はてなキーワード: 嘲笑とは
別に立憲民主党なんか支持していないのだが、共同通信が打った雑な記事のせいであらぬ誤解が広まっているので解説する。
まずこの演説は全容がYouTubeに上がっている。千葉8区の新人・本庄さとしさんの応援演説で、「デジタルは後ろ向き」発言は9分40秒くらいから。
https://www.youtube.com/watch?v=l_fKjRkd9Cs
演説全体の大意は「新自由主義からの脱却」である。枝野さんは現在の社会を〈新自由主義的な社会〉だと捉えていて「競争を促進し、負けた人間は自己責任だと切り捨てる」社会から「支え合い、政府が国民をサポートする」ものに変えたいと言っている。
そのビジョンの具体策として、枝野さんは短期・中期・長期の〈3つの経済政策〉を掲げる。デジタル云々の話が出てくるのはそのうちの「長期」の部分だ。
〈短期〉は、「コロナで景気が壊滅しているので、減税をした上でお金を配れ」というものだ。〈中期〉は「ベーシックサービスの拡張」で、医療・介護・保育所・障害福祉などの勤務条件を改善し、従事者を増やし、国民の老後への不安を軽減することで景気を刺激し、少子化の改善を期待するということを言っている。
〈長期的な経済対策〉は「新たな産業を勃興し、世界をリードするビジネスをして外貨を稼いで豊かになろう」という提案で、具体的には「自然エネルギー産業を勃興させよう」というものだ。「21世紀は温暖化問題などもあり、世界中が自然エネルギーにシフトしていく。日本には太陽光・風力・水力・波力・地熱などの発電技術において世界から抜きん出たものがあるので、これを推進して、自然エネルギー社会へのシフトをリードしよう」というのが枝野さんの主張である。その話がなぜデジタル化に関係があるのかというと、菅政権が〈長期的な経済対策〉を示していないからだと枝野さんは言う。「日本のデジタル状況は世界から取り残されており、そこに注力しても世界に追いつくだけで、日本の未来を輝かせることはできない」「政権が最重要課題としてそれに取り組むのはおかしい、長期的な経済対策のビジョンを出せ」というのが枝野さんの批判の内容なのだ。それを「後ろ向き」という言葉で表現している。
まとめると
というのが表題の発言の真意となる。デジタル化自体は枝野さんも賛成をしているが、優先順位や打ち出しかたがおかしいだろうという話なのだ。
記事の内容を読んでも上記のようなことは伝わらないし、扇動的なリード文がミスリード傾向を加速している。ブコメでも以下のような発言がホッテントリに入っている。
b:id:cu6gane 野党お得意の与党逆張りもここまで来ると呆れる…デジタルの対比で自然エネルギーを持ち出すとか「お前は何を言ってるんだ?」状態やん?よしんば自然エネルギー活用するにしたって今の時代デジタル必須だろ
b:id:ahomakotomahomakotom はい、立憲民主党はデジタル化反対なんですね。話にならないね。
b:id:zataku 「デジタルやITとか言うやつ=なんとなく悪、人間味が無い」と思ってる層のお年寄りを取り込みたいんだろうけど…。相手を無知だと思って馬鹿にしているのでは。
記事だけ読んでいれば、このような理解になるのは当たり前である。ブコメでこれなので、Twitterやヤフコメの惨状は推して知るべしであろう。
現在はコンテンツの消費速度がどんどん上がっている時代だ。みんな忙しいので、15分の可処分時間を使って野党党首の演説を聞く人などという人はおらず、見出しと本文を流し読みして「何いってんだこのバカ」とラベリングをして終わり、となる。
だからこそ、要約を担当するメディアの能力が問われる。そこで発言の肝要を捉えられていない記事を配信したり、PV稼ぎのつもりなのかそこにさらにヘンテコなリードをつけて配信をしてしまうと、誤読が進むどころか社会の分断をどんどんと深めていきかねない。その分断を上手く操れるものこそが為政者になるというような傾向すら、最近は現れてきていると思う。
相手が何を言っているのか正確に理解をして、対話的に批判をすること。分断社会を乗り越えていくにはひとりでも多くの人がそれをやっていくしかないと思うのだが、メディアが率先して無理解と嘲笑を煽って分断を深めてどうするのだ。くだんの記事を書いた記者、リードをつけた編集者はプロ失格である。あなたがたの仕事は、はっきりと社会を悪くしている。自分たちには能力がないのだ、社会人として仕事に向き合うスタンスに問題があるのだということを自覚して、猛省してもらいたい。
48歳のキモくて金のないおっさんであっても政治家としての経験が豊富で実績が見えていれば誰もバカにしないと思うが、
政治とも社会とも無縁のところからいきなりぽっと出てきたKKOであれば政治家の適正も能力もあるとは思えない上、総理大臣になるほどの者は過去誰だってある程度のキャリアを積んだ者だったことから考えても馬鹿げていると判断するに充分であり、それなのに理想や意気込みだけ語っても嘲笑されがちなのは無理もないことだろう。容姿などとは関係なく。つまり被害妄想だ。なんでもKKOに結びつけるべきではない。理性的に判断されたし。
うんちと書く人には少なくとも2種類いるらしい。
一つはうんち的文章が増えるのを抑止するために書く。
もう一つは素早く内容を把握する訓練で、内容がうんちの場合マークする。
