はてなキーワード: 病みとは
祖父のような人が、昨日死んだ。
血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。
母方の祖父は、母親が子供の頃に祖母と離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というものを意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。
「祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から、祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分も子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ。
将棋のルール、司馬遼太郎、池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。
むしろ、祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母のお金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。
祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。
陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。
祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。
ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。
父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子どもの自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。
父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。
母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察や学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。
母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシーの運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校の先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会」から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。
自分が中学生か高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。
それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神を病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的な統合失調症の症状が出始めた。
この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。
それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚の理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。
知り合い、昔からの友人である大学の同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。
お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。
彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたか分からないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。
祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。
この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。
彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学で落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋の社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分の着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議な気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。
思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物をしまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母のマンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母と暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。
「二日前くらいから入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃんが病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜しはるから、心の中で弔ってあげてな」
母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。
母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母と暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。
きっと、親である祖母が離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。
もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。
母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。
彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。
別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。
残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。
祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。
Twitterのフォロワーがツイッター上でイラストコミッション料金表出しても誰も依頼してこないとに病み続けている。
自分は全然神絵師じゃないけど、イラストレーターとして収入を得ている(ツイッターはあくまでも趣味でやっているので、仕事の話は一切出していない)
仕事にできているノウハウは本当に簡単な話で、ネット上ではなくてリアルな場で「自分絵を描いているんです」と自己紹介した上で色んな人とおしゃべりする事。
おしゃべり内容も別に仕事の話だけじゃなく、趣味の話やプライベートの話ばっかり。
そこで信頼関係を構築している感じ。
誘われればお酒も飲みに行く。
で、この人ならお仕事依頼しようってなる。
これはイラストレーター関係なく、どの業種も必要なスキルじゃないかな。
絵が上手い人がココナラとかで仕事募集していれば声はかかると思う。
でもそれも、その絵が上手い人に「ファン」がいることが大前提なんだよね。
ファンが付く条件はいろいろあるけど、やっぱり絵の上手下手よりもその描く人の魅力が大きく左右されると私は思っている。
今ぱっと思いつくイラストレーターさんのツイッターや(やっていれば)配信を思い出してほしい。
仕事来ない
辛い
イラスト料金を安くすればいいの?
と、病んだついーとばかり垂れ流している
はやくそれに気づいてほしいな。
ソシャゲ・ネトゲに飽きてるってことを自覚できてない、もしくは飽きてるけど「一生ゲーム好きでいる」って縛りが否定させてるからじゃないか?
ゲーム自体が楽しくないのに、システムに刷り込まれた「プレイしなきゃいけない」義務感でゲーム触ってるからしんどくなってあたり前
ゲームって数か月で飽きるのが普通なんだけど、ソシャゲやネトゲはゲーム以外の部分からモチベーションを付与する作りになってる
で、今の増田は飽きてるから「楽しさ」とかの内発的な動機ではなく、気力タンクからモチベを無理やり引っ張って来てる状態だと思う
本心ではつまんねーと思ってるのに心に鞭打ってるのと、睡眠不足で病みかけてて「ゲームができない俺はもうだめだ」ってなってんじゃないか?
