はてなキーワード: 再現性とは
横からだけど
「40代独身が日本を滅ぼす」って話そのものが「40代独身率と日本のヤバい度がリンクしてる」って程度の知見だろ
仮にこのアイデアが超絶有能AIによって再現性が認められたとしても
http://dlit.hatenablog.com/entry/2018/10/10/080521
https://anond.hatelabo.jp/20181010122823
私もこの流れに賛同したので続きます。私は博士課程の学生なので、多少間違いがあるかもしれませんが、大筋は合ってると期待します。身バレしない程度にざっくりとした纏めにとどめますが、誤りがあった場合の修正については諸氏にお願いしたい。他の研究者の諸事情を聞くのは面白いですね。
というようなモノになると思います。各分野を横断する様な複合的な研究も多いのですが、大雑把にというところでお許しください。最も著名な研究者は現在はドワンゴリサーチを主幹しておられる西田先生でしょう。
国内ですと画像電子学会、VCシンポジウムといった会議や雑誌に投稿しますが、国内への投稿はあまり重要視されていないという現状があります。では、どこへ投稿するのか?といいますと、Siggraph (Asia) 、 Eurograph、Pacific Graphics などの主要な総合会議になります。主要会議については、インパクトを重視する面もあるのですが、各ジャンルで、例えばレンダリングではEGSRなど、主要な国際会議と同等レベルの難易度とみなされる会議があり、これらの専門ジャンルの分派会議は総合会議よりは多分に理論的な研究が発表される傾向があります。最も評価が高いのは主要三会議ですが、それらでの採択が無理なら、再実験や修正したのちに、ランクを落として投稿し、より注目度の高い会議での採択を目指します。
CGの論文は、ACMのデジタルライブラリーに公開されるほかは、殆どの場合は著者の一人がプレプリントを公開する慣習があります。ACMのみですと会員登録をしていない実業界の人の目に触れにくいという事情が影響しているのかなと。SiggraphとEurograph及び主要な分会を除いては、基本的には国際会議で発表された論文は、Proceedingになります。基本的にはというのは、その中の優れたもの何報かはジャーナルに採択されることもあるからです。またジャーナルに直接応募する事も出来ますが、ジャーナルへの投稿は会議への投稿よりも時間を要する事情もあって国際会議へ投稿する人が多い様です。当然ですが、これらは全て査読されます。何度もリジェクトされます・・・。
https://www.eg.org/wp/eurographics-publications/cgf/
https://www.siggraph.org/tags/tog
一般的な論文のページ数は1ページ両面印刷 2段構成で10P程度です。とても短いですが、短い分だけ綺麗に纏める能力が問われる事になりますし、一言一句と言えども無駄にできない厳しい調整を繰り返して執筆します。
主要会議は下記のリンクに纏められています。リンクから論文も見れますので、ご興味があればどうぞ。
http://kesen.realtimerendering.com/
CG業界における最高峰の雑誌は、ACM Transactions on Graphics で、IFは 4,218となっています。
次いで重要なのが、
IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics でIFは 3.078。
Computer Graphics Forum でIFは 2.046。
ieee computer graphics and applications で、IFは 1.64と続きます。
残念な事ではありますが、CGではIFが1.0を超えるジャーナルは少ないので、研究者の多さに比較して掲載枠は少なく競争は非常に激しくなっています。これもジャーナルよりは、それと同等に評価されるトップカンファレンスの proceedingにする理由かもしれません。
学位の取得難易度は、理工学系では高くない方だと思います。博士を取る過程で要求されるのは、雑誌ないし高レベルの会議のproceeding 2報というのが観測範囲での相場です。国内会議への投稿や、査読なし投稿、講演資料などを含めると5本程度はある感じになるのではないかと思います。博士を獲得するまでにかかる時間は3年となっています。それより長くかかる人も、短く終える人もいます。アカデミックなポストは常に足りない状況にあり、非常に優秀な研究者も結構苦労してるように見受けられますが、産業界に就職する場合は非常に簡単です。
CGをやる上で必要になる数学と物理は、基礎科学分野では学部生時代にやる様な初歩的な数学や物理です。最適化問題を解くことが多くなる関係で最適化数学についてはよくやっておいた方が良いようです。この辺りはジャンルに関係なく一通り勉強しておく必要があります。数学や物理の勉強量は、基礎科学分野よりも多くはない分、情報系のアルゴリズムに関する基本的な理論やプログラミングによる実装能力が問題になります。研究の為には比較対象となる研究を数本程度自分で実装したりする必要がある上に、バグを出せば致命傷になるという点が実装力の高さを要求する理由です。優秀な学生は、そこらの社会人よりも優秀という事は珍しくなく。プロコンでレッドコーダー(日本で20人程度らしい)を持っているという様な人もいます。
一本の研究を終えるのに読みこむ論文は、20~50、自分で実装する研究が 1~3、という量になると思います。斜め読みするものまで入れると、その倍くらいでしょうか。物理学と比べると明らかに楽ですね。
CGでは、どのジャンルを選ぶかで博士の取り易さに差はないように思えますが、レンダリング分野は先鋭化しすぎていて、既存の研究をキャッチアップして実装し、自分の研究を行うまでの間に膨大な努力を必要とする上に、光学的にみて正しいのか?(追記: 実際に物体に光を当てた場合に得られる画像ないしデータは、計算によって得られた結果と等しい物になっているのか? )という様な厳しい評価を受ける傾向があり、(CG系の)他分野に比べて業績を出すのが大変だと思います。研究者の中には10年以上に渡って育てて来たレンダリングエンジンをベースに研究を行う為に新参との差が大きいのです。そういう意味で優れた研究者に師事する事が非常に重要と言われています(師匠がエンジンを持ってますので)。最近は深層学習との組み合わせも増えてきているので、勉強量は非常に多いジャンルだと思います。その分、ゲームや映像分野で花形であり就職の際には引く手あまたになります。
