はてなキーワード: 甲斐とは
新年度が始まってTwitterのトレンドに「適応障害」が入っていたので、なんとなく思い出して書いてみることにした。
ちょうど1年前の今頃に適応障害を発症して、新卒から10年以上勤めていた会社を休職した。
詳しい経緯は以下に書いている。
休職自体は半年くらいで、その間に別の会社へ転職し、今は服薬も通院もせず、夜もちゃんと眠れている。
それでも以前の自分とは違う感覚があって、もうあの頃のようには戻れないんだろうなという気持ちがある。
このコロナで、今でも完全リモートワークをしているし、友人にもたまにしか会わない状況なのでそのせいなのかもしれないが、発症前の自分が元気100%だったとしたら、今は常に60%くらいの感じ。
何かを見て楽しいとかそういうポジティブな方向に感情が振れにくくなった。
週末は必ず予定を入れていて、人に会わなくても精力的に活動していたのに、今は土日のどっちかは家で休まないと気力が持たない。(単に年齢的な体力の衰えかもしれないが)
以前は向上心の塊みたいな人間で、いつも何かしらの勉強をしていたし、目標を持って仕事に邁進していた。
今はこれ以上踏み込むとまた病気になりそうという気持ちがあって、意識的にセーブしてしまう。
仕事でここを頑張れば次のステップに進めるとか、そういう前向きな気持ちみたいなものが湧かなくなってきて、ただただ疲れない程度に目の前の仕事をこなそうという姿勢になった。
体に良い食事を自炊する気力もないので、外食やデリバリーで脂っこいものばかり食べている。
世の中の頑張っている人たちのブログ(努力の甲斐あって海外大学院に進学しました!とかGAFAを退職してスタートアップに転職します!)とか読んではモチベーションを上げていたのに今は辛くて読めない。もう自分はこんなふうに頑張れないと思ってしまう。
もう仕事中に泣いたり、耐えられなくなって家の壁を殴ったりはしないが、不意に思い出して暗い気持ちにはなる。
もう少し時間が経てば良くなるのかもしれないが、一年後(通院をやめてから半年)はこんな感じだ。
また半年後くらいに書こうと思う。
「日本は大学”院”卒女性の収入が高卒男性と同じというグラフ見たことあるので「実家の太さが物を言う社会に見せかけて実家の太さをもってしても超えられないほど性別による階層分けが固い」という印象」
……って突っ込みどころが多すぎない?
大学"院"卒女性の夫なら、大抵は同レベルかそれ以上の大学"院"卒だろうし収入は多いから生活は安定してるでしょ。
で、その夫の金で生活を保障されながら優雅な専業主婦してたり遣り甲斐のあるクリエイター家業をしていたり、金にならない趣味の研究してたりするんでしょ?
一方高卒男性は結婚出来ないか、出来ていても妻の収入はそれ以下だろうから世帯収入は大学院卒の女性よりも遥かに低くなるに決まっている。
階層というものって普通は家や家系単位で語るのであって、けして性別で固定化されるものでないだろ。
「階層」という言葉を使わず単に女性差別の話として高卒男性と高卒女性を比べて、同じく底辺でも女性はさらに不利だと語るのならまだ分かるけれど、それを階層という言葉で表すのはおかしい。
アラサーで初めてまともに転職活動して半年フリーターしてようやく正社員内定をもらった
一般的に転職期間3ヶ月超えるともう厳しいらしいから本気で焦っていて金もない上最近吐き気がすごかった
でもメールきた瞬間落ち着いた
今まで正社員という名の薄給将来性なし総合職転勤あり社員寮ありプロジェクト先常駐勤務(要約:派遣)みたいな仕事しかしてこなかったから本社で直接仕事するの初めてで緊張する
諸手続きが紙とかエクセルデータじゃなくてちゃんと会社独自の人事システム運用してて令和って感じがする
テレワーク併用なんて初めてだ 端末もモニターも光回線補助金も支給してもらえるもんなんだ……
テレワークって何を気をつけたらいいんだ?サボらないという気概?
