はてなキーワード: 無意識とは
先週のことだ。
知り合ったのは3年ほど前。
趣味で通っていたライブハウスでわたしたちは出会い、半年ほどの彼からの猛烈なアプローチにわたしが半ば折れるような形で交際を始めた。
現在もう20代も半ばのわたし自身が中学生の頃に不登校を経験してからずっと心療内科にかかっていることもあって、人を信じるということに対するハードルが上がっていた。そして自分に恋愛なんて向いていないと思っていて今まで避けてきていたし、ましてや趣味で知り合った人を異性として見るなんて以ての外だと思っていた。
それでも半年もわたしがまともに相手をしなかったのに熱心にアプローチを続けてきたこと、忙しいはずなのに時間や労力を割いてでもわたしのような存在に費やしてくれたことを考えたら、この人のことは信じたいと思うようになった。
気がついたら2日に1回は会うようになっていたし、結婚を前提に同棲をしたいと頻繁に迫られるようになった。育った環境から結婚というものにあまりいいイメージがないだけに、「それは将来的に実現させられるといいね」と流していたけれど。
別れの原因になったのは他でもないモラハラだった。
彼はわたしより4歳年上で、どこか自分に自信がない様子を醸す人だった。
そのため自分以外の人間を必要以上に見下し、必死に優位に立つことでプライドを保っていたのだと思う。そのため共通の知人のことはもちろん、自分の思い通りにならなかった際はわたしのことをも必要以上にこき下ろしてきた。わたしが軽度の自閉症スペクトラムであることを説明した際に「幸せにしたい」と言ったのなんて真っ赤な嘘だったんじゃないかと思うぐらい、障害者蔑視とみられる発言も多かった。
自分の思い通りにいかないようならすぐに日本語が通じない、理解能力がないと言われる。確かにわたしはIQに偏りがあるし定型発達の人たちと比較すると頭の回転が早くはないと思う。しかし自慢ではないが論理力だけは平均値を大幅に上回っているし、幼少期から友達が少なかったこともあって活字が友達だと言っても過言ではない。それでも、彼が書いた文章がどんなに読みにくくて分かりにくい表現をしていても思っていることが伝わらないのはわたしの理解能力がないだけだという見解をされる日々が続いていた。そんなこと人生で一度も言われたことのない言葉であっただけに、それをどんどん気にするようになった。
そして隙があれば重箱の隅をつつくような感じで粗捜しされ、自分が取った行動であろうがわたしを責める。直接話していても、LINEでも、乾いた笑いが何度出たことかわからない。彼は必死に自分を正当化し、わたしに責任転嫁をすることでしか自分自身を認められなかった人なのだろうとすら思うまでである。ちなみに、この逆の行動をわたしが取ると激怒するのは言うまでもない。
おかげでどこかへ行こうと言っても心の底から楽しめなくなったし、気がついたら彼と一緒にいる時に大量の蕁麻疹が出るようになっていた。
しかしながら二度としないと言った約束は何度も何度も同じ形で繰り返された。それもすべて、わたしが知ったら傷つくような形で。三度目の正直、仏の顔も三度まで、と伝えてももちろん4度目があった。何なら2度目以降は持病の喘息の発作を引き起こすようになっていた。
そこまで約束をするほどに嫌がっていたことは、わたしが知らないと思って複数の女の子(しかもそのうちひとりは共通の知人である)にSNSで口説くことだった。この人にとっての「好き」の気持ちは、こんなにも薄っぺらくて誰にでも言えるものなんだ。そう思うと嫉妬なんていう気持ちは一切なくて、気がついたらバカバカしくなったことも正直数え切れない。どんどん自分への自信を喪失していったし、自分が彼を満足させられるような相手ではないからだろうと完全な自己嫌悪に陥った。今になって改めて思えば、カサンドラ症候群の気があったようにも感じる。
口説かれていた相手の女の子(先述の共通の知り合い)が彼の言動を嫌がっていた様子を含め証拠のスクショをもらい、それを突きつけても言い訳しか返ってこない。そして挙句の果てには「お前の言い方が悪い」「日本語の理解能力がない」「お前が嫉妬してくれないから遊び半分でやった」と感情的に何度も繰り返される。それでも彼にとっては冷静さを保っているつもりだったようで「感情的になって声を荒らげられるのは苦手だ」と何度伝えても続いた。
思えば揉めごとが起きる度に気がついたらなぜかわたしが泣いていたし、気がついたらなぜか彼に諭されていた。冷静に考えるとわけがわからない。時に彼の言葉はナイフのようで、身体的な危害を加えられないDVか何かのようだと感じた。
最終的にわたしが別れを告げた先週までは、前回揉めたことが共通の知り合いへの浮気だったというのもありまさに関係を修復している段階であった。
さすがに100%、とは言い切れなかったが、少しずつでも着実に前に進めていると思っていた。でもそう思っていたのは自分だけで、彼に一方的に期待をしていただけだったことに気がついた。
自分自身が心療内科に通っていることもあり精神疾患について勉強する機会も多々あったために彼はきっと自己愛性人格障害なのだから仕方ないと妥協していたが、それでも我慢の限界は来ていた。
前回喧嘩をした時に関係を戻したい、どうしても他の相手ではだめだと言って許しを乞うた人が関係を修復している真っ最中に同じことを繰り返せるのか、どんな理由があっても行動として出ている以上は簡単に欲に負けてしまえる程度の約束と相手だったということが示されたようなものである。幸せにしたい、大切にするという言葉は何だったのだろうか。
それでいて感情的に逆上される。喘息の発作が出るほどのトラウマがあってもう会いたくないとまで言っても、なぜかわたしの意見はわがままとして捉えられ1日でも早く話がしたいと執拗に責められる。挙句の果てには過去の自分の行動を恩を着せるかのように言われた。取った行動が約束を守っていない以上どこにも説得力なんてないし、何ならすべてが思い出話でしかないというのに。
そしてわたしは、別れを切り出した。
