はてなキーワード: ホモセクシュアルとは
友人を次々と切っていくことこそあずまんの一つの本質であることを理解させてくれる、重要な伝記だと思う。
自分があずまんを好意的に認知したのは津田と一緒にやっていた頃のニコ生の番組であった。
その時すでに宇野とは仲違いしていて、番組内で宇野をボロクソに批判したり急にラブコールを送ったりという
メンヘラ的な動きをしていて、その特異な人物像に興味を抱いたのである。
多くの友人を切ってきたあずまんであるが、いまだにあずまんからラブコールを送り続けているのは宇野だけである。
宇野の話をする時、あずまんは宇野を批判しつつも必ず「彼のことが好きだった」と言う。
そこにはホモセクシュアル的なニュアンスも感じ取れる。映画「ブロークバックマウンテン」の話を引き合いに出すことからもそれが窺われる。
宇野との関係に限っては、「東が宇野を切った」のではなく「宇野が東を切った」形になっていることからも、二人の関係の特殊性がわかる。
その他の人物との関係はどれも「相手側が東の不興を買い、東から関係を切った」形になっている。
年に数人というレベルで親しい友人との関係を次々に切っていくあずまん人生劇場はあまりにもエキサイティングである。
日本中を巻き込んだ津田との離別が最も目立つ形となったが、その余波を受ける形で
現在進行形で進む辻田真佐憲との確執はホットなトピックと言えるだろう。
辻田がシラスで配信者としての頭角を表してから急激に二人の仲が接近したわけだが、
長年のあずまんウォッチャーであれば「訂正する力」を二人で出すと聞いた時からこうなることは分かり切っていた。
東と辻田の間にはあまりにも多くの火種が燻っていたからである。
津田とも東とも決裂前と同じように関係を続けようとする辻田に対して、一度あずまん側の堪忍袋が決壊してしまえば修復は不可能だ。
長年あずまんの人生劇場を興味深く見てきたが、辻田が切られるのを見て流石に辟易した。
今ではあずまんの突発もあまり見る気がせず、シラスも退会しようかと思っている。
「ゲンロン戦記」を一緒に出した石戸愉も、反リベラルを旗印に現在意気投合しているが、遠からず辻田の後を追うであろう。
最近よく見ている映画レビューサイト『シネマンドレイク』がフィーチャーされているので、あらためてまとめてみようと思う。
※人物像
・小さい頃から“ゲームっ子”だったゆえにアニメや漫画はそこまで深く立ち入る機会も好奇心もなかったのです。
・子どもの頃から「男っぽい」もの、「女っぽい」ものという、露骨に固定的なジェンダーのイメージが強いものに対して内心では避けたい気持ちがありました。今では私はノンバイナリーを自認
・私は北海道出身で、北海道のいくつかの地方と縁があるので実情を多少は知っているのですが、知らない人が思っているよりもはるかに絶望的です。
・個人的な話になってしまいますが、私は「兄弟」よりも「姉妹」の方が身近な存在で、家族・親戚周辺もなぜか3姉妹が多いです。逆に3兄弟は3姉妹よりは少ないですけど一応はいるので、3姉妹と3兄弟の比較…みたいなことが自然とできてしまったり
・私も科学に関わって政府の人ともやりとりしたことがあるのですが、あんな“暖簾に腕押し”みたいな反応の役所なんて日常茶飯事
・地球環境問題というのは嘲笑われやすいトピックです。私もこの分野をかじっていた人間なので経験としてわかります。どうも世間は地球環境問題に取り組むことや取り組む人のことを「オシャレ」だとか「意識高い系」みたいな見下しで扱ってくるんですよね。もしくは「慈愛」「慈善」みたいな感情的な活動だとみなしてくる。全然その問題の本質を理解してくれないわけです。ときには「地球環境問題もいいけど貧困に取り組むべきだよ」とか言ってくる人もいるし、ジェンダーやLGBTQには関心があるわりには地球環境問題にはまるで当事者意識のない人もいます。
・なお、Twitterを見る限りでは町山氏には批判的なようである。
※自己紹介
…映画を愛する映画ライター(雑草)。洋画、邦画、アニメ、ドキュメンタリー、ドラマシリーズ、なんでも観ます。年間で鑑賞する新作映画の数は約300程度(劇場未公開作品も含む)。アセクシュアル・アロマンティック・ノンバイナリーのLGBTQ当事者(they/them)なので、その視点で映画を語ることも。得意なテーマは、映画全般、ジェンダー、セクシュアリティ、自然環境、野生動物など。ライター:取材&仕事等の依頼は「お問い合わせ」まで。
※環境問題について
・今の環境問題を振り返っても『ドント・ルック・アップ』みたいにフィクションの中でくらいは何回か人類を絶滅させてやらないと…それくらいしないと加害者責任を自覚できない
・少しでも多くの人がこの問題に当事者意識を持つということ。私もあなたも中立ではありません。人間である以上、もう問題の加害者です
※Z世代について
・Z世代の子どもの方が真面目にネット規制を支持していると思う
・SNS社会の中、どうしても「いいね」欲しさに自分をより良く見せようと日々奮闘する、そんな強迫観念に駆られる10代
・フェミニズム的な“正しさ”がブレることなく存在し昨今の定番であるZ世代に通用するキャラクター性に更新されている
・これがアメリカの血気盛んなZ世代の10代だったら全然違いましたよ。きっと「そんな酷い目に遭っているの?! よし、なら抗議してやろう!」とハッシュタグ・アクティビズム全開で連帯を開始して入国管理局前でデモを始めた
・「SDGs」はノリノリで掲げるくせにそのSDGsの目標のひとつである「ジェンダー平等」にはたいして興味がないばかりか、そもそもジェンダーが何なのかイマイチわからないまま雰囲気だけで同調している日本社会の皆さん、ごきげんよう
・「カミングアウトを大仰にドラマチックに描くのはもうダサいだろう」というイマドキなZ世代的感覚
・残酷描写やエロ描写をもっぱら規制しようとしてきたのは「保守派」や「宗教右派」である
・世の中には“配慮”に気を使いすぎて映画としてつまらなくなっている作品も少なくない
・でも、映画は芸術だからこそ、ときに政治的な視点で批評するのも大いに結構
・
おカネが山ほどあればこんな日本を飛び出して海外で暮らしたいと正直思っている
・洋ゲーの最近の潮流なでクィアのようなカルチャーの取り入れ方が上手い
・同性婚は実現してもトランスジェンダー差別は依然として残ったまま。トイレなどの一部の空間での露骨に強調されるトランスジェンダー排除
・そもそもフェミニズムというのは実際のところ誰の心にも宿るもの
・「男オタク」は今の社会では圧倒的なマジョリティであり、特権を持った支配層であり、自己批判がや差別意識から目を背けがち・日本というろくにジェンダー教育をしていない
・いかなるジェンダーでも中立的な立場にいる人はひとりおらず、自分の中のマジョリティな加害者的側面を自覚しよう
・ホモソーシャル的な生存術であり、同時に科学に対する日本のメディアの態度でもある
・多くの女性は不本意ではあるけど男性の評価を気にしながら生きている
・「歌舞伎」とアニメ・漫画などの「オタク」という趣味はどちらも女性が排除されがちでオタクの世界も男性中心的
・と高身長な女性というのは、男社会にとってのステレオタイプな寵愛しやすい女性像ではないので男性オタクからも白眼視される---【出典】アニメ『かげきしょうじょ!!』感想(ネタバレ)…歌劇に生きる現代の少女を描く より
・女性がファンダムに身を投じることは時に男性とは異なる困難をともなう。風当たりが男性以上に冷たかったり、安全なファンダムの居場所が用意されていなかったりする。
理想的な男性の振る舞いは女性のファンダムを一切邪魔せず、変に首も突っ込まず、そっとサポートし弱音を見せたり、“男らしさ”で気取らず、しっかり自分の弱さを示すのも良い
・日本も先進国の中でははるかに女性差別の激しさで言えば酷いものだということも繰り返したいところ
・。本作でも女性キャラの扱いから脱臭できないほどに男性目線主体の匂いを感じる
・日本でもAIの無自覚なジェンダーロールによる女性差別が問題視されている
・従うしかできない、抗うことは許されない…そういう日本社会の体質
・本は実名を出さなくても政治ネタを映画で扱うとそれだけで「プロパガンダだ」と非難されてしまう
・日本は2020年代になってもなお非常に封建的社会が残存しており、家長を絶対主とする規律があり、従属と調和を優先し、主流の社会に逆らうことは許さない
・男に主導権を与えるな、男が助けてくれると思うな、男の料理は場合によってはヤバイ!
