はてなキーワード: スタンスとは
俺は中道を自称するノンポリで、常に党派生に左右されず、是々非々で物事を判断できる人間でありたいと思っている。
悪く言えば軸がないとも言えるわけで、その日見たニュースや出来事などによって右寄りだったり左寄りだったりの気分になることもある。
そんな俺も、今日は左翼のスタンスにシンパシーを覚える気分だ。
たまたまWikipediaを見ていたら、こんな記事にたどり着いたからだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B2%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
近い話だと朝鮮人の徴用工問題は最近、韓国側の賠償金肩代わりで着地しそうな動向が報じられたが、
もちろん日本側の主張である「日韓請求権協定で解決済みだろ!」という正論に基本的には同意なのだが、
人が死ぬレベルの強制労働をさせといて「金払ったんだから黙ってろ!」みたいな傲慢な態度もどうなんだ、という気もしてくる。
まぁ突き詰めると感情論になってしまうが、日本人だってアメリカ人に「広島長崎に原爆落としたのはよい選択だった」みたいな話されたら腹立つわけじゃん。
だから、「過ちは過ちだよね、昔の人たちが酷いことしてごめんなさいね」というのは認めた上で、「でもお金の話は一応、公式で解決済みなのでごめんなさいね」でいいと思う。
ただこういう事件を知るにつけ、大本営の「大東亜共栄圏」とか、「八紘一宇」みたいなスローガンはつくづく詭弁というか、お為ごかしだよなぁとしみじみ思う。
いわゆるネトウヨと揶揄されるような連中には、この手の正当化を真に受けて、日本人の同化政策は間違ってなかったみたいなことを言っているヤツがたまにいるが、それは流石にねーわと思う。
やっぱ戦前の日本人は日清・日露で調子こきまくって他の東アジア人種を見下してたと思うし、それは黒人を奴隷にした西洋人と本質的に変わらんメンタリティだったと思うな。
真面目にアドバイスする
突然訴状が送られてきたらビビる、わかる、犯罪者になった気分になる。
だが民事だ。
端的に言えばほっときなさい
答弁書くらいは出してもいいがテンプレ一枚で良い、ほっといて全部負けでいい
日本の司法制度では全負けしたところで30万円ぽっちの債務名義は紙くずにしかならない
相手は取りようがない。
さて、これは意図的に制度設計されている、それ込みでルールの中、司法制度と居直れば良い。
我が国は司法制度を維持するために人件費だけで国家予算年間2500億円使ってる。
知財部の地裁判事なら年収2000万円は貰っている、裁判官だけではなく書記官など多くのスタッフが関わる。
時給計算すればわかるが、数万、数十万円の訴訟をボロボロ持ってこられてもアホらしい。
訴額0円の訴訟は起こせないだろ、
これは回復する損害が存在しないと本人が認めている裁判なんぞ「利益が無い」と見做されるからだ。
そんなものに国費を使うなと。
てめぇのプライドだかなんだか守るために裁判所の権威を使うなと。
そこで我が国は伝統的に低額の訴訟はできるだけ持ち込まれないように設計されてる
わざと採算が取れないようになってる
低額訴訟のどのレンジを採算ラインに乗せるかは司法制度のさじ加減で簡単に調整できる
日本はざっくり言えば200万円以下の訴訟はやるだけ無駄、無駄になるように設計されてる。
仮に満額取れたとしても回収するのにそれ以上のコストがかかる(訴訟費用含め)ように制度設計されてる。
(裁判で勝っても取り立てに国は一切関与しない、相手が従順に従わないなら、強制的に取り立てる手続きを
裁判とは別で改めて申し立て、実施する必要があり、その経費は全て勝った側の負担、不動産差し押さえなんて
一発で軽く100万は吹っ飛ぶが自腹、それでも確実に取れるわけではない、給与差し押さえだの動産だの、それでも数十万は飛ぶ、
遠方地であれば執行には逆にキミの居住地まで来なきゃならないが、その旅費、経費も全部向こうの自腹、やるわけねぇ)
つまりはそれ以下の争いは、各自注意して生きて、事前に紛争を防止し、それでも巻き込まれた時は諦めて泣き寝入りしなさい。
なんです
厳しいことを言えばAIで画像収集なんてやらなきゃいいんです。
紙で生きてりゃそういう面倒事には巻き込まれない。
同じ悩みはどの国もある、司法制度なんてものは元来コストセンターでしかない。
とはいえ無くすわけにはいかない、小さな訴訟でも建前上は裁判所で扱ってやらなきゃならない、
と、ここまで書けばピンとくるだろうけど日本は昔はこのレンジの争いは暴力団が担ってたわけ
国が暗黙でヤクザに事業認可していた場末民事介入暴力を、1990年代以降か、国は取り上げたワケだが
代替で正当な司法制度で小さな争いも処理できるように手当すべきで、
まぁそれが少額訴訟制度なんだが、クソみたいな制度で使い物にならない。
ともかく、それでもそれ込みで社会であり、ルールなのだ。クソだが従うしかない。
ともかく、国ごとにジレンマ解消の方向性は様々で、司法制度をカジュアルにして、裁判官の要求職能、給与を下げて
低額乱発される訴訟に応じられる体制を模索してる国もある、アメリカやオーストラリア
民事訴訟の本人訴訟を禁じる国、様々な手法でクソ低額な民事訴訟の乱発を抑制している
刑務所に入れられる国もある。
債権回収するサービサーがあるが、債務名義をサービサーに譲渡できない、これができるようになれば低額民事訴訟の採算分岐点はぐっとさがり民事訴訟の利用率は上がるだろうが、日本は認めてない、訴訟が増えるからだ、困る。
民事の負けを払わなかったら信用情報のブラックリストに入ってクレカ与信でひっかかり更新が断られた、なら払うだろ?
