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はてなキーワード: 安全とは

2024-03-23

anond:20240322124250

数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます

今回の騒動では、そのインフルエンサー普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています過去の似たような炎上もそうでした)。

が、この問題の始まり劇場側のスタッフ物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています

車いすユーザーに近い立場いたこと 劇場スタッフ物言いが悪かったこ

別に前提としてこれをもってくる必要性がないと思います

持ってきた時点で関係者であった優位性と、劇場スタッフ側の問題性について傾けたい意図が感じられて正しく問題について考えられないと思われます

今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います

課題が生まれ

別に誰であろうとよりよい環境サービスがあればそれを受けてみたいと思うでしょう

それを料金以外で利用が可能とみてだれも適していないと明言をしていないからといって使用することとそれをSNSで流すことは問題行動であってそれを課題と見るかは関係者裁量です

お金がないけどプレミアムシートでみたい、という人にお金がないけど見れるサービス抽選などで行うというのも「課題」だとすれば課題として「生まれる」かもしれません

そらくほとんどが健常者の社員だと思います当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。

ただ、問題はそれ以外のところにまで広がっています

よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。

車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。

そういう不利益があるから障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。

ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。

一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。

③それ以外の問題

そういう問題サービス提供で補っているのだから通常必要がないとされているので通常の運営では提供していないのだと思います

まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。

(昨今地震が多いですから確率は上がってるかもしれませんが)

ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。

想像によるリスクバランス配分

それで済まないか安全対策があるのです

そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉暴力に感じます

ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。

車椅子ノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。

「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)

施設側は安全には十分な配慮をしなければいけません。

バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオ懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。

でも安全のために仕方がないのです。

想像によるリスク配分の展開

どう感じようと、自分がたった1件の車いすユーザー関係者であった事をあげてきている以上、その1件をもってしてその関係者たる意見を支える骨子にしていますよね

しかたないですまない1件がユーザーの数だけいるわけです

あなた自分家族の非常時を「しかたない」ですませられるかもしれませんが、100人いればそれですまない人がそのうちに何人かいるわけです

この部分は先の運がどうのと、運にまかせてはいけないと混ざって全体の目的不明瞭にしています

だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います

想像によるリスク配分の上での対策必要性

そのためにすでに施策がとられて、そこに車いすが入ると想定されていないわけです

それを「あらた課題」として「車いすを通したら(いや通さないで現状ある)」とすることで「なにをすべきか(今しなくてすむようになっている)」をわざわざする必要性

車いすだっていい席で見たい(車いす以外にもいい環境映画をみたい人はいる)」をとりあげる意味がわかりません

それをすることで経済文化のなにかが向上するのでしょうか

安全対策は現状で十分に取られています

車椅子の人があの位置映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか

そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフ負担をかけすぎずにそれができるか。

いろいろ考えることはできると思うんですよ。

⑦考える事のコスト

考えるだけならタダですけど車いすユーザーがそこまでして映画の席を整備してもらう必要性が、映画館のどこにあるのかを説明すべきでしょう

自分は年に一回しか映画にいけない、それだけの経済的余裕がないとする人が自分のために一年に一度だけだから特別に席を用意してほしいと願うなら、なにをしてあげられるでしょうか

特に必要性を感じませんが、その1個人についてのみ解決必要とするとお考えならその人にチケットを誰かが渡すだけでよいはずです

映画館がたった一人のだれかについて、ほかの全体の映画視聴者をまきこんで対策をする必要性を感じるならそれを述べるべきです

たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場設計から諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます

介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。

介助側にも休息は必要です。

障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。

社会バリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。

街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います100%無介助とまでは言いません)。

関係者の状況考察想像

その実情が、車いすユーザー自体改善努力我慢映画の状況を左右するのかどうかということです

SNS話題になってそうしないと社会的な批判を受けて株価の低迷や売り上げの低下につながりとなった場合対策をせざるを得ないという状況にはなります

それこそが暴力ではないですか?

ユーザーが多くてそうしてほしい声が多いならその声をもってして改善必要性を掲げるべきではないですか?