契約書見たらボーナスが前職の2倍で引いた 俺こんなにもらっていいの?怯えたらいいのか喜んだらいいのかわからない
前職は面接というより、未経験OKお話ししましょう!いいんじゃないですかね!って感じで誰でも良さげに受かったところだから、三次面接までやったのもアラサーにして初めてでドえらい緊張した
3次までやっておいて落ちたらどうしようって本気で病みかけた雑魚だが、年齢で恥ずかしがらずに面接前対策とか転職エージェントに頼んでやってもらった甲斐があった
最悪一生派遣って思ってたけどそれはなんか嫌だったから人生変えられそうで嬉しい 運が良かった
なんか気分が新社会人みたいになってきた アマゾンでビジネスマナーの本をぽちったから明日届く
半年間フリーターしてて、ぐちゃぐちゃのシフトに振り回されて金銭的に崖っぷちで親も怖くてろくに眠れず自己肯定感が死に心も荒んで昼夜も逆転してるカスと成り果ててたけど
体力が死んでいるので半年で減った15kgの体重をどうにかすべくできるだけ食べて朝は散歩をする
受かって嬉しかったから調子に乗ってハンバーガー3ヶ月ぶりに食べたら胃がもう受け付けられるコンディションじゃなくて吐いた
悲しい
あとやっぱりアラサーなのにって思うのはやめたほうがいいなと思った
いらんところで自己肯定感を殺すな アイドルマスターを吸って寝ろ
入社まで勉強くらいしかすることがないのでおすすめのアニメ教えてください できれば2クール以内で終わる奴
見た後元気になれるアニメや自己肯定感が上がりそうなアニメならなんでもいいです
文章が全体的に浮かれポンチで恥ずかしい
不細工は整形でイケメンになるよりも稼いでお金でモテるほうが「正しい」みたいな。
怖い という意見があるけど手術が怖いとかじゃなくて、どういう顔が良いのか?という正解が見えなさすぎて決断できない。
女性は時期によって流行りの顔というのがあって「○○みたいな顔にしてください」って整形のリクエストがあるらしい。
あと単純に顔を変えればモテるとか人生変わるとか思う男が少ない。
子供の頃から容姿ももちろんそうだし、スポーツで目立つとか知性で頼りになるとかトーク力で笑わせてくれるとか色んな面で順位付けされてきてるので
自分は全男子の中でこのくらいの順位 という自覚があって「金使って顔変えてもそんなに男の順位上がらなくね?」って考えて得する状況が想像できない
そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続の社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性は財産の相続権がないわけだから。
んで、この社会は「男子優遇社会」なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子は相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり「男子優遇社会」の中で相対的に弱者だった。これが前近代の封建社会における弱者男性だよ。
上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代の自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性の人権なんざ薄っぺらい封建主義から人道人権が重要な近代主義に移行する仮定で、女性を尊重するに当たっての「物語」として男性は女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。
でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的なものだから仕方ない。
「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐性なのだ」みたいな価値観。日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画にだってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。
しかし、前述したように封建的だった時代から男性は女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会の優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化が要請された。
時代が進み現代になっても、この文化はあちこちに根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。
現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎の家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会は個人主義自由主義の社会だ。
にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性がその男性の能力や財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから、弱者搾取ではないか? これが現代の弱者男性でしょ。
別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。
大好きな祖父がコロナで亡くなったが亡くなる前にやたら気になることを常に聞いてきていた
それは主に同性愛関連についてだ、もう80になる祖父がいきなりそっちに目覚めるわけもないだろうし
コロナが最も少ない地域に一人で住んで一人が大好きで釣りと農業と風呂好き、一人でできる構築系趣味の祖父が感染したのもおかしいと思い祖父の家片付けついでになんとはなしに調べてみた
祖父の日記というか主に気になった事やるべき事について書かれているノートにはやはりコロナ直前から同性愛について記していた
「最近の若い男の子は皆同性にしか興味がないのか」「ハッテン場?って場所はいきなり指定されるのか」「彼らは4人とかで関係を持つのか、喧嘩にならないのか、病気にならないのか、若くてわからないのか、可哀想に」等々
コロナも怖いので早朝や深夜に入浴時間や場所をずらしていたがそこで常に疑惑の人達に遭遇し続け奇妙だと常に書いていた