日本はできない、できる国もある。
ともかく、そんなこんなを含めてルールの中で生きていくのが社会であり、
裁判で負けたが債務をほったらかしにして時効を待ったところでそれも含めてルールの範疇。
犯罪では無いのだ。逮捕されて刑務所にいれられることはない(本来はこれを民事不介入と言う)
取りたけりゃ債務名義を握りしめて強制執行でもなんでもやればいい、確実に赤字にしかならない。ざまぁ
ではクソみたいなテーマの裁判で数百万円の請求して相手がナメて放置して出てこなければラッキー、
出てきたら取り下げ、を繰り返し
自動勝訴、債務名義確定させて強制執行かけたろ、300万円なら採算取れるで
みたいな事を考えてはいけない、裁判所もバカではない、そういう度を超えた請求は不誠実な権利の乱用と見做され
ようするにともかく、数十万円のアホみたいなちっこい争いを裁判所に持ってくんなボケ、ってのが司法のスタンスなワケで
様々な仕組みで万全に「裁判所は役に立たない」ようになってる
安心してほっときゃいいんです。まぁそれなりにバランスの取れた制度設計です。
社会正義を願うなら、むしろ放置して勝たせて(それでも奴らは最低限のコストはかかる)、
だが訴訟に応じて払うバカもいないから事業として採算取れないよね
って実質負けを奴らに食らわしてやるのが正解ではなかろうか。
うん、完全にその通りだと思う。
「本人の意思に沿わなくても強制的に引き剥がして法で解決しますそのために弁護士を使います、一般人は弁護士に頼る事すら思いもよらないのでこちらからその壁を破ります」
っていうスタンスでやっていくなら主張の一貫性としては意味がわかるし応援する事もあったんじゃないかなと思うんだよな…。どうしてそうならなかった。
そもそも会計周りに関してはお世辞にもしっかりしていたとは言い難く、保護した女の子を政治活動に参加させてたのも事実なんだから、
不正があったかどうか以前に、一般的な感覚としては公金出す団体として相応しくないし選定からやり直した方がいいと思うんだけど、頑なに擁護してる人たちってどういう考えがあるんだろうか
公金を出すのは相応しくないけど1団体として活動するのは全然いいと思うし叩かれすぎてるから擁護してる、くらいのスタンスではあるんだろうか
バーンズ元議長は物価上昇圧力を徹底的に抑え込むことに失敗。金融政策を十分な期間にわたって十分に引き締めることをせず、1970年代にインフレを手に負えない状態にさせた。一方、ボルカー元議長は1980年代、2桁に上っていたインフレ率の抑制には成功したが、その代償も大きかった。失業率が10%を上回るなど、経済は深く落ち込んだ。
元FRB金融政策局長で現在はドレイファス・アンド・メロンのチーフエコノミスト、ビンセント・ラインハート氏は「パウエル議長は歴史に自分の功績を残したがっている。バーンズ氏のように見て見ぬふりをして時期尚早に政策を転換したわけでもなく、ボルカー氏のように意図的にリセッションを引き起こしたわけでもない人物としてだ」と述べた。
米金融当局は当初軽視していた物価急騰のペースに追い付こうと、積極的な利上げを昨年進めた。今週の連邦公開市場委員会(FOMC)会合では利上げペースを0.25ポイントに落とすと予想されているが、パウエル議長は同時に、政策金利を当面、高水準に維持し、物価上昇圧力が抑制されたと確信するまで金融緩和に転じることはないと表明する公算が大きい。
しかし、こうしたハイブリッド戦略がうまくいかない可能性は高い。世界2位の経済大国である中国が経済活動を再開させる中で石油価格高騰とインフレが再燃し、米金融当局は政策金利を据え置いた後、年内に再び利上げに追い込まれるかもしれない。引き締めスタンスに固執することで、当局の予想以上に失業率が上昇する可能性もある。
民間エコノミストの大半は、金融当局が米景気を悪化させることなく、うまくやれるとは考えていない。ブルームバーグが今月行った調査によれば、エコノミストは向こう1年間に米経済がリセッションに陥る確率を65%とみている。
住宅市場は昨年の急ピッチな利上げを受け、既にひどい打撃を受けている。
ドイチェ・バンク・セキュリティーズの米国担当チーフエコノミスト、マシュー・ルゼッティ氏は「消費支出が勢いを失い始めているかもしれない」と指摘。同氏は米経済が2023年後半に緩やかなリセッションに陥ると予想している。
