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はてなキーワード: 80年代とは

2012-12-13

イメージだけで語っちゃうはてサ

子連れ狼原作等で有名な小池一夫に「業界に多大なる貢献をしたのかね?とてもそうは見えないけれど」とヤマカンが噛みつく

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.kajisoku.org/archives/51823388.html

y-mat2006 マンガ

でも、80年代になってから小池氏って村塾とかでの後進の指導以外、あまりぱっとしていないような気が。昔はすごかった校長先生ポジションって言うか。 2012/12/13

あーあ・・・

2012-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20121210110316

どうかね。

小泉竹中が導入したのは結局金融バブルを利用しての見せかけの経済成長で、それもリーマンショック以後世界的にインチキだと判明した。

まあ80年代土地バブルダメだが、今後の流れとしては中流層を厚くしての実体経済の強化ってこったろうな。

2012-12-04

70年代後半~80年代前半にかけての漫画というかオタク文化

エスパー」がもてはやされていたのがよくわからん

当時のオタク達はそこに何を夢見たのだろう

2012-12-03

フィリップモリス日本のおまけ戦略がかなりヤバい件テスト稿】

さっきコンビニに行ったら、フィリップモリス販促什器にあろうことか「景品用」シールの付いた豚キムチスーパーカップがズラリ。

煙草販促用景品に、195円のカップ麺ってやりすぎじゃねぇの? まぁ所属店舗じゃないし、腹も減ってたから、買うけどさ……。

煙草を買うと一食浮かせられますよ、ってそれどうなのよ、とは思います喫煙者としても。

さすが米系企業、俺ら喫煙者というものをよーくわかってんなぁ、と思いつつも、自分所属店舗にもコレ、同じ便で来ちゃってるんだろうな、と考えると、ふたつの意味で背筋が寒くなりますよ。

なんで背筋が寒くなったかというと、ひとつめはニコチン中毒と食欲を同時に満たそうってオマケはホント非道だなぁ、ってのもあります

プラス

このプロモーション仕掛けたヤツは公取法も喫煙者の習性もある程度わかってるけど、コンビニシステムはどっかのサプライチェーン本部で一通りの理想論講習受けただけじゃねぇの、って点でして。

わかりやす普通オフィスで喩えますとコレ、「あなたデスクの上に取引先がでっけぇ正体不明な箱なんぞムリヤリ積み重ねくさって、いつ返送したらいいですかって訊いたら生返事しか返さねぇ」状態。それが全国のコンビニ(のバックヤード)で多々発生してる、っぽいんですよシステム考えると。規制緩和だか何だか知りませんけど、今年の春先あたりから、どうもおかしフィリップモリス

地域煙草流通会社から押し付けられるタバコ販促什器カウンター前に置いてある紙製のアレです)+プラスおまけ商品って、ぶっちゃけ邪魔なんですね。

スペースのみならず、管理も伝票処理も。結構

店舗単位レイアウト計算して送ってくる程、流通さんには人数居ないし、とはいタバコメーカー流通・チェーン本部(場合によっては店舗経営してる法人)へとバックマージンなり何なり入ってるかもしれない状況では、無計画に送られてきてイーカゲンに回収されるタバコの紙什器+オマケの類が余りまくるんです。

ンなモン置くぐらいだったらコンビニ一番くじとかあのへんのほうを置きたいって本音もあります。あれなら小学生に売っても官憲に怒られませんし(二次元中毒性について煙草比較したいけど、これはまぁほっとく)。それに俺オタだし。

ただの紙什器に関しては店舗の売場管理という裁量でどかす事もできますが、問題になるのはオマケ(ライターとか小銭入れとか使い捨て灰皿)。これたいてい煙草流通会社資産(景品だから商品じゃなく所有物)なんで、通常の返品処理でコンビニチェーンの集配センターには戻せず、確か紙の伝票書いて煙草流通会社の便で返送しなきゃなんねーんじゃないかと。

要するに、専従者(オーナー夫婦とかFC会社)の人間寝不足オして紙の伝票切らないと、どかせない。よっていつまでもコンビニ倉庫で埃カブり続けたりも、する。喫煙者かつバイトな俺ですら、「邪魔だぼけぇ」と時折悪態をついてます。15年前にはじめてコンビニバイトした時代から全然進歩してないんですよ煙草販促関係だけ(このへんは書店とよく似ている)。

そもそもジャストイン・ジャストタイムを是としているコンビニ取扱商品の中で、あの一区画だけ、昭和な酒屋と同じノリで押し付けられて、しかもヘンなとこだけ80年代レベル電子化してるから、まーコンビニの超合理化済み運営システムとはソリが合わん合わん。

結果として犠牲になるのは、我々従業員のロッカースペース&限りなくゼロに近いオーナー睡眠時間、っていう。

ロゴ入りライターとかの小物なら、まだいいですよ。

確か夏ごろからフィリップモリスのおまけはネジが飛び始めた。予算ついた上にヘンな代理店の口車に乗ったんでしょうけどね。

KOOLナチュラルに付けた「景品用」シール付きの350mlエビアンボトル。オマケにしては余りにデケぇし重い。しか臭い移りの危険性アリで気を遣う。

7月にバックヤードに置かれたアレ、ミニマムな話で言っちゃうと、今月に俺が自店で先輩従業員にPOS打って貰っててめーで買い上げて、ようやっとどかせたんですよ。あの煙草自体はマズくはねぇしどちらかと言えば好みの味だったんで、まぁいいですけど。

で、調子に乗って今月からカップ麺をおまけに付けてください、と押し付けてきた。

あのね、こんなでけぇモン大量に持ってこられても、置く場所店頭にも倉庫にも、たいていのコンビニにはもうないの。通常のカップ麺と同様の取扱留意事項守りながら扱えって、そりゃぁ横紙破りですよ、店舗と営業マンの信頼損ねかねんですよあのシビアな集配スケジュールじゃ。

ねぇ、流通さんとフィリップモリスさん?