近年、流体シミュレーションや弾性体シミュレーションは、新規性を出すことが難しいジャンルの一つと言われていて、トップカンファレンスでは採択本数が多くはありません。テーマ選びが難しい分野だと思います。リアルタイムなシミュレーションが難しい分野なので、ゲームなどでの応用を狙ったリアルタイム化の研究などが学生には人気がある様です。リアルタイム化すると理論的には正しくない、という様な齟齬が生まれる事が難しく、その折り合いの付け方に肝があるようです。レンダリング同様に就職に強い技術でしょう。流体力学や有限要素法などの知識を特に必要としますが、定型化されている部分があるのでキャッチアップはレンダリングよりは容易と思います。
モーションとはどんなものか?というと、ゲームや映画などで使われるキャラクタの動作=アニメーションの事です。行われる研究はすぐにでも実用化できそうな研究が多く、実際に企業(ディズニーなど)での研究成果が発表されることも珍しくはありません。髪の動作の研究なども、モーション研究のテーマの一つです。これも就職するなら強い分野です。特定の数学や物理に依存せず、基本的な数学の知識全般を必要とします。例えば衝突を考慮するならば力学を使うというような感じです。
かつてはCADなどで流行りのジャンルだったのですが、CADの研究が下火になったこともあり、現在は傍流の研究です。ただ形状解析の研究は、テクスチャ展開などCGに必要な技術を支えるものではあるので、現在も一部の研究者によって行われています。ゲームや映画で使うLODを作成する技術も、この分野の成果の一つです。他にはMRで赤外線センサーから取得した点群を形状に変換するといった場面で研究が役に立ちます。就職という観点から見ると、企業からの需要は少ないかもしれません。微分幾何と一部は位相幾何が特に必要となる知識です。
画像処理は画像認識系の会議へ行く事も多いのですが、近年、注目を浴びているのは、深層学習と組み合わせることで、ラフな線画をプロが書いた様な鮮明な線画に自動的に置き換えたり、また無彩色の画像に彩色する様な研究です。特に必要とするものはなく広く知識を必要とします。部分的には、色空間を多様体と考える様な研究もあったりするので、位相幾何学をしっていないとというような事もあります。伝統のある研究ジャンルだけに、問われる知識も広範です。画像認識系の研究にも精通している必要がある為、論文を読む量は多いでしょう。
基礎科学系では疑問視されることはないと思いますが、学科としての歴史が浅くかつ実業に寄った分野なので、論文の評価はどうなってんの?という疑問があるかと思い追記します。
査読の際に問われるのは、手法の妥当性です。先行研究との比べて何が改善されているか?理論的にそれは正しい計算なのか?といった事を主に問われます。情報工学のCG分野も科学ですので、先行研究との比較もデータを集め、解析的に、何がどの程度良くなっているか?を記述します。また、各研究が基本的な知識として使っている基礎科学系の知識にそって、理論的に研究手法が正しいものであるかも厳しく見られます。査読によって疑問を示された場合、一定の反論期間を与えられます。
研究者は査読を通過するために、動画やプログラムコードなど、再現性を示す資料を合わせて提出することで、査読者を納得させる工夫を行います。時には論文そのものよりも追加提出資料のボリュームが大きくなるという事もあります。というか、それが常でしょうか。
自身の研究も含めて既存の研究は、後発の研究者によって実装され検証されます。上手くいかなければ質問を受けるし、疑問を提示され、後発の論文で批判を受けることもあります。そうならぬように、実装したものを公開している研究者もいます。親切な研究者であれば、比較に使うと言えばコードや実験に用いたデータをくれることもあります。
以上のような仕組みによってCG系の論文は研究としての質を保っています。地道で厳しい基礎研究ではなく、実業に近い応用的な研究なので、すぐに企業で使われる事も多く、それも研究の妥当性を証明する一つの手段となっています。
sisopt 結構誤りあると思う。SIGGRAPH(Asia)論文はTOGに自動的に載るし、TOGに載った論文はSIGGRAPH(Asia)での発表権が与えられるからそれらは同等
これはその通りです。誤った情報を書いてしまい、失礼しました。業績要件については私の知ってる方を含めての狭い観測範囲ですが、なるべく高いレベルで 2報という方が多いようです。全大学ではないことはご了承ください。ご指摘いただきありがとうございました。
まずこっちが例として挙げてやったスーパークラウン(クッパ姫)を萌え絵だと主張してからにしろよ
譲歩してやって他に例を挙げてやると、コイルでも田代でも祭りになったよな
プラスして公式介入なしじゃないとダメなら、 tps://anond.hatelabo.jp/20121119190913 でいいし男性向け事情も同じようなもん
プラスして漫画アニメ系はダメとか言うなら、上記記事の小説・芸能系が反例に挙がるし、海外含めればKirk/Spockとかもそうだわな
ネットミーム(祭り)全体の普遍的発生原因を特定できるなら論文投稿して賞もらえるレベルだし
お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベルの査読が行われていなければ再検証の対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文の価値を実質決定する。
被引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国の歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究者人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメな研究を引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用の多寡は直接的には論文の価値とリンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的にリンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。
そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文が価値があるとみなされる構造に問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文のクオリティを担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。
偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者の放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学に限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?