ムーディーズ・アナリティクスのチーフエコノミスト、マーク・ザンディ氏は「リセッションを回避するには、ちょっとした幸運と、ほどほどに巧みな金融政策が必要だろう」と述べた。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-01-29/RP91JXDWLU6901
2022年の秋頃からツイッター上で大きな話題となっている暇空茜氏を中心とした一般社団法人Colaboの騒動と従来の青識亜論氏を主体にしたツイフェミvs.表自の違いをざっくり考えた。
筆者は平等主義者であり、自由主義者である。長々と自語りするのも無駄なので、この二点から私は第一波から第三波までのフェミニズムを支持するフェミニストであると主張する。
特に私は極まった自由主義者ゆえ、刑罰というペナルティを承諾するならば犯罪と呼ばれる行為を行うことさえも他者には拘束しようのない自由だと宣うこともある。それを前提に、表現の自由は権利として保障されるべき事柄だと指標する表現の自由戦士と揶揄される側の人間でもある。
余談だが権利・自由の概念はあくまで他者の権利と比較均衡の上で与えられる。その点では「見たくないものを見ない権利」などと言う他者の自由を踏み躙ってまで主張される特権志向は、自由主義者故に唾棄する。公共の場においてプライバシーの保護は希薄にならざるを得ず、受忍範囲は当然ながら広くなる。この前提を拒否してツイッター上でキャンセルカルチャーを繰り返す輩……ツイフェミやジェンダークレーマーと揶揄される輩が第四波フェミニストを名乗るであれば、ツイフェミの主張する第四波フェミニズムは否定する。ツイフェミの主張では狭量な自己を中心として、異なる意見の女性には名誉男性のレッテルを貼って阻害することを良しとする。これは歴代のフェミニズムで獲得された平等と自由を侵害する行為である。故に、歴代のフェミニズムを志向する以上はツイフェミの語る第四波フェミニズムとは対立する立場を取らざるを得ない。
加えて、この様にインターネット上でフェミニズムを志向する行為自体は、第四波フェミニズムにあたる。つまり私は派閥違いの第四波フェミニストでもあるのだと主張できる。
閑話休題。私というn=1の話ではあるが、フェミニズムは本来、表現の自由と衝動する様な概念ではないと言うのが分かって貰えると思う。
しかし、colabo騒動以前からツイフェミ対表現の自由戦士の対立構造と衝突はツイッター上で日常的に起きている見せ物であった。
この衝突は互いに様々な思想・勢力が入り混じる有象無象を「ツイッターでフェミニズムを語る人たち」と「表現の自由を守る人たち」という極めて大雑把な括りでまとめて、互いに見当違いの場所を殴り合うというものである。
ただし、ツイフェミも表自も強固な思想共同体ではない。それどころかフェミニズムの皮を被ったミサンドリスト、表現の自由に見せかけて女を殴るミソジニストが混ざり込んでるのだ。当然、人によってツイフェミや表現の自由戦士の定義・認識が異なる。
さて、colabo騒動以前からこの界隈で主に絶えず旗頭を担って来たのが青識亜論氏だ。他にも何人も主要人物は居るが、本件では割愛する。
青識亜論氏はVS.ツイフェミという点では知らぬ人は居ないだろうと思う。当人は対話を志向しており、石川優実氏との対談なども行った人物だ。
石川優実氏の概要も省略するが、「kutoo という素晴らしい活動を行ったが、ミサンドリスト的な発言やkutooの活動でも味方となり得る革靴を強要された男性は対象じゃないと述べて対立構造を作り、フェミニズム特有の上下関係から来る意固地な態度で忠言を拒否していた人物」と私個人は認識している。そして、上記の点から石川優実氏を第四波フェミニスト兼ミサンドリストと評価するならば、女性の自由を否定しない青識亜論氏は表現の自由主義者兼フェミニストと評価出来るはずだ。
青識亜論氏をわざわざフェミニストと評価したのには意味がある。このツイフェミ論争は、フェミニズムという文化に対して正の効果を持つからだ。より正しくは「やばい言動を繰り返すツイフェミの主張を、このままにして良いのか。フェミニズムとは何ぞや?」と啓蒙する効果くらいは期待出来る。フェミニズムは第一波から始まり、大きな女性差別を解体してきた。そして現在は社会生活上での個人的な女性差別を対象とする。故に社会運動的なフェミニズムよりも個々人が、フェミニズムについて知見と理解を持つことの方が現代社会ではより重要になるのだ。