そんなワケですから、あのへん担当してる代理店かどっかの偉いさんは、そのお花畑な脳内リフレッシュすべく主要コンビニ全チェーンをお遍路よろしく半年づつ時給780円で経験しやがってください。いいですね? ばかー!

煙草なんて吸うのはド底辺だから『LARKを吸って一食浮かせよう』ってどうだねチミィ」

「素晴らしくエクセレントなご提案で御座います部長ォ! ご発言メモメモ靴ナメナメ~!」

ってなやりとりがあったんでしょうし、ブログ如きでグチってもなーんも変わらん、のですけどね。

こっから先、大昔日本では煙草ガンガン付けられたオマケ商法によって煙草未成年ダメ規制が始まったっていう歴史的経緯とかそのへんの話もしようかと思ったんですが、なんかこう販売店従業員レベルでの無力感とかアレ見た嫌煙様のエゴトークとか目にする事考えたらイラときた。

だもんで吸うよ。D-Spec処理されててそこそこウマいキャスターマイルド、をナ!

2012-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20121201191413

企業が無借金で金を溜め込んでいても、金利投資に影響する。

企業は溜め込んだ金をただ現金で寝かしているわけではなく、銀行預金にせよ国債投資にせよ何らかに投資している。

あくまで、お金を使って設備投資した場合収益お金を預けて利息をもらった場合収益のどちらが得かを比較して、前者が得になる分だけの設備投資を行う。

実質金利が高どまりして、銀行預金国債投資利益が相対的に高まっている時には、設備投資は少なくなる*1。

このように金利企業投資行動に影響するということは、金余りの時代だろうがなかろうが関係がなく成立する。

言い換えれば、溜め込んだ金からの調達にしてもコストゼロではない(その分を国債などで運用すれば得られた金利収入を諦めるという機会費用が掛かっている)ということ。

だいいち、インフレを起点として利益が2%増えたとしても、通貨価値が2%下がっているので、それは利益ではない。数字マジック

以下の部分は、実質金利の影響について考えている考察においては無関係。すべてインフレを調整した上での話。

インフレで調節した実質金利が、デフレの時には高どまりしてしまうという議論であることを確認して欲しい。

特にインフレによる(額面での)利益の増加ではなく、実質金利の低下によるコスト減での利益の増加の話であることを理解して欲しい。

先進国殆どデフレ化しているという事を考えると

ただの事実誤認。一時的な物価の落ち込みを除き、先進国デフレが起きているのは日本だけである

名目金利が負になれないという制約から実質金利が高どまるという問題を解決するのに必要インフレ率は先進国でも2%程度あれば十分。

日本以外の先進国は概ね平均的にこの水準のインフレを達成しており、デフレ化などしていない。

なお、本当に金余りの時代が続いているのであるならば、余っているお金価値は低くなっていっているはずでありデフレにはならない。

デフレというのは人々の求めるお金に対してお金の量が足りない状況が続くと思われていることを表している。余る余らないは、あくまで需要供給の相対関係なのだ

まり現在は金余りではなく金足らずの時代であり、それが続くと予想されるからこそ企業家計必死現金や換金性の高い預金国債などの資産を溜め込もうとしている。

追記

80年代から比べると実質金利は下がっているので高どまりしていないというコメントを頂いたが、均衡実質金利経済の需給を均衡させる実質金利)と比べて実質金利が高いままになるという意味

高どまりという言葉を使っている。80年代のように均衡実質金利が高い時代には実質金利は高くてもそれで経済の需給は均衡する。

一方で、現在のように均衡実質金利が低くなっている時には80年代より低い実質金利でも経済の需給を均衡させるには高過ぎるということになり、投資抑制される。これが高どまり

均衡実質金利が-1%を下回ることが頻発している*2現在、最低でも1%のインフレ期待がなければ名目金利ゼロであってさえ実質金利が均衡実質金利を上回る事態が頻発する。

均衡実質金利が-2%を下回ることも数度あるので、余裕を見て2~3%のインフレ期待があることが望ましい。

追記2

銀行に対しての融資相談のもの現在でも多くある。決して企業の事業投資案件自体が少ないわけではない。お金の量が足りない状況が続くと思われているから、

企業は事業投資に回すよりも現金や換金性の高い預金国債などの資産を溜め込むことを優先し、銀行側も融資という資産ではなく換金性の高い資産を保有することを優先している。

これは金足らずの状態。



註1:デフレが深刻な場合には、金利の付かない現金当座預金という形で持っていてさえ、デフレ現金実質的価値が増えるという予想が強まれば設備投資が少なくなる可能性がある。

註2:http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2012/data/wp12j03.pdf

2012-10-12

中二病アンセムを集めてみた。

中二病でも恋がしたい!」のお陰であちこちで中二病定義論争が最勃発している。本来は思春期自意識過多の事だったんだけど(ついでに言うと罵倒語でもなかった)、単なる痛いオタク少年中二病呼ばわりしてバカにするというはてなキーワードから始まった傾向が、ネット中に広まった。

有村悠氏は80年代小室哲哉TMN中二病アンセムとし、id:tunderealrovskiTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT中二病アンセムとして扱っている。そこで「思春期少年自意識をいい具合に刺激する音楽アーティスト」を収集してみた。

最近的な意味での「邪気眼中二病」は意味が違ってくるので、アニソンボカロは除外。

THE BLUE HARTS「青空

http://www.youtube.com/watch?v=6ssiTuXTNnU

80年台のバンドブームといえばTMNでもBOOWYでもユニコーンでもなく、ブルーハーツこそ中二病アンセムだと思う。リンダリンダ情熱薔薇など、どの曲も名曲だけど、歌詞の力を考えるとこれが一番だとおもう。

