はてなキーワード: 市長とは
センセイの話によると、こういうことらしい。
だがタバコがポピュラーになりすぎると病気の人間が増え、保険料が増えてしまって本末転倒。
だから教育メディアを通して、タバコのネガティブな側面を認知させることでそれを抑制。
そこで禁煙法を制定。
紆余曲折を経て、最終的に二択を強いるわけだ。
「税金をうんとかけてでも吸いたいか? それとも吸うのをやめるか?」
問答無用で受け入れざるを得ないってことらしい。
「そうやって喫煙家と嫌煙家を対立させ、程よく“議論が深まった”ら、タバコの重税を落としどころとして提示するってわけ」
つまり政府にとって禁煙法の目的はタバコの根絶ではなく、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手にいれることだった。
「道理で禁煙法が制定されても、センセイたちは割と冷静だったんですね。政府の思惑を理解していたから」
「政府だって、あの市長みたいな輩ばっかりというわけでもないからね。タバコを簡単にクビにできるほど、私たちの国は金も心も豊かではないことくらい分かっている」
「でも、それって……つまり嫌煙家を煽り立てて、その実は喫煙家を飼い殺しにしたってことですよね。税金をたくさん手にいれるために」
「悪い言い方をするなら、そういうことだ。だが私たちはそれで納得せざるを得ない。様々な人間が一つの社会で生きている以上、各々が自分の望むものを享受するには、多少のことは甘受しなければならないからな」
「不服じゃないと言ったら嘘になるが、政府を責める気はねえぞ。社会を動かすのは名分だが、支えるのは実利だ。それを両立させる必要があったから、ヤツらは自分の仕事を遂行しただけ」
タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで多く儲ける。
何だか矛盾しているような気もするが、その矛盾を成立させるのが彼らの仕事なのだろう。
しかし、俺は理屈の上では理解できても、何だかモヤモヤが拭えないでいた。
「じゃあ、市長の前で俺たちが言ったことって、大した理屈じゃないってことですか」
「一応の筋は通ってはいたんだが、まあそうなるな。身も蓋もないこと言うと、禁煙法が上手くいかなかったのだってタバコがポピュラーな嗜好品だったからなのが大きな要因だし」
「今でこそ縮小しちゃいるが、一昔前はこの町で人口の半分以上が親しんでいたもんな。そこまで普及したものを、ちょっとやそっとのことで無くせるわけがねえ」
「そうなんですか。てっきり俺は、あの抗争はセンセイたちが裏で色々と根回ししたからだと思ってました」
俺が冗談めかしてそう言うと、さっきまで笑いに包まれていたカフェはいきなり静かになった。
「……マスダ、そういうことは思っても口にするもんじゃないぞ」
「そうだ。本当に俺たちがそんなことしてたらタダでは済まない。お互いに」
「……まあ、他の理由を挙げますと、組合や協会などの強大な組織があったのも大きいですな。同じ理由で、餅やストロング系飲料とかも結局は合法化されましたし。この調子だと、マリファナもいずれ合法化するかも」
「ははは、さすがにそれはないだろ」
「それにしても、そうやって害悪なものを容認することが結果として是になるなら、いずれ課金ゲームのガチャとかも税金がかけられるだけで残り続けるんでしょうか」
「もう、かかってるよ。近々、値上げするんじゃないかな」
「マジすか……」
「マスダはもう少し、自身の情報アンテナを強化したほうがいい」
『物事には善悪だとか好悪だとかでは単純に語れない。そういうケースが多くある』
センセイが以前に言っていたことだが、俺がその意味を正しく理解する日は、もう少し先になりそうだ。
誰がタバコを吸ってる?
俺たちが吸ってる
それはタバコだよな?
俺たちは愛煙家
誰がタバコを吸ってる?
俺たちがタバコ吸ってる
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
タバコ 誰が好き?
タバコ 俺が好き
タバコ 誰が吸う?
タバコ 俺が吸う
俺たちは市長に直談判しに向かった。
いきなり赴いて通して貰えるとは思わなかったが、意外にもすんなり事は進んだ。
「今日はどういった用件で……」
「現状は理解しているでしょう。今すぐ禁煙法を撤廃した方が賢明かと」
「……答えを出す前に、1つだけ聞きたいことがあります」
「市長。つまらん駆け引きはナシでいこうや。お互い時間の無駄だ」
「この『禁煙法』は悪法だと思いますか。それをどうしても聞いておきたいのです。私が禁煙法を制定したキッカケになった、あなたたちに」
ナンセンスな問いだ。
市長は既に答えを用意しており、それは俺たちがどう答えても変わらない気がした。
だが禁煙法を制定した時も“キッカケ”があったから、今回もそれがないと市長は踏ん切りがつかない。
俺たちをアポなく通したってのは、それを求めてのことだろう。
そしてマスターたちは手向けとばかりに答えてあげた。
「結果から言えば、悪法ではありますな。全面禁止にして万事解決というのは、些か短絡的かと」
「古今東西、こういった禁止法が円滑に進んだ試しはない。一度与えたものを、そう易々と奪えると思わないほうがいい」
俺も市長に答えた。
「つまり“人を憎んでタバコを憎まず”ってことなんだと思います」
「マスダ、二重丸をあげよう」
「あれ、花丸じゃないんですか」
割と自信のある回答だったんだが。
「タバコも、それを吸う人間どちらも批判の対象にはなりうるよ。タバコが体に悪いことは事実だし、それを吸う人間の裁量だけ憎むのはフェアじゃない」
「オレたちの主張は、体に悪かろうが人に迷惑をかける可能性があろうが、それが禁止にする理由になるとは限らないってこと」
「画像のキャプチャーとかと一緒で、悪目立ちすれば取り締まりや批判の対象になりやすい。奨励はしていないものだからね。だからといって、権利自体を取り上げたら弊害が発生することもあるんだ」
ああ、やっと分かった。
「つまり禁煙法は、タバコを吸う権利そのものを侵害しているからダメってことですね」
センセイは小さく頷く。
花丸はくれないらしい。
そして俺たちの話を黙って聞いていた市長は、いよいよ口を開いた。
「ふむ、お話を聞けて良かった……」
タバコを吸わない俺にとっては素直に喜ぶべきことではないのだろうが、なんだか奇妙な感覚だ。
「ただし条件があります」
条件?
