はてなキーワード: 月経とは
昨日だれかと周期があっちゃってひゃっほうしたので自分の体験した月経周期とおりものとかについて書く
おりものはすごい変化がある。
排卵期前後は多めなんだけど、一回でろっとしたのがでる(白い~透明で、でろっとしててなかなか乾かない)特有の薬品ぽい?木材ぽい?匂いがある(夫も知っていた)。
たぶん黄体とかだとおもうんだけど、正確にはそれがでろっとでてくる前が一番あぶないんじゃないかとおもうけどよくわからない。
ある日、おりものがかりかりに乾燥して、中に青い綿埃みたいな繊維がまじってると、子宮内膜のはがれはじめ。
そっからなんとなくむらむらする。でも1回でも自慰やエッチをして子宮を収縮させてしまうと
生理がくるのがはやまる(子宮が収縮してから24時間目くらいで生理がきてしまう)。
我慢して何もしない(あるいは旅先とかで何もできない)と1週間くらい来るのをのばせる。
来ちゃったら2日目にすごいお腹痛い。いわゆる生理痛。ずーんと重苦しい。眠い。お腹が死ぬほど冷える。
夏でもホッカイロが必要になることがある。汗だくで寝るが腹だけは冷たい(無理していた月ほどよく冷えて死ぬほど辛い)。
薬がなければホッカイロでもあてて横になってるしかない。姿勢を工夫すると痛くない場合があるから往生際わるく薬つかいたくないと思わされて面倒。
丸48時間くらいは痛いからオーバードーズもやだし間隔に気を遣うほどの気が残ってないしあとアレルギーを悪化させますとか書いてあるし面倒。
月経のひどいときは下痢をする(冷え程度に比例して激しい)のだが、
その排出時は下腹部がひきつれてるというか金串をつきさされるように痛い。食欲がないのにこんなに出るなんてと恨めしい。
前もってわかっていれば固形物ができないジュースをいっぱい飲んでやりすごしたいのだが前もってはわからない。
どっかで子宮内膜組織がながれでて腸とかと癒着しているらしい。陣痛より正直痛い。
あとでそんなことになって後悔するから月経のときに性交や道具入れての自慰はやめたほうがいい。
でもやっぱりなぜかむらむらする(とくに痛みが軽くなったおわりかけあたり)んだけど。なんでよ。黄体でるあたりでむらむらさせてよw
姿勢をかえた拍子に痛みが消えたりするが、結局水漏れの危険はあるので、いろいろおっくうで
つい何もしないで寝ているほうをえらぶけど出かけたり人に会うならやはり一錠100円で済むロキソニン飲んだ方がいい。
妊娠しないでいいなら子宮だけとっちゃうと生理なくなってエッチはできて
ホルモンも卵巣から補われるから楽らしい(でも黄体とかどこから出ていくんだろ、どこで吸収されるんだろとは思う)。
月経血には血のかたまりというよりレバーみたいなのがまじってる。
漢方によるとよくないものをたべておけつがあるせいとなるんだけど、ちゃうやろと思う。
あわない生理用ナプキンすると肌全体がびりびりに腫れていたい。布ナプキンのほうがサワリ心地はマシだが洗うの面倒。よく選ぶこと。
あとしょっちゅう洗いたい(血で肌がかぶれる)がそのとき手触りがぬるぬるする範囲でこんなに広くよごれるかとびっくりする。
ビデつきウォシュレットなんか全然たりないので水道が便座にむいてるトイレでトイレットペーパーぬらして一生懸命こするけどよれて紙がくっついただけだった。
やっぱ風呂場が一番早い。
あと衛生パンツ脱いでトイレの上に座るとたらたらーっと悪い血が垂れる。
ボウルは非常に陰惨な光景にはなるのだが、
そのとき悪い血がでていったよーというようにすーっと痛みが消えるというか体が軽くなる。
でも座っているのが辛くなってまたトイレと往復したりすることが多い。てか痛みで気が散って本は読めない。漫画くらい。
こないだはてなブクマで、新米母親にちんこの洗い方は半笑いでみんな楽しく教え合うのだけれど、
まんこの洗い方は「自分と同じで」っていうだけでちゃんと教えないので驚くほど汚い人がいるっていってた。
ちゃんとだいいんしんとしょういんしんのひだの間は指いれてあらうこと。普段でもすごく汚れやすい。
尿道やちつぜんていはあまり指つっこまないで手のひらとか指を平らにして洗うといい。
処女膜(のあったあたり)に突き指すると痛いので気をつけて。
そんで月経のとき月経血はお尻側まで広くついてることがあるから、前からだけじゃなく後ろからお尻をさわってよく洗うこと。
そんで生理用品とトイレットペーパー(生理のときは多めに使わざるをえないがボウルにやまもりで自分でげっそりする)は消費税無税でいいじゃないかとおもう次第。
申し訳ないが、当方女性で、どうにも理解できないので、教えてもらえまいか。
アラフィフの彼氏がいる。こちらも同年代。最近、カテーテルで心臓の手術を受けて、成功した。もう、術後一カ月経っている。
もういいだろうと、セックスをねだったら「身体にさわる」と断られた。
お酒を飲んだり、ごちそう食べたり、歌を歌ったり、大騒ぎした翌朝だったので、キョトンとしてしまった。
朝にしたのは、彼は前から、朝立ちから、その気になることが多かったから。
前の晩は楽しく過ごしたのだし、ぐっすり眠れたようだしと、体調には気を配っていたつもり。
私は少々体調が悪くても、セックスすると良くなっちゃう性質で、身体にさわるから、出来ないという発想がそもそもわからない。
それに、いきなりフルコースというわけではなく、ちょっと、イチャイチャしたかっただけなんだ。
でも、勃起するのが怖いんだそうだ。身体中を流れている血が、そこに集まっていくために、心臓に負担をかけるんじゃないかと恐怖を覚えるらしい。
女性だってクリトリスは大きくなるけど、血が集まっていくなんて感覚はない。
まして、心臓に負荷がかかりすぎるんじゃないか、なんて恐怖は、ちょっと想像できない。
どうなんだろう? あそこが大きくなるときって、身体中の血が集まっていくような感じがするのだろうか?
彼が精神的に大丈夫と思えるようになるまで、待ったほうがいいだろうか?
何か彼を納得させる方法はないだろうか?