もう会いたいと思えない旨とさようならを告げ、LINEもTwitterもブロックした。
趣味がきっかけで知り合ったこともあり、共通の知人が多かったために特に親しい人たちやわたしたちの関係を知っている人たちにはすべて事情を説明し、わたしについて何か聞かれても何も答えないようにしてほしいと連絡して回った。
それでも彼はTwitterで捨て垢を作って執拗に連絡を続けてきた。それも何度も。
中にはリベンジポルノを仄めかすような脅しの文章もあった。晒されても困るような写真は幸い撮っていないが、プライバシーの侵害や脅迫という概念が抜け落ちている人なんだなと思った。まあそうでもなければモラハラなんて日常的に起こらないわけだが。
あまりにも何度も何度もブロックしても連絡が来るため、「何度も二度と会いたくないと伝えているし、これ以上関わるなら然るべき措置を取ります」と返した。ここで一段落ついた。
と思ったのが、間違いだった。
唯一フレンドになっていたソシャゲの公開チャットに、その返信が送られてきていた。頭が真っ白になった。時間を置くとは言っていてもこの期に及んでまだ執拗に会って話がしたいという文章にも、ソシャゲの公開チャットなんて不特定多数が閲覧できるのにそんなことが書かれていたことにも、理解にしばらくの時間を費やしたことは言うまでもない。
その後、案の定共通の知人のもとには彼がわたしについて聞く内容の連絡が次々と来ていた。事情は知っているからもう諦めるべきだとアドバイスする人、返信を送らない人。ありがたいことに、わたしはその人たちに守られた。
そのうちのひとりが事情を知らない前提で話を聞き出したところ、「どうしても会って話をして、何とかして説得したい。それで直接話をしても駄目なら諦める」と返信が来たそうだ。何度ももう会いたくないと伝えているはずなのに。
理解能力がない、日本語が通じないなどと散々罵っていた相手であるわたしの書いた文章を理解できていないのは他でもない彼だった。わたしは自分が書いた文章がアラビア語やタイ語などの専門的な知識がないと読めない言語や何かだったのか確認したが、デフォルトの日本語を使っていた。
彼と会わなくなって1週間。
日々の悩みだった蕁麻疹が出なくなった。
そして、自分自身が無意識に心身をすり減らしながらも生きることを自分なりに、必死に頑張っていたと気がついた。
彼はというと共通の知人いわくSNSで失恋ソングの歌詞や病んでいることを匂わせる投稿を連日しているようだが、わたしの知ったこっちゃない。
別れても寂しくない恋が存在するんだと思った。
既に前を向けている。
そして、少しでもわたしと同じ境遇に立っている人が、少しでもいなくなってほしいという気持ちがいちばんに強くなった。
きっと、モラハラを受けていた時よりもちょっとだけ強くなれたんだと思う。
この件で連日眠れない夜を過ごしたり、物理的な胸の痛みを感じたり、拒食気味になってきたりもしているので、そろそろ警察へ相談に行くか悩んでいる。しかし幸いにもこちらの住所(実家暮らしで友達を容易に呼べる環境ではないことにこれほど安堵したことはない)や自宅の電話番号、仕事先といったものは知られていないために、警察へ相談するのも次に何かしらのアクションが起きてからでないとさすがに彼の今後の人生に影響が出てしまうのではないかと思う。さすがにわたしのせいで彼の将来が暗いものとなっても、わたしには責任が取れるものではない。それに何より、別に人生をめちゃくちゃにしてやろうとは思わない。気力がもうない。
それほどまでに、もう関わりたくないのだ。
匿名で流れる痴漢対策を性消費材料にしないとならないほど、性的な貧困状態にある。
一か月の単位で困窮するほど、自力で探す能力に欠けた情報弱者か…
—— まあ、まさかそこまでではないだろうが、振りかざすために振り絞ったウソがこんなにも惨めなのは…
性的な支配欲でアタマが支配されていて、まるで大脳新皮質がほぼほぼ萎びてしまったくらいに理性が縮退してるからかしらん。
こんな、はたで見てる人の失笑を誘うようなウソをついてまで「痴漢がここにもいるよ」と誇示したい、見苦しいこの男の動機はなんなんだ? 身内か、尊敬してる誰かも痴漢なのか。あるいは振られた経験が無意識レベルで効き過ぎて、女なら誰にでもすがりたいとかか。
まず、あらゆる先験的な価値判断は偏見であり、反対すべきだ、という主張がポリティカル・コレクトネスであるというのは全くの間違い。
そのような相対主義的な発想はポリティカル・コレクトネスの主張とはむしろ真逆。
「間違った」先験的な価値判断だけが忌避されるべき偏見である。
「正しい」先験的な価値判断は大衆の啓蒙とアップデートを促すために推奨される。物語の構造だけでなく描写にも埋め込まれる必要がある。
「中立な描写」をしようとすれば、表現者および鑑賞者に埋め込まれた無意識のバイアスによって
だからこそ、「正しい」方向に逆のバイアスをかけておくことがポリティカル・コレクトネスなのである。
「○○くんって変わってるよね」
「○○くんって意外とサイコパスなとこあるよね」
友達からそう言われた時、正直僕は少しショックを受けた。なぜなら自分の中では自分は結構まともな人間だと思っていたからだ。
僕にその言葉を投げかけてきた友達が言うには、過去のほんの一瞬の出来事や発言を持ち出して、「これはやばい」「普通こんなこと言わない」と思って言ったことらしい。
たしかに今思い返せばやばかったかもなと自分でも思う面もある。
ただ、もともとその人は物事をほんの少し大袈裟に話したり、周りの人の発言とかを軽くいじったりする人だったし、過去の出来事の1つに過ぎないと思い、冒頭のことを言われた時はちょっとびっくりしたが「また適当なこと言ってるな」というような感じで真に受けないようにしていた。
しかし、ある時自分の過去の発言や行動を思い返した時に過去の自分は無意識に誰かを傷つけたり、不快にさせてしまっていたのではないかということに気づいた。
求められてもいない正論を言ったり、
