はてなキーワード: どんくさいとは
続き。
http://www.amamiyashion.com/entry/2016/07/24/193000
日本社会の問題点として、「空気を読まずに意見を言う人間を淘汰しがち」ということを挙げてあれこれ論じています。
わかる。すごくわかる。日常生活で真面目に意見をぶつけ合うことってほとんどないし、ある程度結論が見えてて(もしくは偉い人の方針があって)形式的に議論してそこにたどり着くだけ、みたいなのが多すぎてバカバカしくなったりしますね。
でも雨宮さんの場合は「知らないことを知らないと認めない」「間違いを認めない」「それでいて知ったかぶりや間違った知識に基づいて、飛躍した論理で意見を展開する」「そしてそのことを指摘されると逆上する」から嫌われるのでは?
そういう人は日本でなくても嫌われますよ。というか、ドイツのように議論を大切にする社会のマトモな知性を持った人ほどこういう人を嫌いますよ。
雨宮さんの普段を知りませんが、このブログのような調子で議論に参加しているとしたら、それは「散髪直後で髪の毛を撒き散らしながらレストランに入店し、入るなり大声で所望の品を叫び、料理が出てきたらガチャガチャクチャクチャと耳障りな音を立てながら食し、代金を店員に投げつけるようにして退店する」というくらいの無作法です。つまみ出されて当然です。
議論好きのドイツ人といえど、議論できるレベルは結構ばらつきがあります。言いたいことを言うだけ(相手の意見をよく聞いていない・聞く気がない)という人も結構多いです。雨宮さんの周りにはそういう人が多いのではないでしょうか。
雨宮さん自身、せっかくドイツに長くいるのに飲食店でパートタイムで働いたりセコセコ内職したり微妙な大学に通ったり、ということしかされていない(学問もビジネスもされていない)ようなので、そもそもドイツ人とシリアスな議論をしたことがない可能性も大いにあります。
可愛い日本人の女の子に下心を持った男に「君は賢いね」などとおだてられて自信をつけた、というのもありそうです。ここまで来ると邪推ですが。
1.自分の意見には根拠をつけよ
例えを使うのは王道ですね。具体的な数値を上げるのも効果的です。自分のリアルな体験談を引き合いに出すのもOK。
例えや体験談は根拠にはなりません。根拠を補強するだけです。補助輪です。雨宮さん自信の主張に根拠があったことはほとんどありませんね。メインの車輪なしに補助輪だけでは走れませんよ。
2.意見を言ってまわりに問いかける
わたしはこう思います(意見)
なぜならこうだからです(根拠)
だからこうした方がいいと思いますが、どうですか(まとめ・提案、問いかけ)
という3段論法はオーソドックスで簡単かつ有効です。小論文なんかでも使われる手ですね。
えっと、これを3段論法とは呼びませんし、小論文に問いかけとか書きません。
まわりに問いかけること自体は大切なことですが、上記はよく意味がわかりません。
4.反論には先に反論しておけ
説得力が増すし、相手の反論ネタを奪うこともできます。
「どのように反論されても言い返せるように十分準備しておけ」という意味なら大賛成ですが、だいぶ違う様子。
「相手が言い返してきそうなことを予め否定しておく(ただ否定形にするだけ、根拠なし)」ということのようです。
「お前のことバカにするわけじゃないんだけど、お前って頭も悪いし不細工だし体力ないしどんくさいよなw」とかそういうことのようです。
説得力は増しません。単に「反論は受け付けません」と宣言しているだけです。図星を突かれるのが怖いから予め自分から晒すことで恐怖から逃れる、という幼稚な手法です。
5.相手に共感させる
これは大事です。
ということに基づく「平凡な日本人」に対する謎の優越感だけで、読めば読むほど「薄っぺらい(無知なのに尊大な)人間だなあ」という感想が湧いてくるのです。
これとか、「ご自分に向けて書いたんですか?」と尋ねたくなるほどです。 選民思想をこじらせてるただの自己中、多くない? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース
とはいえ、「外国人」とか「グローバルな視点を持っている(ように見える)日本人」の言うことを無条件でありがたがってしまう人たちというのも多いので、そういう人たち相手の「ブログという芸」で小銭を稼ぐ人がいるのも当たり前だなあ、という感じです。
路上の物乞いとか、不幸な身の上話をして小銭を集めて回っているような人に対するのと同じように哀れんでしまうけれど、本人が惨めに感じていないだけマシだな、とは思います。
観光地で陳腐な空中浮遊芸やってるようなエセ大道芸人と同じようなものですかね。
彼女の書いた記事で「その通りだね」となったのは以下の2つくらいです。
もうここ三ヶ月くらい無気力感が続いている。
心の支え 失った、と検索したら、恋人と別れたような話がたくさん出てきた。
いわく、我慢せずに悲しみを我慢せずに吐き出すことが大事だと書いてあった。
ああまた同じことを繰り返したのかとぼんやり思い返していた。
それこそ恋人に振られたショックを引きずっていた時。
理想に焦がれて失墜した次に焦がれたものはまた別の理想だった。
私がほしかったけど手に入れられないものを彼女はあつらえたように備えていて、
私はその予定調和にさえ思える物語に抵抗したけれども無駄だった。
このまま緩慢に死ぬつもりだったのに抵抗するたび捻じ伏せられた。
今もこうやって言葉にしてもいいのだろうか。
あなたが好きだ。
初めて目が合った時から好きだったし、
背景を知ってからは恋に落ちたし、
時間を重ねただけそれは深くなった。
私が自分よりも彼女のことを深く以上、死ぬことは許されなかった。
それからはずっと走ってきた気がする。
手当たり次第に今を過ごす幸せを噛みしめた。
彼女は私が生きてきて、たぶん一番心にフィットしたものだった。
同時にやぶん初めて、自分で選んで傍にいようと心から思えたものだった。
そのあとどんな代価も支払うという約束。
そんな気持ちで始めた恋がうまくいくはずもなくて私はだめになったのだけど。
そしてそんなダメになった私の前に現れた彼女は余り物を押し付けられたように思えた。
せめてそう見えないように、せめて頑張ったけれども。
神様がいなくなった私ができる約束なんてこの身にはもうなかったから、
鎖の代わりにリボンをかけた。
ちゃんと時間は一周した。
それとは別に、私は彼女を通じて生まれた他の人との対話が嬉しかった。
浮かれる気持ちを悟られないように1人ではしゃいだ。
ずっと話してみたかった人や今まで知り合えなかっただろう人がたくさんいたし、
そうやってちょっと元気になったからって調子に乗ってしまったのだ。
自分がひとつも持てない、きらきらしたものをたくさん持っている人に私は心惹かれた。
ただどうしようもなくその時の自分は体力的にも精神的にも参っていた。
その人は聡明なぶん、自分の見せ方を熟知しすぎていた。
私はだんだんと受け止めきれなくなり、しかしそれを向こう側に伝えるための場所は
あまりにも繊細で心許なかった。
私はそのしんどさを内に溜め込むようになり、過去の失敗を思い出しては身重になっていった。
だからって突き放していいってわけじゃない。
ここには書かない部分で気持ち悪い、怖い思いをしたからってやり方は選べたと思う。
そういわれたら口をつぐむしかないので今まで黙っていた。
他にも私が悪いところはある。
私からすれば本当に許せないことだったけれども、
私がそういったことをしただろう瞬間もあった。
私は執着的に向けられる愛情から漏れ出す自己愛のにおいが鼻について耐えられなかったけれども、
そして私は彼女たちに縋るだけ縋っておいて、何も還元できていないのだ。
私は自分の呪いを愛の重さに見えるトリックを使ったつもりでいたけれども、
本質的には何も変わっていなかった。
そうやって時間を稼いでいる間に何かできたらよかったのだけれども、
もう何をする気力も残っていない。
そこまで思い出してしまったらもう駄目だった。
