はてなキーワード: 女子校とは
20年近く前の話。
高校の部活の先輩のネット友達の大学生の文章が好きだった。彼のことも好きだった。
まだテキストサイトがあった頃。村上春樹にかぶれつつダメなオタクの匂いがする彼の日記が好きで繰り返し繰り返し読んでいた。
少しメールのやりとりもしたけど、あんまり覚えていない。うれしかった反面自分が彼に相手にされていないのを感じてかなしかった。
高校生なりたての私からしたら大学生はとてつもなく大人で、扱い方のわからない子供として扱われているのを感じた。
でも文章のリズムがとてつもなく好きで、何度も繰り返し読んでいた。
高校の先輩はその大学生でないネット友達と彼氏になってはしゃいでいた。
性交渉をしたんだろうな、とおもわれる日記を書いたりしていた。私はまだ処女だったけど舞い上がりすぎている先輩には正直ひいていた。
文化祭の日、先輩は彼氏とネット友達を部活の展示に連れてきた。
会ってみたい、話してみたい気持ちはあったけどウブウブのウブなので顔なんて合わせたら一瞬で好きなのがばれてしまうのがこわかった。
私は展示のバックヤードに逃げた。女子校なので、パブリックに見えないところは女子更衣室みたいなものだ。私は複雑な気持ちにぐらぐらしながらも安心していた。
でも、先輩はあろうことかバックヤードに彼らを案内した。複雑な気持ちのエントロピーが全部恐怖と怒りになり、頭が真っ白になった。
私はたまたま手元にあったカッターを手に取って、たぶんものすごい勢いで先輩ごとバックヤードに入ってきた男性たちを恫喝した。
彼らは逃げ、私は先輩に「浮かれるな」とかそんなことを言った。泣かせてしまった。ほかの先輩が慰めていた。
今考えても彼女は実際浮かれてタブーを犯したんだけど、とはいえ思い人に引き合わせてやりたい気持ちもあったんだろう。
誰がどんな気持ちでどんな思惑を持ったかは置いておいて、とうぜんだけど大学生からは連絡が来なくなった。とてつもないものを壊してしまった。
私はあの日どうしていたらよかったのか何年か繰り返しあの日を思い返して苦しくなっていた。
今朝夢に大学生だった彼が出てきて、気持ちがツーンとして久々に思い出した。増田に流して供養する。
あの時普通に会えなくてごめんなさい。男の人を過剰に怖がるあまり、あなたを傷つけてごめんなさい。私はあなたに会う価値なんてないおかしい女の子でした(今もおかしいけど)
---
追記:
> 読み直してようやく人間関係がわかった。ABCD使ってくれていいんやで。
世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分の思考を言語化する目的で表題について考えてみることにする。
冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。
かなり幼い頃から自分は不細工だと認識していたし、運動もからきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。
ほとんどの男子児童は小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。
ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。
口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手が複数になると大体泣かされて帰宅していた。
男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。
やや特殊な環境で、中学は完全に男子校、高校は女子もいたが全体の10%前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)
高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリーのクラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。
そんな理由で、高校は男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。
ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。
私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。
恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまでネタとして捉えているオタクが自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。
ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分を男子校出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。
「クラス対抗競技で女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしまう自分にも気づいていた。
総括すると、ややマイルドなホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。
男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。
そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。
そういう懐の広さが男子校の良さだった。
男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。
ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。
一定の人々は、そういう排他的な感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。
もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。
さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学に入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。
社会のメジャーな領域において女性が男性よりも不利な立場にあることは理解している。
しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。
日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。
男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。
だから、メジャーな領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストのわずかな瑕疵やオタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。
女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニストを批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。