お気持ち表明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算も時間も考えられない程かかる。
先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究で引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークのデータに依拠する以上原理的に完全な再現が不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別の事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論だから、再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学と天文学と生物学と理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系がスタンダードな研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。
逆を言えば、文系の場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。
ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物が発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアルな新規性もあるし、独創的な理論や解釈を提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象を研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから被引用数を重視する文化が存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。
社会学は、自然科学で多く用いられているクロスチェックによる正当性の評価方法が採用しづらいゆえに弱いようだ。
社会学が人や集団を相手にする以上、倫理的に問題のある行為はできないし、再現性も後になってみないと分からないものも、検証のしようもないものもあるだろう。
では、フィルターがまったくないかというとそうでもないようだ。
「比較しろ」って簡単に言いますけどね――質的調査VS量的調査 岸政彦×筒井淳也
https://synodos.jp/society/19195
上記の記事中では、特に質的評価と呼ばれる手法が、評価しづらいという指摘がされている。
そのなかでもフィルターに近い作用は以下の文章にあらわれている。
「質的調査にも、いわば「社会問題の共同体」みたいなものがあると思うんです。そこには、研究者だけではなく、当事者、活動家、行政、メディアだったり、いろんな人が緩やかにつながっている。もちろん共同体といってもみんな仲良しという意味ではぜんぜんないですよ。その内部には葛藤や亀裂もあります。ただ、いずれにせよ、そういった人たちが論文を読むことはまれですから、たくさんくだらない論文や報告が出てくるんですが、そのままそんなことを続けていると、後から別のところで叩かれたり、調査が出来なくなっていくんじゃないか。ひとりの質的調査者の研究が、当事者や関係者たちとの関係性のなかで批判されて、広い範囲で、長いスパンでフィルターが効いているんじゃないかとは思っていますね」
まさに今炎上中の社会学者は社会との齟齬によって淘汰されつつあるのだと思う。
とてもウェットな世界のようにも思う一方で、自然科学の世界でも似たりよったりのようにも思う。長く残る人の中には、その人柄であるとか、昨今低くなっているという論文の再現性が高いとかの個人の信頼みたいな、業績としては評価されにくい隠しパラメータが高い人も結構いる。
https://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/1316a8dad8d53aef57063e651b0763cb
そういう人でもテニュアのポジション取るまでは苛烈な性格だったとか結構あるけど。
脱線したので話を戻す。現在はTwitterによって市民の目が届く範囲に社会学が降りてきてると言えるのかもしれない。市民の目による監視も完璧なシステムではないと思うが(人気投票的で、長期間での研究価値とは別の軸で評価されやすいなど)、大学の中だけで閉じていくよりは新しい評価軸の発生は概して好ましいことではなかろうか。
先日、加古川の肥料メーカー多木化学がバカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)の完全人工栽培成功を発表した。それを森林ジャーナリストの田中淳夫氏がyahoo!ニュースで取り上げた記事は、多数のブクマを集め話題をさらった。
ただ記事の内容には不正確な情報や、やや解説が不十分と感じる点があったので補足したいと思う。なお増田は単なるきのこ愛好家に過ぎず本稿は信憑性に乏しいが、ブクマカのきのこへの興味と深い理解の一助となれば幸いだ。
冗長になってしまったので、概要だけ知りたい方や長文が苦手な方は、先に下部の【まとめ】を読まれることを推奨する。
バカマツタケはマツタケの近縁種。名前が名前だけに、マツタケより劣るように思いがちだが、実は姿もよく似ているうえに味と香りはこちらの方が美味しくて強いと言われるキノコである。