神経を逆撫でするようなことを言ったり、
皮肉なことを言ったり、
相手を突き放すことを平気で言ったり、
裏切ったり嘘をついたり、
気を引きたくて変なことを言ったり、
それは思い返すとキリがないほどだった。
冒頭の友人がそこまで分かっていてあの言葉を僕に言ってきたわけではないと思うが、幸か不幸か友人のおかげで自分の犯してきたこと、自分のやばさに気づくことができた。
それ以来僕はできるだけ余計なことを喋らないことを意識するようになった。口を開けばまた知らず知らずのうちに誰かを傷つけたり自分を追い込むことになると思ったから、自分の思考回路にメスを入れるよりも簡単で確実な改善策だと思ったからだ。
誰かと話す機会があっても、当たり障りのない受けごたえをしたり、自分の話はしないようにし、否定的な表現やネガティブな発言は極力避けるように徹底した。もうこれ以上不快な思いをする人を増やしたくなかったから。
こうして僕は無口で害のない人間へと近づいていった。
まともに会話ができなくなっていた。
できないは言い過ぎかもしれないが、以前に比べて会話が弾まなくなった。
仕事や日常生活に重大な支障が出るほどというわけではないが、業務中に自分の考えをさっとまとめて話す必要がある時や、ミーティングや面談などで自分の意見や発言を求められたり、質問された時に全然言葉が出てこなくなっていた。
友人との雑談も毒づくことも減った代わりに機転の利いた発言も前にも増して減ってしまった、沈黙も増えたような気がする。
沈黙は金、雄弁は銀などと言った言葉もあるが、どこか味気ないような気もする。
できるだけ話さないようにしてきたのだから、語彙力や思考力が低下するのは後になって考えてみれば当然と言えば当然なのだが、誰も傷つけたくないという思いは、誰にも何も伝えられないという姿になって自分の首を絞めることになってしまった。
職場の若い娘に恋をしていた。彼女は私の子どもであってもおかしくない年齢で、初めのうちは、自分も若い頃に子どもを作っていたら、今頃はこんな娘がいたかもしれない、などと考え、自分の娘のような感覚で可愛いと思っていた。
しかし油断しているうちに、いつの間にかそれが恋愛感情へとすり替わり、妄想や嫉妬を生むほどには重症化していた。いわばガチ恋である。
とはいえ、やはり年齢差と、妻子持ちという自分の立場が最後の砦となって、具体的な行動には至らずに済んでいた。ただ、距離を縮めたいという思いあまって、彼女が私のことを多少うざいおっさんだと思っていたかもしれない可能性は否定しきれない。もちろん、彼女がそんなそぶりを見せたことはないのだが。
そういうわけで、ここ1年ほどの間、私は独りよがりな妄想恋愛を楽しんでいたのだった。
ところが、である。ある日、本当に突然、その恋愛感情が失われていることに気づいたのだ。仕事中、何気なく彼女のことを思い出した時のことである。普段であれば、恋愛感情のワクワク、ドキドキ、可愛い、愛しい、というような感覚が伴うところなのだが、そういった感覚が全く湧き起らないのだ。
逆に、これ以上近づいてはならない、という感覚、彼女に対する警戒心のようなものが、ほんの少し垣間見えたのである。私は戸惑いを禁じえなかった。
その日までに、彼女が私に対して冷たい態度を取ったり、無視したりしたわけではない。私と彼女の間に、全く何の問題もなかったのである。問題が生じるほど距離が近くなかったとも言える。同じ職場内といっても、担当する業務が全く別であったため、それほど密な接点はなかったのだ。私は彼女の一挙手一投足に振り回されることもなく、勝手に妄想恋愛を楽しんでいれば、それで何の問題もなかったのである。
にも拘わらず、全く突然に、私の恋愛感情は失われてしまった。原因もわからない。彼女が私をどう思っているかは知りようがないし、私が彼女に対して冷めるような要因も思い当たらない。
私は、失われた恋愛感情が戻ってくるかもしれないと考え、たびたび彼女のイメージを思い描いてみた。しかし、見えない壁に阻まれるように、あるいは何らかのリミッターが作動するように、かすかな苦しみと共にその試みは失敗に終わった。
現実には始まってもいない恋愛が、このような形で終わることは初めての体験だった。唐突な終焉を迎えたことに対する喪失感のようなものはあるが、通常の失恋にあるような傷や苦痛はない。まるで夢から醒めたように、あるいは憑き物が落ちたように、あっさりと消えてしまったのである。
この失恋とも呼べないような失恋から、およそ1カ月が過ぎたが、彼女への想いは復活の兆しを見せない。同時に私は、もう復活はしないだろうとわかっているような気さえするのだ。二度とあの恋愛感情を取り戻すことはできない。そしてそのことに何の痛痒も感じないことに、私自身が少々失望しているのだが、それも表面的な倫理観のざわめきでしかなく、本心では何も感じていない。
若い頃の失恋とは、無謀に立ち向かい、起き上がれなくなるまでズタボロになることだった。結婚し、子を育て、歳を重ねた今、こんな失恋の形もあるのだと初めて知った。いや、本当のところはこれが失恋と呼べるものなのかどうかも怪しい。私は何が起こったのか全く理解できていないからだ。
私のあずかり知らぬところで、何かがあったのだろうとしか言えない。私の無意識層で、何らかの危機を察知したのか、単に飽きただけなのか、妄想に疲れたのか。あるいはまた、オカルト的な解釈をすれば、私の生霊が彼女に憑りついて、それを彼女が何らかの方法で祓ったのかもしれない。
いろいろ考えてみるのも面白いが、終わったことは終わったことだ。私に言えるのはただひとつ「こんなこともあるんだなぁ」ということだけである。
個人的にワーキングメモリーを鍛えるのに役立ったなと感じた事を挙げる。
自分も増田の言及している人物と似たようなレベルだったが、これらを続けて別人レベルに改善されたと思う。
まだまだこういった情報は世の中に普及してないので、知らずにもったいない人生を送っている人がたくさんいるだろう。
