2020-09-10

親が愛してくれます

もうとっくに成人して久しく久しいのに。

これだけでも、生まれてきて良かったかなぁ、なんて思う。


私がこれまで知っていた「親」という人は、継母で、私の存在を知った時から、私が消滅するようにと日々願っていた。

それで私は、私が自殺したら「家族」が喜ぶのだと、ヒシヒシと感じながら成長した。

『「親」を喜ばせられない子供は悪い子供なのです。』

私が日々繰り返してきたリスカは、手首を切るとか肉体に分かりやすい傷を付けるなんかじゃなくて。

自分の心を自分で押し潰し押し殺し、自分の魂を殺し、ボロボロで何も無い自分を更に切り取って、何の不自由もない「家族」のために捧げ続けることだった。

そんなんで、生きることなんか、当然、できる訳が無くて。


生きられない私は、やがて「家族」罵倒され嘲笑されて。

ボロ雑巾存在最後までボロ雑巾しかなかった。


両親と家族愛情を一身に浴びて、スクスクと育つ腹違い兄弟にとっても、両親が嫌がる私の存在は許せないようだった。

同じ「両親」の光と陰を彼らは知らなくて、知る必要もなくて、「両親」の陰を一身に投影した私を殊の外、蔑むのだった。

兄弟平等にする方針」と「両親」は言うなかで、彼らは同じ家の中にいながら、別世界生物だった。

いや、私こそが別世界エイリアン

心象風景は、室内で団欒する家族暖かい光を、夜毎、暗い外にある見すぼらしい死ぬ小屋から私は独り眺めている、そんな感じ。


本当に私は生きられなかった。

それは、とりもなおさず、全て私自身が悪いのだ。「誰も」がそう思っていた。「家族」もそう思っている。

きっと紛れもない事実でもあるのだろう。


しかし、そんな私のままで、今は多分、生きかけている。

私を愛している実の親に出会たから。親が私に「生きて」と思ってくれているから。

それで今や、私は他人を愛すことすらできるようになった。

いや、下手な新米から、他の人に比べれば、きっと、あんまり愛せて無いけど。

辛く思う時があっても、それは一瞬たまたま雨雲の下に居るだけだと知っている。

闇の中で闇しか知らなかった時、実は私のための光が常にあったのだから

ただ、私にその光は届いていなかっただけで。在り続けていたから。


この愛を人生の初めからずっと、当然に受け続けてこれる普通人達を思うと、ああ。

ため息が出る。素晴らしいんだね、人生は。

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