20120713追記
5才上の的場浩司似の人。当時は携帯電話がJ-PHONEで、まだ出会い系が問題になっていないときにJ-PHONE公式サイトの出会い系で知り合った。
関西の人で、関東の専門学校に通ってた。メールして何ヵ月か経ったころ私の誕生日がきたんだけど、まだ会う勇気がなかったのでお祝いは断った。
だけどせめてプレゼントはあげたいと。結局誕生日の日に、秋葉原の〇口の公衆電話器の裏の隙間にプレゼントと手紙を置いてきてくれた。
受け取りに行く電車の中はドキドキした。プレゼントどんなのだろうとか、公衆の場所に置いてあるけどなくなってないかなとか。
秋葉原の公衆電話の裏にプレゼントと手紙があったときはなんか感動した。
手紙には好きという言葉と、いつか会えたら嬉しいっていう言葉。それから、これ俺だと思って付けたって、っていう言葉とともに
彼が付けてたネックレスが入ってた。携帯画面でしか彼と接点なかったから、直筆の手紙と使ってたネックレスが入ってて
ほんとにいるんだって妙に感動した。それから2ヵ月後にデートして、上野公園のスワンの中で初キスした。
いろんなことが初めてだったけど、優しくて愛情表現が上手だったことは覚えてる。彼との付き合いに転機がきたのは付き合って半年超えたときくらい。
彼が実習で北海道に行って、そこで携帯電話をズボンに入れたまま洗濯して1月連絡を取れなくなった。実習を終えて、こっちに戻って携帯が復活した
ときにやっと連絡を取れて、彼からはものすごく謝られ、すごく会いたかったって何度も触れ合って連絡の取れなかった1月を埋める
ようにくっついた。でも、1月連絡を取れない状態にも慣れたのか専門が忙しくなったのか、少しずつ気持ちが変わってたみたいで、振られた。
お互いいろんなことが初めてだったけど、この人が最初でよかったと思う。
■塾のせんせい
失恋を引きずってて、気づいたら5才上の塾講師と付き合ってた。理系の人で、メガネかけた真面目な人だった。誕生日にはお財布をプレゼントしてくれて
私が免許とって欲しいって言ったら(今考えると意味不明なわがまま)免許合宿に行った。赤ちゃん言葉とマザコンぷりに引いてしまい、免許をとる前に
別れた。付き合った期間は2、3ヵ月で最短だった。
■カラオケ
新生活で出会った友人とカラオケによく行くようになり、関西人の4才上のカラオケ店員と仲良くなって気づいたら彼氏になってた。その人は中高大とサッカーをずっと
してたので女性と付き合ったことがなくて、男兄弟で育って少しぶっきらぼうだった。だけどなにより関西人。面白い。一緒にいるとどこかにネタになるもの
ないかなと探し、私がボケればいつも鬱陶しそうにしつつもツッコミを入れてくれるのが定番だった。あと、私が甘えれば、鬱陶しそうにしながらも
嬉しそうにしてたところが好きだった。照れ屋で基本的に自分からは私に愛情表現しないけど、私の愛情表現が大好きだったのは知ってた。
ただ、彼の愛情表現が全然なくて嫌だった。言い方もぶっきらぼうだから傷つくこともしばしば。
付き合って1年たったときが彼の誕生日でもあって、ケーキを出してお祝いしてくれるお店を予約して連れていった。彼が欲しがってた腕時計と、
今までデートした日を絵日記にしたものをプレゼントしたらすごく喜んでくれて私も嬉しかった。それからも普通に幸せな付き合いが続いたんだけど、
私に好きな人が出来てしまい、付き合って2年とちょっとでお別れした。
■サブカル
あるオフ会に出席したときに知り合った人で先ほど述べた好きな人はこの人。6才上でこの人も関西人(もう標準語)、よく笑うのと優しいのが私の中でどストライクで、
2年半付き合って同棲もした。
本と音楽、映画が好きで、仕事もそっち関係だった。彼の影響で私も本や音楽に興味を持つようになった。
おとなしいというか、本当にすごく思いやりがある人だった。彼の家で急に生理になっちゃって、トイレからでられない私に変わって生理用品とパンツを
買ってきてくれたり、私が誰かから嫌なことをされてるのを知れば、私以上に怒ってその人に俺から言うって助けようとしてくれる人だった。
一緒にいてこんなに穏やかな気持ちになれるのってこの人だけだったと思う。私の友人に会わせてもみんな
彼のこと優しいって褒めてたな。あと、えっちもすごく上手だった。彼と付き合って、そっちの意味でもすごく成長した気がする。
付き合って2年のときには、彼にメッセージと写真を入れたパネルのようなものをプレゼントしていつもより豪華なご飯を作ってあげた。
一緒にアルバムを作ったこともあったな。だけど、彼の優しさに甘えすぎて、私はどんどんわがままになってしまって彼を困らせてばかりだった。
私が免許合宿から帰ってきたときに、彼は決意が固まり、別れることに。泣いて泣いて縋りついてしまい、本当に申し訳なかった。彼は、
家賃は払っておくから、新しい家が見つかって住めるまではこの家いていいからね、と実家に戻った。二人で過ごした家に一人でいるのが本当に辛かったけど、
私にはまとまったお金がすぐには用意できなくて、何ヵ月は彼の言葉に甘えてその家で暮らした。居なくなってから気づくその人の存在ってよく言うけど、
私の中で彼の存在がものすごく大きくて、この先彼以上好きになれる人なんて見つからない、なんでもっと彼に優しくしなかったんだろう、
私なんかもういなくなっちゃえばいいのにって、めちゃめちゃ暗くなってた。彼と一緒に選んだ家具とか、カーテンとか、食器とか、そういうものに
包まれながら一人でいるのは耐えられなかった。それを埋めるようにオフ会に出て、無理して過ごしてた。
■オフ
そのオフ会で出会った人。6才上でまたもや関西人。趣味が似てて、よく笑うし、一緒にいるとなんか少し失恋の傷が癒えた。でも彼は当初4年くらい
付き合ってる彼女がいて、私もしばらくは恋愛したくなかったから割り切った関係でいようってなってた。だけど遊ぶようになってから数ヶ月経って
彼が彼女とうまくいかなくなって別れて、こちらと付き合うことになった。趣味が同じだからデートは楽しかったなー。でも、彼の仕事柄なのか
常に論理的な思考で、さっぱりしてた人だったな。 で、元々の出会いと付き合い方があれだったからか、私は彼をあまり信じることができずに
携帯を覗いてしまうことが何回かあった(ごめんなさい)。彼は出会い系みたいなものに登録してて、びっくりしたけど、私の中では
裏切られたー!と思うこともなく、喧嘩にはなったけど、心の中では「私みたいな最低人間にはこれくらいの人でいいんだ」って受け入れてた。
知り合って1年くらいでお互い無理がきて別れた。
■後輩
アルバイト先の後輩で、2才下の純粋な子。ひょんなことからメールすることになって2人で遊ぶのが2回目のときに帰りの車の中で告白された。
全然対象にしてなかったからびっくりして、少し考えさせてもらった。ほかの人にはない、気持ちをすごく真正面から伝えてくれるところは良いと
思っててすぐに断るような人ではないと思った。だけどなにより恋愛に疲れてて、同棲してた人の傷は癒えたけど、つい最近に別れたばかりで