今回のようにインフルエンサー過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。

問題の内容と発信者の分離の必要性

SNS拡散による社会的不利な立場批評をあつめるような行動で、経済活動存在を与えんとした行動をもってして問題なので不毛でもなんでもなく、そこが原因だと思います

声をあげた最初の行動が、不利益をちらつかせて改善提案するという情報の流布から問題提起をする事と、それによる注目度という活動自体目的利益がある事自体問題です

障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。

今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。

もし自分が介助者になったときのことも考えてほしいと思います

⑩優しい社会へ・自分が介助者になったときのことを考えて

ほかの人間がどれほどのコストを支払ってその道を譲ってくれているのかまず気が付いてもらってから言ってもらいたいものです

劇症型溶血性レンサ球菌って、あの汚注射のせいでしょ

劇症型溶血性レンサ球菌、そんなに怖がることはない。

常在菌。子供免疫持ってないけど、成人のほとんどは免疫持ってるやつ。

抗生剤効くから病院行けばよし。

  

ただ、何が原因か?を考えないといけないよね。

おそらく、あの汚注射を打ちまくったのが原因でしょ。

あの汚注射を打ちまくり、IgG4を大幅に誘導したばかりに、免疫の低下した状態が長期化。

それが、おそらくの原因。

  

なんで抗原原罪あるのに2回以上打ってるのか意味不明だわ。

IgG4を大幅誘導して、これい免疫が戻るかも不明じゃないですか。

打った人は自分じゃ、免疫低下してるかどうか体感的に分からいから、なかなかの問題

  

劇症型溶血性レンサ球菌だけじゃないよね。麻疹もそうだし、謎に病気が増えるのが、これから先繰り返されそうだね。

なぜなら世間的にはワクチン安全で、免疫低下なんて陰謀論なんだからね。

anond:20240323170303

違う

自分レイプしてるということを認知されるのが無理

時間停止してレイプしてした上で安全から時間停止解除して眺めるのは可

インターネットトロールへの対処

インターネットに費やす時間が長くなればなるほど、トローリングを目撃したり、被害者になったりする可能性が高くなります

トローリングとは、攻撃的なコメントなどを意図的投稿することによって、オンラインで他の人を敵に回すことと定義されます

インターネット荒らしは、感情的な反応を引き起こすことを目的としており、争いや口論をしようとしています

いくつかの否定的コメント荒らしと同等ではありません。

トロールは、特にターゲットが神経質になっているとわかっている場合ターゲットに対して執拗嫌がらせします。

 

トローリング行為の種類 

 

ソーシャル メディア荒らしと戦うために実行できる手順


オフライン危害を受けた場合 

荒らし行為オフラインに移行するのを防ぐために、電子メール アドレスオフィス電話番号所在地を含むディレクトリリストWeb サイトから削除することを検討してください。

荒らし行為が、電子メール電話などを通じて、個人現実生活に入り込んだ場合、または次のような方法エスカレートした場合は、警察通報する必要があります

 

  

ストーキングいじめ違法です。

法律により、対面、郵便電話、または電子通信使用による嫌がらせストーカー行為禁止されています

 

いくつかの注意事項

ソーシャルメディア投稿する場合は、表明された見解意見あなた自身のものであり、所属組織公式立場方針を表すものではないことを明確にしてください。

ただし、たとえ明確な場合でも、聴衆はあなたコメント所属関係があるものとしてとらえる可能性があることを理解してください。

anond:20240323141825

トランス女性生物学的な性別男性であるという事実にもかかわらず、自らを女性認識しています。この性自認彼女たちの経験アイデンティティの一部であり、その尊重人権の基本です。生物学的な性別性自認の間には重要な違いがあります。例えば、ホルモン療法や手術などの医療処置によって、トランス女性身体的な性別を変えることがありますが、それでも彼女たちは自己認識尊重される権利を持っています