これはマジで効く。騙されたと思ってこんまりの本を読んでから思いっきり断捨離してほしい。
(なぜ先にこんまりの本を読むかというと、物が多いやつが自分のそれまでの考え方を引き継いで断捨離したところで捨てられないままだからだ。外部からマインドに介入する必要がある)
物の多さに専有されてた脳内メモリーが解放されかなり頭がスッキリする。
何があるか、どの場所にあるか、いくつあるか、普段は意識してなくても無意識に脳が使われていた諸々の情報が一気にクリアされるのだから当然だ。
ADHDだから物に溢れるのではなく、物にあふれているからADHD傾向が高まるという側面も大いにあると思っている。
我々の脳は以前として原始のままで、現代に適応しきれていない。だから原始脳ベースで考える必要がある。
次の食べ物にいつありつけるかわからない時代の原始のままの脳は、食べ物を見ると自動的に脳の報酬系にスイッチを入れ食べたくなる。
我々は原始脳の「自動的に行われること」から逃れられない。ならばそれは環境でコントロールするしかない。
物が雑然と溢れている状態は敵がどこに隠れているかわからないような状態だ。
常に無意識的に周囲の状況を把握し気を配りマルチタスクが行われている。
物が多いとそれだけで注意散漫になるのだ。(※1)
(※1 参考1・https://wired.jp/2016/04/22/clutter-and-creativity/ )
(※1 参考2・https://studyhacker.net/what-is-dmn)
これだけでかなり効果がある
これも効く。脳の灰白質が物理的に増加するので効くに決まっている。
ただしこちらは即効性はない。根気よく続けることで徐々に効いていく。
最初は1分やるだけでも落ち着いていられないが、徐々に長い時間できるようになる。
20分以上が良いと言われているが、忙しさとの兼ね合いもあるので自分は毎日10分やるようにしている。
先延ばしにしている事があると、常に脳の中にその出来事がキープされていて、マルチタスクをしてるのと同じ状態になる。
これはワーキングメモリーを圧迫する一因となる。
これを処理するだけでもかなりワーキングメモリーが解放される。
郵便物や書類、未処理のまま溜まってませんか?こいつらの有害性はすごいよ
すぐ処理するか、いらん書類は捨てよう。経費と関係ないレシートとっててもWM圧迫するだけで意味ないよ?(かつての自分へ)
心配事や先延ばしにしていること、何でもいいので頭の中でわちゃわちゃしている事を一旦紙に書き出そう。
脳内だけで処理していたものを外部に書き出すことで、頭の中のごちゃごちゃが鮮明になりスッキリする。
厳密なやり方にこだわる必要はない。とにかく書き出して「全部見えるように」する。
とにかく選択肢を減らす事。
数十円のお得のためにワーキングメモリーを台無しにするのはもっと大きな損失を被っている。小を捨て大に就こう
あとこれは自分は試してないけど「Nバック課題」ってのが効くという噂→https://yuchrszk.blogspot.com/2016/11/2016_30.html
ちなみに自分はここに書いた情報の大部分をDaiGoやパレオな男さんから仕入れていたので、人間的弱者こそ侮らずに両名やその他エビデンスベースの人生指南に頼るといいだろう
ということでオススメの書籍も紹介しておく。どれもエビデンスベースの本なので人間の性質への理解が深まり、改善のヒントになるはずだ。
興味があったらぜひ読んでみてほしい
脳の神経可塑性、つまり脳は後天的な訓練で変えられるぞ!という内容が書いてある
脳には神経可塑性があるという事を知ってると知らずとでは、行動やモチベーションに大きな変容がある。
これを知らないと、どうせ何をやっても変わらない、何の意味もないと投げやりな人間になってしまいがちだ。
自分をマシにするモチベーションのためにも読んでおくと役に立つ。
等々
どちらも自己コントロールをするエネルギーの源泉(意志力)について。
前者は平易な文章、後者はやや権威的な文章で書いてある。ちなみに意志力の提唱者は後者。
第6章から「ADHDも運動で改善できるぞ!」って事が30ページを割いて書いてある。
俗なタイトルからは脳筋な内容しか連想されないがきちんと科学的なエビデンスベースの本である。
等々
一部抜粋
ドーパミンとノルアドレナリンが注意システムの調整において主導的な役割を果たしていることを考えると、ごく大まかな説明ではあるが、運動によってADHDの症状が緩和されるのはこの2つの神経伝達物質が増えるためだと言える。それも"すぐ増える"のだ。(P200冒頭)
※ちなみにこの本で効果的と示されてるのは筋トレではなくジョギング等の有酸素運動のほうである。
この本に関しては自分が読んだわけではないがブコメで推薦されていた物。
中身の紹介を見てみたが、まさに自分がここに書いた内容が体系的にまとめられていて、とても良さそうだったので薦めておく。
他の4冊はワーキングメモリーそのものに言及した内容ではないので、時間がない人はまずはこの一冊だけで良さげ。
http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/52112063.html
なんか思いの外バズったので、もしかしたらこういう情報が需要があるかもしれないので書いておく。
自分はこの増田を、かつての自分みたいな人を助けたい、役立ちたいと思って書いたので、もしこの記事を紹介、転載したいというメディアの方がいたらどうぞ無許可で広めてくださって結構です。フル引用も可です。
「ここに書いてあることを習慣化できたら苦労してないんだよ!」という人にオススメの書籍
脳は急激な変化を拒むがグラデーションのような連続的な変化には気付きづらい。
その脳の特性を理解し、自分の脳を騙して脳が気付かないくらいの小さな変化から習慣化していこうというアプローチの本だ。
自分の例でいえば、最初は瞑想を1分から始め、徐々に強度をあげていった。