マツタケよりも香りが強いというのは一般に言われるが、マツタケよりも美味しいという話は聞いたことがない。野生下ではマツタケよりも相当に貧弱で、発生時期が早く暖かいこと、一般に湿度の高い広葉樹林に生えることから、マツタケよりも柔く品質の劣化がはやい(一般的にきのこは寒冷地・痩せ地に生えるほど日持ちが良く高品質なものを得やすい)ことが関係すると思われる。近縁で姿がよく似ているというのは本当で、素人目には見分けがつかない。増田にも発生場所の情報なしに個体だけで同定できる自信はない。
バカマツタケをサマツと呼ぶ地域は確かにあるらしい。しかし必ずしもサマツ=バカマツタケではない。きのこの地方名は極めて多様で曖昧な世界だ。その証拠に「サマツ」といっても梅雨時期に少量発生するマツタケを指すこともあれば、モミタケやオオモミタケ等を指す地域もあるようだ。
マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境に適応しやすいから栽培もしやすいのではないかと注目する研究者はいた。実は昨年には奈良県森林技術センターが、人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。
『人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて』という表現は正確ではない。菌に感染した苗木を人工的に作り出し植樹することで自然下で発生させた、とするのが正しい。既に自然化で定着している樹木に植菌を施すのと、無菌状態の苗木に植菌するのとでは似て非なる技術だ。(ところで同様の研究はマツタケでも行われており、無菌培養の松苗木の感染には成功しているものの、植樹後のマツタケ発生については再現性に乏しい。理由としては自然環境化においてマツタケ菌が他の害菌に負けてしまうこと、マツタケの発生にはまとまった菌糸量とそれを支える大きさの松が必要なことが挙げられる。例えば自然下でマツタケが生えるためには一般に20年生程度の松が必要とされる。)補足になるが、奈良県森林技術センターのバカマツタケ栽培研究は農水省の委託事業で、2015年より森林総合研究所(国立)との協働で進めている。要するに国策が3年の歳月を経て文字通り実を結んだかたちだ。今年の2月頃に、はてブでも話題にのぼった。しかし本件とは全く関係のない別個の案件であり、おそらく情報の共有などもされていなかっただろう。奈良県森林技術センターが松の苗木を利用するのに対し、多木化学は菌床を用いた完全人工栽培に取り組んだ。研究テーマもアプローチも全く異なり、時期も多木化学のほうが先行している。
これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。ところが多木化学は(中略)木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させたのだ。これは画期的なことで、キノコ栽培の常識を覆す大発明かもしれない。
菌根菌(樹木との共生関係を結ぶ集団)とされるバカマツタケで『人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結』、つまり”完全人工栽培"に成功したというのは実に画期的なことである。この成果は偉業と言っても差し支えないものであると思う。三重大学の菌学者、白水先生も、
「原基から子実体への形態変化を促すための各種シグナルを試し続けました」
さらっと書いているけど,ここにどれほどの試行錯誤があったことだろう…— 白水 貴 (@Takashirouzu) 2018年10月5日
とその成果を讃えている。
しかし本文にある『キノコ栽培の常識を覆す大発明』というのは誇張にあたる可能性が極めて高い。なぜなら「菌根菌の完全人工栽培に成功」という点においては既に先行研究があり、実はとうに商品化もされているのだから。例えばホンシメジの人工栽培がこれにあたる。
とくにマツタケ類は、植物との共生が必須と考えられてきた。これまでマツタケ菌糸の培養に成功した例はいくつかある(私もその度取材に行って、いよいよマツタケ栽培に成功か、と期待していたのだが……)が、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。だが多木化学は、とうとう菌糸から子実体を出させるシグナルを見つけたのである。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だろう。
繰り返しになるが、多木化学の成果が学術上も大きな意味を持つ可能性は高い。しかし、その成果がどのレベルかという点については当該記事では説明不十分なので、詳しく補足する必要がある。一般にきのこの栽培はざっくり以下の工程をたどる。
b. 菌糸の培養
c. 原基形成
d. 原基の成長肥大
ごく簡単に一連の流れを説明する。はじめに野生のきのこをたくさん採ってきて、それらの中から有望そうな株の組織(胞子ではない)を切り取って培養する。具体的には寒天培地というデンプンなどの栄養素を添加し固めたものを使う。きのこは組織を切り取り培地に置くだけで(コンタミを防ぐ必要はあるものの)、比較的容易にクローンである「菌糸体」を得ることができる。無事目的の菌糸体が得られたら、それらを培養して増やす必要がある。従来は木くずの他に、米ぬか、フスマなどを添加し水を加え固めたもの(=菌床)を用いる。菌糸体は、適切な温度、水分、光などある条件が重なると原基(きのこの基)を形成する。原基は一般に、低温、水分供給、切断などの刺激により成長をはじめ、十分な菌糸体の量と栄養供給を伴って肥大し、きのこの発生に至る。