多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストをフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰だからである)。
そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性のホモソーシャルを攻撃していることにも。
第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義でしかないのだと考えた。
私のフェミニズム的思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。
(ちなみに私はシスのストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情は女性にしか持ったことがない)
つまり身体性から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。
だから、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものはガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。
私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。
第二に、女性だけが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。
私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである。
そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性だけが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。
何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。
弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。
実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。
相手が女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。
性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。
男性の多くはセルフケア能力も性的に興味がない他人をケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。
基本的に男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。
だから、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。
もちろん、ケアをする能力というものを女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性に相談するという女性も多いのだろう。
それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。
しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。
男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。
自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。
結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものでしかないのだ。
自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。
少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性はGLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。
ストレートの人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。
男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーでしかない。
男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。
あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルにインコレクトで不健全なものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)
愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。
私はやっぱり異性の恋人が欲しい。
生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。
何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。
大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業したころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。
喪女でヲタクで腐女子っていう三重苦抱えてるんだけど、性欲が男子並にある
小学生でエロサイト見てたり親が隠してるAV見たり自慰覚えたり、テレビの芸能人の妊娠報告見るたびこの人たちヤったんだって思ったり まあ性の目覚めが早かった
中高は女子校だったし、彼氏が居たり経験ある子って一部だけだったから焦りもなく、ヲタクだから推しに金かけたいから彼氏なんかできたら時間もなくなるし金も全部は推しにかけれなくなるって思うから青春したいなとは一回も思わなかったし、大学生になった今も彼氏はいらないって思ってる
小学生の頃からいつか自分もセックスするんだろうな、って思ってたけど、大学生になって、今まで女子校で過ごしてきて彼氏の話なんか無かった友達が次々彼氏が出来たりなんなら夜の話もする子もいる
自分の知らないところで皆”経験”してるんだ、、って思うと急に焦ってきた
普通はここで成人して彼氏いない歴=年齢なことに焦ると思うけど、私は経験ない歴=年齢に焦ってる
パートナーが欲しいから彼氏欲しいじゃなくて、セックスしたいから彼氏が欲しい 自分で思って情けなさすぎるけど何で人間に性欲なんかあるんだよって思う
本当は前戯から終わるまでどのくらい時間かかるのかとか、そもそも気持ちいいのか、ラブホって実際どうなのとか経験したことある友達に根掘り葉掘り聞き出したいけどなかなか難しい 男子は性事情オープンにしても良くて羨ましい
LGBTとかじゃなくてほんとに性欲があるだけなんだけど、動画で同性とのセックスの仕方も見てるからこの際同性でもいいからセックスしたい
どんな人と付き合いたいとかどんな人とセックスしたいとかが無くて、そもそも好きな人居ないから恋愛にならないんだけど恋愛どうこうよりセックスしたい
