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はてなキーワード: 何だかとは

2017-05-22

貴族探偵はいドラマ化なんじゃないか

映像からこその見せ場が多いし、

枠にこだわらない作品作りに終始しているから毎週楽しみにしてる。

先週(5/15)と今週(5/22)のエピソードとか、ずっと見続けてきた人にはニヤリとするオチですよ。


個人的麻耶雄嵩作品は、旧チュンソフトが出したTRICK×LOGICに収録されている

2作品しか触れていないくらい、にわかにわか

でもその2作品作品全体でも好きなエピソードのワンツーなのよね。

2本目のオチは、貴族探偵エピソードに通じる話だったし。


ファン曰く、あれはかなりぬるめとのことだったので、

ドラマスタッフがこれをどう料理してくれるか楽しみ。

ドラマフジ」の面目躍如に期待する。



一方で、トンチンカンな叩きに終始するジャニーズアレルギーの方々とか

作品の中身より相葉くんかわいい的なコメントに終始するツイッターユーザーとかが

ノイズなっちゃってて何だか残念。

このせいで、実際に見て楽しめる層へ、作品の良さが届かなくなってる気がする。


また、フジ側の広報もどことなくずれている気がする。

視聴率が8%前後と伸び悩んでいる理由はこの辺にもありそう。

月9の30周年ってことで、結構気合入れてやってたらしいのだが、

テレビでの宣伝は少なくとも自分には全く引っかからなかった。

(自分たまたまチャンネルを回したら1話をやってて気づいた)


週末の深夜に再放送してるのも、あくまで先週の見逃し放送しかないのが惜しい。

FODなどネットも駆使して作品の魅力を解説する特番や、

1話からの振り返り放送の合わせ技でやれないものか…



あ、TRICK×LOGICも、とっても素晴らしいミステリーゲームなので超おすすめ

10構成難易度はかなり高いからノーヒントでのクリアはまず無理だと思う。

大山誠一郎担当したファイルNO.4なんて、

ゲーム特性をうまく生かした仕上がりで、ある事実に気づいた時は寒気がした。

2017-05-19

昇進したんだけどさ

中途入社10年目でヒラから主任になったんだけど、だからといって仕事内容がさほど変わるわけでもなく、自分としては今まで通り仕事をするだけだと思ってたんだが。

周りの対応何だか変わったような気がするんだよね。あまり良くない方に。特に部署おっさん連中の。

やっぱ嫌われてたのかな。

鼻で笑われてる感じしてたもんなあ。あーあ。

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518105738

痴漢男性100人に1人でも、グレーゾーンおじさんも含めたら10人以上、

痴漢しても許される場ならしたいと思ってるのを含めたら過半数超えるんじゃないかな。

多くの男性痴漢死ねと言わないのは、痴漢何だかんだで共感してるからだと思ってる。

死ねというと、自分ブーメランが返って来るからでは。

http://anond.hatelabo.jp/20170518105208

横だが「痴漢に遭った事がある女が8割(だか何だか、数値は忘れた)だなんて嘘に決まってるwwwww

だって俺の母親とかババアなのに痴漢に遭った事あるわけないだろwwwww」

と言ってる男がいたのを思い出した

ババア」もかつて若い頃があった、って事に思い至らない男って多いよね

2017-05-17

機能不全家族思春期海外渡航したら鬱になって人と会話が出来ない

私は思春期の数年を海外で過ごし、大学入学とともに帰国した、いわゆる帰国子女だ。

そしてたぶん、機能不全家族育ちだ。

色々あって、自分がわからなくなって、人と会話が難しくなった。

世の中の帰国子女といえば自信に溢れてきらきら活躍している人が多くて、自分との格差にどんどん自信を失っていく。

相談しようにも、相談できる人も、同じような境遇の人も、そういったことを専門にされている方とかも見つからなくて、誰かいないのかなと思ってすこし書いてみることにした。

.

インターネット上で、機能不全家族とか毒親というワードをよく目にするようになった。専門家の方が書いた本を読んだりネット当事者の話を見ている中で、自分の生きづらさの正体が分かってきた。

機能不全家族×思春期海外生活」のコンボだ。

海外赴任などで家族移住する場合、子にとって家族関係が良好であることはすごく重要だ。学校生活が完全にアウェイ状態から始まるのだから、心の退避所たる家庭が安定していることに越したことはない。

私の家庭はたぶん機能不全家族で、家の中での母国語コミュニケーションもままならないのに、海外に行った上に現地の学校入学してしまったものから、家の外でも言語的に孤立してしまっていた。