なんてことはない、現在日本中で問題化している「 ドラクエ男子 」だ
彼らは常に群れで行動し風呂場からサウナから水風呂からみんな一緒でパーティを組みコロナ化であろうと常時喋り続ける、それはコロナ以前から黙浴となっていたサウナ室でもだ
いきなりジジババしかいない場所に体を洗うことから風呂に入る、サウナから水風呂外気浴まで全部一緒の行動をする顔ぶれの違う男の子たちが出現したのだ、それはサウナブームを知らない祖父の目には奇異に映っただろう
そしてサウナ等で整う?ために自分のペースで行動するはずの場所で自分のペース関係なしに集団で行動する理解できない矛盾に祖父は県の施設全体が同性愛の触れ合いの場になったと結論付けたのだ
そして大量のドラクエ男子たちにエンカウントしたと亡くなる直前の日記に書いていたのでそこで感染したのだろう、私が行った時もこんな田舎に?ってくらい沢山いた
余談だけど昔の日記には常に私の事が書いてあり愛犬が死に泣いてる私を慰めようと愛犬の首輪をつけ犬の真似をして登場した祖父に私が怒り口をきいて貰えなくなったとか
タコピ―ばりに虐められ誰にも言えず親すら気が付かない虐められた私に気が付き学校に乗り込んだ話を見つけて私は年甲斐もなく大いに泣いた。
そして都内に帰った私はコロナ以前は触れ合いの場であった大衆浴場という施設を色々と巡り彼らと話をしてみた、総数200組ぐらいかな?錦糸町の若い子達は墨が怖くて話せなかった、サ道でとりあげられた施設は特にドラクエ男子が多かった
そこでわかったのは彼らはそれを悪い事だと認識していなかった、いや認識しているのだが居酒屋や公共の場ではきっちりとマンボウなどで駄目と決められ彼らも気を付けているのだが
サウナはそこら辺が異常に緩い、黙浴と紙で貼ってあるだけで店員や常連も注意してこないためなあなあでなんとなくOkなんだという認識だった、注意されたことある子達は少なかった
そしてそこが問題なのだが彼らはコロナできっちり明確におしゃべり駄目!な場所には行かずなんとなくなぁなぁでお喋りOK?なサウナを交流場としてつかっているのだ
サ道の人達も結局お喋りをしているのでこのご時世に皮肉なものだ、そうしてドラクエしてしまうのである
私は結局ととのう感覚が判らずもう行くことをやめたがもしはてなを見てる人でサウナ関係やサウナ好きな人、周りにそういう人がいたら少し問題提起してほしい
彼らは要は注意されないから知らないだけなのだ、悪気はないのだと、有名サイトサウナイキタイではドラクエと書いた時点でBANされる?らしくコロナ化の不幸な抜け穴のような問題だと思う
常連が注意すればよいのか?自粛警察のようになるのも問題だし店員が常に監視?そのような余裕もないだろう
目出度く「ゴルディアン・ノット」作戦こと21世紀型ABCD包囲網の打破を目指すロシアン真珠湾の概要が公表されたので訳す。なお註釈のうち文中のものはすべて英訳者により、数字のものは註釈ではない和訳者のたわごとである。例により和訳者は頭の悪いのと精神病質者が大嫌いだがまあ共産趣味者とかインテリゲンツィヤとかアリストクラットが労働者を"対象"と捉えるのは今に始まったことではないから特に後ろめたく考えてはいない。
第三次世界大戦は始まったようだ; 同僚たちはシャンパンの封を切っている[1] - イラン・米国間の戦争は核合意を阻害しロシア産原油のイラン産原油による置き換え余地を封じる。ホルムズ海峡の避けられぬ封鎖は原油価格をうなぎ上りにする。筆者は[ロシア・イラン間の]一般的には理解不能な合意がある可能性すら信じているが、裏付けるいっさいの事実は持ち合わせていない。
今日はただわれわれ[組織としてのFSBにとって、#WindofChange個別ではなく]の目から見て差し迫ったロシアの"出口"と、クレムリンの"廷臣"について伝えようと思う。(帝政における皇宮について言っている)
これは(実際の摘要の)"複写"ではないがきわめて正確な再話であり、いかように扱ってもかまわず、内容を伏せずに全文を転載してもよい。
この作業はまだ取り掛かったばかりであるので現在はまだ輪郭があるのみで、最終的な報告書は分量があり、詳細で、より堅固になる。今はイラン-米国紛争にかかりきりであるので、筆者はのちより自身の(この新計画に対する)意見をくわえる予定である。『ゴルディアスの結び目』は深く修正・適合される(イランが在イラク米軍基地へミサイルを発射しているため)。
ロシア国民及び軍、ついに反乱を起こしプーチンら首脳部を拘束。
暫定政権は直ちにウクライナと講話。ウクライナ全域から軍を撤退させ、また海外資本関係の大統領令もすべて廃止した。
さらには核兵器完全放棄をはじめとした大々的な軍縮やFSB等の解体、ウクライナ等への多額の賠償を行い、国際社会の信用を得るべく奔走。
その甲斐あってどうにか国際秩序への復帰に成功し、国民生活や経済が再起不能になる事態は防がれる。
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プーチン以下被告らには仮釈放なしの終身刑など重刑が言い渡された。
(国際刑事裁判所の判決に死刑を追加すべしという意見は大きかったが、最終的には却下されることに)
またこれまでの経過を見た中国は台湾他への進出は得られるであろう利益よりリスクやデメリットのほうが遥かに大きいと判断、これを断念。
国内の反発を避けるべく「1つの中国」という主張自体は続けるも、軍縮に乗り出すなど有名無実化させていく。
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撤退等が一通り終了した後、国連の選挙監視団による監視及び助言の元ロシアで真に民主的と言われる選挙が実施される。
またベラルーシにおいても独裁政権が崩壊、ほぼ同時期に民主国家となる。
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数十年後、ウクライナ戦争を主題としたドキュメンタリー映画が制作・公開される。
ちなみにモブの老義勇兵役としてゼレンスキー元大統領が出演していることも話題になった。
PS.都合が良すぎると思うだろ?俺もそう思う
でもこんなくそったれなご時世なんだ、少しくらい夢見たっていいだろ?
僕たちは生まれながらにして不幸だった。
