示している文字群がモニターに表示されているのではなく和紙に表示されているような質感があった。

触れば触れられるんじゃないか?ふと手を伸ばしてその和紙を掴みそうになってしまったのは印象深い。

そしてたまに、いや今のそうなのだけどこうして長文を書いていると時に文字サイズが変わって見えるときがある。

ふとした瞬間、中央部分のみが小さく映るとそこの部分の文字は行動し、それは中央が縮み右側がそのままなことによって遠近感のようなものをもたらし、気を抜いて見ていると折れ曲がっていくように見える。

それでもやはり印象的なのはモニター感覚。画面はデジタルではなくアナログである、のようなモニターに映る白さが白紙のようにぺらぺらとして感じられる質感。

モニターの中にあるのは、枠の中にある紙。そこにえんぴつかなんかで書き込んでいる。そんな感じに見えてくる。

ぼんやりとした、酩酊状態のような。

寝ぼけているというよりは夢の中に居るに近い。

そんな感覚。部屋を消せばスチームが炊かれ、モクモクして見える雲のような陰りがさまざまに形を変えて見せていくサーカス

幻覚のような作用が強い気がするんですか…と担当医に話すと、最初はみんなそんな感じなので大丈夫ですよ、とのこと。

と言うわけでも今でもこの薬を飲み、飲んだ後は幻覚のようなものに囲まれる。

ただそれは夢の中のようなものなので嫌悪感はなく、寧ろ楽しい。変に気分が良くなってくる感じ。

自分は一錠でこれだが、人によっては平気で二錠らしい。

そして症状が重い人はほかのもっとよく効く薬も処方させるらしい。

質感。とにかく質感なんだ。

周りのものダリ時計みたいにぐちゃっと曲がる可能性。

それを幾度となく見せてくれるようなそんな薬を睡眠導入剤として飲んでいる。

睡眠は安定している。

2024-01-05

【末路】江戸時代に転生しても現代知識無双できる気がしない

弱者中年女性で生きづらいけど、いつの時代に生まれてても自分は生きづらかったろうなと思う

 

最初のうちはドラマとかで見た「リンがあれば肥料になりますよ!」「ペニシリンって抗生物質があるんですよ!」「建築には釘使うといいですよ」とか現代知識無双しようとするけど、その作り方は?と言われれば答えられない

せめて測量でもできたら役に立ちそうだけど、三角関数は覚えてるけど微分最初のとこだけ、積分は知らない

無双どころか現地人の常識や生きる知恵も何も持たない情報弱者

途方に暮れてたまたま出会ったちょっと面倒見のいいおばさんにどうやって生きていこうと相談して

ちょっとトウが立ってるけど女郎屋なら雇ってくれると思うけどねぇ」と言われて内心比較的若く見えるのかしらと喜んでたら

「あそこは50すぎでも働いてるのもいるし」と言われてしょんぼりする自分が目に見える

言葉もうまく通じないんで外国(ペルシャとか)生まれですって適当に言ったらお坊さんが大勢駆けつけてきて教えてくれと言うんですいません一般人なので知らないですって言って帰ってもらい

最終的に肩身狭くしながらどこにでもいる謎の河原者として生きてそう

 

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リアル転移もの読みたいって人もいたので、その後の末路を思いつくところまで書いてみた

ロビンソン・クルーソーにはならなかったよ…

そんな気概があれば現代成功してそう

 

さて、弱者中年女性

江戸時代タイムスリップして早々、どうやって生きていくかが最大の悩みになった。

女郎屋なら雇ってくれるという話だけど、この時代性風俗といえば本番つまり射精

年齢的に妊娠する可能性は低いけど、いつ病気をもらうかわからないロシアンルーレット毎日になる。

 

想像するだけでげんなりする。

もう病んでるけど、さら精神病みそう。

 

マイナスが積み上がっていく生活というのは、キツい。

今日は無事だったけど明日はわからない不安毎日続いたら、いずれ死にたくなりそうだ。

実際に女郎さんはうつにかかる人(気病みと言うようだ)や自殺を試みる人が多く、女郎屋の井戸には何人もの身投げがあったらしい。

 

私は死ねるだろうか。

生活保護もないこの時代女郎もいやで他にできる仕事もなければ生きてはいけない。

乞食でもすればその日の食事くらいはありつけるだろう。

しかし住む家の面倒を見てくれる人はそうそういない。

寒さに凍え、病気にかかったり凍傷を負って不具のまま死を待つよりは、ひと思いに自決したほうが楽のように思える。

でも深くて暗い井戸を覗き込むと、怖くてとても身投げなどできる気がしない。

度合いで言えば樫の木のような太い枝で首をくくったほうが楽だろうけど、これまたかなりの勇気がいる。

結局みんな思いきれず、死にたい気持ちを抱えたまま女郎を続けていくことになるんだろう。

 

セーフティネットが消えたことで死がぐっと身近になった。

これまでは「楽に死ねいかな」だったのが「どの死に方が一番苦しくないか」になった。

 

ふとオーラセックス専門でやる案が頭をよぎった。

リスクで言えば本番のほうが高いけど、物珍しさで案外人気になるんじゃ?

口でだってやりたくないけど、他にどうしても職がなかったらこれでいくか……。

 

あんた、ほかにいくとこないようなら」

おばさんが心配そうに顔を覗き込む。

「うちのこと手伝ってくれるんならいてくれてもいいけど」

「ぜひ、お願いします」

これは嬉しかった。

家に住める。このおばさんなら嫌な仕事は断ったり交渉もできそうだ。

おばさんは家をぐるりと見回して、「じゃあ……」と言った。

  

申し付けられたのは赤ちゃんの子守。

子守は一番簡単仕事のようで、十そこらの女の子でもやっている。

どうやら無能そうな私でもできそうな仕事を考えてくれたようだ。

情けなくもあるけど、赤ちゃんは大好き。

喜んで抱こうとすると、背中側におぶされた。

「これ巻くと手が自由になるから

おばさんはそう言って帯をぐるぐると巻きつけた。

え……赤ちゃんと遊べるんじゃないの……。

「じゃあアタシらは野良仕事に行ってくるんで、日暮れまでよろしくね」

唖然とする私をよそにそう言うと鋤やクワを持って行ってしまった。

  

手が自由になるから、か。

この時代は、赤ちゃんに情操教育必要だとか誰も思ってないんだなぁ。

それどころか大の大人野良仕事もせず子供にかまけてると、さぼりだとか楽してると思われるらしい。

あのおばさんだって、産まれたばかりのかわいい我が子のそばについててやりたいだろうに。

  

この時代現代以上にギスギスしてると感じた。

  

まあ、仕方ない。

働かざる者食うべからずなのだろう。

せめて役に立ちたくて、おじさんがやりかけで放置されてるわらじを編んでみる。

編み方自体は単純だ。

両足にわらを固定して巻いていくだけ。

1からやれと言われたらまだできないけど、すでにある程度できているものをかさ増しするならできる。

なかなか面白い。けど、腰が!腰が痛い!