俺も少しソシャゲやってるけど6タイトル+ネトゲは常軌を逸してる
自分用のメモとして残しておきたかったが、燃えそうな話題なので匿名にする。
ボカロPとして活動をしていく中で、同じように活動している人をツイッターでフォローしてきました。
その結果、「なぜこの人みたいに良い曲が作れないのか」「自分には才能がないのかもしれない」と病みまくりました。
※実際才能がないんじゃないかというツッコミはやめてください。死んでしまいます。
それで色々考えた結果「異なるレート帯と戦うのは無意味で、精神を病むだけ」という結論に至りました。
※私が1000再生いったことがないので解像度が低いのはご了承ください。
要するに、「底辺ボカロPでいるうちは1000再生に届かない低レート帯とだけ競争するべき」ということです。
1000再生行くか行かないかでやっぱり全然レベルが違います。
1000再生すら行かないうちに、5000再生とかされるボカロPに嫉妬していたところで、それは
G3に出ることすら難しいのにG1の馬と競って悔しいとか言ってるようなもので
スプラでずっとC帯なのにS帯に勝てないと悩んでるみたいな
いやそもそも、そことマッチするのがおかしいよねという話です。
もう別次元なので、そういう人を比較対象として見るべきじゃないです。
KinKi Kidsのライブは地下アイドルの活動の比較対象にはならないし
草野球でホームランを打つのと大谷がホームランを打つのでは全然違う話だし
ボカロPに限らないかもしれないですけど、現代って自分とは全く熟練度の違うレベチな人でも
簡単にSNSでフォローできて、その人の活動を知ることができるので
あたかも同じフィールドで戦ってるって勘違いしやすいと思うんですよね。
もっと身の程を知って、まずは井の中の蛙としてレベル上げをするべきで
というか、スプラだって初心者がいきなりS帯とマッチしたらよくわからないで負けまくって
色々なゲームでレート戦やランクマッチが実装されているのは、そういう仕組みが人のモチベーションを保ちやすいという証拠だと思います。
ボカコレもレート分けしてくれたらいいのになあ。本来はルーキーとTOP100がレート分けのひとつなんだろうけど、実質あまり機能してないし。
子供の頃から生活は苦しかった。私は、ギャンブル依存とアルコール依存の親を反面教師として、堅実に生きて来た。
高卒で働き出してからは金の使い道が分からず、毎月20万円は貯金していたが、貯金が400万を超える頃には親が金の無心で無くなった。
自分の親が土下座をして、二度と借金はしない闇金に殺されると、泣く情けない自分の親が許せずに、それでも信じては裏切られるを3回ほど繰り返した。
結婚して別居をしたら解放されると思ったが、今度は会社に親が来るようになり、その頃はまだ保険証の写しでサラ金のカードが作れたので、知らぬ間に私名義の借金も出来ていた。
そこで私はブラックリストを扱っている信用情報機関の相談窓口に行き、自分名義の借金がいくらあるのかを調べて貰うことにした。
対応してくれた父と同じ年齢層の方が、その身に覚えのない借入金の一覧を見ながらポツリと「可哀想に・・」とつぶやいて、もう涙が止まらなくなった。
担当の方は私が泣き止むまで静かに待ってくれて、そして2つのアドバイスをくれた。
一つ目は、自らに貸付自粛制度をつけること。これは「免許証の原本でのみ貸付が可能」など、特記事項がつけられるから、自分自らのクレジットカードなどは問題なく作れるが、特記事項以外の証明書では作れない。
二つ目は、何があっても絶対親の借金は返さないこと。「サラ金闇金はその人が返せない事を承知で金を貸すんだよ。絶対本人が返せない額を貸しても、誰かがいつの間にか清算してくてれるなんて、闇金の超得意様だと思わない?」と笑った。