家では母国語OKだが健全コミュニケーションが少なく、外では言語不自由コミュニケーションに苦労した。

苦労して、挫折したのだけれど、親は放任主義であまり助けてはくれない。というかそもそも私の家族には会話が少なく、「相談する」という文化もなかった。日本にいた時から学校での出来事を聞かれることもなかったし、話そうと思うことも少なかった。「授業はわかる?」とか、「先生はどう?」とか、親の側から声をかけてもらうことがなくて、それが当たり前だと思っていた。

最悪なのは車社会学校も遊びも親による送迎で行動しなくてはならなかったこと、ビザ関係アルバイトも出来なかったこと。金銭的にも自由がなくて、意識を外に向けることが出来なかった。ひたすら学生として最低限の通学と勉強だけをして、帰国を夢見ていた。帰国さえすれば、昔の友達に会って、働くことも出来て、言葉心配もいらなくて、、

外国でひとりで外を出歩くのは危ないと思い込んでいたし、学校⇔家のガチガチに固まったループから抜け出したいという思いをもつことも悪いことのように思えていた。

今あの時の自分と話せたら、「外はそれほど怖いところじゃないし、ネットで調べてどこにでも行きな!やりたいことやっていいよ!」とか言ってやりたい。

滞在中は「このつらい滞在を耐えて日本に帰りさえすれば楽しい日々が戻る」とひたすら思っていたのだけど、いざ日本に戻ってきたらコミュニケーション経験が乏しすぎて浮いてしまい、それを気にして自意識過剰になり、鬱になり、家族関係悪化し、なんとか取り戻そうと情報を集めたり考えたことをノートに書き留めたり新しい場所に飛び込んで沢山人と会ったり通院したりカウンセリングを受けたりしてみたが、どんどん悪くなるばかりで帰国10年近く経った今 ほんとうに人と会話ができなくなってきてしまった。マズイ。

なんだかもうよく分からないのだけど、本当にコミュニケーションが上手くいかない。

返答が思いつかないし、思いついてもしっくりこないのだ。

人との会話で、些細な雑談でも一言ひとことの返しに「適切さ」を求めて、すごく考えてしまう。

海外生活の中で外国語発言をする時「どういう表現をしたらいいんだろう?」とか、いちいち考えながら喋らなくてはいけなかったのも一因かも。

「こう言われたらこう考えてこう返すべき、というパターンがある筈なのでそれを探して返さなくては」、っていう思考に取り憑かれてしまった。

正解のパターン候補として幾つかの振る舞いのパターンが脳裏に浮かんで、その是非を検討する。

教科書通りのような会話ならこうかな?(自信はない)」「憧れのAさんだったらこうするだろうけど私がそうしたらこの人はびっくりしてしまうな」「この間同じような場面でBさんはこうしていた」……

自分に素直になりたい!とは思うんだけど、自然に浮かぶはずの「自分きもち」がなかなか出てこない。

ありがとう」「ごめんなさい」「恥ずかしい」くらいは出てくるんだけど、どうしても咄嗟無難な答えを作ってしまう。

加えて帰国後は、帰国子女いじりを気にしすぎたせいで、「普通ならどうするか」、「相手がどんなことを期待して接してきているのか」を考えるようになっていった。また、母国語で考えている時と第二言語で考えている時で性格がすこし変わってしまうことに気づいてから日本語でも外国語でも口にすること全てが自分本心ではない気がしてきて、ますます自分がどういう人間なのか分からなくなってしまった。

この表現力の問題は鬱になってからさら悪化した。頭が回らなくなって、少ないながらも以前は使えていた語彙さえも出なくなったし、とっさの逃げ道の冗談なども思いつかなくなった。

いまでは相槌を打つのが精いっぱい。

人と話す時、フルオートでにこにこしてしまうし挨拶くらいは出来るので第一印象は良いらしいけど、味気のない相槌しか打てないし話題も振れない。たまに話せても的はずれなことを言っていたり、浮いたことを言っていたり、無理してる感じがしてたり、そんなつもりは無いのに帰国子女感のあるドヤ顔発言みたいになっているみたいで脳内反省会が白熱してしょうがない。

そしてそれが嫌で会話の場から逃げたくてしょうがない。

だれとも一線を引いた付き合いになってしまって、どんどん孤独になっていっている。

この文章もかなり絞り出して、可能な限り本心に近づけて書いた。自然に出てきたものではない。

こういう人いない?いないの?

こういうのってどうやって解決していったらいいんだろう?

