「○○くんって変わってるよね」
「○○くんって意外とサイコパスなとこあるよね」
友達からそう言われた時、正直僕は少しショックを受けた。なぜなら自分の中では自分は結構まともな人間だと思っていたからだ。
僕にその言葉を投げかけてきた友達が言うには、過去のほんの一瞬の出来事や発言を持ち出して、「これはやばい」「普通こんなこと言わない」と思って言ったことらしい。
たしかに今思い返せばやばかったかもなと自分でも思う面もある。
ただ、もともとその人は物事をほんの少し大袈裟に話したり、周りの人の発言とかを軽くいじったりする人だったし、過去の出来事の1つに過ぎないと思い、冒頭のことを言われた時はちょっとびっくりしたが「また適当なこと言ってるな」というような感じで真に受けないようにしていた。
しかし、ある時自分の過去の発言や行動を思い返した時に過去の自分は無意識に誰かを傷つけたり、不快にさせてしまっていたのではないかということに気づいた。
求められてもいない正論を言ったり、
神経を逆撫でするようなことを言ったり、
皮肉なことを言ったり、
相手を突き放すことを平気で言ったり、
裏切ったり嘘をついたり、
気を引きたくて変なことを言ったり、
それは思い返すとキリがないほどだった。
冒頭の友人がそこまで分かっていてあの言葉を僕に言ってきたわけではないと思うが、幸か不幸か友人のおかげで自分の犯してきたこと、自分のやばさに気づくことができた。
それ以来僕はできるだけ余計なことを喋らないことを意識するようになった。口を開けばまた知らず知らずのうちに誰かを傷つけたり自分を追い込むことになると思ったから、自分の思考回路にメスを入れるよりも簡単で確実な改善策だと思ったからだ。
誰かと話す機会があっても、当たり障りのない受けごたえをしたり、自分の話はしないようにし、否定的な表現やネガティブな発言は極力避けるように徹底した。もうこれ以上不快な思いをする人を増やしたくなかったから。
こうして僕は無口で害のない人間へと近づいていった。
まともに会話ができなくなっていた。
できないは言い過ぎかもしれないが、以前に比べて会話が弾まなくなった。
仕事や日常生活に重大な支障が出るほどというわけではないが、業務中に自分の考えをさっとまとめて話す必要がある時や、ミーティングや面談などで自分の意見や発言を求められたり、質問された時に全然言葉が出てこなくなっていた。
友人との雑談も毒づくことも減った代わりに機転の利いた発言も前にも増して減ってしまった、沈黙も増えたような気がする。
沈黙は金、雄弁は銀などと言った言葉もあるが、どこか味気ないような気もする。
できるだけ話さないようにしてきたのだから、語彙力や思考力が低下するのは後になって考えてみれば当然と言えば当然なのだが、誰も傷つけたくないという思いは、誰にも何も伝えられないという姿になって自分の首を絞めることになってしまった。
話し相手をカテゴライズする。ラフな言葉づかいで大丈夫な人、ちょっと気を使う人、超気を使う必要がある人、みたいに分けて、相手ごとにしゃべり方やネタを切り替える。 コミュニ...