「だろうな」
そしてタケモトさんたちは、何となく察しがついているようだった。
それから数日後、あの殺伐とした状況が嘘のように、俺たちの町は良くも悪くもいつも通りに戻っていた。
「市長のやつ、最後っ屁でタバコに対して重税という条件こそ出したものの、随分とあっさりと容認しましたよね」
いつもみたく尤もらしいことを言って、しぶるかと思っていた。
「たぶん市長は内心とても焦っていた。禁煙法を制定したものの、予想と違って社会は好転するどころか悪化したんだから。だが今さら禁煙法を撤廃したら、自身の政策が短絡的だったと認めることになり、面子にかかわる」
だから解禁する代わりに、高い税率をかけるという妥協案を持ち出したってことか。
「その提案も、お上が市長に指示をした結果だろうがな。おそらく政府は、禁煙法が最初から上手くいくと思っていなかった。最終的に撤廃するつもりだったんだ」
え、一体どういうことだ。
「撤廃するつもりだったのなら、最初から禁煙法を制定する必要はなかったのでは?」
んん?
センセイとタケモトさんは嫌な予感を察したのか、おもむろにタバコを吸うのをやめた。
「ん……タバコ……?」
だが市長は目ざとかった。
「喫煙席というか、そもそもウチはそういう区分けはしていないので」
「なんですって!? タバコを吸わない人間のことを考えないのですか」
何となくそんな気はしたが、間違いない。
マスターはしぶしぶといった具合に返答するものの、市長は止まらない。
「タバコというものは百害あって一利なしなんです。そしてこの害は他人にもおよぼす。やるならマナーを守ってください」
「巷にどれだけ他人に害を及ぼすものがあると思ってんだ。タバコだけ駄目な理由がねえだろ。ましてやオレたちは喫煙OKの店で吸っている。正当な権利を行使しているだけ」
「その通り。そういった話は実際にマナーの悪い人間に言うことであって、我々に言うことでも、この場で言うことでもない。むしろあなたのほうが、私たちの権利を奪おうとしている点で不当とすら言えますよ」
「あと、『百害あって一利なし』ってのも古い言葉ですね。いくつかの効能があることも判明していますし」
「市長さん。どんな理由があれ、ウチは喫煙OKにしているという前提を忘れないでください。その上であなたには我慢するか、別の店に行くかという選択肢がある。そのどちらも嫌だから私たちにタバコを吸うなというのなら、それは傲慢ですよ」
だが市長の分が悪い。
とりあえずみたいなノリで難癖をつけたものだから理屈が通っていない。
分かりやすい大義名分が効かず、ただ主張を押し通すだけの機械になってしまっている。
逆にマスターたち喫煙家側はこういったことを言われ慣れているのか、理論武装が既にできているようだった。
さすがに形勢が不利だと感じたのか、市長はふと目に入った俺を槍玉にあげた。
「ほら、あそこにいる若者。タバコを吸わない彼に、煙を一方的に吸わせて良いのですか!」
うわあ、もう勘弁してくれ。
俺もタバコは好きじゃないが、だからといってアンタみたいに強い思想は持ち合わせていないんだ。
いくら理屈が通らないからって、俺を自分の主張の担保にしないでくれよ。
「いや、あの……別に俺は気にしていないですし。だからこうして店に居座っているんで」
「まあ、キツいタバコの副流煙を近距離でガンガン吸ったらなるかもですが、一応は離れた場所で換気もしていますし。個人差こそあれどそれが原因でなるって、よっぽどのことがないと……」
「学校で」
「ひぃ~! 情操教育の敗北!」
市長は意味不明なことを言いながら、逃げるように店から出て行ってしまった。
嵐が去って、マスターさんたちは安堵の溜め息を吐いた。
「いやあ、逆に今の時代だからだろ。義務教育の段階でタバコが体に悪いってことをしつこい位に学ばせるからな。今はそいつらが親に、下手したら老獪になっている世代なわけで、そりゃあ喫煙家にマトモな市民権を与えようって声は出ねえよ。逆はたくさんあっても」
「仕方ないですよ。彼らがタバコを嫌うのには相応の理由がある」
「そうは言っても風当たりが強すぎんよ。過剰に悪いところばかりあげつらって。喫煙家の中でも一部の悪い奴をサンプルに理論を展開しやがる」
「オタクの中からソシオパス探し出して、オタクを社会不適合者の集まりみたいに語る、みたいな?」
「マスダ、その例えは分かりにくい」
マスターたちは気持ちを切り替えて雑談に興じていたが、俺は別のことが気になっていた。
俺がそう告げるとマスターたちが固まる。
「ああ、もう気づかないフリしていたのにさ……」
