はてなキーワード: 携帯とは
ひどい目の痒みで花粉症と気づいた
以来毎年、花粉症の鼻炎薬、漢方薬、目薬(一番強いやつ)がこの時期の常備セットになっていた
ひどい時は数秒に1回鼻かんで鼻の下ガビガビで、もう鼻かむことも出来ず垂れ流しで、マスクの下にティッシュ何枚か入れてやり過ごしてた
目が痒くて擦りまくって目の周りがシワシワのガサガサになった、最上級目薬が1日に5〜6回の使用とあるが明らかに足りなかった
目の周りに塗る花粉症・アレルギー用のクリームにが必需品だった
それでも痒くて顔洗ったり目の周りにタイガーバーム塗ってみたりと、とにかく痒くてひどかった
今年はそれに比べたらマシ
くしゃみ鼻水に目の痒みがきているが、ひどい時に比べてだいぶ症状は落ち着いている
まだまだこれからかもしれんけど
・よく「年収1000万円になると生活の質を落とせないので給料減ったら生活が破綻する」という話があるが、逆に年収1000万円の生活からさらに生活費を増やしても満足度が金額に比例せずコスパがどんどん悪化するため思ったより支出が増えない。多分いきなり年収1000万円に戻されても何も問題が無い。
・とはいえ、多少月の出費も増えるは増える。が、散発的にDysonの高い空気清浄機買ったりPS5を買ったりする程度の出費で、毎月の経常支出が増えることにはなかなかならない
・年収1000万円で一応は都内で満足の行く住環境は手に入れることができ、年収2000万円になって出費を2倍にしたところで満足度はせいぜい1.2倍になる程度。なので年収が2000万円になっても急激に支出は増えづらく、貯蓄や投資資金だけがガッツリ増える傾向になる。
・ちなみに年収1000万円のときは1年で黒字はゼロ、一切資産が増えないカツカツの生活していた。
・増えた1000万円の年収分丸々投資や貯蓄、運用に回せる。ってか株や仮想通貨に50万円程度毎月ぶっこむと資産の増え方が半端ない。年収1000万円じゃ稼いだ金が運用で増えるなんて経験は全くなかったが、年収2000万円になって余剰資金を投資に回すと恐ろしい勢いで金が増えていく。なんだこれは。富裕層はこんな感じで資産が増えてたんか。これが資本主義の本質とはいえ、年収1000万円と2000万円で金の増え方があまりにも違いすぎる。
科目 | 金額 | 備考 |
---|---|---|
家賃 | 16万円 | 賃貸 2LDK 70m2 杉並区 中央線駅徒歩15分 |
駐車場代 | 2万円 | |
食費 | 9.5万円 | 2人分。外食含む。出前館・menuを週1~3回程度利用 |
遊興費 | 3万円 | 映画鑑賞、スポーツ観戦、ゲーム購入、ネカフェ、コンサート、オペラ |
消耗品費 | 4万円 | キッチン用品や清掃用具、生活雑貨 |
車のローン(3年総額約400万円) | 2.5万円 | ボーナス払い25万円 |
ガソリン代 | 0.4万円 | 趣味ドライブ。月300km程度。 |
電気代 | 2.2万円 | 1日18時間くらいエアコン作動 |
ガス代 | 0.4万円 | シャワーは毎日、風呂は週2 |
水道代 | 0.3万円 | |
携帯通信費 | 2万円 | 自分と奥さんで携帯3台持ち。au, 楽天モバイル, docomo。iPhone/Androidスマホの24分割払含む |
固定プロバイダー費 | 0.6万円 | |
美容・書籍代 | 2万円 | |
特別支出 | 4万円 | 経常的支出じゃない気まぐれ旅行や家電購入等 |
奥さんへの小遣い | 10万円 | 奥さんは専業主婦です |
合計 | 58.9万円 |
・年収2000万円になっても、ぶっちゃけ増やせる支出項目があまりない。
・年収1000万円の時点で最も不足していたのは貯蓄であり、それ以外の項目は人間2人が都内で満足した生活を送るのに上記で十分な金額。
・おそらく年収3000万円になっても食費や遊興費等の出費も増えなさそうな感覚。もしかしたら住宅についてはより高額な物件を借りる可能性はある。
・自分は欧米で数年生活経験があるので、日本国内で住宅物件を購入する意思は一切無し。親の実家も都内なので土地を相続して上物だけ建て替えもしくは増改築予定。
・アメリカの場合築50年の物件でも買値に近い金額で売れるし中古市場が成熟してるので住宅が資産になるが、日本の場合中古物件は住環境や設備としての価値がゴミなので短期売買目的以外での住宅購入は全く考えていない。
特に、未だに任天堂から卒業できてない間抜けな任天堂信者たちが聞くと発狂しそうだが、ゲーム機の出る幕はなくなるよ
ライト層はスマホ、コア層はゲーミングpc・携帯型ゲーミングpcに分かれる
ゲーム機はどっちつかず
ライト層は、ゲームするためにわざわざ高い専用の機械を買わないといけないならスマホでいいやと考える
コア層は、ゲームという娯楽をするためだけに数十万も金を出す頭のネジが外れた人たちなんで、コスパしかメリットのないゲーム機は眼中にない
数十万もするゲーミングpcなら、PS5やXboxよりも遥かに性能が高く、その分ゲームの可能性も広がるだろう
Switchに存在価値があるように思うかもしれないが、Switchなんかよりも性能の高いAYANEOやSteamDeckなどの携帯型ゲーミングpcがあるので、Switchも不要
携帯型ゲーミングだと任天堂のゲームができないと任天堂信者たちは喚くだろうが、視野狭窄に陥ってる信者たちには任天堂のゲームはAAAゲームと比較するまでもない程度の質と評されてることを理解できないだろう
私は 24歳女 152センチ 40キロ前後 胸はCとDの間くらい 顔は平凡な顔
浮気はしなかったし 向こうの願いでサークルでの飲み会も一回もいかなかった
男友達はもちろん 女友達と出かけるのも嫌がるのでまったく連絡とらなかった
別に束縛は嫌ではなかったけど そのせいで友達は0になってずっとひとりぼっちだった
男に狙われるからと バイトもさせてもらえなかったし 大学も諦めて同棲してた
向こうはごく普通な感じだけど お前をずっと愛すって言われたから好きになった 一生尽くそうとおもってた
嫌なAFもフィストも相手が望むからなんでもやった わがままも言わず束縛もせず尽くした
そしたら彼女Tinderで釣った高校生や大学生とやってた 自分の見る目なさすぎで泣けてきた
今は個人情報の問題があって難しいと思うが、私が子供の頃は、担任の先生から必ず年賀状が来ていた。
よく考えたら、年賀状代はおそらく私費なんだろうし、40人分近く印刷するのだって、それなりに手間がかかる。
そんなふうに、プライベートな費用と手間まで費して、教員というのは本当に大変な職業だと思う。
その点ではむしろ、教員が生徒に向けて年賀状を出す習慣というのは、無くなった方が平和なのかもしれない。
さて、年賀状は来たら基本的に返信するものである。私も担任の先生に返信していた。
そして、担任から外れた次の年からは、感謝なのか慣習からなのか、年賀状は自分から出すようになった。
すると、いつ辞めるかが問題になる。私の場合は大学生になってようやく辞めた。
逆に言うと、大学生になるまで、担任だった先生への年賀状を延々と出し続けていたのだ。
初めてもらった年賀状は幼稚園の先生からだった。なので、一番長い先生だと10年以上やりとりを続けていたことになる。
そんなに長くやりとりが続いて、微笑ましいことだって?