前者について、うんちと書くと抑止力になるというのは、うんち的文章を書いた人や書こうとする人がうんちを見て嫌になり、書くのをやめる可能性を高く見積もっているのだ。うんちを付けられても平気だったり嬉しがったりするだろうと予測していたら、抑止力として使おうとは思わないだろう。自分の好みの場に保つためには他人を嫌な気持ちにさせるのだ、という自己認識は潔い。
この回答をした人は、うんち的文章が嫌いとまで行かないが、増えすぎてほしくないと言っていた。
後者はその文章がうんち的であるかどうかは、うんちと書いた本人の感覚でしかないので、内容把握力の検証はできない。訓練には何らかの効果があるかもしれないが、うんちをつけること自体は無意味だ。しかし自分で後からうんち付きを複数見直して、内容にブレがないか検証することはできる。もしかしたらそのような運用をしているのかもしれない。
なお、いわゆるうんち的文章を表すのに「うんち」という記号を使うのは、全く含意なく増田の伝統に則ったものなのか、多少は一般的にうんちという言葉が纏う否定的ニュアンスも含んでいるのかは興味があるが、そこまで突っ込んだ質問なされていなかった。
この2種以外に、憎しみや嘲笑や嫌悪といった強い感情からうんちを付ける人もいるのかもしれないが、未確認である。
親の意見を耳にいれなきゃいけない機会を極力減らすのが良いと思うよ。
穏やかな言葉を交わせる人をリアルでもネット上でも選ぶと良いと思うよ。
わざわざ苦しい思いを嫌な思いをすることない
白上フブキを許さない。
白上フブキとはホロライブプロダクション所属のバーチャルユーチューバーである。
チャンネル登録者数は2020/9/15時点で86万人。上にはキズナアイ・キズナアイサブチャンネル・輝夜月しかいない。
バーチャルユーチューバーとしては実質3位の人気だ。
エースは問題行動をしても咎められないし謝る必要はないというのだろうか。
白上フブキさん、怪文書ポエムスパチャ晒しツイートを引用RTするも批判が集中してツイ消し
http://doujinsokuhou45.com/archives/7110461.html
この一連の流れをリアルタイムで観測していたが、白上フブキという存在をこの時点で許容できなくなった。
そもそも他者へのスパチャ怪文書を晒したTwitterユーザ自体に問題がある。そのとおりだ。
だが仮にもホロライブのエースが、同じホロライブの後輩に当てられたスパチャを茶化すツイートを引用リツイートで便乗して茶化す。
これがどれだけ恐ろしいか。
少なくとも、ホロライブ所属のVtuberには今後二度とスパチャを投げるまいと誓った。
なにせ白上フブキというチャンネル登録86万人、Twitterフォロワー50万人超えのインフルエンサーに拡散を手伝われたらその影響は計り知れない。
推しにスパチャを投げていたら横で見ていた白上フブキの手で処刑されるようなものだ。
更に白上フブキが許せない理由は、この引用リツイートに対してファンからも苦言を呈されて炎上の様相を呈し始めたところでツイ消ししたこと。
その上、謝罪は一切なく、無関係の話題に対するツイートを何度か展開し、2時間後にはゲームの配信を始める始末。
「ああ、白上フブキは謝罪するということは絶対にないのか」と確信した。
当のスパチャ怪文書を晒された本人も引用リツイートにリプライして「別に構わない」と言っていた。だから本人に謝る必要はないのだろう。
だが、「今後スパチャを投げると白上フブキに晒される」という危険性を産んだことについてすっとぼけたまま配信をするのは筋が通らない。
誹謗中傷に対して法的措置をチラつかせているが、これも誹謗中傷・名誉毀損で法的措置を取るのか?
だが覚えておけ。撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ。
白上フブキが、ホロライブがすっとぼけ続けるなら私は自分の破滅を覚悟で安井金比羅宮にお参りに行ってやる。
推しにスパチャを投げるという至福の時間を、晒しの恐怖に変えた白上フブキを俺は絶対に許さない。
俺は長年の田中芳樹ファンだけど、残念ながらその頃と今回とでは「当たり前の批判」の社会的意味が違うんだよ。認識をアップデートしてよ。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
うん、銀英伝のファンのあいだでは「あいつ女を描けてねーよな」みたいな評は普通のものだったよね。そういう意味で、例の社会学者氏のツイートの認識はごくありふれた銀英伝認識を示したものだといえる。それだけを切り取ってみれば特に叩かれる要素はない。
でもさ、
ことと、
twitterという、簡単に支持者を社会運動に動員できるプラットフォームで、これまでさんざんコンテンツを燃やしてきた社会学者っていう属性の人が、表現の内容を変えるべきだと口を出したら、単なる批評の域を超えて作品へのバッシングを煽動してるようにしか見えないんだわ。
ジェンダーがどうこうというのも、そういうバッシングの際によく使われる常套句だからね。
「あっ、この状況、キズナアイバッシングで見たことある!」って思っちゃうんだよね。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
もちろん、昨今のネットの社会学バッシングはどう考えてもおかしい。一部のおかしな社会学者の存在で以て学問としての存在意義まで否定されるべきではない。
ところで、「すべての男がそうじゃない」みたいな言い訳をする男に対してノットオールメンって言ってきたのってどういう人たちでしたっけ?
