はてなキーワード: 何だかとは
知りたい、女は何でシコるのか。
まず最初に、私は何処にでもいる普通の腐った女である。インスタグラムよりツイッター、美味しいパンケーキより推しのパイパンを愛する彼氏居ない歴=年齢を更新している成人クソ女である。
そんなツイッターに掃いて捨てるほど居る様な女だが、最近ふと気付いた事がある。
「世の女性って、どんな事をしてシコってるの…?」
という事だ。
私の性欲の発端は小学生の時うっかり父親がレンタルしていたAVのパッケージを見てしまった事にある。その時私は別の探し物をしていたのだろう、本棚の上にあるケースに巨乳人妻単体ものが7本くらい入っていたのだ(次の日にはもう隠されていて私は父親の性癖を知ることはなくなったが)その日の夜私は何だかムラムラして股間を机の角に押し付けていた記憶がある。よくエロ同人で「なんだかっ❤︎おまたがっ❤︎むずむずしゅるう❤︎」みたいな導入があるが、まさしくアレである。
後思い出せる次の性欲の開花は、中学生の時に見た某アキバ系ブログの存在である。エロ同人誌やエロゲーをモザイクありで躊躇なく紹介するサイト。今にして思えば彼処からもう私のオナは拗れてしまったと思う。
そう、私は「女性」でありながら「女性」のエロい姿で普段シコッているのである。
普段のシコりかたは割と色々である。ツイッターの2次エロでシコり、支部のエロ絵でシコり、後DMMR-18のAVサンプルでも抜いた。(レンタルは暖簾潜るのが怖くて借りれていない)
私が好きなのは専ら巨乳のお姉さん。絵からいい体臭がして、おっぱいが少し弛んでいるくらいがいい。支部では"背後から胸揉み"辺りのタグを漁り毎晩のオカズを探している。
ここで思うのは私はこういうイラストを見て「犯されている」側に興奮しているのか「犯す」側に興奮しているのかという事である。男が女のエロに興奮するのはなんか分かる。だって男は女を犯す竿役にトリップしてシコる訳だし、男が男の娘ものを見る場合もまあ…同様だろう。違ったらごめんなさい。
けれど私は何でシコっているのか?
私はノンケでありレズではない。後売れ残りの新品である。だから最初は男に犯されている女に自分を重ねているのか…?とも考えた。けれど必ずしもそうとは言い切れないのである。
男が男でシコる時、女が女でシコる時…この場合って何だ(スペースキャット顔)
私もレディコミで抜ける女ならこうもならなかったのに。一体女は何でシコるのか?ツイッターで大っぴらに聞けないからこそ、私は考えるのである。
前I都知事の言葉をそのまま借りると、ある性質をもつ人たちは「遺伝的に何か足りない(≒欠陥をもつ)人間」だそうだ。
本当に足りていないのか、足りているのか、どれだけ考えても結論は出てこない。
ただ、自身では「あ、俺、足りていないな」と実感することも多々あるので、そのたびに「欠陥なりに謙虚に生きよう」とは思っている。
そう、俺は欠陥人間だ。
そんな俺は、普段の生活ではむやみに人を好きになってはいけない(と考えてきた)ため、
物心つく頃から、気持ちをどうにか自身で操作したり、押し殺したりしてきた。
それがクセになってしまったのか、人を好きになる感覚が分からなくなってしまった。
また、心にぐさりと突き刺さりながらも、嘘をつきながら同意したり、笑ったりすることがある。
それもクセになってしまったのか、もう一人の自分に罪を負わせるような感覚で、どんな誹謗中傷をされようとも気にならなくなってしまった。
…これも何だか寂しい。
誹謗中傷は、はじめは抵抗感があったのだけれども、
中傷している人が過去に受けた嫌がらせの話を聞くと、同情する気持ちにもなるのだ。
その人も苦しいことをされたのだな、と。
それを考えると、俺からは何も言えなくなる。
さて、普段の生活では(ありがたいことに)遊んでくれる知人はいるが、さすがに嗜好の話までは出来ない。
同じ性質をもつ知人たちと、そんな話をしたり、遊んだりすることで寂しさを紛らわしている。
それが、翌日からの活力にもなっている。
ただ、やはり彼らを好きになる感覚はない。
…「ない」はずだったが、感覚が麻痺していただけなのかもしれない。
あるとき、同じ性質をもつ人で、新たに知り合いとなった人がいた。
初めてその人と会ったとき、何か心が高揚してくる感覚を覚えた。
そして、会うたびに「その人を知りたい」欲求が出てきた。
その人は俺に「また遊びたい」と言ってくれるようになった。
(今振り返ると、すでにこのとき、俺は彼を想っていたのだろう。)
何回か会ったあとに、俺は仕事で数ヶ月間住まいを離れることになった。
「戻ったらまた会いましょう」と言い残して。
また会えて当たり前だと思っていた。
約束通り、彼を誘った。
返事がない。
忙しいのだろうか。
数週間経ったあと、再び誘った。
やはり、返事はない。
…。
俺は、彼に会いたい一心で焦っていた。
その後、半年間にわたり、しつこく思われないことを願いつつ、誘い続けた。
彼は、一方的に誘いが来るものだから、しだいに不快に思ったのに違いない。
ついに返事が来た。
「今までありがとうございました。」
と。
俺のなかで「近づきたい」と思っていた人が、離れていってしまった。
本当に、もう二度と会えないのだろうか。
そして、そのことが、もう1年近く、頭にこびりついて離れない。
その人を想うたびに、俺に非は無かったのか、ほかに出来ることはなかったのかと自省している。
気分を紛らわすため、別の知人に打ち明けた。
メンタル面を強くすれば前向きになれると決めつけ、俺には似つかないが、格闘技を始めた。
そして、闘争心へ昇華できないくらい、気が弱っていることを自覚した。
これまで、どんなことでも時間が経てば忘れられたのに。
一日に何回も思いだすようなことはなかったのに。
今回ばかりは違うようだ。
そもそも、なぜ彼を欲しているのか考えた。
