はてなキーワード: 市長とは
相撲協会の体制が歪で、変で、醜悪だということ自体は昔から言及されていた。
『ああ播磨灘』なんかはそれを突っ込み続けるという荒業の長期連載を果たした人気漫画でもある。
しかし、今回(どっかの市長が土俵で倒れ、女性が駆け上がったのに『降りてください』と言った件)はさすがに相撲協会を責めるのはね。
*
女性が土俵に上がる⇒女性は土俵に上がれないというルールが存在する。
*
『女性は降りて』と発言した人は当然、放送機材のある放送席にいたと思われる。
そうすると、人が群がる土俵の上で何が行われていたのか、よくわからなかったのではないだろうか。
それ自体はほんの数秒。じっくりと判断する時間もなく、目視で判断される女性が土俵に上ったことを制止しなければ、と思い立って責任感から行動したのだろう。
「AEDを男性に使われたらセクハラで訴えると言う女性が多数居ました」→嘘でした
土俵で市長が倒れたから女性が救護に当たった→「女性は土俵から降りて」
ちなみに「女が土俵に上がっていいのか」と観客が騒いだからそういうアナウンスしたらしい。
察するに老害共だろうけど。
それにより救命が失敗して神聖な土俵上に市長の死体が横たわるということになればもっと土俵は穢されることになるわけだ。このあたりに人間の習性としてよく見られるいつものアレみたいなものがあると思っている。いったん何らかの理論に基づいて規則を制定したとき、理論というのはあっさり忘れ去られてしまい、ただただ規則を厳格に適用することだけを考えてしまう。
死、経血、出産は穢れであるという理論をきちんと理解していれば、女が土俵に上がって救命するほうがまだなんぼかマシであるという判断がすぐに下されるはずだ。しかし、それは出来なかった。彼らは伝統を承継していないという事実を最も恥じなければならない。
同じ野党からも「相変わらずパフォーマンスが好きだ」との批判の声が上がっている。
http://www.sankei.com/premium/news/180328/prm1803280005-n1.html
↓
立憲民主党など野党6党と距離を置く日本維新の会の馬場伸幸幹事長(53)は記者会見で「相変わらずパフォーマンスが好きだ。取り調べ中の被告から公正公平な話が聞けるわけがない」と苦言を呈した。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28442530S8A320C1PP8000/
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自民党の石破茂元幹事長は22日の派閥会合で「文科省の名古屋市への対応はあってはならない。この情報を提供してはならないとか、そういうことは慎むべきだ」と苦言を呈した。民進党の大塚耕平代表は記者会見で「自民党側の圧力も、文科省の対応も言語道断だ」と訴えた。共産党の志位和夫委員長も記者会見で「圧力になることは明らかだ」と批判した。
市議会からは「議会と事前に懇談し、全員協議会の場で説明すべきだった」と批判の声が上がっている。
https://mainichi.jp/articles/20180315/ddl/k26/010/437000c
↓
由利敏雄議員(政友会)は「市長の言っているのは20年後、30年後に(庁舎問題は)みんなで考えるということだ。無責任な先延ばしで、将来、若い者に負担をかけることになる。方向性がもやもやしており、市民には理解できない」と追及した。
浜岡大二郎議員(創明)は「市長は発信力が弱い。これでは市民の共感は得られない」と指摘。2019年度が期限の合併特例債を5年間延長する動きが自民党にあることから、市が現在計画している本庁舎整備事業について「合併特例債が延長された場合、大変な無駄遣いになる。二度手間にならないようしっかりと手順を踏むべきだ」と主張した。
書いてるね。
やっぱり記事読んでないんでしょ?
