これらの記事(日本の大学に、『教養』を取り戻そう, 「頭がいいけど『世間』に弱い」理系の大学生)は, つまるところ「教養とは役に立たない糞だ」と言っている.
過去の教養と, 今新しく定義したい教養を同じ「教養」という言葉で表現しているから非常にミスリーディングになっている.
とあるように, 使いもしない知識をおしゃれのために身につける行為だ. これは私たちが糞だと思って葬りさった文化で, 記事の中でも糞だと言及されている
つまり, 私たちが通常「教養」と認識してるものは糞だという点では, 上田さんと私は共通しているのだ.
じゃあ, 現在の教養とは何か? それは金を儲けられる能力に他ならない. 章題の『新しい時代は、「教養」こそがビジネスにつながる』からもそれは読み取ることができるし,
・「決められた枠組み」の中だけで「できる人間」や「専門家」は、新しい時代には対応できない、新しいアイデアが出せない「使えないやつ」となってしまう
ともある. つまり, この記事は徹底して「金を儲けよ. 金に向かう能力をつけよ」と述べているのだ. この従来の教養と真逆の概念に教養と名付けてしまうあたりが, とんだおしゃれさんである.
上田さんの主張は現在のトレンドとなっている価値観(拝金主義)に従ったもので, 取り立てて新しい価値観を提示しているわけではない.
だから, 従来の価値観をベースに「こうやった方がもっとうまく稼げるよ」と言えばいいものを, 何故か価値観の転換が必要かであるような論調にしており無駄な反発を招いている.
まあ, 「教養は金を稼ぐ手段だぜー!!!」と言ってもナイフが飛んでくるだろうけど.
という定義から出発しているからだろう. これは前後の文脈から推察するに
教養を持つ人とは, 他者から「総合的にかしこい」と思われやすい能力を持った人である
からも読み取れるように, 雑多な知識の有無よりも金銭獲得能力で評価した方が, その人の総合的なかしこさを評価するのに適切だと判断する時代の流れから来るのだろう.
この点では, 2つを同じ教養という言葉で表現するのは一貫性はある.
内部告発の件は知らない