ありふれた話だけど、自分の顔が嫌いだ。
久しぶりに自分の顔が憎くてたまらない波が来たので、感情を小さくするために、自分の中の顔に対する思いの変遷をまとめてみた。
今となっては愚かすぎて笑っちゃうんだけど、小学生の時は自分のことを絶世の美少女だと思っていた。親に溺愛されて育ったのと、親戚にも地域にも小さい子が少なかったので、褒められる機会が多かったせいである。
しかも捻くれたことに、(自分は美人だからおしゃれなんかしなくても充分だ)と思っていて、おしゃれに目覚めて盛り上がる女子たちを小馬鹿にしていた。
その考え方はやがて女子=愚か、という結論にたどり着く。小学校高学年の頃は、男子と混ざって馬鹿な下ネタを言う自分が格好いいと思っていた。そして、体つきの変化を隠すためぶかぶかの服ばかり着ていた。つまり、小学生にして名誉男性思想を獲得していたのだ。我ながら最低だと思う。
しかし、中学生になって分別が出てくると、さすがに自分の顔が美しくはないことに気づき出し、その反動で自分の顔も体もとことん嫌いになってしまった。
毎日マスクをつけ、夏でも長袖チェックシャツに太めジーンズで、前髪を伸ばし、制服のスカート丈も靴下すれすれまで長くしていた。服屋なんて鬼門中の疑問で、滞在時間を最小にするために絶対試着をしなかったから、ジーンズの裾をいつも何重にも折り返していた。
写真にはとことん写らないようにしていたため、冗談抜きで中高の写真は高校の卒業アルバムの個人写真1枚のみである。(中学の卒業アルバムは、受け取った瞬間自分の写真を切り取ったせいで親と大喧嘩になり、貰った翌日にはもう捨てしまった。)
その頃の私が一番恐れていたのは、周囲の人に(あいつ不細工のくせにオシャレしてて、身の程知らずだな)と思われる事だった。自分の体を隠し、不細工の自覚をアピールすることに必死だったのだ。
ただ一つ恵まれていたことは、私の母校は穏やかな私立の中高一貫女子校で、私がゼロ年代の男オタクみたいな服装だろうと、毎日毎日「私不細工だから〜」というフォロー待ち感満載の発言をしようと、派手な子から地味な子までみんなフレンドリーに接してくれたことだ。(というか派手な子地味な子普通の子、みたいなヒエラルキーすらほとんど無かった。)中高時代の私が私が醜形恐怖症にならなかったのは、間違いなく同級生のおかげである。
自己嫌悪と同じくらい自己愛が強い私は、共学の大学に入学すると、オシャレへの拒否感との板挟みに苦しみながらも必死に自分磨きをした。
詳細は省くが、努力の結果、ゼロ年代のオタクから垢抜けない女子大生くらいにはアップデートできていたと思う。(ちなみに、アラサーの今までついぞ垢抜けることはできていない。)
しかし、顔だけでなく性格も悪く、社交性もほとんどないので、多少見た目が改善されても全くモテなかった。女子校時代とは比べ物にならないくらいの恋愛至上主義の中で、数年にわたって誰からも好かれないということは異常事態である。特に文系大学生にとって、彼氏ができたことがないといのは、ほとんど社会不適合者のお墨付きをもらったようなものだ。当たり前のことが当たり前にできず、みんなやすやすと飛び越えたハードルの前でいつまでも立ち尽くしている気分だった。
このモテなさを改善するには、性格をよくする努力をしたり、社交性を磨いたりするのが正しい道だとわかっている。しかし、他人と話したりポジティブな振る舞い(人を褒めるなど)をしたりすると、必ず不細工な自分が不細工な笑みを浮かべながら必死に媚びへつらっているイメージが頭をよぎっていたたまれなくなる。そして何もできなくなってしまうのだ。
大学時代を経て、顔へのコンプレックスが、容姿も含めた自分という人間全体へのコンプレックスに変わったように思う。小学校時代は明るいお調子者だった自分が根暗に変わってしまったのは間違いなく顔へのコンプレックスのせいなので、顔と性格の間に負の連鎖が生まれてしまったのだ。
その負の連鎖は今でも続いている。自分の行動がうまくいかないと、その事だけでなく自分全体を憎んでしまい、最も慣れ親しんだ顔への憎しみに帰結するのだ。仕事で失敗すると、トイレの鏡に映る自分の顔の醜さに絶望する。ちょっとした不幸(通販で失敗するとか)があると、何時間も鏡を見て、自分の顔のレベルをいつまでも考え込む。あまり他人に顔を見られたくないので、いまだに人の目を見て話せない。それどころか、不細工が調子に乗っていると思われたくないので、気持ちを奮い立たせないと自分から人に話しかけられない。
この増田を書いているのも、見知らぬ誰かに、自分は不細工の自覚があることをアピールしたいからなのかもしれない。やっぱり自分は醜形恐怖症なのかなとも思うけど、顔がいい人が醜形恐怖症になりやすいっていうのを聞くと、もう醜形恐怖症を疑うことすら調子に乗っていると思われそうで怖い。周囲の人は着々とライフステージを進めているのに、こんな思春期半ばみたいなことで悩んでいる自分の幼稚さも嫌いだ。
自分の感情を小さくするために書き出したのに、結局変に興奮してしまった。でも、朝起きてこの文章を見返せば少しは冷静になるかもしれない。明日は少々自分の醜さに折り合いをつけられる気持ちになっているといいな。
小学生の時に下半身裸の変質者にあった。逃げたら刃物片手に追いかけてきた。
中学生の時には強姦されかけた。女友達と行ったカラオケで、ドリンクバーに一人で行くと声をかけられて付き纏われた。そのまま部屋に押し込まれた。
中高一貫の女子校で、電車とバス通学だった。電車に乗ると一週間に一度はかならず痴漢にあった。はじめて痴漢に会った時、必死で抵抗した。やめてくださいと言った。他の乗客と何人か目が合った。誰も助けてくれなかった。男の人のポケットにカッターナイフが入っていた。
小学生の時のトラウマもあり、殺されるのではないかと思い、追いかけて腕を掴んだりする勇気は出なかった。黙って耐えた。
酷い時には指を何本も突っ込まれたこともある。当然男性経験はない。急いで電車から降りると下着が赤かった。泣いて、家に帰った。
当時から、今でも魘されて起きる。何度も手首を切ったり飛び降りかけたり自殺未遂をした。死ねなかった。
親か心配して連れていってくれた精神科では、思春期で不安定なんでしょうと言われた。
ワンピースを着なくなった、ショートパンツとスカートを履かなくなった。真夏でも長袖を着た。
高校に入ってからはもっと痴漢されるのが頻繁になった。ウエストにベルトが着いたワンピースの制服だったのだが、胸が発育するにつれて目立つようになった。電車の中でも、外でも、男の人にジロジロ見られた。
怖かった。新幹線や在来線の快速、新快速で窓側に座ったら通路側の男の人に太ももを触られた。胸を揉まれた。やめてください、と言っても続けてくる人には諦めるようになった。次の駅までの数分、耐えるだけだった。決してOKしたとか、そういうのじゃない。中高生の六年間で心が死んだのだ。
高校二年生のときはじめて彼氏が出来た。キスをして、肩を抱かれた。電車の中で会った男の人たちを思い出し、気持ち悪くて吐きそうだった。
TwitterでOK娘という存在を知った。痴漢冤罪についてもはじめて知った。冤罪以外の痴漢が存在しないと思っている人が凄く多くて、心が辛かった。
はじめて男の人に抱かれた時、血が出なかった。わかっていた事実だけれど、苦しかった。痴漢で脱処女する女の子だっているんだな、私のことだけど。
たまに痴漢の話題になる。痴漢をされたことある子、かなり居る。冤罪なんて、Twitter以外で見た事がない。
でも、そうじゃない被害者の女の子たちも確かにいる。刃物をチラつかせながら知らない人に身体をまさぐられるって想像してみて欲しい。自分の娘がそうだったらどうですか?