文系のはしくれとしてはノットオールソシオローグスと言いたいところなんだけど、フェミニズムに同調して社会問題に口を出してきた社会学者がそれを言うことは、まあ論理的一貫性の問題を惹起するよなあ。
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
マトモな議論が成り立ちにくい環境を作ってきた責任を反ポリコレの側「だけ」に求められても困るんですが。
ポリコレが高邁な理想としての側面しか持ち合わせていなかったのであればともかく、実際には他の表現を抑圧する棒として使われてきていたという前史があった上での反ポリコレ側の過剰反応でしょう。
つい最近起きた騒動にだけ目を向けても、ジェンダーを専門とする社会学者によってキズナアイがバッシングされ、フェミニズムを掲げる弁護士や研究者によって献血ルームが攻撃され、「ミカンはお母さんが買うもの」などと宣うフェミ学者たちがラブライブの農協コラボを焼きに来た、といった話があって、その上で今回の社会学者氏の感想への過剰反応があるわけ。
ポリコレ棒でヒステリックに殴られてきた側がちょっとでもポリコレっぽく見えるものにヒステリックに反応するのは自明の理では?
悪いけど、ポリコレ棒を振り回して暴れ回ってきたポリコレ憂国騎士団の皆様にはもうウンザリしてるんだよ。
だからといってこちらも憂国騎士団ムーブをしていいことにはならないけど、ポリコレ側の憂国騎士団ムーブのことを棚に上げて反ポリコレ側だけを憂国騎士団と言われても困惑するほかないんだよね。トリューニヒトみたいな詭弁やめろ(憤怒)
実際問題、2013年の人工知能学会表紙事件以降、表現(特にオタクコンテンツ)をネットで叩いて社会問題化し、金と名声を得るというのは、社会学者の定番になってる。最も顕著だったのが宇崎ちゃん献血ポスター騒動
いや、ネットで表現を燃やしたところで影響力とか声望とか自尊感情とかはともかく金は得られんよ(少なくとも学者の世界では)。金目当てで彼らが動いているというのは被害妄想がすぎる。そりゃ有名どころのレーベルで新書とか書けばまとまった金は入ってくるかもしれんが、彼らは現段階ではtwitterで吠えてるだけで別に一般向けに売れそうな本を書いているというわけでもないし。
この界隈Twitterさえ見なきゃ起きてない論争多くない?ほぼネットそれもTwitterでしか「社会学者」を知らなそうな人多くない?
そりゃ、多くの人には表現を燃やしに来る「社会学者」の姿しか見えてませんし……
アカデミアあるいはそれと近いところにいれば、社会学といっても色々あって、ハマータウンの野郎どもを研究する人もいれば聖なる天蓋を論じる人もいて、ジェンダーやオタク文化に関心を持っているのは一部であり、表現を燃やしに来るのはさらにその限られた少数に過ぎず、もっと言えば社会学者といっても博士課程の院生から誰もが参照すべき大御所まで「権威」に勾配があることくらい理解しているだろうし「社会学者」を十把一絡げに論じるべきじゃないっていうのは自明の理なわけだけど、燃やされた被害者からはそのごくごく一部の姿しか見えないので。
アカデミアと縁のないそのへんのオタクにとって、哲学者や数学者や工学者や物理学者や言語学者や文化人類学者なんてろくずっぽ知らないのが「普通」でしょう。普通の人は良かれ悪しかれそんな学問について詳しい知識は持ってないんだよね(漠然としたイメージは持ってるかもだけど)。だからtwitterのオタクがロクに社会学者について知らないってのもある意味当然なのよ。
そんな学問についてよく知らない一般大衆は、まあ、自分たちの表現を燃やしに来た一部の社会学者の姿を見て「社会学者」のイメージを形成しちゃうよね。
もちろん「そんな社会学者ばかりじゃない」という異議申し立てはどんどんやればいいと思うよ。「そんな男ばかりじゃない」と同程度には正当性のある反論だろうし。
『ムーラン』と『銀河英雄伝説』が同時並行で話題になってホッテントリに出まくってるのに誰も『風よ、万里を翔けよ』の話してないのおかしくない!?