ネットにいる機能不全家族とか毒親持ちの方は何だかんだで結婚されていたりして、自分の居場所ができていて羨ましい。

私もなんとか実家は出て経済的にも独立したけど、家族距離を置く中でいよいよ社会から孤立してしまった感じもする。

私はこれからどうやって人間関係を作っていけばいいんだろう。

しかし、これを書いていて改めて思ったけど、自信のなさとか心の弱さは生まれつきな気がする。

海外生活なんて貴重な経験させてもらったのにな。なぜ活かせなかったのか。

強くなりたい。誰かと自分言葉で話してみたい。

早く安心したい。

.

場所お借りしました。長い文章すみませんありがとう

朝食は大事からしっかり食べてって言うけど

寝起きに食事ってよくないと思うんだよ。

そもそも寝起きに食事したいか

したくないだろ?

それが体の正直な反応だと思うんだよ。

体が拒否反応を示しているのに「いや!朝食は大事から!」というのも何だか違う感じがするんだよ。

なんだかなぁ〜。

女性愛情

女性男性に対する愛情感覚って、男には何だかよくわからないんだ。なんて言うかな、あの生クリーム的な甘い感情というか感覚というか。男と女愛情の波長というか濃度いうか、そういうものって質が違う気がしてならないんだよ。だからいつまでたっても混ざりあわない。

2017-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20170515075504

浅田真央は「キャラで売ってる」要素も十分にあると思うけどな。

何だかんだで金メダル取れなかったし失敗も多かったのに一切叩かれないのは、あのいい子ちゃんキャラ故だし。

逆に安藤美姫がそこそこ実績があるにも関わらず嫌われまくってるのは、あの生意気ヤリマンキャラ故だし。

浅田真央が今後安藤美姫並みにヤリマンな行動取ったら、ギャップ安藤美姫以上に叩かれまくるんじゃないかな。

2017-05-14

成長物語を履き違えている作り手と「さようならドラえもん

先日、とある話題作に触れる機会があった。主人公成長物語として感動的だとの触れ込みだった。しかし僕の感想は「なんだこれ?」の一言だった。

作品叩きがメインではないので名前は伏せておく。

いつごろの作品なのかも、漫画アニメ小説映画ゲームジャンルも明かさないでおく。

本題に入るが、なぜ僕が感動しなかったのかといえば主人公の変化の仕方にあった。

主人公日常生活に突如として変革が起こり、その局面を打開する形で成長していくという構造だ。

確かに作品内において主人公キャラは序盤とラストで大きく違っている。しかし僕には違和感が残った。

それは「主人公はそうしなければならなかっただけ」だからだ。

自分自身を見つめることなく、ただひたすら周囲に合わせていった結果、別な人間になったというだけの話だった。

異常な状況が今までの自分でいることを許さず、仕方なく変化する、気づかぬうちに昔の自分を捨てさることを成長とは言わない。

現実ではどうか知らないが、少なくとも作品において成長物語というジャンルとは呼べない。

僕は全て他人任せでボケーっとしている人間だが、戦争が始まったら多分積極的に周囲と連携して生きる道を模索する。

率先して様々な案を出す。ときにはリーダー役を買って出るかも知れない。

でもそんなの、雨が降れば傘をさす、寒くなればコートを着るというくらいに当然のことだ。

戦争を通して立派に成長したね」とは言えないだろう。

見捨てることもできる、逃げ出すこともできる、強い側につくこともできる、今の自分でいることもできる、

それでも自分自身の弱さを見つめ、問題に立ち向かっていくことの先に成長が待っているのではないだろうか。

さて、前述の作品と対比するように「さようならドラえもん」という話がある。

ドラえもんが帰るにあたってのび太が1人でジャイアンに立ち向かう話だ。

あの話の中で、のび太最後までドラえもんに頼ることができた。泣きつけばドラえもん何だかんだで助けてくれただろう。

いつものようにジャイアン撃退しチャンチャンで終わることのできた話だ。

しかし、のび太はそうはしなかった。ふとドラえもんのことが頭をよぎり

「けんかなら、ドラえもんぬきでやろう。」

「ぼくだけの力で、きみにかたないと……。ドラえもん安心して……。帰れないんだ!」

というセリフを発する。

のび太ジャイアンに泣かされてばかりの自分ドラえもんに頼りきってばかりの自分を乗り越え最後にこう言う。

「勝ったよ、ぼく。みたろ、ドラえもん。勝ったんだよ。ぼくひとりで。もう安心して帰れるだろ、ドラえもん

ボロボロ眼差しドラえもんへの思いで溢れていた。

今更僕が解説するのもはばかられるほどの大傑作だ。

成長を描く作り手は藤子先生の爪の垢を飲んで欲しいものである

俺が好きな物批判するな!それは俺を批判しているのと同じだ!