彼氏とのデートに向かう途中にも痴漢にあったことがある。抵抗したし、電車からおりるとすぐ彼氏に泣きながら電話をした。抵抗しないお前が悪い、汚い、と言われた。辛かった。そのわりに、その日セックスを誘われた。痴漢されて感じた?なんて聞かれた。天井を見るだけで言葉は出なかった。心が二回死んだ音が聞こえた。
あと三年で就職だけれど、電車に乗りたくない。だから就職先近くに引っ越さなきゃいけない。
未だに腕の傷は消えないし、魘されて眠れない。
痴漢です!と叫んで追いかけて、その人が捕まったとしても、冤罪だと言われたら無罪なんですか?さわさわと足を撫でられても指を入れられても胸をタッチされても無罪なんですか?
怖い
男の人が本当に怖い。
男はエロいことに時間と金を割かないで済むようになって嬉しい、女はキモい男に不本意に言い寄られないようになって嬉しい WIN-WINの関係
全国民が常に性欲を感じないでいられるだけの薬が配られるが、もちろん飲みたくなければ飲まなくてもいい
でも俺と同じようなキモ男なら多分飲むはず 童貞のやり場のない性欲なんて持ちたくて持ってるものじゃないからな そんなもん一切感じず自然でも愛でてるほうがずいぶん良いってことは理性では分かってる
男がみんな枯れれば、キモい男に言い寄られて不快になる女性もいなくなるし女からキモがられてミソジニーを拗らせる男も減るはず
大半の性欲ドリブンな恋愛が消えてモテカーストみたいな概念もなくなるし、みんなもっと自由に生きられるはず 男子校とか女子校は異性の目がないからすげえ自由って言うが、わりとそんな感じのノリになるんじゃないか?
風俗業も無くなって不当に性的価値を安売りさせられてるって女もいなくなるし、性病も減る ヤクザの資金源も減る
キモ男の性欲の発露vs女の不快感 に端を発するオタク対フェミニストの醜い戦いも終わる 誰も女体に興味を持たなくなるんだから
まあ、私、エロいですから、エロ広告がでるのは仕方ないと思ってます。検索した記憶はないですが。行動履歴からエロいと思われたんでしょう。このスマホではエロサイト行ってないんですけどね。
それよりもアレですよ。N○Tを冠にしている会社のシ○モアの広告。
基本的にアレに乗ったエロ漫画って他にねぇのかよってくらいリピートされるじゃないですか。女っぽい男の子が姉の代わりに女子校の修学旅行行く奴とか。
NTR自体悪くないです。お好きな方いっぱいいるの知ってます。太田光も好きらしいですから。
でもねー、私、主人公感情移入型なんで全くダメなんですよ。もう超うわぁってなるんですよ。そういう人が1番ハマるらしいですけど。
ただねー、なんで球児のハゲとかDQNの広告出すんですかね。マジしんどいんですよ。これだけでadblock買うレベルですよ。
うん。こんなアニメ流されたら胃に穴が開く。
これって単に「シスヘテロの恋愛優先文化を捨てる覚悟がありますか?」って問うてるだけだよね。
シスヘテロ恋愛の特権的取り扱いを自明視していて、それをやめるなんて考えたこともないから、この文面が「露悪的な攻撃」に見えるんだろう。
これが「露悪的な攻撃」に見えるから、よく読めば当たり前のことしか言ってないことに気づかず、売り言葉に買い言葉で無理矢理にでも反論しないと気が済まないんだろう。
もし世の男たちが友達と同じように女と接したら
・昼はラーメン、夜は鳥貴族
・予約なんてするわけない
・歩くスピードは合わせない
・上座は俺が座る
・「お前」呼ばわりは当たり前
・褒めません
・おもんない話はテキトーに聞き流す
もう一度聞きます、本当に男友達と同じように接して欲しいですか?— いしい (@Teruhiko_Ishii) March 15, 2020
「女子校は男が思ってるようなところじゃないよw」とは何だったのか。男同士でも女同士でも、異性の目を気にしない関係に違いなんてないんじゃなかったのか。女性性に対するステロタイプを強化して、一体何がしたいのか。
女性はおもんない話を聞いても「すごーいw」と手を叩いてヨイショするとでも思ってるのか?