ここで問題になるのは、b. 菌糸の培養、c. 原基形成、d. 原基の成長肥大という三つの工程それぞれに、全く違ったメカニズムが存在することである。マツタケを例にとると、これまで少なくとも半世紀以上もの研究蓄積(野外での観察研究の記録を遡ると実に70年以上)がある中で、c,dについては再現性に乏しく、bについてもまともな成果はあがっていない。マツタケ栽培の難しさにして最大の課題は実はここ《b. 菌糸の培養》にある。とにかく菌糸の成長が遅い上に、どのようなメカニズムで菌糸が栄養素を取り入れ増殖するのかということがほとんど未解明なままなのである。
理由は当該記事にあるとおり、マツタケが樹木と共生関係を結ぶ「菌根菌」であることが大きい。マツタケ菌糸の生育には生きている樹木が必要で、実験室での再現はほとんど不可能といっていい。それではなぜバカマツタケは完全人工栽培は可能だったのか。
マツタケなどの樹木と共生する菌根菌に対し、シイタケ、ナメコなど、倒木や落ち葉などを分解し、栄養源とする菌類は「腐生菌」と呼ばれる。腐生菌の多くは菌床による栽培が可能で、多くが一般に出回っているのは既知のとおりである。実は菌根菌は、腐生菌が進化の過程で樹木と共生する力を獲得し、腐生的な能力を失った集団だと考えられている。ところが菌根菌の中には、完全に腐生的な能力を失っておらず、腐生と共生、いわば両刀使いが存在するのである。その代表がホンシメジである。ホンシメジは「香り松茸、味しめじ」と言われるように、我が国における代表的な食用菌である。菌根菌とされるホンシメジの栽培は、マツタケ同様に長らく不可能と考えられてきた。しかし系統により極めて強力な腐生的な能力を備えるものが発見された(研究により、これまで同種と考えられてきた本種が実は様々な系統もしくは別種に分けられることがわかってきた)。1999年にタカラバイオなどにより菌床による完全人工栽培法が確立され、その後商品化もされており、少量ながら現在も一般に流通している。
多木化学のバカマツタケ栽培は菌床を用いた完全栽培なので、上記のホンシメジ栽培の成功と同様である。つまり、本件はバカマツタケの中から腐生的な能力を持つ系統を選定し、培養から子実体を発生させるまで成功したということだ。リリースにあるとおり、今後は栽培の安定化と供給体制の構築が図られ、数年後にバカマツタケが食卓に並ぶことの実現性は極めて高い。それではマツタケ栽培への応用についてはどうか。
勘の良い方には察しがつくと思うが、前述のc〜eの工程については応用が効く可能性が高い。他のきのこ栽培でも成功しているように、十分な菌糸体と栄養を確保することさえできれば、原基形成〜子実体に至るまで管理が可能なことを初めてマツタケ類においても示したことは大きい。ただし、最大の課題である《b. 菌糸の培養》については、ほとんど応用が効かない可能性が高い。なぜならマツタケにおいては既に膨大な先行研究があり、当然ホンシメジやバカマツタケ同様に”両刀使い”が存在する可能性も、その系統選びも、菌糸培養を促進する成分や菌糸の栄養源についても、少なくともバカマツタケよりは遥かに詳しく調べられているからである。それをもってしてもまともな菌糸培養に至っていないのが現状なのだ。
つまるところ、多木化学による本研究の主な成果は以下の二点にまとめられる。
繰り返すがこれらが偉大な成果であことに疑いの余地はない。一方でマツタケや他の菌根菌の人工栽培を実現するには、それぞれの種類において腐生菌的能力をもつ系統の発掘と培養法の確立が必須となる。その意味において本研究の応用範囲は限定的となる。田中淳夫氏は今回の研究結果により、さも菌根菌の栄養吸収のメカニズムが明らかにされ、あらゆる菌根菌の人工栽培が可能になるかのような書き方をしているが(あるいは本当にそう思っているのかもしれない)、残念ながらそうではないことはここまで読んでくださった聡明なブクマカ殿にはご理解いただけたかと思う。
菌床栽培なら、植物と共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培だから虫の被害にあわず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。
逆にデメリットを挙げるとすれば、野生のものとは全く異なる味わいと食感になることである。つまるところ、野生の品と菌床栽培のものとでは全く別物と考えるべきである。養殖ブリと天然ブリの味わいが全く異なるように(それでも近年の養殖技術の進化は素晴らしく、季節によっては天然物を凌駕するものさえある)、それぞれの美味しさと楽しみ方があると増田は考える。今回の成果によりバカマツタケが普通に食べられるようになったら嬉しいし、美味しければ普及すると思う。ただし、仮にマツタケの完全人工栽培が確立されたところで、天然松茸の価値そのものは今後も揺るぎのないものである(消費者がどう捉えるかはさておき)。
菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフやポルチーニ、ホンシメジ、タマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功が、これらの人工栽培技術にもつながるかもしれない。