赤ちゃん背負ったまましゃがんでわらじ編むってキツいよ。

おろしたいけど帯はかなり固く巻かれてるし、一回ほどいたら自分じゃ巻けない。

みんなが帰ってきたとき帯がなくなってるとほっぽいて遊んでたんじゃないかと思われそう。

気のせいかもしれないけどここの人たち話が通じないというか、気持ちがわかってもらえないというか、

何を言っても全部甘え、人間失格って言われそうな雰囲気あるんだよなぁ…。

 

なんとか楽な体勢を探していると、生暖かい感覚背中に広がった。

赤ちゃんがおもらしをしたようだ。

不愉快そうにむずがる赤ちゃん

 

あー……やるよねえ。

おむつじゃないかおしっこが流れて足までびしょびしょだ。

井戸で洗ってこよう。ちょっと待っててね。

 

家を出て井戸のある村の中央に向かうと、ところどころで泣きっぱなしの赤ちゃんを背負ったまま座り込んでいる女の子がいる。

かわいそうに小さな身体に帯を何重にもまきつけられて、自分では外せないようだ。

女の子の目は年齢に見合わぬ苦労がにじみ出ていた。

 

こういうのって、よくないと思うんだよな。

肌にも悪いし気持ちも悪いし、赤ちゃんも子守もかわいそうだ。

から帯でぎゅうぎゅうにしないで、赤ちゃん自分の体をこまめに洗えるようにしましょうと言いたい。

けど、幼い子守娘が赤ちゃんをずっと見ておけるのかとすごまれたら何も言えない。

そもそもこんな小さい子に赤ちゃんの命を預けるべきじゃないんだよね……。

 

大人たちの事情もわかるから何も言えない。

かになって子供が働かなくて済む社会にする、くらいしか思いつかないもの

ため息を付きながら井戸で帯をほどくと、むせ返るような悪臭が漂った。

気づかなかったがウンチもしていたようだ。

しかも、カピカピ具合を見るにおばさんたちが家を出る前にしたみたい。

替えていきなよ、親ならさあ……。

桶に水をザブザブ入れ、赤ちゃんのお尻を洗うと汚物が浮き上がってくる。

気持ち悪いなあ。

子供を持ったことのない弱者中年女性はこの程度で目をそらしたくなる。

何度も水をかえてようやくきれいになったが、かえのおしめがないので裸の赤ちゃんを抱えて急いで家に戻る。

 

さらしを巻いて囲炉裏そばで体を温めるけれど、赤ちゃんは泣き止まない。

おなかでもすいてるんだろうか。

お乳は出ないし、何を食べさせてやればいいかもわからない。

赤ちゃん大好きだと思ってたけど、かわいくて興味深いたかもの、というよりも片付けなくてはいけない存在に思えてくる。

自分の中から大切な何かが失われていくのを感じた。

 

翌朝、おばさんに野良仕事に出てみないか誘われる。

断る理由もないのでついていくが、とにかく田んぼまでが遠い。

なんでも山を一つ越えなくてはならないらしい。

わらじはすり切れるし足場は悪いしで足に傷ができてしま

「すいません、私この靴だと歩けないです……」

おばさんの肩をそっとつついた。

「この靴って……ほかになんの靴ならいいんだい?」

見ればどの人の足も傷だらけだ

みんな気にせず、というか我慢して歩いてる

「どこの殿様の姫さんじゃろうねえ。辛抱がたらんよ」

内心優しそうだと思っていた白髪のお婆さんの言葉に傷つく。

 

まあしょうがない。

時代が変わったところで能無しなのは変わりませんわ。

 

やっぱ女郎しかないのかなぁと死にたくなるが、出ていけとは言われず子守をしてるだけで家に置いてもらえた。

意外と人情が残ってるんだろうか。

 

それからしばらくは子守で暮らすゴクツブシだったが、あるとき仙台の大店の下働き募集してるとかで口利きがあり、そちらに紹介してもらえることになった。

勘定計算は苦手だし計算間違いもしょっちゅうだが、接客が丁寧だとかで評判が良かったらしく、普通に暮らしていけるようになった。

繊細な現代人の感性が活きたのかもしれない。

性格的にも前いた部落よりは仙台のほうが生きやすい気がする。

 

ときどき、現代知識があればもう少し楽に暮らせるんじゃないかと思うことがある。

大通り瞽女さんや芸人がやかましい歌やたいして面白くもない芸を披露しているのを見ると、自分だったらもっといい歌や面白いネタも知ってるのにと思う。

思うだけでやらないのだが。

ケアレスミスだらけの無能だけど謙虚で真面目な前垂れというキャラが壊れるのが怖いのだ。

そもそも芸って人を引き込むぐらいの思い切りや自信が必要で、社会が怖すぎる私にはその一歩が踏み出せない。

 

生きづらいながらもなんとか生きてはいけてるし、このままでいいかと思いながら過ごすのであった。 おわり

2024-01-01

anond:20240101131412

ちょっとなにいってるかわからないですね。でもマジでこういうレベルの人よね。この作品信者

まぁまぁヤンジャンコメント欄でも突っ込まれ事態にはなっているが、

商業成功を収めたので作者は大満足だろう

 

ワイ:どこに深みを感じたの

 ↓

増田:闇と深みは違うんだよ

 ↓

ワイ:"未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん" (まだ生についてよくわかっていないのに、どうして死のことがわかろうか)

   お手軽な欲を満たす要素なら、『厨二』とか『病み』とか『アウトサイダー風』とかではないの?