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。
■原作者田中芳樹さんのスタンス(らいとすたっふ安達裕章さんの過去ツイートより)
このあたり、マッグガーデン版の巻末付録につけた田中さんのインタビューで聞いたなあ。執筆当時の「30代男性」と現在のそれでは、かなり大きな差があるもんね。あとは女性兵士の描き方とか。田中さんも「いま書いたら、ずいぶん違う作品になったと思う」って言ってたわ。
それについては作者の田中さんも、当時の自分のもつ軍人のイメージが男性中心だったことを認めたうえで、いまの自分が『銀英伝』を書いたら、女性の活躍をもっと多く書いただろう、と言ってました。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
また、続いて安達さんのツイートを引用した通り、原作者は「銀英伝における女性キャラや活躍が少ない」という点について、それを創作上の弱点(という言い方が正しくなければ上手く描ききれなかった部分)だと認めていて、当時の自身の理解や価値観を前提とした描写だったとしたうえで「いまなら別の描き方をしていた」というスタンスをとっています。
男女役割分業の描写については特にスタンスを明確にしているわけではないですが、上記のように女性の活躍や社会進出については当時といまとで違った描き方をするだろうことを認めていることから考えるに、現在の価値観にそぐわない描写があることは作者自身も否定しないものと思われます(原作で描かれたヤンとフレデリカの生活描写を「現在の価値観にそぐわない」と判断するかはわかりませんが)。
このように、冒頭のツイートは以前からファンの間でも作品の問題点のひとつとして挙げられていた描写について、あくまでも個人の意見として再アニメ化を行うにあたり違和感のないようアップデートしたほうが良いと述べるものであり、いっぽうで原作者も原作には様々な問題点があることは認めたうえで「いまなら別の描き方をする」というスタンスをとっているわけです。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
■余談
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
創作物それ自体だけでなく、創作物に対する意見・批判を含めての「表現の自由」です。「表現の自由」を訴えるのであればその点を見誤るべきではないし振る舞いも自制するべきではないでしょうか。
■さらに余談
「Die Neue These」も良いですが、原作ファンとしてはいまウルトラジャンプで連載中の藤崎竜版銀英伝を激推ししたいです。キャラクターやエピソードは本伝・外伝・OVAなどからの好いとこ取り、それも全体として齟齬がないように再構成されており、さらに物語やキャラクターをより魅力的にみせるような改変も随所になされていて、原作を知らない人はもちろんですが、原作(特にOVA)を良く知る人こそ色々な改変や小ネタ、伏線を見つけながら楽しむことができるとてもよい漫画となっています。フジリュー版はいいぞ。
■追記
『銀英伝』の話題の火元を把握した。原作ファンが怒ってるけど、たしかマッグガーデン・ノベルズ版収録の田中先生のロングインタビューで、「フレデリカまわりの描写は、今だったらもうちょっと違うものにする」みたいなことをご本人がおっしゃってなかったっけ? 手元に本がないのでアレだけども。
知人から田中芳樹先生がフレデリカの描写について触れているインタビューのソース画像が送られてきた。私の責任で引用しますね。出典は『銀河英雄伝説 6 飛翔篇 』(マッグガーデン・ノベルズ) の297ページ・298ページ。商品にリンクもしときます。 https://amzn.to/33ncPLt
(フレデリカの料理の描写について)ただ、これも三○年以上前だから許された表現なわけで、いまの時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。
このインタビューを読めば分かる通り、原作者自身は問題視された描写についてはっきり「いまの時代にはそぐわない」という認識を示しています。原作者の現在の価値観やスタンスはむしろ冒頭のツイートに近いわけです。にもかかわらず、「あの描写は時代にそぐわないからリメイク(再アニメ化)では変更したほうがいい」という意見を言っただけの個人に対して今回のような揶揄・嘲笑・攻撃が向けられる状況はやはり異常だと思います。
二つ下の妹とは今は疎遠だが学齢期まではよく喧嘩もしたがまあまあ仲が良かったと思う。全く違う分野だが2人ともそこそこいい大学を出てそこそこ稼げる職についた。
成人して自分が親と疎遠になり家を出て一切生家との関係を絶った。
一人暮らしをしてしばらくしてからだと思うが、時折、妹に激しく罵倒される夢を見る。母親のこともあるが、妹の時の方が、よくそんなこと人に言えるなというような物凄い人格否定を夢の中で喰らい、ぐったりして目が覚める。いかにお前は卑怯で浅はかでわがままで幼稚かというようなことを嘲笑され、責められる。多分自分で自分に対して思っていることを妹の姿を借りて自分自身に罵倒してるんだと思う。馬鹿だとか無能だとかは言われない。妹より自分の方が優秀だと深層心理でも思っているからだと思う。