また、トランス女性女性トイレ女子スポーツアクセスすることに関しては、彼女たちの安全プライバシー考慮されるべきです。トランス女性男性トイレを利用することは、しばしば暴力差別対象となります。したがって、トランス女性が自らを女性として認識し、女性として生活する権利尊重する一方で、彼女たちの安全尊厳を確保するための施策必要です。

anond:20240323131117

上司は全部俺の責任にしていいって言わないのがだめなんだよ

問題あったら全部上司がなんとかしてやるから安心しろってスタンスじゃないのがダメ

近年の上司はそういう責任感がない

部下に責任を求めてくる

上司が全部責任を持つ

こうすれば安心安全仕事ができる

anond:20240322205107

トランスアライのフェミニストが、ペドフィリア差別に反対します!とか言い出して、それにアンフェも喜んで乗っかって一緒になって#ペドフィリア差別に反対しますってハッシュタグまで作って暴れた結果フェミとアンフェが一緒に凍結されてたのは怖かったなぁ。

女の安全のみならず子供安全まで、痴漢されやす属性子供が入ってて、しょったゅう保育士男がエグい性犯罪してるこの国で潰そうってのがって。

2024-03-22

車椅子インフルエンサー問題について思うこと

数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます

今回の騒動では、そのインフルエンサー普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています過去の似たような炎上もそうでした)。

が、この問題の始まり劇場側のスタッフ物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています

今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います

おそらくほとんどが健常者の社員だと思います当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。

ただ、問題はそれ以外のところにまで広がっています

よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。

車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。

そういう不利益があるから障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。

ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。

一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。

まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。

(昨今地震が多いですから確率は上がってるかもしれませんが)

ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。

そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉暴力に感じます

ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。

車椅子ノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。

「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)

施設側は安全には十分な配慮をしなければいけません。

バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオ懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。

でも安全のために仕方がないのです。

だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います

車椅子の人があの位置映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか

そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフ負担をかけすぎずにそれができるか。

いろいろ考えることはできると思うんですよ。

たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場設計から諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます

介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。

介助側にも休息は必要です。

障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。

社会バリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。

街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います100%無介助とまでは言いません)。

今回のようにインフルエンサー過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。

障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。

今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。

もし自分が介助者になったときのことも考えてほしいと思います

2024-03-21

LINEよりSignalを使うべき理由

LINEWhatsAppSignalはどれもE2E暗号化採用している。

しかし、Signalの方がLINEWhatsAppよりも安全である

 

まず、データ送信時に、メタデータ送信している。

メッセージの内容はエンドツーエンド暗号化によって保護されるが、LINEメタデータ保護しない。

まり第三者がその情報を知ることができる。

一方、Signalメタデータ保護している。

 

メッセージメタデータに加え、アプリスマホに保管されている情報収集できる。

LINEは、LINE海外拠点が、開発・運営業務上必要性からデータアクセスできる状態になっていたことについてユーザーへの説明不足が指摘されている。

一方、Signal電話番号のみを必要とする。その電話番号も、身元に関連づけることはない。

 

どの企業メッセージングサービスを所有しているか重要である

新生Zホールディングスは、LINEグループに加えたことで、ヤフーやその他のサービスとの業務連携を強化するとしている。これは個人情報の流用を示唆する。

一方、SignalSignal Technology Foundation社が所有している。ユーザー寄付運営される登記された非営利団体であるため、LINEよりはマシだろう。

 

LINESignalでは、安全メッセージングアプリを選ぶならSignalが断然良い。

親のギャンブル依存症一家離散した子の立場から

ニュースをみてかなり動揺した、自分経験フラッシュバックたからだ

昔のことになるが、経営者父親ギャンブルにハマり、事業資金まで手を付けて最後一家離散した

それまで恒常的にギャンブルはしていたが、大事になったきっかけはそれなりに一時大金が入ったことだと思う。とはいえストレスかもしれないし、今となっては本当の原因はわからない。

事業資金に手を付けていたため、週末ギャンブルに負けると損失を埋める(事業資金の支払いがある)ために家庭内は大喧嘩していた。

親族から借金母親が持ち物を売って、手を尽くしてしばらく払えていた。

もちろん、ギャンブル依存症グループワークなどすすめたが最後最後破滅するまで本人は辞めることができず、会社解散し両親は離婚一家は離散した

(なお恐ろしいことに勝つと穏便な週末になる。ギャンブル以外は仲良い家族だった。ただこれが毎週毎週繰り返されて頭はおかしくなってメンタルが安定するまでかなりの時間を要した)