また、この日が来た。
そりゃ、あの災害を忘れないようにしようとするのも結構だが。その一方で忘れてしまいたいのも事実。オレが被ったヒデえ事件を以下列挙すると、こうなる。
第十位 家に帰れない
→津波被災のため、三日間国道が閉鎖されて家に帰れず。自衛隊の尽力で瓦礫が撤去されて家に帰れるようにはなったが、家には電気・水道・ガスも通っておらず結局なんでも揃ってる職場に一週間寝泊まりした。
第九位 物資が入らない
→震災直後、職場の目の前の国道が通行止めなったモンで、車を職場の駐車場に乗り捨てる不届き者がいないように見張りを頼まれた(独りでできる仕事か?)。で、駐車場の入り口で突っ立ってたら。目の前のコンビニに人が殺到して次々物資を買いあさっていた。「あー、こんな仕事してるせいでコンビニにも行けねえんだな。」って落胆。実際、復旧するまでの一週間。店でモノ買った記憶がない。
→でも、意外と支援物資が早く届いた。確か三日後には来はじめてた。ある日、水とインスタントラーメンが大量に届いたので、倉庫に職員のみんなで運んでいたときに。それ見てた職場のテナントの方が「実は私、避難所にいまいてて...。すみませんが私たちにも分けてもらえませんか?」と頼まれたけど。今後どうなるか検討もつかなかったオレは露骨に断った、ひでぇ事したなと今でも後悔してる。
第七位 インフラが壊滅
→電気・水道・ガスが止まるのは勿論の事、固定電話も不通。携帯電話も頼りない状況の頃。NTTが公衆電話に「お手紙ボックス」みたいなのを付けて郵便のようなサービスをしてた。もちろん、誰も使う人なんていなかった。
第六位 お役所が何もしてくれない
→震災当日、職場と関係のある役所がちっとも来てくれない(しかも電話が通じない)。しびれを切らして、職場の有志が
不通になってる国道を迂回して、瓦礫の中を5キロ歩いて役所に行ったら。全員、ショックを受け止められなかったか、唖然とした顔でデスクに固まっていた。使えねえ。みんな、今度生まれ変わったらお役人さまになろうな!
第五位 人の本性が丸出し
→日頃、仕事しない奴が昼はデスクでボケーっといてて。夜は定時でその辺のソファに毛布しいて寝てる生活を一週間繰り返してた。
→職場が24時間体制になって、夜シフトもあったんだが。普通は夜勤明けは寝られる筈なのにそのまま仕事させられた。夕方になって、急にシフトが変えられてまた夜勤させられた。
→その年の一月に別れ立ての彼女の家が津波で全損、「何かオレにできることはないか?」と携帯電話が復旧した頃メールしたけど。すんげえビジネスライクにお断りされた。フェーズは二次被害に進行していた。
→それから半年が経って、東海地方のある市長が被災地をバッシングした発言したのにとてもブチ切れてしまい。市役所に怒りの電話を入れた。でもよ、日曜日に電凸しても警備のおじさんが困るだけなんだよな。そういう訳で、市役所に電凸する時は平日にしよう(営業妨害だけど)、おじさんとの約束だよ!
→周知の通り、東日本大震災と原発事故がセットで起きたせいで。特にTwitterで「放射脳」がやたらイキってて、たまにバッシング先が我々被災者になって、しばらくSNSから遠ざかってた。
→当時、少しでも情報がほしくて入ったコミュニティでアンチが荒らしてて。とってもムカついたので特定作業を行って、そいつの通ってる専門学校に「お宅の生徒がイキってるんですが」とお知らせしたら、大人しくなった。なんでかな?
