「価値と価格の釣り合いがとれていない」とするとずれていませんが、価値と価格のアンバランスさを意識させずに誘導する部分が肝であるビジネスといったほうがいいでしょう。
パチコン以外に関しては、コンテンツ自体が非合法と隣り合わせであったりその境界線を曖昧に見せているから批判されているわけですから、例示としては適切ではないでしょう。
コンテンツの妥当性には批判がそれほどいかず(ゲームが面白くないとかはあるでしょうが)、誘導部分に批判が集中することが特徴であるとすると、パチコンが一番類似しています。
今は、野菜類はそこそこ食べていて
2、3年前の12時過ぎに晩飯を食べる食生活より改善しているとは思っている。
現状で困るといっても、夜すぐ眠くなることだけなので
そこそこPVがある場合。そうでなかったら、どうにでも動くしね。
基本はLAMPなんですけど、オペレーションの部分も分かってないと即戦力にはならんと思う。
でかいWEB企業でも、下記をわかってて、ちゃんとできる人ってそんないねーよな、っていうことを最近知ったお。
もちろんフロントエンドまで一人で担当する場合、もっと必要な知識が増えるわけだが。
そう考えると、「ふつうのエンジニア」に到達できるのって、3年とか5年とか10年とか普通にかかるよなーって思うわけですよ。
単に栄養不足だと思うが、なにを食ってもダメなら病院行ったほうがいいな。
30で更年期障害などありえない。
似たような症状を訴える人はいるようだ。
短くて数時間、長くて一日体がほてっていたりすることがある。
ここ半年、夜すぐ眠くなる。性欲が極端に落ちている。
ググってみると、更年期の症状に似ている。
30代前半男だけど、こんなに早くなることなんてあるんだろうか?
批判の対象をもう少し広げて「人の錯覚を利用して不当な利益をあげることができるビジネス」とすると、おそらくケタ違いのビジネスもあるのでしょうが、
ネット住人をおちょくって居るのかもな
クソだなと「思う」って書いてるんだけど日本語読めない系ですか?
一緒に頑張ろうぜ!って手をつなぐ
悪とは折り合いをつけるべきだけど、少なめにしておかないとまずいんだよ
ポジティブな感情の動きを得るために金を払う形ではなく、金を払わないとネガティブな感情が生まれる形に持っていくビジネスだからね。
あーなるほどね。
という価値観ということだ。
これは納得いくね。
あえて一つの側面を挙げるとすれば、例えばプロスペクト理論とかで出てくるグラフの第三象限の構造を活用して金を稼ごうとするビジネスはクソだなと思うということですね。
なんでクソなの???
元増田です。
「ゲームが本当に面白くてハマっている人=金払いのいいヘビーユーザー」と「だまされてだらだらとハマっている人=厳密な意味でのカモ」を峻別することが可能なのか、ということです。
両者とも行動上はプロスペクト理論上において区別はできない(と思われる)のですが、運営側からすると区別が可能であり前者が多いという事実がある、
もしくは前者が多数であるとしておくことが会社の体裁としてよろしい、ということであれば「何が悪いのかわからない」といういしきでいることはそれほど不思議ではありません。
同じようなビジネスで、ソーシャルゲーと比べて相対的に高い評価を与えられていてバランスがとれてないビジネスがあったら教えて。
分配金の多い投資信託の販売方法などは、これに近いものではないでしょうか。
「先に得るであろうお金をより身近なお金に重きをおく」という錯覚を利用しているという意味においてですが。
また、社会的に高い評価を得ているかは疑問なのですが、被害者が多い=とりあえず成功はしている、ということを理由に一例としてあげておきます。
批判の対象をもう少し広げて「人の錯覚を利用して不当な利益をあげることができるビジネス」とすると、おそらくケタ違いのビジネスもあるのでしょうが、
このての言説はよく見かけるが、対象が意味を分からずに言葉を使っている場合は極めて少ない。
大概は定義がなされていないだけだ。
ここでいう苦労人とは、進学するお金がなかったり、家庭環境にめぐまれなかったり、いろいろとめぐり合わせが悪くて、自分の判断や努力以外でのっぴきならない境地に立たされた人のことです。
まず、苦労人であることは特に触れられることがない限り隠しておきましょう。別に自慢することではありません。
苦労人であることやそれによって得た経験やスキルは評価の対象になりません。
とても残念なことでありますが、あなたが引退して、成功者インタビューを受けるときまで、そのエピソードは封印しておくのがベターです。
苦労だったり、他人の失敗に巻き込まれたり、天災に巻き込まれたりした経験は、自分にとってプラスではありますが、水平飛行の人生を送ってきた人からみれば、特異値をもったスキルや考え方は脅威です。ツメは隠しておきくことをおすすめします。
苦労したタイミングで、徹底的に誰かに助けられるような状況ならば、問題がないのですが、苦労人は、その苦労をなんとかぎりぎりで克服できたのではないでしょうか。克服できたことは大変大きな自信につながります。自信は持っていいのですが、この自信もそっと胸のうちに秘めておきましょう。
どん底から見てはいけないものがあります。水平飛行の人生を送っている人たちの不平不満です。
車で歩行者突っ込んだ人、バスジャックしちゃった人のように感情の高まりがすべてをリセットさせる方向へ暴走しかねません。しかし、そのくらいのことで世の中は変わりません。より多くの水平飛行の人生を望む人がいるからです。