と、要約できるような発言をしている男性を見るととてもゲンナリしますね。

自分アイデンティティ自分個人で持つべものであって、他の物事依存していては駄目だと思います

特にアニメ漫画が好きな男性に多いんですよね。

作品に対して考察意見の交換を行っている場所ですぐにヒートアップして「違う!この作品は間違っていない!間違っているのはお前だ!」と叫び始めてしまう癖がついてしまっているようで見ていて不安になります

とある作品のもの」と「その作品に対する自分主観」がまずゴチャゴチャになっていて、更には「作品に対する主観」と「自分価値観全て」が同一視され、最後には「自分脳内にあるその作品イメージ」と「自分アイデンティティ」がピッタリと重なってしまい、それとは違う意見が出てくると「自分という人間」が批判されたように感じてしまう傾向にあるみたいなのです。

そういう人、たまにいますよね。

私、そういう人がとても駄目なんですよね。

何を考えたらそういう思考になるのかをここまで論理的に整理してもなお、何だか腑に落ちないような気持ちになってしまうんです。

頭で何となく理解可能だけど、心では完全に理解不能とでも言いましょうか。

しかたらこういった方々はパーソナリティ等において何らかの障害があるのでしょうか。

もしもそうなら私は謝らなければいけないのかも知れません。

障害のある方を気持ち悪いと思ってしまっているのですから

ですが気持ち悪いという感情が生まれしまう事を止めろと言うのも理不尽なのではないかとも感じます

私は彼らとどう接すればいいのでしょうか。

無視するという行為人間に深刻なダメージを与えるという研究成果がある以上は関わらないようにするというのも決して正しい選択とは思えませんし。

人間社会コミュニケーション、とてもむずかしい。

難しいことを考えていたら頭がパンクしそうになってきました。

昼ごはんでも食べてきます

2017-05-13

ある女の性犯罪被害記録(未遂含む)

小学生一年生ころ)

公園で一人で遊んでいたところ、二十〜三十歳くらいの男に「あっちのほう(物陰)にいこ」と執拗に誘われる

偶然親がやってきて、男はダッシュで逃げた

中学高校生

電車通学のため痴漢に遭う

高校生になり塾に通い始めてから特にひどく、帰りの電車では八十パーセントくらいの確率スカートの中に手を入れられた

大学生

一人暮らしを始めたところ、玄関のドアの前まで不審な男につけられる

偶然隣の人が帰ってきてくれて無事にすんだ

社会人

引っ越したがまた玄関のドアの前まで不審な男につけられる

通勤電車に乗るようになって時折痴漢に遭うようになる

朝六時くらいの電車で目の前に立った男がチャックから陰茎を出していたときは何が何だかよくわからなかった

思い出せるだけだとこのくらい

周りの話を聞く限り少ないほうだと思う

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

2017-05-11

9年前に書かれたオタクDQNに関する2chレス

851 名前恋人電話中(湖北省) 投稿日:2008/03/31(月) 17:42:05.99 ID:oefKdfWc0

どうやら今、オタクの最新のトレンドは『DQN化』らしい

ヤンキーみたいな馴れ合い内輪ウケ、お互いがお互いを無条件で

認め合うセカイって何だかんだ言ってやっぱ良いよね。ムラ社会回帰だ!

失われた青春プレイバック・永遠文化祭、思いっき馬鹿やって何が悪い

キモイと言う奴が悪いんだ!俺には権利がある!

メタボリックデブ女装コスで街を練り歩いてコスプレ文化の素晴らしさをアピール

聖地巡礼と称して田舎町の住宅街撮影だ!