挫折するのは気張るから。本当にバカバカしいくらいに意識の低い「しょぼい習慣」から始めよう。
歯磨きやシャワー・お風呂など、日常の中の既に習慣化されている事にフックして習慣化するIf-Thenルール(If-Thenプランニング)もオススメだ。(例・朝のシャワーあがりに瞑想する等)
読みづらい悪文で、感情の表現が下手で、同情する気も起きなかった。
その男はしきりに「俺を見つけて欲しい」と嘆いていたけど、そんな様子だからコメントも一つもついていなかった。
やっぱり、救われるのは文章力と言うか人目を引くだけの才能、素質が必要なんだなって思う。
多分その男のブログを見たのは自分一人なんてことは絶対になくて、少なくとも数十人くらいは読んでるはずだけど、「助けるに値しない」とか「自殺なんてしないだろ」とか思って、なんにも反応しない訳だ。
そういうレスポンスの差、暗黙の認知によって必要とされない、助けるに値しない命と言うのが出来てしまうんだな。
口ではどんなに綺麗事を言うやつでも無意識の選別が起きてるんだと思うとシラケてしまうし、救われたやつの手記を読んでも無意味だと感じる。
結局レースだよ。能力がないからおちこぼれて、誰にも必要とされず、除け者にされて苦しむ。そして苦しんだ先でも苦しみの表現力のレースに乗せられる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/m_nsc/status/1449950761505361920
greenT 人類に元から備わっている欲望を勝手に悪に分類するのがおかしい。しかも存在せず社会的に構築されたものとして扱うなどもってのほか。
z1h4784 id:greenT 殺人もいじめもオタク差別も性暴力も人類に元々備わっている欲望「だから」制限しないといけないんですよ
俺(greenT)のブコメへの反応として正しいのか?ってのが疑問なのと
複数の論点を1つのコメントに盛っていて100文字では対応できなさそうなので
確かに差別も性欲も元から備わっているんだが、id:z1h4784 が列挙したものは社会がうまく構築できれば存在しなくていいものが混じってる
この中で暴力や殺人は人が追いつめられる前に介在できるリソースがあればある程度は防げそうだし
オタク差別なるものはそもそもオタクに何の予備知識や情報を入れていなければ発生しないな?
性欲はそういう性質のものではなく、何も知識を入れなくても個人個人に備わっている欲求だ
自由に生きたいとか衛生的に暮らしたいとかそういう欲求と同列のもの
そういうのをあたかも「社会のあり方によっては存在しなくてよいもの」と取り扱うのは尊厳を損う行為だ
「教えさえしなければ自由なぞ与えなくてもよい」と言ってるのと同じだと思ってもらえばいい
上段で「人類に元から備わっている欲望」を分類したが、俺はこれらを「勝手に悪に分類するな」と言い、id:z1h4784 は「備わっているから制限するべき」と言っている
悪に分類するのと制限するのとでは大きな差があるんでいまいち会話が噛み合ってないが、最善の層を組み取って理解してみよう
人類に元から備わっている性質、以下のように列挙したがそれぞれ「制限すべき状況」があるのは理解できる
だが、「制限すべき」ものは「悪」ではない。上記の中で明確に悪なのはいじめくらいだろう。基本は「欲望自体は尊重されるものだが、社会のリソースに限りがあるのでみんなで制限も受け入れましょうね」というスタンスを取るべき
差別の項目は意見が分かれると思うが、こういう場合俺がよく出すエッジケースは入墨差別だ
入墨を入れたからと言ってそれ自体が何か悪さするわけではないが入墨を入れた人間に悪い人間が多いので一律付き合いが制限されるし、入浴も拒否される。これは個人を見ていない明確な差別だ
しかし入墨の人間に恐怖を感じる感情自体はそこは尊重すべきものだと俺は思っている
しかし制限が本当に容認できない場合、例えば手術も何もできなくても容認すべきとまでは思わない。そういうスタンスだ
場合によっては制限が必要と言っても、今現在受けている性欲の扱いはそれを発露する描写だけで忌避される非常に制限のきついものだ。正直ここまで制限を受けるべきものではない
上段でいじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらすものだからだ
そこが端的に現れるのが夫婦関係だと思うが、「夫にいじめられないと/暴力を受けないと夫婦関係が維持できない」という悩みを持つ夫婦はほぼ見たことないが
「夫に性欲を向けられないと夫婦関係が維持できない」という悩みは古今東西枚挙がないくらい見る
つまり、性欲の問題は「適切な対象には向けられたいが不適切な対象には向けられたくない」という性質から発生するもので
男女の差はそこの対象の適切性が広かったり狭かったりするから発生するものなのだろう
んで、「どの対象が適切なのか」は人によるに決まってるので、他人の適不適に口を出すのが不当なのはここからわかるはず
先程の夫婦生活から言うと隣の旦那に性欲を向けられるのはたまったもんじゃないと思うが隣の旦那が隣の家の妻に性欲を向けたって問題ない
ここまで説明して、やっとブコメの元記事となるツイートの話題に戻るわけだが
日本社会で性暴力や性搾取は許されないっていう合意なんてもう既にあって、むしろ搾取や暴力を伴わない性欲や性行動まで一緒に悪いもの、存在しないものにしようとする理想像の押し付けこそ性虐待だし、性暴力を受けた子供や男性や女性が口を噤むことに繋がっているんじゃないか
という結論が導き出せるはず
そこからid:z1h4784のブコメへの回答としては
→ここが元ツイートの更に大元の話題、共産党の表現規制の話に繋がっている
[おまけ]
思ったより多く反応があったので人気コメントに反応。別に人気コメ以外見てないわけではないのでご容赦ください
saiusaruzzz ド直球で言うと「男は女を犯すことが可能だが、逆はかなり難しい」けど、男はこの前提を認めて話すことが難しく、女性はこの肌感覚ありきで話すので、最初から話がまったく噛み合っていないんじゃないかなと最近思う