他人の愛情をそうやって見てしまう自分の感性もすべて、嫌になった。
私がこうやって呪いにおぼれている間にもかの人は前へ進む。
だから私が去った方が美しいのだ。
周囲と上手くやって広く愛される聡明な人が残った方がいい。
何よりも彼女たちに還元する度量が広く深く誠実な人がいた方があちらにとっても幸せだ。
どうぞお幸せに。もう今更謝ることも何もないけどごめんね。
彼女の顔を見れなくなった私は今もどうしていいのかわからないけれども、
それなりにうまくやるだろう。
そう言えたら苦労はしない。
特定した人はどうか黙っといてね。
苦しい発達障害の現状を伝えようと思う
彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手にADHDの気があると思っているからである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。
ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスのムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いとウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかわからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしかに自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気や行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害が高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通の生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。
私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思います。ADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知度レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事なもの(ライブのチケット、パリのお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和な日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドのパスポートを駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。
人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからかわずにいられない衝動に駆られる。何の呪いだ
話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。
先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。
自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳を普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。
しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業にストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系の会社にADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたものの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズに拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミスは無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。
私が言いたいのは発達障害だからって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。
発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。
クラスに一人はやばい奴認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。
ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害。
ねえ、そう思ったら多すぎませんか。
なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれからの人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害は遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分が障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物や遅刻はしないように気を使っている。
発達障害は往々にして鬱
高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。
これってすごいこと、私は母親の教育は失敗に終わっていないと思う。
発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的な性格もあってまわりからは規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。
ハメられやすい
私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストはクリアするものの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件、被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。
障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったから相手が不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝の可能性は否定できない。
また、高齢出産の影響も強い。卵子のタイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚を意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性が結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性の社会進出や医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間の寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子も劣化します。男性は生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子が劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれる可能性高いです。イケメンは隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。
ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカルに対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活をマネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。
昼間から頭から離れないことあるので書きたいと思う。ふと、こいつ幸せになれない奴か、難儀な奴だわと。
(次に出てくるコトはあくまで他者は関係ない筈なので、他人を気にしすぎという訳ではない。)
まわりにもいるんじゃないだろうか?
捻くれているというか、拗らせているというか、なんかめんどくさい奴が。
①間に受ける
例えば、若者の貧困という記事を読んだとする。現状、自分自身の生活に大きな心配事はない筈なのに過剰な不安に煽られる。貯蓄額は足りるか、このまま仕事を続けていけるのかって。このタイプには「毎月○万は貯金してるんだからいいじゃん」と言ってもダメだ。自分で納得してしまえばけろっとしているが基本しつこくてうんざりする。
②話が飛躍する
①の続きとも言えるが、話が派生していって自爆する。例をあげるなら上記から老後の資金、家族の将来について悲観的になる。
③落差が激しい
一言でいうと躁鬱。普段はおおらかで明るい印象だがふとひどく気分が落ち込みイライラしだす。天候や時間、会話などから。落差については自覚済み。
④過食
解消方法がヤケ食い。美味しく食べられないからまた食べる。お腹いっぱいになっても食べる。何食べていいかわからないからまた食べる。
⑤恋人と長続きしない
限られた休みには趣味や友人との時間もあり、慣れない恋人との時間が苦痛になって別れる。泊まりが苦手。それでも出会いの場にはいくので恋人は諦めていない。
というか、わたし自身でありまわりの友人なんですがね。どうすれば良い方向に改善できるでしょうか?老若男女のみなさまご意見お待ちしています。
正確には、努力すれば報われるとは限らないけど自分の人生を思い通りにコントロールできる可能性が上がる、だろう。
努力が報われるかどうかは運次第、めぐりあわせ次第…そう思っていた時期が私にもありました。
あなたの、私の、一人ひとりの努力が報われるかどうかは、多くの場合客体が恣意的に操っている。
受け持ちの生徒二人が同じ点数を取っても、ほめ方の度合いや向ける笑顔の量は違う。
これは先生が「あの児童よりこの児童をたくさんほめたい」というきわめて恣意的な思いで報いている。
家庭科の実習で、一生懸命ミシンを操作したのに機械に不具合を起こす生徒が二人いたら一方には「頑張ってこうなったのだから仕方ない」といいもう片方には「どんくさい真似して仕事増やしやがって」という。
これまた、2つの同等の努力に対する報いの量を胸三寸で決めている。
大人になってもそう。
努力して成功を収めたある人は惜しみない賛辞を受けるのに、他の一方は「順調で良かったですね」程度。
これ、日頃の行いがものを言うんだと思う人がいるかもしれないけどそれがそうとも限らないんだよね。
当社の協力会社がいつの間にか競合他社の下についていたり、下請け業者が当社を飛び越えてクライアントから直接仕事をとったり・・・。
他の業界は知らないが、俺のいる販促やイベント等にかかわる業界では、こういう事が頻繁に起こる。他地域の同業者に聞いても「最近はそんな事はしょっちゅうですよ」と言う。契約書を交わしてない限り「違法」ではないので、こういう場合、「やられた」方は泣き寝入りするしかない。あくまでも経験上だが、こういうことをするのは大体フリーの連中である。
「やる方」にも事情はあるだろう。「綺麗ごとは言ってられない」「出し抜かれる方が悪い」ってやつだ。確かに「やられる俺」の方がどんくさいのかも知れない。俺が新人の頃は、「井戸を掘った人への敬意を忘れるな」と言われた。かつて、取引先から紹介されたフリーの男(有限会社ナニナニ企画とかいうよくある社名)にデザインの仕事を頼んでいたことがある。彼はデザインはせず下請けのPデザインに丸投げでやらせるので、途中からほぼ、俺とPデザインで直接やりとりしながらデータを作った。その後も度々仕事を出す機会があり、ナニナニ企画は間に入るだけで具体的なやりとりはPデザインと俺が行うのだが、それでも請求書はナニナニ企画からもらっていた。そこには何の疑問も俺はない。もしPデザインから直接やりましょうと言われても断るつもりだった。だから俺は義理に厚くて偉い、と言いたいのではない。それが「当然」と思っていた(今も思っている)からだ。
しかし、冒頭に書いたような事を平気でやる連中からしたらこういうのは信じられない感覚かも知れないが、俺が見る限り、彼らにも多少の罪悪感はあるようで、電話に出なかったりもする。聞いたところでは「裏切った理由」を全部俺のせいにしてあることないこと言ってるらしい。まあいいけど。彼らは異常に自尊心が高い傾向がある。連中の心の中ってのはどんなだろう。怒りよりも「興味」がある。彼らにとって何が善で何が悪か。何が嫌いで何が好きか。
面接や会社の人と雑談してる際に一人暮らしかどうか聞かれた時「実家暮らしです」と言うと「じゃあ楽だね!」みたいなことを言われることがあるんだけど。
楽じゃねーよ!一人暮らし3年位したことあるけど、自分的には一人暮らしの時の方が楽だったよ!
だって自分の面倒だけ自分の好きなタイミングでみればいいから。
実家だと4人(母・父・兄・私)分の面倒をみんなの生活のペースに合わせてやらないといけない。家事そんなに上手じゃないどんくさい私は全部自分のペースでできないのがしんどい。
うちはみんな働いているので週2,3回は食事・洗濯・掃除などを任される。茶碗洗いと洗濯物畳むのは専任。
一人暮らしの時は洗濯物は週一くらいでまとめてやってもよかった。
一人暮らしの時は残業で遅くなったりめんどくさかったらコンビニですませれた。
実家暮らしだとパスタ茹でただけなど1品だけとかはさすがにできないので2,3品作らきゃいけない。
あと、「1人分作るのも2人分作るのも同じ」みないなのよく聞くけど同じじゃないよね?
3,4人分以上作るとなると、例えばハンバーグやメイン料理作る時フライパンなどに乗りきらないから2回焼くことになる。最初のやつ冷めちゃうし。めんどい。
父もごはん作ってくれるけどキッチンや調理器具がめっちゃ汚くなるのなんでなんだ。あとで掃除するの超めんどい。
ぶっちゃけ家にいると家事を押し付けられるので休みの日は家にいたくない。ほんとは家でごろごろしたいのに。
家で誰かがご飯つくったり家の事してくれてるから自分は安心して遅くまで残業できたりするんだけどさ。
「楽だね!」と言ってくるやつは蹴りとばしたくなる。
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追記
家には毎月9万4千円入れてる。
○昼食:納豆卵掛けご飯
○夕食:ナポリタン(二人前)
○調子
最悪だった。
午前中、いつものようにゲームをしていたら、突然大声が聞こえだして、
何なんだ? と思っていると、どうやら成人式に参加するヤンチャな人たちが騒いでいたようだった。
住んでいるアパートの真隣で成人式をやっているので、うるさいなんてもんじゃなかった。
ヘッドホンをしてラジオを聞きながら、布団にずっとくるまっていた。
彼らにとっては一生に一度のことだから大目に見てやりたい気持ちもあるが、
ここまで騒がれると、さすがに辛くて苦しくて、頭がぐちゃぐちゃになってしまった。
○Max: The Curse of Brotherhood
うーん、実績集めはいいかなあ、リプレイするほどハマれなかった。
僕は根本的にゲームが苦手な子なので、こういうパズルアクションゲームは超苦手。
何しろ、パズルが苦手なのは頭が悪いので当然として、どんくさいのでアクション要素も苦手と苦手の二乗。
特にボスに追いかけられる部分は、アクション要素が強くて、凄く難しかった。
なんだけど、このゲームはリスタート時のリスクやロードが全くないから、そういう難しさがストレスに感じられなくてよかった。
あと、水!