いつのまにか長年会ってもいない妹が自分の中で厭わしい顔も見たくない人間になっていた。
妹とはもう一生会わないのかもしれないが、そんな気がするが、親の葬式でもあり会う羽目に会ったらパニックを起こしそうな気がする。
アイドルや芸能人が炎上し、オタクがお気持ち表明し、それを見た人が「期待しすぎw」「理想を押し付けすぎw」と嘲笑する
という流れをここ数年よく見た。
応援していた対象のスキャンダルを受けてファンがショックを受けるなんて、勝手に理想化してただけのくせに『そんなことする人だと思わなかった』と怒りファンをやめるだなんて、あまりに愚かで勝手すぎる、
そういう意見も一理ある。
でも炎上きっかけでファンをやめることを「勝手に期待していたから」というのは安直すぎるのではないか。
例えば男性アイドルが未成年の女の子と飲酒しお持ち帰りをした、というニュースを見て出る「そんなことをする人だと思わなかった」という気持ち。
もちろん「見損なった」という意味で言う人もいるだろう。そういう人達は揶揄される通りに勝手に自分の理想の人物像をアイドルに押し付け、妄想し、本当はそれに当てはまらないという事実に勝手に裏切られた気持ちになっているかもしれない。
しかし、裏切られたとか憤る気持ちもなく、ただシンプルに、「そんなことをする人だと思わなかった」と思う人もいるはずだ。
私個人の話になるが、私は誰かのファンになる時、その人の表に出ない良くない部分を想像する。
恋人がいるかもしれない、恋人とSNSで匂わせに勤しんでいるかもしれない、ファンレターをオタクキモいと笑いながら読んでいるかもしれない、ヘビースモーカーかもしれない、
毎晩飲み歩いているかもしれない、酔って暴れたことがあるかもしれない、共演者を食い荒らしているかもしれない、違法薬物の経験があるかもしれない。
見えていない部分は「無い」のではなくて、「見えていないから実態はわからないけど、何かある」と思っておく。
想像じゃなくても、良くない部分が見えることもある。遅刻魔で、先輩に敬語が使えなくて、漢字にめっぽう弱い、など。
良くない部分を見ても、想像しても、自分がそれを「許容できるな」と思うくらいその人を魅力的に思えたら、私はその人のファンであると自覚する。
そしたら私は「推しがそんなことをするとは思わなかったな」と思う。
単純に「私の想像の範疇を超えていた」「そのパターンは想像していなかった」というだけの話だ。
「未成年の女の子と派手にお酒を飲んで飲ませてセックスをするなんて絶対しないような、紳士で、倫理観のある人だと思っていた」ということではないのだ。
応援している対象が自分の想像を超えた行動をした、それがわかった後でもファンを続けられるか。
私は推しが未成年とお酒を飲んでセックスしていても合意であるなら「なるほどそんなこともあるのか」と飲み込んでファンを続けられるだろうが、これが暴行しての強制性交なら絶対に応援を続けられない。
見えていなかったものが見えてしまった、見えたものが私の正義と相反した、私は私の正義が許せないものを支持できないから離れる。
自分語りでもいい、なんてのは少数派でしょ。スルー、うんち、嘲笑が殆ど。玉石混交の物量からヒットは生まれるが、現状不快な反応もらう可能性が高いので増田文学的投稿は減っていくかもね。知らんけど。
親が愛してくれます。
もうとっくに成人して久しく久しいのに。
私がこれまで知っていた「親」という人は、継母で、私の存在を知った時から、私が消滅するようにと日々願っていた。
それで私は、私が自殺したら「家族」が喜ぶのだと、ヒシヒシと感じながら成長した。
私が日々繰り返してきたリスカは、手首を切るとか肉体に分かりやすい傷を付けるなんかじゃなくて。
自分の心を自分で押し潰し押し殺し、自分の魂を殺し、ボロボロで何も無い自分を更に切り取って、何の不自由もない「家族」のために捧げ続けることだった。
そんなんで、生きることなんか、当然、できる訳が無くて。
両親と家族の愛情を一身に浴びて、スクスクと育つ腹違いの兄弟にとっても、両親が嫌がる私の存在は許せないようだった。
同じ「両親」の光と陰を彼らは知らなくて、知る必要もなくて、「両親」の陰を一身に投影した私を殊の外、蔑むのだった。
「兄弟平等にする方針」と「両親」は言うなかで、彼らは同じ家の中にいながら、別世界の生物だった。
心象風景は、室内で団欒する家族の暖かい光を、夜毎、暗い外にある見すぼらしい死ぬ小屋から私は独り眺めている、そんな感じ。
本当に私は生きられなかった。
それは、とりもなおさず、全て私自身が悪いのだ。「誰も」がそう思っていた。「家族」もそう思っている。
きっと紛れもない事実でもあるのだろう。
しかし、そんな私のままで、今は多分、生きかけている。
私を愛している実の親に出会ったから。親が私に「生きて」と思ってくれているから。
それで今や、私は他人を愛すことすらできるようになった。
いや、下手な新米だから、他の人に比べれば、きっと、あんまり愛せて無いけど。
辛く思う時があっても、それは一瞬たまたま雨雲の下に居るだけだと知っている。