そんなわけがない。女性も男性と同じ人間だろう。それ以上でもそれ以下でもない。
うちのは自己投影型の理想追求スタイルで、昔笑えないほど貧乏で可愛いお洋服とか買ってもらえなかった母親のピンクフリルスカートカワイイ♡を押し付ける感じ。
これも笑えないのは僕がFtMだってこと。物心ついた頃からショートカットを譲らず粗暴な言葉遣いを心がけていた(幼少期から色々あったけどここは割愛)けど、買ってこられる洋服は上記のようなフェムみ溢れるやつ。更に最悪なのは母親に騙されて(ここも割愛ね)私立の女子校に入学させられたこと。その頃はまだ性自認も曖昧だったから近所の学校に行く気の合う男友達たちと離れ離れになるのが心底嫌だった。年の近い女の子と友達として話すのが大変に苦痛だった。
地頭も良かった僕はクラス委員長やらクラブ活動の部長やらになって人望を集め、女の子を従えることで自分の中の違和感を払拭していた。男友達と馬鹿をやっていたかった。母親のアコガレに付き合って、大変な選択ミスをしてしまった。
現実と本当の精神とのギャップについていけずついになにかが壊れ、不登校になってしまった僕はネットに逃げ道を作り、長いこと引き篭もった。勿論精神科も通った。
母親の中でのギャップの方が大きかったらしく、自分が辛いうえに彼女も毎日ヒステリーを起こしていた。「そんな風に育てた覚えはない」「息子を産んだ覚えはない」何度言われたことだろうか。
書いていて過呼吸起こした。馬鹿みたいにフラッシュバックするよな。
父親は父親で、僕に就職の世話をするとか言って期待していたら反故にされたり、まぁ、他人に期待を寄せちゃいけないと教えてくれたのは両親だったな。そこは感謝しないといけない。ちなみに高校は中退して高卒認定を取った。勿論一発合格だった。
絶望に絶望を繰り返して、自立して実家を離れないとどんどん人間が腐っていくなと自覚したあとからもまた地獄だった。コントロールしたがりの親の目を盗んで生計を立てる目処をつけなきゃいけない。
幸いバイトをしろとは言われていたので何度も吐きながら過呼吸起こしながら少しずつ働いていった。最初は週に3時間とかからでもまず外に出るのがキツかった。段々増やしていって、貯金をして、引っ越し代がたまったらすぐに家を出た。それからもまた大変だったが、親の声を聞かずに1日を過ごせるというのがなにより、なによりも幸せだった。
話は変わるが父方は裕福で、母親はそれを利用している上で憎んでいた。最低だ。
祖父母が相続税がかかるものを少しずつ生前分与してくれていた物品を、僕のその引越しのドタバタの中、母親が盗んでいた。問い詰めたら換金した結果大した金にならなくて期待外れだったわとまで言った。
大切な祖父母が床に伏している中、頂いた大切なそれらがもう手元に戻ってこないことは彼らには言えていない。死ぬまで忘れない恥だと思う。一生呪っている。
そしてまた、女子校の前に向かうのであった
タイトル通り
思想の根っこがどこかで繋がっているはずだという
考えがあって、それゆえにわかってもらえるはずという期待があるのかもしれない
人は人のことをわからないはずなのに
こーいうのは男性もあるのかな
※追記
わかってもらえるからという期待ゆえに(=争いたくないがために)
言葉がうまく出ない
という話です
争うのが苦手っていうのがあるし男性には強く言えるというのもある
※追記2
ツイフェミのことはよく知らないんだすまない
女性だけの街を作ったらそれはそれで男性的なものに価値がおかれるようになるんじゃないの(女子校でモテる男性っぽい女子みたいな)
いや知らんのだけどね
▪️
責任をとるって自分では大なり小なり局面で判断して決断する人って思っていて
そういうことができている人はいいなって思うよ
っていうかそうしないと男女問わず結局辛いよね
※追記3
自分はこの悩みで仕事を辞めるのが2回目なので次はしないようにしたいんだ…
>>オタクならまだ話せるけど一般女性は何話していいか判らない
うん。オタクって欲望をさらけ出しているのでその点でお互い立ち位置がノーマルなのかな
隠れオタクではないけど普段から自分の趣味とか言わないからそういうのやめたほうがいいのかなあ
(仕事と関係ない趣味の話ってどういうタイミングでするのか分かりかねる)
▪️
女性=仕事ができない人ってみているひとは女性という大雑把でみないようにしたほうがいいんじゃない?