 ↓

自称横増:闇なんてない明るくて深みのあるいい話もあるし

     猫殺しとか闇だけど深さなんて全くないし

anond:20240101130451 anond:20240101130921

違うなら違うでいいが、じゃあどんな闇よ(二度目)

 

闇と深みは違うということが書きたいだけの横増ならそこだけにフォーカスするけど

闇は光を定義できないと書けないんだね

"未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん" (まだ生についてよくわかっていないのに、どうして死のことがわかろうか)

と同じ話なのでフツーに深い話ですね

 

お手軽な欲を満たす要素なら、『厨二』とか『病み』とか『アウトサイダー風』とかではないの?

2023-12-24

メイドカフェに1年通って、気づいたら200万円使っていた。

メイドカフェに1年通って、気づいたら200万円使っていた。

正確に数えた訳ではないけれど、多分200〜250万だと思う。正確に数えるのが怖くて数えていない。

メイドカフェに通い出すまでは風俗や夜の世界とは無縁で、好きなアイドルはいたけれど、のめり込むほどではなかった。

そんな自分がなぜここまでハマっててしまったのか、たくさんのお金を使ってしまったのか、自分への戒めとしてまとめておこうと思う。

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本題に入る前に、メイドカフェ用語文化を軽く説明しておく。

またメイドカフェやコンカフェで働く女性店員呼び方は色々ある(メイド、コンカフェ嬢、キャスト女の子など)が、ここではメイド統一する。

そもそもメイドカフェとは

メイド服を着た店員が、運んできた料理におまじない(美味しくな〜れ萌え萌えキュン!など)をかけたり、オムライスお絵描きをしたり、チェキを撮ってチェキお絵描きをしてくれたりするアミューズメントがある店を指すのが一般的。(それ以外にも様々な形態の店があるが説明が長くなるので割愛)

日常特別空間を楽しむエンターテイメントカフェである

コンカフェとは

コンセプトカフェの略。

メイドカフェと似ているので一緒にされることも多いが、キャスドリ(詳細は後述)がある店はコンカフェ、無い店はメイドカフェとされることが多い。

メイドに限らず店によって様々なコンセプトで店の内装女の子衣装デザインされている。

メイドカフェのようなおまじないや、オムライスお絵描きがある店も多い。チェキもある。

値段帯はメイドカフェの方が安く、コンカフェの方が高い。因みにガールズバーになるともっと高い。

推し

店に通う客には大抵「推し」がいる。お気に入りの子、贔屓にしている子を指す。

推しがいない客もいて、DD(誰でも大好き)や、箱推し(その店自体が好き)などと言われる。

シャンパン

シャンパンは客にとってもメイドにとっても特別ものだ。

シャンパンは誰に入れると指名してメイドのためにいれる。メイド誕生日や周年(メイドになって◯周年)など、お祝い事で入れることが多い。

値段も高い。値段は店によるが大抵は、安いもので1万前後モエシャンは2万円以上。

キラキラコンカフェ嬢」の証とされるエンジェルは15~20万。箱がついたものだと30〜40万くらいだろうか。

シャンパンには基本的にバック(売上の◯%がメイド給料になる。割合は店によって様々)がつく。

高額シャンパンを貰うことはメイドの憧れであり目標にされる。

キャスドリ

キャストドリンクの略。

メイドドリンクをあげることができる。このドリンクを飲んでいる間は基本的自分の目の前にいてくれる。メイドとじっくり話したい時に注文する。

値段は1杯800~1000円が主流。

たこれもメイドにバックが入り、メイドはキャスドリを何杯も飲むことになるので、キャスドリは客が注文するドリンクより高いし、量も少ない。

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メイドカフェに行くきっかけは友達の誘いだった。友達自分メイドカフェに行った事が無いから行ってみようぜという、たったそれだけ。

初めてのメイドカフェは、それはとてもとても楽しかった。

コロナちょっと落ち着いてきたくらいの時期で、レジャー的な遊びに行くのは久々だったのもあり、こんなに楽しい場所がこの世にあるのか!くらいの衝撃を受けた。

1回だけより何度も通うともっと楽しめそうだなと思ったので、何回か通ってみることにした。

なぜこんなにお金を使ってしまったのか

見栄とチヤホヤされる快感と、夜の世界の独特な空気にハマってしまったんだと思う。

メイドカフェでただ座っているだけなら大してお金はかからない。席料とワンドリンク合わせて2000円弱で1時間座っている事ができる。

しかしそれだとメイドほとんど話せず、メイドカフェ醍醐味が味わえない。

メイドカフェといえばでイメージするオムライスチェキはもちろんメニューにあるが、それを楽しむだけなら、1回3~4千円ほどで済む。それだけで1年で200万はなかなか行かない。

お金がかかる遊び方を覚えてハマってしまたからだ。

大きく4つあるので順に書いていこうと思う。

ライブパフォーマンス

まず最初にハマったのはメイドの歌ったり踊ったりのパフォーマンスだった。

通っていた店にはステージがあり、特定メニューを注文すれば、ステージで歌ったり踊ったりのパフォーマンスをしてくれた。

それはアイドルライブを見ているようなものだった。

アイドルライブはあちこちファンサをするが、メイドファンサをほぼ全部、そのメニューを注文した客にだけに向けてしてくれる。とびきり可愛い決めポーズや、一緒にするポーズも、全部独り占めできる。自分だけのアイドルのように思えた。

周りのメイドも一緒に盛り上げてくれるし、居合わせた客も手拍子してくれるので、メイドと客の2人だけの世界過ぎず適度に盛り上がっていてそれもよかった。

最初手拍子しかできなかったが、周りの常連の客を見て作法を学び、またメイドも次何をするか促してくれるので、振りや一緒にするポーズコールなど覚えてくるとより一層楽しくなった。

ただ見るだけじゃなくてメイドたちと一緒に盛り上がれるのが楽しかった。

このパフォーマンスが見られるメニューが1曲4千円弱で、1曲では足りず、毎回2~3曲お願いしていた。

シャンパン

次にハマってしまったのがシャンパンだ。

メニューにあるのは知っていて、気になってはいたが、それなりに高いので最初は手を出さずにいた。

シャンパン価格は数千円〜(安いのは正確にはスパークリングワイン)あったが、シャンパンに付随するサービスを全て受けようと思うと2万円以上のものを頼まないといけない。