おそらく、彼のもって生まれたものが自分にとって「憧れ」なのだ。
彼と近くにいるだけで「安心」できたのだ。
ただ、彼を求め続けていても、心は暗闇のなかに閉ざされたままだろう。
悲しい。
苦しい。
この欲から逃れたい。
そう思っているのに、なぜ考え続けてしまうのか。
なぜ彼なのか。
なぜ同じ性の人なのか。
代わりのものはないのだ。
早く忘れたい。
でも、ふと想ってしまう。
またどこかで逢いたい。
どうにか振り向かせたい。
欠陥は、欠陥なりに、考え続けなければならないのだ。
的中率80%程度でいいから適職を知りたい。
システムが80%を外したので俺の青い鳥は逃げてしまった、という事なら今の人生にも納得できそうだ。
俺が今の人生に納得できてないのは、自分のデタラメな直感に頼って適当に生きてきすぎた結果、今ここで俺が人生を公開してるからだ。
折角だから暇なら少し話を聞いてくれ、「暇じゃないから聞かない」ってコメントをして帰ってくれてもオッケー。お帰りはあちらにある「B!」のボタンからどうぞ。
さてと、まずは自己紹介だ。
俺は昭和が終わる少し前に生まれた。少し前ってのが曖昧な言い方になってしまうが、これは文学的であろうとしているのではなくて実年齢を完全にはバラしたくないだけだ。
性格は最近流行りの「クラスで浮き続けて生きてきて、会社に入っても浮きっぱなしの、発達障害の可能性が高そうな奴」だ。
今の夢は何か知らんけど突然お金持ちになってニートになること。
今までに作り上げたゲームの数は入門レベルのSTGが2つぐらい。
書き上げた小説は0。
特技は無いけど職場でたまにタイピングの速さを褒められる。パソコンの先生ごっこを頼まれることはあるけど、基本的に役に立てないので3回目ぐらいで頼まれなくなる。
雑に見積もって日本人の100人に1人ぐらいはここまで自分とほぼ一致してるんじゃないかな。
将来の職業を決めようとしたことが人生で何度かあった。皆そうだし自分もそうだ。
13歳のハローワーク、大学の学部選び、就活本番、就活に失敗したあと再出発する時に模索した道。
子供の頃の夢はゲームプログラマーとさっき書いたたけど、子供の頃は割りと本気でそれを考えていた。パソコンを実際に買ってもらうまでは。
まず中学生の頃、パソコン部に入ってゲームを作ろうとした。でも実際はほとんどダベって終わった。その頃に部室にあった本の内容をそのまま手打ちして作った文字通りの入門用STGが人生で1つ目のゲーム。
次に高校生の頃、パソコン部にまた入って今度はちゃんとゲームを作ろうとした。駄目だった。自分もやる気なかったし周りもやる気が無かった。それでも何かを作ろうと空回りしながら一本作り上げたけど、ほとんどがネットから持ってきたコピペコードのスパゲッティキメラで、ゲーム内容も実につまらなかった。そして自分は、ゲームプログラマーになることを諦めた。
だって、自分と同じぐらいの年齢で面白いゲームを作っている人が沢山いることを、ネットを通して嫌でも知り得たのだから。彼らの中には小学生の段階でゲーム作りをしていた人もいる。初めて1年で凄いゲームを作る人もいる。自分は合計で4年ぐらいパソコン部にいて、作れたゲームはショボいし、プログラムに使った時間の合計なんて下手すら100時間あるかどうかのレベル。熱意という点においては微塵も才能がなかった。そして、生まれ持った熱意が低いなりにプログラムに没頭できるような数学的方面への才能も無かった。とにかくプログラムはよく分からなくて、苦痛だった。ただゲームプログラマーになってみたかったという夢の名残、ある種の意地が少しだけあって、それに他人を巻き込んでクソゲを作っただけ。それを目の当たりにして夢を諦めた。キラキラ業界だけあって、好きでないならやってけないほど辛いだろうなって気がしたしね。
ゲーム方面は諦めたけど大学はIT系に進んだ。IT系という括りの頭の悪さから分かるように、今でも自分はITをよく分かってない。その程度の大学に進んで、その程度のことを学んだ。大学のせいというよりも自分のやる気が足りなかったんだけど。
IT系に進んだ理由は、「コミュ障でもできそうだから」「今ITはブラックと話題だから、逆に自分が就活する頃には反転してホワイトになっているのでは」「職場でプログラム覚えてそれからゲームプログラムに再挑戦すれば一石二鳥じゃん」とか。全く理由がないよりはマシに見えて、実際は一見何も考えて無さそうに見える奴より何も考えてない。意識だけ高い系。
そして自分は大学を出て、就活の時になってもIT系はブラックだという噂が絶えなくて、噂を聞いてる内に怖くなって、公務員になろうと思った。
何で公務員になろうと思ったんだろう。
多分、IT系≒不安定 というイメージの逆を全速力で駆け抜けたかったんだと思う。
そう。自分には正しい情報収集能力がなくて、ネット回線の向こうから仕入れることが出来るのは噂話だけだったんだ。
そして、公務員試験に落ちた。
点数を調べたら笑っちゃうぐらい低かった。
面接で失敗しているうちに何だか消えてしまいたくなって、このまま就活を続けたら頭がおかしくなって大学も出られなくなるって気がしたので、とりあえずは大学を出ることだけを頑張ることにした。
そうそう、卒論をやっている時に人生で3回目のプログラムをする機会がやってきてたんだ。
卒業に必要な単位という餌をぶら下げられてのプログラム。プログラムを書いて報酬がもらえるシチュエーション。IT系に向いてるかどうかを試す良い機会だ。そして、何度もめげかけて、お情けで卒業して、自分はやっぱりIT系は駄目なんだなという確信を得て、大学を去った。
その後はダラダラと公務員試験浪人をして、たまたま相性のいい面接官にあたって公務員になった。
何だか全てが曖昧で何となくで前例主義の積み重ねの成れの果てだった。
エクセル方眼紙の体裁だけはシッカリしている事が求められるのに、中身に関しては大分大雑把な世界だ。