トリュフやポルチーニは、日本におけるマツタケ同様にヨーロッパで盛んに研究がなされているが、今のところ菌床での栽培に成功したという話は聞かない。ホンシメジは前述のとおり既に栽培法が確立されており既に商品化もされている。
これらの菌根菌の人工栽培を可能にするには、ひとえに”両刀使い”の系統を発見と、それらの培養方法の確立である。ちなみに本家マツタケにも、実は”両刀使い”の存在が示唆されており、引き続き研究が進められている。また、マツタケ類は世界中に似たような種が多数存在しており、マツタケ(Tricholoma matsutake)の中にも、例えば中国の山奥には広葉樹と共生する系統があり、更にはそれらが日本のナラやカシと共生関係を結ぶことがわかっていたりもする。種の中にも多様性があり、それらをしらみつぶしに調べていけば、そのうち栽培可能なものに出くわさないとも限らない。その点はトリュフだろうがポルチーニだろうが同様である。ただし、その研究がどれほど途方もなく根気のいる仕事なのは間違いない(ちなみにトリュフもポルチーニも国産種が知られており、積極的に狙うマニアが相当数いる)。ところで、遺伝子組み換え技術により、これらの菌根菌に腐生菌的能力を付加することも可能とする研究者もおり、そのうち遺伝子組み換えマツタケの完全人工栽培が実験レベルで成功する日も来るかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20181006-00099530/
http://fs.magicalir.net/tdnet/2018/4025/20181003413938.pdf
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame04-3.html
https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/424/documents/424-1.pdf
http://www.jsmrs.jp/journal/No31_2/No31_2_167.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjom/50/2/50_jjom.H20-07/_pdf/-char/ja
見た目 味も 香りも 同等以上なら 偉業
あくまで野生産同士の比較なら、やや下位互換という感じではないでしょうかね。栽培バカマツタケは食べてないのでわかりませんが、うまくすればそこそこ美味しいものができる可能性はあるかなと。ただ、マツタケって単体で食ってそんなにうまいものじゃないと思うので、一般家庭での調理には手を焼く気がします。炊き込みご飯するにも炊飯器臭くなるしね。料亭とかでマツタケの代用品として普及する可能性はあるかもしれない。<
2018年に100ブクマ以上を集めた記事の著者だったり主役であった社会学者
URLを一杯貼ったら記事投稿できなかったのでURLはないが、名前の下は記事のタイトル
社会学者千田有紀のキズナアイ批判の悪質な印象操作。日本の社会学の惨状に対する、社会学者太郎丸博氏の危機感表明
社会学者の牟田和恵氏、LGBTとラノベ表紙を殺人と入れ替えて青識亜論に噛みつくも炎上
ネット右翼検証、新たな存在も 東北大准教授ら、8万人アンケート
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「街」を歩き、声を聴く――『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)刊行記念対談 岸政彦×藤井誠二
格差・貧困に背を向けた結果、日本は「階級社会」に突入していた
(論壇時評)福祉の逆説 充実を支持する層は 歴史社会学者・小熊英二
会議名をちゃんと書けば良いと思うんだけど、やっぱりコミュニティが狭いから大変なんだろうな。
"ソフトウェア工学"は "工学"って名前に入ってるし、工学のフリをしているけど、成り立ちは社会学に近い。
その上で、議論しているので厳密な話なんて出来るはずもなく...
とりあえず適当に学問の特徴的な所を述べておく。社会学だなぁと思っていただければ。
他にもいろいろあるけど、長くなるのでいったんこれで留めとく。
昔のプロセス管理(図と人の管理)時代からの習慣として、再現性が無くても真実っぽい考察のある知見ならOKってのがある。
プロセス管理は方法論が社会学由来なので、ソフトウェア工学ではベースになっている。
プロセスを完全に再現なんて、どうやってもやりようがないのだから。
これは実践的ソフトウェア工学なんて名前を付けても変わってない。
汎用的な提案をして、評価対象だけに特殊化したりしても問題ない。
評価のための実装ですと書いていた場合、評価対象毎にチューニングしてても良いのだ。
コンピュータを使う研究者なのであって、プログラミングが出来る必要がない。
学問自体には、現代的なプログラムを書く/ソフトウェア開発をするモチベーションが無い。
某エントリのようなソフトウェア関連の研究してるのに oo が使えないなんて...ってはなしになる。
システマティックレビューやサーベイは検証ではなく現状追認にしかならない。検証しようがないのだから。
理工学の延長線上として見るからダメなのであって、社会学としてみれば問題はない。
実際とかけ離れてて、役に立たちにくいのは社会学だからでいい。
身近にあるんじゃないか?