闇の中で闇しか知らなかった時、実は私のための光が常にあったのだから。
ただ、私にその光は届いていなかっただけで。在り続けていたから。
この愛を人生の初めからずっと、当然に受け続けてこれる普通の人達を思うと、ああ。
ため息が出る。素晴らしいんだね、人生は。
最初に言っておくと夫は特に経済的に困っているわけでもなく、この間祖母からまとまった額の相続をしたはずなので8桁の貯金もあるし、彼自身が自由に使える可処分マネーもある。お互い水商売やギャンブルをするわけでもないし、支出について特に制約をつけているわけでもない。
入手困難品を手に入れたいという欲がすごく強いようで、不要なのにそういうものやたらと買ってくる。
そして彼は、転売ヤーにすごい憧れている。ニュースなどでマスクや消毒液の転売ヤーが取りざたされていたら嘲笑しつつも、二人で「こんな額で売れるんだ!」と素直に驚いていた。夫は「働かなくてこんな額が手に入るなんてすごいよな~」と、転売ヤーの不労収入にをうらやましく思っているようだった。
コロナで私の勤め先が業績悪化になり、6月のボーナス支給額が激減したあたりから、彼の脳内では「入手困難品を手に入れ、妻にメルカリで転売させれば、転売益で収入減を補填できる」ということになっていた。
ここ数か月、彼は本当にいろいろな入手困難品を、そんなに必要性高くないのに手に入れてきた。ニンテンドースイッチ本体、ニンテンドースイッチライト。どうぶつの森のamiiboカード、リングフィットアドベンチャー。人気アニメとコラボのユニクロTシャツ、エコバッグ、タオル。「妻が喜ぶと思って」と彼は買ってくる。「いらない」というと「じゃあメルカリで売れば」。「君が買ったんだから、君がやりな」というと出品・発送といった作業が苦手なようで面倒がってやらず、どんどん市場価格が下がるので私がやるはめになる。「もっと必要度が高い人、ニンテンドースイッチだったら夏休み中の子どもとかが手に入れるべきなのに」と言っても聞く耳をもってくれない。
この間、「手数料や送料を抜いて原価抜いたら手元には60円くらいしか残らないんだよ、全然もうからないんだよ」といったら、しょんぼりとして「そうか・・・俺には転売のセンスがないんだな」と納得したようだけど、こんなの一時的だと思う。彼はまた入手困難品を見つけたら、転売しようと買い求めるのだろう。そのたびに出品作業をやらされるのは私だ。
ああー、ほんといやだ。それ以外は完ぺきな夫なのに。。。
不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。
家からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。
病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちらから一方的な話をするだけの診療だった。
結局、睡眠導入剤だけを渡された。
薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。
同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部は休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。
社長から休職前の限界ギリギリだった頃の行いを掘り起こし、イヤミをネチネチ言われ、人事考課の評価を下げられた。昇給は二度見送られた。
やってられるかよ、と会社を辞めたのが昨年夏。
会社を辞めた日に運悪く伝染病にかかり、重症化を引き起こした。
そこから数ヶ月、後遺症が引くまでは特に何もできずに過ごした。
体調も回復してきた。貯金も無くなってきた。そろそろ就活を再開するか…、と思った年明け。
私のメンタルはなぜかズタボロになった。
一日中ベッドに転がり、トイレ以外にどこにも行けないという程に悪化していた。
頭の中は冷えていて何もなく、空っぽなのにうるさく感じた。
耳鳴りやめまいは止まず、寝返りを打つのにも酷く体力を持っていかれた。
頭皮と頭蓋骨の間が痒くなるような、脳みそをぐにゃぐにゃ触られているような気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていた。
家事もできず、風呂や着替えすらままならなかった。会社を辞めた頃に実家へと帰っていたため、家族からの言葉や視線が恐ろしくてたまらなかった。家族は私を咎めるようなことは何一つしなかったというのに。
そのうちに「働いてもいないのにご飯を食べていいわけが無い」と思いこみ、ご飯をほとんど受け付けなくなった。
そんなある日、首を吊った。紐を部屋のドアノブにかけて、座った状態で吊ろうとした。
普通に失敗した。
何も考えていなかった。発作的に死のうとしたため、ドアノブに紐を上手く括ることが出来ないまま体重をかけた。
ドアノブが動き紐は外れ、私は無様に床に落ちた。
あまりに情けなさすぎて死にたさが増した。
こんな簡単なことすら失敗するのかと、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。
紐を巻き直す力もなく、布団に潜り込んで泣いてるうちに眠っていた。