親の借金は私のせいだと言われ絶望の底に落ちた。それからは「親のため」金の無心には断固拒否することを決意した。
子供の頃は尊敬していたし自慢で大好きだった親が、今や威嚇し怒鳴りそれがダメなら泣き落とし、最後には言葉にならない悲鳴を上げて私に懇願する。
両親は借金で離婚し、父は家も追い出されやむなくトラックの運転手をしながら車で寝泊まりをするようになった。それでも競馬新聞は手放せない。
親の借金を返したら、この私の苦しみは解放される。なのに金はあるのに返せない。苦しみに耐えきれず、とうとう私は精神を病み死のうと思い家を飛び出した。
フラフラと川の土手を歩いて、気づけば橋の上からぼんやりと街並みを見ていた。
爽やかな風が吹いて、大きな犬が飼い主と散歩をしている。遠くで子供野球の声がする日曜日の昼下がり。穏やかな景色に、確実に私だけが浮いている。
「こんな所に住めたら幸せだったなぁ。」ため息もつけずに立ち尽くしていると、ふと土手向こうに空き地が目に入った。空き地には白いセダンが1台停まっていて中にオッサンが退屈そうに座っていた。
なんとなく橋から空き地に向かってみた。空き地に着くと「売地」と看板がかかっていて、暇そうなオッサンが私に気づき「昨日から売りに出したところで明日広告を打つんですよ。いかがです?ひとつ買いませんか?」と暇つぶしに話しかけてきた。
「ああ、ください。全額借金ですが良いですか?」驚くオッサン。
私は気づいたのだ。今までの苦しみは私がお金を持っているからで、私が借金まみれになればその苦しみから解放されると言う事を。
その後、色々あったが1年後には一戸建てを建てて、離婚していたはずの両親とそのうち新しい旦那と子供がこの家に住むことになる。
両親は年金開始年齢で早々に死んだ。そもそも年金を掛けていなかったので全く損はしていない。そんな運命だったのだろう。
借金をしたいがために購入した家が、そのうち余裕ができるようになった。誰も金の無心には来ないし、子育ても住宅ローンももうすぐ終わる。
今では親のおかげだと感謝している。
基本自己肯定感も強く、仕事もプライベートも充実しているし金にも困ってないので元気に毎日楽しく生活しているんだけど、なんかそういう人には元気じゃない人がよってこない?
友達で鬱病の子とか愚痴ばっかり言ってる子達がすっごい電話してきたり鬼LINEしてきたりする
話なんて9割愚痴と鬱が辛い、とかそういう内容ばっかり
「こういうのってどうすればいいのかなあ」なんてすぐに人を頼ってくるし
で、いつも「増田さんと話してると元気になる。大丈夫って言ってもらえると心が軽くなる」みたいなことを言われるんだが、でもさ~ぶっちゃけ何人もの人に大丈夫大丈夫ってポシティブ発言しつづけるのもしんどいんだわ
こっちの生活は何一つ不自由なく幸せなのに、愚痴の電話とかかかってくると、めんどくせーってなってこっちが病みそう
元気じゃない人って「こいつなら私の話を聞いて励ましてくれる!」って思うとその人の事考えずにめっさ依存してくるんだよね
こっちも相手が鬱だったりすると下手に突き放せないからはいはい、って聞いてあげるけど、私はおまえらの愚痴ききマシンじゃねえよ
元気っていうけどこっちだって愚痴とかあるけどおまえらになんか言えないし、なんかていのいいはけ口にされてるようでしんどい
いや、あっちも大変なの分かってるから言えないけど
でもまじで多いのよ、たまーに電話してくる奴いるけど自分の愚痴しかいわねえ。私がお前に電話したこと一度もないよな?なんでかわかるか?お前自分の話しかしないだろ?