第四波フェミニスト同士の衝突と考えた時に、彼らのレスバは無関心の徒に対して、フェミニズムに関する啓蒙の役割を強く持てる。
現在colabo騒動で中核を担う暇空茜氏は、青識亜論氏を酷く嫌悪している。一方で青識亜論氏は和解点を探るべきだと宣いもする。
まず第一に、これはフェミニズム闘争ではない。フェミニズムを冠した利権疑惑と、用途不明で消えた税金に対して説明を求めるものであり、訴訟なのだ。
暇空茜氏にとっては動機こそミサンドリストへの反感である。しかし、彼個人は女性を嫌悪する男たちと表自界隈の次の旗頭 ポスト青識亜論になるつもりははいだろう。何なら表自界隈が好む対話……ではなく、レスバと副次的な啓蒙にも訴訟には何のプラス効果もない。
暇空茜氏がブロックを繰り返しているのを見ても、どちらかと言うとその主旨は訴訟目的の純化に見える。表自界隈の様に多層化してしまえば、どこかで誰かが失言をして揚げ足を取られる。その点では暇空茜氏の行動は効率的なのだ。
総括しよう。表現の自由とフェミニズムは本来であれば対立する概念ではない。しかし、男性嫌悪・女性嫌悪が絡むと当然対立する。対立した状態で異性への嫌悪やそれに由来する特権意識を表に出せば、それらの意識を持たない人たちには殴られる。
従来の青識亜論氏が旗頭を務めた表自界隈とツイフェミ界隈は、こうして1人一派の人々が集まって出来たものだ。問題への意識は共有するが、それを実行する力には欠ける集団である。集団が入り乱れてツイッター上で殴り合いをしてるのだ。仮にレスバに勝っても報酬で得られるのは顕示欲くらいのプロレスごっこである。社会に対する影響はフェミニズムに対する啓蒙の一点につきる。
一方で暇空茜氏の訴訟は、日常的な指摘や話題を風化させないための騒ぎ方などはあるが裁判や役所が動かなければ進展がない。勿論、話が進めば面白くなるだろうが、観客としては時間単位での動きがレスバより少ない分、口プロレスよりも熱くなれない。しかし、訴訟内容を考えれば、NPO活動を見直す現実的な働きかけを有し、言うまでもなく税金の用途やNPOの活動、女性の福祉に関する啓蒙とレスバと比較にならないだろう。
私個人は両者とも好きではないし、ツイフェミは一緒くたに女性嫌悪だと騒ぐだろうが、暇空茜氏と青識亜論氏のスタンスは見事に異なっている。
そして、暇空茜氏が強く支持されると言うのは、ツイフェミと女性に対する社会の関わり方が変わる一つの潮目なのではないかと思い、今後の趨勢を見守りたい。
今の人はしないのかもしれないが、はてなが始まった当時のはてなダイアリーのコメント欄では、延々と議論がつづくということも珍しくなかった。
個人的には、アンテナを使い始めたのが2003年、はてなダイアリーを使い始めたのが2004年、俺の最初のブコメは2005年。匿名ダイアリーが始まったのが2006年。
当時は、はてな村づくりが、ある意味、はてなのコンセプトでもあった時代だと思う。
ハイクもグループも従来型の掲示板文化を引き継いだ流れのなかで、モヒカン的な殺伐となりがちな空気をなんとか切り分けようとしていた試みなんじゃないかな。
ダウナー部というグループもあった。おはよう、ぐらいしか言わない部活。
匿名ダイアリーははてな村のバッファゾーン的に機能していて、当初の増田は、はてなグループからスピンアウトして出てくる空気も拾っていた。
ハイクやグループが醸し出す濃い空気がはてな独特のクセの強さとなっていた。新規ユーザーが立ち入り難い空間となってしまった反動から、
次々とハイクや部活のサービスが廃止され、今のはてなのスタンスに至る。
それにしても、はてなで世代間ギャップを感じるようになるとは、本当に年を取ってしまったものだ。
なんてブコメもあってクラっとした。
日本とアメリカって戦争してたの?って子供に聞かれるくらい、愕然とした。
はてな村とか、個人的には全然興味なかったけれども、それでもはてなを使い続けていたのは、アンテナというサービスがとにかく自分のニーズをつかんでいたから。
https://anond.hatelabo.jp/20230128133630