もうしばらくは恋愛なんていいや、と思ってた。それから1週間くらいたってもう一度告白されて好きって気持ちはなかったけど、
一生懸命気持ちを伝えてくれるものだから、じゃあお願いします、と答えて、恋人に。
今まで付き合ってた人とは全然ちがくて、若かった。発言も、行動も。彼は中学から大学まで私立で育ち、裕福な子で少しプライドが高い。
車に乗ってて国産車(特に軽)を馬鹿にするところとか、付き合いながら間違ってることは教えたりしてきた。でも基本的に素直で、
尽くしてくれる。付き合って1年のときには手作りのプレゼントをサプライズで渡し合ったり、遠いところでも迎えにきてくれたり。愛情表現もする。
現在も彼とお付き合い中で、夏で付き合って2年が経つ。
最近私がやっと社会人になり、学生と社会人の付き合いとなってすれ違いが続いている。生活リズムが違うことなどをわかってもらえず、
喧嘩したときは、彼の暴言がひどくてついていけなくなっている。
まずは本当に妊娠三カ月なのか、本当にお前の子なのか裏を取れ。
そして最終月経日だとか医者の診断だとかで確定、かつ「自分にも責任はある」「自分の子だ、という気持ちは変わらない」と思うなら、
「罰の子ども」になるよりは、生存を望んだ片親家庭に育つ方がいくらましか知れない。
両親揃ってはいたとしても「お前がいるせいで」「お前のために」と生きてるだけで子どもがギスギスを背負わされるとしたら、誰が罰ゲーム食ってんのかわかりゃしない。
彼女と子どもと三人でってのはまず無理だ。お前にとって、もう一度彼女を信じるというのが不可能だからだ。
まだ「父子家庭で頑張っていたら全部承知で嫁ぎに来てくれるという人が現れた」というおとぎ話級のハッピーエンド期待する方が希望が持てるレベル。
……ごめんなさいね、「36歳女SE独身 もう死にたいです」(http://anond.hatelabo.jp/20120411194626)という増田を読んで、なんか人事だと思えないからちょっとオマージュっぽくしてみました。
割と同じような体験をして、同じように死にたいって思ったけど、今はもう死にたくないんだ。
私は8年間付き合って、6年間同棲した3つ年上の彼氏と別れました。
別れの理由を聞いたところ「わからない、でもお前とは結婚できない」でした。
お互いの親にも会っていて、結婚の約束もしていて、ウェディングフェアなんかにも行ったりして、私は彼が本当に大好きでした。
今も正直好きで、やり直そうなんて言われたら、多分揺らぐと思う。そしてやり直してしまうと思う。
そのぐらい彼のことが好きなんです。
だから「わからないじゃ納得出来ないし、私の親に報告できない」と言ったら「お前は部屋の掃除ができないから」と言われました。
確かに私は整頓が苦手で、それを言われるとぐうの音も出ませんでした。
彼とは趣味も性格もよく合い、今までずっと仲良くやってきました。
一緒に色んな場所へ出掛けました。
私は誕生日がクリスマスイブなので、でかけたって、街はクリスマスを楽しむカップルでいっぱい。
自分の誕生日は他の人にとっても想い出深い日で「私の誕生日なのに特別なことはあんまりできないなぁ」ってあきらめていた中、すごく嬉しいサプライズをしてくれて、私は本当にこの人が大好きだって思っていました。
20代も後半になると、友人が徐々に結婚していき、本当はちょっと私もお嫁に行きたいななんて思っていました。
ですがその当時、彼は仕事関係の人にお金騙し取られて失業して、やっとのことで再就職した先でパワハラに遭い、うつ病になったりで、
結婚なんてとても言えない。
せめて私は明るくふるまって彼を支えようと、就職の事などはあまり言わず、二人で貯めた貯金もあるし大丈夫だよってポーズをとっていました。
今年の夏、彼がきちんと再就職できたので、出産のことも考え、いよいよ結婚を切り出してもいいんじゃないかな?
そう思って彼に「結婚の時期どうしようか?」と言った結果が、上に書いたとおりです。
彼は私と結婚するつもりで付き合っていなかったのようです。
特に彼が他の女に浮気したわけでもないのですが、「お前に飽きた」なんて思われるぐらいなら、正直、他の女が好きになったって言われたほうが納得できたんじゃないかと思いました。
引越しの準備を始めても引き止められることもなく、私達の築き上げて来た8年は何だったのかな? と思いました。
でもそれもなく、私は彼と別れて33歳アルバイトにして一人暮らしを始めました。
彼と最初のセックスの時「生じゃないと嫌だ」と生でされました。
ちなみに、その時点では正規雇用で働いていて、お金にも余裕があったし、ピルを飲むことで生理の日が把握できることで自らも恩恵を受けていたと思います。
ですが、私が30歳ぐらいの時、ある勉強がしたくなり、会社を辞めて、ピルのお金も勿体無いので服用を中止しました。
「節約したいしピルやめた」と言ってから2年ほどセックスレスになりました。
私は本当はセックスがしたくて「なんでしれくれないの?」と恥を忍んで聞いたところ、彼の答えは「お前はもう家族みたいなものだからそういう対象に思えない」とのことでした。
なぜなら、彼とずっと同じ時を過ごして、同じ景色を見て、一緒に幸せを感じたかったから。
「お前は家族みたいなものだから」と言われながら、土壇場で拒絶されて、捨てられて、絶望しました。
今では月経周期が通常より早く、産める体なのかとても心配です。
もう誰も信じられなくなり、しばらく飲むヨーグルトしか摂取できなくなりました。
祖母の遺影に「早く私をそっちに連れて行って」って祈っていました。「おばあちゃん、私を早くそっちへ連れて行って」って、ずっとずっと。
震災で亡くなられた人のことや、不慮の事故のニュース、殺人事件の報道を見るたび、私が変わってあげられればって。
この人たちのほうが、私なんかよりはるかに生きる価値も意味もあるのに、なんでなんだよと。
ショックのあまりパニックを起こしたら、異国にいる母が一番早く日本に来られるエアチケットをとって来てくれて、心療内科に引きずられて行きました。
病院でずっと泣いて、薬を処方され今でも安定剤を飲んでいます。
あれから3ヶ月弱が経過し、私は今死にたいなんて思わなくなりました。
33歳、世間的には婚活とかちょっと頑張ってもいい年なのかもしれないけど、恋愛はしばらくはいいやって思っています。
その精神的な変化の理由はまず、多分人間に備わった「忘れる」という機能なのでしょう。
かつて、テレビ番組でヒトの記憶は「嬉しかったこと:普通のこと:辛かったこと=6:3:1」というのを見て「へぇ、そうなんだ」と思っていました。
辛かったことを覚えていることも大事かもしれません、でも忘れられないと辛すぎるというのも事実です。
あとは、こんなひねくれた私に対して、多くの人が優しくしてくれたこと大きいいです。
母の事は正直、全然尊敬していなかったのですが(私は離婚家庭で育って、母は可愛らしいからモテるんだけど男を見る目がなくて……)今回、一番私を支えてくれました。今まで「お母さんは男を見る目がない」と言ってごめん。私も十分なかったw 遺伝かしら?