通い出して1ヶ月ほど、たまたま臨時収入があったので1本くらいならと軽い気持ちで入れてしまったのが全ての始まりだった。

シャンパンを入れると、店全体で盛り上げてくれる。

シャンパン提供が始まると、店内が暗くなり、特別音楽がかかり、ピカピカ光るライトをつけたシャンパンメイドが持って来てくれる。

そしてこれでもかというほど喜んでくれる。

開栓も掛け声をかけて、店の他の客も巻き込んでみんなでカウントダウンして開ける。

開けた後は①のような歌ったり踊ったりのパフォーマンスが始まる。

①と違うのは、遠く離れたステージではなく自分のすぐそばで、至近距離で、そして店にいるメイド全員が踊ってくれる。

もちろんファンサも全部独り占め。たくさんのメイドファンサを独り占めできる。

それが本当に楽しくて楽しくて、初めてシャンパンを入れて踊ってもらった時の光景脳裏に焼き付いている。

シャンパンを入れた時の興奮が忘れられず、何度もいれてしまい、もう臨時収入分は使い切ったはずなのに、何かと理由をつけては入れ続けていた。

入れていたシャンパンは2万円台のがほとんどで、エンジェルアルマンドなど高額なものは開けたことがない。

③お祝い

メイドカフェにはお祝い事がたくさんある。

大きいものだと誕生日はもちろん、メイドになってから◯周年、昇格がある。

メイド誕生日や周年はメイドとそのメイド推してる客たちにとって、とても重要な日だ。

お祝いの日はメイドにかなりのプレッシャーがかかる。誰にも祝われなかったらどうしようと不安になるし、どれだけお祝いの品が贈られたかで人気が如実にわかり現実を突きつけられる。エンジェルなど高額シャンパンがもらえるチャンスでもある。

客は推しメイドを喜ばせるため、また恥をかかせないためにできる限りお金を使う。客にもプレッシャーがかかる。

因みに、推しの祝の日の少し前から来なくなる客はよくいる。推してるとか好きとか言いながらお祝いを渋る客はまあまあいて、そういう人はお祝いの日が来る前に姿を消す。

メイドも、プレッシャーに耐えきれず、また推してくれてるはずの客も消えて病み、祝の日の前に飛ぶ(突然辞める)メイドもたまにいる。

それくらいメイドにとってのお祝いの日は特別ものである

お祝いというと、自分はよく花を贈っていた。メニューにお祝いの花があり、お花がいっぱいあると店内も華やかでお祝い感が出るし、チェキネタにもなって好きだった。

値段もピンキリで、2万弱のものが1番よく贈られる。大きくすれば10万や30万もある。

10万以上のものは同じメイドを祝いたい客数人で出し合ったりがよくあり、実際自分も連名で何度か贈った。

1人のメイド推していたなら、頑張らなければならないお祝い事は誕生日と周年の年に2回だけでそこまで負担にならないはずが、

自分には推しがたくさんいた。

推しと言うにはちゃんと推せていないと思っていたので、推しは1人、それ以外にお気に入りメイド複数いると公言していた。

他の常連客もメインの推し1人とお気に入りが1~2人いる人が多く、店もそれを推奨するような空気があったので珍しいことではなかった。

しかし、お気に入りメイドがたくさんいると、それはもうお祝い事が盛りだくさんになる。

月に2〜3人の何かをお祝いしていた。

普段お世話になってるからとか、いつもよくしてもらってるからとか、なんだかんだ理由をつけて気前よくお祝いしていた。

お祝いが多くて大変だなんて口では言いながら、

お祝いという口実でシャンパンや花などの贈りものができ、たくさんのメイド感謝されチヤホヤされて気持ちがよかった。

1人のメイドだけに良くしていると、他のメイドからは構われないのではないか、できれば色んなメイドに構われたいという邪な考えで色んなメイドをお祝いしていた

(実際は自分推してくれてる人以外には話しかけないような極端なメイドは見たことがない)。

色んなメイドお金を使う客アピールしていたので、たくさんのメイドから良くしてもらえていたと思うし、話しかけられることも多かったと思う。

そうして話しかけられるとすぐ好きになってお気に入りメイドが増えていった。

④各種イベント

自分が通っていたメイドカフェではイベントがたくさんあった。毎月恒例のイベントもあるし、年に数回の特別イベントもあった。

イベントではメイド写真プリントされた様々なグッズが出る。

グッズは正直、あまり欲しいと思わなかったし、処分に困ると思って手を出さないようにしていた。

グッズを買わないようにするにはイベントに行かないのが1番だ。

イベントでは特別衣装を着ることが多い。例えば季節もの浴衣サンタ衣装、なんらかのテーマに合わせたコスプレなど。

イベントコスプレにはあまり興味はなかったが、たまに好きな衣装イベントがあったりして、どうしても一目見たくて行ってしまうこともあった。

またイベントにはその月にお祝いがあるメイドたちが主役になるので、推しが主役のイベントには行かないといけない。

イベントに行くと、推しイベントで輝かせたいがために①のパフォーマンスもたくさんいれるし、②のシャンパンも贈り、もちろん③のお祝いの花も贈り、

最後推しのグッズを枯らして(残り全部買って)帰ることになる。それが「推す」ことの責任から

イベントに行くと毎回予算以上に使ってしまって、5万とかそれ以上使っていた。

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一気にドカンと高額を使ったことはないのに、数万の積み重ねが200万円になっていた。