これを書いた増田だ。同意してくれる人もいるが、殺到する差別心の波に絶望的な気分になるな。いろいろ理由をつけているが、「血のつながらない親子関係なんてそもそも不健全だ」と考えてる差別主義者や、「シンママに正しい判断力はないから恋愛なんてさせちゃいけない、一生独りで生きさせろ」と考えてる慈悲的差別主義者がうじゃうじゃ。俺の結婚式に来てくれた人たちも、結構な割合でそう考えてたんだろうかね。
さて心は折れそうだが、補足説明だ。差別主義者のお前らが、こっちを論破した気分になってる一番のポイントは
みたいだな。
なぜこれが理解できないのかわからないが、相手の連れ子の性別と年齢を気にするのは当たり前だ。検索機能がなくたってその情報は判断基準の一つになる。全く開示されていないとしたら、それはミスマッチの確率を上げる要因になるだけだ。
お前らが想像するような、「女児を狙うため」じゃないよ。婚活中の普通の男はむしろ「女児を避けたい」がゆえにその情報が必要なんだ。
シンママとの結婚で、男児より女児の方がハードルが高いのはまともなやつなら簡単に理解できる。同性の方が仲良くなりやすいという点ももちろんあるが、それだけじゃない。女児のいるシンママと結婚したら、お前らのような差別主義者から向けられる目がどうなるのかが簡単に想像がつくからだ。だから「男児ならOK」「女児でもOK」というスタンスは、子連れOKの男の中でも分かれる。
年齢を事前に知りたいのも当たり前だ。下種なお前らが想像するような「低年齢が性的に好きだから」じゃない。幼児の継父になるのと、小学生の継父になるのと、中高生の継父になるのは、それぞれ全く課題の性質が違うからだ。
継子と親子の絆を結びたいなら、年齢が低ければ低いほどたやすい。あまりいないが、もし継子が乳児だったら、実親との違いなんてないに等しい。「出産時にちょうど海外出張でいなかった父親」みたいなものだ。
逆に継子が中高生なら、そもそも「親とは思ってもらえないまま終わる」覚悟が必要になる。逆に育児負担は既に少ないし終わりも近いから、その後の夫婦2人だけの恋人のような生活をリアルにイメージできる。
物心つく前か後か、小学生なら何年生かで、タスクの難度や性質は全て変わってくる。自分がどの年齢の子どもなら対応できるかは人によって異なるが、少なくとも連れ子の年齢を知らないまま交際を始めるほうが、俺からすれば不真面目なスタンスに見える。
この程度の理屈も想像がつかないお前らに、「子供のためを思っている」なんて顔をされるのは非常に不快だ。そもそも児童虐待は実親と子供の間でも大量に起きているだろう。お前らは子連れ再婚家庭を差別したいだけであって、本当に子供を救いたいんじゃないことは明白だよ。
sukekyo 2023/01/27
マンガ感想ブログやってますけど当人と担当編集はかなりチェックされてます。おもしろいマンガは「おもしろい」と声をあげるようにしましょう。けっこう広めに届くことが実感できますよ。だから逆の感想は沈黙で。
すけきヨさんのこと好きだけどこれは違うと思うんだよな。
誉めることしか言わないひとの感想や批評ってやっぱなにか欠けてると思う。
俺は同じ作家の中ですらこれは傑作これは凡作ってあると思うしそれは言いたい。
怪獣8号やタコピーはいくら世間でバズっててもクソ漫画ですよねってのは言いたい。
そんなに売れてすらいない上にひでー漫画もなぜこの漫画はひでーのかを考えて発表したい。
もちろん頑張って描いた作者の人格否定みたいなことはしたくないけど、あなたこれ能力ではなく志の低さのせいでこうなりましたよねみたいなことはちゃんと言いたい。
怪獣8号はつまんないけど作者の全力であり限界だと思うからそんなに悪口言う気になれない一方タコピーは本当に作者の才能を安く売っただけのクソだからヘド出ちゃうってのは言わないといけないと思うし。
きちんと漫画と向き合おうと思ったら逆の感想も発さないわけにはいかないし、それを書きたいし人のそれも読みたいんだよね。
こういう作品は嫌い、って言う部分もちゃんと外に出してこそ緊張感が生まれると言うか。
怪獣8号なんか3話目ぐらいでこれはダメだと気づいてそう書いてたら本当に怒られたけど怒ってきてた人達も今見捨ててブクマしてないからね。
じゃああの人達は判断が遅いだけだったし、なんで自分が怪獣8号を見捨てたのかも考えたり言葉にしたりすることなくはなれていく。それよりは素早く気づいてちゃんと考えて緊張感もって自分の言葉として発表して怒られる方がスタンスとしてより良くね?
