はてなキーワード: 優美とは
古文漢文なんていらねぇ!という主張は、とにかく評判が悪い。受験期になると毎年のようにこの手の論争が再燃するが、話がまともに前進することは稀である。
ほんとうに意味のない教養信仰やマウントやwhataboutismをとりのぞいたとき、私の考えでは、必要派のまともな論拠は以下の一点に絞られる。すなわち、古文漢文を学習することは、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるので、古文漢文は学ばれるべきなのだ。
いずれにしたって、古文漢文に優先的に学ばれるだけの価値があるとすれば、それは役に立つからである。
任意の学問について学ぶことにはそれ自体価値がある(誰もこれを否定するべきではない)のだが、それだけでカリキュラムに組み込まれるわけではない。古文漢文は英語や数学とならんでとりわけ役に立つからこそ、受験科目にするほどの価値を認められているのだ。そうでないとすれば、あれやこれを受験科目にせず、古文漢文を受験科目にすることがまったく正当化できない(これはいくらかwhataboutismだが)。
古文漢文はなんの役に立つのか。古文漢文をやっていれば、これに絡んだワードセンスや物語の優美さ・ユーモアが汲み取れる、というのはどう考えても小さすぎる利点なので、この程度の「役に立つ」を指摘して満足してしまうのは小物のやり口である。
もっとがっつり役に立つ、例えば大学や社会に進んだら漢文や古文を読む機会がたくさんある、古文漢文で読解力や論理的思考が大幅に養われる、などと指摘するのは嘘つきのやり口である。そんなことないからこそ、不要論が立ち上がるのだ。
したがって、古文漢文が真に役に立つのだとしたら、上に述べた通り、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるというのが、その「役」なのである。この「役」は、聖書やプログラミングを学ばせても代替できない点で、古文漢文をとりわけ優先するもっともらしい理由を与えてくれる。中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきであり、古文漢文はこの望ましい帰結をもたらすからこそ役に立つ、優先的に学ばれるべきなのだ。というか、これこそが古典教育の目標であることは(ここまで露骨ではないものの)高等学校学習指導要領に書かれている。
古典としての古文と漢文、古典に関連する文章を読むことによって、我が国の伝統と文化に対する理解を深め、生涯にわたって古典に親しむ態度を育てる。
古文漢文必要派は、この一点突破を狙うべきだろう。小さすぎるお役立ちを挙げるのも、大きすぎるお役立ちを挙げるのも、教養信仰やマウントやwhataboutismに徹するのも、墓穴を掘って自らを辱めるだけだ。
しかし、「中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提は、すでにかなり党派的なものである。それはれっきとした国粋主義であり、軍国的な仕方で「国民」なるものを要請している。このグローバル化が進みきった時代において、なぜ日本人(にっぽんじん)としてのアイデンティティを持たなければならないのか、それがなんの「役に立つ」のかという疑問はスキップされており、とにかく、「文化的アイデンティティを養うべだ」という義務だけが突きつけられている。
実際、古文漢文不要派の一部は、まさにこの「国民」の押し付けにこそ反対しているのであり、特定の文化的アイデンティティに固執するべきではないと考えているのだ。必要派が本質的にナショナリストならば、不要派は本質的にアナーキストである。
というふうに、「古文漢文必要派vs不要派」の争いは多分に政治的な争いであり、私が思うに、発信する人の多くはこれを分かっている(ほんとうに無自覚な人もいるが)。しかし、両陣営ともに自らの政治的立場を明言しないのが普通である。というのも、露骨に党派性を示してしまえば、そうしなかった場合には言いくるめられたフォロワーまで引かせてしまうからだ。そのせいで議論はいつも上滑りし、互いに口汚く罵り合って、相手は馬鹿だと結論し、翌年の再戦を待つばかりだ。
「中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提の是非にのみ話を絞れば、古文漢文の必要性をめぐる議論はもう少し見通しが良くなるだろう。
なんにせよ、アイデンティティを持つことは、心身の健康にとって必要不可欠であるかもしれない。国民であるという拠り所すら失われたときに、人はどれだけの孤独を感じるのか。そんなものに寄りかからず自分の脚で立て!というマッチョな個人主義に、みんながみんなついていけるわけではない。
はたまた、仮に日本人としてのアイデンティティを養うべきなのだとして、古文漢文をやらせるというのは理にかなった方法なのかという疑問も意味をなしてくる。これだけ少なくない人々に、古文漢文という科目への悪いイメージを植えつけているのだとすれば、それはいわゆる「義務教育の敗北」ではないか。
はたまた、少なからず党派的な思想を陰に陽に植えつけようとする事自体、中高生の自律性を脅かすパターナリズムでなくてなんなのか。「自分の脚で立て!」とまではいかないにせよ、子どもたちには一定の選択が与えられるべきであり、古文漢文を必須の受験科目とすることはその道を閉ざしているのではないか。
そんなに言うなら、私立理系に進めばいいだけの話だ!と言われるかもしれない。しかし、だとすれば理系はなぜ日本人としての文化的アイデンティティを養う義務から(ある程度)自由を許されるのか、と問われるかもしれない……。
疑問・議論は尽きないが、私たちはいまや「古文漢文は必要なのか」というはじめの問いよりも、はるかに全うな問いたちを手にしつつあるのではないか。
「若い板前がまな板の上で暴れまわる鯛を裁こうとして四苦八苦している。板前はこの鯛を豪華な刺身盛り合わせにしたいと考えているが残り時間は10分しかない。」このような状況を,作家の夢枕獏のような文体で表現してください。
その結果がこれ↓
夢枕獏という感じではないが、こんな文体もいけるのかよという衝撃。
青涼たるまな板の上にて、若き板前は荒びたる鯛と舞を踏む。鯛は荒びゆく波を秘めたるかのように、その姿をくねらせ、暴れまわりんことを止まざるを得ず。板前の手は一刻の猶予も許さんかの如く、四方八方へと舞い散り、苦悩の色を秘めてせり。優美なる刺身の盛り合わせを心に抱きつつ、時の砂は流れ行く。あと十分、そうわずかばかりの時が流れるのみ。果たして、青年はこの荒びたる鯛を、舌鼓を打つべき豪奢なる膳に変えられんや、それとも鯛の波涛にのみ舞い踊りし苦闘の姿となるや。其の結末、漂泊の時が告げるものと見よ。
(神戸増田を受けて追記) あえてケーキ屋のパンということなら、京都のアッサンブラージュカキモトで売っているパンも端正でバランスが取れており良いと思っている (下に主にケーキについての詳細有り、パンについても感想は割と被る)。回想に書いた店はもうパンは出さないだろう……
ここやここやここにパンに詳しい増田たちが集まっていると見込んで質問がある。
色々なところに必死に顔を出して済まない。
マニアックで申し訳ないのだが、こういう食パンはどこで食べられる?
東西どちらにも行けるんで、教えて欲しい。ずっと探している。
外側(みみ部分)も内側(白い部分)も、しっかりとバターの味がすると嬉しい。
出回っている食パンは、高級食パンを含めても、バターの香りが立ってこないものが大多数だと思う。
外側が分厚くてハードだと嬉しい。
ただしフランスパンの外側のようなパリパリ感ではなく、しっかりバターを効かせているためにガリガリの重めの食感の外側が作られているような感じ。
最近の流行りと逆行しているのはわかっているが、こういうのが好みなんだ!
そう、なので自分が求めているのはマニアックな食パンなんだよな。発酵バターの香りが立ち、綺麗な四角に整形されたクラストが硬い食パン。クラスト部分はバターを使っている影響で少しデニッシュ感を感じさせるもののデニッシュよりバター量が少ないため硬くしっかりとしているような。一方であくまで食パンのフォーマットに留まっており、内側の白い部分はきめ細かく滑らかで、典型的なデニッシュのように生地を織り込んだ形跡がない。そういう食パン。
たま木亭
ありがとう、京都ではあそこも美味しい。生地にもフィリングにも相当量の油分を使っている上で小麦粉をしっかり焼き上げている。しかもボリュームに比して安い!日本の惣菜パンの最上位クラスではないかと目している。
ル・ペール、寡聞にして存じ上げなかった。人生の中からあの味が消えてしまったという哀しさ、よくわかる。
この辺は行ってぶらつく楽しみが多くて嬉しい。
それで大丈夫です!
上では綺麗に四角と書いたような気がしたが、金型に蓋を載せず山型に膨らませているようなタイプでも、こういう食パンがあるなら大歓迎です!!
塩パン
すみません、バターを使った塩パンは好きだが、求めているものとは違う。ハード系の店であっても、多くの場合、外側が薄いかふわっとして硬くない(パン外側の皮自体にバターの美味しさを効かせているというより、中の生地に閉じ込めたバターを強調している)ケースが多いように思う。
ただ、複数の方が連想して下さっているようなので敢えて塩パンと関連させて言うならば、よく焼かれて皮が厚いタイプの塩パンの、オーブン天板と接触する面(下側)の、バターが効いてかつガリっと硬い感じを想像して欲しい。そこからさらに食パン向けに洗練された感じの外側(みみ)を持つ、そういった感じの食パンを知っていれば教えてくれると嬉しい。
グリーンサムの「イエローブレッド」か、パンとエスプレッソの「ムー」とか?いずれも皮ガリガリではないので、家でトーストして食べたら希望と近い食感になるかも。かまぱんの食パンもバターのせたら近いかも。
食べに行くか取り寄せる!!!
聞いてみて本当に良かったよ。
https://www.bread-espresso.jp/
皆に紹介されているパン屋の中では、JR京都駅構内のル・プチメックが非常に行きやすいし美味いよ。是非寄って食べ歩いてみて欲しい。
あとは京都のアルチザナルも良かった記憶がある。アルチザナルを紹介した増田はデニッシュ系が好きなようだが、自分はハード系の惣菜パンが好みだった。特にソーセージを使ったパンとチーズのパン。おそらくソーセージとチーズにかなり拘っている。ソーセージは汁と油が溢れて香味が立ち、チーズは惣菜パンにありがちな悪い癖がない味で香ばしい。あれは美味かった。
(追記) 東京のおすすめありがとう。s.igarashiとブーランジェリー セイジアサクラは是非行ってみたい。期待大。
京都繋がりだと、京都のケーキ屋では、パティスリータンドレスとアッサンブラージュカキモトが本当に美味い。皆美味いと思うらしく食べログでも日本で上位。
パティスリータンドレスは上品で優美な味で、特に複数の味を重ねて束ねる系のケーキが非常に美味いと思う。スパイス使いも上手い。寄りづらい立地だが、Twitterでその日のケーキと現在店頭に並んでいる数をアナウンスしている。
アッサンブラージュカキモトはとにかく磨き抜かれた味がする。見た目も格調高く美しい現代のケーキ。シェフがショコラティエでもあるのでチョコレート系が美味いが、それ以外も相当に洗練されている。こちらは比較的寄りやすい立地。
なお、上記の自分の食パンの好みを形作った店は、フランス系の味のケーキ屋で、パンも一時期作っていた。そのパンの一つがこの食パン。その店ではフランス風にパンドゥミと呼んでいた。ただ、この店、おそらく人手不足でパンを出さなくなって久しかったところに、現在、店主のご都合で一時閉店中なので、店名は出さない。もう今後パンを出してくれることは無いだろう。
そこは、生菓子も焼き菓子もバターやクリームをどっしり効かせた硬派な味が特徴で、長く続く人気店だった。いや菓子に硬派も何もあるかよと思うかもしれないが、行った人もネット上のレビューもそう評する。バターをしっかり効かせると菓子の味が重くなるんだけどそういう感じのイメージ。さらに生地の密度がふわふわ柔らかくなくずっしりしている。それでいて"バタ臭い""油っぽい"には陥らず、果物の酸味や、香辛料やお酒や焦がしのフレーバーで、強いバランスを取っていた。
そんな感じだったもので、最近流行りの繊細な菓子という訳ではなかったが。デコレーションも凝っていなかったし。
ああ美味かったなあ……
ずっと忘れていた。
いや、脳の奥に生乾きのかさぶたのようなものがじっとりとこびりついて、ふとした時に思い出したりはしていた。
なぜだか、それが昨日になって出てきた
百子はJava言語の技術者だった。いや、技術者か分からないがJavaを学ぶ25歳の若い女性だった。
当時Java言語はJ2EEの登場により大きな注目を集めており、エンタープライズ用途で稼働していた業務系アプリケーションをWEBベースのJavaアプリケーションへのリプレースする事が大きな需要を生んでおり、VBやDelphi又はバックエンドとしてのCOBOL等で活躍していたエンジニアは技術転換を求められていた
現在も大して変わらんないかもしれないが、業務系エンジニアにコンピューターサイエンスを学んだ者は少なかった。
文系出身で(数学としての)関数や代数もちゃんと理解しているのか怪しいような者も数多く居り、当然ながらオブジェクト指向言語に戸惑う者も多かった。自分がそうだった。
当時の技術コミュニティはいくつかはあったが、古くからあったがどれも敷居が高かった。
fj.comp.lang.* (ネットニュース:現在と意味が異なる)は正当な技術者も多かったが初心者が書き込める雰囲気が無かったり過疎っていた。ニフティーサーブやPC-VAN等のパソコン通信(当時既にサービス名が変わっていたかもしれないがみんな昔の名前で読んでいた)をベースにしたものは歴史があったが、老害が偉そうにしているフォーラムも多く、やがて廃れていった。
そうした中で初心者も熟練者も和気あいあいと活発な議論が行われていたのが、JavaHouseというメーリングリストのコミュニティだった。
主催者は現在インターネットセキュリティの大物左翼として時折世間をビビらせまくっている、ひろみちゅ先生こと高木浩光氏。当時既に産総研の研究者になっていたとはいえ、あくまで個人が手弁当で運用していた。無料で誰でも自由に入退会ができるコミュニティであり、他に行き場のなさを感じた初心者のJavaエンジニアたちにとって大きな心の拠り所となった。
でも百子が注目された事があったのだ。
当時は適切な印刷用の整形ソリューションが無く比較的頻繁に挙がっていた話題で、
百子も同様に苦しんでいた
するような方法が、現時点ではり一ゾナブル
かとも思います。
ドラえもんのようなひらがなとカタカナを組み合わせたチャーミングな文体でその焦りを徹底的かつ高度に表現していた。
しかしこの議論中に問題が起こる。JavaHouseに障害が発生しメールが配信されない事象が発生したのだ。
NFSで他のサーバーにマウントしていたが不要と思われたNFSサーバーのデータを一部で参照していたため処理が行えなかった、応急的に対応したが根本対応を後日行うと管理者の高木浩光は告げた。
しかし、議論が途切れた事を不安に思った百子は高木浩光に直接確認を行った。返事は帰ってこなかった。
> This Message was undeliverable due to the following reason:
> The user(s) account is temporarily over quota.
というエラーで戻ってきました。
いろいろとご心配のようでしたので(その内容については書きませんが)、迅
速にお返事を差し上げる必要を感じておりますが、上記の通りでは、連絡の取
り様がありませんので、やむを得ず、お返事を差し上げた事実をここで示させ
ていただきます。
まるで百子に非があるかのように。
恥ずかしさと悔しさで真っ赤となった泣き顔の百子を想像することは難しくない。
次はインスタンス生成時のコストに関する伝統的な議論であったが、
その流れで議論とは関係が無かったが百子はやりとりのマナーについて言及した。
議論をしていた者たちは本質的では無い指摘に形式的な謝罪をしたが、
高木浩光だ
そんな慣習はありませんよ。
きっと百子は憤然たる思いを抱えたに違いなかった
最後に決定的な事が起こる
先日の障害の復旧のためメンテナンスのためサービスを停止すると高木浩光が予告した。
百子はさんざん煮え湯を飲まされてきた高木に対して
以下ちゃちゃです。
全サービスが利用不可というのは、大変なことでしょうに。
以上、ちゃちゃでした。
挙げ句Javaコミュニティを自分で立ち上げてみてはどうかと言う者まで現れた。
か弱く繊細で思いやりのある儚き百子が、このような嘲りに耐えるのは致命的な苦痛だったに違いない。
百子は精一杯の力でJava界の将来についてその想いを書き綴った
私が恐れているのは、恐怖の日が襲い、対応の行動が遅すぎる前に
協議を行って欲しい、ということです。
別れは突然訪れた
「百子の夫です」
技術コミュニティに相応しない短い件名の投稿は衝撃的なものであった
私の妻百子は11日に進行性癌に伴う急性心不全で永眠いたしました
25才でした
医師の診断をもらったとき私たちに残された時間は1ヶ月というものでした
毎日が恐怖でした。、
なんという事だ!こんな悲劇があってよかろうはずがない!
しかもあのプりントアウトの話をしていたときには余命を悟っていたのか。
自分は打ちのめされた
そしてさらに衝撃的な事が続く
百子は先週からふさぎがちになっていました
聞くとブー様とうまくいっていないのではないかということでした
百子はずいぶん前からたびたび高木という男の名を出してひとりでジャバなる
パソコンを動かし一人で全部やってのけているのだと絶賛しておりました
おのれ高木さんめ!いや、ぶー様め!
百子の心に闇で満たしたという事か。
悔しくてウイスキーをストレートで何倍も痛飲し、この辛い出来事を忘れるように努めた。
自分はアプリケーションのプログラミングをする事もすっかりなくなっていた。
数年に1度くらいフッと湧き上がってくる事があったが、すぐに忘れようとした。
しかし、昨日はなぜ、菊池百子を思い出したのかずっと考えていた。
ずっと、ずっと
愛していたんだと思う、百子を。
直接会ったことはないし、見たこともない、投稿の文面の文字でしか見ていない、直接のメッセージのやりとりもしていない、だけど確かに自分は百子を愛していた。
雅人よりもずっと。
ぶー様よりもきっと。
Rest in peace, I love you.
https://web.archive.org/web/20091027013532/http://java-house.jp/ml/archive/j-h-b/052276.html#body
昨日の夜つけてみた
甘酸っぱ芳醇な香りに線香という感じ
お香は嫌いじゃないし甘酸っぱ芳醇も嫌いじゃない
好き!とは来ないけど、悪くないこれはこれで
繰り返し使ううちに馴染みそうではある
ダンドゥレ
商品のイメージ文や読みかじったレビューからはイマイチ感があったが、実際につけてみると好き
スッキリと清潔で優しい、けれどなんだろう、無機質な感じ
スッキリと清潔で、こんなのどこにでもある香りだとも思いそうだけど、実際に肌に着けて気分が良いというのは逆に少ない、というか自分にとってははじめてだ
爽やかな香りはいろんなブランドから出てるしドラッグストアのコロンにもたくさんあるけど
どれもしばらくすると洗い流したくなるが、これはそうならない
ダンドゥレ
清潔で優美で無機質
とても優しく理想的な振る舞いなのに血が通ってない、看護アンドロイドみたいな雰囲気
そういう
「セイクリッドロスト」
・5段階評価:3
・あらすじ
みんなで協力してサタンを倒した。
・印象に残ったセリフ
ヴァース「すまない。俺がロキの偽りに気づいていれば……。」
ほんまやで。
・印象に残ったキャラ
オリガとヴァース。
はじまりの人と対峙するためにサタンを復活させたが、それはロキの偽りの甘言だった。
・感想
使徒編の完結編にしてオールスターでサタンおよび五大悪魔と戦うお話。
規模はでかいし、感動的なエピソードもあったけど、やっぱ使徒の話に乗り切れなかったなあ。
なんかこう、この人たち偉そぶってる感が凄くて、ちょっと僕の好みのお話しじゃなかった。
・5段階評価:2
・あらすじ
脚本家のメアロが妹の病気のことで頭がいっぱいになり降りてしまう。
ラキシが代わりに脚本を完成させ、メアロにモノづくりの楽しさを思い出せる。
・印象に残ったセリフ
シャスト「君は造られた側だから……。造られていたものが放置される瞬間を見るのは…… つらかったな。」
こういうの好き。
・印象に残ったキャラ
メアロ。
脚本家だが妹のためにだけ書いていたため、妹にことが起こると集中できないという性質は脚本家として辛そう。
・感想
造られた存在であるラキシも造る側に回ることでその尊さに気づき、周りのみんなも巻き込まれていくのが面白かった。
戦闘人形達は結局、ラキシ、マスキュラ、アイリーン、フィニー達しかいなかったけど、もっと多くの仲間が出ればまた違った話もあったかもだなあ。
・あらすじ
逆転裁判。
・印象に残ったセリフ
エリン「あなたにつまらない人間だと思われたりしないよう、精一杯!」
ドラゴンと人との繋がりというドラガリアロストの原点に立ち返るいいセリフ。
・印象に残ったキャラ
エリン。
モブグラフィックなのがもったいないぐらい個性的なかわいいキャラだった。
町長の娘ながら言葉遣いは乱暴だし、ピンチなのに唯一の味方のユピテルを若干馬鹿にしてるしで面白かった。
・感想
Cygamesだいぶ好きなんだけど、唯一ミステリを小馬鹿にするシナリオを書くところ、致命的に合わない。
Cygamesが悪いわけじゃないし、完全にこのシナリオとは関係ないけど、まず脱出ゲームに出てくるクイズに「謎解き」と名付けたやつがアレだわ。
「愛は星降るように」
・5段階評価:5
・あらすじ
・印象に残ったセリフ
イリア「ごめん、ミーネ……」
すごく多種多様な意味合いがこもりにこもった満願の思いがのった言葉。
・印象に残ったキャラ
ミーネ。
ドラガリアロストはミーネの愛のお話だったんだなって思いました。
・感想
いっぱい泣いちゃった。
ミーネとイリアの関係は文章にしてしまうと、それだけになってしまうし、全部書けば書くほど書いていない感情が無くなる気がしてしまう。
ドラガリアロストは終わるけど、こうやってシナリオの感想を僕が書いて、いつか読み返すときに、このミーネの気持ちを思い返したらまた違う感想が湧いてくると思う。
面白かった。
「來光! 日ノ下決戦」
・5段階評価:3
・あらすじ
ヒノモトシナリオ完結編。
十二竜氏全員に力を合わせてツクヨミを倒した。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
×そうか、君はそういうやつなんだな…
〇実際は仁藤や石川優美みたいな低俗向けコンテンツに興味がないだけ
N-stylesは20年前から任天堂株持ってたり日頃の生活見るからに上級国民だし低俗なフェミとアンチフェミの争いなどどうでもいい
naoyo4 仁藤さん最近、攻撃的だな。活動内容は素晴らしいのに敵を増やしてしまわないか心配。この件はあきらかに言いすぎ。
他にもmsukasukaなど6名ほどが支持してたけどさ、ないわー。
別にこの二人がやってること、この二人じゃないとできないことじゃないよね。
人格的に問題あるんだから同じような活動してる他の人を支持するべきでしょ。
たとえば誹謗中傷に反対する活動で4シスターとか言ってるけど、
これはすでに言われてる通り「Internet safety協会」を応援した方がいいって言われてるよね。
kutooももう理念そのものは認知されたんだから、他の人にやってもらった方が絶対よいだろ。
別に怠惰なのはいいけど、さっきあげた方々、自分が怠惰なくせに
ハートネットTV みんなで考えるジェンダー(2)〜なぜ差別をしてしまうのか〜の一部書き起こし。一回目の書き起こしはこちら。
https://anond.hatelabo.jp/20211106003314
特権というのは、いわば「持てる者の余裕」であり、自分が持てる側だという事実にさえ気づいていない、自然で穏やかな状態である。
荻上:多くの方は自分が差別をしたいという権利を自覚して反発しているのではなく、自分にはそんな気がないのに、濡れ衣だと考える方が多いと思います。差別はいけないものだという規範はあるはずで、自分は差別主義者ではないと思いたい。だから、これは差別に含まれない、だからセーフとしたい。
石川:過去の自分もそうだったけど、何が差別かを全然学んでこなかったし、教えてくれる人もいなかった。現状、差別の問題って本を読んだりとか、学びの場に行ったりとか、そういうところじゃないと届かなかったりする。どんな生活をしていても「差別とはどういうものなのか」を学ぶ環境を整えていってほしい。
石川:私達も自分でやってるわけなんで、社会に対して思うことがあるなら声をあげっててください。そうすれば賛同する人も増えていくと思う。私に言ってくる人は私を黙らせたいから言ってくるのかなと思っちゃうんです。私じゃなくて、社会に向けてやってほしいと思います。
水無田:なかなか弱音がはけないとか、男なんだからとか言われて育ってると思うんですよね。命の問題や健康に関わる問題って、日本の場合男性の方が深刻で、自殺、孤独死、ひきこもりは男性の方が多い。これは、男性の方が強者でいるはずという社会も想定しているし、男性自身も強くなきゃ、稼がなきゃというプレッシャーが強い。
荻上:男性差別は制度的にも組織社会的にも存在はしている。私はストーカー被害の調査など行ってますけど、男性の被害者というのはまだまだ取り上げられていない。シェルターの受け入れも男性は拒否される。
でも、存在する差別を訴えるときに、女性差別の問題を訴えている人に対して、これも言ってくれ、言わなければフェイクだみたいなことを言うのが適切かというと、結局何も動かない社会を肯定してしまうことになる。個別の議論を一緒に進めていくというのが重要だと思います。
なんとなく書き始めたけど自分で読んでも面白くなかったのでネットのゴミ箱である増田へ投稿。
追い詰められたあなたの心が、ギリギリのところで、自分で自分の命を、存在を、認めてあげるために選んだ言葉が「障害者は死ね」だとしたら。
正直、こんな状況では、あなたが社会を恨むのも、世の障害のある人を恨むのも、わたしは仕方がないと思うんです。恨んでほしくないけど、気持ちはわかります。
えぐい。
ここまでわかっていて。
「クズというアイデンティティをまとうことでギリギリ自分を保ってる人」だとわかっていて。
クズというアイデンティティを引っぺがして赤ん坊状態にしたうえで自分が関わるのはここまでだから、あとは自分で何とかしろ(親御さんに頼れ)と。
うかつに他人の身内に対して「死ね」みたいなことを言う人が悪いので自業自得だと思います。
そもそも「クズ人間」というアイデンティティをそのままさらけ出す人がネットには多すぎる。
そういう人間だと自覚してるなら、最初から5ちゃんねるとかはてなの鍵アカウントに引きこもってればよかったのであって
開き直って表のネットに出てきたあげくに他人に対して「死ね」みたいな言葉を投げつけて許されると勘違いしてるのはダメに決まってるでしょ。
普通は事情もきかれず問答無用で殺されたって全く文句など言えないはずです。
太陽に向かって飛ぼうとしたイカロスが勝手に墜落死した自滅案件にすぎない。
そういう意味で言うと、クズな人間は「悪意」に対して「悪意」で返してくれる石川優美さんが一番望ましいのでしょう。
クズ同士はひかれあうというか。
「自分も誹謗中傷しまくっているのに」自分が誹謗中傷されたらキレるというめちゃくちゃ理不尽な人ですが
それ故に、クズ人間ほど「ああ、この人は俺たちと同じだ」と悪い意味で親近感を持っているのでしょう。
ひろゆきは、自分が高みに立って、教祖の位置からクズを肯定することで商売を成り立たせてるのと同じように
NHKの「声を上げた私が悪いのか ~止むことのないネット上での中傷~」という記事がはてブで話題になっていますが、先週のハートネットTVで、小田急線での事件を取り上げ、フェミサイド、ジェンダー差別について語る番組が放映されており、その中でも誹謗中傷問題についても触れられていたので、重要そうな部分を書き起こし。
https://www.nhk.jp/p/heart-net/ts/J89PNQQ4QW/episode/te/GV1Q513755/
黒沢:私も電車に乗るのが怖くて、すごい学生の頃にトラウマができちゃって、ジェンダーレスな服装をするようにしてます。
女性は被害者意識が強いって言われますけど、被害を受けてるから言ってるだけであって、男性はそういう場面を見てないから「またまた〜」みたいなこと言うんですけど、女性同士のあるあるだったりする。
荻上:直接的に女性をターゲットにしたと動機では語られない。でも統計とか構造に注目をすると明らかに女性の方がリスクが高いということが言える。
例えば、ひったくりは女性差別と言ったときに、多くの人がポカーンとするんじゃないかと思います。でも、統計的に見ると女性の方が狙われやすい。なぜ?とうことを考えると身体的な差もあるけど、女性の方が追いかけてこないとか、反抗しないだろうという一定のステロタイプがある。
男性・女性、あるいはマジョリティ・マイノリティも社会構造に適応しているので、自分自身が差別をしていることも、差別を受けていることも気づきにくい。だからこそ言葉の役割があって「実は差別ではないか」と社会問題提起をして、それを改善することが進んでいく。
北村:男性が有利なままの今の社会システムを維持したい、享受したいという防衛の表れで、結局それは差別を続けたい、続けてしまうという結果にしか繋がらない。不利益や差別を私は解消したいと私は思ってません、現状維持の方が気持ちいいですと揺り戻していること他ならない。
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荻上:「あなたの問題でしょ」とか、「あなたさえ黙っていればいいんだ」っていうのは自己防衛のためにそうしたリアクションをしがちなのはまさにその通りだと思います。
石川:わかりやすく声を抑えて万人に伝わるようにということを色んな方がやってきた。でもその結果、全然届いていなかったじゃんていうことがあるので、やり方を変えているところもある。
水無田:少し前に、子どもと一緒の母親がスーパーでポテトサラダに手をのばしたら、年配の男性から「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言われたということがネットで話題になった。なっとらん母親に対して自分が鉄槌を下したんだと、そういう意識の方がいらっしゃる。それは正義感の衣をかぶった暴言ですよね。
石川:差別的な発言を学んでいても、自分の思わないところでしてしまうことはまだあって、私も結構やらかしてることがあるんですけど、身内の方とかの指摘で都度直していこうと思える。
steel_eel 誰かが「この人を裏から持ち上げて矢面に立たせてる仕掛人、完全にぶっ壊れるの待ってるよね。壊れたら壊れたでそのことを利用できるし」みたいなことを言ってたけど、その日は近そうな感じ(もしくは既に)。
これ典型的な陰謀論なんだが、なんか最近信じそうになってしまう。くっ!僕は陰謀論には屈しないぞ!
まず石川さん本人があまりにもずさんな立ち回りであるのは言うまでもない。苦言を言う人はすべて遠ざけようとしている印象もある。
しかし、それ以上に、周囲の人間から誰も助けてもらえないのが不自然に感じる。彼女の周りにいるソーシャルアクティビストがあまりにもひどい。
彼女のまわりには6名ほど常に行動をともにしているひとたちがいる。
この人たちが石川さんをうまくなだめたり応援したりするべきなのだが、実際は石川さんはいつもこの人たちから後ろ弾ばかり打たれてる印象がある。
この人たちは石川さんをかばうようなことを言いながら同じ口で他者を攻撃し、どんどんアンチを量産する。そしてその批判は全部石川さんが受けることになる。味方の顔をしてさらに石川さんを追い込むことしかしていない。
この人たちの狙いは何なのだろうか。石川さんのイメージを貶めつつも注目を維持し、最終的には石川さんをリタイヤさせて、「石川さんを追い詰めたアイツラを許すな」とやりたいのではないかと言われたら納得してしまいそうになる。
実際にグリッドマン抱きまくら騒動のときに、絢辻なんとかという架空のアカウントをネット上で殉職させ、弔い合戦を演出しようとした連中がいる。
本当に石川さんを殺すようなことはしないだろうが、言い訳もないくらいはげしい石川さん叩きがあったときに、石川さんを退場させ、弔い合戦のお題目を掲げてクラウドファンディングとか立ち上げる人がいても驚かない。
いやいやいやいや。いくらなんでも安直すぎる。ただの無能な人たちに陰謀を見出してはいけないとハンロン先生も仰ってた。
ところでハンロンってなんの人?剃刀屋さん?