批判意見には『否定的意見もありますが、全体的に観ればアレは成功です。

批判する方が馬鹿です。』とメタ視点で対抗。

何だかんだいって成人式で暴れるガキとか初日の出目当ての暴走族とかを

馬鹿にしながらも彼らの放つ若さエネルギーとか絆のような繋がりとか

ギラギラしたマッチョイズムが羨ましかったんだ。


秋葉原通り魔事件2008年6月8日

都内では「アベ政治を許さない年寄りを見るよ

バリバリ働いてそうなスーツの人とかは皆無で、引退してるんだか何だか判らないけど、山歩きみたいな格好でフダ下げているおじいさん、おばあさんをよく見かける。

ナップザックみたいのを提げて、メッセージフダが掛けてあるの。

デモ的なヤツなんだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20170511103504

日本で語られるマネジメントでは欧米の例が度々引き合いに出されるが

欧米方式などが度々引用されることがあるが、首を切ることに関して言及されることがない。

それが前提で成り立っているのに、そこに関してはアンタッチャブルかのようにダンマリだ。

なんだかんだ、ダメな人もいるのは事実で、首を切るにしろ切らないにしろ、本当にどうしようもない場合にどうするか、

という部分に触れられることは非常に少なく、ドヤ顔理想論が語られるので、

"うまくいってればそれはそうなのだが、だがしかし・・・"、という部分が拭えない。

欧米場合は、ダメなら首切るでそこが担保されているわけだけど、日本だとそれがない。

ビジネス書の類を読んでいても、皆さん良い感じに書籍を書き上げてらっしゃるが、

このあたりの話に深く言及されることはあまりない様に見える。

日本場合法律的にも難しいところがあるので言及しづらいのだろうが、触れたら火傷する領域かのように、皆口をつぐむ。

そのため、何だか片手落ちな印象を受けることが多い・・・

2017-05-10

結婚4年目、セックスレス

夫とは5年ほど交際の後、結婚した。

交際時は遠距離恋愛だったので、会えば、まあ、致していた。

なので特に何とも思わず結婚した。

結婚してから、月に2回程度しか求められる事がなかった。

夫は激務だし、私が一週間生理の時もあるし、そう考えると…半月に一回でも…とは思った。

無理矢理思わせた。

本当は週に一回はしたかった。

から言うと逆に萎えしまうかな…と考え、自分から不満は言わなかった。

一応私からも夫のパジャマの隙間から肌に触れてみたりもした。

でも夫は「もうwwwくすぐったいよwwww」みたいな反応で終わる。

くすぐっているわけではないのに。

私に技量がないのか。

半年くらい経った時には、既に月に一回になっていた。

誘われてあまり乗り気でない日も勿論あった。

でも今回を逃してしまったらまた来月になってしまう、と思うと、無理にでも応えた。

ある日、可燃ゴミを捨てようとした所、臭った。

何だろう?と思った瞬間に分かった。

夫が一人で、したのだ。

私にはしてくれないのに、一人で。

二人でするのは疲れる、一人でするのはまた意味が違う、色々理由があるのは分かる。

でも、自分がこんなにもしたいのに、その結果の物が捨てられている事に無性に悲しくなった。

私は求められる様な女ではないのかと思い詰め、夫に号泣しながら訴えた。

夫は優しい人だ。

「ごめんね、気付けなくて。俺も疲れてる日があるから。出来るだけ応えるよ。◯◯ちゃんも言ってくれて良いんだよ」

受け入れて貰えた。

しかった。

これで少しは歩み寄れただろうか。

結婚4年目になった。

今年に入って、2回しかしていない。

月に一回も下回った計算になる。

いつか、前みたいに不満を言った時はあった。

けど何も変わらなかった。

私達は今でも仲が良い。

毎日キスもする。

毎日ハグもする。

でもセックスはしない。

欲求不満で爆発しそうになる時がある。

でもそこで外に相手を求めてしまったら、全てがおかしくなってしまう。

色々な事情があり先送りにしてきたが、もういい加減いい歳なので、子どもも欲しい。

子どもが大好きな夫は、子作りには積極的に協力してくれるだろう。

愛を確かめセックスではなく、子作りのセックスには積極的に。

私は何なんだろうか。

産む機械ってやつか。

今回の生理ももうすぐ終わる。

また今日セックスしてくれるのだろうか、と思う夜が続く。

そしてまた次の生理が始まるのだろうか。

夫の事は好きなのに、何だか疲れてしまった。

2017-05-09

日本都市より現代日本を読む

言語文化市場など基本的に「閉じた社会である日本において、お上承認されることにより連中の視野が広がったように見えているだけです。精神鎖国はむしろより強固になりますし、実際特に文化的側面において取り残されているのは、諸君もよく指摘されるとおり。

大衆の反発ごときでは微動だにしない強固な権威構造がこの国にはあって、原住民はそれに阿諛追従し、おこぼれを頂戴することによって生かされているということです。

近代的ではない自我原住民)が結合することによって、全体主義が出来上がるのは歴史が教えるところ。相互監視同調圧力といった悪しき伝統も剥き出しですから危機感持たないといかんでしょうね。

この国では公共交通公共性を捨ててしまい、東洋社会国民蔓延する我欲の増幅装置に堕してますからね。あん低俗ガス抜きに煽られる大衆相手なら、企業は楽に稼げますし、権力者もやりたい放題でしょう。その行き着く先が何かということなんですが。

そんなカタストロフィを予期して自分らの取り分を確保し、逃げる準備をしている連中が散見されますね。連中は昭和時代危機をそうやって乗り切った奴らの後裔ですから、やることは同じです。欧州各国のように軟着陸できればいいんですが、困難としか言いようがない。