そう、市長はこれまでも破天荒な政策を幾度となく実地してきた。
そしてその不安は数日後、見事に的中した。
コーヒーはコーヒーだとしか思えず、美味いとか不味いとかいう感情が出てこないのだ。
そんな俺でも、たまにカフェを利用したい気分に駆られることがある。
そういうとき利用するのは、近所の『タコトバッキョウシ』という店だった。
少し前までは客引きのために色々なサービスを実地していたが、紆余曲折あって今はこじんまりとしたブックカフェに落ち着いている。
メニューも取り立てて特別なものはないが、地元の常連客に親しまれ、俺もその店に漂っている独特な空気感が嫌いではない。
「おや、いらっしゃいマスダくん。久しぶりだね」
店内を見渡す。
以前と、まるで変わっていないことに安堵感を覚える。
多少の違和感もあるが。
「やあ、マスダ」
「おっす」
店にいたタケモトさんと、センセイが吸っていたタバコの匂いが、その違和感の正体だ。
「バス以外でセンセイと会うのは珍しいですね。しかもこのカフェにいるなんて」
「好きな銘柄が売ってるタバコ屋がこの近くにあったんだ。で、すぐ吸いたいときは、このカフェにいるって感じ」
「二人ともタバコ吸うんですね」
「オレは厳密にはパイプでアロマやってるだけなんだが、まあ広義的にはタバコっちゃあタバコか」
匂いを気にしていたのが顔に出ていたのか、気づいたマスターが換気扇のスイッチをパチパチといじる。
「一応、換気扇はフル回転させるけど、それでも気になるなら我慢してね。うちは禁煙席とかそういうのないから」
俺は軽く会釈すると、センセイたちのいる場所から離れた席に座った。
まあ、それがこの店の方針なら従うが。
「パイプで色々と試してみたけどさ。何だかんだでバニラに行き着いたな。燻製でいうサクラと一緒だ」
「私は別にこだわりはないですが、初めて吸った銘柄が『シーネー・ジパング』だったので、以降はずっとこれですね。愛煙家で好きな人は少ないですが」
「ワシはあくまで香りを楽しむ派ですな。吸いはしませんが、葉巻だと『ヲッチャ・コッカイ』あたりを……」
俺は話の輪に入れないというか入る気もないが、タバコの近年の状況を顧みると、ああやって朗らかでいられるこのカフェはタケモトさんたちにとって特別な場所なんだな。
だが、その時である。
新たな来客がドアを勢いよく開けて入ってきた。
店内に静寂が漂う。
その来客からみれば俺たちは見知った相手ではなかったが、俺たちからすれば知っている人間だった。
「ふう~、まいった。いきなり降り出してきた……」
この町の市長だ。
まだ何も起きていないが、これから何かが起きる。
そしてそれは絶対にロクなことじゃない。
そんな予感がした。
・三葉死亡世界
二人共、死亡世界→片割れ時世界→生存世界を通って記憶を忘れていくわけ。
瀧に限っては「存在」は不変。どの世界に行っても瀧は存在する。瀧に関しては一本のタイムラインで存在を証明できる。
存在が不変な瀧は二種類いる。「瀧」と「夢の中の三葉」。片割れ時終了時点で「夢の中の三葉」は薄れていき、やがて消え行く。
対して三葉は存在が変化する。単純に「死亡する三葉と「生存する三葉」の二種類。存在を証明するには(瀧からみて)二本のタイムラインが必要。
三葉の種類は3人。「三葉」と「瀧(三葉IN)」と「イレギュラー」。最終的な存在は「イレギュラー」。
「夢の中の三葉」が瀧であるなら、三葉の夢の中は「夢の中の瀧」なのかという疑問があるけど俺はそうじゃないと思っている。
奥寺先輩が「三葉生存世界」でも瀧がアプローチしていた事を覚えているから。(ごめん、ここうろ覚え、あったはず。)
なので、事実、「瀧(三葉IN)」は「瀧」と同一と自分は思っている。
その結果、片割れ時に存在するのは「瀧(三葉IN)」から生じた「イレギュラー」と、「瀧」となる。
なので、イレギュラーは片割れ時(実質三年後)という別世界から三葉生存世界に戻ってきたあとなので、記憶がなくなりゆく。
その記憶は夢とされ、市長や婆さんや友達に何か言われようとも生存計画実行時からすでに瀧の事を忘れかけているため。
つまり、両方揃って記憶の強制力が働いたのは片割れ時だという認識。
文章ヘタですまん。
おっしゃるとおり納得はできないですね。
しかし、よくよく考えると、市長と祖母と友達はなんか変なヒロインを認識しておりますし、祖母に至っては入れ替わっていると言い当ててましたよね。そうすると、周りの人間が隕石落下時のヒロインについて思い出話とかで話すと思うので、ヒロインはそれを夢と認識するのはおかしくないですかね?