メイドカフェに通って約一年、突然推し卒業した。

推しがいなくなったし、ちょうど通って1年でキリがいいし、貯金100万円減ったから、潮時かと思ってもう通っていない。

と締めくくりたかったが、メイドカフェ楽しい時間が忘れられなくて、今でもたまに行っている。

2023-12-17

anond:20231216160711

ニート歴15年からどうやって社会復帰したのかという問いあったので、簡単に記そうと思う。

まず俺が最初に走ったのは飲食店バイトだったが、これはすぐに採用されたものの長続きしなかった。白状すると1月未満で辞めた。

飲食店というのは高度なコミュニケーションマルチタスク必要とする職種で、俺とは絶望的にマッチしていなかった。

簡単と思われているバイトすら無理なのかと絶望した俺は、母に付き添ってもらって市役所相談した。

すると以前うつを患ったことで精神障害手帳があるという点から福祉課に案内され、障害者としていくつかの就労手段があることを知った。

その手段は主に2つ。

1つは、就労継続支援というサービスで、行政から支援を受けた事業所障害者を雇って簡単仕事をするというもの

2つ目は、就労移行支援というサービスで、こちらは一般企業就労することを想定して支援を受け就活をするというものだ。

楽な方を好む俺は前者に飛びついた。

から歩いて20分くらいのところに事業所があったので、そこで面接し、無事採用されたが、じきに現実を知ることになる。

俺が行くことになったのはA型事業所というもので、このA型になると、その事業所雇用契約を結ぶことになる。

なので最低賃金保証されており、一日に4時間、週に20時間労働という雇用形態になるので、月収は9万円前後が見込める。

ちなみにB型事業所の方は雇用契約を結ばず、作業内容に応じた工賃が支払われる。

こちらは見に行ったことがないので詳細は分からないが、収入は非常に低いもの(一日に1000円とかそういうレベルであると伝え聞いた。

さて、俺が行ったのはA型事業所だが、どういう仕事をしていたかというと、ネジにナットを通す作業や、パイプゴムを巻く作業などだ。

非常に地味で単純な仕事である。単価も1工程1円とかそういう次元だ。

はっきり言って誰でもできる仕事であり、昔なら内職などで斡旋されていた類の作業だと思う。

なので、雇用されている障がい者区分には偏りがある。

はっきり言うと、知的障害の人が多い。

精神障害の人は少数派で、身体障害の人は皆無。そういう世界だった。

まり何が言いたいのかというと、やりがいが全くないという事と、知的障害の人と全く分かり合えないということだった。

働いている精神障害の人もあまり健康そうには見えず、知的障害の人が出来ない事をカバーする役割を担っていた。

これがもう絶妙に苦しくて逆に病みそうだったので、俺は数か月でこの事業所を辞めた。

俺にしては長続きしたが、これじゃ失業給付も受けられないし、多くの人から逃げたと思われるだろう。

……まあそれは兎も角、俺が次に頼ったのは就労移行支援のリタリコワークスという事業所だ。

ここは就労移行支援の中では大手で、全国的サービスを展開している。

俺の運が良かったのは、この事業所が非常に肌に合っていたことだろう。

普通就労移行支援事業所というのは物静かで暗いイメージなのだが、その事業所スタッフ利用者も共に明るく、俺は凄く居心地が良かった。

社会で働く上でのマナー礼儀作法就活における書類面接のコツなどを1から教われたし、周囲とも楽しくおしゃべりが出来た。

面接訓練は毎週受けていたし、電話応対訓練で実際に事業所にかかってくる電話の取次ぎを日常的に経験出来たのは大きな自信に繋がったと思う。

そして何より、20社近くの見学や実習に行った事で自分世界が大きく広がった気がする。

就活と並行して発達障害の診断も受け、うつではなくASDADHDを主軸に戦うようになった。

そういうわけで、就労移行支援というサービスは利用期間に期限があり、2年までしか利用出来ないのだが、幸いなことに、俺は1年で内定を貰うことが出来た。

俺が得た仕事は時給1000円パートタイム事務補助。

ここまで来るのに2年の歳月がかかった。

まだ半年しか在籍していないけど、仕事内容も環境待遇も一切不満が無い。長続きしてほしいと思う。

正社員として働いている人からするとお笑い種だろうけど、これが俺の現実です。読んでくれた人には感謝を。

anond:20231216161822

自分を律することができてないやつにマウント取って何が悪い?くらいには思ってる けど一般的に生きづらいISFP/INFPに病もうが攻撃性や野心を失わないESTJ/ENTJが噛み付くの、外野から見りゃ可哀想なんだろうな

そらそうやろな

これで孤立するんやが

攻めの姿勢で応じるとかじゃなくて多分噛み付きにかかってるから周囲からやば奴認定されるんだろうな 自覚はあるけど態度だけ偉そうにして他人怖がらせとる無能殺意が湧くのは止められんのや

クソガキが 生温い病みに浸かって人生無駄に浪費しとけ

2023-12-16

anond:20231215223323

ネット自民党悪口書く人が「本物」な理由が分からない。

腐敗した政党で、裏金について聞かれたら「迷惑だ!」とかいいだして、

カルト政権中枢に近づける無茶苦茶やっているのに、結局お茶を濁すだけで、

男系カルトのいいなりで皇室危機に陥れてるし

格差を拡大し続けてるのに、平気で嘘つくし

物価高とかも全部、アベノミクス副作用だし

今も「そのうちタイミング見て岸田降ろして、小泉とかで選挙だー」しか考えてないと思う。

自民党叩く人は正しい50代に決まっとるだろ。

お前のやっとる工作活動なんか、全く世の中のためにならんのだぞ

お金もらえりゃなんでもするの?金の亡者が、お前みたいな人間の方がよっぽど実在不要なんだよ!!!

いぬっころが他人様に意見をのたまうな。犬の言葉だけしゃべってろw

少し言い過ぎた。くだらない仕事をして心を病むのは、正しい生き方からは程遠いですよ。

あなたの心の病み方が「本物」を感じますね。

2023-12-13

CoCプレイヤー承認欲求肥大気持ち悪すぎる

日頃のセッション前後かにありがとう、いつも楽しいよって言うのはいい。むしろそうあるべきだろう、一緒に遊んでいるんだし感謝を伝えるのはいいことだ。

Xでハッシュタグつけて自分のこと褒めろだの好きなところ教えろだのと強請って、無数のフォロワーの前で中身のない応酬かまして、コミュニティの中全員がそれをやるように仕向ける。

そんなことまでしないと承認欲求を保てないのか。TLを占拠するやり取りするくらいなら個別DMに籠ってくれ。そうして永遠に馴れ合うといい。

もしタイムラインフォロワーに見せつけるためにやってるのなら、お手上げだ。

 また、何の取り柄もないTRPGプレイヤーを褒められる理由が声しかいからなのか、社交辞令で褒められてるのを理解せず探索者ボイスなんてのを上げてしまう人もいる。

探索者ボイスでシナリオタイトルコール読み上げとか、素人が気取って無理に低音出そうとして事故が起きているものばっかりだ。一つ二つ聞けば自ずと怖気が立つ。

それが周りから祭り上げられたのがきっかけだったんだろうか、素人の「探索者歌ってみた」なんてものを見た日には仰天した。底辺歌い手よりも酷いものを満足げに公開して、自陣にお見せして、「解釈が」「RPが」とか言われて喜んでいやがる。

そんなの君の歌がボロボロでも送られたほうは褒めるしかないだろうが、一つしかない自陣なんだから

ボイス、歌ってみただけじゃない。小中学生のころに書いてそうなカッコ書きの「SS」を「これがうちの子解釈です笑駄文ですけど笑」とか言って送り付けたり。うちよそしたいばかりに自探索者だけじゃなく他人様の探索者まで巻き込んだり。先のフォロワー褒めてと似た事案だが、探索者の好きな所上げろタグ、知りたい探索者いますタグもそうだ。