めちゃくちゃ長い上に主題がないです。鬱々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴。
30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的、デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。
今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ。
ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。
誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。
私は非常に他人の目が怖いです。
高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいつちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼で生活していました。
まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私を見ていない」と理屈だけじゃなくて心からストンと理解できたので、高校・大学の頃の友人達とは今も付き合いがあります。ありがたいです。
多分大学に入って接客業バイトを始めたのが大きかったのかなーと思いますが、ただ単にちょっと成長しただけかもしれません。
現在実家を出て一人暮らしの社会人な身ですが、やっぱりたまに寂しいので彼氏とかいたらな~ってぼんやり思うことはあります。
しかし未だに「友だち」と違って彼氏(というか好きな人)については、自信も持てないし、恋人欲しいなと言うことも何かしらアクションを起こすことも出来ません。「あいつあれで彼氏欲しいとかwwwwww」ってpgrされるんじゃないかと、怖いからです。
だからいい人だな、素敵だなと思っても、そこで全部止まります。
好きってところまで行かない。
普通赤の他人は、見知らぬ人の恋愛事情に興味なんて無いよって思うけど、でも笑われるのが怖い。
お見合いはどうか、と一度だけ母親に言われたことがあります。お見合いなんて特に怖い。「あれで結婚したいと思ってるとかマジ勘弁だわーwwww」ってそのお見合い相手に笑われるんじゃないかとか。
あとそんな風に後ろめたいというか、真後ろ向きみたいな思考回路で、内心どこかびくびく同情か嘲笑されてるんじゃってずっと心配しながら他人と生活するなんて耐えられる気がしない。
自分でもクソうぜえと思うし、私はデブスの根暗の性格わるいやつだ。
で、ここ数年は何で自分でもウザったい程マイナス思考なのか考えてみていました。
(正確な切っ掛けは数年前に色々あって、あなたは元々の自己評価が低すぎるみたいだからちょっと考えてみてはどうかと、心療内科のカウンセラーさんに言われたからでした)
そんで色々遡って考えてみた結果、そもそもの原因は母親かなあと思ったのが結論です。
私の中で一番古い恐らく関連するであろう記憶は、5歳くらいの頃には既によく言われていた「コロコロしてる」「どんくさい」「気が利かない」の三つでした。
太っているのとドン臭いってのは、特に繰り返し言われていた気がします。
あと「足首太い、偏平足(ゾウ足)」もかな。
いやまあ、ゾウ足については確かにそうなんですけど(下半身の骨がゴツイみたいで、こりゃ生まれつきどうしようもない模様)コロコロしてるのとどんくさいのに関しては、今では疑いようもなくデブなのでまあいいとして、当時(5歳~15歳くらいまで)は今考えると、まだ標準体重前半でせいぜいぽっちゃりレベルでしたし、運動も基本的にはいつでもクラス全体で真ん中よりちょっと良いくらいだったので、しつこく言われるほどじゃなかったんじゃないかなあと気付いた次第です。
小学校の間は水泳をしていたので肺活量もありましたし、特に持久走なんかは頭から何番目かでした。せいぜいちょっとは走れるデブぐらいではあったと思います。
因みにその水泳に関しては、母になにか言われたことはありませんでした。
母は泳げないので。
下には活発な弟二人がいましたので、そっちと比べていたのもあるでしょう。
小学校に入り、中学、高校と進むとますます母の指摘する内容は具体的になりました。でも母親の言動に初めて疑問を持ったのもこの頃です。
確か小学校五年生の運動会の日、私はクラス対抗リレー中盤の参加者でした。
その時にはもう物心つくかつかないかのころから「どんくさい」と言い続けられただけあって、完全に「私は運動音痴だ」って思い込んでいたので、すっかり運動嫌い、本番がすごく嫌だったのですが、昼休みで午後がリレーという時に母親がふと
「あんたはお父さんとお母さんの子ども(二人共運動神経は悪くない)だし、
実際足も言うほど遅くないのに、何でそんなに自分で足が遅いし運動苦手って思ってんだろうね」
と言ったことです。
もうほんと、「え?」ですよ。お母さんが言ったんじゃん。ちっちゃい頃から今までずうっと言ってたじゃん。違うの? って。
今でもこれを定期的に思い出します。
そういえば、一度足の皮がぼろっとむけてたことがあって、それを見つけた母親に(父が水虫だったので)「あんた水虫じゃないの」って。
で、いやいや~って言ってたらもうこっちがマジで深刻になるまでひたすらずうっと「水虫だ」「間違いない」「まだ中学生なのに」「伝染るからやめときなさい(弟達に)」等々……。
夏休みでその日の内に皮膚科に連れて行ってくれたのでいわゆる毒親と言うのかは判りませんが、でもあの時本当に、何かに取り憑かれているかのように繰り返し、こっちが泣きそうになるまで言われたのはなんだったんでしょう。
あ、結果はただの皮膚炎でした。
「も~この子もわたしも焦りました~」とかお医者さんに言ってたけど、焦ってただけか? あれ。あと焦らせたのはオマエだからな?