今考えるとギャンブル依存症に対して最もやってはいけない損失埋めだが、身近な人物であればあるほど「損失を埋めれば助けられるのでは」と考えて、同情してしま補填してしま

その流れが痛いほどわかり、ニュースを見て思い出してショックを受けた

あちこちでみるのが「ギャンブル依存症病気から治療を」と見るが吐き気がする正論だ、正しいけど吐き気がする

まず依存症患者依存症を認めることは難しく、認知療法グループワークも本人が主体的に動かなければあっという間に町中のギャンブル施設に吸い込まれる(今は町中どころかスマホ24時間ギャンブルできる環境がある)

自身の身の安全にはギャンブル依存症の人から徹底的に離れて、その人が自分で立ち上がるのを待つしかない(ここまで書いたが昔の知識のため、もしかしたら医学が進んでもっといい方法が今はあるのかもしれないが…)

今も馬やパチンコに関する情報に接するとなんとも言えない気持ちになる

嫌いではないが、無尽蔵に金を吸い込む装置に飲まれてどれくらいの家庭が壊れたんだろう。今もどこかで壊れているんだろう

せめて1日に賭けられる上限ができると良いなとも思ったが自分は離れているので他人事

私が出来ることはそういう親をもったので、自分はやらない、子供にも起こった事実を伝えてやらないほうがいいと伝えるまでが最大限出来ることだと思っている

このニュースギャンブル依存症議論が起こるだけでも嬉しい部分はある。広告費用が大きいのか議論されなかったり、スルーされている気がするので

まあみんな喉元過ぎれば忘れられると思うが、その都度心の整理をして自分を大切にしたい

なんで左側通行ですれ違わないんだろう

狭い歩道歩行者同士のすれ違いで

「みんな左側を歩けばいいのに」

っていつも思ってる

もちろんそれが別に法律で決まってないことも知ってるけど

(ちなみにたまに言われる「歩行者右側通行」はまったく別状況時の限定的な話)

だいたいの施設内でみんななんとなく左側通行で流れ作ってるじゃん

それ以外のところでもとりあえず左側歩いておけばいいのに…

 

と言いながら、すでに大半の人が左側通行で歩いていることを俺は知っている ずっとそれを気にして歩いているか

それを乱すのはだいたい女なんだよね

女はとにかく『自分安全で快適なところを歩くこと』を優先している

ガードレールがあるなら側溝でなく平坦なガードレール側(車道側)

ガードレールが無いなら建物に沿うように歩く

左側とか右側とか、前から歩いてくる人とぶつからないようにとか、そういう考えは一切無い

平気で対向者の流れの中に突っ込んでいく

もちろんみんな女性様に優しいので、モーゼが海を割ったようにみんな避けてくれる

 

しか問題はその後ろを歩いてる俺なんだよね

俺と対向者の人たちはそのまま行けば左側通行ですれ違えていた

でも俺の前の女が右側通行したことで流れが乱れた

俺は前の女の後ろについて女と一緒に人様に迷惑をかけて歩くのか

それとも乱れた流れのさら左側に出て、車両に気を遣いながら車道を歩くのか

こういうことで無駄に頭を使わされて毎日イライラしている

やはり女はクソ

anond:20240320213812

本質的には寂しさゆえかな。

アメリカも含む外国人だって言うほど日本に興味ないからさ、外様海外居住者としては寂しさ故に日本のことを語りたくなる時もあるんだけど、語る相手が近くにいないし、日本に関する情報入手経路はネットに偏るでしょ。そういうの繰り返してるとああい実体の伴わないことを発信するようになるのよ。