同卓したPCについてリプしなければ好きなところがないのかと角が立つし、同卓してもいないPCの長語りなんて誰も求めてない。

 そういうものは一概に、探索者というものCoCというものを通して承認強制するためのテロということを理解していないのか。

大方、その当人との関係性を壊したくないかおざなりに褒めてるだけだ。文面上だけでなら何とだって言える。真顔で薄っぺらい褒め台詞を書いてテンション高く絵文字で飾れば良いだけだ。

 こんな表面ばかりの承認欲求にしがみつくためだけに、卓を詰めることに固執する「卓修羅」なんてものもいる。

だいたいが自分キャパ理解してない人ばかりなので、卓には寝坊するし遅刻はするし体調は崩す。そのリスケは数か月先で、「すみません修羅で」と言って悪びれもしない。考えてもみろ、一般TRPG以外の予定を優先に考えていれば「未来日程で」と言われたって半年も先の日程を確保できるはずがないだろう。自分が良くても他人の都合があることを知れ。人の時間長期間確保するというリスクを考えろ。

しかし、卓修羅たちはその底なし沼のような承認欲求を満たすために卓日程を入れつづけ、知らないうちに自身健康精神状態も火の車のような状態になっていく。そこから生じる精神の不調、所謂病み」も、手っ取り早く承認欲求が得られる卓や、インターネット上のコミュニケーションで満たそうとする。他人自己承認テロを仕掛けていることに気付かず、しきりに嘆いては慰められ待ちをする。

 うんざりだ。こういうのが普通の顔をしてのさばっているから、それが普通だと感覚を狂わせてしまう人もいる。

そこまで承認欲求に囚われてそれを求めるためだけに行動してしまうのは、もはや精神病ではないのか。自分の限られた可処分時間を卓、卓に付随するコミュニケーション、卓準備にすべて費やしてしまうなんて立派な依存症だろう。病院に行った方が良いのではないだろうか。

彼ら彼女らに日常に満たされるところがないのか、卓体験が手っ取り早く承認欲求を満たせてしまツールからのめり込んでしまうのか知る由もないが。

TRPGオンセなんて所詮インターネット上で完結する希薄関係で、相手がどれだけ褒めようと自分人生責任を持ってくれるわけではないことを自覚的に、自省的に行動すべきだと思う。

アカウントを消してしまえばすぐに縁は切れる。自分のことを無条件に承認してくれるフォロワーいるからって都合よくはけ口に使うなよ。優しいことを言ってはいても、本心では卓修羅の行動に呆れかえっているかもしれない。依存先に使われるのが耐えられなくなって、いつ消えるかだってからないのに。

その自己承認されない傷の舐めあいが一体何を生むのか。

 依存先を多く持つのが自立だというのはよく言ったものだ。卓だけを依存先としてべたべたと自己承認を求めるやつにはロクなのがいない。

この界隈はそんな自己承認欲求モンスター跋扈する地獄、早くおさらばするが吉だ。彼ら彼女らの都合のいい依存先で居続けるのは、大変な労力を要するのだ。

2023-12-06

anond:20231206122205

セックスの度に痛そうとか無理とかごめんとか言われたら病みそう

2023-12-05

anond:20231205152545

俺も同様に小学生の頃はクラス1明るかったが

中3で精神病み暗くなった

年齢による転機もあるのかもな

anond:20231205070146

初期にコロナったタクシー運転手家族構成まで晒されてた思い出

なんか中国人が道端で倒れる動画拡散されて、すれ違っただけで感染してその場で倒れる奇病みたいな雰囲気あったね

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-12-04

絵師じゃなくてもイラストレーターになれる方法

Twitterフォロワーツイッター上でイラストコミッション料金表出しても誰も依頼してこないとに病み続けている。

自分全然絵師じゃないけど、イラストレーターとして収入を得ている(ツイッターあくまでも趣味でやっているので、仕事の話は一切出していない)

仕事にできているノウハウは本当に簡単な話で、ネット上ではなくてリアルな場で「自分絵を描いているんです」と自己紹介した上で色んな人とおしゃべりする事。

 

おしゃべり内容も別に仕事の話だけじゃなく、趣味の話やプライベートの話ばっかり。

そこで信頼関係を構築している感じ。

誘われればお酒も飲みに行く。

 

で、この人ならお仕事依頼しようってなる。

これはイラストレーター関係なく、どの業種も必要スキルじゃないかな。

 

絵が上手い人がココナラとかで仕事募集していれば声はかかると思う。

でもそれも、その絵が上手い人に「ファン」がいることが大前提なんだよね。

ファンが付く条件はいろいろあるけど、やっぱり絵の上手下手よりもその描く人の魅力が大きく左右されると私は思っている。

今ぱっと思いつくイラストレーターさんのツイッターや(やっていれば)配信を思い出してほしい。

すごく楽しい内容に徹していることに気づくんじゃないかな。

 

フォロワー仕事募集しているツイッター

仕事来ない

自分は絵が下手だから

辛い

イラスト料金を安くすればいいの?

 

と、病んだついーとばかり垂れ流している

そんな人にイラストお仕事をお願いしたいと思うだろうか

 

はやくそれに気づいてほしいな。

2023-12-03

anond:20231203152312

ソシャゲネトゲに飽きてるってことを自覚できてない、もしくは飽きてるけど「一生ゲーム好きでいる」って縛りが否定させてるからじゃないか

ゲーム自体が楽しくないのに、システムに刷り込まれた「プレイしなきゃいけない」義務感でゲーム触ってるからしんどくなってあたり前

 

ゲームって数か月で飽きるのが普通なんだけど、ソシャゲネトゲゲーム以外の部分からモチベーション付与する作りになってる

日課・スタミナ・期間限定要素・ランキングなど)

で、今の増田は飽きてるから「楽しさ」とかの内発的な動機ではなく、気力タンクからモチベを無理やり引っ張って来てる状態だと思う

本心ではつまんねーと思ってるのに心に鞭打ってるのと、睡眠不足病みかけてて「ゲームができない俺はもうだめだ」ってなってんじゃないか

 

俺も少しソシャゲやってるけど6タイトルネトゲ常軌を逸してる

ちょっとずつでもソシャゲフェードアウトしていって据え置きゲーとか他の趣味シフトしていけないかね?