電気グルーヴ「NO」

http://www.youtube.com/watch?v=0vJ2JChBLmo

学校ないし家庭もないし暇じゃないしカーテンもないし」、80年台がブルーハーツとしたら90年代電気グルーヴ。閉塞した時代青春をそのまま歌詞にするとこうなる。

筋肉少女帯蜘蛛の糸

http://www.youtube.com/watch?v=o58zjQZY4JI

ナゴム系は中二病アンセムの宝庫。これを歌ってた頃の大槻ケンヂ中学生向けのラジオをやって、中学生向けの曲を書いていた。

The Flipper's Guitar「恋とマシンガン

http://www.youtube.com/watch?v=49FIk8nPybw

渋谷系は「俺はあいつらとは違う」という、90年代中学生ハートをがっちりつかんだ。麒麟川島曰く「クラスの一軍は小室、二軍は渋谷系」と言っていた。一方で伊集院光本人は渋谷系を「お洒落軍」とディスってたけど。

BUMP OF CHICKEN「K」

http://www.youtube.com/watch?v=Ee_QaBjj08c

80年代TMNブルーハーツ90年代ナゴム系と渋谷系だとしたら、ゼロ年代バンプ。「ノーヒットノーラン」「ダイヤモンド」「バトルクライ」など、インディーズ時代がとくにおすすめ

RADWIMPS「有心論」

http://www.youtube.com/watch?v=c2y8Ba3WwPY

バンプチルドレンということでRADWIMPS

Mr.ChildrenES

http://www.youtube.com/watch?v=r--H06eNrRY

ミスチルなんて中二病からもっとも程遠いリア充が聞く音楽の代表のはずなんだけど、桜井和寿氏は結構中二病的な歌詞を書く。伊集院光から影響を受けているんだから当然か。

神聖かまってちゃん友達なんかいらない死ね

http://www.youtube.com/watch?v=k-4kmxytbbU

2010年代神聖かまってちゃん相対性理論時代AKBにも嵐にもももクロにもボカロにもうんざりしている少年少女の受け皿になってくれればいい。ただ、ファン層は20〜30代っぽいけど。

多分人によって「いや、これこそ中二病アンセムだ」というものがあるだろう。そういうのをおすすめしてもらえるとありがたい。

2012-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20120930232425

言いたいことは何となく分かるが、たとえ話が見当外れだからそのたびに説得力ゼロになってるんだよ

正直、iPhone流行った。iMac流行った。デザインというブームは来ていることはきてるだろ。

個人用のガジェットは、な

大型テレビなんて専ら家の中の共用スペースに置く家電製品とは求められる価値観が違う

お前のiPhoneリビングの壁にボルトで固定されてるのかも知れんが、普通はそんな使い方しないんだよ

家電だって、黒の中ではデザインが 高級品は 洗練されるようになっただろ。

そもそも洗練されてる高級品って何よ?

とりあえず大手テレビメーカーサイト一通り見回って「これ」と指定してみろ

ちなみに販売台数の世界シェア順は、サムスン、LG、ソニーシャープパナソニック

ある意味、黒は明日、白は1週間後とかでも いいじゃないか

からそういう見当外れなたとえ話するから全然説得力無くなるんだよ

テレビのベゼルを毎週のようにドライバー回して取り替える物好きがお前以外に何人いると思う?

高級志向テレビに何十万何百万と出せるようなクラス人間がそんな事するのか?

お前の言う「着せ替えテレビ」を作ったとして、この機種は着せ替え機能があるので他のテレビよりちょっと高いです、なんてマヌケがお前の望む「挑戦」なのか?

いからといって、デザインが無い無骨なのは・・・あんまりだ。

繰り返すが「洗練された高級品」と「無骨な安物」をまずは並べて見せろ

お前の言葉の端々から80年代匂いがする

日本家電業界を駄目にした経営者らと同じ匂いだよ

2012-08-24

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20120823174658

azure-frogs 日米貿易摩擦下のアメリカかよ、しょーもない 2012/08/24

iaskell 書き捨て おいおい80年代アメリカか 2012/08/24

あれでアメリカが制裁的関税とかを持ちだして日本メーカー圧力かけまくった結果、

日本メーカーアメリカ工場を建てて、アメリカ人労働者雇用が守られたよね。

今でも定期的に中国バッシングやってるし。

あの当時のアメリカの行動は、アメリカ人にとっては正しかったと思う。

2012-08-22

最近女優さんで“隠れ巨乳”という記事を見かけるんだが・・・

たかがCやD位で巨乳とか80年代基準かよ

つか最近ブラジャーは上げ寄せで2カップ大きく見せられるのがある。

綾瀬はるかみたいに実際に水着グラビアやって本当に巨乳なんだったらともかく

水着グラビアがない上戸彩とか石原さとみとかが隠れ巨乳でしたって言われてもインパクト説得力もないっての。

http://anond.hatelabo.jp/20120822110319

  • おとなしくすること
  • 礼儀正しくすること
  • 定められたルールに従うこと
  • 感情を抑えて我慢すること

に否定的な風潮(7-80年代)の中で生まれ育ってきた人たちだからじゃない?

2012-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20120811001058

日本音楽シーンにおいて、ここ数十年で歌唱力のレベルアップは半端ないものがあったように思う。

10年前の技巧派の歌姫は、今のぽっと出アイドルレベルっていうスピード進化をここ数十年続けてきた。

80年代アイドルなんて、素人カラオケ以下。

ところで、ダンスレベルで言うと、もちろん今の方がずっとレベルは上なんだけど、歌唱力ほどの進化スピードはない。

歌い手ダンスはしなくていい、下手でいいという感じで、マイケルジャクソンやブリトニーバックダンサーに見劣りしないレベルに達しているとは思えない。

日本人映像表現センスはいいと思うんだ。

からダンスさえ底上げすれば、すごいものができる。

こんなふうに

http://www.youtube.com/watch?v=oqjIjrWkFkQ

2012-08-07

70、80年代青春っていうと、何となく音楽に連なったイメージが浮かぶのだけれど、それ以降の年代にとっての青春って何なのだろう。

巷に溢れている青春小説を読んでると、昭和後期の描写が出てきたりするんだけど、わからないことが多いんだよね。

私は平成世代で、つまるところゆとり真っ只中なんだけれど、その人達にとっての青春年代で言えば、90年代青春ってものの具体像がつかめない。

もっと言えば、2000年代青春もわからない。現代小説でもサブカルちっくな漫画でもファッション誌や音楽雑誌ネットでもなんでも使って探してみればいいのだろうけれど、めんどくさい。