俺も仕事とはいえ海外在住していた時期があるから気持ちはわかる。

ちなみにアメリカ日本より治安が良いと思ったことはないね。人が集まったところに遊びに行くだけで銃乱射に巻き込まれ潜在的リスクがある国の精神安全は低いよ。

20代オルカンを勧めるのはボラティリティの小鬼対策やで

anond:20240318140204


パッと見、ボラティリティの小鬼に言及している人がいなさそうなので書いとく。

長期投資(※ここ重要!)オルカンやS&P500を勧められる理由は、ボラティリティの小鬼を調子づかせない範囲でそれなりのリターンを得られる可能性が高いかなんやで。

あの連中、たかだかNASDAQ100ぐらいでも小鬼じゃなくて中鬼になるからなあ。


ボラティリティの小鬼について、ネット上で分かりやすいのは↓のページの「リスク資産をむしばむの図」かなあ。

http://nightwalker.cocolog-nifty.com/money/2017/01/post-ddd0.html

リスク資産って、原理的にはボラティリティリスク分の価格上下変動を繰り返すことで資産が目減りするのよ。

例えば、インフレ考慮しないと仮定すると、平均期待リターンが0%の無リスク資産は目減りしないけど、平均期待リターンが0%のリスク資産は目減りしていく。

で、ボラティリティリスクが大きいリスク資産であるほど、目減りする分量が大きくなっちゃうわけ。


この、価格上下変動の繰り返しによって資産が目減りする現象を、「バイ・アンド・ホールド時代終焉」という本ではボラティリティの小鬼と呼んでいる。

加えてワイは、ボラティリティリスクが大きくなるほど目減りする分量が大きくなることを「中鬼になった」とか「大鬼に化けた」と言っている。


現実リスク資産が増えていく(ことが多い)理由は、目減りする分量を上回る期待リターンが得られるからだ。

とはいえ信託報酬率や総経費率は低い方が良いのと同じく、ボラティリティの小鬼の影響だって小さい方が良いわけだ。


じゃあどうすればよいのか?

アセットアロケーションポートフォリオを工夫して、ボラティリティリスクを小さくしつつもそれなりにリターンが得られるようにすればOK


ボラティリティリスクを小さくする唯一の方法分散投資やね。

「ここ100年ぐらいは金や債券よりも株式のリターンが高かった。今しばらく(今後20~30年ぐらい)はこの傾向が続くのではないだろうか?」という立場をとるならば、例えば株式100%でいくなら「株式の中で分散させる」ことでボラティリティリスクが小さくなる。もう少し安全に行きたいなら、株式債券REIT・金などを加えて「アセットクラス分散させる」ことでボラティリティリスクがより小さくなる。


いわゆる「教科書的なインデックス投資」は両方を組み合わせている。

株式については全世界株式分散させるし、アセットクラスも最低でも「株式債券」に分散している。

(「株式債券」は主にアメリカ国内向けのアイデア米国債低リスクなのにインフレをしのげる程度のリターンが得られるからね。日本では低金利すぎてインカムゲインとしての国内債券が息をしていない上に、今後の金利上昇見込みでキャピタルゲインとしての国内債券ダメダメで、加えて外国債券は為替リスクが高くてリターンに見合ってないので、泣く泣く債券の代わりに預貯金個人向け国債選択する人が多い)


株式分散」という文脈では、オルカンのような全世界株式が本流で、実のところS&P500やCRSP US Total Market Indexは傍流。

オルカンに比べればS&P500は集中投資の側で、そこには「なんやかんや言うても、ワイが資産運用し続けるだろう今後20~30年ぐらいは、アメリカはんも好調ちゃいます?」という暗黙の市場判断がある。

たぱぞう氏のように、市場を読んで判断していることになる。


それで、「アメリカはんも好調ちゃいます?」というインデックス投資家でも、十中八九S&P500やCRSP US Total Market Indexを勧めるのは、やっぱりボラティリティの小鬼がちらつくからなのよ。

たかだかNASDAQ100でも、長期投資ではボラティリティリスクが大きすぎて小鬼から中鬼になっちゃう。


NASDAQ100やFANG+のようなおやんちゃインデックスは、短~中期ぐらいの視点で売買して市場うねり取りに使うのが正しい。長期投資向けにガチホするのはNG


から、長期投資前提のインデックス投資家の場合、NASDAQ100やFANG+を持ち出す際にはコア・サテライト戦略みたいに「最低でも2階建て」の方針を打ち出すはずだ。

1階ではS&P500やCRSP US Total Market IndexETFガチホしつつ、2階以上の部分でセクターETFやおやんちゃETFで短~中期投資する――みたいな感じだよね。