ハイパーインフレーションの方がずっと傑作だしこの曜日のトップはハイパーインフレーションだよね、て書いた時もすげー怒られたけど結局最終的にそうなってるしね。
俺は逆の感想もちゃんと言うし、判断が他の人達より10週20週早いだけ。あの人達の判断が遅いのって逆の感想を不道徳としたり禁忌としたりしてるせいもあると思う。
この漫画ダメだよねって感想を世にはなったところで別に売り上げ落ちたりしねーしさ。緊張感もつとか人格否定しないとか言われたがわの立場が残らないようなことは書かないとかそういうモラルは必要だと思うけど、そのうえで逆の感想はどんどん書くべきだと思うんだよな。
使い方がしっかり明記されている道具
困りました。相手ズルくないですか?のスタンスだとまるで役立たず
書評ブログだけ読んで本の内容について批判する人を見てイラっとした
素人がぱっと思いつく批判点なんて論文書くような研究者が考慮してないわけねーだろ
まあ確かに本に書かれていたとしても、元になったその論文は本当に信頼できるの?って話はある
しかし素人の素朴な直感で「その学術調査結果なんかうさんくさい」みたいな態度をとられるとイラっとするぜ~
→反論:自分が知らないだけで実はその人はめっちゃ詳しい人かもしれない
→それはそう
→反論:その人も第一感で批判的な感想言っただけで、あとでその本を買って読んでるかもしれない
→それはそう
→反論:キャッチーなタイトルの本の内容をうさんくさそうに思うのは自然な感情
→それはそう
→反論:素人だとしても特定の学問領域(例えば社会学など)は初手で疑ってかかった方がよい
→それはそう……なんだけど、曲がりなりにも学問に対して自分は信頼のスタンスをとってその後に裏取りして事実確認するほうが誠実な態度なんじゃないかと思っていて
→再反論:現代人は忙しくやることがたくさんあるので、そこまで興味ない分野の確認は初手で切り捨てて省エネしたほうがよい
→それはそう
昨日その本を買ったけれどまだ読んでないからな……
週末に読むぞ
園子温監督の“性加害”告発女優が自殺していた | 週刊文春 電子版
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/denshiban/articles/b5000
いやいやいやいやw
こうなるぞってはっきり予言されてましたよね?
それに対してはてなブックマークは嘲笑と黙殺荷担を繰り返してたよな?
歴史修正させないように軽くまとめとくわ。
(ここに挙げた以外にも園問題継続糾弾は増田には結構いたのも指摘しとく)
「たわわ」がNGで園子温が"無罪"になる、フェミニストの不都合な真実
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220506182417
何故か早期話題収拾を図り話題にするのをやめたそうにするリベラル勢力に対し
鋭く問題提起するこういう増田もあった。ホッテントリだから覚えてる奴もいるよな?
「園子温問題を継続的に話題にする必要がない理由」を熱弁するブコメばっか上位に押し上げてたのがはてなブックマークだったわけだ。
それがずらっと人気上位に来るのがはてなブックマークだったやん。
ならおめーらに見捨てられた告発者が自死したくらいでショック受けたようなツラすんなよ。
なんとも思ってもねーくせによ。
ほんとこの問題については
ブクマカたちが「嫌だ!話題性はない!終わった話!」って反発する構造だったよな。
こっちの増田は今みたいな展開まで読みきって予言してたから引用するわ。
5.「フェミニズム」「アップデート」が見捨てるもの
発する言葉を最小限にし、威嚇と居直りで世間に出る情報を抑えて息を殺してる。
非常に賢いやりかただ。
これがうまく行くのは
「語るべきものがない」などと言いながら話題にすることを否定し牽制までしてくれる市井のリベラルの方々、完全ダンマリ追加報道なしを決め込む報道機関の方々(普段なら女性差別に感度の強いリベラルメディア含む)、皆さまのご理解協力があってこそだ。
こうして「語らない自由」「報道しない自由」によってまんまと疑惑の鎮火・風化が進めばどうなるか?
告発は無になり、白黒つかないまま全てが落ち着き、権力持ってる側の勝ちで確定するわけだ。
いやーこれでもし告発が本当で園が悪質な性行為強要常習犯だったら大変だな!
多重レイプ犯やその共犯者たちを逃げ切らせて、やっぱりあれぐらいやっても大丈夫なんだと思わせて、
勇気出して声をあげたレイプ被害者達を「お前等の声なんか無なんだよ?」って言いながら殺すわけだ。
『語るべきものがない』と抜かして口を拭ったお前ら一人一人がな!
どうこれ?
くち【口】 を 拭(ぬぐ)う
(盗み食いをした後で、口をふいてそしらぬ顔をする意から) 何か悪いことやまずいことをしていながら、していないふりをする。 また、知っていながら知らないふりをする。
で、まとめというかアドバイスなんだけどさー
告発女優の痛ましい自死について世間の誰が衝撃受けても自由なんだけど
はてなブックマーク民だけはショック受けたフリすらするのやめなよ。
君たちは告発者を見捨てよう見捨てようって方向でだけ頑張った人たちで、そのログもちゃんと残ってるし、増田に窘められてもますます「もういいの!話題にしないの!」って頑張った人たちなんだから。ね。
もちろん園子温が告発通りのことをしたとは決めつけられないけど、告発者がすげー弱い立場にあるのはわかってたことだよなー。
最低でも白黒つくまで見守って話題に上げ続けないとどんなことが起きる可能性があるか。
わからない人やとぼけたい人のために丸々予言してくれる増田までいたよなー。
なのにはてブではこの問題を語り続けようとする声が結局全然伸びなかったよなー?
権力構造に人生まるごと圧殺されようとしてる女を平然と見捨てて「話題にする理由がないの!」って吠え猛ってたはてブ民の勇姿は忘れねーからさ。
それでなんだっけ?
駅に貼られるアキバ系ポスターは大問題だから永続的に話題にしていくんだっけ?