・『シュレック』というアニメ映画があり、あれも当時は斬新で「怪物でもプリンセスのようなヒロインになれる」ことを示した作品でしたが、今の価値観で見ると「女性は美人かブスかの二択」のようで違和感も感じます。
・ヒロイズムな着地になってしまいます。まあ、もちろんやっていることは立派で正しいのですが、やはり男性であるというだけで作品のトーンは偏向するもの
・シリアで拘束されて解放されたフリージャーナリストをボロクソに批判することに快感を見いだし、はたまた中東情勢が不安になるたびにガソリンや灯油価格を心配する。そんな国がこの日本
・ジェンダー構造には無関心で自身の男性特権を自己批判でせず冷笑的なマッチョイズムで典型的なホモソーシャル
・マスキュリニティ賛美の色合いが濃いこ、異性愛規範も充満している
・軍隊主義的な“男らしさ”だけが物事を解決できるわけじゃないという教訓
・車が自分の男らしさを体現する剣であり、もっと言えばペニスである
・上から目線のマスキュリニティではなく、下から支える献身的な愛を感じる良いシーン
・「女の連帯」とは似て非なるものです。なぜなら既得権益に酔いしれたいだけ
・「ガンダム」は男同士の同性愛には直接的には踏み込まない。やはりホモフォビアがある
・そして日本のインターネット界隈もSNSやまとめサイトを中心にしてインセルの巣窟になってしまっている動かぬ現実がある
・『機動戦士ガンダム』を継承する「男vs男」の対決に行き着き真の部分はものすごくホモセクシュアル
長くなったので後編【https://anond.hatelabo.jp/20230218181513】に続く。
アメリカのZ世代って今めちゃくちゃバイセクシュアルが多いのよ
でもさ、すげー思うわけ
「拙者、バイセクシュアルでござるwwwwコポォwwwwww」って言ってる奴で
実際に同性とセクロースできるやつどんだけいんのって
いざお付き合いしてセクロサしなければならないってなったら「まぁ、異性がいいかな?」ってなるんじゃないの?
って思っちゃうわけ
ちなみにこれに近い概念でLGBT世界の言語で「バイロマンティック」と言うものはある
これは「男女ともに恋愛感情が向くことはあるが性指向は異性に向かう」というもの
これに対して自覚的で「ワイはバイロマンティックや!」って言ってるんならまだいいと思うの
でもさ、軽い「バイロマンティック」風味の奴がさ「先進的な私はバイセシクシュアルなのよ」って言ってさ
ガチの「バイセシクシュアル」もしくは「ホモセクシュアル」の人とお付き合いしちゃってさ
いざセックル!って時に「やっぱ生理的に無理だはwwww」ってなったらさ悲劇すぎない?