物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化を無責任に押し付けられ、いつも年金の説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。
小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活は不条理に突然破壊されることを知った。
オウム真理教は天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。
学校ではいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子どもも大人も誰も責任を取らずに済んだ。
どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。
いじめ、学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。
ノストラダムスの大予言も二千年問題も世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。
社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験の最前線で僕たちは消費された。
社会の正体に近づくほど、実験の甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たちの理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。
センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑と諦観で、理想からも現実からも逃げているだけだった。
芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実を隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見を雰囲気の良い雑誌で語った。
とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。
いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。
インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的な革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会を実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界を開拓していた。
過去の日本では文学や学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。
けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識。組織化しない雑多なカオスが世代や日陰者の雰囲気をベースとしてただ在った。
東日本大震災のとき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。
ネットから始まる民主化が現実世界にも網目を伸ばし、キレイな情報を伝播させることを夢見ていた。
実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定とカオスたちの団結は思想を形成させなかった。
論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間が責任を背負おうとしなかった。
大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字が自分を騙そうとしているかだけを考えていた。
もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的に芸術の一部分だけに還元された。
僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会に有効なことをしているのだろう。
僕たちは生まれてから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線で嘲笑っている。かつて"カッコイイ大人たち"がしていたように。
拗ねた子どものままで皮肉とセンチメンタルを捏ねくり回している。
最近は「多様性の尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。
だが、それは欺瞞だ。多様性は排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会は多様性をもたらさないものを排除する。
最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。
ただそれよりも深刻なのは、多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会に適応するものだ。そして主張に成功したものだ。
僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である。差別をされたり、大事に築き上げたものが喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。
社会の複雑さへの想像力、ありのままの他者の受容、明確な善への地図が無かった。
今までのシステムは近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。
「ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤーの吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請だけが社会にある。
なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?