ところでインデックス投資による長期投資における期待リターンは「20~30年ぐらいかけて、運用資産を1.5~2.0倍にする」ぐらいのマターリ進行なので、なんやかんや言うても必要な種銭が多いのは事実

から1020代ぐらいの時期は、貯蓄やインデックス投資は少額にとどめつつ、人的資本投資して稼げるようになった方がよいと、おっちゃんは思うよ。

人的資本への投資時間を集中させるためにも株式投資するならほったらかし投資可能オルカンないしS&P500でのインデックス投資にとどめておくのが無難やね。

anond:20240321092323

読めなかったか

一部抜粋してみた

物資の投下は固定翼(飛行機)でよく行うが、気象の安定と落下ポイントにかなり大きなエリア必要になり、その場の安全の確保も必要になる。投下した物をどうやって回収するのかも問題。物が壊れないように特殊梱包なので普通の人では開封できない。もちろん地上の誘導員も必要になる。

anond:20240321084517

https://www.taro.org/2011/03/post_955.php

物資の投下は固定翼(飛行機)でよく行うが、気象の安定と落下ポイントにかなり大きなエリア必要になり、その場の安全の確保も必要になる。投下した物をどうやって回収するのかも問題。物が壊れないように特殊梱包なので普通の人では開封できない。もちろん地上の誘導員も必要になる。