①女性の服装は大半が振袖(着物)。正確に数えたわけではないが、9割以上の女性が着物参加の印象。
・15年少々前(自分が参加した時)に比べて女性は振袖着物の比率が増えた。
・つまり全体的に豪華になった印象がある。振袖を着ないと参加しづらい雰囲気すらある。
・女性の成人式の費用(振袖や着付等)にかかる予算の統計は今後調査するとして、最低10万円くらいはかかるようだ。
・成人式に参加する女性の4分の1は30万円かけているというデータもある。
→娘の成人式 「一瞬の輝き」にどれだけかける?
・成人式前が着物の値段が最も高くなる。お盆や正月のホテル価格や航空券と一緒。
・振袖の着付けや美容院は当日に集中するのは仕方がないが、着物は前もって購入すればとても安くなる(論理的には価格は需要と供給の一致点となるので当然ではあるが、知らない人も一定数いるのではないか?)
・例えばこの企業 →楽天Frou Frou(フルフル) とても安くて素晴らしいと思う。
・娘さんやお孫さんの一生に一度の成人式だからと通常の何倍、何十倍もの値段で着物を売る業者も少なくなく、注意が必要。
・そもそも論として、成人式に豪華な着物というのはマスメディアや業界が業界利益のために仕掛けた節がある。
・着物以外でも参加がしやすい雰囲気や振袖ではなくてスーツでも大丈夫という情報発信は必要ではないか。
②新成人の皆さんは式の開催前後に会場の外で同級生と談笑で盛り上がっていた。新成人の交流の場が提供できていない。
・成人式は両親や祖父母が御子息の成人を祝う目的と、新成人は旧友との出会いを楽しむ目的があるだろう。
・新成人への行政サービスとしては、新成人が求めることを出来るだけ叶えることを目指さなければならない。
・会場の外で寒空の下で談笑している新成人のために、交流する会場を提供するべきである。本年は好天に恵まれたが、雨天の場合にも備えなければならない。
・自治体によっても異なるが、本市は公立中学校に進学する率が高いので、中学校区ごとに集まれる場を提供するのが良いのではないか?
・私が考える理想の成人式は実践女子学園の企画。 →母校で実践女子''学縁''成人式
・せっかく成人式に集合するにもかかわらず、1~2時間程度の式典で終わってしまうのはもったいない。自分が参加した際も感じたし、来賓として参加させていただいて改めて思う。
・新成人が求めるサービスは何か? 調査をしている自治体自体が少ないのは問題である。
・本市に限ったことではないが行政に改善意思を求めるのは困難であるから、エビデンスと確かな論拠を元に、新成人がもっと楽しめて思い出に残るような意見をまとめ追及していかねばならない。
・データを取らないこと自体が行政の怠慢で過去に2度も参加して問題意識をもったのにそのままにしてしまったのをひどく反省している。
・余談だが、紙のアンケート調査を実施する日本の生産性は危機的なレベル。製造業を除くとこの国はマジでやばい(馬鹿っぽい表現で失礼)。
・調査項目のレベルは低いが →兵庫県加西市(成人式に対するアンケート調査) 最低限こういう調査は必須。
・本市は市長や来賓の祝辞はごく少数でその点は良いが、保護者からのメッセージを募集して読み上げる企画などがあったら良いのではないか?
・新成人から両親や祖父母への感謝のメッセージを記録するコーナーなどがあったら良い。新成人が一生懸命自撮りしている姿を見て、撮影専門のスタッフを配備するべきだと痛感した。
・保護者は成人式を見ることができないので、ストリーミング中継するべきだろう。簡単なものならカネも手間もほとんどかからない。
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
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↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
例えば、もし自分が電通のやつと同じように就職成功して社内でも評価されて、独立した方がもっと儲かって一人でやっていけるってくらい
社会で勝ち続けるような力量があるとするじゃん
まあ、勘違いするわなってこと
そのくらい勝ってるとむしろ周りの人間からへり下ったりするようになるから横暴が簡単に通るようになる
周りの人間が勝手にひれ伏していく、男も女も自分と知り合いになりたくて仕方ない感じで寄ってくる
そりゃあ好き放題やりますわ
普通はどっかで周りに敵わない相手が現れたり、上からの圧力で挫折したりして丸くなるんだけどそんな経験なく勝ち続けてたら
みんな多かれ少なかれ同じことしてると思う
そして、そいつを持ち上げて調子に乗らせる人間も実は共犯者だと個人的には思ってる
調子に乗ってるやつの周りには必ず調子に乗らせてるやつがいるんだよ
調子に乗らせて場面場面で良い思いしようと狙ってたら食われちまったんだろ
全部推測だけど、似たようなシチュエーションをお前らも見たことあるんでない?