リアル生活にかなり侵食してるみたいで心配になる

2023-11-26

底辺ボカロPは低レート帯のボカロPとだけ競うべきという話

自分用のメモとして残しておきたかったが、燃えそうな話題なので匿名にする。

匿名ダイアリー最高だな!

私は底辺ボカロPとして活動しています

最も伸びた動画ニコニコで400回再生です。

ボカロPとして活動をしていく中で、同じように活動している人をツイッターフォローしてきました。

その結果、「なぜこの人みたいに良い曲が作れないのか」「自分には才能がないのかもしれない」と病みまくりました。

※実際才能がないんじゃないかというツッコミはやめてください。死んでしまます

それで色々考えた結果「異なるレート帯と戦うのは無意味で、精神を病むだけ」という結論に至りました。

ニコニコ再生数で簡単にレート帯を分けてみます

デビュー初期。競馬でいうとG3に出場する以前のレベル

一般に少しだけ認知されてくる。競馬でいうG3、G2G1

※私が1000再生いったことがないので解像度が低いのはご了承ください。

要するに、「底辺ボカロPでいるうちは1000再生に届かない低レート帯とだけ競争するべき」ということです。

1000再生行くか行かないかでやっぱり全然レベルが違います

1000再生すら行かないうちに、5000再生とかされるボカロP嫉妬していたところで、それは

G3に出ることすら難しいのにG1の馬と競って悔しいとか言ってるようなもの

プラでずっとC帯なのにS帯に勝てないと悩んでるみたいな

いやそもそも、そことマッチするのがおかしいよねという話です。

もう別次元なので、そういう人を比較対象として見るべきじゃないです。

KinKi Kidsライブ地下アイドル活動比較対象にはならないし

草野球ホームランを打つの大谷ホームランを打つのでは全然違う話だし

ボカロPに限らないかもしれないですけど、現代って自分とは全く熟練度の違うレベチな人でも

簡単SNSフォローできて、その人の活動を知ることができるので

たかも同じフィールドで戦ってるって勘違いやすいと思うんですよね。

もっと身の程を知って、まずは井の中の蛙としてレベル上げをするべきで

大海にいる巨大モンスターと競うべきじゃないです。

というか、スプラだって初心者がいきなりS帯とマッチしたらよくわからないで負けまくって

全然おもしろくないと思います

色々なゲームでレート戦やランクマッチ実装されているのは、そういう仕組みが人のモチベーションを保ちやすいという証拠だと思います

ボカコレもレート分けしてくれたらいいのになあ。本来ルーキーとTOP100がレート分けのひとつなんだろうけど、実質あまり機能してないし。

まあゲームとかじゃなく音楽なので、レート分けとか言ってもどうやるのってなりますけどね。

以上、「底辺ボカロPは低レート帯のボカロPとだけ競うべき」という話でした。

2023-11-23

借金をしたら幸せになった話

子供の頃から生活は苦しかった。私は、ギャンブル依存アルコール依存の親を反面教師として、堅実に生きて来た。

高卒で働き出してからは金の使い道が分からず、毎月20万円は貯金していたが、貯金が400万を超える頃には親が金の無心で無くなった。

自分の親が土下座をして、二度と借金はしない闇金に殺されると、泣く情けない自分の親が許せずに、それでも信じては裏切られるを3回ほど繰り返した。

結婚して別居をしたら解放されると思ったが、今度は会社に親が来るようになり、その頃はまだ保険証の写しでサラ金カードが作れたので、知らぬ間に私名義の借金も出来ていた。

結局、親の借金相手の親にバレて離婚に至った。

そこで私はブラックリストを扱っている信用情報機関相談窓口に行き、自分名義の借金いくらあるのかを調べて貰うことにした。

対応してくれた父と同じ年齢層の方が、その身に覚えのない借入金の一覧を見ながらポツリと「可哀想に・・」とつぶやいて、もう涙が止まらなくなった。

担当の方は私が泣き止むまで静かに待ってくれて、そして2つのアドバイスをくれた。

一つ目は、自らに貸付自粛制度をつけること。これは「免許証原本でのみ貸付が可能」など、特記事項がつけられるから自分自らのクレジットカードなどは問題なく作れるが、特記事項以外の証明書では作れない。

二つ目は、何があっても絶対親の借金は返さないこと。「サラ金闇金はその人が返せない事を承知で金を貸すんだよ。絶対本人が返せない額を貸しても、誰かがいつの間にか清算してくてれるなんて、闇金の超得意様だと思わない?」と笑った。

親の借金は私のせいだと言われ絶望の底に落ちた。それからは「親のため」金の無心には断固拒否することを決意した。

子供の頃は尊敬していたし自慢で大好きだった親が、今や威嚇し怒鳴りそれがダメなら泣き落とし、最後には言葉にならない悲鳴を上げて私に懇願する。

両親は借金離婚し、父は家も追い出されやむなくトラック運転手をしながら車で寝泊まりをするようになった。それでも競馬新聞は手放せない。

親の借金を返したら、この私の苦しみは解放される。なのに金はあるのに返せない。苦しみに耐えきれず、とうとう私は精神病み死のうと思い家を飛び出した。

フラフラと川の土手を歩いて、気づけば橋の上からぼんやりと街並みを見ていた。

爽やかな風が吹いて、大きな犬が飼い主と散歩をしている。遠くで子供野球の声がする日曜日の昼下がり。穏やかな景色に、確実に私だけが浮いている。

「こんな所に住めたら幸せだったなぁ。」ため息もつけずに立ち尽くしていると、ふと土手向こうに空き地が目に入った。空き地には白いセダンが1台停まっていて中にオッサンが退屈そうに座っていた。

なんとなく橋から空き地に向かってみた。空き地に着くと「売地」と看板がかかっていて、暇そうなオッサンが私に気づき「昨日から売りに出したところで明日広告を打つんですよ。いかがです?ひとつ買いませんか?」と暇つぶしに話しかけてきた。

