2011-11-19

80年代からのともだち地獄は、ようやく折り返しの時期にきてるのかな

http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/11/19/114109

ともだちだけが社会じゃない

おしゃべりする相手はともだちだけじゃありません。それだけではあまりに退屈です。

ともだちだけが社会ではありません。人は、自分の興味があること、自分が専門としていることを通じて、もっと社会とつながりたいと思っています。ともだち以外の人とつながりの生まれる場所に行きたいと感じています

ともだちではない人との出会いやつながりこそが、人生の転機になります

ともだちとのおしゃべりからは、連続的な日常しか生まれません。昨日までの延長です。

個人的には全くもって同意

で、これ、80年代は、これを全くひっくり返したことが言われてた。「もっとともだちを大事にしたり、友達を作らないとダメよ」「友達がすべてだよ」みたいなね。

生まれてこの方、この「ともだち第一」メッセージには心底うんざりさせられ続けてきたので、こういうメッセージはとても嬉しい。


「ともだち幻想友達がいないやつは人間として問題がある」や「ともだちについての強迫観念」が生まれてきたのは70年代の末ころだったらしいです。

なんでもそうだけれど、誕生した当初はそれなりに合理的な理由があるもんです。 だいたいそれをおかしな方向にねじ曲げちゃうのがコマースメッセージなわけですが。

最初はあまりにもこの時代日本社会仕事一辺倒で、仕事以外で人間価値をみとめられないこと、男社会への傾倒が急激すぎて、それへの反発が強くなったという話からスタートしてます

日本男優社会伝統でも何でもなく、敗戦後に作られたものであるって話も大事ね)

人間関係も全部仕事がらみ、家族ぐるみの付き合いといっても結局仕事に縛られる。女の人や子供はさぞストレスだったろうと思う。

この当時は、必要があったとはいえ、仕事頑張りすぎて脳がおかしくなった男性調子乗りすぎて、ソレ以外の人間犠牲にしてヒャッハーしてた時代だったということやね。

団塊世代の人とかが、「俺たちは毎晩徹夜する勢いでがんばってたのにいまどきの若いものは」とか言ってるのを聞くと、

 ああ、日本人ははやく複式簿記を必修科目にスべきだ、と思う。こういうバランス無視の考えだからバブルが起きたんだよ、責任取れとはいわんがちょっと反省しろボケが。

 ああ、彼ら的には悪いのは全部日銀政府アメリカ陰謀なんですよね。 本当に信じられないくらいにナイーブな方々だと思う。反省したくてもできない脳のつくりなのね)