2024-03-20

anond:20240320212636

労基法知的財産権、あと出版業界は無いだろうけど労働安全に関する知識は、ベテランほど乏しいのは洋の東西も、業界の差もないみたいだな。

で、わかってない人ほど受ける必要が無いと思ってる所があって頭痛い。

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

オナニー下位互換

オーラセックスにも言えるけど、セックスが至上でそれ意外は下位互換とされている風潮が理解できない

一緒に気持ちよくなりたいとか自分の与える影響によって相手に恥じらいを与えたいという感情理解できるけど、それはオーラセックスでも叶えられるでしょ

オナニーオーラセックスのほうが手軽に快楽を得られるし安全だよ

セックスを高尚なものと捉えすぎ、もっと価値は低い

二次創作政治的利用云々

私はしないかな、する時は皮肉パロディ目的架空の主張かもう歴史の中のものだと思う。

以下は私がそんなにしない理由です。

そういうことがしたいと思う他の人は勝手にしたらいいと思います

別に政治的表現が含まれるだけで嫌いになるわけでもないですし、

あったら意識高さが伝わって来て嬉しいとかもないです。

(1)二次創作でやることによるデメリットがでかい

例えばキャラクターナチスの格好させたりウクライナ

国旗踏ませたり地震原発をいじってるような創作物見たら、

「うわー、この作者やこのコンテンツやばいかもしれん。

ちょっと気を付けとこ。」と思うじゃないですか。感覚としてはそれ。

もちろん思想の内容面では全く異なり、もっと人道的なものだと思います

特定国家民族宗教を持ち上げるのではなく、

社会正義を代弁させやす世間の関心や共感

また同情を集めやすい側面があるのかなと思います

社会的弱者を救済する旨の思想それ自体には私も賛成です。

他人自由にできるはずのことが、

自分はできないとされたら理不尽ですもんね。

さて多くの場合オリジナルに比べて二次創作キャラクターの方が知名度があります

キャラクターを知ってる人にある思想が、

思想を持ってる人にキャラクターコンテンツの素晴らしさが伝われば素敵ですよね。

キャラクター知名度を利用して関心を集めることができます

しかし、寄ってくるのがいい人もしくは同調してくれる人だけとも限りません。

政治運動に限らず二次創作でも、解釈違いの奴や意図を汲み取らない奴、

最後まで見ない読まないって奴どこにも絶対いるじゃないですか。

キャラ公式も悪くないし、社会オタクくんもそんなことは望んでないだろうに。

例えば古風なキャラ先進的な思想の持ち主に改変してあるファンアートを見て、

「このキャラって、保守的封建的で考えが古くて、時代錯誤なところが魅力

だったのに、なんか現代的な価値観に染まっちゃったんだ。なんか残念だな。」

と思われることもあるかもしれません。意図的にそういう改変してるならともかく。

ぶっちゃけ私自身も、雑な社会運動してる二次創作イメージが悪くなったキャラ作品もあります

残念ながらインターネットに一度アップした以上、悪意があろうとなかろうと、

二次創作の作者の手を離れて拡散無断転載意図せぬ解釈などされてしまうことがあります

自分の知らないところで、自分二次創作他人を喜ばせたり不快にしているって、

ちょっと怖くない?私だったらちょっと不気味だと思うかな…。

そういった不幸なすれ違いを防ぎ、自分管理下に置ける、法的にも問題がない

と言う意味ではキャラクターを使うよりもオリジナルの方が少しは安全なのかな、と思います

そもそも公式の温情で二次創作という犯罪行為をお目溢ししてもらってる立場なので、

社会との接点を持つような創作物は扱いが難しいのかな、と個人的には思います

揉めた時に間に企業が入って対応してくれるのも個人匿名性が守られて安心から

やっぱり公式に任せるかなぁ。

(2)二次創作では現実よりも虚構を楽しみたいか

昔、エロBL同人に「実体験に基づいた描写です」って書いてあるのに近しいもの

を感じますエロ漫画の作者の顔を知りたくないとか、絵師自我出すな、

みたいな気持ちとも近いかもしれません。私は知ってても抜くが…。

せっかくのお休みなのに仕事の話をずっとされるような感じとも言えます

個人的体験で恐縮ですが、数年前に虚構現実区別がついてない人間

「私はメンヘラロリコンレズだ」と思い込まれ、あたかも私がそのオタク性的な目で

見ているかのように振る舞われたり、粘着されたりするという不快出来事があり、

無事トラウマになりました。虚構現実創作活動を行なった結果なので、

完全な虚構としての創作物というもの存在しないのかもしれない。

から狂ったように女体化ロリ同性愛二次創作などを描く私を、彼女ロリコンレズだと思い込んだのかもしれない。

それは勘違いさせてごめん。それはそうとして顔も知らん会ったことのない人間

セックスしたいとか心中したいと思うかよ!舐めんな!

あと、LGBT理解があることと趣味腐女子やってることを混同する奴いるよな。

あれ嫌い。愛知県出身って言ったら勝手名古屋出身だと勘違いされるみたいな…。

(3)個人的に「結婚」にロマン希望を感じず、問題重要性の理解が不十分だから

なぜか私個人身の回り離婚率が異様に高く、友達も知ってる限りで片親や毒親の方が

過程環境問題のないご家庭と比べて、比率が高い状況です。未婚率も高い。

私自身も片親です。結婚をすることによって税金年金免除などの多少のメリットがあるにせよ、

親戚付き合いや介護など、結婚することによって生じるデメリットが大きいのでは?

と思っています。どうせ配偶者所詮他人なんだし、死ぬ時は一人なんだからその過程はどっちでもいいかな。

このように終わった結婚観なので、結婚が実現した後二人はどのような幸せ生活を送るのでしょうか?

現実の話でもフィクションの話でもいいけど、オタクくんがどういう社会を築きたくて

頑張ってるのかわからないので、そこは教えてほしいかも。

何を目指してるのかわからないことを応援しようがないから…。

あと恋人友達などに紹介する文化があるんですか…?

なんで?なんのために?気まずくない?

恋人や友人との距離感関係性がギクシャクしたら悲しいし、

品定めや口出しされるのも腹立つし。

(4)現ジャンルがすでに政治的すぎるから

ジャンルは、アイドルゲームなのになぜか政治軍隊革命君主その他犯罪行為

かかわるキャラクター構成されており、今はお腹いっぱいだから

まとめ


私は二次創作啓蒙的な役割を求めてないので、現実性や政治的メッセージ

過度に入れ込むことはないのかな、と思いますデメリットもでかいし。そういう

実用的な知識問題提起はオタクくんの描いた創作物しませてもらってからゆっくりしていい?