聞いてもらえて元気になった、じゃねーんだわ。本人スッキリしてるんだろうがこっちは毎回貴重な時間を愚痴きかされまくって「大丈夫大丈夫」って話に対応してどっと疲れるんだわ
定期的に一人暮らしの自炊のエントリーが上がって、それなりに効率的だったりうまそうな自炊運用法が紹介されるも「一人暮らしの自炊はコスパ悪い」って反論は必ずあって、それは経済的にはそれなりの説得力がある。
今年、何が仕事がすげえ忙しくって、3ヶ月ほど帰宅が0時ほどの生活が続いてた。
そうなると自炊ってほぼ無理で、弁当とかで頑張ってたけど、徐々に100%外食かコンビニ中食になっていった。
それで4ヶ月目に病み始めて、仕事内容としては「うん、これはザクザクできるな」ってものの踏ん張りが「えっダメだ」って感じで利かなくなってきた。
で、やっと仕事がおおむねおちついて、久々に自宅で料理して、簡単な卵焼きとか、玉ねぎを塩で揉んでオリーブオイルにつけたやつとか作って、家帰ってきたら、もう「冷蔵庫の中に食べ物がある」って、その感覚がすげー安心するのよ。
経済的には外食しても保つんだけど、メンタルがダメになっちゃうんだよね。
自分用まとめ
ハルコママ:ハルコが4年間いじめ被害を隠していたことに動揺。学校に相談
ハルコパパ:育児にあまり関わってこなかったことを反省。問題解決に向けて動く
ハルコ:辛抱強く情に厚い。りいちゃんと親しくなったことが取り巻きの不興を買い、いじめの対象に
りいちゃん:容姿も育ちも性格もいい強者女児。取り巻きの暴走を止められず悩む。大人に不信感を持つ
サキコ:自称ハルコの親友。りいちゃんが嫌い。弱者女児。ハルコと交代でいじめのターゲットになる
ふうちゃん&ライムちゃん:りいちゃんのファンネル。サキコとはりいちゃんからハルコを遠ざけたいという利害が一致。りいちゃん・ハルコに離間策を講じる。
草田先生:2年生の時の担任。サキコママに詰められて病み、離職
○○○○の○○○○読みたいってことは原作者の○○○○は読みたくないって事かwwwwwwwwwwww
この人定期的に病んでるけど言動に問題があるの自分なのを棚に上げて被害妄想全開にしてるだけなのようわかるわ
原作者に対して無神経で失礼過ぎるだろ
自分が他のプロ作家から○○○○をお前の絵と話以外で読みたいわっていわれて平気でいられるのかって考えてから投稿すればいいのにね〜〜〜〜
もう少ししたら消すかまた病みはじめそうwwwwwwwwwwww
晒しみたいになって悪いんだが、「島耕作描いてる人間はレコードの持ち方を知らない」って言うのがバズってるワケよ。
https://twitter.com/belmie2001/status/1709766808201527649
「正しい持ち方」っていうのは、レコードの端をもって盤面を指で触らない。指紋が付いて溝に脂が入ったり後でカビたりするから。
だけど、レコードっていうのは実はずっと現役メディアなんよ。何処でか?というとクラブDJで。
それでDJっていうのはそういう持ち方しない。普通に島耕作みたいな持ち方で扱う。
例えばこれは自宅でDJプレイしてようつべ配信している素人愛好家なんだが、島耕作持ちしてる。
https://youtu.be/afjS-Km6juU?si=1ldtDQ1E2mQpzdPs
他にもDJ配信してる人は多数居るが、皆マニア持ちじゃなくて耕作持ちしてる。
そういえば、シスコとかのレコード店でも商品なのに耕作持ちしてたな。
今レコード需要の主流って、しっとりとした音を楽しむオーディオマニアよりも、こういう感じでクラブ音楽流したりDJっぽいことしたりっていうのが主流なんで、持ち方は耕作持ちが主流って事になる。
島耕作は年齢的にディスコソウル~Hi-NRG(ハイエナジー)DJだったのかも知れないな。
あともう一つ、オーディオマニアが「テクニクスのダイレクトドライブが(マテ)」みたいな感じでテクニクスのダイレクトドライブが過去のものと思ってネタにしてるのもたまに見る。
いやいやいや、テクニクスのダイレクトドライブって現役なんよ。
ダイレクトドライブっていうのは、レコードの回転軸にそのままモーターが付いてる形式で、ハードディスクのスピンドルとか、今では当たり前の技術だ。
レコードというのは回転ムラがあると音がぐわんぐわんと揺れて(ワウ・フラッター)滑稽な感じになってしまう。
だからモーターを高速回転させて回転ムラを平準化して、ベルトで繋がれた重たいターンテーブルを回すっていうデザインにする事が多い。ターンテーブルが重いのはフライホイールマスにして回転ムラを無くすっていう手段だ。重いものは急に動かせないし急に止めれない。だから速度を一定にしやすい。