結局、勝ち続けて周りに持ち上げて調子に乗らせるバカがいたら、そいつは俺やお前らだったかもしれない
たまたまというか必然的に能力が足りないからその機会に恵まれなかっただけ
そういうこっちゃろ
それを今まで散々口汚く罵っておいて、今更市長に乗っかるのも、それはそれで筋が通らないよなあ?
これまで基本的にネット界隈(はてな界隈含む)からは好意的な目で見られることの多かった千葉市長であったが、今回のミニストップの件を機に評価が一転、地の底まで堕ちようかとしている。
30代の若き千葉市長はこれまで様々な施策をツイッター上で議論の題材に乗せてきた。市民と直接議論を交わすことでその内容はちょくちょくTogetter等にまとめられ、ネット上でも話題になることが多い。
自分が懸念しているのは、今回の件をターニングポイントに、ネット上では千葉市長のやることなすことが全てが「否定」されること前提で議論が始まることになってしまわないか、ということだ。
やまもといちろうに対するはてなの評価を見ても、基本的にはそれまでほとんどのケースで肯定的に見られた隊長が、あるタイミングを境から何を書いてもはてなユーザーからは否定前提で見られるようになってしまった。ある議論をする際に、発言の内容よりも誰の発言かという点でブコメの方向性が決まってしまうという傾向は、はてなユーザーならよく分かっているだろう。
まあ、やまもといちろうの場合はそのほとんどが内容的にはヨタ話の類なのでどうでもいいんだが、千葉市長の場合は市民の生活に関わる「政策」の話なので問題だ。
これは個人的な感想だが、これまで千葉市長絡みで議論になった政策については、千葉市長の言っていることに理があると思える事がほとんどだった(中には「ん?」と思うことがちょくちょくあったことは否定しない)。千葉市長にまつわるホッテントリのブコメとか見るに、同じ感覚の人は多いのだろうと想像するが、ネットのムードが一気に千葉市長否定に切り替わり、それが至極まっとうな内容でも「千葉市長が提言することなら反対」のような、議論に変なバイアスが発生してしまうことを懸念している。
いや、これまでも朝鮮学校補助金問題あたりを機に、一部のはてサからは千葉市長に関するホッテントリには否定的なことしか書かれないという状況を見てきたのだ。右翼とか左翼とか全然関係ない話題でも基本的には否定しかしない姿は議論もヘッタクレもなくて、正直「なんだかなー」と思っていた。こういうのも一部のはてサくらいなら微笑ましい話で済むが、それがネット全体のムードとして広がると、理性的であるべき議論も千葉市長否定の感情論や無意味な揚げ足取り等が目立ちはじめて議論も有らぬ方向に進んでしまうことも有り得て、こうなるとそれはちょっと怖いなと思っている。
これまで千葉市長はネット上にはファンが多かったので、「千葉市長のやることなすこと全部好意的な目」で見てきた人が、フラットな目で見る切っ掛けになったのならそれはそれで良いことだと思う。ただ、ネットのムードは怖いもので、フラットどころか反動で一気にマイナス前提ばかりの空気感になることは議論の場として健全とは到底思えないので、先に懸念として表明しておく。
※この記事を書いたのは、そもそも自分が千葉市長を最初に知ったのはいつだっけと考えて、そういや↓のTogetterだったっけなと思い出し、もしかしたらこの有意義な提言も今のタイミングの発言だったら市長側が必要以上に否定されてしまうような流れになることも有り得るのではないか、と思ってしまったのが切っ掛けです
この話を思い出す度、俺はセンセイとした、とある話も思い出す。
「マスダ、ちょっとしたクイズだ。組織を崩壊させるトップには、どんな条件があると思う?」
「それじゃあマルはやれても、花マルはやれないかな。トップが無能でも、部下が有能であれば意外と組織は機能する」
「えー……うーん、じゃあその有能な部下たちの足を引っ張る?」
「それでも花マルじゃないんですか!? うーん……もう思いつかない、降参します」
「“偽善者”……それはまたどうして」
「理念そのものは崇高だから。故にトップも何が間違っているか気づかず、部下も指摘しにくい。美辞麗句で誤魔化すものの現実とのギャップ差を埋められず、どこかで帳尻が合わなくなって最終的に破綻する」
「偽善がダメってことですか。でもよく言うじゃないですか。『やらない善より、やる偽善』って」
「ははは、そりゃその理屈も間違ってはいないよ。でも、それはその行動によって、具体的に救われる対象がいること前提だ。飢えた人にその場しのぎのパンを与えることは“やる偽善”。愚かな偽善者は『そんなパンを食べさせるな』といって取り上げる」
「つまり“行動派”で“無能”な“偽善者”は周りを犠牲にしながら、漠然とした善行に猛進するからダメってこと」
この話を思い出すのは、俺が市長のことを“行動派で無能な偽善者”だと思っているからだろう。
そんな市長がなぜ今なお市長でいられるのか、その話はまた別の機会にしよう。
「今回の政策は取り下げとなったが、この決まり自体が間違っているとは思わない。法の整理や、システム部分を改良すればよい結果を生むはずだ」
俺たちはその様子を溜め息混じりに眺めていた。
