2021-10-21

自殺した男のブログを読んだ。

読みづらい悪文で、感情表現が下手で、同情する気も起きなかった。

その男はしきりに「俺を見つけて欲しい」と嘆いていたけど、そんな様子だからコメントも一つもついていなかった。

やっぱり、救われるのは文章力と言うか人目を引くだけの才能、素質が必要なんだなって思う。

多分その男ブログを見たのは自分一人なんてことは絶対になくて、少なくとも数十人くらいは読んでるはずだけど、「助けるに値しない」とか「自殺なんてしないだろ」とか思って、なんにも反応しない訳だ。

そういうレスポンスの差、暗黙の認知によって必要とされない、助けるに値しない命と言うのが出来てしまうんだな。

口ではどんなに綺麗事を言うやつでも無意識の選別が起きてるんだと思うとシラケてしまうし、救われたやつの手記を読んでも無意味だと感じる。

結局レースだよ。能力がないからおちこぼれて、誰にも必要とされず、除け者にされて苦しむ。そして苦しんだ先でも苦しみの表現力のレースに乗せられる。

どんなに綺麗事を吐いてもこの世は修羅だ。争い続けることでしか救われない。争いを避けても別の争いに巻き込まれる。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん