丸山穂高が北方領土で問題を起こし話題になったとき、丸山と同じ西大和学園出身の同僚が「あいつは西大和にはざらにいるタイプ。表に出しちゃいけないんですよ」と言っていた。勿論西大和の学生全てがあのような人間ということはあるまいし、自虐的な冗談であったろう。ただ、ある種の真理でもある気がする。それは西大和に限った話ではなく、男子校全般にいえることだ。
私も西大和ではないものの男子校に身を置いていたのだが、学生時代を思い返すと実に低俗で卑しい会話の花があちこちに咲いていたものだった。ネットに詳しい奴がもてはやされていたが、その当時のネット社会は差別を差別とも思わずにネタとして浪費する倫理観の欠けたものであり、毎日のように眉を顰めるべき「ネタ」が教室に輸入されていた。情報の時間には首切り動画を流す奴がいたし、著作権などという概念もない。そしてネトウヨだらけだった。
ネトウヨになる入り口は色々とあるだろうが、当時は圧倒的にネットの情報が元だろう。なまじ勉強だけできる分読解力は中途半端にあるからそうした文字情報を吸収しやすいのである。考えるに、それまで訓練されてきた国語力は与えられた文章の真偽を判断せず、寧ろ正しいと前提した上で情報を処理するものであり、資料批判は含まれていない。だからネトウヨの怪文書でも鵜呑みにしてしまう。
それでもまっとうな倫理観が備わってさえいれば不謹慎ネタでバカ騒ぎするようなことはしないだろうが、中学高校というのは倫理観を養う時期であり、未熟であるのは仕方がない。そして、倫理観とは他者を意識してこそ育まれるものだと私は思う。思春期において最も意識される他者とは何者か?常識的に考えれば異性であろう。
モテたい、と思えば節度をもって振舞うはずだ。少なくとも生半可な知識で、会ったこともない人々を口汚く罵る真似などしないだろう。差別は悪である、その程度の認識すら持たずに現代社会において成長することは不可能だろうから。
男子校ではー女子校もそうかもしれないがー、最も他者を意識すべき時期に、その他者のいない空間で一日の多くを過ごすのである。そうして育った学生が政治家になる。幼いのも当たり前ではなかろうか?
女性差別にしても、男のほうが迫害されている、などとのたまう連中は、小学生男子のまま成長した感がある。振り返れば小学生のころ、女子のほうが優遇されているという不満は男子によくあるものではなかったか。勿論共学の出身者が全員成熟しているとは言わない。しかしあまりにも低俗な大人の存在は、彼らが倫理を育むべき時期を経なかったことを、如実に示していると思えるのだ。
いじめられっ子のミサンドリスト乙です
すごい説得力、頭良さそう……みたいな頭悪い感想しか浮かばなくて申し訳ない
でもキモくて金のないおっさんを口汚く罵るのは差別ではないから正当な行為だと思ってしまい特に問題視しないんですよねわかります