その溜め息の理由は安堵が半分、市長に対する呆れ半分といったところだ。
「まったく、バカみたいだ。あの市長は相変わらず自分の政策を失敗だとは認めない、事実上失敗しているのに。システム部分を改良だの整理だの言っているが、それがままならないから取り下げたって話なのに」
市長に投票した父ですら、今回のことはほとほと呆れ果てていた。
「なのにあの市長は観念的なことばかり言って現実に寄り添おうとせず、それを捻じ曲げて矯正する。モノ捨てられない人間と一緒だ。使い道はあるって持て囃しながら、その実は扱いきれないものをため込んでいるだけ」
父はああ言っているし、俺たちにとっても助かりはしたものの、正直なところ今回の制度がやりたいことは分からなくもなかった。
俺は答えがあるかも分からない、何らかの答えを求めて母に疑問を投げかけた。
「一口には言えないけど……必要だとしても、それはあくまで可視化された証として。“本質”はそこにはないってこと」
「“本質”って?」
そう尋ねると、母は俺と弟をそっと抱きしめた。
「おい母さん、小っ恥ずかしいからやめろって」
母の機械の体によるものなのか、俺と弟によるものなのか、妙に熱っぽかったのを今でも覚えている。
ところかわって母のほうでは、試験を受けに来た人たちのストレスがピークを迎えつつあった。
「マスダさん、マスダさん」
母に話しかけてきたのはセンセイだ。
この試験にはセンセイも来ており、母とはよく会場で話していたらしい。
「そういえば、あなたはなぜこの免許を取りに? 子供がいるとか、それとも予定が?」
「いえ、私は就職に有利だと言われてこの資格を取りにきたんです」
「いえ、近年では様々な企業で妊休や育休などにも歓迎ムードが漂っています。なので非常に汎用性が高い資格を……とセミナーの人に言われて来たのですが、正直ちょっと胡散臭く思っています」
「多分それは受講料を払わせるための建前よ」
母は脳に繋がれたメモリーボードによって、瞬時に理屈を提示する。
「妊休や育休は企業側が受け入れるべきものではあっても、歓迎するものにはなりえないもの。いくらフォローが円滑にできるシステムを構築したとしても、一企業にとって妊休や育休をしない人材に越したことはない、という前提は変わらないんだから」
だが時に血の通っていない、身も蓋もないことも平気で言うため、周りからの評判はあまりよくなかった。
とはいえ、今回はセンセイ自身も何となく分かっていたことだったため、それを明言化した母の理屈に対して納得せざるを得なかった。
「ふむ、やはりそうでしたか。誰もそういったことを言わないものだから、私の懸念が間違っていたのか不安になっていたのです」
「それは仕方ないわ。受容と歓迎を区別できていない人は、側面的に否定をしたら全面的に否定していると錯覚してしまうの。区別できている人も、その誤解を恐れて口をつぐむからね。サイボーグであることを言い訳にすれば話は別だけど」
「ははは、まあいずれにしろ、この親免許はそう遠くないうちに効力を失うかもしれませんが」
「どういうこと?」
「民衆の不満が徐々に溜まっているんです。理念そのものは良くても、色々と難ありな政策ですからね」
俺たちは市長の下へ向かったのだが、その場にたどり着いたときギョっとした。
そこには俺たち以外にもたくさんの人たちが抗議のために集まっていたのだ。
どうやら、この親免許制度は、俺たち以外にも様々な問題が発生していたらしい。
「仮免ってどういうことだよ」
「試験内容がクソすぎる。あんな引っ掛け問題で落とされるとか納得いかねえ」
問題が複雑化と肥大化を繰り返し、市の管理では手が回らない状況になっていた。
結局、程なくして親免許という決まりはなくなり、俺たちのもとに母が戻ってきた。
ところかわって父は大作アニメの製作に関わっていて忙しかったが、俺たちのこともあり早めの帰宅を余儀なくされていた。
「フォンさん、シューゴさん。すいません、今日はこれで失礼します」
「最近は帰りが早いですね。まあ今回は予算も人員もたくさんなので支障はないですが」
「子供たちを学童に預けているので、迎えに行かないとならないんです」
「あんたの嫁さんはどうした? 病気か? いや、サイボーグだから故障って言ったほうが正確か」
「そうではなくて、例の政策に妻が引っ掛かってしまって、いま子供の面倒見れるのが俺だけなんです。では、お疲れさまでした」
「はい、お疲れさん……しかし、例のやつにマスダさんの奥さんが引っ掛かったか」
「我々が知っている限りでは、問題なさそうな人柄だと思いましたが」
「あれ基準がザックリしすぎているからな。冷静に考えれば問題ない人たちまで弾かれているらしい。逆に問題あるだろって人が親免許持っていたり。要は現実に則していないんだよ」
「ワタクシにも娘がいますが、この仕事のこともあって面倒はそこまで見れていないんですよね。なのに親免許を貰えるんですから不思議なもんですよ」
「それがマズいよな。逆に言えば貰えないやつはどれだけヤバいんだって認知される。でも実際のところ子供の教育に親がどんなタイプがいいかなんて、収入とか分かりやすいものを除けば後は不確定なんだよ」
「一理ありますが、シューゴさん子供いないのに随分と雄弁に語りますね」