母以外にも、上でも書きましたとおり私はある技能を身につけるために勉強中の身で、生徒さんは母親ぐらいの世代だったりします。
そんな人生の大先輩たちに「そんな無責任な男、結婚したらもっと厄介だったわよ」とか「これからまだ楽しいことあるよ、2倍位以上長く生きている私が言うんだから間違いないよ」と言っていただくと説得力がとてつもないのです。
そしてその勉強。
彼は私を結果として裏切りましたが(客観的に見るとそうでもないのかもしれないですが、少なくとも私は裏切られたと思っています)、自分のした努力、学びは私を裏切りません。
幸いにも私は今やっている勉強が大好きでなので、学ぶことが私を生かしているといっても過言ではないと思います。
1ヶ月前までは死ぬことばかり考えていましたが、今は生きたい。
正直バイトの身だし、貧乏で将来に何の保証もないけど、生きてたくさん学びたい。
そして身につけた技術で多くの人を助けて恩返しをしたい。
そう思えるようになりました。
でもね、結婚なんてしてなくったって、生き生き楽しく生きている人は周りに沢山います。
そういう人をステキだなって思えるんだもの、別に結婚なんてできなくてもいいし、チャンスがあればすればいいやぐらいに思えるようになりました。
子どももね、出産のリミットとか考えてしまうけど、この間、一人で傷心ディズニーした時に赤の他人の子どもを見て「アホだわー。でもそこがかわいいわー」なんて思っていたら、自分の子どもだけでなく、人の子どもを愛したっていいんじゃないかなって考えるようになりました。
少子化だなんだって言ったって、未だにビッグダディに子どもが生まれているんだもの、私ごときが産まずとも大丈夫! と先日のビッグダディでも思っちゃいました。
春子さん。
「はてなのアカウントも消します。コメントも見ません。支離滅裂ですが、読んでくださってありがとうございました。さようなら。死にはしませんが、さようなら」
でも言わせてね、春子さんにとって今は人生の谷底かもしれないけど、生きるってことは捨てたもんじゃないんだよ。
未だに彼に未練はあるけど、今後はとにかく勉強を頑張る。
http://anond.hatelabo.jp/20110319172127
の作者です。
丁度1年前の今日、渋る妻を強引に説得して関西に返したのですが、
改めて振り返ると、自慢ではないですが、自分の読みがかなりの部分「的中」していて、
「ワーストシナリオ・首都圏避難」をシミュレーションしていたようですなあ。
後日談を書いておくと、2011年4月の初旬に妻子は東京に戻しました。
上の子の2年生の始業式はあるし、下の子は幼稚園年少組の入園式あるし、
「戻す」決断は、それはそれで大変だったのですが、
「戻す」決断の理由は
★4月初旬の時点で、不安定ながらも原発が「小康状態」になってきた
(もっとも、フランスの協力はあまりロクなものじゃなかったことが後日わかりましたが・・・)
★自分の側も、3月15日時点と比較しても、4月初旬までの2週間の間に
様々な情報源、キュレーターを入手したので、より確度の高い判断を下すことが出来るようになった
というところでしょうか。
妻から「あなたの疎開判断が正しかったようだ」と関西から電話が掛かりましたが、
金町浄水場のヨウ素レベルでは、そんなに神経質になることなかったんですけどね。
当時「政府が首都圏住民の避難を検討している」と言ったら「デマ認定」されていただろうなあ・・・
「容器の健全性が損なわれている」と3月15日朝のニュースで判断したからなんですが、
で、1~2ヶ月経過して、
その半面「福島県内の状態は看過できない」と思い、知人のキャリア官僚などに
「福島子供の20ミリシーベルト許容は論外だ、早期に対策を講ずるべきだ、
表土除染するとか、RC造の家に転居させるとか、水入りペットボトルで遮蔽するとか、
とにかく予算範囲内で出来る限りのことをやれ」と言いつづけた、という感じ。
そこに挙げられている症状は殆どが酒タバコでも起きる症状だね。
大麻でのハードルの高さは分からないけれど、酒に関してのハードルは低い方だと思うよ。
アルコールは飲めば飲むほど快楽の度合いが大きくなるものだから、簡単に危険水域まで摂取してしまう。
その結果急性アルコール中毒を起こして生死の境に行く人間が現実に十万人単位でいる。
中毒性が低いの一点張りと言うが、中毒性が低いのが事実ならそう主張するのは当たり前じゃないかな?
実際にどれだけ低いのかは分からないけれど。
慢性の身体障害としては、煙の刺激による慢性の喉頭炎・気管支炎、精子の減少、月経異常のほか、白血球の減少に伴う免疫力の低下などがあげられる。
参考URLの慢性的な肉体的な影響も、大麻の成分が原因じゃなくて、煙で起きる(=タバコでも同じ)影響が殆どだし、こういう症状があるから大麻を禁止するんだってことならタバコも禁止しないと理屈に合わなくない?
以前阪神大震災10周年の時(2005)に
「京阪神地区在住者1,600万人は、記憶が風化しない間に、経験をブログ化せよ」と
2005年時点ではポピュラーになってなかったツイッターが、
今ではポピュラーになっていて、震災当日は大量にツイートしたから、
今更改めて震災を記録する必要もない・・・という人もいるかもしれない。
当時の様子や、自分の思いを、100%網羅するのは、
なかなか難しいのではないか?
1年近く経過しているので、冷静になって書けることとかも、あるはずだ。
※瞬発的なツイッターのログ化(ツギャッター)も、それはそれで重要ではあるが。
ということで、東北被災者200万人の方々、あるいは首都圏の4,000万人の方々に、
「1周年を契機に、震災時の出来事や思いを、自身のブログで取りまとめて欲しい」と
呼びかけたい。
これは何も自分が言いだしっぺなのではない。
「記憶が変質しないうちに、皆さんノートに書きとめてくれ」と毎日新聞紙上で呼びかけていたのである。
小松左京は8月14日の大阪城大空襲でえらい目に遭っていて、戦後その資料を
さてこんな文章を見たのです。
[文系が、インターネットの仕組みについて教えてもらった記録 - のんたんのインターネット日記]
酷い。
てへぺろじゃねーよ。
ブコメみたら、あぁ皆さん優しいなぁ〜って。
「知ってる人からみたら当たり前、でも知らない人からしてみたら凄い事なんだぞ★」みたいなのは基本的に戯言だと思っていて、
なぜなら彼女は「知っておくべき立場」ですよね。「インターネットの会社」の中の人なのだから。
あの、申し訳ないのですが、はっきり申しまして「この人が営業に来たら嫌だな」。まずはこの一言に尽きる。
だって、知識がないんでしょう?