オタクくんの絵や小説、魂籠ってて好きだから…。

とりあえず今回は活動的で声の大きい方々が暴れて悪目立ちしただけだと思っている。

もちろん主張し続けること自体大切なことだと思うのですが、私はやらないかな

 

キリショー、全陣営から無能な味方扱いされるムーブかましてて、議論のすべてからパージされて安全圏に逃げてんのすごいな

賛否両論どころか評価がまとまらなくて無味無臭のまま終われるんじゃないかこれ

2024-03-19

anond:20240318172802

2024年3月19日、ワイの日記やで。

ダンジョン探索は道半ばや。今日は、フェミちゃんの様子がおかしくなるという予期せぬ出来事があった。途中で、彼女の目がとろんとしてきて、「ねえ、暑くない?」と言い出したんや。ダンジョンの中はむしろ涼しい方やのに、フェミちゃんは明らかに普段と違う様子を見せていた。

大丈夫か?ここは涼しいぞ」とワイが言うと、フェミちゃんは近づいてきて、「でも、ワイくんのそば暑いの。もっと近くで感じたいな」と誘惑するようなことを言い出した。その瞬間、ワイの心臓バクバクして、ドキドキしながらも何か変だと感じた。

フェミちゃんちょっと休もうか。体調がおかしいんちゃうか?」と提案すると、彼女はしぶしぶうなずいた。その時、ゴミーが急に騒ぎ始めて、何かを指さしたんや。フェミちゃん安全場所で寝かせた後、ワイとゴミーは回復の薬を探しに行くことにした。

探索していると、どこかから人の気配がするような気がした。注意深く進んでいくと、遠くに光が見えてきた。人がいるかもしれんと思い、そちらへ向かうことにした。

光の源に近づくと、小さな開けた場所が現れた。中央には薬草栽培しているような小さな庭があり、その奥には小屋が見えた。人の気配はここからしていたんや。慎重に小屋に近づき、ドアを叩いてみると、中から老人が現れた。彼はダンジョンに住んでいるハーブ専門家で、フェミちゃんの症状を聞いてすぐに適切な薬草をくれたんや。

フェミちゃん薬草を飲ませて安心したけど、彼女がワイを誘惑したことを思い出すと、どこかでそれに乗らなかったことを少し後悔してる自分がいる。でも、今はフェミちゃん回復することが一番大事や。

ゴミーがいてくれたおかげで、フェミちゃんを助けられる薬草を見つけられたし、また一つ困難を乗り越えられた感じがするやで。

anond:20240319164653

1合は知らねーけどヤーポンが馬鹿にされてんのは安全に関わる国際単位系でまで伝統を押し通して使ってるからやで

プロネットワークゲームエンジニアが考えるAPEXのチート

ほぼこれだと思うもの

・件のチートはDebug用にゲームにしこまれものを改変して(つまりテキストなどをゲーム内の別の場所から拾ってきて)使っただけ

 

理由

ツールインストール経路がないため

仮に戦績画面のバッジなどのデータハードコード指定してサーバーからダウンロードさせる方式であり、ダウンロードさせることができるのだとしても、そうしたAPEXの脆弱性+管理者権限で動くEAC脆弱性とAPEXからEAC脆弱性をつく経路の2つが追加で必要

なのでEACはほぼ関係なく安全

そして昔から流行ってるらしいBOTを操る機能上記のDebug機能の一つだと思う

ウォールハックに関してはゲーム内にウォールハックをキャラクター特性として一時的に実現するキャラいるから誰でも5分で再現可能

私がEA開発者だったら1ヶ月で現行のチートほぼ全て防げます

 

なお、意見初見の時から変わっていない

https://anond.hatelabo.jp/20240318162850

https://anond.hatelabo.jp/20240319001847

なんか最近

実況者とかネットアイドルとかがやたらシンガポールに行ってるような気がするんだけどシンガポールに何かあるの?

大麻禁止されてるから変な遊びに引っかからなくて安全とか?

わからん

anond:20240319113357

2003年WHOトランス脂肪酸取りすぎたら死ぬンゴ、特にマーガリンショートニングヤバいンゴって言い出したからや。その後、各企業努力トランス脂肪酸含有量は当時の10分の1以下になっとるから今では朝昼晩ひと箱空けてますみたいなキチガイでもない限りは安全になっとる

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