でもこれだと一度回転を止めると回転速度が元に戻るのにタイムラグがある。
テクニクスは松下ナショナルの高級オーディオブランドだが、1972年に冒険的な製品を開発した。それがSL-1200というターンテーブルで、回転軸に直接モーターが付いている。
そのままだと回転ムラが酷くなるが、松下はこれを電子技術で解決した。写真を見れば判るが、https://ja.wikipedia.org/wiki/Technics_SL-1200
ターンテーブルの横に赤い光が出ている箇所がある。これは、ターンテーブルの横に模様が描かれており、それを赤外線フォトトランジスタで読み取っているのである。今のマウスに使われているフォトエンコーダとかロータリーエンコーダの走りだ。
これで常に回転数をフィードバック制御している。この制御は今の光学ディスクやNC工作機械などのブラシレスDCモータと同じだ。今のは電線が4本出てる(電源+、アース、回転数読取、制御)が、SL-1200ではターンテーブル横のフォトトランジスタからのフィードバックになっている。
ただ、セイコーがクオーツ回路の特許を公開する前だったので初期型だけ水晶発振子が載っていない。故に少しづつ回転数ズレが起きるのでピッチコントローラのスライダを付けた。
普通に作ればいいのに、最近技術満載で作った異形のような野心作だったわけだ。
・回転が落ちても直ぐに戻る(ずっと回転数見てフィードバック制御されてるから)
・ターンテーブルを逆回転させるなどラフな扱いしても壊れない(ベルトが外れたりしない)
松下のエンジニアがアメリカ行くとDJがみんなこれを使ってるのを目にする。DJに意見聴取すると「いやこれ最高に使いやすいんで何もいじらないでくれよ」と。
そんな中で生まれたのがある意味無茶苦茶で斬新だった、ハービーハンコックの『Rock It』だ。
https://www.youtube.com/watch?v=jWeBJsg6FHA
使ってるのがSL-1200かは不明だが、これなんかダイレクトドライブが無いと出来ないような演奏である。
ハービーハンコックはジャズ&フージョンの人だったのが、突然気が触れたように過激な事をし出したんだが、この後はまたしっとりした曲に戻ったので、ダイレクトドライブによる熱病みたいな曲である。
こうして高級オーディオを作ったはずが、意に反してDJスタンダードとなってしまった。
その間にCDが普及してレコード市場は消えて行くが、DJの世界ではCDでの演奏は自由度が低く、CDJ等の製品はあったがあまり普及しなかった。ずっとレコード主流だったのである。
これに呼応してベスタクス社がDJ用ターンテーブル市場に参入したりもしたが、これも日本メーカーである。
だが既にテクニクスSL-1200はスタンダードブランドとなっていて、クラブDJの真似事したい層の憧れはやはりSL-1200、という訳で、高級オーディオが衰退して行く中で、テクニクス製品は殆ど終売になっているのにターンテーブルだけが延々と世界に向けて出荷されていた。
因みに1998年頃までテクノとかハウスとかトランスなどの電子ダンス音楽はCDでは販売されず、専らレコードで売られていた。電子音楽がアナログメディアだけというのは今では変に見えるが、家で聞く音楽じゃないしクラブではレコードしか扱わないしで、最初からレコードだけで発売されていた。
つまり、クラブ音楽とかクラブ文化を支えていたのは日本メーカーの音響機器、特にダイレクトドライブのターンテーブルであったのだ。「日本スゴイ」の人らは視野が狭いし技術にも疎いので知らない現実である。
地球の何処でも松下電器とベスタクスが溝を刻み音楽を鳴らし続けていた。
はてなのココロ社氏が昔書いているが、https://kokorosha.hatenablog.com/entry/20071121/p1 ずっとクラブを支えていたレコードの時代は2010年頃には終わってしまう。
それにはネット配信の伸張が大きかった。元々クラブ音楽は大変市場が小さい。またネット配信は中間コストが媒体マージンだけなのでインディーズに特に向く。そこでクラブ音楽もネットが中心になっていった。
更に使いにくいCDJじゃなくてファイルをそのまま突っ込んで演奏できるデジタルDJ商品の使い勝手が良く、レコード市場が急速にシュリンク、SL-1200も終売、これだけで持っていたに等しいテクニクスブランドも消えてしまった。ベスタックスの方は2013年に倒産しており、レコードの時代は終わった。
…と思うじゃない?