普通の人が「頑張って勉強してます」を実直に語るのは素敵な事だと思うのだが、
「インターネットの会社の中の人」なのだ。外から見たら変わらない。シス担だろうとマーケディレクターだろうと、「インターネットの専門知識を持つ人」なのだ。
少なくとも、彼女は企業名をヒモ付したアカウントで、当該の日記を書いている。
そんな訳で、ちょっと話が変わってくるのだ。
まぁ、確かに?企画/アプリレイヤーならインフラ周りとか一切分からなくても良いでしょうよ。
まして営業となると、余計そうでしょうけど。
うん、確かにそうだ。
って事で用意してくださった研修、これの意味を軽く考えていないか。
会社としては、趣味なんかではなく「必要だから」企画したはず。
なのだが、一体いつまでの期間で行われていたかは知らないけれど、
彼女は9月の時点で「えーれこーど」の事が分かってなかったらしい。
いや、この文章が、それをありし過去の事として、段違いに成長した今の自分の目線で語ろうという試みならば痛快だった。
だがどうやら違うのだ。
理解がね、とても遅いのです…
終盤に綴られたこの一言は、当人の自覚以上に余りに色々を語っていると思う。
体系的に書かれているサイトがすごく少ない
そうかもね。
でもさ、本屋で少し立ち読みとかしてみた?一流のテクニカルライターとプロの編集者が高い意識でまとめた作品が、たくさんあるよ。
家にいながら指を10本だけ使う作業によってカバー出来る範囲だけが「勉強」だとは、とても思えないです。
ともすれば、「インターネットに書かれてないことは分かりません!」って無意識に思い込んでるよね。「逆切れ」、ってそういう事だろ。
惜しいなあ、その悔しさをバネにした素晴らしいエピソードも載せて欲しかったな。
大変だ。(笑)
というか、「理解」するまでを「学び」というのでは。理解してない、ならそれを恐らく「学び」とは言わない。
いやはや、恥ずかしくないのか。
周りと比べたら、多分遅れてるよね。同じ選考を通過して、給料で働かせて貰って。
鑑みるに、「勉強したら、分かるんだね」という経験を今までしたことが無いのかも知れない、
「知識は人に教えてもらうもの」と、そう思い込んでませんか。
第一、タイトルからして「文系」などとう言い訳がましい冠を自ら被っている。
職種は、業種は。「文系」
業務領域に対する意識の低さを見事に露呈してるようで、それがとても鼻に付く。
この文章がムカつくところは、そこだろう。
たぶん社内SNSで日報として学びをUPするのはとてもいいコミュニケーションであり、等身大の自分を伝えたほうが上司にとっても有難いだろう。
なぜ、はてブロに書かなければならなかったのか。
「ソーシャルメディア」に載せるというのは360度どこから刺されてもおかしくないリスクがある訳だが、
そこで「専門領域」に関して「素人」となる事に関して、何も気持ち悪さを感じなかったのだろうか。
15回ほど色んな方に説明をしていただいていました
そのうち、10〜13回くらいはうんざりされたんじゃないかな。どうだろう。
『友達が予知夢を見た』そんなスレが2ちゃんねるに立てられてから早半年が経ちました。
あの時の凍てつく寒さは嘘のように、梅雨独特のじっとりとした空気で汗ばむ部屋でこの文章を書いております。
当たり前といえば当たり前の話かもしれません、友人(彼女)は預言者でもなければ予知者でも無かったのですから。
しかしながら、一連の原因は自分にもございます。どうか彼女だけを責めないで欲しい……
話は遡ること2011年3月11日、僕と彼女は震災のど真ん中におり、そして身内は誰一人として帰らぬ人となりました。
天涯孤独となった僕と彼女は県外へ脱出し、二人で新たな生活を始めました。
もう何も失う物はない、僕と彼女はこれから先の人生を二人で築き上げていくつもりでした。
しかしながら、震災から数日経ったある夜、夜中に突然、彼女が驚いた顔で僕に言いました。
最初は震災のトラウマがまだ癒えていない、時間がそれを解決してくれるはずだと思ったのですが数ヶ月経ってもそれは治る事はありませんでした。
医師の話によると、あの時の震災のトラウマによって彼女の精神は無意識に3月11日以前に取り残されてしまったとの事でした。
無理もありあません、身内がいなくなってしまった世界は彼女にとって生きる価値の無い世界だったのです。
その結果が予知夢として彼女を苦しめ続けているのだと、初老の医師は僕に言いました。
そんな中、僕はそんな彼女の苦しみを少しでも救ってあげたかった!
後は皆さんのご存知の通りだと思います。
まとめサイトを通じてどんどんとネット上に拡散し『私も同じ予知夢を見た!』という者さえ現れました。
結果として、皆様に多大なるご心配とご迷惑をかけてしまった事につきましてはお詫び申し上げます。
しかしながら、未だ彼女の予知夢に終わりは無く、彼女が救われるのは皮肉にも
本当に地震が起こってしまい予知夢が的中した時ではないかとさえ最近では感じております。
今回の一連の流れによって皆様にご心配とご迷惑をおかけ致しました。本当に申し訳ございません。
『おや……地震か?』
月経に関する知識を「忌み嫌って遠ざけてきた」男と、別にどうでもいいよっていう増田みたいな男が居るわけで、
問題なのは忌み嫌う系統の男の方が威圧的に主張するから、女がそっちにあわせて行動することなんだよね。
入社直後から、体調不良でよく休み、人事に怒られ、落ち込んで夜眠れず、また体調不良の負のループ。
人事の言葉はいつも辛らつだった。「期待していたのに裏切られたわ」と、入社一ヶ月で言われた。お前に騙されて採用したと。
「お前は頭がおかしいから、精神病院を受診しなさい」と、病院のリストを渡されて、今すぐ電話をして予約しなさいと迫られた。予約するまでこの部屋から出さないと言われ、頑なに拒否し続けて、気づいたら三時間経っていた。安全配慮義務おそるべし。
あれだけ抵抗したものの結局、辛すぎて自分で心療内科を受診することを決めた。薬を飲んでも、辛いままだった。一ヶ月経った頃、休職することにした。
復職したら、閑職に回された。当然だ。自分の作った書類は、4人の先輩がチェックした。本当に厳しかった。思い出したくないから書かない。人事部の近くの席で、「一度悪いことをした人は、また必ず悪いことをするわ」「また間違えて精神病患者を採用しないためにはどうすればいいだろうか」「やっぱり現役で有名大に入った人は打たれ弱くてだめね」なんて聞こえてくる。僕は罪をおかしたのだろうか。
就業規則には、著しく精神に異常のある者は解雇されると記載されていたが、解雇はされなかった。自己都合退職をして欲しいのかと思えば思うほど、意地を張って、耐えた。
休職前は仲の良かった同期や先輩が、休職を期にどっと離れて、復職後も少しずつ離れていった。今思えば復職後の方が、精神の状態が悪化していた。心配してくれた人につい愚痴をもらせば人事部に密告され、と言うことが何度かあり、誰に対しても、心を開けなくなっていたからだ。
一度、珍しく一人で書類整理を任された時に、自分より先にうつ病で退職した先輩の名前が書かれたファイルを見つけた。中を開くと、発症前後の行動、メールを裏ルートで抜き出したログや、経過などがボロクソに記されていた。僕の記録も必ずあるはずだとゾッとした。
管理職の何人かは「お前は必ずやり直せる。焦らずに、少しずつ回復していけ」とこっそり励ましてくれたけれど、うつ病患者となり飼い殺されている僕を笑う同期や先輩たちの心無い言葉に負けそうになった。いや、完全に負けていた。
それでも、最後のプライドで意地でも居座ってやると思っていたし、「僕には他に行くところなんてない」と思っていたけれど、結局転職した。業界では平均年収の高い企業だったが、僕の給与はとても生活できないものだったからだ。
「もう限界なので、退職します」と話した時、応援してくれていた課長は、残念だと言った。その瞬間から、上司と部下の関係が終わった。
人事から「よく見つかったね」「今より給与下がるでしょ?いいの?」最後の最後まで嫌味を言われたが、耐えた。
それでも、所属部署の人たちが送別会を開いてくれて、お花をいただいた時、「頑張ってね」とエールを送っていただいた時は、会社に何一つ貢献できなかった事を本当に情けなく思った。