ロードローラーでグチャッてつぶされる寸前みたいな立場の女の人のことはへーぜんと見捨てるけど
オタクにキモくてキモくてキモい!って言い続けるのは重要なアクションてわけだ
お前ら誰かを助けたいんじゃなくてヘイトしていい被差別民をヘイトしたいだけだろ?
見捨てて死なせたあとで衝撃受けるフリでさらにシコるネタとして消費しやがってよwww
俺もこの問題を話題にし続けないとやばいぞって増田に書いたけど上の二人と違ってホッテントリにもならなかったわ
誰も聞いてくれなくてやっぱりこうなった
無念だ
はてななんてクソだ
WinterMute いやいやいや、なんでネットリンチで勝負つけようぜ! ってレギュレーションにしてんの。決着の場は裁判だろ。そんで個々の誹謗中傷はダメ。女優を中傷した連中も監督死刑! とか吹いた連中も同レベルだわ
2023/01/27
は?
俺も増田2人もそんなこと書いてないよな。
真実がなにかは確定してないってこと俺も増田たちもちゃんと書いてるよな。
逆にたとえば園が有罪として落着してるなら告発者は安全だけどそうではないから言ってたんだ。
判決とか出てないし園は認めてないし潜航してるだけだった。
そういう不確定な状態だからこそ注視し続けないと関心持ち続けないと話題にし続けないと告発者だけ潰れて終わりになりますよ
ってことを増田たちは予言しててその通りになったって話じゃん。
園が有罪だと決めつけろとか誹謗中傷しろとかネットリンチでやっつけろとか俺がどこに書いた?こうやって言われたこと大幅にねじ曲げないと反論できないのはなんでだろうな?今度はこんなんが人気一位になるはてブ民ほんとクソだな。
そんで上に挙げた増田への反論ブコメでは「園は有罪と確定してるから話題にする必要がないんだ!」とか言う不思議な理屈が一位になってて、今度は「決めつけて誹謗中傷するな!」が一位になってて、
100パー同じ奴らではないとは言え短い時間で完全に正反対な言い分を一位にするのが凄いよな。一貫してるのは何故か話題を収束させてえ、ロードローラーの下の告発者の女の運命に全く興味ねえ、という実質的スタンスだけ。
書き忘れてたけどハフィントンポストも凄かったよな。ああいう論調のメディアでいわゆる女性差別にはいっとううるさいようなポーズとってきて、園のことは何度も取り上げてたのに、この件は徹底だんまり。
まあお前らがどうしてそうなるのかは興味ないしどうでもいいや。園に共感があるのか、告発するような人間が嫌いなのか、より関心を払うべきずっと重要な問題があって(例えばアキバ系ポスターの女の子の胸が大きいとか?)手が回らなかったんか、まあどうでもいいや。もはやお前らに興味ない。
ただはてブ民どもも興味もない女の自死に関心あるようなふりすんのだけはやめてくれよ。な。ほんとそれだけ。死んだとたん寄ってきて死体でシコんな。
リアコじゃなくても何故アイドルが結婚したらモヤっとするのか?自分なりの結論が出たので、書きとめておく。
これは私のオタクスタンスに基づく考えなので、すべての人がこれにあてはまるわけではないと思うが、「なんで素直に結婚を祝うことができないの?自分が推しと結婚できるわけでもないのにw」というお決まりのフレーズに対する答えの一つとなれば。
まず、私が信じている「オタクと演者の関係性」について述べたいと思う。
アイドル含む演者すなわちステージに立つ人間にとってのいちばんプリミティブな欲求は「見られたい」「愛されたい」だと思う。そして、それを満たしてあげる(敢えてこういう言い方をしますが)ことができるのは、ファンだ。
パフォーマンスを通して「見られたい」「愛されたい」というメッセージを放出する演者に対し、ファンはそれを受け取って、推しを見つめる視線や拍手や歓声という形で応える。時よっては熱い想いを送るファンに演者がファンサという形でさらに想いを返してくれることもある。こういう幸せな愛情の交換が現場では成り立っていると思っている。
アイドルがアイドルでいる限り、オタクは「身の丈に合った相手を好きにならなきゃいけない」とか「重すぎたら嫌われるかも」といった現実の人間関係における制約をすっ飛ばして無限の愛情を向けることができ、アイドルはオタクから注がれる膨大な愛情を受け止めてくれる。
愛情を受け止めてくれる(無視や拒絶をしない)こともまた愛なので、「受け止めてくれた」と感じられることによって、オタクはアイドルからの愛を受け取っている。(これはファンサや直接的な「ありがとう」の言葉に限らず、「愛してもよい存在」としてそこにいてくれること自体がアイドルからファンへの愛だと思う。)
これはオタクをすること以外では得られない関係性だし、おそらく演者にとっても同じく、ファンとの間でしか成立しない関係性だろう。私は、それが自分にとって最も尊い「愛」の形だと信じている。
(実際には推しに干されることもあれば、えげつない集金やクソみたいな運営に振り回されることもあり、綺麗事だけではない部分もあるが、この幻想を信じられるからこそ綺麗でない部分も飲み込むことができる。と私は思っている)