デブとかならまあダラが悪いのである程度ハイハイで終わらせますが、結構身体的にどうしようもないことで色々と云われることは多かった気がします。
「睫毛短いwww」「ほんとに短いwwww」「○○(弟)と交換できたらよかったのにねー(って弟に)」とか散々バカにされて笑われてましたねえ。
多分言われるほど短くないです。別にビューラーで上がればいいじゃんマスカラあるし。
短く見えたのは奥二重が原因でもあるんじゃないかと気付いたけど今は普通にデブなので瞼がry
弟が色白だったので、「○○と交換できたらよかったのにねーwww」って。
別に母と違って地黒じゃないので極普通の肌色してたとおもうんですけどね、昔から。兎も角弟たちageの材料でしかありませんでしたかこれ。
あと足首太いのとかくせっ毛とか、兎も角身体的にどうしようもなく『女の子なら気にするであろう』部分が悪いのは、父方に似たせいでした。
性格悪くなったのはあんたのせいですけどね。
中学に上がった頃から私は本好きがそのままオタクになり、普通のデブにもじわじわ進んでいたのでますますsageは増えました。親にsageられるので、当然弟たちからもどっか根っこで下に見られます。
父は職場は近かったものの仕事で帰宅が21時とかが多かったので、私の性格形成上では結構空気です。ただ趣味が似通ったお陰で人生楽しみが増えたので、ちょっと感謝しています(アクション映画好き)
大学に上がって確か二十歳になった頃に、一度本気で一生許さない言葉を吐かれた事がありました。
何を言われたのか、内容はもう忘れています。人間すごいですね、絶対忘れようと思ったら数日で本気で忘れた。
ただ『許さない一言を吐かれたって事実は忘れない』ともおもったので、もう一生覚えていると思います。
あとこの頃、弟たちの進学や就職がらみで色々あって、ここにきてなんだかんだ(大学は滑り止めの私立に行かせてもらいましたが)一番手がかからなかった、とちょっと周りに評価するような言動をされることが増えてきました。
就職も新卒でちゃんときめましたしね、滑り込みで可も無く不可も無くなところですけども(しかももう転職したけど)
ただここでも、中学、高校在学中は成績が50番、100番台になると、何でこんなバカになったんだろうって見え見えの顔でため息吐かれたり周りに愚痴ってた事も知っているので、その手のひらの返しように不信感が増しただけですが。
なんというか結局、親の言うことは悲しいくらいに絶対なんですね、すげーいやですけど。
親にとっては友人達に対するちょっと毒舌な冗談だったとしても、子どもは「ああそうなのか」って受け止めるだけです。本気にする方が悪いって、親の言うことを幼稚園児が疑えるか。あんたの言ってた通りに育ちましたがこの結果なので、何でアンタはそうなのって私に聞くのは愚問です。
そんなこんなで母親が私を産んだ歳をとうに突破した今、両親には確かに何不自由なく育ててくれて感謝していますが(実際、私くらいの年齢で三人も育てるのは本当に大変でしょう)尊敬しているかと言われると母親については全く話は別です。
仏様か邪神か知りませんが。尊敬していなかろうが、心の根っこのほうで「親がそういうならそうなんだろう」って思います。
別におだてて褒めてくれとは言いません。でも、子どもは親の言うことをそのまま飲み込んで成長します。成長しましたとも。親だから許されるのではなく、親だから、ただの軽口もシャレにならないことがあるってのがどうしてわからないんだろうか。
大体情緒もしっかり育ってない子供にいうことかってのばっかじゃねえか。
良く友だち親子なんてありますが、あれが成立するのは子どもが奴隷思考な事に気付かず都合よく母親が酔っているか、本当に子どもから『友だち』と思われて子どもの人生に何の影響も与えないってことに気づかずノーテンキに喜んでるバカだけだと思ってます。が、うちの母親もそれに憧れてるというか、そうありたいと(恐らく自覚なしに)思ってて反吐が出る。
小学校高学年の私が居る傍で、電話で父方の祖母の愚痴を言っていましたし(私には内緒よ♡だって。素直に内緒にしてましたよバカだね、子どもだから仕方ないけど)
(そして弟達のいるところでは母は絶対に言ってなかった、私だから、お姉ちゃんだから黙っとかなきゃいけないんだって思ってた)忘れられないのは、叔母に電話で
「○○(私)の赤ちゃんの頃、どうしてもイライラして怪我しないように畳んだ布団の上に落としたりしたよ。すぐ後にごめんねって抱き上げたりしたけど」
とかって言ってたことです。
恐らく当時赤ん坊だった従兄弟を育てる叔母に、子どもに当たりそうになるのは普通だとかそういうことを言っていたのだと思いますが、私同じ部屋で聞いていました。勿論、母も私が居ることを判ってます。
昔のこと、あくまで(当時したけど)冗談ということで、許されるとおもったのでしょう。そりゃ、友人同士で愚痴として話すのなら判ります(それこそ叔母と二人っきりでなら何も関係無いでしょう)でもそれを聞いたたった十歳ちょっとの子どもが、言いようのない何かを抱えるということを想像しない超絶鈍さが信じられんな、って今なら思います。
因みにその時のフォローは「聞いてたよねアハハごめん、まああんたが赤ちゃんの頃だから」でした。
なんて返せば良かったんでしょうね、もやもやした気持ちを表現できるほど精神的に成熟していないし、語彙もないのでいつもsageられるときと同じに曖昧に笑って誤魔化した気がします。
そういえば、下の弟と揃って「あんたが私の同級生だったら絶対に友だちになってない」と言われたこともありました何度か。確かにいっそ同級生だったら良かったんですけどね。友だちなんてこっちからお断りですから絶対関わりにあってないと思いますし。
特に不機嫌になったり問い詰めたりせず曖昧に笑ってるだけの長女はそりゃいいサンドバッグだったんでしょうねえ。この子は鈍いから平気、と思われていた気もします。
言われたことも全部判ってましたけど、まだ子供だったので言ったって論理的な話なんて出来ないし、こっちの口が達者になった頃には母は感情論ばっかりでお話にならないことを理解して、会話するだけ無駄なんで黙ってただけです。
成長してからは長く会話しても会話が破綻するばかりなので面倒で短く応答してたら「あんたは冷たい」「どうしてそんな言い方しか出来んの」とかも言われましたけど、あんたがそうさせてんだよ。
返してもぶん殴られる(精神的に)なら極力かかわらんとこうっていうこっちの努力もお察し頂きたい。
おかげさまで初対面で人のことをどんだけ取り繕っていようが「コイツは下に見ていい人種だな」って風に接してくる人間が見分けられるようになったので、……別に役に立たないですね。
寧ろ(相手はこっちが察してないと思って)バカにしてるなーとわかるので割増で気分悪い。
ここまでぼんやりと書いてて思いましたが、他人からpgrされるのが怖いというよりも、「まじめにやった何かを」「親に馬鹿にされる」という経験が全ての原因のような気がしてきました。