書類の形式がちゃんとしていることを優先するあまりに、他の多くが漠然とされすぎていた。
そのくせ、書類の形式が整っているというのはどういう事なのかということに対してすら、明確な定義は前例主義の中に埋もれていた。マニュアルなし。根拠文書は曖昧なスパゲッティの中で腐りかけ。根拠の根拠は多分だけどフィーリング。
仕事をしているとたまに【伊集院光によるお祓いの説明(ハチを箱に入れたから危険だと吹聴して噂に尾ひれがついてから回収するときに駆除料をせびるあの話だ)】を思い出す。
右から左に何かを運んでいるだけの仕事、それも、それを運ぶことに意味があるのかどうかすら曖昧な仕事なんじゃないだろうか、時折そんな不安がよぎる。
そういう時に、民間企業であったのならば「お金が入るならそれでいいんだよ」と言い張れるんじゃないだろうか。
たとえ仕事に意味を感じなくても、その仕事で身についた技能が他の会社で応用できるのなら、そのために頑張ろうと思えるんじゃないだろうか。
何の役にも立たないだろう。
謎のルールに従っている集団の中に混じって、そのルールを一緒に真似するごっこ遊びに意味はあるのか。
マナー教室と称して、自分たちがバラまいたアンチマナー地雷の回避方法を教えている集団と大差はあるのだろうか。
ならば、どういう仕事が向いているのか。
それが全くわからない。
表題はそういうことだ。
そしてその適職当てをしたシステムに責任転嫁をして生きていきたい。
自分が、噂や印象に振り回されて意味の分からない道を迷走した果に人生まるごとを迷路に投げ込んでしまったなんて事実を目の端に入れて生きていくのにはもう疲れた。背中を向けてしまえば、むしろ見えなくなった事で不安が増すのだ。目の端に入れておくのが一番楽なのだ。でもそれは比較的楽なだけで全く楽とは言い難いのだ。
寝る時間なのでこの辺で切り上げる。
話が噛みあってないだけだよ。学問の上での区分の話をしてる。典型的な、「宗教」アレルギーみたいだからしょうがないけどね。
別に増田が「何だかんだで(神教)仏教徒なんでしょー?」と言いたいわけじゃなくて、「○○教とかとは関係なく、「宗教観」からは簡単に逃れられにくいよという話をしてたんだ。
今時アメリカに住むWASPの皆さんですら、いわゆる「○○教」の信者らしい毎日を送っているかと言えば違うし(毎週末教会に行ってるキリスト教徒はアメリカや英国だとかなり少なくなったらしいし)
じゃあ彼らが「無宗教」なのかというと、違うんだと思うんだよ。、
例えば世間体のために一応親が死んだら経ぐらいは読ませといた方がいいよな、みたいなことこそが、逃れにくい文化なんじゃねーの?と思うわけで。
あわててドッペルに連絡を入れる。
「もしもし」
「ドッペル、いまどこにいる?」
「家にいるよ。この時期になると親がなぜか外出させてくれなくて」
「よし、今日はそのまま家にいて、誰が来ても迎え入れるんじゃないぞ」
「サンタも?」
「サンタは訪ねるとき、わざわざ住人に尋ねたりしないんだよ。合法侵入なんだから」
「それもそっか」
ひとまず、これで時間は稼げる。
ツクヒを見つけだし、サンタの暴露話を思いとどまらせなければならない。
だが、そんなことができるのだろうか。
俺は少し冷静になって、“本当の意味で根本的な問題”について考えた。
『いずれドッペルも分かることだ、マスダ! 止められると思うなよ』
実際問題、ツクヒを止めたところで、ドッペルもいつかはサンタの存在に気づく日が来る。
その日がいつなら良いのか、誰も正確な答えは知らない。
仮に答えがあったとして、そこまでして隠す意義があるのか。
そもそも、サンタなんて虚構の存在を作り上げて、それで俺たち子供を騙して何の意味がある。
ただツクヒを無粋だからといって止めるのは、本当に正しいことなのか。
俺はその答えを出せない。
それでも心のどこかで、ツクヒを止めなければならないという思いが歩みを止めさせないでいた。
俺自身が迷っているのに、仲間たちを呼んで協力を仰ぐのは憚られた。
アテもなく、俺は一人でツクヒの捜索を始める。
別に悪いことをやっているわけじゃないけど、あいつがやってると何だかすごく胡散臭いな。
「おや、マスダくん。クリスマスだというのに浮かない顔ですね。プレゼントのアテが外れたとか?」
「そうじゃないよ。あんたこそ他宗教の文化に参加するなんて大丈夫なのか?」
「生活教は、他の宗教に寛容です。それが人々の生活を彩るものであれば、文化や風習においても同様なのです。だからクリスマスを祝っても何ら問題ありません」
「随分とフットワークが軽いんだな」
「まあここだけの話。新興宗教は歴史のある信仰や、科学などの体系と真っ向から戦うと排除される運命しかないので。柔軟剤入り洗剤のように、しなやかでクリーンであることに努めないとやっていけません」
好き勝手やっているように見えて、宗教って割と不自由なんだな。
俺は、それがまるでサンタみたいだと思った。
「俺たちのクリスマスには、主とかは出てこないけどさ。なんというか、サンタって信仰そのものだよな」
思わず吐露してしまったが、我ながら教祖相手に何を言っているんだか。
「ふーむ……確かに。サンタは、信じることの尊さを学ぶ上では大きな存在ですね」
だが教祖は意外にも真面目に答えた。
「時に虚構というものは、人々が何かを学ぶことに大きく貢献しています。基本的に嘘は良くないことですが、それでもサンタという存在を守ろうとするのは、そこに何か大事なものがあるからでは?」
「プレゼントとか?」
「まあ……それもあるでしょうけれども。私の立場では、そういったものに明確な答えを出すわけにはいかないので……」
たぶん、俺がツクヒを止めようとしているのも、そのためなんだ。
答えはまだ出ないけど、道筋は見えたような気がした。
「よし、クリスマスが過ぎるまでに何とかしないと」
ん、どういうことだ?