大したことは言えませんが、個人が抱く企業権威に対する生々しい危機感当事者意識日本外国では段違いだなとは思っています日本大衆疲弊しているとかよく言われますが、それは言い訳にはなりません。例えば韓国なんか日本どころではないくら生活(たとえば通勤)は大変なので。

それはたぶん、自己や現状に対する肯定感の違いでしょう。何だかんだ言って日本人は今の日本都市が好きで、韓国人アメリカ人祖国があまり好きではない。日本人にとっての「日本」は社会臭の希薄共同体で、日本人はこれにぶら下がりますが、外国場合はかなり決定的に違います

機関民間共同体自国民を養育し、中心から片隅まで面倒を見ていた時代、あるいは国民一人一人がそう信じることができる時代がいつまで続くかでしょうね。おそらくそろそろ限界外国最初から(良くも悪くも)そういう国ではなかったんです。

私は最近特に顕著な「日本満員電車離れ」「日本鉄道離れ」に注目しました。あれは、これまで日本都市の信頼を約束してきた共同体裏切りに対する訣別宣言です。そんな彼ら彼女らの受け皿として道路交通機能するかが日本復権勝負の分かれ目でしょう。

とりあえず昔とは違い、日本国日本民間共同体ハードクラッシュしたら困る人達日本の外にもいるので、決定的な事件災害戦争などが起こらない限りは軟着陸するんじゃないかなとは思ってます(それが良いかは判りませんが)。

日本場合日本人の「日本的共同体幻想」と言語の壁のせいで精神鎖国が続いてますから、常に「まずい」状況なんだと思います日本私鉄社会車社会国鉄破滅させながら自分らの権益を確保した連中の残りカスですから卑怯なのは当然。そして同じように危険でしょうね。

韓国しろアメリカしろ日本ほど懐の深い国ではないですし、引き籠っていたら生きられなかったので外に目が向くんです。国際都市インフラガラパゴスではお話になりませんし、国内市場が完結したら大国になりませんしね。当然、資源流出しがちになるので、移民外資在外国民を受け入れたり、中国主要先進国に学ぶ方向に舵を切ったということです。

日本人日本未来中国韓国になぞらえるのはそのへんの文脈欧米やその既得権益支配によってもたらされた貧困で食い詰めて切羽詰った原住民が、革命を起こして、エスタブリッシュメントになりましたよね。さすがに日本人はそこまでになれるかわかりませんが。(笑)

2017-05-07

自分はまだましだと下を見て安心してしま自分が嫌になる

FGOで5万円(今回計15万円)つぎ込んで当たりが出ず消費者庁に連絡しようと言った人が叩かれて取り下げる

https://togetter.com/li/1108014

こういうガチャに何万円つぎ込んだとかいう人を見て

自分は親に何万円仕送りしてるから自分の方がマシだ」

安心してしま自分が嫌になる。

別に彼らは書いてないだけで、他に寄付だのなんだのしてるかもしれないし、

そもそも金額を比べるようなものでもないのに。

何だかんだ言いつつ、今年のGW帰省して親に5万円渡してきた。

2017-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20170430152954

俺が考えたセブンイレブンCM

SOHO

男が薄暗い部屋で資料をめくりながらパソコンの前でぱちぱちキーボードを打っている。

携帯電話メール着信音が鳴るが、ちらっと画面を見るだけ。

電子レンジがチーンとなる。立ち上がって、キッチンの方に行く。

テロップ)【別に好きでコンビニ弁当じゃねーよ】

パソコンに向かいながら、弁当を膝に乗せて一息つく。「ひざがあったかい」

思い出したように携帯電話を取りメールを見る。

「まじかよ!?

おっとと、弁当を落としそうになる。

セブンイレブンロゴ

女子大生

アパートに帰ってくると、ベッドに仰向けに倒れ込む。(部屋は何だか散らかっている)