「そんなにおかしいことじゃないだろ。関係のない立場から意見を出す人間のほうが遥かに多いんだ」
この時期になると、当事者以外からも今回の政策の問題点が徐々に認識され始めていた。
そして俺たちは、迎えに来た父と帰りの道中いろいろなことを話した。
「母さんは何時ごろ帰ってくる?」
「予定表を見る限りでは、早くて1週間、長くて2週間」
「免許がとれなかったら?」
「その時は再試験になるかな」
「じゃあもっとかかるってこと?」
「うーん……」
それは母という生活的、精神的支柱がいなくなったこともそうだが、政策そのものに不満を抱き始めていたからだ。
「なあ、この政策やっぱりおかしいんじゃねえの。“よき親”なんてものがどんなもんか知らないけどさ、少なくとも今の俺たちは母さんがいなくて不幸だよ」
「……うん、そうだな。なら俺たちは俺たちで、出来ることをやろう」
「まだ耐えろってこと?」
父は市長に投票した一人なこともあって、政策を批判することを憚っていた。
だが、それでもダメだと思うことにはダメだと言うべきだって決断したらしい。
俺たち家族が一致団結し、一つのことを為そうとした数少ない出来事である。
それがなくても出来るが、ないとやってはいけなかったり、あったほうがハクが付いたりする。
こう考えてみると非合理的なものにも見えるが、俺はそういったものを漫然と受け入れていた。
町の人たちもほとんど同じだっただろう。
数年前の話だ。
普段は特筆するような人物ではないのだが、突発的に妙な政策を打ち出すことがある。
「皆さん、子供を健全に育むために必要なものは何だと思いますか。わたしは“豊かさ”だと考えています。
これはお金を持っているという意味もありますが、心身においても言えることです。
そう、親ですよね。
毒親、貧困、問題は様々ですが、子供が背負う業は親が大きく影響することは誰もが認めるところでしょう。
そして、この問題が起きる要因は、子供は親を選べないことだと思うのです。
だからこそ“よそはよそ、うちはうち”だとか、“個人の資質”だとかで片付けず、わたしたちが代わりにメスを入れるべきなのです」
軽く聞いただけだと尤もらしいことを言っているようにも感じられるが、市長の演説は毎回“尤もらしいだけ”なのである。
こうして打ち出された政策が、子供を持つ親の資格、“親免許”である。
実の子の育児権利にも免許証が必要なので、俺の両親もこれを発行してもらいに行った。
査定の内容は、収入だの学歴だのまるで企業の面談みたいだったらしい。
「……というわけで、収入自体は副業のおかげもあって十分です。妻もいますし、手が回らないときは近くに学童もあります」
「ふうむ、なるほど」
父の方は何とかクリア。
だが問題は、意外にも母のほうだった。
いや、意外だと思っていたのは俺と弟だけだったのかもしれない。
「……おや、あなたサイボーグらしいですが……具体的にはどこを機械化しているので?」
「脳と心臓以外はほぼ全てです」
「うーん……つまりあなたはほぼ機械ってことですよね。機械に親免許をやるというのは倫理的に……」
「そんな!? いまでこそ体は機械化していますが、私は立派な人間です」
「いかんせん特殊なケースなので、適用すべきかどうか判断しかねるのです。ちゃんと規定しないことには……」
「現時点では見送りですね。規定するにしろ会議とか手続きで、恐らくは結構時間が……」
出来立てのルールというものは融通がきかないことが多く、イレギュラーが出てくるとしどろもどろになりやすい。
今回は、母のサイボーグっぷりがソレだった。
これを支持する表現規制反対は信用出来ない?逆だろ。
ゾーニングをきちんと行うことで長期的普遍的に表現を守っていきたいと考える人間からすれば
半裸女性に中出しだの潮吹きだのが堂々と書かれた雑誌をグレーだからと並べて、それを不快に思う人間の問題提起に
「法律的にセーフだからwwダメなラインを完全に明文化してみせろよww」と不真面目な態度を取り続ける奴らこそ敵。
そんなだから相手も「法律的にセーフだからww」な手段で圧力をかけてきただけのこと。
この期に及んでも反省せず、不快に思う人間の問題提起に耳を貸さず同じことを続けるなら、ゾーニングすら許されずに表現は叩き潰されるだろうよ。
はっきり言って現状は放っておけば表現はどんどん規制されていく、間違いない。規制したい奴らをいかに食い止めるかって闘争なんだよ。
「今の規則ならOKなんだから不快に思うお前らの方がルール違反な、だから市長を動かすのは一足飛びでズルい」なんて甘えた理屈が通る状況じゃないんだよ。
・追記
コンビニ向け雑誌の需要低下、または単なる企業戦略なら、千葉市長が同席しての会見には大いに疑問がある。今回の件はそもそも千葉市長の要請からはじまっている。ミニストップの市場規模の小ささを語る人もいたが、なおさら「市長との合同会見」を気にかけてもおかしくないのでは。
エロ本を何がなんでも置けという主張はしていない。子供への有害性、主に女性の不快感などの問題もわかる。店舗単位での判断がその解決策に近いと思うが、行政絡みの強行手段のような形は強く疑問なため、そのことを本文に書いた。