なぜなら、担任の先生が年賀状を送るのは、おそらく「学級通信」の延長みたいなもので、
担任としてのコミュニケーションを円滑にするためであろう。そうであるならば、担任と生徒の関係が終わったあとは、
こんなに長く年賀状をやりとりするなんて望んでいなかったんじゃないかと思うのだ。
年賀状でしか接点の無い単なる一生徒から、10年以上も年賀状を送り続けられて、果たして嬉しかったのだろうか。
「○○高校に行きました」と報告されても、多数居る教え子の一例でしかないのだ。
そんな多数の中の一情報に「嬉しい」と感じられるものなんだろうか。私が教員なら無理だと思う。
それに、この件で何が一番たちが悪いかというと、私自身の対応の仕方だ。
大学生になるまで担任だった人に年賀状を出し続けるというのは、そもそも私の本意ではなかったのだ。
他人と年賀状をやり取りできる嬉しさで、10年以上も会っていない人に年賀状を出し続けたわけではなかった。
具体的には、「担任だった先生に年賀状を出さないなんて礼儀を失している」と親に怒られるんじゃないかと思っていた。
担任の先生を想ってではなく、親に怒られるのが怖いという一心で、出したくもない年賀状を出していたのだ。
先生も年賀状を作るのは手間だったろうが、当時子供だった私には、年賀状作りなんて冬休みが憂鬱になるほど面倒な作業だった。
30代を終えようとしている私が子供の頃は、PCなんて普及していなかった。
そのため、自分で干支のイラストをクーピーで書き、「高校では○○部に入り、云々」みたいな近況を知らせる文面を考え、
ペン書きなので、書き損じにならないよう(つまり、無駄になったと親に怒られないよう)、必死に気を使って書き付ける。
そんな、夏休みの工作みたいなことを大学生になるまで毎年繰り返していた。
高校3年生の受験シーズンでも、受験時のナーバスな時期だからこそ、親に怒られるなんて絶対に嫌だと思って、
干支の絵をお絵描きしていた。そしてそれを、例えば幼稚園のときの先生に送っていたのだ。
こうして、改めて今になってよく考えると、本当に頭のおかしいことをしてたんじゃないかと思う。
高校生になっただろう相手(男性)が、小学生みたいな干支のイラストで毎年年賀状を送りつけてくる。
きっと、なんでこんな稚拙な絵を延々と送り続けてくるのか、新年早々の疑問になっていただろう。
などと客観的に考え出すと、我ながら恥ずかしいことをしてきたと、枕に顔を押し付けて叫びたくなるほど後悔する。
受験勉強をセーブしてまで、やりたくも無いお絵描きを10枚近く、きっと存在しなかった親の怒りを恐怖するために書き続けていた。
そう、この恥ずかしい行動の原動力は「親への恐怖」だったのだ。ここがいまだに、自分のことながら意味がわからない。
どうして、そこまで親に恐怖していたのだろう。別にそこまで仲が悪いわけでも無かったのに。
12月になると、特に希望もしていないのに、親から毎年無地の年賀状を10枚渡されて、
それを無駄にすると怒られると思ったから?それにしたって、「もう高校生だから」と断ればよかったのだ。
本当に、私は頭のおかしなことをしてたと思う。「親への恐怖」という妄想で、かつて担任だった人々に迷惑をかけた。
まあそれでも、大学生のときには、担任だった先生への年賀状を辞めることができた。
大学生になったので、塾のバイトを始めて給料が手に入り、年賀状くらい自分で買えるようになる。
当然、親から年賀状をもらう必要も無い。「年賀状は自分で買うから」と、ようやく断ることができたのだ。
そして、自費で年賀状を買う段になって気づいた。気づいたことは2つある。
まずは、それなりの額を出せば、イラストが付いた年賀状が買えるのだということだ。
それまで、イラストと挨拶が書かれた年賀状は、大人が業者に頼んで大量注文しないと手に入らないものだと思っていた。
それが、大学生協に並んでいたのだ。これは、本当に救われた!という気分になった。
そんなの、コンビニやスーパーにも並んでるから大学生にならなくとも気づくだろ、と思われるかもしれない。
しかし、私は大学生になるまで、ろくにコンビニに入ったことが無かったのだ。
その理由は、私の家ではお小遣い制度が無かった(金銭は必要なときに必要なだけもらえる)というのが大きい。
学級帰りにコンビニに立ち寄ってパンでも買って帰ってくる、みたいなことをするお小遣いが手元に無かったのだ。
スーパーにしたって、中学生以降は親と行動するのが恥ずかしくなるわけで、ろくに立ち入ることが無かった。
まあ、そもそも田舎に住んでいたので、自宅から歩く距離にはコンビニもスーパーも無かったわけだが。
話が横道に逸れたが、とにかく、金を出せば年賀状に稚拙なイラストを載せなくてもよいと知ったわけだ。
そして、もう一つ気づいたことは、そもそも論になるが、担任への年賀状に意味はあるのかということだ。
それは大学生になって、担任というシステムから解放されたのが大きい。
(いや正確には、学年全体での担当教授は居た気がする。しかし、有名無実というか空気みたいな存在だった。)
大学では、自分の知識は多くの教員がバラバラと与えてくるものであり、担任という唯一の存在に依存する必要が無い。
(まあ、ここについても、研究室に配属されるようになると、考えはまた変わってくるわけだが。)
そう考えると、それまでの「担任」という人々に、こんな10年も経ってまで感謝を示し続ける必要があるのか疑問になってきたのだ。
そういうわけで結局、大学一年生のときに年賀状は完全に取り止めた。
ちなみに、当時は実家暮らしだったため、自分が年賀状を出していないというのは、親にも当然バレるはずだった。
正月以降に、毎年来るはずの担任の先生たちから年賀状が全く来ない、という形でバレるはずであり、戦々恐々としながら新しい年を迎えた。
しかし、親には怒られなかった。
今考えれば、親に怒られるなんて全て私の妄想だったので、当然の結果だったわけだが、当時は心の底からホッとした。
まあ、そこからようやく「親への恐怖」が自分の妄想であることに気づくようになり、
前述のとおり、これまで稚拙な年賀状を出してきたことをトラウマに感じるようになってしまうわけだが。
結局、自分の妄想で他人を振り回してしまったわけで、その点は今でも申し訳なく思っている。
そして何より、自分自身も稚拙なイラストを書いたり本当に苦痛だった。
そんなお互いに苦痛な習慣を、自身の勘違いで長年続けてしまったのは本当に黒歴史だ。
リアルな相手にはとても言えないけど、黒歴史な思い出は文章にしてちゃんと客観視しないと、
いつまでも「思い出しアー」になって苦しむことになる(実際、毎年年末に思い出して苦しんでいる)ので、一通り書き出した。
あとはこうして、匿名掲示板に記して供養としたい。
ちなみに、年賀状はトラウマになったので、大学生以来誰にも出していません…
となれば、お話し的にはキレイな展開なんだと思うが、高校のときの友人との年賀状は、数枚ながらもまだ続いている。
大学生の頃は、年賀状なんか一生出すもんか!とも思っていたのだが、卒業すると就職で散り散りとなり、お互いの近況を知りたくなった。
現在であれば、それはLINEか何かで実現できるのだろうが、15年以上前の話なので、そこはやはり年賀状でのやり取りとなった。
携帯メールはあったんだけど、何かこう、正月だとかのきっかけがないと、お互いやりとりしないよね。
って、やっぱり私も古い人間なのかも。
まあとにかく、子供の頃は色々やってしまったけれど、年賀状を誰かに出す習慣はまだ潰えていない。
今はさすがに年賀状はコンビニで買ってきたものを使っているけれど、その印刷された文面の端っこに、
指定校推薦使う人って小さい頃にDSのポケモンでチート使って心の底から楽しめてたタイプの人種?
https://twitter.com/anokoronomirai/status/1492714346535092225
イフオ@anokoronomirai
先日、このツイートを読む機会があった。せっかく学生課の職員という仕事をしているので、ちょっと解説してみようと思う。
結論はタイトルのとおりだ。大学にとって、指定校推薦は優れた制度である。一般入試で入ってくる学生よりも、指定校推薦で入ってくる方が優れている。
指定校推薦というのは、大学と高校と生徒にとって三方好しである。高校生が指定校推薦による利を得たい場合は、在学中にたくさん勉強して、学校行事に多く参加し、部活動や社会教育活動やボランティアに精を出さねばならない。
大学としては、新入生としてはできれば安牌が欲しいと考えているし、高校側も特に推薦したい生徒がいる場合がほとんどである。重ねて申しあげるが、一般的な高校生が指定校推薦を活用するためには、その学校にとっての模範的な生徒である必要がある。
私が勤めている大学は、世間的には上流とされている。私立大学の総合力を図るランキングがあったとすると、国内上位3校に必ず入る。
これまで十数年に渡り、百人以上の高校生・大学生の面談面接又は評価活動を行ってきた。その経験に照らして、一般入試と比べた場合の指定校推薦の優位性を説明する。
※公募推薦やスポーツ推薦や帰国子女入試はそれに準ずる扱いとしている。いずれも一般入試の学生よりも優れていると幣学では結論している。
これが最大のメリットだ。幣学から「〇人の推薦枠があるので出願をお願いします」という通知を受け取った各高等学校が、それぞれ選りすぐりの生徒を受験させる。受験者は概ね、以下の性質を一つ以上は有している。
・評定平均が概ね4.5以上
(推薦要綱に4.5以上とあっても、双方の合意で4.4以下の子が受けることは可能)
・特殊な才能に恵まれ、若くして成果を挙げている(スポーツ、文化芸術、学会、芸能界その他での活躍)
幣学は毎年、上記の性質の3つ以上を有した学生を手に入れることができている。ほぼ必ず、将来大器と思われる人材を得ることができている。募集要綱での評定平均が足りていない子はけっこういるが、それらは裁量でどうにかなる。
いい子に入学してもらい、学生生活では多くの人と交わることで自分を磨いてもらい、卒業後は社会で活躍できる人材に育つことが学校としての至上目的だ。
具体例をひとつ挙げる。
4年ほど前のことだ。府中の辺りにあった私の日常通いのマクドナルドで、ある女子高生が働いていた。私と彼女は、レジでたまに世間話をする関係だった。その子が新人だった時の話をする。
夕方だったろうか、外国人サラリーマン2人組(大柄な白人と中肉中背のアジア系だったと思う)がその子のレジに並んだ。私はそのひとつ後ろに並んでいた。
そのうち1人が、店員に対して英語で話し始めた。併せてジェスチャーを行い、干飯ハンバーガーを注文しようとしていた。
さて、彼が欲しかったものは、「チキンフィレオのセット×1+チキンフィレオの単品」だった。その子も身振り手振りで話を聞き終え、「千何百円になります~」と言ったところ、「No」と白人リーマンは言うのだった。「チキンフィレオのセット×2」としてしまったのだろう。
その高校生は、もう一度メニューを見ながら、手指や視線を動かして、彼の顔も見て――今度は正解を当てることができた。白人リーマンは、「glad」と言って隣のアジア風の男性に注文を譲った。
その子は、アジア風の男性からも英語で注文を聞き取っていたが、今度はミスなく注文に応えることができた。身振り手振りだけの、上手なコミュニケーションだった。サイドメニューのサラダ単品と、ナゲット×2とジンジャーエールだった気がする。
この間、彼女は一切英語を話していない。労働経験も少ないだろうに、外国人に即応したのだ。言葉を交わすことなく注文に応えてしまった。緊張した様子もなく、終始ニコニコだった。
才覚を感じた。私が学生の頃は、あの子のような接客は絶対にできない。せいぜい、しどろもどろになって社員を呼んでいたことだろう。彼女については後述する。
指定校推薦の話に戻る。
幣学では、彼女のようなレベルに達している人間がぜひ欲しいと思っている。幣学だけではない。ほかの大学だって喉から手が出るほど欲しいだろう。残念ながら、その子が通っている高校には幣学の指定校推薦枠がなかった。が、その他の推薦入試であれば可能性がある。私が入試事務局で彼女の願書を審査するメンバーだったら、一次選考は確実に通しただろう。
ここまでお読みいただいた増田民への情報提供を兼ねて、推薦入試の際に最も重視される評価基準を説明する。
『自助努力』
以上だ。
評定平均が4.0以上など、指定校推薦では成績優秀な学生を求めている印象があるが、この際だから正直に言ってしまう。合格順位の点数付けの過程で、評定平均はほぼ見られない。あれは受験者を少なくするために振るいにかけているだけであって、本当に見られるのは上記3要素だ。
例えば、推薦入試の募集要綱には、「全体の評定平均が4.0以上であること」などと書いてあるだろう。実務上の対応としては、それ未満の評定平均でも出願すること自体はできる。むしろ出願して欲しいほどの人財がいる場合は、当高校に対して個別に依頼と訪問を行い、その生徒を推薦してもらう。これは幣学でもそうだし、他の名門大学でも変わりはない。それくらい、上記3要素を有した高校生はこの世界に少ない。喉から手が出るほどほしい。
なお、自己推薦制度を採用する大学の場合は、評定平均が足りないと学校長からの推薦書がもらえないので注意しよう。すなわち出願ができない。学校を通した推薦入試の場合は、評定平均が少し足りないくらいであれば双方が話をする。やり取りの例はこんなところだ。
パターンⒶ
高「評定平均は3.8である。貴学の示す4.0には少し足りないが、在学中に難関試験である〇〇に合格している。性格は朗らかであり、リーダーシップもある。貴学の学風に相応しい生徒かと思われる。出願は可能か」
パターンⒷ
高「評定平均は3.0未満である。この子は1年生からインターハイに出場している。推薦入試の受付開始時点でインターハイに上位入賞しているなどの場合は、出願することは可能か」
大「協議して回答するので、出せる範囲で資料をいただきたい。出願できる可能性はある」
どんな大学にも救いようのない学生はいるものだ。箇条書きにしてみよう。
‐①
講義中に先生に当てられても、何も答えない。ずっとだんまりだ。人として生きる力に欠けているというか。私が幣学で学んでいた頃もいたし、ずっと前から一定数いるのだろう。わかっていようといまいと、とにかく答えない。黙っている。こういう人間は大学生になってはいけない。行動が大人のレベルに達していない。社会の進歩と同時に、こういった人罪が増えるのは致し方ない面がある。大昔であれば、こういった人間は厳しい修行の中で開眼するか、できなければ間引きされていたに違いない。
‐②
学生に一般貸出している施設の鍵を個人がずっと持っていて、サークルや部活動の団体が使用できなかったにもかかわらず、詫びの一言もなく鍵を返却して済まそうとした女子学生。口頭での注意及び一定期間の施設使用禁止を命じた。後日、ほかの利用者が鍵を開けて使用するタイミングでこっそり利用していたことが判明し、正式な処分を行うこととなった。
‐③
ある警備員が、大学が閉まる時間になっても遊んでいる学生を出て行かせようとしたところ、逆切れして「警備員ごときが偉そうに!」と文句を言った男子学生(譴責処分とした)。彼のような場合、親が地元有力者や代議士経験者といった名士であることが多い。肉親や親類縁者が多くの人から崇められているため、それが自分の力であると勘違いしているのだ。大学としても、譴責以上の処分を与えるのは難しい案件であるため、厳しい対処はできない。
・明確な不法行為をする者
‐①
学外私生活でトラブルを起こし、警察沙汰になる者。アルバイト先など関係者からのクレームの電話が年に10件以上はある。あの学生に家族を侮辱された、彼は替玉入試だから調査しろ、あいつはコンビニで万引きをしていたなど。明らかな証拠がある場合に限って調査をする。証拠がなければ何もしない。当人を呼び出すこともしない。杞憂なく学生生活を過ごしてほしい思いがある。
‐②
不埒な行為を目的とするサークル活動。ゴシップ雑誌やニュースサイトで、泥酔した学生十数人が路面で倒れて~といった報道が稀になされる。本当ならば、路面に倒れるよりも前に個室に連れて行きたかったのだろう。誠に遺憾だが、そういった行為を目的とするサークルはある。ネット検索でもヒットする。近年だとミスコン運営委員会の事件が記憶に新しい。
現代社会では到底許される余地のない連中だが、昭和の時代から存在している伝統的なサークルが多い。既得権というか、潰すに潰せない事情がある。
ここでいったん、関連するトピックに逸れる。
京都教育大学集団準強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明
https://wan.or.jp/article/show/2038
覚えている人もおられるだろう。
2009年2月、京都教育大学の体育会で追い出しコンパがあった。その居酒屋の空き個室で、当時19才の泥酔した女子学生に対し、6人+見張り3人が代わる代わる性行為を行ったという。数か月後、女子学生の親が大学の対応を信用できなくなり、刑事告訴に踏み切った。
この事件当時、文部科学省から事件関係の通知(指導)文が何件も送られていたのを思い出す。掻い摘んで述べると、「大学の活動の一環として行われる行事は大学側にも責任が生じるおそれがあるため、このような事案が決して起こらないよう、学内団体の監視及び指導、事前対策を徹底すべし」といった文面だった。
幣学でも、遠く離れた京都であったこの事件を対岸の火事と見ず、リスクマネジメントの観点から積極的な議論を行い、事前事後の対応策を決めた。
当時、若手職員だった私には疑問だった。なぜ偏差値的に優れている、勉強を頑張ることができる人間がこんな事件を起こすのか? と考えていた。今ではわかる。偏差値と人格は何の関係もないのだ。こんな当たり前のことを理解するまでに相当の年月をかけてしまった。恥ずかしい限りだ。
それから十数年。幣学でも、そういった事案が年に数件は上がる。どれもこれも、いい大人がこの程度のことがなぜわからないのかというほどレベルの低い案件だ。その度に、慎重に慎重に慎重に、最大限の注意をもって被害学生の心に寄り添い、謝意とフォローを示さねばならない。
こういった事案の多くは、一般入試で入ってきた人間が起こしている。ほぼ同率2位がスポーツ推薦だ。公募推薦や指定校推薦や帰国子女入試の学生は、こういったレベルの低い問題事案を起こす確率は少ない。明らかにそういう傾向がある。
‐③
幣学には、はるか以前から、警護が付くレベルの皇族の子女が何人も通っている。数年前、とある男子学生が、講義棟から出てきたばかりの女子学生にいきなり近づき、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と尋ねたという。女子学生の反応は想像に難くない。警戒心で強張っていたと推察する。
男子学生は、その子の肩を抱くようにして一緒に携帯で写真を取ろうとした。すぐに警護の人が物理的にシャットアウトしたのだが、その様子を男子学生の仲間が遠巻きに笑って眺めていたという。学生課に抗議にきたのは、その女子学生ではなく友人だった。女子学生は、どちらかというと穏便に済ませたいとの意見だった。こういった案件がある度に、偏差値と人格に関係がないことを思い知らされる。この顛末は【後述】する。
さて、どうして私がこのような考えに至ったのか? 統計を取ったからだ。
大学職員になって十年ほどが経った頃、問題を起こす学生の傾向について、上の人間から指示を受けてデータ化を進めていた時、ある傾向に気が付いた。
過去に問題行為のあった学生約200人を無作為抽出し、データベース化した。そして、その入試制度別の発生割合を調べたところ、
指定校推薦<その他入試制度(帰国子女含)<一般入試<スポーツ(一芸)推薦(※1)
という関係が成り立った。
この時、私は――社会で実績を挙げる人間には反対の傾向が当てはまるのではないかと考えた。実際、正しかった。学生の卒業後追跡調査の結果を独自分析し、卒業後の進路ごとに1点~5点(※2)を付けて入試制度別に平均点を並べたところ、
指定校推薦>その他入試制度(帰国子女含)>スポーツ(一芸)推薦>一般入試
と、おおよそ対称的な結果を得た。これにより、私の考えが確信に変わった。
知能テストで図ることができる要素よりも――それ以外での、高校在学中の部活動その他の社会的交流や、自らを高めるための活動にどれだけ勤しんだかに重点を置いて入試制度を運営する方がよりよい結果を得ることができるということだ。
※1…一芸とは、AO入試やスポーツ以外の特殊技能により入学した者を示す
※2…国際公共機関やそれに準ずるNPOや世界的企業を5点、一般企業や一般公務員は3点、フリーターや無業者や所在不明者は1点とした。4点と2点はその間を基準として点数を付けた。
ここからは【後述】の内容になる。女子学生に写真撮影を求めた学生は、一般入試だった。それまでに何度も事件を起こし、3回の学内処分を受けていた。
ゼミの担当教授にも参考意見を伺ったところ、やはり人格的素養を欠く言動を繰り返しているようだった。犯罪に達している行為もあった。
事務局側の責任者に彼の処分内容を協議したところ、「遺憾だが、処分内容は考える必要がある。考えたうえであれば~~そちら側に委任する」という答えがあった。これは、その人なりのサインだ。自らの手を汚すことをしたくないから、処罰される人間に明白な忌避行為がない限りは、こうした答え方をする。意図を汲み取る必要があった。
数日後、彼との面談で、私達は「自主退学」を求めた。はっきりと「あなたは本学にふさわしくない」旨を告げたうえで、自ら退学願いを出すのであれば、こちらから退学処分を行うことはないと宣言した。これは半分以上がブラフだ。実際、この程度で退学処分を行うことは難しい。ただ、学校としては、品位を落とす学生には退学してもらいたい。それだけだ。
そのうえで、あの時、彼の周りで笑っていた連中にも釘を刺している。個別に呼び出しをした。「学生だからといって、社会で許されないことをしたら、彼のようにキッチリ落とし前をつけさせるぞ」と。はっきり宣言した。
苦しいが、仕方がないのだ。危険の芽は摘み取っておく必要がある。こうした学生を放っておくことで、上の京都教育大学のような重大事案に繋がってしまう。問題事案が起こる可能性は、費用をかけたとしてもゼロに近づける。リスクマネジメントの基本だ。これは、どんな学校でも同じことだと思う。
私は本学を愛している。高校生の時もそうだったし、大学生の時もそうだったし、大学職員になった今でもそうだ。事案が生じることで、本学を世間の目に晒したくない。
お目汚しを失礼した。
基本はロム専だが、どうしても一度、増田に投稿してみたかった。
そんな時、冒頭のツイートが流れてきた次第だ。暇な時間を費やすだけの価値があったなら幸いだ。
イフオ@anokoronomirai様、この度は拙作を投稿する機会をお与えくださりありがとうございます。重ねて感謝申しあげます。
んー
それはわかってない気はするな
増田が思っているよりこの世の中は人間関係で動いていて、感情的なもので左右されてるんだよ
クズ人間でも仕事できれば出世できるか、と言えばそうではなかったり、大統領同士なぜかウマが合うだけで外交関係が良好になったりもするのが現実なんだよ
舐められないように常に銃を携帯することで身の安全を保障するのはアメリカの市民がやっていることだけど、それより夜中に酔っぱらっても歩いて帰れる国ののほうがいいように、火器の圧力に寄らない国際関係のほうが色々みんなにとって都合がいいわけ
人間関係でも、尊敬される立派な人物の言葉には重みがあるでしょう
それは殴り合ったら強いから重みがあるわけじゃない
海賊漫画みたいに、殴り合って一番強い人が親分になってるわけじゃない
やくざの組織で自分の発言に重みをもたせるには?と考えたときに、誰よりも人を殺せばいい、ってわけじゃないと言えばわかるかな
「実は俺、人を殺したことがあるんだよね」とか言って不良が発言力得ようとしている感じなのが核なんだよ
別にそういうあり方で存在感を出そう、というのはひとつの選択肢として否定はしないけど、それをしないと防衛不可能ってのは違う
大事なのは、あの人と敵対すると得がない、割に合わない、と思わせること
それは武力だけじゃないんだよ
ニュース見てると日本の国内の情報だけじゃ物足りなくなったんよ。
で、そういやCSの有料放送だけど、テレビでBBC見れたなという事を思い出した。ヨーロッパの大手放送局だし、日本に入ってこない情報流れてるだろうし、数ヶ月くらいなら課金する価値あるんじゃねと。
で、いざ視聴契約しようと思って、CSの課金金額を確認したら990円。まあいいかなと最初は思った。
が、契約説明画面をよく見るとスカパー基本料金429円が追加でかるみたいなことが書いてあるのよ。
正直なんだそれと思ったけど、それでも合計1419円だ。まあこのくらいいかと思った。で契約画面を見ると5チャンネル見れるパックの案内も出てきて、そっちは1980円。もうちょっと金額足したらBBCに加えてCNNも観れるし、ディスカバリーチャンネルとかも面白そうだなと思えてきたし、5チャンネルパックにして契約するかと思ったのよ。実際契約寸前まで行った。
だけどだ。説明をよく見ると、契約はテレビ1台当たりで2台目からは別に契約結ぶ必要があるみたいなことが書いてあることに気づいて手が止まった。リビングと寝室に2台テレビあるのに、両方で見るには2重に契約しなきゃいけないの?バカじゃね?
で、料金プランをよく読んだら、50チャンネル見れるプランだと3980円で2台目も追加料金無料みたいな記述を見つけて
冷めたね。
なんていうか、1チャンネルだけ契約する金額と、パックでたくさん見られる上位プランと差額をわずかにする事で露骨に課金額を増やす方向に誘導する姿勢が見え見えで。
このいやらしさはアレだな、要らないオプションをもりもりつけて割高な料金にする携帯キャリアみたいな感じがして、スカパーやらしいな、コイツとは契約したくないなという気分になってしまった。(余談だけど携帯はMVNOを使っている。)
とは言えBBCの海外ニュースは見たい。さてどうするか。デカいパラボラアンテナと海外衛星放送チューナーでも買う?費用がかかりすぎるな。却下。ストリーミング放送とかやってないのかと思って調べていたらAmazon primeの有料配信でBBCを発見。月額792円。おお、スカパーのCS放送よりもメチャンコ安いぞ!
あれ、Amazon primeでBBCの配信が見れるなら他の配信サービスにも提供してるんじゃない?
そう思ってもう少し調べたところ、見つけたのがHulu。月額費用は1026円とAmazon primeでBBCを見るよりも高いのだけど、なんと月額料金だけでCNNの配信も付いている。海外情勢を知りたい身からするとイギリスだけじゃなくてアメリカ視点の情報もえられてお得じゃね?と思えてその場でサクッと加入契約を済ませたのだった。スカパーで興味をそそられたディスカバリーチャンネルの番組も見れるし、お得感は抜群。比べるのもなんだけど、最初に契約考えてたスカパーって割高すぎんか…
そんなわけで、Netflix やAmazon primeの陰に隠れて目立たないけど意外にHulu侮れないかもしれないなと思ったのだった。ウクライナ情勢が気になって海外ニュースを見たいと思った人にはオススメできる選択肢だと思う。
「病院 特別室」でググっても事例があまりないので、体験談を書いてみようかなと思いました。
---
ある疾患を抱えていて、入院して手術しないと死ぬよと主治医に言われ、都内屈指の大学病院に2週間ほど入院することになった。もちろん保険適用で差額ベッド代ゼロ円の部屋もあったが、他人のいびきなんぞ聞きたくもないし、クチャラーにあたった日には最悪なので、個室を希望した。
個室の差額ベッド代はミニマム3.5万円スタートで、この時点で「高くね?」と思っていた。それでも貯金を切り崩してまでも個室にしたかったので、個室の種別がいくつかある中で、第1希望から第3希望まで選んで入院受付に提出した。
入院3日前までの新型コロナウィルスの陰性証明、つまりPCR検査必須と言われ、渋々有給を取ってPCR検査を受けに行った。最近のPCR検査はすごく、鼻に長い綿棒をぶっこむやつではなくて、唾液から検体の検査ができるらしい。
後日、PCR検査の結果報告が来る前に第1希望〜第3希望の個室の空きがなく、大部屋しかないと言われて愕然とした。そもそもPCR検査で陽性だったらどうしていたんだろうという疑問はありつつも「あれ、個室の上に特別室っていう項目あったよな」と思い出し、「特別室の一番安いやつは空いてないですか」(安いやつでもミニマム6万円)とダメ元で聞いてみたところ「確認してまた折り返します」とのことで連絡を待つことに。
空いてなかったら、大部屋かぁ鬱だな手術キャンセルしようかなと思い至るくらいには大部屋が嫌だったわけだが、数時間後「今特別室の10万円のお部屋しか空いていないのですが、6万円の金額で構わないのでこちらでご入院いただけますか」と連絡が来た。目を疑う…いや耳を疑ったのだけど、6万円で10万円の特別室か…いったいどんな部屋なのかワクワクだったのと、入院に対する不安と支払うお金に対する無の感情が入り乱れてきたが、医師看護師完備の高級ホテルに泊まるんだと自分に言い聞かせ、なるほど、これが病院の経営で利益を上げる手法なんだな、学びになるなと思いながら6万円の部屋で渋々承諾した。ちなみにPCR検査の結果は陰性だった。
入院当日、そもそも特別室と個室の違いが、電気ケトルと大きいテレビ置いてるか置いてないかくらいにしかわかっていなかったのだが、入院受付に受付をしに行った。
特別室の驚きは、まずこの入院受付から始まるわけだが、アドオンで1日あたり2,000円出すと一般病棟とは異なった食事が提供されるらしい。怖いもの見たさでとりあえず申し込んでみた。
次に特別病棟に案内された。特別病棟は最上階にあり、直行エレベーターに乗り最上階まで行ったのだが、エレベーターのドアが空いた瞬間、また驚いた。
床がタイルではなく淡いレッド色のカーペットが全面に敷かれており、エレベーターホールにはいかにも王室で使われているような高級そうなイスがずらりと並べてあった。
そして病棟とエレベーターホールには硬い扉での隔たりがあり、扉はALSOKのカードでタッチするか、インターホンでナースステーションから開けてもらわないと開かない仕様になっていた。
「は?ここ病院だよね?」と二度見三度見、そして降りる階を実は間違えたんじゃないかと思い、エレベーターに再度乗るも、入院する病棟の階に間違いはなかった。
昔、別の疾患で別の大学病院の大部屋に入院したことがあるのだが、その記憶が嘘のように思え、エレベーターホールで頭を深く抱えていたところナースステーションから固く閉ざされた扉を開けて、看護師が来た。
「ご入院でございますね。ご連絡承っております」…「承っております…?」何かの聞き間違いかと思った。看護師と言えば忙しさのあまり、悪気がないにせよ患者に冷たくあしらった対応をしてしまうような方もいる中で、「○○様の看護を務める山田(仮名)でございます」と開口一番に言われ、高級ホテルだと比喩したのはあながち間違いではなかったのだなと思った。
病室へ案内され、病室の説明を受けた。病室自体にツッコミたいことが山程あるが、「看護のリーダーをしております。何かありましたら、お気軽にナースコールでお呼び出しくださいませ」と言われ、頭を下げて病室から看護師が立ち去っていった。
「お気軽にナースコール…?」ナースコールって気軽に押していいものなのか、これは押すなよというフリなのか、と頭の中で葛藤をしていたが結局押さなかった。手術が終わるまでは。
そして病室自体のツッコミだが、病室自体もそうだが、病室までの廊下にはコケシ(?)が置かれていたり、吹き抜けがあったり、病室の扉も内鍵が付いていない以外は、さながら高級ホテルのようだった。なお、外側からは鍵をかけられる仕様になっているため、コンビニへ行くときは病室に誰も入れない。鍵はナースステーションで預けるようなシステムだった。
なお、病室にはクローゼットもあるし、収納もたくさんある。いや、こんな収納使わないけど…。そして部屋の奥に佇む1つのべッド。広い部屋の中にポツンとあるベッド。
さぞかしふわふわで柔らかいんだろうなと腰をかけたら、やはり病院のベッドは堅く、しばらくの間首が痛かった。部屋はゴージャスなのに、なぜ病院のベッドは…
ところで、今回10万の部屋になってしまったわけだが、これよりも上のグレードもあり、そのグレードの部屋はALSOKを使わないと入れない仕様になっていて、その部屋の目の前はナースステーションになっていたので、
緊急事態でもすぐに対応できるような造りになっているのだろう。そして、こういう部屋を使うのはおそらく要人とかなんだろう。永遠にご縁はないだろうが。
有名政治家、芸能人やどこか有名上場企業の社長が一般病棟ですれ違わないのは、こういった特別室という概念があるからなのかと腑に落ちた。
申し込んだ特別室専用の食事だが、デザートにパイナップルが出たり、キウイが出たり、ハーゲンダッツが出たり病院食とは思えないほど豪華で美味しかった。なんなら不摂生な毎日の食事よりも健康的で美味しく食べられる。
手術当日、担当看護師がオペ室まで案内してくれた。そういえば大部屋って案内されないで、自分で行って勝手に受けてねだったような気がしたが…。特別室だからなのか、それともこの大学病院の方針なのか定かではない。
全身麻酔だったということもあり手術を終えた当日の記憶が若干曖昧ではあるが、痛すぎて鎮痛剤をもらうためにナースコールめっちゃした。ごめんなさい。
点滴を交換する際に、看護師が部屋を訪れるわけだが入る時にノック3回して「今よろしいでしょうか?」と確認してくれる。すごい。ちなみに消灯時間を超えたあとはノックなしに勝手に入ってくるので、めちゃくちゃビックリする。ちなみに、部屋の電気をすべて消したあとは、携帯ライトで点滴を交換しているようだった。
主治医が来たり、当直医が来たり、看護師がバイタルを測りに来たりと、あんまり気は休まらなかったが、大部屋よりかはのんびりできたのかもしれない。
結局ゲームを持っていったのに痛くてゲームどころじゃなく、スマホで朝から晩までずっとTikTok見て過ごしてた。
---
そんなこんなで退院日になり、退院の準備を進めていた。手術代よりも病室の差額ベッド代のほうがもちろん高くて目ン玉が飛び出た。
そして特別室の患者は特別らしく、専用の紙を受付に渡すとどんなに並んでいても割り込みで支払いができるシステムになっている。
他の待ってる人に申し訳ない気持ちが込み上げてくるが、上級国民はこういったのが日常茶飯事なのかと思うと本当に格差ってあるんだなとしみじみ思いながら、割り込みしつつも、大人のクレジットカード分割払いで会計して家に帰った。
会計料金はお察しください。
---
まさかここまで反響があるとは思ってませんでした。退院祝いに大量飲酒しながら書いたので稚拙な文章ですが、こういう世界もあるというのが伝わってよかったです。
ちなみに、特別室に泊まるともれなく大学病院のアメニティが無償で付いてきます。入院時の持参物でティッシュやシャンプー、トリートメントなど書かれていたので持っていったのですが、アメニティや特別室そのものに付属されていて、持ってく必要なかったなと若干後悔しました。
あと、面白かったのは、特別室の患者のみ新聞を取ることが許可されていたり、今でこそ不要ですが、はてブにも書かれていた方がいるように外部との連絡手段としてホテルにあるような電話機が設置されていたりしてました。
部屋のイメージは、はてブで既に比喩されている方もいらっしゃいますが、私が泊まった部屋は、ドクターXに出てくるいわゆる特患向けの部屋が広さと見栄えがイメージとして近いです。私自身も入院するまではドラマの世界だけだと思っていたのですが、そうではなかったようです。
ただ、ドクターXのように大門未知子先生が唐突に入ってくるような構造にはなっていないので、これは現実とはかけ離れているなとは思いました。おそらくエレベーターホールのALSOKで医師・看護師の入退室は管理されていると思います。
書くのを失念していましたが、もちろんトイレと浴室付き、独立洗面台付きの特別室でした。特別室によっては前室やキッチン付きの部屋、またはてブに書いている方もいらっしゃいましたが、病院によっては執務室や会議室が備え付けのところもあるようです。
ちなみに、浴室・トイレに鍵をかけられないのと、浴室やトイレのあちこちにナースコールボタンが設置されているのは、やはり病院だなと思いました。
入院中あまりにも暇で調べていたのですが、予約診療っていう概念があって、お金を払うことで(しかもワンショット2万円前後)一般患者と一切顔を合わせないで決められた枠内の時間での診察から調剤まで一気通貫して行うサービスを提供している病院もあるようです。こういうサービスの恩恵を受けるのは、まさしく要人といったところでしょうか。
医師からのサービスの質に関しては、一般患者も特別患者もあまり変わらないのかなというところです。当直医の方はすごい無愛想でしたし、主治医は毎度丁寧な喋り方です。ここは医師によるのでしょう。
看護師からのサービスについては、一般病棟よりも優れているなとは感じました。ただ、医療明細書を見ると「特別看護点数」が取られていたので、この点数から看護師たちの教育は一般病棟とは異なっているのかもしれないです。ちなみにホテルマンの如く、キャリーケースは看護師が率先して運んでくれたりしてくれました。
妻のゲームのプレイスタイル対して自分はどうしていけばいいのか悩んでいる。
妻はネタバレが嫌らしい。だから、同じゲームを夫婦それぞれやっていると俺が先に進むことで、展開を知ってしまうのが嫌だそうだ。
エアコン代バカにならないからね。2人とも纏まって居間で一緒に過ごすことが多いしな。Switchの携帯モードでも音とか気になっちゃうんだろう。
自分はネタバレとか気にならないタイプだったので「なるほど、そういう人もいるよな」と気付かされた。それはそれは申し訳ないことをしてたな、と妻がゲームを先にプレイしてある程度進んでから俺が始めるようにした。
だが、妻はネタバレが嫌なのと同時にいわゆる「ゲームを終わらせない人」なのだ。
面白いゲームほどラスボスの前などの佳境に入るとそこから先に進めるのを止める。
彼女曰く、「クリアしてしまうとそのゲームの世界が終わるような気がして寂しい」とのことだ。
その感覚は自分は正直わからないが、なるほどそういう人もいるよな、と。余韻に浸り続けたい(?)みたいなもんかな。
でも、我が家では妻より先には進められない。妻が途中でプレイを止めることで自分がクリアができないタイトルが増えていく。
「このゲーム辞めたの?」と聞くと「今やってる最中、そのうちクリアするよ」と。
そして、次のゲームを始めているのだ。
妻の「そのうち」を待ってる間に自分がそのゲームをやらない日数が重なり積み上がっていく。
多分パルキアかディアルガあたりとのイベントが発生するであろうアルセウス
姫さんを救い出せないBotW
結末を知れない13機兵防衛圏
「楽しみー」って話題にしてるエルデンリングもホライゾン2も多分そうなるんだろな。
流石に時間が空くとプレイ熱が冷めるし、クリアしないのも気持ちが悪くて「先進んでいい?」とイヤフォンや携帯モードというご配慮装備でお伺いをたてるが、投げやりな「どうぞ」共に不機嫌になる妻。
どうしたらいいんだ。
俺がゲームしていること自体には不満はないみたいだが、そもそも目の前で誰かが先をプレイしてること自体が気に食わんのかな。
春よはよ来い。暖房要らずで別室で過ごしたい。
そのうち友達もどこかの本で読んだのか分からない話をしてくる。
やれ墓場の前で息を止めなきゃ連れてかれるだの、うちの学校は昔墓場で音楽室に云々。
今思えばくだらない話をしていたんだけど、
ここで強迫性障害が加わるとですよ、元々オカルト嫌い(姉が好きで見ていたが、私は怖くて一人になれず、横でストレスからくる腹の気分の悪さにやられていた)が酷くなり、
マイルールもなぜか作ってしまい、そのルールがアラフォーの今でも解けることなく今に至っている。
今でも墓場や葬儀所の前は携帯機器はポケットにしまうし、息も止める、謂れのあるところは避ける、同じ道は通らないとかクソみたいなルールから逃れられない。