「クリスマスの時期は宗教によって異なるので、別にテキトーにやっても大丈夫です」
正確には、「髪の毛を寄付に出すべくバッサリとやってきた、今日明日で関係機関宛に発送するつもり」だが。
クリスマスイブだが当然のごとくぼっち。起きたのだって14時過ぎだ。頭が軽い、そしてちょっとかゆい。髪の毛先が寝癖で曲がって頭皮に突き刺さって後頭部とかがちくちくするのだ。超久々だ、こんな感覚。
そう、もともとロングヘアに憧れもあったが、ひょっとしたら髪が長い方がまだちょっとくらいモテるのではないかという下心も淡く持ちながら、この6、7年ぐらい髪を伸ばし保ち続けてきた。
だがそれももう終わりだ。
6、7年どころか上京してこのかた連続クリぼっち記録を更新し続けたまま三十路に突入して白髪も散見される今、もうモテとかほざいてる場合でもないし、正直ロングヘアは手入れが面倒くさいし、その手入れに凝ること自体が楽しかった時期もあったのだがそれを脱して以来負担でしかなかった。巻いたり結ったりで遊びもしたが、ちょっと仕事で忙しくしていたら気がついた頃には背中を覆う長さになっていて巻くにも結うにも洗うにもあまりにも手間がかかった。長すぎる髪というのは単に結んだだけで垂らしておくと椅子に座った時に背もたれと背でサンドされるので身動きすると一瞬クビがグキってなって鬱陶しい上に、まとめて団子に結っても結いきれず自重で崩れやすいのだ。おまけに美容院では染めるにもパーマにも長髪料金を取られる始末。完全に持て余している。
しかしこれだけ苦しめてくれたのに、何だかんだで愛着はある。無いわけがない。苦楽も虚無も共にしてきた己の身体の一部である。モテこそしなかったが同性からの「長い綺麗な髪」というお世辞もとい褒め言葉もそこそこもらってきた。
それを年末大掃除の断捨離の一環として切って捨ててはいスッキリさっぱり、でおしまいにはちょっと出来ない。
かねがね考えて来たのだ。こんなもんを一体どうするべきか。
聞いた話では怪我や病気やその治療で髪がダメになった未成年に贈られるかつらになるのだとか。順番待ちの列が長蛇らしいし、手に入った子は大事にしてくれるであろう。
いやむしろ下手に大事に丁重になどしてくれなくても良い。宝物を扱うようになんて全然してくれなくていい。生やし主の私でさえ別に宝物としては扱って来なかったのだ。毎日被ってジャンジャン使って早々にダメにしてほしいし、その時のために私は私でもう一回髪を寄付に出すべく再度の育毛に励んでいく。どうせクリぼっち記録を更新し続けるさだめの薄給ちょっぴり激務職の身の上、またすぐ「気がついたら腰の長さに」みたいなことになるに決まっている。
ただ、今回だって放ったらかしの伸び放題にしていたのだが、特に不足していると言われる51cm超えの採髪には至らなかった。それだけが悔しい。次は是非長髪を寄付して、「頑張って結っても崩れる団子の虚しさ」「染髪の楽しさと飽きの早さ」などをどこかの誰かにお届けしたい。
軽い頭と見慣れない鏡が晴れ晴れと寂しいので、増田に書いておく。
追記:
トラバやブコメをたくさんありがとうございます。何やら「賢者の贈り物」などと洒落たブコメも頂戴している。わーい。そういやあれクリスマスの話でしたね。
幼い頃は「髪はまた伸びるけど時計は買い戻せなければおしまいだ、おじいさんやお父さんからもらったものなのに割に合わなくないか」などと思ったりしておりまして、っていうかついさっき青空文庫で原典読むまでずっとそう思っていたんですけれども、読んだらびっくり、奥さんの髪の長さ半端ねェ。
膝丈。膝丈ですってよ。
腰まで伸ばすのにも(途中ちょっと整えるのに切ったりしたけど)6、7年なのに、膝って。今ざっくり測って計算したら、身長154cmそこそこの短足ブスのわたくしでさえ、バッサリやった今から膝まで伸ばすのに8年かかると出たよ。欧米人の身長じゃもっとじゃないの?
そりゃ奥さん髪売った直後ちょっと涙目になるわ。私と違ってめっちゃ手入れして大事にしてたみたいだし。売値20ドルだし。20ドルて。クリスマスなんだから200ドルくらい弾んでやれよって感じだよ。
というわけで、はっきり言ってわたくしのごときズボラなキモくて金のないおばさんにはもったいない喩えでございます。でも俄然ファイトが湧いてきたというか、こうなったらダメ元で膝丈目指すしかないだろ的な心境になってきた。新年から足掛け8年計画で金時計の似合う殿方に相応しい女を目指していく。頑張ります。
https://anond.hatelabo.jp/20171220195315
私があの日記を書いた時にはかなり頭に血が上っていて、言うべきではないこと・使うべきでない表現で物を言っていたと思います。なんというか、目の赤い王蟲になって無関係の民衆に突っ込んで多くの人を傷つけてしまったという感じで、傷つけてしまった人には申し訳ない気持ちでいっぱいです。口汚く罵られもしましたが、実際人を轢いてしまったのだからそれも甘んじて受け止めねばならないと思っています。冷静に宥めて下さった方、わかる部分もあるけどそれは良くないよ、と受け止めやすい形で批判を伝えてくれた方、ありがとうございます。わかるよと伝えて下さった方には、あなた方がいたから冷静になることができて、冷静な批判をちゃんと受け止めることができて、だから今謝罪ができるのだと、やはり感謝を伝えたいです。
以降は完全に蛇足ですが、なんでそんなに頭に血が上っていたのかを少し書きます。先の日記ではどんなに仕事の内容で勝負しようとしても下ネタを避けられないという話を書きましたが、私が新人・若手の頃に、先輩社員との仕事中の「コミュニケーション」の中でいきなりラブホの話が出てきたことがありました。仕事に関連する建物の構造だか何だかがラブホのこれこれこういう部分に似ているよね、増田ちゃんもそう思うでしょ?というような話でしたが、そんな話をされてびっくりしていると「え、うっそもしかして処女?」「いやいや全然イメージなくてめっちゃ経験多そうなタイプに見えるけどそうだったらギャップすごいね」「えーそれギャップあって超いいじゃん」みたいな話を口々にされました。その場は曖昧に笑って濁して話の輪から逃げましたが、最悪の気持ちでした。処女かどうかとか、経験多いタイプに見えるとか、ラブホに詳しくないとか、そんな話を仕事の同僚とする必要がどこにあるんでしょうか。大学までの間でそんな人と接した機会が無かったので、こんな野蛮で下品な人間がいるのか、入る会社を間違えたのではとショックを受けました。
学生時代の友人と飲んだ時に打ちあけようと思いましたが、ところがどっこい彼女は私以上に野蛮な環境に耐えていて、具体的には泊りがけの研修合宿に行ったら飲み会の後に男性の先輩社員が男性の新人社員全員を無理やり風俗店(直接的なサービスのあるタイプ)に連れて行く、連れていかれる同期を見るのが辛いしその話を翌日に自分たちがいる前で堂々とされるのも辛い、彼女持ちの同期に苦痛を打ち明けられてどうにもできないのが辛い、ということでした。それを聞いて自分の会社はまだ全然ましでこれくらい耐えなくてはならないのかと思い、仕事で成果を出すことで言わせない空気を作ろうと頑張っていましたが、そうやって仕事で成果を出しお給料に反映される頃には、飲みの席で酔った取引先のおっさんに「どこに住んでるの?えっそんないい所住んでるの?君独身でしょ?なんでそんな街に住めるの、あ、パパがいるのか。いいなー俺もパパになりたいなー」と言われて最悪の気分になりました。かなり酔った様子だったのもあり雑に扱ってすっと帰りましたが、嫌な気持ちは何週間か後を引きずりました。
私にラブホだの処女だの経験多そうだの言ってきた男性も、パパがいるんだろう・パパになりたいと言ってきた男性も、友人の同期を風俗店に無理やり連れて行った男性も、みんなコミュニケーションだの、明るく笑える会話だの思ってやってたんだと思います。ただ、それは本当に野蛮で下品な文化だと思いますし、その文化に理不尽に触れさせられた人間を傷つけます。だから、自分にとって楽しかろうが、飯の種になろうが、自分がそれをやっていると気づいた方にはすぐに止めていただきたいと思っています。
そんな訳で、最初にバズフィードの記事を見た時には「なんと大変な思いをされたのか、是非応援したい」という気持ちしかなかったのが、童貞いじりやヤリマンいじりはセクハラではない、それは許容されてしかるべきだし今言うべきではないと話の流れが変わるうちに、この人(またはこの人たち)は野蛮で下品な文化にズブズブで人を傷つけるサイドの人なのか、そんな人になぜ私たちの経験した辛さを無かったことにするように言われなければならないのかと、憤りを感じました。
それがああ言う形での敵意の発露となってしまったのは、お察しの方がいたように私が女を武器にして利益供与を求めるタイプの女性に煮え湯を飲まされたことがあったからで、過去に私に被害を与えた女性は教授や上司等と1:1で頻繁に夜や休日に飲食を共にしている女性でした。私の怒りは本来その私が遭遇した彼女たちだけに向けられるべきもので、それをましてや定義も曖昧に一般化し、属性化して向けるべき怒りではありませんでした。
誤解された方も多かったようですが、私が若手の頃に会社のお偉いさんに取り入ろうとしなかったのではありません。所謂エレベータートーク(移動中のタクシーや会食などの時間の長いものを含む)を頑張ったり、自分の担当案件に関連する指標とかを頭に叩き込んでおいて、偉い人との会議で案件責任者が答えに困った時にさっとサポートするとか、そういった形で「頑張ってる新人」「伸びそうな新人」ぽさを出して引き立ててもらおうとしていました。職種によってやり方は違うと思いますが、例えば同時期に庶務で入った友人は偉い人に届く封書の封を絶妙に開けやすくするように工夫していたりして、「あの子はすごくよく気がつく」と評価されていました。私も彼女も、夜や休日の1:1の誘いは全部かわしていました。
私は「誘いを断っても居場所を確保することに成功した」人間で、私の競争相手は「自分から”連れていってくださいよ〜””二人で行きましょうよ〜”と誘いをかけるタイプの人間」で、私の中にはその二種類の人物像しかありませんでした。ここに想像力の欠如がありました。多くご指摘いただいたように「誘いを断って居場所を確保することができない」状況もままあると思います。そしてそれは決して、本人が責められるべきものではなくて、加害者の卑劣さや、雇用の流動性の低さによる逃げにくさによる問題です。またそもそも、私が今回の自分の憤りを伝えるために持ち出す話として、完全に不適切でした。私の不適切な行いで傷つけてしまった人たちに、心からお詫びをお伝えしたいと思います。本当にごめんなさい。
インフルエンザで自宅待機中。
とてつもなく暇なんで、1973年製増田による「30年経っても心に残ってる80年代アニメOVAベスト5」を置いてく。
エッチなアニメかと思ってレンタルしたらいろいろ違ってびっくりした作品。ドタバタで混沌としているのが80年代OVAっぽいんじゃないかと。こうゆうC級ノリは今でも好き。何度も観たわけじゃないのにエンディングの歌(プリーズcall me tonight♪)が今でも頭にこびりついてる。歌詞にタイトル名を入れちゃうあたりが80年代的ルール。
大人の世界ってこんななのかと感じた作品。たぶんエッチシーンが大人っぽかったから。時祭イヴの歌「風のララバイ」が荒廃的な世界観とあいまって、どうにも救いようのない作品だとの印象が強い。ちなみに続編(IIとかIII)を観ていないんで、増田の中でメガゾーンの世界は本当にここで終わっている。今思えば時祭イブって初音ミクみたいな存在なんで、俺らのミクさんが「助けて私は殺される」とか言い出したら、我々はこの世界の構成を根本から疑わねばなるまい。
くりいむレモンシリーズ丸ごと心に残ってるんだが、何かひとつ選ぶならこれ。もはや富本たつや氏のキャラデザそのものが80年代アニメOVAとして記号化してる。閉塞的な淫猥とした館モノの教科書見本みたいな作品でかつエロさ半端ないんで、「殻の中の小鳥(PC98ゲーム)」と併せてメイド古典としてデジタル国宝に指定すべき。尚、くりいむレモンで何を推すかは完全に個人の思想に依るので論争化すべきではないものの、土器手司氏が好きな増田としてはポップチェイサーも捨てがたいとだけは申し上げておく。
「なんかすごいもんみた」とビビった作品。レンタルビデオを自室で観てたが、とにかく怖くて、観るのをやめたいのにやめたら窓の外に何か居るんじゃないかと思ってやめられない状態になった。怖いもの見たさで何度かレンタルして、その後30年観てないけど、とにかくドキドキしたことだけ今でも鮮明に覚えてる。原作者の士郎正宗氏が自分で絵コンテ切ってどっぷり介入した作品だったと記憶しているが、そのおかげでアップルシードの新作がなかなか出なくてヤキモキしてた。
初めて観たとき美麗で驚いた作品。あまり筋の通らないストーリーなのに、垣野内成美氏の美しい絵が動いているだけで許される気がした。救われない話も多いのに、後味が悪くないのは結局のところ主役は美夕だから他はモブってことで。何だかんだいって増田は、OVAもTVシリーズもLD BOXを買いドラマCDを買いWindowsデスクトップアクセサリーを買い、もろもろの売り上げに貢献した。声優は初代もいいけど、三木眞一郎ラヴァ兄さんの色気っぷりは捨てがたい。
観てた時期はほぼ中学生。改めて観なおしてるわけじゃないんで、本当に心に残っている部分だけの感想だけど、こんな時代あったわーと懐古するおっさん仲間がひとりふたりいてくれれば是幸い。
追記。
いろいろ反応ありがと。レダとかパトレイバーとか迷ったよ。あとダーティペア(違うラブリーエンジェルぅ!って脳内で聴こえる)も。アニメ大好きは関西圏?そんな番組があったって聞いてうらやましかったよ。情報の拡散スピードが遅い時代で市場も広くなかったから、中学生がレンタルビデオを週に1本借りるだけでも網羅できる量しかなかったよなOVA。懐い。
教室内での序列問題は実際あるにはあるが、「スクールカースト」なんて名前を着けてしまったのは物凄い悪手なのではないかと思う。
こんな何だかオサレげな名前が着いているものなぞ、してみんとてするなりとて積極的にやってみる児童生徒が続出しそうだ。
私が小学校高学年の頃に、イジメ問題がよく報道されていて、学校側からもイジメは良くない、イジメダメ絶対とキツく言われていたものだが、大人たちの意に反して、子供達の中では小学校高学年たる者イジメをしないのは一人前ではないという歪な価値観が生じてしまい、多くの子供達が嬉々として集団でイジメ活動にはげんでいた。マジうんこ。
名付ける事で問題解決への動機が生まれたりする半面こういう事も起こる。
ところで最近になって近所の保育園でママ友イジメが発生したという話が耳に入って来た。私の子供の幼稚園の保護者は、それを聞いて怖い怖いと言いつつとても楽しそうだ。まるでママ友とはこうでなくっちゃとでも言わんばかりだ。
これまで私はママ友イジメでそんな風に沸いたところは幸にも見たことが無かったのだが、皆が怖い怖いと言いつつ何か楽しそうという出来事が毎年必ずあるのは知っている。PTA本部役員選出の時である。嫌だ嫌だ絶対やりたくない、怖いよ~と言いつつとても楽しそうな皆さん。PTA本部役員といえば絶対に揉め事に巻き込まれる・酷い目に遭うと思い込んでいるのだ。そういう危険にニアミスするスリルがたまらないらしい。
全年齢向けノベル『いえのかぎ』Steamから削除―“ペドフィリアをターゲット”と判断 - https://www.gamespark.jp/article/2017/12/14/77430.html
同人ゲーム「いえのかぎ」Steamから不当にBANされたとして異議 「幼児性愛者を対象としている」と判断され - http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1712/15/news137.html
問題の詳細は↑の記事を見てもらうとして、この話に関して2つ論点から感想を述べたいと思う。
ひとつは「『いえのかぎ』は幼児性愛者向けのゲームなのか」という点で、
もうひとつは「Steamは全年齢の幼児性愛者向けゲームを排除していいのか」という点。