自分もそういうフィルタで女性を見てしまっているのかな、と反省しています。
※追記4
これはとても分かった
▪️
男相手だとここ間違えてるから修正お願いしますって淡々と言える
男ならここがダメってはっきり言えるけど 女だとめっちゃ気を使って言い方も厳選
ケアレスミスさえ指摘しにくいんだよな
うまく言わなくてはと考える
▪️
増田が男性からは「多少生意気な口を叩いても許される若くてかわいい女の子」扱い
まあ舐められているということだろうか
個人の力量に任されるニッチ作業が多いのでそういうことは多少あるかも
ニッチ作業しているから特殊に扱われたい欲が自分に返ってきている可能性はあるので気をつけるわ
▪️
しばらくフリーなので楽に生きるわ
結論から言おう。僕は就活に失敗した。理由は明確で、自己分析が全く足りていなかったから。この記事は、皆さんに自己分析の大切さを口酸っぱく伝えることが目的だ。「そんなこと言われなくてもわかっている」という方も、反面教師として嘲笑する目的で読んでほしい。
僕は、いろいろあって、新卒で入った会社を3月末で退職する。世間では「3年は働け」とよく言われているが、これは半分間違いで半分正解である。精神が病むほどひどい環境ならやめるべきだが、そのかわり転職の難易度はグッと高くなってしまう。なのでできることなら、頑張って長く続けたほうがいい。そういう僕が1年で退職するということは、頑張って長く続けることが不可能だと感じたからだ。
これから、自分が仕事をやめる原因となった「いろいろ」について延々と語っていく。時間がない方は、下の方にある「【幸せとは何か、とは哲学でなく分析である】」まで飛ばしていただくのが良いと思う。
就活の時期、私はプチ鬱に陥っていた。大学の研究室の多忙さと、難航する就職活動。「人の心を動かしたい」という信念のもと、エンタメに関わる仕事がしたくて、倍率の高い大企業しか受けていなかったのだ。20〜30エントリーするべきと言われていたところ、僕は10社未満しか応募できていなかった。その結果見事に全落ち。路頭に彷徨っていた時に拾ってもらったのが、いま僕が働いている会社だ。
この会社は、数十人規模の中小企業だった。不況の荒波に流されないよう必死にしがみついていて、必然と業務もハードになる。裁量労働制という、無知な人にとっては「最新鋭」と思われそうな制度のおかげで、全員時間を気にせず残業しまくっていた。
正直、労働環境は劣悪だった。特に大変だったのが、自分の周りに歳上の女性しかいない環境。いちばん歳の近い男性が上長、さらに同期はほぼ一人もいない。男子校で6年間育ってきた僕にとって、女子校のような職場は未知数だった。そんな状況でも、熱意があるから頑張れると思っていた。思ってしまったのだ。
業務内容は、僕の好きな分野だった。毎日新鮮な体験ができ、仕事が楽しくてたまらなかった。一年目でまだまだ仕事ができない自分だが、楽しいから頑張っていける。そう思っていたのも約半年、そして僕は現実を思い知った。
仕事が思っていたよりできるようにならない。なぜならば、上司に相談しやすい環境が全く整っていなかったからだ。いちばん歳が近い上司は、「それ前も言ったよね?」と覚えが悪いことを怒る。女性が怖くなり、男性に相談しようとしても、いちばん歳が近いのが部長なのでなかなか相談しづらい。そんな環境で、何が正解かわからなくなっていた。
もちろん入社前から予見していたことだが、人数も少なく多忙な会社に、新卒を教育する余裕なんて全くなかったのだ。「仕事覚えが悪いせいだ」と言われたらそれまでだが、僕からすると、あまりにも部下の失敗に対する寛容さが足りていなかったように思えた。
やめるかもしれない、と思い始めたのが11月。立て続けの仕事に追われ、ストレス発散のために飲みの予定を立てた。学生時代お世話になっていた方との飲み会で、絶対に断りたくなかった。その日、上司から仕事を頼まれた。僕は苦渋の思いで仕事を断った。その結果、その上司からの評価がガタ落ちした。
全て断定形で書くとこんな感じ。こうして見れば大したことない出来事だが、その後に問題があった。僕だけがいない飲み会で、僕の悪口で盛り上がっていたそうだ。
部長は、全てを大声で話す人だ。叱る時は大声かグループラインで。内緒話もできない。その上長がいる飲み会で僕の悪口を言えば、きっとそれが僕にも伝わってくるだろう。そういう確信のもと、僕は飲み会をサボったのだった。
確信は事実へと変わった。全員がいる職場で、「お前けちょんけちょんに言われていたぞ」と大声で言い放つ部長。その瞬間、私の熱意は温度を失った。
別に、私が仕事をサボったことに関して悪口を言われるのは良い。だが、それ以外にも、芋づる式に私への罵詈雑言が飛んでいたそうだ。良かれと思ってやったことが、その上司にとっては許せなかったり。細かな内容までは知らないが、ざっくり言うとそんな内容である。この環境で働くのはもう無理そうだな、そう思った入社7ヶ月目だった。
確実にやめようと決意したのが、12月頭。そんな状態で仕事をしているので、当然作業が遅れてしまう。全員熱意だけで働いている環境で熱意を失うことの重大さは、誰にでもわかるだろう。そしてまた当然のように、上司からの冷徹な叱責を受ける。精神的ダメージからいつもできていた仕事ができなくなり、また怒られる。その繰り返しで、僕の心はボロボロになっていった。
だが、そんな状況でも、大仕事を一つ持っていたため、具体的な転職活動まで乗り出せないでいた。
そんなある日、限界が来た。いちばん嫌いな上司に激怒された次の日、仕事が全く手につかなくなった。
そこからはもうあっという間だった。年が明け、心がリセットされるかと思ったらむしろ悪化し、実際に転職活動を始めることになった。会社にも正式に報告し、3月末で退職することが決まった。
しかし、1年目で辞める人間など、できれば雇いたくないというのが会社の常だろう。就職活動は難航を極めた。数十社応募し、面接に行きまくった。裁量労働制のいいところは、自分で勤務時間を決められること。そのアドバンテージを最大に活かし、朝面接に行き、会社に行き、夜また面接に行く、という多忙な生活を繰り返している。