先ほどから「信じている」という言葉を何度も書いているが、この関係性は概念であり一種のロールプレイであり、言ってしまえば「幻想」である。
アイドルとオタクの間にこのような関係性が存在することをオタクが信じ、アイドルが信じさせて続けてくれることでこの「幻想」は成立している。
しかし、演者の結婚は、これが唯一絶対の「愛」の形ではなく、さまざまな「愛」の形の一つであり、相対的なものでしかないことを嫌が応にも突き付けてくる。
私の愛する貴方はステージの上でしか生きられない人間なのだと、ステージ上と客席で想いを交わし合うことで史上の愛を感じている人間なのだと信じたいが、実際にはそうではなかった。
それが明確にわかってしまうと、途端に自分の信じていたものが陳腐に見えてしまう。
芸能人の熱愛や結婚が発覚したときによく「ディズニーランドのミッキーが着ぐるみを脱いだ」という例え方をされるが、ミッキーが着ぐるみを脱ぐことはミッキーだけ問題ではなく、ディズニーランドという「場」への崩壊であると思っている。
(少なくとも私にとっては)推しの結婚は自分がオタクをすることの決定的な終わりではなく、パフォーマンスが好きな限り推しの出演作を観に行き続けるだろう。楽しむこともできるだろう。
でも、「ステージ上と客席で想いを交わし合うことが、私にとっても推しにとっても史上で唯一絶対の愛の形」という幸せな共犯関係のような幻想は失われ、二度と戻ってはこない。
結婚によって推しのすべてが損なわれるわけではないが、私がとても大切にしていて、推しとも共有できていたと信じていた一部分はポッカリ穴が空いたように失われてしまう。
先行きの消費者物価が日銀の目標である2%を再び下回るとみられる中で「総じて緩和的な金融政策が引き続き適切」としながらも、物価動向は上振れリスクが大きいと指摘。現行のイールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)政策による債券市場機能の急激な低下なども踏まえ、「さらに柔軟な長期金利の変動を検討すべきだ」と主張した。
柔軟化の具体策として、10年国債利回りの許容変動幅の再拡大や目標水準の引き上げ、金利目標の年限の短期化、現在の金利目標から国債買い入れの量的目標への移行を選択肢に挙げた。
こうした柔軟性は、持続的な名目賃金の上昇と経済回復に下支えされ、「物価上昇圧力がより粘着的なものと見受けられる場合には、自動的に長期金利の上昇をもたらす」と予想。先行き「物価目標が持続的に達成されたとのより強い証拠が得られた際に、中立的な金融スタンスへの移行をより円滑化することにつながる可能性がある」とみている。
また、「各戦略のメリットとデメリットを慎重に見極める必要がある」としながらも、柔軟化は将来の急激な金融政策の変更を回避するのに役立ち、「金融緩和の副作用に対処することにも資する」と指摘。同時に政策金利を徐々に変更する際の前提条件に関するガイダンスを提供することは「市場の期待を安定化させ、物価目標達成に向けた日銀のコミットメントの信頼性を高めることに資する」との見解を示した。
日銀は昨年12月、YCCにおける長期金利の誘導目標をゼロ%程度に維持しつつ、許容変動幅を従来の上下0.25%程度から同0.5%程度に拡大した。市場機能の改善を図り、金融緩和政策の持続性を高めることが狙いとしているが、事実上の利上げと受け止めた市場には追加の政策修正観測が根強い。IMFの報告書では、金融政策の変更について「十分なコミュニケーションが行われるべきである」と記した。
日銀の黒田東彦総裁は1月の決定会合後の会見で、YCC政策は存続が可能とした上で、長期金利の変動幅のさらなる拡大には否定的な見解を示した。
IMFは政府・日銀が24年ぶりに実施した大規模な円買いの為替介入にも言及した。昨年の急激な円安は「主に金利差を反映したもの」とした上で、介入の効果は「恐らく一時的」と指摘。介入は、無秩序な市場環境や急激な円の変動による金融安定のリスク、通貨変動に伴うインフレ期待の不安定化といった特殊な状況下に限定されるべきだとした。
財政政策は、景気が回復し、労働市場が引き締まり、需給ギャップが縮小している中で「今以上に迅速に縮小されるべきだ」と指摘。昨年10月に閣議決定した大規模な経済対策によって財政余地は一段とひっ迫したとし、楽観的な経済成長率見通しと補正予算の常態化に警鐘を鳴らした。2025年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)目標に向けた進ちょくを引き続き評価すべきだとしている。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-01-26/RP2ZGBT1UM1R01
以下の1~5で見た目で判断することが不当なケースはどれか
「外見で判断することで不利益を被る対象が存在するならばそれは差別であり避けることだ」というスタンスを拡張していくと、3とか4まで容易に拡張できるなあ
「見た目に魅力を感じないなら、中身を知りたいとは思わない」
明らかなブサイクを避けて生きてるくせに
その程度の十字架背負いたくないとか甘え過ぎでは