「エロ本」という呼び方は、今後何が恣意的にエロ本扱いされるかわからないという意味を込めて。「どう見てもエロ本だろう」と言われても、これまでは条例などの「公的な基準」で違ったのだが(それが絶対に正しいかは置くとして)、その公的基準を無視して、恣意的な判断が通ってしまった。問題はその点。内容が問題ならそれを改善するのに適正な手順がある。
現にセックス特集をする雑誌、セックスシーンの多い漫画をエロ本扱いする人も見受けられるし、そういう層は今回の件とかぶりそうに思う。また、お色気シーンのあるジャンプも不快だとして、ついこの間炎上している。その際お色気表現は「成人誌=エロ本」なみの扱いだと拡散されていた。子供が立ち読みできるこれらに加え、暴力シーンにも波及するのではと危惧する。
ズリネタの話題でだけ表現の自由勢力が活発になるというコメントもよく見るが、逆に言えばそれだけ多くの人の関心事と捉えられるのでは。オタやジジイの低俗なズリネタには味方しないがその他の表現では公正に戦う、という人に信用があるとも思えない。
・追記終り
ブコメ見ると不快なエロ本がなくなって清々した、ミニストップ最高、みたいなコメントあるけどさ。
今回の件って「エロ本じゃないものが不快だからという理由だけで売られなくなった」という話でしょ。法的根拠とかどうなってるのかわからないんだけど、ものすごく重大なことだよこれ。だから表現規制反対派は怒ってる。
エロ本じゃない、の意味がわからない人も多いと思うけど、コンビニは規約で一般的なエロ本、本屋で暖簾の向こうに配置されるような本を置けない。そもそもエロ本ならそういう措置をとらないと条例違反になる。青少年健全育成条例とかそういうのね。つまりコンビニにあるエロ本は類似図書類で、そういう本とは違う扱いの一般的な雑誌なのだ。
あれがエロじゃないのはおかしいと言いたくなる気持ちもわかるけど、それは出版社と都道府県各自治体の判断なのだから仕方ない。ちなみに年齢規制されてるのはコンビニ側の自主規制に過ぎない。他の18禁とは全く違う意味合い。
つまり、今回の件は法的にエロ本と見なされない雑誌が、手続きすっ飛ばして行政からの圧力(と言ってもいいよね)によって撤去されたという話。これすなわち表現規制でしかないんだけど、その重大さが伝わってないように思う。
コンビニでそういう本は買わないし、元々不快に思ってたし、という人がいるかも知れないけど、次は規制の矛先がどこに向くのかわからないよ。青年漫画誌や週刊誌にだって卑猥な表現はあるし、女性誌にだってある。法的根拠なし(に思える形)で、行政側からこういう処置が取れるという結果が出てしまったら、この先どうなるかわからない。
不健全図書に指定されるまでもなく、不快だからという理由だけで本を書店から撤去できるようになるかも知れない(人それぞれの見方はどうあれ法的にコンビニ雑誌はエロ本じゃないのだから、つまり理屈上はそうなる)
女性はコンビニエロ本を見るたび〜という話もあって女性の意見も目立つが、じゃあ書店にある女性向けのエロ関係の本はどうなるだろう?
書店にだって子供は来るし、書籍とは本来知識を得るためのもの、教育的であるべきだなんて親も多そうだ。そういう人たちはBLなんて有害なものを子供の目につく所に置けてしかも年齢規制なしに買えるなんてとんでもないと文句付けそうだし、女医が教える気持ちいいなんたらなんてのも目くじら立てそうだ。問題なのは、今回の件でこれらの下らない意見に確実に反論しにくくなってるんだよ。
青少年の健全な育成に不適切だとして、青少年健全育成条例に違反してもいないものをさも有害かのように一般の場から排除してしまったんだから。それを応援してしまったんだから。
エロ本が排除されたんじゃないよ。エロ本じゃないものが排除されたんだよ。
その意味をもっと考えて欲しい。この件でスッキリしたとか言ってる人、あんたらが受け止めてる以上に、これは表現界隈にとって重い出来事なんだよ。
喝采送ってる人、なんでエロが表現規制の最前線なのかもうちょっと考えてくれ。あんたらが自由に表現を楽しめるかどうかは、実はあんたらにとって不快でしょうがないエロというものにかかってるんだよ。
参考
https://anond.hatelabo.jp/20170316003106
小池百合子が、失敗した
小池百合子よりは上手いことやれた
けど、大阪都構想が住民投票で否決されて維新の会は存在意義を失った
今の維新の会は民進党以上の選挙互助会だ、希望の党よりは少しはましだが
その前に河村たかしという男がいた
いやいまでも名古屋にいるのだが
今から思うと小池百合子の時と似たような感じで出馬したような記憶がある
んで結局選挙にゃ勝った
んでも結局名古屋意外じゃ勝てなかった
なんだか懐かしい気持ちになるなぁ
そんくらい当時の河村たかしには勢いがあった
でも
総理大臣にはなれねぇだろうな
ねぇ
河村さん
あんた選挙だなんだが上手く行ったら国政に転身する気だったの見え見えだったよ
ね
だから国政選挙じゃ投票しなかったよ、減税日本にも未来の党にも
ずっといなよ
俺は今度転勤になった
ど田舎に飛ばされるよ
ずぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーとさ