前I都知事の言葉をそのまま借りると、ある性質をもつ人たちは「遺伝的に何か足りない(≒欠陥をもつ)人間」だそうだ。
本当に足りていないのか、足りているのか、どれだけ考えても結論は出てこない。
ただ、自身では「あ、俺、足りていないな」と実感することも多々あるので、そのたびに「欠陥なりに謙虚に生きよう」とは思っている。
そう、俺は欠陥人間だ。
そんな俺は、普段の生活ではむやみに人を好きになってはいけない(と考えてきた)ため、
物心つく頃から、気持ちをどうにか自身で操作したり、押し殺したりしてきた。
それがクセになってしまったのか、人を好きになる感覚が分からなくなってしまった。
また、心にぐさりと突き刺さりながらも、嘘をつきながら同意したり、笑ったりすることがある。
それもクセになってしまったのか、もう一人の自分に罪を負わせるような感覚で、どんな誹謗中傷をされようとも気にならなくなってしまった。
…これも何だか寂しい。
誹謗中傷は、はじめは抵抗感があったのだけれども、
中傷している人が過去に受けた嫌がらせの話を聞くと、同情する気持ちにもなるのだ。
その人も苦しいことをされたのだな、と。
それを考えると、俺からは何も言えなくなる。
さて、普段の生活では(ありがたいことに)遊んでくれる知人はいるが、さすがに嗜好の話までは出来ない。
同じ性質をもつ知人たちと、そんな話をしたり、遊んだりすることで寂しさを紛らわしている。
それが、翌日からの活力にもなっている。
ただ、やはり彼らを好きになる感覚はない。
…「ない」はずだったが、感覚が麻痺していただけなのかもしれない。
あるとき、同じ性質をもつ人で、新たに知り合いとなった人がいた。
初めてその人と会ったとき、何か心が高揚してくる感覚を覚えた。
そして、会うたびに「その人を知りたい」欲求が出てきた。
その人は俺に「また遊びたい」と言ってくれるようになった。
(今振り返ると、すでにこのとき、俺は彼を想っていたのだろう。)
何回か会ったあとに、俺は仕事で数ヶ月間住まいを離れることになった。
「戻ったらまた会いましょう」と言い残して。
また会えて当たり前だと思っていた。
約束通り、彼を誘った。
返事がない。
忙しいのだろうか。
数週間経ったあと、再び誘った。
やはり、返事はない。
…。
俺は、彼に会いたい一心で焦っていた。
その後、半年間にわたり、しつこく思われないことを願いつつ、誘い続けた。
彼は、一方的に誘いが来るものだから、しだいに不快に思ったのに違いない。
ついに返事が来た。
「今までありがとうございました。」
と。
俺のなかで「近づきたい」と思っていた人が、離れていってしまった。
本当に、もう二度と会えないのだろうか。
そして、そのことが、もう1年近く、頭にこびりついて離れない。
その人を想うたびに、俺に非は無かったのか、ほかに出来ることはなかったのかと自省している。
気分を紛らわすため、別の知人に打ち明けた。
メンタル面を強くすれば前向きになれると決めつけ、俺には似つかないが、格闘技を始めた。
そして、闘争心へ昇華できないくらい、気が弱っていることを自覚した。
これまで、どんなことでも時間が経てば忘れられたのに。
一日に何回も思いだすようなことはなかったのに。
今回ばかりは違うようだ。
そもそも、なぜ彼を欲しているのか考えた。
おそらく、彼のもって生まれたものが自分にとって「憧れ」なのだ。
彼と近くにいるだけで「安心」できたのだ。
ただ、彼を求め続けていても、心は暗闇のなかに閉ざされたままだろう。
悲しい。
苦しい。
この欲から逃れたい。
そう思っているのに、なぜ考え続けてしまうのか。
なぜ彼なのか。
なぜ同じ性の人なのか。
代わりのものはないのだ。
早く忘れたい。
でも、ふと想ってしまう。
またどこかで逢いたい。
どうにか振り向かせたい。
欠陥は、欠陥なりに、考え続けなければならないのだ。
ホモォ…
どうせ俺はホモだよっ!!