エロゲオタであり、心に残るエロゲー10選を挙げるとしたらその中にかの有名な『はじるす』の後継作である『ななみとこのみのおしえてA・B・C』をチョイスする俺に言わせれば「YES! YES! YES!」というほかない。
主人公が犯罪者である、嫌悪感をもよおさせる人物であるということはこの作品のテーマ上必然性のあることで、意図的にそのように描かれています。
それぞれの問題を抱えた4人の少女と頼りない新任教師が、ふとしたきっかけから子供を搾取の対象とする悪と戦うことになり、その過程を通して児童や学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲームです。
http://steamcommunity.com/app/710370/discussions/0/1499000547482233373/
正直に言えば、こうやってその場しのぎの言い訳をするの、事態を悪化させるだけだからやめたほうがいいと思う。
『いえのかぎ』の公式ページに載ってるあらすじには、
ってあるわけ。ロリコン向けじゃないなら「ガチロリ」とか「女子小学4年生9才」とか何のために強調してるのかって話ですよ。
主人公紹介は
同僚や児童にも若干見下されているヘタレ。重度のロリコンで学校のトイレに 盗撮カメラを仕掛ける犯罪者。 ヒロイン幼女の罠にはまり利用されるが、それも何だか嬉しくなってきた手遅れな変態。
となっていて、Sなロリにいじめられたり顎で使われることに興奮するM男をコアターゲットとしていることがあきらかな書きっぷりである(し、盗撮という犯罪行為に一切の批判が向けられていない紹介文である)。
PVかサンプル画像を見ればわかるが、女子小学4年生9才が脚を大きく上げて、太ももをむき出しにし、短いスカートの中が見えそうになっている一枚絵がある。本作が「児童や学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲーム」というのならどういう必然性があってこの一枚絵を作ったのか。ライターは「お色気どころかパンチラ一つない非扇情的な作品」とツイッターで発言しているが、ならこのシーンはなんなのか聞きたい(これがもし盗撮に対する懲罰シーンというなら舐めた話だ)。
そもそも創作をやっていればわかることだが、文章ひとつとっても表現の意図がある。一枚絵をイラストレーターに発注するというコストのかかる行為は相応の意図があって然るべきである。では上述の一枚絵を発注した意図はなんなのか。
もっと言えば本作のイラストを担当したMUK氏は18禁のロリイラストを多数手がける同人作家である。直近のC92では「えっちで容赦ない少女たちのイラスト+漫画本」を上梓していて、これがまたいい仕事っぷりである(個人的に欲しい)。しかしそういうイラストレーターを起用した意図もまた当然あるはずで、本作が「児童や学校を取り巻く問題を浮き彫りにすることを目指した社会派ノベルゲーム」というのなら以下略(強調しておくが18禁の仕事をした者は、全年齢の作品を手掛けたときも常にそういう視線にさらされるべきといっているわけでは断じてない。あくまでロリエロ絵師に普段と変わらない絵柄でロリ絵を描いてもらった制作側の意図を問題にしている)。
ついでにいえばこういうツイートもあった。
ロリコンノベルゲームをSteamのストアに公開したら「お前は自分がやろうとしていることを理解しているのか!? パンドラの箱を開けようとしているんだぞ。やめろォー!!!」と大変ドラマチックな忠告を受けたが、そんなオモロイ箱があるなら何の迷いもなく開けるのである。
お前、自分で「ロリコンノベルゲーム」って言ってるやんけ……。
俺は「幼児性愛者向けゲーム」がただちに悪いとは思わない。というかペド向けゲームを作って、売ろうとして何が悪い。何も悪くないはずだ。悪いのは「ペド向けゲームですが何か?」と胸をはらない態度だと思う。そういう意図をこめ、そういう客をターゲットにゲームを作っていながら「いやそうじゃありません」とウソをつく態度に腹がたつ。
そして本作をBANしたSteamにも腹が立つ。
あかんやろ。
こう書くと「Valveは私企業だから権利がある」とか「DMMとか他で売ればいい」とか言い出す輩が必ず沸くが、Steamに比肩するPCゲームダウンロード販売のプラットフォーマーが世界に存在しないことを考えれば、彼らには一私企業という枠を超えた責任があることを議論の前提にしてもらないと困る。
TwitterからComic LOのアカウントが凍結後撤退したことやTogetterをはじめサードパーティ垢のBAN祭りがあって問題になっているが、TwitterやGoogleやAmazonやSteamといった競合のいない巨大プラットフォーマーは、利用者の権利を不当に奪わないための公明正大な運営が求められてしかるべきだろう。AmazonがLINEのAIスピーカーを販売禁止にしたときは「独占禁止法違反の可能性もある」という指摘があった(http://www.sankei.com/economy/news/171119/ecn1711190006-n1.html)。
Steamには、提供国の法律に反しない限りあらゆるゲームを取扱い、ディベロッパーやユーザーの側に立ち、世界を代表するPCゲームダウンロード販売のプラットフォーマーとしての矜持を見せてもらいたい。
ロリコンやペドフィリアについて言及することや描くことがそれらを肯定したり、それらの人間に媚びている理由にならない。勝手に作り手の意図を忖度しないで欲しい。/『いえのかぎ』問題の感想
HentekoDoujinの新作ゲームのストアページを公開しました!
うーん。
小学5年生の妹と一緒にお風呂で体洗いっこしたかったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おじいちゃん家に帰るたびに可愛い従姉妹と一緒の布団で寝たかったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
知恵袋とか見てても、従姉妹とちょめちょめしたとか、生まれた時からハンデですか???????????