そもそも、90年代青春期として見られていないようにさえ思える。そんなことないのかもしれないけど。

私達の青春って一体何だったのだろう。テレビ? アニメ? ゲーム? 今の子インターネットなんだろうか。

音楽史とか分野別に見ていけばぼんやりとした若者文化構造が見えてくるのかもしれないけれど、これといってパンチのある特徴がないような気がしてならない。

言い換えれば、そんな多様性、無個性こそが特徴なのかもしれないけれど、ありとあらゆる事柄が先鋭化していって、その結果希薄化しているような気がする。

2012-07-20

意外

id:REVさんのコメントが少々意外だった。

東方Projectを語るなら東方紅魔郷くらいはクリアしておいて下さい」と言われると困る。クリア出来ない。語らないからいいか

http://b.hatena.ne.jp/REV/20120718#bookmark-102233422

ここで「クリアできない」は常識的な意味とする(たとえば、そもそもプレイしたことがない/持ってない/初見クリアできない、などという意味でない)。

氏は現役(謎)でないにせよ、専門(?)でもなさそうにせよ、昔(80年代末~90年代とか)は教養程度には一通り嗜んでそうな印象がなんとなくあったので意外に思えた。

2012-06-21

ギリシャ20人と話しました おしまい

http://anond.hatelabo.jp/20120619092231

http://anond.hatelabo.jp/20120620163842

ガルIMF専務理事ギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本ウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないかギリシャはいい加減だ」というものばかりでした。英語圏ニュースサイトでは、もちろんギリシャ罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街反グローバリズム視点からIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金ほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外ニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます

こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家なのだなあと感じます海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。


ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府行為ギリシャ国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。

ギリシャ政府負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。

しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています

この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。

それは通貨ユーロと、財政の不統一というEU構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。

ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアスペインのように、危機に陥ったかも知れません。


構造的な原因としては、バブル化した資本サプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります

ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブル引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードゼロ年代世界的なバブル引き起こした可能性が強いと私は見ています

日本機関投資家金融機関サブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。

金融セクター投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本世界市場供給されていますドイツ銀行が、フランス銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカ証券会社ギリシャ不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。

ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います


今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか想像してみるべきでしょう。

国家会計不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党つけました。彼らなりの正義感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。

これは大きな譲歩であると言うべきです。


それでもギリシャの先行きは暗澹たるものです。

オーストラリア医療関係者オーストラリア移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さら半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資必要になりますギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療崩壊は目前に迫っています

ギリシャプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。

この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣考慮するのかも知れません。

2012-06-20

とある日記に、以下のような言及があって。

アニメに対して「クール」という表現をするようになったのは最近ですよね、という話

いや、それはぜんぜん違う。自分アニメを見ていたのは90年代前半までだけど、クールという言い方・考え方はあった。上の世代も使っていたから、多分80年代にもあったのだろうと思う。別に今更アニメがどうとかいうつもりはないけど、さすがにこれは無理な主張だと思う。

って、同じようなことをコメント欄で指摘している人がいるのにスルー

そういう時は「え。そうなんですか!それは知らなかった。ありがとうございますちょっと変なこと言っちゃったかも。てへ」とかいっとけばよくて、そういう赤面話っぽいもの自分にも何度もあったけど。まあ、年を取れば自分若さ故のあやまちを素直に認めるのもどんどん楽になる。むしろストレートかつ素直に認められることが却って清々しくなっちゃう。

学生さんなのかな。そうだとしたら先行研究真摯に調べないとだめだよ、とか他人事もいいところながらちょっと心配になってしまう。サラリーマンなら、とうの昔に先人によってひと通り試みられた挙句に廃棄されたアイデアを「新規です」とかいって持ち出さないようにね。

2012-06-19

日本大学に、『教養』を取り戻そう は教養に対するdisである

これらの記事(日本の大学に、『教養』を取り戻そう, 「頭がいいけど『世間』に弱い」理系の大学生)は, つまるところ「教養とは役に立たない糞だ」と言っている.

過去教養と, 今新しく定義したい教養を同じ「教養」という言葉表現しているから非常にミスリーディングになっている.

過去教養

これらの記事における過去教養とは何か? それは

旧制高校では、ゲーテを読んだりカントを読んだりして、学生は、理系文系にかかわらず、徹底的に「教養」武装をしていたのです

とあるように, 使いもしない知識をおしゃれのために身につける行為だ. これは私たちが糞だと思って葬りさった文化で, 記事の中でも糞だと言及されている

そんな時代に求められる「教養」とは、昭和大正時代のようにトリビアルな知識をたくさん持っていること、ではありません

まり, 私たちが通常「教養」と認識してるものは糞だという点では, 上田さんと私は共通しているのだ.

現在教養

じゃあ, 現在教養とは何か? それは金を儲けられる能力に他ならない. 章題の『新しい時代は、「教養」こそがビジネスにつながる』からもそれは読み取ることができるし,

・「決められた枠組み」の中だけで「できる人間」や「専門家」は、新しい時代には対応できない、新しいアイデアが出せない「使えないやつ」となってしま

・世の中の半分は女性ですし、市場教育もむしろ女性が主導権を握っている

ともある. つまり, この記事は徹底して「金を儲けよ. 金に向かう能力をつけよ」と述べているのだ. この従来の教養真逆概念教養と名付けてしまうあたりが, とんだおしゃれさんである.

まとめ

上田さんの主張は現在トレンドとなっている価値観(拝金主義)に従ったもので, 取り立てて新しい価値観を提示しているわけではない.

から, 従来の価値観ベースに「こうやった方がもっとうまく稼げるよ」と言えばいいものを, 何故か価値観の転換が必要であるような論調にしており無駄な反発を招いている.

まあ, 「教養は金を稼ぐ手段だぜー!!!」と言ってもナイフが飛んでくるだろうけど.