非対称性は事実あるし知識は持っているが、肌感覚は持ちようがないので制限のある中で喋ってる意識はある
ただ女の肌感覚も論理的に落としこまれている訳ではないなとは感じていて、
犯し犯される肉体の非対称性の範疇外にも性嫌悪を表出している例がある。ここはきちんと論理的でないことを認識してから議論したい
→好例としては女湯に入る男児の視線を気にする話。当然精通していない年齢だし力で十分勝てる年齢の眼差しにも嫌悪感を抱く発言が多い
俺も女児にちんこガン見されて失礼だなとは思うけどそこは年齢が低いからしかたないと受け入れている
肉体の差だけではない、社会的に構築された性への嫌悪が含まれているように感じる
mahal 性欲自体の問題より、ポルノの規制が「予防戦争」的なものという性質の問題が重い気はするのよね。予防戦争に勝利というゴールは無いから、それにフリーハンドを与えると永久機関で動くゴールポストが出来てしまう
ぶっちゃけ、本文に出した入墨差別についても予防的な防衛意識から出ているものだ
ポルノを好む人間の性逸脱を警戒するのも、もっと踏みこむと加害の意識が証明できもしないのに女性用トイレや風呂から男性を排除するのも、
差別は許容されうる範囲もあるというのが俺の見解だが、昨今の性欲の扱われ方は容認の範囲を越えている
t-oblate 性暴力や性虐待は暴力や虐待が悪いのであって性が悪いわけじゃない、つか暴力や虐待は性がつかなくても悪い、ということを理解してもらうのは結構大変。
そう、大変なんですよね
暴力や虐待は性がつかないものも包括的に社会問題とすべきなんだけど
どうも性にかかわるものは個人の中で嫌悪感が強いのか、分離して議論されやすい
aquatofana 性欲を全て制限すべきとは思わないが、刑法で「一方的に性行為を強要した際、された側が全力で逆らわなければ無罪」なのはむしろ社会の管理が弱い証拠では。性欲が安易に暴力と結びつくのをなんとか止める必要がある
→性犯罪は支配欲から来るという話には繋がっていない。ここは後のコメントにも記載
frothmouth 性欲=性暴力みたいな認識の人たちがいるのな。まずそこからか/性暴力を抑制するためには国家の警察力を高める方向でいくしかなくて、性欲を抑制する方向性は正直無理だと思う。また、教育だけで性犯罪は消えない
はてな内では総論では性欲≠性暴力だっていう合意は取れてても、各論に入るとぐちゃぐちゃになるんだよな
今回の話は共産党の表現の自由規制から発したと認識してるんだけど、創作物であるポルノに対して
それらは加害ではないということを主張したい
NOV1975 ここで殺人を本来欲求ではないって扱うのって、人間と社会におけるバグ的な存在を仮定からすっ飛ばす話で、それで済むなら性犯罪も大抵バグ(一定の度を越すのが)で済みそうではある
平成22年の犯罪白書でデータはやや古いが殺人とその動機の分類のデータが↓9ページに見える
https://www.moj.go.jp/content/000112398.pdf
他4種類の「報復・怨恨、暴力団の勢力争い等、痴情・異性関係トラブル、介護・養育疲れ」を含めたTop5で8割を占めている
憤懣や怨恨、介護疲れなどの動機を見て、本来欲求によって起こったことと思えるだろうか
これらは様々な悪条件が重ならなければ生じなかったものだと思うし、
今の性欲の議論のようにメディアの悪影響などがなければ発生しなかったとも思えない
そういうわけで、今回の俺の議論では社会構築されたものと扱っている
getcha “いじめを明確に悪だと分類したが、性欲はそれとは違って人間関係の維持に良好な影響をもたらす” / 自民支持者のTweetの「あなたの姓になって嬉しいわ。と女性が喜ぶので論理的に夫婦別姓は反対」を思い出した。
そこでもう一歩進みたいのだけど、選択的夫婦別姓は同姓を選ぶ権利も、別姓を選ぶ権利も平等に選ぶ自由があるというのが建前だったはず
同姓を選ぶ人間がメディアに出るのは抑圧だという論調は踏みこみすぎだ。ドラえもんの映画でしずかちゃんが同姓を選んでる描写に反発があったけど、あれは自由から逸脱していてよくない例だと思う
今、性欲の扱いは性欲を発露したいという欲求と発露を見たくない欲求が平等で自由に選べる状況とは思えない
はてなの中には性欲の発露はクローゼットの中のみ許容されて公的な場では出していけないとまで主張する者もいる
greenbuddha138 性暴力の大半は性欲より支配欲が根源じゃないかな ʕ•̫͡•ʕ*̫͡*ʕ•͓͡•ʔ-̫͡-ʕ•̫͡•ʔ*̫͡*ʔ-̫͡-ʔ
性犯罪は加害者の性指向が色濃く反映されすぎてて、支派欲ベースで考えるには分離が困難なように思う
端的に言うと、「とにかく弱い者が困るところを見たい」というのなら、痴漢はひったくり同様もっと老人の被害者が増えてもいい
rirukarinka 純粋な性欲=内心の自由は問題なくて、合意がある場合を除いて、性欲を表明することは推奨されなくていい。/夫の性欲が〜のくだり、男女で非対称がすごい例えだなぁ。その辺りから非物理暴力の匂いしてる
内心の自由を狭く捉えすぎ。心では思っていても他者に表出した瞬間に断罪されるのであれば、それは自由とは言えないと考えてる
「夫の性欲が〜のくだり、男女で非対称がすごい例えだなぁ」
男女の非対称性はあるとは思っている。ここは非対称性は必ずあるものなので、これがない例えを出すのが難しい
どこら辺に暴力性が?乱暴な議論はしたくないので、威圧的な口調などが伝わって言いたいことが言えない状況だったら指摘してほしい
h5dhn9k
h5dhn9k もっとシンプルに。食欲(性欲)を持っている事は自然だ。盗み食い,食い逃げが犯罪の様に、相手の合意が得られない性行動は基本的に全て抑えられるべき。で良いと思うが
このブコメも含め、性欲を食欲・睡眠欲と混ぜて3大欲求などとくくっている例があるが、俺このくくり方は雑であまり議論に資するところ少ないと思う