入社当時は仲の良かった同期や先輩は、最後までノーコメントだった。何度も退職する人に色紙を書いてきたが、自分はそのようなものをいただく権利はなかった。一人で帰路につく僕を、営業部のやつらが笑っていた。僕は彼らに、何か悪いことをしたのだろうか。
それ以来あの会社の人とは会っていない。
転職して2年が過ぎた。会社を辞めてすぐに、心療内科を卒業した。本当にあっさりと、「もう薬を飲まなくていいですね」と主治医は言った。その半年後に、内臓疾患が発覚した。やっと、あの身体のだるさの本当の原因が分かった。これは今でも治療を続けている。
時々、あの会社の人たちにとっての僕は、今でも人間のクズなのだと思うと、叫び出したくなる。忘れているに違いないけど、完全に記憶を消し去れるわけではないのだ。フェイスブックやツイッターで、会社を賞賛する元同僚の書き込みや、同期同士の飲み会の写真を見て、絶望したりする。そう、僕は2年経っても、縛られ続けている。
今の会社では普通に過ごしている。可もなく不可もなく。取引先のやり取りもチェックなしに進めさせてもらえるし、たまに褒められたりする分、僕なりに成長したのではないだろうか。しかも、こんな僕に前の会社より高い給与をくれる素晴らしい会社だ。
僕はこの会社で罪を償いたい。もっともっと利益をもたらせる社員になる。
そうすれば、いつか許される日が来るだろうと信じている。
およそ1年前、ロト6で1等が当たった。
キャリーオーバーがあると最高4億円が当たるロト6。僕の当選金は1億数千万円だったけど、番号確認した瞬間心臓がバクバクになったのを覚えてる。
ロト6は43個の数字から自分の好きな数字を6個選ぶ。(数字の選択を機械にまかせることもできる)
僕は5年前くらいから毎週同じ数字を選び買い続けてた。誕生日など自分に関連のある数字を6つ選んで。
手取り20万台のサラリーマンにとって、突如手にした大金の扱い方なんてわからない。
結婚する予定の彼女と両親以外には当選したことを誰にも話していない。
両親には『百万円以上のたからくじが当たった』と話した。もし金銭で何かあったら言ってくれと伝えてある。
彼女にはいくら当たったかまで伝えた。『せっかくだし何か欲しいものある?』と一応聞いたが、『欲しいものはいっぱいあるけど、私が(高額なプレゼントの)お返しがしにくくなるから、そういうのはやめよう。いままで通りで。』と言われた。
3銀行に決済専用口座を用意して3000万円くらいずつわけた。
1000万円保護までのペイオフは知っていたが、決済専用口座(無利子の代わりに全額保護)の存在は知らなかった。
定期預金にしたってどうせ利子なんて微々たるもんだし。
生活は変わらない。変えてない。
いままで手をつけた当選金は100万円のみ。震災の寄付として少しだけ。
当選金は投資にも回してない。投資信託だけは何年か前から毎月積み立ててやってたけど、これも当選前と当選後では変わらない。
大金を手にしたことが無いので怖いのもあって(ネットで調べてたら、宝くじ当選から失敗した方々の体験談等を多数目にした)、当選直後に自分の中で1つだけルールを作った。
『一ヶ月間だけ当選金を1円たりとも使わない』
一ヶ月、悶々と我慢したら「とりあえず今はこのままの生活でいいや」という結論に達した。
もちろん物欲はある。
今まで『もし宝くじ当たったら何買おう』とかワクワク考えてたこともあったし、当選直後は貪欲にも『ほしい物リスト』とか作ってみたりした。
でも一ヶ月経ったら冷静になれてた。
仕事は辞めてない。サービス残業させられるし、有給も満足にとれない。
しかしながら、1億円があたってから心に余裕が生まれたらしい。
仕事辞めて社会と接点を断ったら、きっと僕はダメ人間になりそうだし。
自慢したくてこの日記を書いたわけじゃないけど、知り合いにはトラブルのもととなるお金の話はできないのでここに書いてみたわけです。
はてな界隈というかネットではソーシャルゲームを敵視する人が山ほどいて、様々な理由を挙げてソーシャルゲーム業界の『問題点』を書き連ねている。
それを見るたびに、怒りやむかつきではなくあきれ返る気持ちが強く出てきていたのだが、理由が最近分かってきた。
ソーシャルゲーム市場というものが出来上がって、2年ちょい。当たり前だがその間にいろいろなことが変わってきている。
特に、ソーシャルゲーム市場は変化が本当に早くて、1か月経てば今までの知識が使えなかったりすることがザラなのだ。
当然だが、中の人としてはそういう変化に必死についていかないと生き残れない。
で、ネットでソーシャルゲーム業界を敵視する人が挙げてくる話は、とにかく古いのだ。
まあそりゃそうだろう。あそこまでヘイトをまき散らす人間がソーシャルゲームをやっているわけない。
結果、中の人から見たらとっくの昔に改善されている古い話を延々されているようにしか見えない。
例えると、ソーシャルゲーム業界を敵視する人が出している話は、『ゲーム脳の恐怖』クラスの戯言だ。ソーシャルゲーム業界を敵視する人々の頭の中身は森昭雄教授レベルと言わざるを得ない。
以前知り合った縁のある方から、出会い系攻略について聞かれたので
長くなったし、メールには残したくないし、もしかすると誰か他の人の
役に立つかもしれないと思ったので、ここに書いておきます。
【目次】
・まず決定しておくべきこと
・行動する上で心がけること
・具体的に何をすべきか
・その他配慮すべきことはあるか。
→サバ読み、一人か複数か、狙い目
【ア】まず決定しておくべきこと
1.目的
無目的で海に行っても、ぼーっと海を眺めて終わるだけ。
楽しみたいなら目的をはっきりさせる。
出会い系も同じ、目的はメル友なのかお茶友なのかセフレなのかはっきりさせる。
後述するように、目的が明確だと行動にブレがなく効率的な攻略が可能となる。
2.ターゲット
仮に目的を「釣り」として、ありきたりな竿、ありきたりな仕掛け、
ありきたりの餌で堤防から糸を垂らしても、魚が釣れるわけがない。
よしんば釣れたとして、①効率が悪い②なぜ釣れたのか分からないので
再現性が悪い、という問題がある。
なので、例えば「クロダイ」「マグロ」等、何を釣りたいのかはっきりさせる必要がある。
そうすれば、適切な竿、専用の仕掛け、最適な餌と釣り場を選択することが出来る。
出会い系も同じ。「JK」「主婦」等、誰を狙うのかをはっきりさせておく。
例)『東京23区内もしくは神奈川東部在住の30代後半の独身OL、親元から離れて
一人暮らしをしている。彼氏はいるが惰性でつきあっており、割と時間がある。
好奇心が強く、危ないと分かっていてもつい踏み込んでしまうことが良くある。
好きな作家は酒井順子、最近上野千鶴子も手に取ってみるようになった。』
ターゲットをこう決めたら、それ以外の女性はすべてスルーするのが鉄則。
3.自己分析
目的を「釣り」、ターゲットを「クロダイ」と決定しても必ずしも釣れるとは限らない。
なぜなら、出会い系において針に付ける餌は「自分自身」だから。
自分の強みと弱みを明確に自覚し、ターゲットのニーズを満たせるか考える。
もし、あなたの強みがグルメなら「スイーツ()」のニーズを満たしやすい。
もし、あなたの強みが平日昼間休みなら「主婦」のニーズを満たしやすい。
※これら3つをを決定しておくメリット
・「○○だから上手くいった(いかなかった)」等、分析が出来る→次回に活かせる
・結果が平準化される→いつでもどこでも使える。ビジネスにも、リアルナンパにも。
結局のところ出会えない人というのは、この3つの事柄に対して無自覚、なのだ。
【イ】行動する上で心がけること
「クロダイを釣る」と決めたなら、心がけたいのは「良き釣り人」であること。
良い釣り人とは、魚の習性を熟知し、魚の好む竿さばきが出来る人のこと。
相手を良く知り、相手の好む行動が出来る人、ビジネスではそれを顧客志向と言う。
相手を知るつもりがなく、自分の好みを押し付ける人、それはたんなるわがまま。
例えば、読めない名前や口にしにくい名前をプロフィールに設定している人
「GSXR1000」とか「メルルのアトリエ」とか。
第一に、ターゲットに訴えかけないよね?
第二に、会ったときになんて呼ばせるつもりなの?