そして現在に至る。まだ転職先は見つかっていないが、さすがにそろそろ見つかるだろうというタイミングだ。これで本当に見つからなかったら、正真正銘のバッドエンドになってしまうので、焦らずいい職場を見つけていきたい。
結論として、僕が言いたいのは、「自分の軸をしっかりと考えろ」ということだ。軸とは言い換えるならば、幸せの定義である。「これさえ守れば自分は頑張れる」というものがなければ、きっとあなたは挫折する。
昔、学生時代は、とにかく「人の心を動かす」ことを軸にしていた。しかし、それは恐ろしく独りよがりな考えだった。一人でも多くの人を幸せにしようとするあまり、自分とその周りの人々を幸せにすることがすっぽりと抜け落ちていたのだ。
これは、やはり自己分析の欠如による悲劇に他ならないと僕は思う。今までの人生でつらい時には、優しい先生がいた。励ましあう仲間がいた。そんな健全な環境で、僕は今まで成長してきたのだ。
それが前職ではどうだったか? 周りから浮き、誰も信じられず、一人で悩みを抱え込む日々。入る前に完全に予見するのは難しいだろうが、少なくとも、労働時間が長くほぼ女性しかいない職場で僕が生き残る術はなかったのだ。
一つ目は、自分が幸せになること、幸せな生活を送ること。彼女と結婚して幸せな家庭を築き、親孝行し、生を謳歌することが、人生における最大の目標になった。
二つ目が、いい労働環境に恵まれること。いい上司に恵まれること。伸び伸びした環境なしに、スキルアップは望めない。いい土壌なしに美味しい野菜は育たないのである。
そして三つ目に、やりたい仕事をすること。これは正直、もうどちらでも良い。上二つを実現できない仕事ならやる意味がない。そう思うようになった。
もう一度あなたに考えてほしい。あなたが思っている軸は、本当に軸としての機能を果たしているのか?と。そして、その軸と職場を照らし合わせたとき、本当にその軸を守り続けられるのか?と。
以上、自己分析が足りていなかった僕がここ一年で味わった絶望とこれからについて話してきた。僕と同じ立場の人は、世の中にごまんといるはずだ。決して人ごとだと思わず、自分の人生と照らし合わせて考えてほしい。
仕事にせよプライベートにせよ、この先あなたはどこかで挫折するかもしれない。しかし、挫折は敗北ではない。挫折して立ち上がらないことこそ敗北なのだ。軸が折れたとしたら、より強い新たな軸を探せば良い。そうして人間は太くなっていくのだろう。
でも新卒で入社してすぐに折れたくなかったら、今から自己分析をしなさい。全くしてこなかった人も、今からでも遅くない。
前田裕二氏の『メモの魔力』という本をおすすめする。何がなんでもメモする癖を付けることで、とことん自分を突き詰められるようになるらしい。という僕もまだまだメモする習慣を身につけられていないので、ちゃんとメモします。
書くの初めてだから色々まとまってなかったらごめんなさい。
もう自分でぐるぐる考えすぎちゃってよくわかんなくなってきたから、文にでもして纏めてみようかなって。
私は今までほぼずっと女子校的なところに通っていて、大学に入るまで男性との接触がほとんどなかった。
けどまあ自分で言うのもなんだけど容姿は整っているし、何度か告白されたことも、恋愛的なごたごたに巻き込まれたこともある。
そのたびに「あなたが気を付けないのが悪い」とか、「思わせぶりなことしやがって」みたいなこと言われたりする。
女子同士が遊ぶみたいなこと男女でやったらその時点で誘ってると思われちゃうの?とか、全員から狙われてる前提で動かなきゃいけないとか社会やばくね?とか、恋愛と友愛って何が違うんだろう?性愛の有無?別にやろうと思えば友人とだってセックスできるくない?ときめきを感じるかっていったら別に友達にもときめくことない?ふっと気を利かせてくれたときとか、めっちゃあーすき!ってなるじゃん。とか、っていうまずここらへんで躓いてる社会不適合者です。
そんで色々踏まえて考えたんだけど、私はアセクシャル(エイセクシャル?)じゃないかと思っている。
簡単に言うと他人に対して恋愛感情も性愛感情も持たないセクシュアリティのこと。
他人から向けられる恋愛・性愛感情に気づけないのって、自分にその感情がないからじゃない?っていう。
(電車とか路上歩いててとかで性的な視線自体はめっちゃ感じる。正直嫌になるくらい。)
恋愛に関して述べられていること、正直びっくりするくらい理解できないもん。
更に言うとそこらへんの感情がないからか知らんけど貞操観念とか羞恥心とかガバガバにない。全くない。メリットデメリットを天秤にかけて今のところデメリットが勝っていると思っているからビッチになったり露出狂になったりしてないけど、割と素質みたいなものはあるんじゃないかなって自分でちょっと思っちゃったり。
あと恋愛感情が持てないことに対して、「ただ好きな人ができたことがないだけじゃない?」みたいな考えは正直あるし、否定できないと思う。
けどそれはどのセクシュアリティの人に関しても言えることで、ヘテロだと思ってたけど明日突然最高の同性に出会ってホモセクシュアルになることだって全然あり得ると思うから、そういうことだと思う。今自分がどう思ってるか、が大事って考えです。
ただ面倒なことに、私はめちゃくちゃ性欲が強い。びっくりするくらい強い。
休みの日に3回くらいオナっゃうことだってざらにあるし、やらしい夢をみたりもするし、特定の個人に抱かれる妄想だって頻繁にする。
けどじゃあその人に実際されたいの?それ以外の人でもされたい人いる?とか、そういう話になると全然首肯できなくなる。
じゃあセックス絶対したくないのかって言われるとそんなことはなくて、スキンシップ自体は好きだし、なんならフェラしたい(っていうかその時の相手の反応を見たい)なあとは凄い思うんだよね。もう自分でも何が何だか全く分からんわ。矛盾が多すぎない?