恵まれてくると、生きる困難に立ち向かうためでなく、どうでもいい人生の枝葉のことに対して不平不満をいうようになります。
そういう人に近づかないことは重要です。近づかなくてもインターネット上の交流サイトでは、見たくなくても見かけてしまいますので、情報の取捨選択には過分に注意を払ったほうが、余計な気持ちのフラストレーションを発生させることもなくいいと思います。
水平飛行中の人の悪事を偶然にも目にすることがあるかもしれません。しかし、これはあなたにとってチャンスではなくトラップです。
あなた自身がかかわることは何のプラスにもなりません。義侠心や正義感から何かしらのアクションを起こしてしまうかもしれません。
それは、災いを招く以外のなにものでもありません。積極的に応援しない立場をとるのが今後のためです。
あなたのコツコツした積み重ねよりもむしろ、降って沸いた幸運のほうがはるかに効率がよかったりします。
幸運があったら、大切な人とこっそりと分け合ってください。人に見せてはいけません。
あと、あわてる必要はありません。われ先にいった人は次の信号で止まって待っています。
一日に寝る時間も、一回で食べれるごはんもお金持ちでも貧乏人でもそんなに変わりません。健康食材を食べても死ぬ人は早死にしますし、ジャンクなものを食べて長生きする人は長生きします。
一人の人が管理できるものの絶対量は決まっています。たくさん持ちすぎるととそれを管理することに時間と手間をとられて楽しめません。
死ぬときは手ぶらです。持ち物を少なくしておかないと残った人に迷惑をかけることもあります。
大切な家族といっしょにご飯が食べれることのような他愛もないことが実は一番のしあわせだったりします。そんな他愛もないことからすら見放されてしまったかのように思い込みがちです。
そのくらいの幸せならば、ちょっとしたきっかけで、ふっと幸運が沸いてくるのではないでしょうか。
それでも、へこたれそうなときは、あなたが祖国やふるさとの一員であることを思いだしてください。あなたが締めるネジが、あなたが読み取るバーコードが、必死に打ち込むプログラムコードが、「ありがとうございます」という挨拶が、あなたの運ぶ荷物が…、私たちの国を地域を作っているのです。このような考え方は、戦後の日本ではタブー視されてきたかもしれません。苦しいとき、つらいときにこっそりと心の中で思い出してください。あなたは一人ではありません。
ぜんぜんアドバイスにもなっていないかもしれませんが、あなたの大切な人をいちばんに思って生きてみてください。それだけです。
以上、送ることばでした。
緊急停止して終わりじゃない
原子炉内の放射性物質は停止しても熱を出し続けるからある温度になるまで冷やし続けないと炉心がどろどろに溶けて
後々大変なことになる
でも、東電はそのための備えをしてこなかった
そりゃあ、この手の津波が起きることは最近までわからなかったから仕方ないのかもしれないけど、
エルゼビアって結構ヘイト稼いでいるのなw
いろいろ突っ込みどころはあるが、
第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。
第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。
第三点として、公的資金による研究に対して政府がフリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。
第三点については心底どうでもいいのでここでは触れない。
第一点と第二点は独立する問題ではない、というか「単刊購読は高くつき、何誌かのパッケージでは割安になるが、いらない雑誌も取ることになる」というジレンマを別の角度から見ているだけであって、結局「利益率高すぎ。もっと安くできるだろ?オラオラ」という一点に尽きるのではないか。
学術雑誌の世界は、定価があってないようなもので、一応最終頁に価格が印刷されてはいるが実際にその価格で買うユーザーはほとんどいない(まったくいないかもしれない。今まで聞いたことがないので)。これは「抱き合わせ」によるものもあるが、ACSとかの学会誌であっても会員には規模に応じて大幅な値引きがなされるのが常態だからである。このような場合に「高すぎる」と簡単に言っていいのか。お前んとこの図書館が貧弱なだけじゃねえの?
また、マイナーな雑誌もメジャーな雑誌も大して変わらない価格で供給しているということもある。公開されているプライスリストを見ればわかることだが、エルゼビアでは、雑誌の価格を支配しているのは、医学分野は高いとかそういう一般論を除けば、(分野のマイナーさや雑誌のダメさから類推される)発行部数ではなく、重さである。
なにより、商業誌が学会誌より高いのはべつにエルゼビアに限ったことではなく、つまりワイリーだって他の会社だって学会誌より高いのであって、それはもう商業誌なんだから仕方ないという他にはない。それがイヤだから掲載料を取るというのでは、商業誌のメリットって何なの?と言わざるを得ない。
そんなことより問題にされるべきなのは、マイナーな学会誌を業務委託という形で取り込み、自社のブランドになった途端に購読料を引き上げるというエルゼビアの営業手法である。と、思うのだが、だからといってどうしようもない。前が安すぎたというのもあるし。
以上ぐだぐだ書いてみたが、元記事は同意できる点もあり「これだから数学者は」と思う点もあり、非常に面白く読めました。翻訳ありがとう。