いや、そりゃ、「電源つけたらwindowsってのが立ち上がっていろんなソフトが使えるようになる」ってのはわかるし、パソコンの中の機器がどういった役割を果たしてるかはある程度わかるけど、外から見たらただの箱が多機能でいろいろなことできるって魔法といってもいいんじゃないかって思う。
魔法って言うと、「魔力を使って、手から火を出す」みたいなもんって固定のイメージがあるけど、逆に「魔力を使って、手から火を出す」ことができる人間がたくさんいる世界からしたら、その「魔力を使って、手から火を出す」は魔法じゃないんじゃないかって思うわけ。再現性があるわけだし、一般の人が使えるってことは特に技能習得が必要ではないわけだし。
だって、みんな当たり前に「魔力を使って、手から火を出す」わけじゃん。
魔力の存在がわかってるってことは、多分、その魔力もなんとかの成分で、これに圧をかけることで火がつくとかおもって、「魔力を使って、手から火を出す」世界の人間からしたらこちらの世界で言う「ライター」だとか「マッチ」みたいなもんだとおもうわけよ。
ライターだって、昔の人からみると魔法に見えるんじゃないかなっていいたいわけ。
つまり、世の中が便利になれば便利になるほど、魔法ってのは現実的に人の手に渡っていくんじゃないか?
そしていつかは魔法ではなくなる。
うーん、医学研究者と名乗るなら身元を明かすべきだし、明かせないならわざわざ医学研究者といってマウンティングすべきではない。
内容も雑なので、身元を明かすと恥になるということか。
本当に医師ならば、患者さんらとまともに対話せずに、勝手に心情を決めつけることがアウトだと知れ。
副反応患者さんらの中には、安易な「心因性」判断により精神科に回されてむしろ悪化し、神経内科で免疫学的治療を受けてやっと改善しつつある方々もいる。
直接診たことがないのは何の言い訳にもならない。むしろ、医師として恥じるべき行為だと知れ。
またSNSで患者らに「暴言」を吐いている医師らの発言は「SNSなどではなかなか伝わりにくかったり」などというレベルではない。普通に「暴言」であり、ドクターハラスメントに相当する。
https://twitter.com/JprLb/status/1007923287261761536
こういう発言を矮小化する行為は患者さんに対する「攻撃」と同じだと知れ。
Scientific reports論文のretractに対して記者会見が開かれたのは、Scientific reports編集部側のコメントが無意味だったからだ。
Scientific reports誌の主張は、HPVワクチンの影響をみる際に百日咳毒素を投与するのは適切ではない、というものだったが、百日咳毒素は自己免疫性脳炎モデルでは標準的に使うものであり、マウスモデルとして考えた場合にまったく不当なものではない。そもそも専門家による査読は通っていたのであり、その分野の専門家は問題とみなしていない。
ちなみにデータとしては百日咳毒素を使わない場合のものも出ており、その場合も麻痺が観察されている。
ワクチンの投与量が多すぎるという主張をする人もいるようだが、単純な体重比で比較するという誤りを犯している。動物等価用量で換算すれば、毒性試験で用いられる量以下であることがわかる。これらは会見でも述べられていたと思うが。
また同様の報告はまったく別のグループからも出ているため、再現性はあるとみていいだろう。
名古屋レポートでは症状の重篤度を考慮していない。問題は生活困難なレベルの重篤な副反応なわけだが、軽い頭痛も、生活困難なレベルの頭痛も一緒くたにして「同様の症状」というのは詐欺的であろう。
名古屋レポートの問題点については多くの指摘があるので、読んでおくとよいだろう。
http://www.yakugai.gr.jp/topics/topic.php?id=906
勧奨中止後に激減しているのはHANSでみられるような重篤な症状を示す患者であって、「トートロジー的に減る」というのは不誠実な詭弁である。専門医が示すような重篤な症状がHPVワクチンと無関係に存在するのか?