だが2014年頃になるとネット配信に押されてCD市場の方も急速に収斂してしまう。
一方で、クラブ音楽はやっぱレコードの方がカッコいいよなぁという人が増えて行く。
またYoutubeのライブなどでCDプレイを披露する人も増え、デジタルDJよりも難しいが見た目がカッコいいレコードDJへの憧れも高くなっていった。
それでSL-1200の中古の価格は高騰、美品なら100万円を超えるような事になっていった。程度普通の中古でも60万程度した。
そんな中で松下のテクニクスチームが再結成、SL-1200が2016年にまさかの復活を遂げたのである。
今は丁度生産の谷間のようで価格が安定しないが、新品で約12万円程度となっている。
またこのレコードブームに呼応してパイオニアからも5万円程度の入門用ターンテーブルも販売され、活気がある市場となっている。
このブームを支えているのはまた日本の音響メーカーという訳だ。
因みにレコードはLP(アルバム)で4000円くらいとなっている。普通のCDアルバムが3000円なのにぼったくり価格である。
以前のレコードと違うのは、90年代のレコードは12インチシングルばかりでLPは無かったが、今のはLPが中心という事である。
そういう事で、オーディオマニア達の見えないところでずっとテクニクスのダイレクトドライブは現役だったし今も現役なのだ。
レコードは古いんじゃなくてずっと新しくて、今もまた新しいままなんである。
人がヤミ(闇?病み?)のようだ!
なぜ欲しいかと聞かれれば答えられない。
でも欲しいんだ。
フォロワーの中に「大森靖子にフォローされています」って表記がある奴がいる。
アイツらをぶっ殺したい。
ぶっ殺した上でフォロバを勝ち取りたいんだ。
昔から、大森靖子から認知を受けるのは人生にとっての憧れそのものだった。
だって考えて欲しい。
あんな人に認知を貰うことそのものが「病んでいる」という認定であり、「こいつは病み界の女王から認知を得た伝説の病み人」という称号なのだ。
この記事を読んでいる人は「ノスタルジックj-pop」を、「ミッドナイト青春異性交遊」を聞いたことがあるか?
あそこまで見知らぬ「誰か」を語った歌は今まで聴いたことなかった。
それも「誰か」はきっと身近にいるはずなんだよ。
俺の友人とか親とかそこら辺の周りにきっと「誰か」はいる。
でも決して俺じゃない。
そんな歌を歌える彼女に認知を受けない自分の価値なんて、たかが知れてるんだ。
ただ、それだけなんだ。
愛している、けれど彼女が死んでも痛くない。それが大森靖子という存在だ。
誰かの代弁者で、この歌を聴いている「誰か」は決して自分のことだと認めない。
愛しているからこそ愛していない。拒絶したい。けれど、ブロックはできない。だって、誰かの事を歌う歌は聞きたいから。
頼むから殺してくれよ。こんな自分を。大森靖子からフォロバされないただの病み垢の駄弁を。
でもそんなことが出来ないって知ってるんだ。
こんな駄文を読んでる君へ。俺以上の苦しみを語らないでくれ。
Twitterで「リスカした!」とか言ってるJKを馬鹿にして生きていこう。
Twitterで「病み垢」とか言ってるゴミを心の中で殺して生きていこうや。
いいじゃないか。この世で病んでいるのは自分自身だけで、大森靖子は誰かの「病み」を代弁しているだけで。
それだけ信じて生きていこうや。