「ああ、ください。全額借金ですが良いですか?」驚くオッサン

私は気づいたのだ。今までの苦しみは私がお金を持っているからで、私が借金まみれになればその苦しみから解放されると言う事を。

その後、色々あったが1年後には一戸建てを建てて、離婚していたはずの両親とそのうち新しい旦那子供がこの家に住むことになる。

両親は年金開始年齢で早々に死んだ。そもそも年金を掛けていなかったので全く損はしていない。そんな運命だったのだろう。

借金をしたいがために購入した家が、そのうち余裕ができるようになった。誰も金の無心には来ないし、子育て住宅ローンももうすぐ終わる。

もうすぐ開始される年金も、元は取れると思う位に元気である

人生何が起こるか分からないものだ。

今では親のおかげだと感謝している。

2023-11-19

女性声優実家が太いと萎えるよな

某若手と中堅の間にいる女性声優推しているのだが、先日本人発言からその女性声優実家というか親族特定するつもりはなかったが特定してしまった

からその辺の女性声優と違って格があるなと思ってはいたが、父親企業経営者モノホンお嬢サンだった

俺が一生かけても手に入れられないような収入のある家で慈しまれながら育ったと思うと萎え

病みツイ多い子なんだがその度にヨシヨシしてる俺が情けなくなってきた

これから病みツイ見てもどうせ収入途絶えても親に食わせて貰えるだろと感じるだろうからブロックした

2023-11-10

元気に生きていると不健康人間依存してきてしんどい

基本自己肯定感も強く、仕事プライベートも充実しているし金にも困ってないので元気に毎日楽しく生活しているんだけど、なんかそういう人には元気じゃない人がよってこない?

友達鬱病の子とか愚痴ばっかり言ってる子達がすっごい電話してきたり鬼LINEしてきたりする

話なんて9割愚痴と鬱が辛い、とかそういう内容ばっかり

「こういうのってどうすればいいのかなあ」なんてすぐに人を頼ってくるし

で、いつも「増田さんと話してると元気になる。大丈夫って言ってもらえると心が軽くなる」みたいなことを言われるんだが、でもさ~ぶっちゃけ何人もの人に大丈夫大丈夫ってポシティ発言しつづけるのもしんどいんだわ

こっちの生活は何一つ不自由なく幸せなのに、愚痴電話とかかかってくると、めんどくせーってなってこっちが病みそう

元気じゃない人って「こいつなら私の話を聞いて励ましてくれる!」って思うとその人の事考えずにめっさ依存してくるんだよね

こっちも相手が鬱だったりすると下手に突き放せないかはいはい、って聞いてあげるけど、私はおまえら愚痴ききマシンじゃねえよ

元気っていうけどこっちだって愚痴とかあるけどおまえらになんか言えないし、なんかていのいいはけ口にされてるようでしんどい

いや、あっちも大変なの分かってるから言えないけど

でもまじで多いのよ、たまーに電話してくる奴いるけど自分愚痴しかいわねえ。私がお前に電話したこと一度もないよな?なんでかわかるか?お前自分の話しかしないだろ?

聞いてもらえて元気になった、じゃねーんだわ。本人スッキリしてるんだろうがこっちは毎回貴重な時間愚痴きかされまくって「大丈夫大丈夫」って話に対応してどっと疲れるんだわ

時々愚痴とか鬱でラインとかしてくる友達、もう5人くらいいる

なんというか自分解決してくれんかな…

2023-11-05

はてなって普通に女叩き増えたよな

高校生の頃、狂ったように女叩きの記事を読んでいた時期があった

https://anond.hatelabo.jp/20151204005556

女叩きに溢れたネットに心を病み、女叩きが非難される増田に救われたという記事

8年前の記事だが、今はどうだ

平気で女叩き記事トレンド入りして、女叩きが星を集めてるじゃないか

しろ2chの方がマシまである

ツイッターも同じ流れを辿りつつあるし、

もうどこを向いても女叩きだらけだよ

2023-11-04

冷蔵庫の中に食べ物があるとすげえ安心する。

一人暮らしおっさんです。

定期的に一人暮らし自炊エントリーが上がって、それなりに効率的だったりうまそうな自炊運用法が紹介されるも「一人暮らし自炊コスパ悪い」って反論は必ずあって、それは経済的にはそれなりの説得力がある。

でも自分外食続くとダメだわ。ダメだったー。

今年、何が仕事がすげえ忙しくって、3ヶ月ほど帰宅が0時ほどの生活が続いてた。

そうなると自炊ってほぼ無理で、弁当とかで頑張ってたけど、徐々に100%外食コンビニ中食になっていった。

それで4ヶ月目に病み始めて、仕事内容としては「うん、これはザクザクできるな」ってものの踏ん張りが「えっダメだ」って感じで利かなくなってきた。

で、やっと仕事がおおむねおちついて、久々に自宅で料理して、簡単卵焼きとか、玉ねぎを塩で揉んでオリーブオイルにつけたやつとか作って、家帰ってきたら、もう「冷蔵庫の中に食べ物がある」って、その感覚がすげー安心するのよ。

経済的には外食しても保つんだけど、メンタルダメなっちゃうんだよね。

もう個人差あるだろうな、ずっと外食で平気って人は周りにも普通にいるし。

でも自分自分料理したもの冷蔵庫に入ってない期間があんまり続くととなんかダメだわー。

推し卒業した

正確には2推し候補

ガチ恋辞めたくて、1推し推し候補で止まってて

拗らせて病みそうになるのは明らかなので、2推し候補複数確保しようとしていた矢先

ほんと終わりは突然来る

この10年どれだけのお別れがあったことだろう

向こうにもこっちの記憶が残りつつ、基本的には二度と会えなくなるって切なさ

2023-10-31

パパ活日記 病みやすい子

パパ活女子って心が弱い子が多い

メンヘラっていう感じではなく、不安定みたいな

家庭環境のせいかもしれないし遺伝かもしれない

 

そういう子がとうとう社会人になったんだけどやっぱり弱いからうまくいかなくて

そういう時にどうしたらいいのか俺も困ってしまった

社会メンタル弱者にはしんどすぎる、というか普通の人にすらしんどい

相当優秀でもない限りブラック企業しか入れないから、転職は完全な解決にならない

 

メンタル弱者ってどうやって生きてるんだろうな

 

ネットユーザーはそういうのに甘えと言うかもしれないけど

個人差があるからどこまで甘えでどこまでそうじゃないのかが曖昧だよな

甘えずに頑張りきった結果壊れた人もいるし

 

だんだんカウンセラーみたいになってきたな、皆の愚痴とか辞めたい話を聞いてる

エロい内容で、カップリングロリじゃなく、絵柄が少女漫画的な線の細い可愛らしい感じではなく、成人同士の合意に基づいた行為によるエロが見たいんだぁァァァァ

なかなか無くない?K子と病みおじとかめっちゃいい

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