今になってようやく哲学や文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。
まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。
某日、職場でそれなりに仲が良くて、好意を持ってる女性からチョコをもらった
「他の人にはあげてないんで、隠してくださいね」と言われて年甲斐もなくドキッとしたし
どう見ても義理チョコだったが「くれる」という行為そのものが嬉しかったので素直にお礼を言って受け取った
特にその手の雑談をした覚えもないので、向こうがわざわざ用意してくれたというのも嬉しかった
そして今日たまたま職場の同僚と飯を食べに行った時に判明したのだが
どうも「他の人にはあげてない」というのは真っ赤な嘘だった
実際は他の同僚には普通(同じ言い回しor特に何も言わず)に渡していたらしく
色々な思いが込み上げてきたが、最終的に残った感情は悲しみだった
すごい好意的に見れば「冴えない男に夢と希望を持たせてあげた女性」なのかもしれないが
そんなしょうもない嘘を吐かなくても、バレンタインなんでどうぞ。の一言だけで嬉しかった。普通に甘い物とかチョコ好きだし
同じ部署に居るので好感度を上げておけば利用しやすいとか、融通を利かせてもらえると打算的な考えもあったのかもしれないが
何にせよ、只々悲しかった。同時に冷めるっていうのはこういうことなんだなと理解した
相手からしたら何の変化もないんだけども、こっちとしてはしつこいようだが悲しかった
その程度の信頼しか得られてないんだな、と思ったし
他愛のない雑談をしていてもどうせ裏があるんだろうなと疑心暗鬼になるのが予測できちゃうのでホント悲しい
キャバ嬢がそういうことするのはサービスの一環だから理解できるけど、まさか一般女性にそれをやられると思わなかったので女性不信になりそう
世の中に不満タラタラ言っといて「子どもほしい」って、自分は生きてて社会に不満抱えてんのにそこで生きることを子どもに強制するってどう自分の中で整合性とってんの?って思うわ。
猫や犬飼うだけでも飼えるだけの経済力あるか?甲斐性はあるか?飼うことで背負うリスクや怪我した場合、怪我させた場合のことも納得してるか?って嫌でも色んなところで言われるのに
人間の子どもは犬猫以下だからなんでも手放しで「おめでとうございま~す!」だもんな。
子どもを人間だと思ってないんだよな。結婚の次の社会的ステータスを得るための道具。
結婚した後の女が社会でかろうじてアイデンティティ保つための道具で老後の無料使い放題の介護福祉士要員でしかないんだよ。
子どももうける前に一度でも自分は「親(あるいは保護者)」という役割にふさわしい人間かって考えないのかな。
あ、さすがに考えてるんだよな、自分は親として子ども育てるに値する人間だって自信があるから産んで育ててるんだよな、すごい自己肯定感高くて素晴らしいな~!
しかも理解ある彼くん・夫くんの多くはふとした拍子に正気に戻るor共倒れになるまでは
理解ある彼女ちゃん・妻ちゃんは夜職以外の経済力は期待出来ない
男に媚びへつらって養って貰おうとか自尊心を満たそうとか身の毛もよだつ話
単純な事実として人工子宮が宗教で許されるまではすべての人間は女から出てくるのである
そして人権があるので『はい出産ご苦労様ボッシュート』とは出来ねぇのである
ともなれば女性の自立というのはすべての人間にとって自分ごとの話のはずである