ワイなんだけどさ
性自認男性でヘテロ→被挿入もありのバイ・ホモセクシュアルに変わった人に、挿入される男性の意見が聞きたい。
もし「男性は挿入される事で食欲に当る性欲は満たされる」「男性は挿入側としても被挿入側としても、それが満たされない苦痛は等しく、満たされる満足も等しい」
のならば、その男性証言者が、「女性が被挿入だけではだめで愛される事を必要とするなら、男性よりも贅沢な望みだ。挿入も被挿入も等しいのだから」というのは理解できる。n=1だけど。
その意味では、男性側の「挿入も被挿入も同じで女は手軽に性行為可能なのに贅沢」という意見も、
女性側の「挿入と違い被挿入は侵襲的だから被挿入だけでは満たされない、性行為可能性があっても苦痛なだけでは意味がない」も、
片方だけの主張だ。
(女性に対して言うけど、男性だってもしかしたら言わないだけで挿入は苦痛が伴うのかもしれないじゃん?女性は挿入する側を経験したことないんだから。さすがに陰茎が裂けることはないとは思うけど)(←この「苦痛が伴うかも」を、鬼の首取ったようにあざけりに使わないでほしいけど、使われちゃうのかな〜、一つの可能性としてそういうこともあるかもな、男女とも人を嘲笑するひとは存在するから…残念ながら)
すごく今更だけど、小児性愛について。
今回の様々な主張の流れを見る限り、「小児性愛を同性愛と同等と見るか否か」という議論が目立った。ホモセクシュアルもかつては病理として扱われてきたが、昨今では性的指向として認める方向に倫理が動いてきており、ペドフィリアも性的指向である以上、病理扱いして治療を勧めるのは差別であるという主張が小児性愛擁護側だと多い気がする。
個人的感情としては、ペドフィリアを病理として扱うのには反対したい。誰を好きになるか、誰に性的興奮を感じるかなんて個人の自由だし、自分ではどうしようもないことだっていくらでもある。
しかし、今後世間の潮流がペドフィリアもLGBTと同じだよね!となってくれるかというと、きっと暫くは無理だろう。今の流れはむしろ今までのぺド被害者の暗数を発き、加害者を弾劾する段階にある。よってたとえ加害はしなくても、ぺド側の権利が守られるようになるのは少なくとも子どもを守る環境や制度がある程度完成してからだと思う。
また、小児性愛は同性愛と違って、実行即加害になってしまうのも確かだ。小児性愛者なら等しく矯正しろ!治療しろ!という声に反発したくなる気持ちはよくわかるが、「手を出してしまいかねない」という段階まで欲求が膨れ上がってしまった自覚がある人向けに、それを抑え込むためのプログラムなどは組む必要があると思う。
「分かってあげて」という言い回しが、「お前らは分かってないようだけどさあ」という風に聞こえるんだけど、ぶっちゃけ「分かってない」のはこの場合女性側ですよね。
もうさあ。「男湯」「女湯」って言葉やめよ? その「男」とか「女」ってジェンダーなの?セックスなの?それとも他の何かなの? 「男の体をもつ人用」「女の体をもつ人用」とでも直すか? で、その場合、ホモセクシュアルな人を排除するのしないの?
……あるいは、そこまで配慮が必要なほどみんなセンシティブになっちまったんなら、もう公衆浴場という営業形態自体が維持不可能ってだけの話じゃね? 公衆浴場=混浴温泉、みたいな位置づけにしてさ。「そんなん気にする奴ぁ最初から風呂屋に来んじゃねーよ!」ってする方がいいんじゃね。
だけど私の性欲は異性に向き(処女だから自信ないけど)、そして今まで好きになった人も男女半々なので、多分シスヘテロ?とかいうやつなのだ。
節子、「今まで好きになった人も男女半々」ならシスヘテロやない、バイセクシュアルや。シスかどうかは知らんが筆致を見ればまあシスなんやろ。
「シス」ってのはシスジェンダーの略で、「身体の性と性自認が一致する」って意味や。生まれつきまんこがあって自分は女だと思ってるなら(あるいはちんこがついてて自分は男だと思ってるなら)シスジェンダーや。逆にまんこがあるのに自分は男だと思ってたりちんこがついてるのに自分を女だと思ってるのがトランスジェンダーや。
「ヘテロ」ってのはヘテロセクシュアルの略で、「性的な意味で好きになるのは異性だけ」って意味や。「同性だけ」ならホモセクシュアル、「私は誰のことも好きにならないよ」ならアセクシュアルで、「男も女もどっちもOK」ならバイセクシュアルや。
で、「シスジェンダーでヘテロセクシュアル」な人間(まんこがついてて、自分を女だと思ってて、男が好きorちんこがあって、自分を男だと思ってて、女が好き)が今の社会の多数派であり権力を握ってるから、まとめて「シスヘテロ」とか「シスヘテ」って呼ばれてるんや。
本来シスジェンダーとヘテロセクシュアルは全然違う軸の話で、単にそれを兼ね備えてるやつが多いってだけの話やから、気ぃつけてな。