携帯電話が鳴る。画面に「お母さん」と表示されるが、電話には出ずにベッドの上にぽいっと置く。

ベッドにばたーんとうつぶせになって、しばらくして携帯を取り、写真をぱらぱら見ている。

すぐに携帯は放り投げ、起き上がって床に放ってあった荷物からコンビニ袋をあさる。

テロップ)【別に好きでコンビニ弁当じゃない】

小さいドリアを食べながら、留守番電話再生。「もしもしお母さんだけど、ちゃんとご飯食べてる? 最近……」

セブンイレブンロゴ

2017-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20170430124343

「そのくそみたいな投稿検閲したらどうなの?」というのがはてなの外の意見なら

ブログ見て「クックパッドって色んなことしてるだな、すごいすごい」っていってるのがはてなユーザー

そこらへんのギャップを見て僕は何だかもやっとしている

2017-04-29

ご飯「あ……」

ジャガイモ「あ……どうも」

ご飯「……う、うっす」

ジャガイモ「あの……いつもこれ位の時間帯に帰るんですか」

ご飯「え?……あ、いや、今日部活もなくて助っ人も頼まれなかったからさ」

ジャガイモ「ああ……そうなんですか、道理で……」

ご飯「……」

ジャガイモ「い、いつもはスゴイですもんね。ご飯さん。他の部活からも引っ張りだこで」

ご飯「え、いや、それほどでもないよ。あくまでメインは部員の人たちで、俺は人数合わせだよ」

ジャガイモ「いやいや、そんなことないですよ。来てくれて助かるって、周りの皆が口を揃えて言ってましたもん」

ご飯「はは、マジで?」

ジャガイモ「本当です本当です、牛肉ちゃんとかが言ってました」

ご飯「あー、はいはい

ジャガイモ「あ、牛肉ちゃんで思い出したんですけど、肉じゃがの時はお世話になりました」

ご飯「ああ、いいよ、いいよ。大したことはしていないから」

ジャガイモ「いえいえ、本当助かりました」

カレー「あれー? ご飯君と、ジャガイモ君じゃん。珍しい組み合わせだね」

ご飯「げっ……」

ジャガイモ「……や、やあカレー

カレー「どうしたどうした、二人ともバツの悪そうな顔して」

ご飯「……」

カレー「でも安心したあ」

ジャガイモ「え? 何が?」

カレー「二人の友達としては心配だったんだよ。ご飯君とジャガイモ君は仲が悪いって周りが噂してたから」

ご飯「いや、別に仲が悪いわけじゃねえよ。ただ……友達の友達から、ほぼ他人だったってだけで」

ジャガイモ「う、うん……さっきも肉じゃがの件で話していたところだし」

カレー「そうだったんだあ。じゃあさ、これから友達の友達じゃなくて、ちゃんと友達になるために親睦会開こう!」

ご飯「それはちょっとやめないか?」

カレー大丈夫大丈夫。私に任せて」

ジャガイモ「やめてよ、僕たちなりの距離感があるんだよ」

カレー心配しなくていいから。二人とも肉じゃがの件で盛り上がってたようだし、他にもニンジンちゃんとか玉ねぎ君を呼んでさ。今から連絡して集めるよ」

ご飯「そいつらも呼ぶのかあ……」

ジャガイモ何だか、すいません……」

ご飯「いや、ジャガイモ君が悪いわけじゃないけどさあ……」

カレー牛肉ちゃん忙しいみたい。代わりに豚の奴が空いてたから、そっちでいい?」

今日カレーライス肉じゃが作っている途中で牛肉がないことに気づいたので軌道修正した奴だろ、って思いながら食べた。

いつもはジャガイモ入れない派のくせによお。

2017-04-27

サークル参加者への差し入れ同人誌感想手紙が最強なのでは

サークル参加を何度か経験してわかったことがある。

差し入れをいただくことが多く、その際に「来ていただきありがとうございます」と言えて、それがとても嬉しいことだ。


差し入れの内容は美味しいお菓子お茶、自引きできなかったグッズ、アニカフェ限定コースターなどなど…。

こんな弱小サークル差し入れなんて申し訳ないと思いつつも「美味しい!」「推しがかわいい!」「こんなレアグッズもらっていいのかな!?」と、

一人キャッキャしながら名前差し入れ確認してツイッターでやり取りができる方にはお礼を言って回る。


だが、本音を言うとそんなにたくさんんの差し入れをいただくと困ることもあるのだ。

行きはキャリーケースに36ページのコピー本数十部と10冊未満の既刊、設営グッズ、憧れのサークルさんへの感想手紙を詰め込み、普段使いのバッグを持って出かける。

帰りは運良くコピー本完売すれば良いが、戦利品を押し込めばもうキャリーケースはパンパンだ。

それに加えて上記のようにたくさんの差し入れをいただくと、折りたたみ式エコバッグ差し入れを入れるのだが、入り切らなければ普段使いバッグに入れて帰ることになる。

戦利品と設営グッズと差し入れ、全部送ればいいじゃん!と思われるかもしれないが、売れ残った新刊や既刊を小さめのダンボールに入れて送るだけでも着払いは高い。