そんで、仕事における負け組や、仕事オンリー人間関係に虚しさを感じる人達が、仕事以外のものをもとめたときにそれがともだちの存在だった、という流れ。

そういえば、この年代も、若者連続殺人犯とかが立て続けに発生して問題になってたな。

当時から社会的な問題があると、若者カナリアよろしくまず発狂し、ソレを見て年寄りは「最近の若者は」って言うのは変わらんかった、と。



で、そこはなんでも極端な日本人、なんでも二元論で考える日本人

日本人は、なにか新しいことを始めるときに、前のものを否定しなければ気が済まない上書き志向の持ち主です。

仕事だいいち」に見切りをつけると、どっと「ともだち至上主義」に流れ出した。女の子は「恋愛なんちゃら」かな。

で、こんどは「仕事がデキない奴はクズ」「学歴低い奴は賢い奴の奴隷」みたいなカースト復讐するかのように

友達がいない奴は人間のクズ」「いくら偉くなってもあい友達いないんだろうな」って言えばなんとなくスカッとする傾向が生まれましたとさ。


はいっても、おじさんたちは頭が硬いからそう簡単に変わったりはしません。つまり勉強仕事第一」主義も残ります

夫に全面的に依存して思考停止している母親も基本的には夫の方針に従って子供調教します。なので、勉強第一主義は根強く残ります

勉強仕事だいいち派」と「ともだち100にんできるかな」が勢力闘いをするようになります

まぁホント日本人くらいですよ、仕事プライベートを対立関係に置いて、どっちか片方しか取っちゃいけないと考えてるのは。

仕事と私とどっちが大事なの?って慣用句自体、日本人性格をこの上なく正確に表現してるよね。

不完全なものでも絶対の軸において、ソレにすがってないとアイデンティティ確立できないのは、やっぱり無神教国家からなのかねぇ。とか知ったかぶってみる。

そうやって、自分けが幸福になりたいばっかりに、それに適応しない人たちを踏みにじることを何とも思わないことがとっても生き物っぽくていいですよね。


こうやって仕事vsプライベートで対立しあって、お互いがお互いの素晴らしさを主張しようとハードルを上げ続けた結果、

もはや両立不能なレベルまでどちらも要求レベルが高くなって、両立できないからどっちか選ぶ羽目になってまたケンカする。アホかと。

両立するためには、超人的な体力を持つか、仕事時間自分コントロールすることが許されるくらい偉くなるか、

あるいはちきりん女史のように、全力で仕事頑張ったあと、途中で退職する以外に方法はないんだろうなぁ。いずれにしろ無理ゲー

自分無理ゲー作って、クリアできないとか言って文句言うのって楽しいのかなぁ。


ここで終わればまだ笑い話で済むんだけれど、さらに続き。

当然として「勉強仕事が出来ない」「友達もいない」人はベン図の外側に追いやられて、「かのものは人にあらず」と迫害の対称になります

まぁ簡単に言うといじめですね。いじめって人間を測る評価基準があれば必ず発生しますが、まぁ日本いじめ馬鹿馬鹿しいのが多いですね、クソッタレです。

でまぁ、いじめられたやつがどうなるかについて全く考えてない、フォローしないのも問題ですね。で、そのつけは当然数倍になって返ってくるんですけどね。

社会から切り離されたまま長時間放置されて、社会性を失った人が大勢います

人間以下の扱いを受け続けると、本当に人間であることを辞める人がたくさんいます

匿名で振る舞い続けていると、人間であることの節度を失う私のような人間もたくさんいます


で、そういう奴らはどうするでしょう。

隣人部作ってはぐれ者どうしで連帯する?そんなのフィクションです。サバイブSNSってのがありましたけど多分うまく言ってないんじゃないかと思います

はがないアニメしか見てないけど、あれはともだち教へのアンチテーゼだよね。「きみらがいってるともだちとかはどうでもいいし少ないですがそれが何か?」ってことやろ?)

社会性の訓練とか人間扱いとか、匿名から引き剥がして一個の人格として扱うとか、

そういうレベルから世話焼いてくれるとこがない限り、いちど脱落したものはよっぽどのことがない限り復帰できません。

結局人はひとりひとり自分でなんとかして助かるしかないでしょうね。

ほとんどの人間は、それぞれが「人間以下のなにか」として、ずっと劣等感抱えながら生きていくだけです。

あるいは「人間以下の何科ですがなにか?」と開き直って、twitterやら増田なんかで有名人からんだりなんなりと社会迷惑をかけながら生きていくしかない。

人間であるための条件として「友だちがいること」「勉強ができること」ってのがかっちりと決まっているかぎりはもう人間に戻ることはない。



というような感じなんですが、そういうともだち地獄に対して、

「ともだちともだちともだちってそればっかかかお前らは、そんな人生つまんねーだろ」ってのが当たり前に言われだすとまた話が変わってくる。

「ともだち地獄」のいく末は「22世紀少年」であり「原理主義者たちの祭典」ってのがようやくわかってきたみたいで、さすがにみんなうんざりしてきてるみたいです。

勉強もともだちも大事ですが、それを必要条件のように考えると、ほんとにしんどいだけなので、そろそろやめようぜ、って話になってくると嬉しいです。


生きるのは、ただでさえしんどいことだと思うので、そこにわざわざ重荷を載せないでもいいやんか。

別に俺はドMからハードモードでやりたいんだって人はそうしたらいいけれど、ちょっと荷物下ろして道端で休んでる人を鞭打つ必要もないでしょう。

死のロングウォーク」(スティーブン・キングの超絶傑作)はフィクションとしては死ぬほど面白いけど、現実では一番やっちゃだめなフィクションだってのに、なんで好んであのゲームをやりたがるのか、私にはよくわからんです。

阿呆な頭で平等主義を誤解したままお題目みたいに唱えるから能力ある人に引っ張られて自分たちもがんばらなきゃいけないハメになるんですよ。

阿呆なら阿呆でいいやん。 南無阿弥陀仏言ってたら幸せになれる頭の持ち主が、TPPのこととか考えなくていいよ。

あんまり他人のことを気にし過ぎないで、ともだちがどうとか言わないで、自分が好きな事やってりゃいいと思います



生きるほうを、選ぼう。

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