そして更に面倒なことに私は友人に対する愛情がめちゃくちゃ重い。こっちもびっくりするくらい。
友人ってカテゴリに一回入っちゃった人とならもう誰とでもセックスできると思う。てか正直上述の通り男友達全員フェラしたいって漠然と考えちゃうことがあるくらい。女子友達はそこまでは思わないな。セックスは全然できると思うけど。ここだけ考えるとただ好きな人できたことないだけのヘテロかバイセクシャル感あって余計よくわかんない。
さすがにこんなこと言ったらドン引きされると同時に変な人にも狙われるだろうしそんなこと言ってないけど。
あと愛されたいけど愛されたくない。これはアセクシャルとは関係なくて自己肯定感の問題な気がする。
好きな人にも好かれたくない。いつ嫌いになられちゃうかわからないし、その時に依存体質な自分が耐えられる気がしないから。
丸山穂高が北方領土で問題を起こし話題になったとき、丸山と同じ西大和学園出身の同僚が「あいつは西大和にはざらにいるタイプ。表に出しちゃいけないんですよ」と言っていた。勿論西大和の学生全てがあのような人間ということはあるまいし、自虐的な冗談であったろう。ただ、ある種の真理でもある気がする。それは西大和に限った話ではなく、男子校全般にいえることだ。
私も西大和ではないものの男子校に身を置いていたのだが、学生時代を思い返すと実に低俗で卑しい会話の花があちこちに咲いていたものだった。ネットに詳しい奴がもてはやされていたが、その当時のネット社会は差別を差別とも思わずにネタとして浪費する倫理観の欠けたものであり、毎日のように眉を顰めるべき「ネタ」が教室に輸入されていた。情報の時間には首切り動画を流す奴がいたし、著作権などという概念もない。そしてネトウヨだらけだった。
ネトウヨになる入り口は色々とあるだろうが、当時は圧倒的にネットの情報が元だろう。なまじ勉強だけできる分読解力は中途半端にあるからそうした文字情報を吸収しやすいのである。考えるに、それまで訓練されてきた国語力は与えられた文章の真偽を判断せず、寧ろ正しいと前提した上で情報を処理するものであり、資料批判は含まれていない。だからネトウヨの怪文書でも鵜呑みにしてしまう。
それでもまっとうな倫理観が備わってさえいれば不謹慎ネタでバカ騒ぎするようなことはしないだろうが、中学高校というのは倫理観を養う時期であり、未熟であるのは仕方がない。そして、倫理観とは他者を意識してこそ育まれるものだと私は思う。思春期において最も意識される他者とは何者か?常識的に考えれば異性であろう。
モテたい、と思えば節度をもって振舞うはずだ。少なくとも生半可な知識で、会ったこともない人々を口汚く罵る真似などしないだろう。差別は悪である、その程度の認識すら持たずに現代社会において成長することは不可能だろうから。
男子校ではー女子校もそうかもしれないがー、最も他者を意識すべき時期に、その他者のいない空間で一日の多くを過ごすのである。そうして育った学生が政治家になる。幼いのも当たり前ではなかろうか?
女性差別にしても、男のほうが迫害されている、などとのたまう連中は、小学生男子のまま成長した感がある。振り返れば小学生のころ、女子のほうが優遇されているという不満は男子によくあるものではなかったか。勿論共学の出身者が全員成熟しているとは言わない。しかしあまりにも低俗な大人の存在は、彼らが倫理を育むべき時期を経なかったことを、如実に示していると思えるのだ。