地方住まいなら迷わず宅急便を使うが、都内在住だし、せっかく手持ちで持って来ていただいたもの宅急便で送るのも何だか気が引ける。

加えてかわいくラッピングされて中身がわからない状態カステラ最中は早々に食べなければならない。

ジャンル友達と合流し、アフターに行く際に差し入れをもらいすぎてキャリーケースにも入らず、

ノベルティの紙バッグに入れていたら持ち手が切れて大変な事態になったこともある。


そこで私は思った。「差し入れ同人誌感想手紙が最強」であることを。

嵩張らず、すぐに仕舞えて、日持ちを考えなくて良い。手紙すごい。


だが、私だけかもしれないが同人誌感想を書くのはかなり神経と精神をすり減らす。

普段は70~100P程の同人誌頒布する小説サークルなのに、1冊24Pの同人誌感想手紙(2500字程)を書くのに半日を費やしてしまう。

推しカプが一緒のコマにいるだけで幸せなのに、好きな作品のどこが良かったか文章化して伝えるのはとても難しい。

「最高です」「好きです」「萌えます」「ありがとうございます」…大抵この4語が文末に来てしまう有様だ。

普段キーボードばかり打ってるせいか字は汚いし、文字を書く行為事態も疲れて(筆圧が強い)残りの半日は疲れで目眩を起こしたりする。

なので、自分でも「差し入れ同人誌感想手紙最強論」を謳いつつも、

申し訳ないが本当に本当に好きな人や毎回忙しいのにコンスタント新刊を出す友達最近同人トラブルに巻き込まれた人、憧れのサークルさんにしか書けない。

申し訳ない、手紙を書くのが下手くそで…。


今度スパコミがあるけれど、一生懸命書いているのにまだ1通も書き上げていない。

目標は5/4までに3通なのだが、思いを伝えるのにこれほどまでに「手紙」というツールが大変だとサークル参加経験しなければわからなかった。

これを知ることができただけでも同人活動をやって良かった。

できればコンスタント新刊ウェブ作品をアップしつつたくさんの素敵なサークルさんへ感想手紙を書いていきたい。

何でやエクセル神がかってるやんけ

http://anond.hatelabo.jp/20170425223255

どうも、エクセルマクロ組めるのだけが取り柄の古参兵です。今年9年目に突入

もういい加減老害の佳境に入り始めているのでしょうか、新卒フレッシャーズの言うことがよくわからないので増田をしたためます

入力と閲覧が一緒

これのどこがクソ仕様なのかわからない。というか大抵のツール入力と閲覧一緒じゃね?ワードとかファイルメーカーとかフォトショとか。パワポぐらいだろ「見せる」のに特化した専用モードあるのがデフォのやつって。

データを間違えて書き換えた?あるある。それが怖いから共有フォルダ内のファイルは必ずデスクトップに落とすとかして落書き可能コピーを生成してからコピーの方をいじっとる。何にせよいい経験ですね。

インターフェイス統一感がなさすぎる。

オプションだか何だかで表示対象減らせるから好きに弄りたまえ。

自分必要ツールがどれで、どれなら減らしてもダメージが無いかを見極められるならの話だがな。

機能を充実させすぎ

言いづらいんですけどエクセルデフォ設定だと表示されてる機能は足りないです。私の主力にして命綱の「開発」がデフォだと非表示のはず。

まあそれはともかく、これも上記と一緒で、気に入らなければ非表示化できるので好きにすればいいです。非表示化したことで使わなくなり(=使えなくなり)、いざ必要って時にマゴマゴして上司から叱られたり先輩からかわいそうな子扱いされるというリスクも含めて自己責任範疇ではないでしょうか。

少なくともデフォルトがOFFよりは親切設計だと思います必要ものが表示自体OFFられてると探しようがないみたいなとこある。

・変化がわからない

あ、これは正直完全同意だわ。

「何故か数値が合わないんだけど何故合わないのかわからない」みたいなときセルを一個ずつ覗き見すんのマジめんどい

でも結局は慣れです。慣れとセル参照表示です。私は慣れられなかったのでマクロ(というかVB)に走りました。マクロは良いぞ。検算がラク。少なくともセル一個一個見なくても良い。

・ところで、ぼくがかんがえた最強のエクセル短所

要らんところで忖度してくる。

具体的に言うと数値を勝手に日付型にしてくれたりパーセンテージにしてくれたりする。

いから。そういう気遣いはいいから。君にそういうの求めてないから。VBAみたいに指示したことを指示通りにやってくれればいいから。

2017-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20170425111021

年功序列はクソだというのが一般的だけど何だかんだ言って昔はそれがあったか

今は給料低くてもいずれ良くなるから、と結婚出産を迷わずできたのだなあ、と思う

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