2.活動期間を限定する
「良き釣り人としてクロダイを狙え」ば、かならず釣果を得ることができる。
しかし同じ場所でずっと釣りをしていると、いずれ魚はあなたに慣れ、釣果が
同様に、いずれアカウントは飽きられ、反応が悪くなる。
てっとり早いのは退会して新しいアカウントを新しく取ること。
これなら同目的、同ターゲットでも新鮮味を演出でき、釣果が戻ってくる。
では新規登録〜退会までの期間はどの程度か?経験則では3ヶ月がメドだろう。
3ヶ月経過したら、釣果を確認し、反省点を踏まえ新しいアカウントを作成する。
もちろん、素晴らしい相手を見つけたならば、退会してそれで終わりも良いだろう。
【ウ】具体的に何をすべきか
使うツールは基本3つしかない。「プロフィール」「日記(掲示板)」「メール」
見栄えが悪くなければそれで良し。名前もアバターもごく普通で構わない。
たまに派手なアバターやプロフィールを見かけるが、そんな「ドヤ顔」は必要ない。
自分のターゲットが誰なのか、自分の強みは何か、さらっと書いておくと良いだろう。
仕事がら全国いろいろなところへ行きますが、そういったところで
出会う美味しいもの美しい風景を日記に書いていこうと思ってます。
一人暮らしをしているので、同じように一人暮らししてる方と仲良くなりたいです^^』
最も難しく、コアな部分と言えるだろう。ターゲットの心に響かなくてはならない。
何を書くかよりも、書く内容をブラッシュアップさせる方法を見つける必要がある。
指針とすべきは「閲覧数」と「閲覧数に占めるコメントの率」。
過去の日記の数値を確認し、良かった日の日記のどこが良かったのか
なお、ハッピーメールではコメント率10%、ASOBOならコメント率4%が目安。
相手と仲良くなることは意識しない。自分の望む条件かどうか、相手が
仲良くなることを意識するのは、「直メ」「電話」フェーズである。
サイト内でのメールは、1回の量にもよるが、10回前後だろう。
直メへ移行すれば、会う確率はかなり高まる。
【エ】その他配慮すべきことはあるか。
1.サバを読むべきか
サイトでは、年齢をサバ読む人が非常に多い。男女問わず若い子が好まれるためだ。
半数程度の人間が、自分のプロフィールをサバ読みしていると考えて差し支えない。
自分がやるかは目的による。継続的な関係を望むならやるべきではない。
2.一人に絞るか複数を狙うか
これは複数が良い。一人だとつい入れこんでしまうし、リスクヘッジになる。
お手玉やジャグリングのように、リズム良く進めると良いだろう。
3.どんな人が釣れやすいか
はじめたばかりの人がもっとも狙い目。観察していると「初日記」「初書き込み」
は非常に人気が集まっている。前述したように、自分のアカウントは常に始めて
3ヶ月以内なのだから、「私もはじめたばっかりなんですよ^^」と、
相手との共通項を作れるメリットもある。
以上、私なりの攻略法でした。
http://anond.hatelabo.jp/20111009231144
Aセクだからその書き込みの人はちょっと違うような気がしたが、同棲していて、彼女の方がしたくなくなって、しなくなったら、彼氏がなんとなくイライラしたり
一緒に頑張ろう!と言われるけど、一体何を頑張るの?という気になる、という彼女からの相談
この増田さんの、どうすれば、は私はどうすれば、なんだろうけど、色んな意味を含んでるのではないだろうか?
私の態度をどうすれば?
彼との付き合いをどうすれば?
付き合い続ける or 別れる
彼女側の態度を何とかしてもどうにかなるものでもないのではないかと思うので、付き合い続けるか、別れるか 誰かに後押しして貰いたかったのではないかと思ってしまいました。
mixiの相談のようなのなら割と一般的な気がするけど、増田さんのはよくわからないので何とも言いようが無いのではないでしょうか?
結婚してからも男性側の問題でできないけど、妻には理解があり、同じようにガンダムオタなので、ガンダムに例えて話したりする事も書いていた人の話を見た事があるので、検索して出そうとしましたが見つからず代わりにこのようなのが、たくさんヒットしました。
http://hatsugen.zakzak.co.jp/qa6530764.html 元はこれですが、ものすごく転載されてます。
24歳既婚女性です。主人は30歳です。3年のお付き合いの後に結婚し、現在9ヶ月経ちました。
ガンダムの人のは男性側からの話で、相談というものでもなかったです。妻に悪いと悩むもののそれなりに幸せそうでした。
ここのブクマ、ツイートも多いですが、こういう書き込み内容はすごく転載されるのは、なぜでしょう?不思議です。下世話な好奇心プラス何かがあるんでしょうね。知的好奇心とか医学的興味?とか または知的興味や医学的?科学的視線も送れない事もない事だから、そのせいにして下世話な興味を満たしているのでしょうか?よくわかりません。
もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。
--
今日世界最高の大学のひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学を卒業したことがない。これが大学の卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生から三つの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。
最初の話は点を結ぶことだ。
私はリードカレッジを最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?
話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです」生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。
17年後私はたしかに大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これからの人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。
ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったから友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。
リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通のクラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体,サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。
これらの何一つ人生で現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初のMacintoshを設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初のコンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体とプロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacをコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。
もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ,運命,人生,カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。
私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージでAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20億ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初の一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってからの人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。
数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。
当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりわからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。
次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初のコンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリーを制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleがNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。
Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事は人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたのハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。
三つ目の話は死についてだ。
17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日を人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日が人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。
もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事なものを残してどこかへ行ってしまうからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。
1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まりの対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。