俺にいる兄弟なんて引き篭もりのオタクの弟だけです。悪意はないですが、何だか悲しくなります。これが可愛い妹だったらと。
こんなんで女慣れしてないもんだから不幸にも高校は男子校に入ってしまったし。
こういうこと考えているうちに妄想の世界だけで自分がロリコン化していくのがキツイ
お願いだから叔母さん、今すぐ子ども作ってください。叔母さんは割と美人なんです。イケメンと結婚すれば可愛い女の子くらい生まれるでしょ。
ノマドとか、起業家とか、そう言った類の人種から放たれる「俺すげーオーラ」がキツイ
営業の人もこういうオーラ纏ってることあるけど、それよりもっと子供っぽい感じがする
営業の人は何だかんだで畏まった態度を取るが、彼らは「自分凄い、偉い」的な態度だからだ
とっぽいっていうの?
かという私も同じ界隈に居るのだが
ドヤりたくなくて卑屈な態度を取るよう心がけている
自分はクソ、自分はゴミ虫、そういう意識を忘れないように頑張っている
こういう界隈に居る人でも、40代くらいになると落ち着きが出てくる
実務がすごくできそうなオーラがある
40代でノマドオーラを纏ってる人は、しょっちゅう「すごそうな話」を披露している
聞いてるのは女性であることが多い、「奥様」みたいな意識高そうな女性
別に詐欺を働いているわけでもないので害はないんだけど、ただ鼻についてしんどい
日本の文化性と精神性は明らかに外国の人に喧嘩売ってるとしか思えないですよね。いくら国民性の問題だとしてもちょっとこれは理解されないんじゃないのかと。
欧米の感覚でも中韓の感覚でもそうだと思います。しかし、日本のセンスではオタク萌えやヤンキー精神がアリになるんですよ。それが子どもの頃はよくわかんなかったんですが、30代になってだんだんと理解できるようになりました。
日本は経済大国ならイメージすぐありますが、文化大国イメージってアメリカや中国などの影響強すぎて外から見るとなぜ急に日本になるのかをまず先に噛み砕いてからじゃないとそれすっとばしても何だかよく分からないかもですね確かに。理屈をすっ飛ばして精神に訴えるんですよね。「島国根性」「ヤンキー精神」の土地です。あなたが外国人ならば気付きやすいですが、学校とかでもインテリが妙にマッチョイストだったり。変な意味での夢を見たがるんです。カルチャーショックもありますよ。
むしろ台湾や韓国の人のほうがうまくできていると思います。マッチョイストじゃないし、理屈が合って相互がそれを精神にまで受け入れられる過程が文化でもよく表現されています。工業製品も日本よりしっかりしています。
あとイメージ的に昔でいう「ハングリー精神」のようなノリが日本にはないと思います。新しい産業とかに行っても妙に首を洗って待っている感じですし、だらだら残業とかしている感じ?
世代と人種が違うのかも知れませんが、20年前東洋でよいイメージの人間といえば日本人でした。いつの間にか中国・韓国人がそのポジションに居座ったわけですが、いつの間に替わったのだろう?その理由は日本社会の成熟と中韓の躍進でしょうねえ。それと、長期不況を日本が経験したからなのではないでしょうか。
根性論は外国人が一番理解に苦しむやつですね。急に想像で会話をやられてるみたいで結果が末恐ろしいです。
外国人から見ると、日本人の言っていることがわけわからないことが多くて謎だったんですが、そう考えると腑に落ちるでしょう。外国人は論理の話をしていても、日本人は感情として判断されてしまう。アウトプットだけ示して肝心の道のりを提示しない…などなど。数学をイメージするとわかりやすいです。
でも、いずれにしても文化も仕事も学問もゴールではなく、途中過程を示すことにこそ価値があるわけですよ。そのへんの推し方が弱いのが日本人かなと。
あと日本各地で愛国ポルノまがいの感情論が蔓延していますが、それは外国人は理解できないことだから、最近の東北の米CMよろしくに一人よがりすぎるじゃん。自己完結感が極端すぎると思うんですよ。
ただ一言「日本の○○がすごいよ!」だけ云うても、そりゃたとえば車や二輪車は世界各地多数あるわけでその中で日本のそれらはどういった特徴があってさらにどういうメリットがあってその結果良いのかってのが分からないとただ「とにかく良い!」いうてもなかなかそそられませんからね。
何だかんだとここの匿名ダイアリーに書き込んだなぁ…。独立した日記もあれば、他人さまが書いた投稿に対するコメントとかいろいろ。
私はリアルでもネットでも演じるのが苦手だし、フェイクを適度に入れるのも下手くそなので、どこまでが私という同一人物が書いたものかを特定されちゃうかも知れないけど、自分的には書きたかったのに書けなかった話をいろいろ書けてすっきりした。
たとえ本名じゃなくても特定のIDで自分の記事が紐付けされていて、リアルの友達とか知り合いに読まれる状況だったりすると、案外好き勝手なことが書けない。ここでもそんなに読まれて困ることを書いたつもりはないけど、「このコメントとあのコメント、同じ人が書いたのかな?」と思われたとしても確信はできないところがありがたい。
それにしても私の文章は長い。コンパクトに分かりやすく書ける人が羨ましい。自分の書いた記事にリアクションがあったと思って喜んだらただ「改行しろ」って書いてあった。パソコンの画面とキーボードで入力するとどんどん長くなっちゃうけど、今はスマホで読む人に配慮しないといけないんだろうね。
普通にIDを前面に出したブログでアクセスを集められる人はいいけど、匿名かつ記事と記事のつながりが本人以外に分からないサービスというのは、自分みたいにブログやSNSで人気者になれない人にはありがたい。だって「○○さんが書いた文章」じゃなくて、一個一個の日記やコメントが個別に評価されるから。
自分では気合いを入れて書いたつもりの文章が長すぎてスルーされたり、盛り上がっている日記に深く考えずにコメントつけた方がリアクションが得られたり、手間とリアクションの相関関係がないことがよく分かった。とりあえず短くてすっきりしてよく伝わる文章が書けるようになりたい。