誰もその存在を示していない。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=7027
HPVワクチン(ガーダシル)治験での生理食塩水によるデータは存在し、一部は以下のように公開されている。
にも関わらず、製品の添付文書ではアジュバントのデータしか出さずに比較している。それが批判されているわけだが、おわかりだろうか。NATROMもこれを理解していないか、隠している。
ガーダシルの場合、先ほどの治験サイトをみても深刻な有害事象には怪我や流産、早産は含まれていない。
池田としえ氏については詳しく見ていないが、HPVワクチン推進派の医師からデマを流されているとのことだ。
https://twitter.com/toshi2133/status/802739074029133825
素人ゆえに間違った発言もあるかもしれないが、単に事実を指摘すればいいのであって、推進派の医師らのこういう異常行為はワクチンのみならず、医の信頼を崩壊させる。本当の反ワクチン、反医療とはこういう医師らのことだろう。
村中璃子氏についてはすでにさんざん指摘があるように、発言の信頼性がゼロである。
関わらない方がよいであろう。
その地震が起きる前にどういう現象Aが起きていたか?(検証可能性)、また、つぎ現象Aが起きてたとき地震が起きたか?(再現性)
その統計をとっていって、現象Aが起きていたとき地震が起きなかったこと、逆に現象Aが起きないとき、地震が起きたこと。そういうことがないか?と調べて、
1万年以内に地震が起きる確率が100%だってのも地震予知か?そうだよ。で、そのスパンが長いと意味がないから短いものがないかーないかーと探し回ってるの。
自分の中で整理も兼ねて。
自分はWEBプログラマなんだけど、直接お客さんのところに行って要件聞いてきて必要なシステムがあれば自分で組む。
デザインはできないから、デザイナーに基礎デザインと基本的なHTMLコーディングはお願いして細かいところは自分で埋め合わす感じ。
ディレクションからサーバの選定からセットアップ、ドメインの取得とDNS設定なんかは丸っと含めてやってる。
会社始めた頃は結構浮き沈みあったけど、ここ5年間はこれくらい。±100万程度はあるけど全く変わらない。不思議。
別にこの金額を目指してるわけでも、この金額に行ったら仕事セーブするとかそういうのは全く無し。
何故かこの金額に落ち着く。毎月100万円も請求書を出している記憶が無いのが不思議。
売上的には直接契約のクライアントで3分の2。固めの学術関係とか小さな個人商店とか。
自分的に「なんかやだな」って思う業界の仕事は請けない。というか、そういう所からはそもそも引き合いが来ない。割とみんなホワイトな企業ばかりな気がする。
気づいてないだけで「なんかやだな」ってところの会社はそういうオーラ出して付き合いが無くなってただけなのかも。
主要3社で売上の6割弱だが、全部2割・2割・2割くらいなのでいきなりその3社のうち1つ切られても致命傷にはならない(と思ってる)。
何となく1社ズブズブだと良くないなと思ってはいたけど、特に意図してそうできるものでもないので、なんとなくそうなっているとしか。
案件的には、100万×12で1200万になってることはなくて、去年で言うと100万超えた仕事は1件だけ。
40万以上に絞ると7件で、全体の3分の1程度。
出した請求書は130枚なので、ひたすら細かい仕事を積み上げていることになる。
そのうち、この1年で新しく付き合いの出た会社は4社。その4社合計での売り上げは全体の15%くらい。
直接契約でサーバーからデザインからなんだりかんだりを一手でやっておくと、後で保守の仕事になって継続的なお付き合いにつながる。
これが結構おいしい。新規の仕事は気合が必要だし下手するとできないかもしれないが、保守・更新の仕事はまぁそんなことはないし、既に信頼関係もできている。気が楽。
この売り上げで全体の25%くらい。
平日も10時~20時くらい。一人会社だからそんな時間決めてやってないので適当。
サーバ保守なんかもしてるからアラートがあることもあるけど、そんなに鳴らない。年1回あるかどうか。
まぁ、海外旅行とか興味ないから行かないし、ちょっと遠出するときはノーパソ持ってテザリングあればなんとかなるって感じで。
わからない。こんなん続くわけないと思いながら12年経ってしまった。
来年も同じペースとか毎年思ってなくて今期も「何とか生き延びたか」って感じ。
ただ、このまま同じ仕事が続くとも思えないし、5年後全部取引先から切られているかもしれないという恐怖感は常にある。
なんか新しいことしないとって思って、WEBサービスとかCMSのプラグインとか作ったりしたけど、そんなヒットするわけなく全部やめた。
ブックマークコメントとトラックバックの質問に回答できるものを。
アラフォーであと何年できるかはわかりません。2020年までは何とかなると思いますが、その後が超絶に不安です。別の仕事はいつも何かしら考えてますが、ヒットしません。
外注先は代理店仕事したときに一緒にやった人とか、その人の知り合いとかです。交流会とか勉強会とか出ましたが、そこで得た外注先や仕事はゼロです。
手取りは法人税・所得税・年金・健康保険などを差っ引いて手元に来るのが40万強です。一人会社なので、会社に残しても仕方ないので会社に残高を貯めるという意識はありません。
不安というのは、自分がカリカリに尖ったエンジニアでこの技術なら負けない!というのが無く、全般的に何でもやってるところでしょうか。核が無いです。
あと、エントリにも書いたとおり自分がなんで稼げているのかわかってないのと、その手順に全くの再現性や他人にやってもらってうまく回る感とスケールが無いことです。何となく上手くいってる感で過ごしてしまっていることです。明文化されてないノウハウだけでやってる感じ。あとは年齢的に上がってしまったので、お客様の担当者が変わった時に一緒に切られるだろうなという。
結局、↑で書いたペースは全く変わらないままでした。会社は清算して2021年4月から小学校の教員になりました。
なお、元々免許を持ってたわけでは無く、この増田書いた後くらいから通信で取りました。給与が半分になった上に10時~20時の生活が6時~21時になって毎日がとってもブラックです。