おまけ

なぜ2つの教養に同じ言葉を使ってしまたかというと

そのひとの全人格的なものを背負った上での「かしこい」「おバカ」にかかわるもの、それが「教養

という定義から出発しているからだろう. これは前後の文脈から推察するに

教養を持つ人とは, 他者から総合的にかしこい」と思われやす能力を持った人である

と読める. そして教養定義の変遷とは

80年代以降は、教養よりもはるかに重視されるものさしが現れます。「お金」です

からも読み取れるように, 雑多な知識の有無よりも金銭獲得能力で評価した方が, その人の総合的なかしこさを評価するのに適切だと判断する時代の流れから来るのだろう.

この点では, 2つを同じ教養という言葉表現するのは一貫性はある.

内部告発の件は知らない

2012-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20120610180412

未来のある仕事じゃないと人材は入って行かない。

チェルノブイリによって原子力産業80年代から90年代にかけて冬の時代だった。

また当時は化石燃料が安く安定的に供給されていたというのも大きい。

アメリカなんてこのまま行けば原子力石炭火力に駆逐されると思われていた。

原子力が輝きを取り戻したのはCO2排出による地球温暖化が問題視されるようになったから。

どれだけ理屈を付けたって火力発電は原子力発電の何十倍ものCO2を出す。天然ガス発電も石炭石油に比べ比較クリーンというだけだ。

2000年代に入り新興国の成長によるエネルギー需要の増加から化石燃料価格がジワジワ上がり始めた。

これらの要因によって、原子力って結構行けるんじゃね?それどころかCO2削減目標を達成するには原子力を推進しなきゃダメじゃねということになったわけだ。

そのおかげか、2000年代以降、原子力分野に若い人材が少しづつだが入り始めた。

福島第一の事故はその矢先に起きた。

これは強調してもしすぎる事は無いのだが、反原発派は廃炉にもエネルギー問題にも、全くなんの役にも立たない連中なんだ。

反原発派が廃炉必要な機材を設計するかといえばしないし、エネルギー問題を解決するための研究をしているかと言えばしていない。

大阪で橋下に取り行って関電のやることなすこと足を引っ張りまくった連中を見てみろ、あいつらが一体何の役に立った?

2012-03-01

今月の出版状況クロニクル批評

■冒頭文

この著者はいつも「欧米出版物の発行額が減ってないのに、日本だけ減ってる! 日本は異常!」と言ってるが、本当にそうか疑問がある。

日本大衆にまで出版文化が広まった数少ない国であり、その移り気な大衆が今インターネットに移行しているというだけの話ではないだろうか。

一方の欧米ではそもそも日本ほど一般大衆にまで出版文化が拡がっていない。

人口あたりの出版物発行額を見れば一目瞭然で、つまり日本80年代00年代出版バブルだったというだけの話である

バブルが弾けて、書店が潰れ、発行額が減る。当たり前の話だ。

それをこの著者は「失われた○年」などと大仰に語る。

著者が地場中小書店立場でのポジショントークに堕しているとしか思えない。

■1:出版科研の売上推移

単なるバブルの崩壊の図だ。「表出している出版危機」などではない。

■2:コミックの売上推移

月刊誌週刊誌は半減しているが、コミック自体は健闘している。ブックオフなどがなければもっと良かったんじゃね?

という分析は正しい。

まあ、80年代からずっと売れ筋コミック書店を支える構図はあったから今さらではあるが。

■3:ナショナルチェーンの地方への大型店出店

この項目はひどい。

大型店が地方に出て商店街シャッター通りになるなんて事例は山ほどある。その書店版が起こっているだけという話。

品揃えも悪く、不便で、綺麗でもない店が潰れるのは単なる淘汰の結果であって、当たり前のこと。

むしろ消費者にとっては歓迎すべき事柄である

しかしこの著者は「大型店はいかん!」と言うばかり。著者がひいきにしてる中小書店は潰れるかもしれないが、それは健全競争の結果でしかない。

また、「大型店が出来て小商店を潰すと全体の売上が減る」というトンデモ理論を展開している。

イオンが出来るとその地域食品需要が減るか。減らない。

大型書店ができても、その地域出版需要は減らない。

出版物発行額が減少してる問題と、この問題は全くリンクなどしていない。

■4:新文化座談会

中嶋の「定価10%増・書店マージン6%増」という提案は書店の苦境を救うにはいい提案だと思う。(ナショナルチェーンが更に元気になる結果となり、中小書店が増えるわけではないが)

あとは再販制が崩れた際に、大型店に対抗する形で、コンビニ型の「やや高いけど近くにあって品揃えも新鮮で綺麗で明るい小さな書店」という業態が成り立つ可能性はあるかも知れない。片岡の言う「生活圏の書店」というのはそういう方向になるだろう。

■5:あずまんが日経に書いた文

書店の知の機能」などという、現状が全く見えていない論点ボケボケの文章なのでスルー

このクロニクルの著者もあずまんの文の内容については完全スルーしているところが可笑しい。

■6:東京都書店商業組合の提案

もういいから時限再販・買切にしちゃえば、って話。

もちろん時限再販・買切の世界がやってきたら、このクロニクルの著者が肩入れしてる中小地場書店はより激しくなる競争に勝ち残れずに潰れるけどね☆

ただ、提案の3にある付録の件は地味に意味があると思うし、4については新古書店問題も絡めて警察連携して取り組むべきだとは思う。

■7:取次の立場

日販社長なら2/12の話なんてどうでも良くて、2/23日経の「買切を増やす」って話の方が100倍も重要だろうに。

なんでそっちはスルーして2/12の話を書いてるんだろう?