一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍の細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡で細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。
これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。
誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。
あなたの時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間を無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見に自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。
私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークでスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚を人生にもたらした。まだ1960年代でパーソナルコンピュータもデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラで制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックのGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。
スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなたが冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。
ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
本当にありがとう。
恋愛なんて無縁だと思ってた。2年ちょっとの出来事。
女の子と知り合った。
最初の印象は「二の腕がなかなかだ」とかその程度のものだった。
彼氏がいる女に対してそれを知っている他の男がアプローチしても良いものか、というのは結構悩んだ。
けれども彼女から彼氏の愚痴を聞いていくうちに、僕のその悩みはくだらないものとなっていった。
そして初めて人と親密になるための行動をした。
メールや電話で頻繁に連絡を取り合い、遊んだり、思い切って誘って僕の部屋に何度か来たりもした。
しかし僕の中では「男の部屋に彼氏持ちの女が二人きりで入ることは浮気」という価値観があったので、欲望との葛藤が出てきた。
結局、今の状況はよろしくないだろうと思い、好きだということを伝えた。
僕は大好きオーラ満開だろうなあと思っていたから、気付いているとばかり思っていたんだけれども……。
覚悟していたけれども関係が壊れていくんだろうなと思い落ち込んだ。
でも、週1度会う機会はなくならない。
彼女には「友達としてやっていこう」みたいなことを言われた憶えがある。
それで、まあがんばれるかなと思い、メール・電話を時々するぐらいの距離で上手くやっていた。
家に誘うようなことはやめた。
が……それからというもの彼女が彼氏のことを話すのが、それだけがとにかく辛かった。
たとえ内容が愚痴であっても、その男について話すのを聞くのが嫌でたまらなかった。
僕はこれを伝えた、辛いということを。だから連絡取り合ったり週1で会ったりするのもやめようと、
でも彼女は引き止めてきた。まあこれはなんとなく予想していたけれども、なんと彼女周辺の人間も引き止めてきた。
皆事情を知っていた。これには予想外、なんか決心が鈍ってしまい……。柔い決心だった。
彼女はそれから僕の前で彼氏について話すことはなくなった("友達"と称して話していたのは何度かあったけど、配慮してくれてるのでスパイスの効いた嬉しさがあった)。
もともとスキンシップは普通より多かったけれど、明らかに増えてきたのを感じられた。
それで、ベッドの上での我慢がいつまでも続かなくて……お触りよりちょっと先ぐらいまでしてしまった。
たまたまなのかもしれない、いやしかし次に会ったときも同じようなことをした。あっちから積極的にしてくることもあった。
もしかしたら嫌なのに断れず…なんて思ったので、嫌じゃないのかと聞いた。
「嫌だったらこんなことするわけないじゃない。」
一字一句こう言われた。
そうすれば自信を持ってまた伝えることができたろうに。
そうこうしているうちにまた彼女の様子は変わった。
でもがんばろうと思った。
縁さえ途切れなければまたチャンスはあると思って。
そうやって数ヶ月、もうだめだった。代わりにされたのだという考えが抜けなかった。
その後、僕とああいうことをしていた期間は彼氏と別れていた、ということを彼女から聞いた。
衝動的な行動で後悔の念があふれでていた。
ただしもう週1の会う機会はなくなった。
ただ……これが会いたくならないわけがないんだ。
ほんとにうわあああああああって感じ。自制心が弱い。
まあでも電話やメールしてほんとにたまに会ったりするぐらいで、結構落ち着いた関係だった気がする(僕が忙しかったおかげかも知れないが)。
彼女からすぐにメールが着た。なんていうか好きな人が心配してくれるのってものすごく嬉しい。
これがきっかけになったのかは分からないけど、また連絡を取り合う頻度が多くなった。
でも結局辛くなって(略
彼女の周りでちょっとした事件があって、彼女はカウンセリングを受けるようになった。
僕ができるのは話を聞くことぐらいしかなかった。
一緒に学校に行こうなどと誘ってもあまり外には出たくないようだった。
しっかり聞こうと思った。セックスのことだった。あとで泣いた。
内容はというと、
この相談に対してなんと答えるのがベストだったんだ。ましてや好きな相手の相談。
僕は彼氏をクズ呼ばわりし、それに対応できない彼女に対しても結構なことを言った。
私情抜きにしても別れるべきだとも言った。
詳しくは頭に血が上ってあまり覚えていない。
その後いろいろあって、日にちを空けて彼女が僕に対して言った言葉。
謝る気はさらさらないけれども一応謝っておいた。
その後もたまに連絡は取り合ったけれども、2週間ぐらい前にようやく連絡先とか全て消すことができた。
ちなみに彼氏は他の女と付き合いだして、彼女は振られたようだ。
ほんと、右往左往していた。
チラ裏。
低いトーンでめんどくさそうに話すようになってきた。
ここ最近機嫌が悪いな、と変に感じてわいたのだが、ある日突然机を叩き大声で恫喝される。
何が起こったのか一瞬理解できなかった。
原因は不明、思い当たる失敗もない。
そう言えば、と一つ思い出す事があった。
7月末頃、突然辞めた人がいた。仮にSとする。
そのSがNは怖い、Nに怒られる、と怯えるように自分に訴えていたのを思い出す。
その頃はまだNも愛想がよかったし、実際Sは仕事が出来ないので
いつも同じ職場のものから注意を受けていたから、軽く受け流していた。
お金がないから、と一月後復帰するが、あきらかに体調がわるそうだった。
そして相変わらずNが怖い、と言い続けていた。
復帰後ひと月経たずにSは職場に電話をかけてきて、今日で辞めます、と言った。
それっきり。
Sは本当に怯えていたのだ今になって知る。
S以外のものがNの愛想のよさにだまされていたのだった。
Nは次に自分を標的にしたのだと思った。
以来Nの事を思うと動悸が速くなり手足が異様な興奮で震えてくる。
今度は自分が鬱になりそうで、辞めてしまおうかと何度も考えたが、理由も解らず
悪意をぶつけられて逃げ去るのはあまりにも悔しい。
鬱々とする日が何日かあってある時その悔しさと恐怖が反転した。
やられたらやり返す!
しょせんはバイト、クビになったところでどうということはないと腹を決める。
一方、自分は典型的なオタク。身長はあるがひょろっとしていかにも頼りない。
その後は成り行きだ。
「黒沢」を読み自分を奮い立たせ頭の中で何度もその場面をシミュレートする。
が、そのうち冷静になってくると社会的に制裁を加えたいと思うようなり、
パワハラについてぐぐってみた。
ICレコーダーでパワハラの現場を録音し裁判での証拠に、というのを見てさっそく
今朝届いたブツを見て一人ニヤリ。
やはり武器があると心強い。
何か異様なテンションを落ち着かせようと書き込んでみた。
決戦は土曜日。まっとれよN!
失恋をした。
1通目
一昨日
こんにちは o(^-^)o
今度、映画パイレーツオブカリビアンを見に行きませんか?
●●さんの大好きなペネロペクルスが出てるよ
結果は無視された。
2通目
昨日
僕のことがまだ嫌いなのかな…
(;ω;)
あれから成長したんだよ。
相手の立場になって考えることができるようになったし、思いやりも持てるようになったんだよ
結果はまた無視。
3通目
今から送信予定
お返事がもらえないということは、僕の事がまだ嫌いなのだろうと思います。
それにも関わらず2日続けて迷惑なメールをしてしまい、ごめんなさい。
残念ですが、●●さんは僕の事が嫌いのようなので、もうこのメールを最後に連絡をするのを最後にします。
きっと●●さんは自分の事も忘れてほしいと思っていると思います。●●さんの事も忘れます。
ただ最後に僕の嘘偽りのない本音をどうか聞いてやってください。
数ヶ月もの間何も連絡も無く、今回急に連絡したのは、本当はもっと前に連絡したかったんだけど、以前僕が就職する気が無いと言っていたことを思 い出
し、正社員で就職するまでは会うことはおろか、連絡さえもしないでおこうと
あと、当時から僕の事が嫌いだったみたいで、そんな時に何を言っても逆効果と思って。時間が経てば少しは考え直してくれるだろうと思ったからで す。
本当はそんなこと無いんだよ、就職する気はあったよ。本当はマジメなんだ
よっていうことをどうしても言いたくて。
僕の態度や考え方が嫌いって言ってたことがあったけど、それにも全部訳が
あって。
意見や会話等をあえて否定して対立した構図を作った方が盛り上がるかなと
思って‥
何を言ってもわからないって言ってたけど、言ってくれれば全部必ず直せた
よって。
一生僕のことが嫌いでいいけど、せめて誤解だけはしてほしくなくて。
信じられないかもしれないけど、●●さんを傷つけようと思ったことは1度たりともありませんでした。
どうしたら●●さんが喜んでくれるのかしか頭にありませんでした。
それだけはどうか信じてやって下さい。
●●●の思い出をどうか嫌いにならないで下さい。悪いのは全部僕です。●●●に罪はありません。思い出を汚してしまい本当に申し訳ないです。
これで全てが終わり。
辛い思いを1人で抱えきれなくなって、晒すことによってその気持ちを分散したつもりでいたかったのかもしれません。
慰めてほしかったのかもしれません。