友だちだと思っているのは私だけかも、とか、好きになった人にバカにされるのかも、とか、結局私はまじめに、真剣に考えて考えて勇気を振り絞ったことや、自分なりの努力を、家族に馬鹿にされ笑い話ばっかりにされてきてたので「家族でさえそうなのに、他人にそうされないはずがない」とおもってます ね。
服装やメイクに気を使うのも、にあわねーしwwwwなことを言われる位なら最初からしない、と思っていました。人と関わるときに、社交辞令じゃなくてほんとに約束していいのか判らなくて、うわ本気にしてるwww引くわwwwって言われないだろうかと思ってると、人と連絡を交わすこともなくなり、ただでさえ少ない友人は疎遠になったりならなかったり。
「デブスが何してもムダムダwwwww」みたいな風に裏で笑われて思われるのがこわい。
普通の人なら社交辞令って判ることを、私だけ判ってなくてそれを笑われてるんじゃないだろうか、とか。
実際に、「普通ならこうすべき」ってことが私はイマイチ良く分からない。
甥っ子生まれた時も嬉しかったんだけど、どういう距離を取ればいいのか解らないし、どういう風に嬉しさを表現したらいいのかも判らない。それを相手が不快に思うかもしれない……と思うと、つい気付かないふりをしたり、スルーしたりしてしまう。
みんなどうして、あんな風にやれるんだろう。
友達に子どもが生まれた時も、贈り物していいのか、おめでとうと言っていいのか、ぐるぐる考えて結局何もせず疎遠に……って子が何人かいたし。
義妹にも甥っ子にも、できればウザいと思って嫌われたくないので、だったら『無』の方がいいな……ってあまり連絡をしない。
基本的に好きな相手(友達とか)にはべったりいきそうになるので、それもたまに我に返って、めっちゃウザいし嫌いだしって思われてないかな、とか……。
ただこの頃ようやく、周りはどうあれ自分のために、ちょっとはダイエットして可愛い服を着たい!と思えるようになりました。
三十路手前のもうちょっと早い年齢でこれに関しては吹っ切れて欲しかったですがw
そしてこんなもんかいてる時点でお察しの通り根暗のダラなので地道に運動頑張ります。
そんなわけ一番の原因は母親が苦手だからで、おかげでめったに帰省しません。
でもあの人はきっと子どもが自分を苦手としているだなんて天地がひっくり返っても理解しないだろうし、言ったところで昔の些細な事をいつまでも覚えている、気持ちの悪いおかしい子どもを持ってしまったとしか思わないんでしょう。あなたがそう言いましたと言っても、あんたが根暗なせいだからで終了するのが目に見えます。根暗ですが。
メールも電話も、受けたら9割愚痴のため、母親のサンドバッグになってやる義理もないので基本無視ですが、そろそろあんたに連絡したくないんだって気付いてくれないかなあ。
父や弟の電話は出るしメールもすぐに返してますよー。このくらいのいじわるしてもいいよね、ってこっちも底意地悪いんですが。
ていうか、家族全員もう私のことはたまに「ああいるよねー」程度に思い出してくれるだけでいいんですけど。
たまに両親からは地元で就職すればいいのに、とも時折話が出ますが、ぜっっっっっっったい帰りません。するか馬鹿
私もぱっと見は仲がいいねと言われる家族の中で一人鬱屈しているので、こんなこと誰かリアルの知り合いに話したところで理解されるはずもないし、この実は結構クズなんじゃねえかなっていう親を持って不幸ですよ。スタート地点間違えたかな的な意味で。
でもある程度成長してから、特に就職して実家を出てからこの性格を改善しなかったのは自己責任だと思っているので、母親についてばかり何か言うのも間違っているのでしょう。
しかし三十にもなって今更性格変わるかって変わらんだろうしなー。
そんなこんなで対人関係についてはもう改善もないだろうし、マイナス思考は根深いので、最近はあと十年か十五年か適当なところでぽっくり逝けたらなあと結構まじめに考えます。積極的に願望があるわけじゃないですけど、安楽死制度とか出来ないかなあ。
素でぽっくりいくのは地味に難しそう。
楽しみがなくなったらもういいかなーって思うし、実際年々映画も小説も漫画も熱中するってほどでは無くなってる気がする。
あと正直働けなくなったら詰んでるし。かといって病気になるのはお金かかるしなあ……
健康体の人は臓器提供前提で安楽死オッケーですよとかあったらいいのに。
そうだなあ、出来れば親より先に死にたい。
親に先に死なれたら、あんたのせいで基本構造間違えましたよって言う機会が無くなってしまう。
でも私が先でも、あんたのせいで自己評価マイナスでここまできました、って言っても理解しないだろうし、言って私だけが感じている家族に対する不信感を明確に家族VS私の構図にする勇気もないというか。
でも、母が無自覚に「家を離れて一人暮らしをしている娘を気遣う母親」に酔ってるのも鼻についてクソなんですよね。
大体趣味あってねーよ、気持ち悪い。何年一緒に暮らしてないと思ってんだ。
こういうのをいつか知らしめたいと思うけど、言ったところで何も解決せず引っ掻き回すだけで、私が一方的に悪者になって終わるオチも見えるので
ただこれを私ひとり胸の内に抱えてしねばいいのかな。
こう書くけど、結局私がひねすぎてるだけで、ごく普通の幸せ家族を未だに厨二病でナナメに見てるだけなのかな。
でも親にsageされつづけてきたので、もしこれが好きな人(友人異性問わず)にも同じようにされたら再起不能になるから、人付き合いしたくない。
でも寂しがりなので時々無性に人恋しい。
でも母親みたいな友だちも家族もほしくない。もうお腹いっぱいです。
こんなこと書いてた頃に親からメールが来たので、一応去年は(誕生日なので)久しぶりに返しましたけど、
「あんたのメールで元気になったよ^^」って、こっちはその誕生日当日に気分悪くなりました。オエー。
そしてお誕生日おめでとうのはずが、8割弟夫婦の愚痴でした。なんで自分の性格が悪いと思いつかないんだろうこの人。
そうしてとりとめのないまま終わり。難しいですね日記って。
ところで某ネズミーランドとも同い年ですが行ったことがありません。
お金貯めていつか行ってみたい。あとちょっと彼氏欲しい(結局)
++追記
すみません、長いですよね。でもありがとうございます。
一年ぐらい悶々としてたことを一気に書いて投稿した後、すごくドキドキしてすっきりしたので消そう、と思ったんですが、どうせなのでいつか親に突きつけてやる(かもしれない)用に持っておくことにしましたw
そして何より、私の考えていた事は私の性根が腐ってるから、ではなさそうだし、別におかしくないんだーこのままでもいいのかーっていう納得をくださって、本当にありがとうございました。自虐的でなく客観的に見るのはまだ難しそうですが、もう少し気楽に私の人生楽しめるように頑張ります。
あと、私と母の性格が似ているみたい、というコメントもいくつかあって驚きました。確かに自分でも母の嫌いな部分がよく似ている、と思っていますw
ご結婚される方、対等な立場の味方を得られること、大変うらやましいです。おめでとうございます。お幸せに!