ぶっちゃけ睡眠欲って欲望か?運動しまくって疲れて休みたい状態を「休息欲がある」なんて言わないはず
レイヤーが違うものをくくっているのでこれで議論は進めづらいが、あえてブコメに乗っかるとすると
ただし食欲を見たす欲求を公的な場で表出しても何も問題ないはず
金銭を支払って食欲を見たす行為が社会の風紀を乱すとも言われてない
ので、性欲は過剰に制限されていることはわかるはず
→ただし性欲は人間関係と密接にかかわっているので、食欲並に何でもありにはできないとは思っている
これはレイヤーの違う3大欲求を似たようなものとしてくくっているためにバグが生じている
===== おまけ =====
z1h4784 こんなに深く考えてくれて嬉しい。あとで返信を書きます。とりあえずオタク差別を入れたのは、はてブで絶対悪として扱われているテーマだからです。単に差別とすると否定的でない人もいるので
元ブコメでは若干喧嘩腰に書いたのに誠実に回答してくれてありがとうございます
返信については必ず目を通します
自分も学生の時筆圧が強くてさんざんからかわれたので、使ってたやつを置いておく。リンクとかうまくいってなかったらごめん。場所借りるね。
あれは確かに芯は確実に折れないが、細い芯に特化したやつなので、筆圧が強い人間はもっと太いものを使うべき。
・「北星鉛筆 大人の鉛筆」 amazonで600円前後くらい
http://www.kitaboshi.co.jp/home/otonanoenpitu.html
なんと2mm芯。芯削りもあるし、書いててめちゃくちゃ太い! って感じにはならない。
シャーペンだから「鉛筆じゃんw」とはからかわれない。からかわれるのしんどいもんな。
柄物もあるから、他人とはまず被らないよ。芯は2B/B/HB。
あとこれ、ちゃんと覚えてはいないけど、鉛筆用のグリップ(プニュグリップの太めのやつ)が入ったはず…
これ使ってたらかなり筆圧落ち着いたから、筆圧に悩む後輩にそのまま譲った。
https://www.pilot.co.jp/products/pen/sharp_pen/sharp_pen/s5/
製図用シャーペン。S5だとグリップがラバー。これの0.7か0.9を増田には薦める。
同じシリーズでS3というのもあるんだけど、筆圧強いとグリップがラバーの方が疲れないから、買ってみるならまずS5から。
0.3からバリエーションがあるやつだから、見た目は完璧にシャーペン。
代替わりしながら今でも0.9が現役。学生時代の時から使ってる。芯はHB固定かな…?
でも安定して書けてるからあんま気にしたことない。Ain入れてる。
この上に挙げた2つのどっちかは2ch(当時)で教わった気がするから、今度は増田に教えるね。
増田の周りでも筆圧に困ってる人いたら教えてあげてね。
太いシャーペン使ってると、マークシート試験の時に早く塗れていいよ。
他にもたくさんあるみたいだから、「シャーペン 0.7」とかでググるといいよ。
今出てきたやつだと、コクヨの「鉛筆シャープ」が本体200円しないし良さそう。使ってみようかな。
https://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/pencilsharp/simple/
・コクヨ キャンパスルーズリーフ 「しっかり書ける」シリーズ
筆圧が濃い人に向けたルーズリーフ。
バリエーションは同メーカーが出してる「さらさら書ける」に劣るけど、AB罫・無地があればまあことたりる。
無地に罫線刷ったっていいんだし。
・硬筆用のソフト下敷き
筆圧濃いと裏のページに字がよく写るでしょ。硬筆用の柔らかい下敷きがあるから、それを挟むといい。
片面ずつソフト/ハードになってるやつもあるから、買って使い心地を確かめるといいよ。ソフトだから絶対に割れない。
我が家では400円するこれが現役。
以上、長文と大量リンク失礼!見づらくてごめんな、増田に幸あれ!
追記:
・シャーペンが壊れるほどだったら、確かにどこかに過剰なストレスがかかってるっていうのはありそう。内部機構シンプルめなやつから試してみて。
・家庭環境が変わったら、ストレス減って確かに筆圧弱くなった。無意識のうちになにか抱えてるものあったりするかも。誰かの前で過剰に緊張してしまう、とか、からかわれるのが嫌だなって思って逆に力入っちゃうとか、意外と原因はそんなもんかもしれない。
昔はそこそこ業界で有名になってチヤホヤされてーなーなんて思ってたし、そうなるようそこそこ頑張ったりもしたけど
そこそこ程度の頑張りじゃ環境の違いや運のなさはカバーしきれなくて、俺もまたそこいらの凡人と同じように、社会に埋没した立派な一般人として社会に組み込まれました。
なので「過ぎたる名声は首輪と変わらん」って言葉にはやっぱり、ちょっとだけ、酸っぱい葡萄が混ざってるしルサンチマンの発露が全く含まれてるのかもしれ無いし、それを否定はでき無い。
否定はしないけど、割と自分自身でも正直に思ってるし、納得いく感じがしているし、正鵠を射ているのでは。
借金玉とかいう人が誰かの言葉をパクって「フォーローの数は自分に向けられた銃口の数」とか言ってたみたいですけど、それに近いかも。てか私も無意識にパクってこの言葉を思いつた感じもします。
他人への影響力が大きくなればなるほど自由から遠ざかるとなると、結果論だけど俺は一般人として社会に埋没できたのは割と幸運だったなと思う。
でも何か生きるのが地味につらい。
家族に対しても本心で接するのが嫌だし、知らない人と話すと「変なこと言ってなかったかな」と気になって夜眠れなくなる。
この間、母がやたら不機嫌にしていたので当たり障りなくご機嫌を取るように接したのだが、いつものことなのに何かがプツンと切れてしまって、一晩中泣いて過ごした。
次の日に「何であんなに不機嫌だったんだ」と抗議したら、「お前が不機嫌だったからだろ」と。ええー、私普通だったけど?何したの?無意識に他人を不愉快にさせてたわけ?
