そして、最近気付いた。全く気付かなかった。当たり前のことが当たり前に分かってなかった。
この言葉の受け取り方は人それぞれだが、わたし増田は単純にこういう話だと思っていた。
この考え方は自分の価値観に根付いていて「ふんふん。そうだそうだ」と今でも思うし大切にしたい考え方だ。
最近ふとした気付きが色々なことにつながる事が増えてきて、この言葉も違う側面が見えてきた。
どういうことかというと、
それは、
これまで、自分から敵視することは絶対しないし、敵視されるような行いは改善してきた。
ただ、敵視されてしまったことに対しては、それは相手のことだから仕方がない事だと思ってきた。
この考えが根本的に間違っていた。
この時点で既に自分は敵を作り上げているのだ。
なぜ敵をつくるのかを考えたら分かりやすい。
相手の行動や行いが、明らかに友好的でないときに、それを敵や攻撃だとすることで、解決できない問題が解決できてしまう。
そしてさらにズルい思考で「自分は敵だと思ってないけど、あなたは増田を敵だと思ってるよね」という立ち位置をとり、全てを相手の責任に転嫁し問題解決を放棄できるのだ。
なんというズルい思考をしていたのだろうか。
増田を憎んでるんだよね。
増田の事が気に食わないんだよね。
イライラしたり怒鳴りつけて周りに敵を作っちゃだめだよ。と、無意識に真剣に見下していたのだ。
この考えを持つことによって相手をどうでもいい人に出来てしまい、
都合の悪い話を聞かなくてもよい事に出来る。
それを聞かなくて良いことにしていたのだ。
そして、伝えようとした努力や姿勢とその人の時間を捨てていた。
まったく、人を尊重できていなかった。
自分の都合に合わせて人を決めつけて、
都合の良い人間像を他人にかぶせて、バイアスを掛けた上で会話をする。
その会話で、その人の伝えたかった話の何%を聞けていたのだろうか。
都合の良いことを話してくれる人の意見だけを聞く人間になっていたのだ。
人の話を聞くという事は、自分のバイアスを取ることであり、姿勢を整えるという事なのかもしれない。
(^^)https://www.irasutoya.com/2012/06/blog-post_2456.html?m=1
立派な考えだと思うけど、標的にされたら逃げるのが良いよ