考え始めて一年、ずっと悩んでいたけど吐き出せて良かった。本当にありがとうございます。
本も読んでみますね。
この記事(http://logmi.jp/17622)読んで同じ現実かよってびっくりした。
あと解雇されたのは俺じゃない。
随分前、俺は地元の教員採用試験受けてそのまま採用されていた。
今思うと馬鹿なことをしたと本気で思っている。
俺の地元だけかもしれないけど新採用の教師はほぼクソ田舎の学校に飛ばされる。
若者が少ない地域だからちやほやされる反面面倒くさい仕事は全部「若いうちに苦労しておけ」で回ってくる。
生徒はかわいいけど酒飲みとパチンコしかすることのない生活は辛かった。
はやく懲役期間が終わって転勤したいと思っていた時、新しい新採用の女の子がやってきた。
彼女は天然でちょっとどんくさいところはあったけど結構かわいかったし仕事もできないわけではなかった。
顔は石原さとみをさっぱりしたような感じ。
残念ながら俺とは何もなかったけどな。
赴任後まずおばさん連中が目をつけて何かと仲間外れにしたりちょっとしたミスをきつく叱ってた。
おばさん連中より偉い先生に相談しても「若いからw」みたいな感じだったらしい。
更に「若いから苦労したほうがいい」みたいな理由で部活を3つ掛け持ちさせられていた。
人数が少ない学校ではよくあることだけど明らかに新人には無理なポジションだった。
俺も随分話は聞いてやったけどただでさえトロいのに常人以上の仕事を持たされていた。
しかも田舎だから若い女性は「嫁候補」としてしか見てない連中もいてセクハラもひどかったみたいだ。
(大学卒業してすぐ結婚しないと行き遅れるよとか今日もぴちぴちで若い子は匂いが違うねとか平気で言ってた)
もちろんそんな状態だから夏休み前から体の調子がおかしくなって、夏の部活動地獄でついに倒れた。
「体調が悪い」と説明されていたから仲のいい先生と見舞いに行ったりもしたけどどうみても鬱病だった。
出来ないのは自分が悪い、もう無理と泣いていた。
嫌かもしれないけど診療内科にかかるようにとしかアドバイスできなかった。
結局心療内科に行ってドクターストップになったんだけど、学校は一貫して「体調不良のため」休職と説明していた。
しかも上の方の人は大体事情を知っている下っ端の俺たちまで「喋ったらどうなるかわかってるだろうな」と遠まわしに脅してきた。
どうすることもできなくて俺は部活に逃げた。
心因性ということは一切触れずに「一身上の都合」と説明されていた。
何もしてやれずに落ち込んでいたら、彼女と仲の良かった先生が怒っていた。
どうにも納得がいかずに乗り込んでいったら「彼女がミスをするのは発達障害だからだ。教員がそれでは生徒に示しがつかない」と言われたらしい。
確かにうっかりしているところはあったけれど本人と周囲の努力次第でカバーはできたはずだ。
あまりにも納得がいかなくて同期に愚痴ったら同期も似たような人を知っているらしい。
何でもわざわざ病院に連れて行かれて「発達障害者は教育者として相応しくない」って言われたとか。
それでいろいろ嫌になって俺は教員を辞めた。
もともと向いていなかったし余所の学校も似たようなものらしいと聞いて絶望しかなかった。
ただ彼女とか仲の良かった先生はたまに連絡を取っていて、彼女はあの田舎から離れて快復して来年結婚するらしい。
もっと出来ることはあったはずだと当時の俺を責めるときはある。
でもあの田舎で彼女を庇うほど地位も権力も金もコネもなかった。
マジで他人の気持ちがわからなかったり、ひとつ作業している間に次のことを忘れていたりする。
予定と少しでも日程が変わると発狂する勢いで文句つける奴もいた。
そんなアスぺ野郎でも親がどっかの校長だとかそういうのは放っておかれる。
そのくせ若い教員はいびって鬱病だの発達障害だの理由をつけてやめさせようとする。
もうすぐ自分を取り返せるかもしれないので。
わかってきた事をつらつら書いてみる。
私は今まで何て恐ろしい人を頼りにしていたんだと思ってぞっとした。
それと同時に、すごく泣きたくなった。
母親から愛されていると思っていたのに、裏切られた気分だった。
ぼろぼろ涙がこぼれてきて、めがねの内側がびちゃびちゃになった。
母は、私を愛していたんじゃない。
自らがアル中の祖父から愛されず厳しく育てられたように、同じことを私にしているんだ。
やたらと世間体を気にする人だった。
私が何かミスをする度、「それは世間では恥ずかしいこと」「許されないこと」と言われた。
母の中で、"世間"は絶対なんだろう。
「これはあんたのためなんだからちゃんと言うことを聞きなさい」
「そんなデカいケツしやがって本当に気持ち悪い」
「顔が暗いしブサイク」
愛している、あなたのためと言いながら、私を否定する二重構造にずっと惑わされていたけど。
小さい頃から「親は尊敬しなければならない」「産んでもらっただけで感謝しなければならない」
「親には恩返しをしなければならない」「親に逆らうことは絶対に許されない」
という親絶対主義を刷り込まれながら成長し、大学に入って彼氏ができて、
彼の家に転がりこんで一人暮らしを始めて、親と物理的距離を置いて初めてわかってきた。
これって呪いなんじゃないかと。
肉体的な虐待も育児放棄もされなかったけど、精神的な虐待も存在するんだね。
本人が痛いって言わなければ気づかないし。
まあでもいつまでもこんなこと言ってられないと。
ついてしまった傷は謝ってもらっても癒えないし、
自分でバンソーコー貼るなりカサブタつくるなりしないとどうにもならんなと思って、
親がどうのこうのより、自分をまずしっかり持ちなさいとバーのマスターにも言われたし。
何かを選択する度に母ならどう思うだろうか…
と思考の軸に母がいることに気づいて、呪いの深さにまた恐ろしくなってるけど、
自分は本当は何が好きなんだろう?ってところを問い詰めたりするとよいかもしれない。
選択する時に何かに惑わされないように気をつけるだけで随分マシになったように思う。
むしろそんなことすらできてないのかよと思われるかもしれないが、
常に何かを頼りにしなければ生きていけない感がある。
=====追記======
・排除した選択についても考えるという発想にまで至らなかったわ。
それが私にまで連鎖して、私も連鎖しかけている。絶対に母のようにはならないと決めていたのに。
・旅か。一人で生きていくことに抵抗をなくすってこと?