なんかもう、人と接することが嫌になった。普通に振る舞ってても、他人からは「コイツ不機嫌でうざいな」とか思われてたんじゃやってられない。
ネットで調べたら、よく使う駅の近くに口コミの良い精神科があった。
こういうところに行って相談すれば気持ちが楽になるのかなー、と思うけど、逆になんともなくてただの空気読めない性格ブスですと診断されたらと考えると悲しくなる。
たぶん「精神科に行きたい」なんて言ったらまた拗れてめんどくさいことになる。
何か年々母のことが苦手になる。早く就職して家を出たい。
祖母の余命が僅かだと、数日前に連絡があった。
会いたいなら今しかないらしい。
がしかし。
7連勤明けの貴重な休み。
休みの次の日も仕事だから始発で向かっても滞在時間2時間程で帰らないといけない。
最低だな。最低だよ自分は。
ここでいかないと一生後悔することも親族から白い目で見られることも容易に想像がつくけどやっぱりしんどい。
祖母の状態と仕事のストレスも相まってかここ数日寝る前に涙が止まらないし、弱っている祖母を直接見るのは怖いし、でも死ぬ前に会えないのも嫌だし、最低だけど悲しい気持ちは何故か湧いてこないし、でも祖母のこと考えると涙が止まらないし、体はしんどいし、休み明けからまたパワハラ上司と一緒に働かないといけないし、家でそんな上司からされた嫌なことがフラッシュバックして無意識に机殴ってるし、今までそんなことしたことなかったのにしてる自分が怖いし、今自分を取り巻いている全ての出来事がしんどい。
スマホが普及して、芸能人でもなんでもない人のInstagramやtwitterその他ブログ等を見る機会が多くなっている。
これにはiPhoneからAndroidに変えて、ウェブブラウザを変えたこにより、アクセス上位の記事がトップに表示されることも理由の一つかもしれない。
そして世の中的にも、SNSのアカウントを持つことがが当たり前のになっているし、いわゆるバズった一個人の意見や体験記を見る機会はこれからも増え続けるだろう。
カメラロールにもインスタ映えする写真はないし、行列グルメには並ばないし日常にこれといったドラマもない。
過激な主張もなければ、社会問題に鋭く意見し、人の共感を集めることもない。
たまにnoteかなにか書いてみようかな〜と思うけど、大したものは書けないのでやらない。
、、、、こんなふうに考えると自分の社会的影響の小ささがなんだか恥ずかしいであるかのように思えてくる時がある。
フォロワー〇〇人います!!とか、SNSコンサルで起業しました!みたいなやつ、かっこいいよね。
でも、この世に生きているほとんどの人に大したドラマはないし、非日常の連続なんてない。
けれど私は毎日幸せに、自分の人生を自分なりに、楽しんでいると思う。
例えばカメラロールはかわいい我が子の写真で溢れているし、毎日妻が温かいごはんを作ってくれているし(毎日ありがとう)、職場の人もいい人ばかりだ。
あれ、、、
なまじ一般人の影響力が強い時代で、発信力の強い人が目に付きやすい世の中だけに、足元の自分の幸せに気づいてない人が多いんじゃなかろうか。
スマホ画面に映る高嶺の花ばかり見ていると、足元に咲く現実の野花の美しさに気が付かないことがあるよね。
自分のことも認めてあげましょう。
そして、最近気付いた。全く気付かなかった。当たり前のことが当たり前に分かってなかった。
この言葉の受け取り方は人それぞれだが、わたし増田は単純にこういう話だと思っていた。
この考え方は自分の価値観に根付いていて「ふんふん。そうだそうだ」と今でも思うし大切にしたい考え方だ。
最近ふとした気付きが色々なことにつながる事が増えてきて、この言葉も違う側面が見えてきた。
どういうことかというと、
それは、
これまで、自分から敵視することは絶対しないし、敵視されるような行いは改善してきた。
ただ、敵視されてしまったことに対しては、それは相手のことだから仕方がない事だと思ってきた。
この考えが根本的に間違っていた。
この時点で既に自分は敵を作り上げているのだ。
なぜ敵をつくるのかを考えたら分かりやすい。
相手の行動や行いが、明らかに友好的でないときに、それを敵や攻撃だとすることで、解決できない問題が解決できてしまう。
そしてさらにズルい思考で「自分は敵だと思ってないけど、あなたは増田を敵だと思ってるよね」という立ち位置をとり、全てを相手の責任に転嫁し問題解決を放棄できるのだ。
なんというズルい思考をしていたのだろうか。
増田を憎んでるんだよね。
増田の事が気に食わないんだよね。
イライラしたり怒鳴りつけて周りに敵を作っちゃだめだよ。と、無意識に真剣に見下していたのだ。
この考えを持つことによって相手をどうでもいい人に出来てしまい、
都合の悪い話を聞かなくてもよい事に出来る。
それを聞かなくて良いことにしていたのだ。
そして、伝えようとした努力や姿勢とその人の時間を捨てていた。
まったく、人を尊重できていなかった。
自分の都合に合わせて人を決めつけて、
都合の良い人間像を他人にかぶせて、バイアスを掛けた上で会話をする。
その会話で、その人の伝えたかった話の何%を聞けていたのだろうか。
都合の良いことを話してくれる人の意見だけを聞く人間になっていたのだ。
人の話を聞くという事は、自分のバイアスを取ることであり、姿勢を整えるという事なのかもしれない。