2/23日販社長から示された

 (1)書店売上総利益率を35%と約10ポイント高くする代わりに、返品する場合の返金額は仕入れ代金より低くする

 (2)一定期間がたてば書店が小売価格を決められる(時限再販)一方、その後は返品を認めない

 (3)書店の取り分を厚くして、完全買い切りにする

あたりの提案についてこのクロニクルの著者は言及すべきだった。

■8:『スティーブ・ジョブズ

紙の部数に比べて電子書籍は4%ってのはまあ現状妥当数字

ただ、個々の書籍の事例は別にして、大勢としては今後この数字が上がることはあっても下がることはないという点が重要

電子書籍の割合が増えれば書店も取次もどんどん縮小する。

電子書籍価格破壊が発生したら出版社も縮小する。

ま、どっちも起きるだろうけど。

■9:出版デジタル機構

これはつまり電子書籍規格の乱立によるamazon一人勝ち状態を防ぐというのと、上記の価格破壊を起こさないようにするためのもの

■10:JPO経済産業省から補助金ゲット

ここは著者の妄想が素晴らしい。

出版デジタル機構出版社を代行し、取次や書店電子書籍卸売りする」とか。アホかと。そんなお花畑みたいなこと考えてるのかとがっかりする。

電子書籍は取次や書店不要にするもの。当たり前。

編集者さえいれば、出版社不要だと思う著者すら多い。

ただ、著者の言う「出版の魅力は許認可でないその自由、民間の知と力によって生じるもの経産省など官の下とかちゃんちゃらおかしい」という主張には心の底から同意

■11:MARC

公共図書館理念なき膨張が書店を潰した」という著者の主張にも同意

あと図書館図書館員図書館担当に異動してきたただの公務員を、貸出数で評価するのはやめるべき。

MARCはどうでもいいが、デファクトスタンダードになってるTRCに統一すればいいと思う。官が税金を使ってJAPAN/MARCごり押しするとかマジ勘弁。

■12:佐藤優司書育成についての文

司書の問題もあるが、上記の通り司書図書館担当公務員を評価するシステムの問題が根本

■13:出版業界スキャンダル

どうでもいい。

■14:月刊誌囲碁』が休刊

雑誌とともに形成されてきた、多くの近代の「趣味共同体」そのものが消えていきつつある」などと著者は書いているが、単にその共同体ネット上に移動しただけの話。

むしろ、雑誌編集してきた人のような囲碁界周辺の「囲碁を見る側のプロ」が減るのが問題だ。ネット集合知代替できる気もするけど。

■15:エロ付録

クロニクルの著者は「何となく楽しい」などとボケ感想を書いて終えているが、これは重要な話題。

出版物の流通経路が、他の流通経路と比べて圧倒的に効率的(返品を抑えられる場合であるという面を見逃してはいけない。

小売価格の70%近くが販売者に入る流通って他にはほとんど無いのだ。

まり、見る者が見れば、出版流通は美味しい経路だと言うこと。これは今後更に利用してくる会社が出てくるだろう。

これは書店が生き残る道の一つかもしれない。

■16:著者の宣伝

過去出版業界について記す人はいてもいいと思うので、まあご自由に活動なさって下さい。

自分自分の書いた文章を「啓蒙的」と言えるセンスは今時貴重です。

http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20120301/1330527651

2012-02-29

http://anond.hatelabo.jp/20120229233349

そんなことはないよ。

一億層中流と言われた80年代までは、中小零細でも専業主婦モデルが一般的だったよ。

専門家の論説なんだから、何も知らない人がどうこう言える話じゃない。

2012-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20120211143458

収益に関するノウハウコモディティ化コンテンツ濫造がさらに進む

・大手プラットホーム(というかモバゲーグリー)に依存しないコンテンツの台頭

ハードウェアの高性能化に伴うコンテンツリッチ化(開発コスト上昇)

・法規制

ゲームとして面白いゲームの台頭

・行き過ぎた経営拡大路線による自滅

この辺が複数同時進行でじわじわと適正な規模に収まると思う。

今は80年代ファミコンバブルみたいな状態じゃないかな。

2012-01-19

フランダースの犬にまつわる救われない話

オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。

フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。

しかヨーロッパではほとんど知られていなかった。

もとは1872年発表のイギリス童話だが、原作者女性ベルギー風俗イギリス人の目で偏見的に描いている。

なにしろ、帝国同士の争いが激しかった19世紀。

イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。

「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」

こんなことをずらずらと書いているのだ。

ベルギーを始めとするヨーロッパで人気が出るわけがない。

その上、本家イギリスでは、運命に抗わず教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。

結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。

ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。

80年代から海外旅行ブームでは、ベルギーフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。

もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。

地元人間すら誰も知らないのだから当然か。

日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりパターンだったとか。

ところが、1982年、大きな転機がやってくる。

ベルギーアントワープ観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。

日本人観光客からフランダースの犬』という物語存在を聞いたことが発端である

生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。

地元を愛し、それが故に地元観光局に勤めた彼。

そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。

だが日本人観光客に詳しいことを尋ねても、

アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」

というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。

今と違ってインターネットがない時代

日本語情報はそう簡単に手に入らない。

街の誰に尋ねても、何もわからなかった。

しかし彼はあきらめない。

「この地方舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」

そう考えた彼は、地元郷土史などを調べ始める。

図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。

欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。

……だが、読み終えた彼はがっかりした。

感動するほどの物語ではないからだった。

実は原作には、最後ネロ天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。

ただただ暗いだけの作品なのだ

原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。

そんな原作者厭世観が反映された作品でしかなかった。

(この原作日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)

日本人からアニメの素晴らしさを聞いていた。

しかしたら、それがヒントになるのかも?

彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオ童話集を取り寄せてみた。

その結果……感動したのだった。

彼は、今のジャパニメーションギークの先駆けだったのだろう。

情熱は、いよいよ膨らむ。

一年半かけて調査を行ない、原作舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。

原作に描かれた運河がスケルト川だったことも分かった。

ついには風車の跡も発見する。

変わり者のコルテールのその姿は、周囲から嘲笑を受けていた。

当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。

だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。

ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。

そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年ネロパトラッシュの小さな像が、ホボケ情報センターの前に立てられた。

除幕式にはアントワープ州知事市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。

風車観光客向けに作り直された。

ネロパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。

ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。

その地域観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。

フランダースの犬ベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。

ヤン・コルテールは『フランダースの犬研究家として知られるようになる。

その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。

研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性石井ヨシエと結婚した。

彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せ暮らしている。







……はずだった。

2008年、彼が妻を殺害した容疑で逮捕されるまでは。

なぜなのか?

コルテールが日本人の妻をもらい、日本ベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。

ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語サイトでは何一つその理由が分からないのだ。

英語サイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。


仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語サイト日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。

その結果、驚くべきことがわかった。

コルテールが妻を殺したのは、妻の浮気のせいだった。

コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。

だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。

彼女帰宅する時には、職場にまで迎えに来る。

もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。

異国の地にやってきて、海外しか味わえない自由を満喫したい日本人女性

彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー男性

だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。

二人の間はギクシャクし始める。

その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。

「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」

秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。

「彼は変わり者だからね。我慢さ」

愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。

ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。

ところが二人の仲は、コルテールに最悪の形でばれてしまう。

二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。

口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。

だが、そのときヨシエは豹変した。

日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事発見したコルテールを怒鳴りつけたという。

「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」

彼女の口は、悪かった。

その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。

何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。

彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。

しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。

コルテールは、一つの提案をする。

それは、最後のお願いとして、彼女日本を一緒に旅行することだった。

二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。

……これ、男にありがち。

男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」

他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。

日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。

それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。

ベルギーに帰国後「自分を自由にして欲しい」と迫るヨシエ。

それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。

そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。

彼女は、職場ベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。

……こと、ここにいたっては、どうしようもない。

この時のコルテールの失望は、いかばかりであったのだろうか。

その時の衝撃は、彼の行動が示している。

コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。

リアルは、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だった。


※プライヴァシー保護のため、一部を仮名にしています

2012-01-06

宇野常寛を批判している人によくある無知、もしくは勘違いについて

ポップカルチャー評論家宇野常寛ARBはいかにもな90年代Jロック(キリ」オレ「ARB80年代なんだが」宇野ぐぬぬhttp://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/237067

この人達勘違いしてるよ。宇野氏ポストモダニスト歴史実証主義への深刻な懐疑が

思想形成の根底にある。

 

南京大虐殺捏造か実在か、戦後民主主義虚妄か否か、好きなほうを信じればよい。」

宇野常寛ゼロ年代の想像力』50ページ、

 

何故彼がこんな挑発的な主張をしたかといったら、歴史実証主義が現代ではもう「無力」だからだよね。

ポストモダンフェミニスト上野千鶴子は、従軍慰安婦南京大虐殺論争に加わった時、

なんとウヨク修正主義者を実証的に批判する吉見義明らを批判した。

 

上野曰く「南京大虐殺はなかった」と主張するウヨクも、あったとするサヨクも、実証主義を使って

己に都合のよい史料だけを見て無限自分正当化し続ける。

そんな土俵ウヨク批判に実証主義者は無力すぎる。それを第三者が見たら、

ウヨクサヨクも同様に確からしくない」という印象を持つでしょう。

 

重要なのは過去を生きた人の身になって想像しようとする気持ちと、物言わぬ「痕跡」の声に

耳を傾けるオーラル・ヒストリーでさ。

戦後生まれのアジア人が、日本軍に殺害された被害者の声を想像して代理できるように、

宇野氏も70~90年代当時を生きた日本人として「ARB」を受容し、語ることができる。

 

ARBを聴いて「いかにもな90年代Jロック」「いかにもな「虚構の時代by大澤真幸)」のロック」と感じた

彼の感想は、1個の体験的事実であって、この印象を他人が抹消することはできない。

物知り顔で「あの時代の空気は~」って説教垂れる老人は、自分の感じた空気感が正しいと

独断している事がタチが悪い。偏った体験とセンスを持つ1人でしかなくなんの根拠もないのに。

 

個別の事実よりも、全体として過去がどのような感じであったかを再構築する想像力が重要でしょう。

相対主義世界で、ロックアニメといった個々のコミュニティ正当化せずに、

色んなコミュニティを見て周り、その上でニュートラルであろうとする誠実な意思が必要でしょう。

閉じたコミュニティから偏見剥き出しの批判に意味はないでしょう。

正しさは正しくあろうとした人物を、未来の人々が正しく判断するでしょう。

   

    

タグARB けいおん! 輪るピングドラム 幾原邦彦 批評評論 ポストモダン

2011-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20111119203554

友達至上主義とか、個性至上主義とか、コミュニケーション至上主義とか、勉強・暗記否定主義とか。

80年代90年代前半までの教育環境は、顕在化してないだけで本当にひどかったと思う。(どの世代でもそういうふうに思うものなのかもしれんが)

勉強学歴については完全にみんなダブルバインド状態に置かれてたし。(勉強するなand勉強しろ)

むしろカリキュラムの面で問題視された「ゆとり教育」世代の方が、議論もあったしまだ救われたんじゃないの?

その一つ上の、いわゆるサカキバラ世代周辺は、その「空気」を否定する言説なんて存在しなかったか、少なくとも学校教室にまで届いてこなかったからなぁ。

2011-11-06

なぜ比較生産費説は失敗しているように見えるのか

比較生産費説は自由貿易を通して富が増加する=豊かになることを説明した理論です

ここでまず踏まえておかなければならないのは豊かになるとは誰が、何に対してかということです。物財の市場における総供給量が増え、需要者、つまり消費者が豊かになるということです

ここのところでの異論はあまりありません。説が唱えられてから既に200年の「実験」の蓄積があるのですから、上記の点については事実として扱ってよいでしょう。

比較生産費説が最近、ホットトピックになっているのは、TTPの問題があるからですが、アメリカでもTTP反対論は根強くあるようです

抗議に参加した人々はTTP協定が仕事環境に与える潜在的な影響に対して注意喚起したかったと言っています

「私たちは雇用を求めるためにここにいます」とロレーヌ・アシュビー(66)(シカゴの南東側からの引退した公務労働者)は答えています

「小さなビジネスを行って、本当の雇用を作り出す人々がここにとどまることが難しくなってきているのですTTP雇用を作り出す人々を後ろからナイフで刺すようなものです

「あまりにも多くの過去貿易協定は普通の人々犠牲にし、ウォールストリート大企業の役立ちました」と彼は言いました。

「私たちは、この地域から海外へ送られた何十万もの給与仕事を見ました。また、私たちが必要とするものは、シカゴで、および世界中労働者生活水準を実際に改善する貿易協定です

http://gigazine.net/news/20111105_tpp_trade/

日本TTP反対派の人たちもこの言い分には深くうなずくでしょう。日本でもアメリカでも互いを敵視しながら同じような言い分を言い合っているわけです

こうした言い分に対し、経済学の人たち、というよりもサミュエルソンっぽい新古典派総合っぽい人たちが、誤謬誤謬もっと勉強しろよって膝寄せて鼻を突きつけているわけですもっとも、その人たちも完全に歯切れがいいわけではなくて、「それは別の話」とか「一時的な痛み」とか、言及している「部分」もあるわけです

それが果たして別の話なのか、一時的な話なのかというのが、本当は問われるべき問題であろうと思います


80年代のレガノミックスは、一般に言われているのとは違って、大規模な財政支出と減税による「需要刺激による」景気刺激策でした。レーガンは言っていることはともかくやっていることは無茶苦茶ケインジアンでした。アメリカはそれ以後、蕩尽的消費社会突入してゆくわけですが、基本的に好景気インフレですしかし実際にはインフレ率はそうでもなかった。需要の増大を上回る供給がもたらされたかです。つまり輸入拡大です。この構造レーガン政権以後、現在まで基本的には続くのですが、では、81年から比較して、「一般アメリカ市民所得」は増えたのかどうかという話です。全消費者の消費可能量が増えたかどうかという話ではないですよ。リカードさんのおっしゃるとおり、全消費者の消費可能量は増えた、つまり市場は豊かになったに決まっていますしかしそれが、「一般アメリカ人所得」の増大につながったかどうかという話です

レーガンから現在までの話ですからね、すでに30年間の記録があるわけです

決して「一時的な話」ではありません。

結果は言うまでもありませんね。「パパはなんでも知っている」の頃は、パパがフルタイムで働けば子供大学に行かせられました。今では、ママも働いて、それどころかダブルワーキングをしても、かつかつの生活をしている人が大半になっています。そういう人たちに向かって、理論は正しい、おまえたちが間違っていると言っているのがサミュエルソンのシッポの人たちであるわけです


比較生産費説の理論完璧さにもかかわらず、どうしてこのような現象が生じてしまうのでしょうか。

答えは簡単で、産業ごとの特性が異なるからです比較生産費説は産業ごとの特性をならして、「単位」扱いするところからまります産業ごとの特性の問題には最初から対処しきれないというか、扱っている領域そのものが違うのです

例えばA国とB国がそれぞれ半導体カカオ豆に特化したとしましょうか。しかしこの両商品はそもそも需要量が違います。必要度合いも違います産業スタートさせる難しさの度合いも違います。他産業を発展させ、雇用を創出する能力も違いますもっと言えば収益性も違うわけです

不安定、低収益、低需要、低波及力の産業に特化した国、つまりモノカルチャーの国が国際経済の荒波にゆられて「豊かになる」どころの話ではなかった原因の根本はここにあります

労働集約的-資本集約的、高収益-低収益で相に分ければ4つの相が分かれることになります

国民雇用を確保し、そこそこ安定的な経済環境を構築する」のを目的にした場合もっと効果的なのが労働集約的-高収益産業です。ありていにいえば製造業第二次産業です

国民経済にとってはコアとなるこの産業が奪われたからこそ、「全体としては経済成長をしながら、格差の増大をもたらし、一般国民の貧窮化を招いた」のがアメリカの姿であるわけです

これに対して次のように説明するサミュエルソンのシッポがいます

給与の高い仕事転職するということは、比較優位産業労働力移転しているということである比較生産費説は労働者経済行動の中にあらかじめビルトインされている」

から雇用喪失は起きない、起きたとしても一時的な調整期間中ものだ、というわけですね。

あなた、30年間を調整機関と呼ぶ神経って、なんていったらいいんでしょうね。

東大に行っているあなた卒業したらゴールドマンサックスに入りたいなんて思ってるでしょ。給料いいですもんね。給料がいいってのは、生産性が高いということです。もうひとつ労働需要に対して供給が追いついていないということですあなたと同じレベルの人を400万円で雇用できるならそうしますよ、ロックフェラーでも。そうしないのは、需要に対して供給が追いついていないかです

失業率10%以上あってもそういう状況だと言うことです

農民が工場労働者になり、事務員になり、というところまではまあそこそこアメリカ労働者でも対応できたかもしれません。もちろんその過程でも脱落していった人はたくさんいるわけですが。

比較生産費説が言っているのはこういうことです製造業新興国に特化しても、先進国はさらに生産性が高い産業・職に移動してゆけばよい。みんながジョブスになれば1000万のアップル誕生して、たくさんのiPhone を手にできるよ!ということです

それが100年、200年のスパンならばあるいはそういうことも可能かもしれません。しかし現代においては変化はあまりにも急激でありすます


TTPを巡る議論で私が非常に気にかかるのは、TTP賛成派があまりにも気軽に「経済学」を看板にしたがるところです。そしてそれは、「おまえは経済学を知らない」と相手を貶めるために用いられているように見えます現実事象について具体的な論拠を求められれば、「経済学深淵でおまえには分からない」とばかりに現実の問題には何も答えないまま、モデルの話でけむにまきます

経済学はそういうものではありません。少なくとも、そういうものけが経済学ではありません。ガルブレイスが生きていたら、なんというでしょうか。

そうした言論的脅しに屈せずに、みなさんは分からないものは分からないと言ってください。納得できないものは納得できないと言ってください。説明できないのは説明できない人の責任であってあなた頭が悪いからではありません。

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