子ども時代、親に「ぶさいくだ」「愛嬌がない」と容姿を散々人前でもけなされた。そして「運動神経がない」「どんくさい」とスポーツが苦手なこともバカにされ続けた。
親に繰り返し言われ続けた言葉の数々は、次第に私自身の残念な部分に目を向けさせ、私自身がそれにとらわれるようになっていった。
おかげで、人前で笑うことが苦手になり、写真も数えるほどしか残っていないが、どれも横をむいてふてくされた顔をしている。スポーツも苦手なまま、人目につかないように、できるだけスポーツをしないですむように生きてきた。
そして子どもが生まれた。
絶対にほめてほめてほめよう。
おかげで子どもの容姿は私に似ているけれど、とても素敵な笑顔で笑ってくれる。本当にかわいくてかわいくて仕方がない。
7歳になった男児は、今も夜布団の中で「ぼく、かわいい??」とときどき聞くので「うん、とってもかわいいよ!」というと、「ありがと」といって目をつぶってすーっと寝入る。
ぜんそくの持病があり、体は強くないので水泳を習っているけど、いつも「かっこよく泳いでるね」「上手になったねー!」と褒め、応援し続けた。
かけっこも早くないし、よくこけるけど、「がんばってたよ!」「かっこよかったよ!」とほめる。本当にそう思ってるから。
そうしたら、決してスポーツが得意な俊敏な子どもではないけれど、外で走り回って遊ぶのが大好きな子どもになった。
小学校の懇談会でも「休み時間には真っ先にお外に飛び出していきますよ」と先生に教えてもらった。
親は、わが子の残念な部分を子どもにとってのスティグマにしてはいけない。
成長したある日、子どもが自分自身を見つめたとき、自分の中に残念な部分をみつけてしまかもしれない。
その時までに・・・
親として、「お前はだめだ」と烙印を押して子どもの人生の邪魔をしないように
精一杯応援して、かわいがって育てていきたい。
そうすれば、自分のなかの残念な部分をみつけたとしても、それを乗り越える力を備えた自分がいることに気づけるはずだ、と信じている。
あるいは気が利かない、直球勝負で言うなら協調性がない。
周囲で何があろうとマイペースにしか出来ない人、たまにいるよね。
なんつーか、普通の人が基本「協調志向」で動いていることを全く理解できず、自分がマイペースだから周囲もマイペースで好き勝手にやってると思い込んじゃってる。
本当にタイトルの通りどんくさいし気が利かないし、更には発言内容もKYだったりする。
その言動たるや、この人は皆のことを嫌ってて、当てつけでやってんのかな?と思うくらい気合が入ってるというか。
別にそれで「付き合い悪いと友達できないよ(にっこり)」と言われようが「のび太のくせに生意気だ」となじられようが知ったこっちゃないが、皆の足を引っ張っといて被害者面するのはやめて欲しい。
いや、マイペースじゃないと極端に効率が落ちる人がいるのも分かるよ。
「♪だけども速くは走れない そんなに丈夫にできてない」なんて歌もあったし。
だからって「♪いざゆけ 不屈の マイペース(ハイ!ハイ!ハイ!)」って開き直るのは間違ってると思うけどね。
だけどこの世の中、協調志向が多数派なのだ。そして最大多数の最大幸福が今までで最もマシな社会システムなのだ。
なので少数派がまず覚えるべきは多数派との折り合いの付け方だし、多数派に合わせた状態での実力、マイペース人間だったら周囲に合わせて極端に効率が落ちた状態こそが「本当の実力」と捉えるべき。
そこから出発することを考えないと。
有給なにそれ。夏休みはあっても上司の指定の日しかとれない2日間。
最近周囲の雑音、というか生活音に敏感になりすぎて破壊衝動が収まらない。
咳するやつにシネって言いたい。
奇声あげたい。
人をぶん殴りたい。
深夜会社帰りの道でこっそり大声で奇声あげてる。
そのうち職質されるかもしれない。
上司には周りの生活音が気になって発狂寸前なんですとは言えない。
意識の高い学生がおっさんになったような人で人の痛みなんてわからない。
会社の人間に相談なんてしたら告げ口される、周りは敵しかいない。
イヤホンをつけてどうにか気をまぎらわしているけど、
本島は周りの音が聞こえないくらいの音で聞きたい。