貯金は既に数百円だった。
何とか手もみマッサージのバイトに滑り込んだ。歩合制だったので日給で数千円をたまに稼ぐことができた。それだけでどうにか生きる気力が戻ってくるようだった。
新人に客がつくわけもない。リピーターだってコロナで自粛して来なくなった。店に行く交通費だけが出ていくようになった。
私はバイトを辞めた。完全歩合制はクソと言いながら、今度はちゃんと求職者と企業を繋ぐ斡旋会社に世話になり、スーツを着て就活に挑んだ。
全て落ちた。
面接にこぎつけても落とされた。
今は仕方ないと皆が口を揃えたが、仕方がないわけがなかった。
段々と時間をかけて「お前はいらない」「必要ない」と社会全体から否定されている気分になって、夜になると毎日泣いていた。
給付金がなければもう一度死を選んでいたと思う。
再び一日布団に埋もれる生活が戻ってきた。
気がつけば朝、気がつけば夜を繰り返した。
人の視線が恐ろしくてたまらず、家の敷地から出られなくなった。
外に出るとどいつもこいつも私を指さして嘲笑っているように感じた。人と目が合わせられない。落ち着かない。消えたい。車道に飛び込みたくなる。希死念慮が払拭できず、動けなくなった。
スーパーに行けば過呼吸を起こし、電車に乗ることを考えるだけで胃が痛んだ。
そんな生活が続いた長雨のある日、缶が開けられなくなったことに気がついた。プルタブを起こすことが出来ない。ペットボトルの蓋も同じだった。
体にとにかく力が入らない。入れているのに、ものを持てない。フライパンすら片手で持てなくなっていた。
階段を挙がるだけで息が切れた。
開けたばかりの牛乳パックを片手で長く持っていられず、あまりの非力さに自分で引いた。
ゾッとして、腹筋をしてみようと考えた。
1度も出来なかった。体が重くて持ち上がらない。
その時の私のBMIの数値は20。私は数値だけを見れば決して肥満ではなかった。痩せてもいなかった。しかし、体脂肪が高く、体のほとんどを脂肪が占めており、とにかく筋肉がなくなっていた。
最低限日常を生きてくための筋肉すらないことは恐ろしくて、何よりも情けなかった。
鏡に映った自分は、生きる気力を失っている豚だった。
豚ですら体脂肪率は15%前後だ。そんなものと比べたら私は脂身そのものだ。豚に失礼だった。
筋肉をつけるための筋肉すらないのなら、今の体すらも重すぎると考えて、まずは体脂肪を減らすダイエットをしようと考えた。
結果が出なかったら今度こそ死のうと考えていたので、勉強は割と真面目にやったと思う。
動画サイトを巡回し、ダイエットブログや本を読み、栄養学に手を出した。痩せるためのノウハウを頭に叩き込んだ。
本当に特別なことは何も無いダイエット方法だ。よく動き、必要なものを摂取し、余計なものは食べない。それだけだ。
まずは白米と別れを告げた。
あとはなんてことは無い。ただ動いた。
最初に有酸素運動を始めた。最初はとにかく家から出られなかったので、雑誌を重ねて養生テープでぐるぐる巻きにした台を作り、ひたすらに昇っては降りた。
踏み台昇降はYouTubeやTwitterを見ながら、たまにゲームをしながらだらだらと、しかし確実に成果を積むようにした。
とにかく体を動かす癖をつけることを重視した。
動いている実感が欲しくて、筋トレ動画にも手を出した。高負荷はかけられなかったので、エクササイズレベルの軽いものを、毎日動画1本分はやると決めた。最初は筋肉痛で眠れなくなった。
効率も、筋肉に効いているかすらも無視し、とにかく習慣になることだけを考えた。
YouTuberの丁寧な編集の動画のおかげで、やる気は折れず、どうにか毎日続いた。
一ヶ月になる頃には確信に変わった。
体重も体脂肪は少し落ちただけだ。ダイエットが成功したとは言わない。
まず、朝が怖くなくなった。食べることへの罪悪感もなくなった。ちゃんと腹が減ることに感謝した。
そのうちに筋トレの質も気にし始めた。ジム通いはできなくても、水を入れたペットボトルは用意できたし、チューブは意外にも安価だった。
車庫に放置していたローラー台を駆使して自転車に乗るようになり、しっかりと栄養バランスを考えたご飯を食べた。
筋肉をつけるためにプロテインを飲み、体内の水分の循環のために水を多く取るようになった。
ふと気がつけば自分から進んで家族の使いとして買い物に出るようになり、プロテインやダンベル欲しさにいつの間にか就活も再開していた。
汗をかくことに気持ちよさを感じ、体の軽さと心の軽さに感動する自分がいた。
「出来ることない無能、早く死にたい」から「こんなゴミでも出来ることあったんだ」へ変化し、そのうちに「少しでも頑張れてる。えらい」になっていった。
ダイエットを初めてから1ヶ月で体重3キロと体脂肪率を約3%落とした。
自転車を漕いだ距離はもう少しで北方領土から東京までぐらいの距離に届きそうだ。
運動後にかいた汗を流すシャワーが何よりも気持ちが良く、夜には健全な眠気が訪れるようになった。
ペットボトルも開けられる。外にも出られる。
人はもうそんなに怖くない。
ここから筋肉を育てていく。ダイエットとしては始まったばかりで、正直ここからが本番だ。
私はまだ豚だ。だが、首を吊ろうとして失敗した頃とは180度違った自分が鏡に映っている。