あー、思い出してくると色々腹立ってくんな。
変更前
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
変更後
Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。
偉大なる元増田様
https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済)
https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045
archive.is
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)とは、数年前までは人気があったSNSサイトである。
mixiで一時期流行した「人生の経験値」を元ネタとし、トピックに対して〇×で評価するという独自のスタイルが特徴である。
トピックは「コト」と呼ばれ、ユーザー自身が投稿することも可能である。
しかしながら、少し前にそれを乱すユーザーが登場した。
ここでは、筆者が分かる限りのそのユーザーについてのいきさつを書いていく。
「鉄道ファンは俺の敵」、「〇〇(鉄道ファンのユーザー)は嘘つき」などと言った鉄道ファンを目の敵にするような投稿が増える。
上記の投稿を行うユーザーが、アイコンなどから鉄道ファンだとわかるユーザーの投稿のコメント欄を荒らすようになる。
駅名コトが同一ユーザー、並びにその同一ユーザーの副垢と思われるアカウントから大量に投稿されるようになる。
それに対して、「鬱陶しい」などの苦情を言うユーザーが多くなり、駅名コトの連投に辟易してコトノハから去っていくユーザーも増える。
他のユーザーが上記の連投行為に対して否定的だったことから、上記の副垢を大量に作成して連投を行ってきたユーザーが運営を騙るようになる。
「俺が運営だからみんな従え!」、「コトノハのルールは改革された!これから連投やエ〇投稿は自由だ!」などと言うようになる。
本当の運営者であるオオヒダタカシ氏が不在なことを利用し、運営気取りが始まる。
要約すれば、「リアルジャイアン」の登場。
今度は、「俺に同調しない奴はみんな敵!」、「ルール違反者なのだから何やっても良いだろ?」ということで、同調しないユーザーに嫌がらせを行うようになる。
特に、同調しないユーザーのアイコンに誹謗中傷の落書きを加えたアイコンで副垢を作成し、連投や暴言などのやりたい放題の行為を行うようになる。
上記のユーザーは、ユーザーの誹謗中傷や一部ユーザーの投稿晒し、自己正当化コトを行うようになる。
自己正当化コトとは、「自分の行為は全て正しい!」、「自分は人から嫌がらせされるのは嫌いだけど、人に嫌がらせするのは好きだ!」などの自己中そのものである。
ここまでくれば、なりすましなどの嫌がらせが嫌になってアイコンやアカウント名を変更するユーザーが増えてくる。
最初は複垢連投厨に反抗していても、変化なしでコトノハを辞めていくユーザーも出てくる。
殺害予告などの脅迫や、人権侵害等の違法行為を含めた個人攻撃も行われているため、警察や弁護士、IHC等への相談・通報を行うユーザーも登場する。
2018.07.19【New】
最近、コトノハには出戻り、若しくは全くの新規のユーザーで、純粋な心でコトノハに参加しており、複垢連投オヤジの実態を知らないと思われるユーザーが時々見られている。
このユーザーの何人かは大量連投されたコトに異常性を感じ、連投コトへの批判コメント、若しくは連投は可笑しいというようなコトを投稿することもある。(例:◯◯町長とか◯◯市長って削除しないんですか?)
勿論、批判した新規、出戻りユーザーに対しても、複垢連投オヤジの目に留まればアイコンに落書きした副垢作成やユーザー名名指しコトなど、以前からの例外に漏れず複垢連投オヤジは攻撃するようになる。
複垢連投オヤジは「コトノハオールスターズのおかげで新参や出戻りが増えた」と豪語していたが、実際に増えたのは複垢連投オヤジの副垢だけで、本当の出戻りや新参は今のコトノハを異常に感じ、複垢連投オヤジの行為を快諾する者は皆無なのであった。
2018.08.30【New】
複垢連投オヤジに対抗するため、複垢連投オヤジを叩くためのアカウント(叩き垢)が登場するようになる。その叩き垢は、今までコトノハに投稿せずROMっていた(閲覧専門だった)ユーザー、今まで通常のアカウントでコトノハに参加していたユーザーなど、コトノハに関して様々な境遇のユーザーが作成、操作しているものと思われる。複垢連投オヤジに対する批判や苦情は、メインアカウントで投稿しても意味は無いし、投稿しても上記のように複垢連投オヤジから攻撃を受けるだけであるため。
複垢連投オヤジはこのような叩き垢のことを便乗荒らし等と呼んでいるが、そもそも複垢連投オヤジが大量の複垢による大量連投やユーザー罵倒等をしなければこのようなアカウントは最初から存在することはないのである。
複垢連投厨は、様々な別称(蔑称)で呼ばれている。
主に5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のコトノハスレとその界隈では「漫湖」。
コトノハ内では、「(複垢)連投オヤジ」、「(複垢)連投厨」、「(複垢)連投魔」、「(複垢)連投バカ」などが主流である。
※複垢は、複数のアカウントを所持・利用していること、副垢はメインアカウントに対するサブアカウントのことであるが、両方用いられることがある。
また、複垢連投厨は基本的に自分のことを「コトノハオールスターズ」と名乗っている。
これの略称として一度だけKAS(Kotonoha All Stars)と名乗ったことがあったが、KAS(カス)と読めてしまうため、「カスか、名は体を表すだな」というようなコメントを受けて一切KASという略称を使用しなくなった。
それ以降、稀ではあるが複垢連投厨が「コトノハオールスターズ」と名乗って投稿やコメントしているコトに対して蔑称として「KAS」が使われていることがある。
という流れである。
ソースは見失ってるのも多いのであくまで噂話程度と思って下さい。
トータルで考えると、世間で一人前と認められるようになるためにパックス使って一緒に住みはじめて、セックスしてたら子どもが出来て、とりあえずの権利保証はしておきましょうっつってパックス組んで、色んなことを二人で経験して乗り越えて心の絆が深くなってはじめて結婚する。っていう流れで出生率が改善している。知ってる人は知ってると思うが、スウェーデンも大差ない。
こうやって考えると、フランスでの出生率改善は日本じゃ全く参考にならない。参考になるのはイギリスくらいなのがなんとも言えぬ絶望感。
基地反対派の市長って、今回の名護市長戦でもそうだけど経済政策がむっちゃ弱いよね。
地方の自治体に雇用や経済情勢を何とかしろと言うつもりは全く無いけど、例えばゴミの分別や下水の問題を、2期やってきて解決していない。
金が無いのかと思ったけど、マンホールカードとかフタとかはやってるんだよ
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/181176
2期やる中で止めて下水事業に回そうとは思わなかったのだろうか?
http://www.city.nago.okinawa.jp/5/4731.html
厳しすぎだろ。。。
反基地運動と経済政策は同時進行出来るはずだよね?なんでやらないの?
政府に睨まれて出来ませんとか言っちゃうのかもしれないけど、市長2期やってゴミの分別や下水垂れ流しを解決出来ないってヤバいでしょ。
どの面下げて「辺野古の海を守れ」とか言ってるの?お前が流したウンコ混じりの下水がすでに汚してるっつーの。
けど、解決出来る所に手を付けずに騒いでも仕方ないよね?
出来る所をやっていく積み上げをしない理由がマジでわからないのだけど、何でなの?
総選挙で負けた時もそうなのだが、反政府を標榜する方々ってイデオロギー優先で市民の生活を無視するよね。
とりあえずメシが食えて生活が出来なきゃ、政治やデモに興味持ちようも無いのだが。
あとさ~。
出口調査と全然違う結果が出たわけだけど、一部報道では出口調査を監視する反基地派が居たって話だった。
調査の表見るまではウソだろと思っていたけど、ここまで乖離すると疑わざるをえない。
本当にやっているのなら、何の得にもならないのでさっさとやめて欲しい。
独自検問とか、工事用トラックの下に潜り込む様子とか動画で見てると、一部暴走した運動家がやってるのでは?という疑いを拭いきれん。
防衛省のアピールしたい隊員像しか登場しないでは映画がつまらない
タバコで空気が真っ白の司令室からむさ苦しい男しかいない戦車の中の無線に撃てと命令がくる
そしたら隊長が撃てと下っ端のメットを棒で叩いて怒号で命令する
戦国自衛隊の矢野市長が「早く出せ!」と車の上をバンバン叩く感じが希望
そしたら下っ端は隊長に負けない馬鹿でかい声で絶叫するようにボタンをポチッとして
でゴジラに命中したら全員が大喜びで車外に聞こえるくらいの大大歓声
そんなのが見たい
自衛隊の戦車係や大砲係の実際は映画と同じく冷静なのかもしれないけど
娯楽を期待する視聴者からすれば戦車や大砲でゴジラを倒せたらエアフォースワンでラデクが解放されたときの囚人らのノリで