私は君を長年にわたって裏切ってきたのに、君だけは私を裏切らなかった。
それから普通に裏切る関節や内臓はいたわっていく。あいつらは消耗品だ。
アラサーはもう決して若くねーのだ。
でも遅くはなかった。絶対に。
誰かに私のやり方を真似しろとは言わない。この文章も忘れないために書き散らしたものだ。
医者いらずとは言わないし、万人の鬱が筋肉で全てが良くなるとは思っていない。
ただ、私にとって、メンタルの回復のために、筋肉がとても頑張ってくれたという話だ。
筋肉という名の相棒よ、メンタルは君に預けた。これからも一緒にクソ鬱をぶっ飛ばしていこうな。
【追記】
沢山の反応ありがとう。
かなりフェイク入れてたし文下手だからちょっと矛盾もある。読みにくくて申し訳ない。こんなに反応があると思わなかった。
おめでとうって言葉はすごく嬉しかった。自分で結果出して自分で褒めてたけど人からの反応は全く違うね。
本当にありがとう。死ななくてよかったよ。
【補足とかコメントへの反応】
躁鬱じゃね?病院すすめる
→心配ありがとう。当初はあまりの回復の速さに自分でもそう思った。
なんかあった時の頓服として、私にあう病院が見つかればいいんだけどなあ。難しそうだ。
「言うほど捩じ伏せてない」
→そりすぎてソリになったわね……
バルク全く足りないよ。題名負けしてるからこれからつけてしっかり捩じ伏せていくよ。許してくれ。
→それはあなたの運動中のフォームがしっかりとしていて、負荷もきっちりかかってるからだと思う。
踏み台やってた時は携帯いじりながらダラダラ惰性みたいに昇り降りしてた。汗だくにはなったけど負荷は軽かった。
そもそも1時間の有酸素運動は筋肉の分解が進むから余程の脂身を背負ってる人以外にはオススメはしない。
ダイエットやトレーニングも医者とおなじ。自分の今の体型やなりたい体型に合わせて自分で調べて勉強して試行錯誤をしてほしい。
○○は危ないとか色んな意見について
→先にも書いたけどこれが私にあってただけという話。自分でいいと思った方法を信じるのが一番。餅は餅屋。だがセカンドオピニオンも大事。最後に決めるのは自分。
あなたはその話を信じる。私は自分の導き出した話を信じる。そんでよい。
ただ、つらい人たちをトンデモ療法で騙して金むしり取るアホは許さん。
身も蓋もないし題名と矛盾するけど、筋肉そのものが鬱を治したわけじゃない。
しんどさの根源、壊れた自尊心の修復のために、トレーニングをして成功体験を詰んだというのが真理。
あとは家族。ただ単純にものすごく恵まれてた。ギリギリ金を借りるにはいたらなかったがかなり甘えて頼った。恩はこれから返すよ。
これにて終わり。
読んでくれてほんとにありがとう。
誠心誠意教える老夫婦
そんな日が始まってから1週間
老夫婦がいつも通り準備をしているとカメラを担いだ外国人が押しかけてきた
ナポリタンを教わりに来たイタリア人は実は有名なイタリアンシェフ
こんなものは食べるに値しない
俺が本物のパスタを教えてやる
どうだ?これが本物のパスタだ
これからはナポリタンなんて辞めて俺が教えた本物のパスタを店で出すように
老夫婦の姿はテレビで放映されイタリア人から嘲笑されるのであった
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日本では間違った日本食を矯正するためにわざわざ海外の日本料理店に板前を連れて行くテレビを盛んにやってて好評みたいだけど、逆の立場でやられたら絶対炎上するよね。
楽しみにしてる舞台、黒人と白人のハーフのキャラがいる。それが役者が黒塗りした写真を上げたらブラックフェイスだって海外のやつらから抗議されてる。別にその写真に嘲笑の意図もない。ただただキャラクターを忠実に再現しようとしただけ。なのに抗議はまだ止まない。
うるせ~~~~~~~~~~~~~~知らね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そもそも白と黒の争いを黄色人種の国に持ち込むんじゃねえよ。ここはメリケンじゃねえ、日本だ。そんなことも分かんねえのか。
配慮だの歩み寄りだのギャーギャー騒いでるが黄色人種の国でやっている黄色人種向けのエンターテイメントで配慮しなければならないのかが分からない。これがハリウッド映画なら配慮しろって意見は分かる。
だがこれは日本でしかやらねえ日本語の舞台だ。笑ってはいけないのときも思ったけどなんであいつら勝手に覗き込んで勝手に傷ついて勝手に抗議してくるんだ?
たしかに彼らの歴史には同情するよ。そりゃ奴隷にされて、近年までずっと人間として扱われて来なかったのは可哀想だよ。今でさえ白いやつらは自分たちの方が優れてるって思ってるしな。
でも、例えば自分の家の庭で植物を育ててたとして他人が勝手に庭を覗いてきて、その育ててた植物が「それはうちの先祖を殺した毒草だからうちの庭では切り落としてる!だからそっちも切り落として!」なんていわれて自分本意なのはどっちだと思う?いやどう考えても勝手に覗いてきたほうだろ。
こんなこと言ってると「お前らだってつり目ジェスチャーされたら嫌だろ」って海外の方から言われるけど何も思うところがない。だって黄色人種ってそういうものだから。