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ハートネットTV みんなで考えるジェンダー(2)〜なぜ差別をしてしまうのか〜の一部書き起こし。一回目の書き起こしはこちら。
https://anond.hatelabo.jp/20211106003314
特権というのは、いわば「持てる者の余裕」であり、自分が持てる側だという事実にさえ気づいていない、自然で穏やかな状態である。
荻上:多くの方は自分が差別をしたいという権利を自覚して反発しているのではなく、自分にはそんな気がないのに、濡れ衣だと考える方が多いと思います。差別はいけないものだという規範はあるはずで、自分は差別主義者ではないと思いたい。だから、これは差別に含まれない、だからセーフとしたい。
石川:過去の自分もそうだったけど、何が差別かを全然学んでこなかったし、教えてくれる人もいなかった。現状、差別の問題って本を読んだりとか、学びの場に行ったりとか、そういうところじゃないと届かなかったりする。どんな生活をしていても「差別とはどういうものなのか」を学ぶ環境を整えていってほしい。
石川:私達も自分でやってるわけなんで、社会に対して思うことがあるなら声をあげっててください。そうすれば賛同する人も増えていくと思う。私に言ってくる人は私を黙らせたいから言ってくるのかなと思っちゃうんです。私じゃなくて、社会に向けてやってほしいと思います。
水無田:なかなか弱音がはけないとか、男なんだからとか言われて育ってると思うんですよね。命の問題や健康に関わる問題って、日本の場合男性の方が深刻で、自殺、孤独死、ひきこもりは男性の方が多い。これは、男性の方が強者でいるはずという社会も想定しているし、男性自身も強くなきゃ、稼がなきゃというプレッシャーが強い。
荻上:男性差別は制度的にも組織社会的にも存在はしている。私はストーカー被害の調査など行ってますけど、男性の被害者というのはまだまだ取り上げられていない。シェルターの受け入れも男性は拒否される。
でも、存在する差別を訴えるときに、女性差別の問題を訴えている人に対して、これも言ってくれ、言わなければフェイクだみたいなことを言うのが適切かというと、結局何も動かない社会を肯定してしまうことになる。個別の議論を一緒に進めていくというのが重要だと思います。
NHKの「声を上げた私が悪いのか ~止むことのないネット上での中傷~」という記事がはてブで話題になっていますが、先週のハートネットTVで、小田急線での事件を取り上げ、フェミサイド、ジェンダー差別について語る番組が放映されており、その中でも誹謗中傷問題についても触れられていたので、重要そうな部分を書き起こし。
https://www.nhk.jp/p/heart-net/ts/J89PNQQ4QW/episode/te/GV1Q513755/
黒沢:私も電車に乗るのが怖くて、すごい学生の頃にトラウマができちゃって、ジェンダーレスな服装をするようにしてます。
女性は被害者意識が強いって言われますけど、被害を受けてるから言ってるだけであって、男性はそういう場面を見てないから「またまた〜」みたいなこと言うんですけど、女性同士のあるあるだったりする。
荻上:直接的に女性をターゲットにしたと動機では語られない。でも統計とか構造に注目をすると明らかに女性の方がリスクが高いということが言える。
例えば、ひったくりは女性差別と言ったときに、多くの人がポカーンとするんじゃないかと思います。でも、統計的に見ると女性の方が狙われやすい。なぜ?とうことを考えると身体的な差もあるけど、女性の方が追いかけてこないとか、反抗しないだろうという一定のステロタイプがある。
男性・女性、あるいはマジョリティ・マイノリティも社会構造に適応しているので、自分自身が差別をしていることも、差別を受けていることも気づきにくい。だからこそ言葉の役割があって「実は差別ではないか」と社会問題提起をして、それを改善することが進んでいく。
北村:男性が有利なままの今の社会システムを維持したい、享受したいという防衛の表れで、結局それは差別を続けたい、続けてしまうという結果にしか繋がらない。不利益や差別を私は解消したいと私は思ってません、現状維持の方が気持ちいいですと揺り戻していること他ならない。
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荻上:「あなたの問題でしょ」とか、「あなたさえ黙っていればいいんだ」っていうのは自己防衛のためにそうしたリアクションをしがちなのはまさにその通りだと思います。
石川:わかりやすく声を抑えて万人に伝わるようにということを色んな方がやってきた。でもその結果、全然届いていなかったじゃんていうことがあるので、やり方を変えているところもある。
水無田:少し前に、子どもと一緒の母親がスーパーでポテトサラダに手をのばしたら、年配の男性から「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と言われたということがネットで話題になった。なっとらん母親に対して自分が鉄槌を下したんだと、そういう意識の方がいらっしゃる。それは正義感の衣をかぶった暴言ですよね。
石川:差別的な発言を学んでいても、自分の思わないところでしてしまうことはまだあって、私も結構やらかしてることがあるんですけど、身内の方とかの指摘で都度直していこうと思える。
これは最近気づいたことだけど、どうやら自分はウォッカが苦手みたいだ。
それは味だとか、喉越し云々という意味ではなくて。……酩酊の手段として、ウォッカを使うのは自分にとっては劇薬を呑むのと相違ない。
1口目でほろ酔い。
2口目で顔が火照る。
3口、4口、――飲み干した頃には、へいお待ち、酔っ払いの一丁出来上がりだ。
まあ、兎にも角にも、二〇年にも満たない自分の人生の中で、ウォッカという酒は様々な失態を寄越してきた。
それはその、「二〇年にも満たない人生」のほんの一部を振り返ってみる日記だ。
自分みたいな人間はこの世の中に腐るほどいるとは思うけれど、とりあえずは書いてみることにした。
先に自己紹介。
飲酒歴は七年程度。酒は中一から飲み始めた。でも毎日のように飲み始めたのは高二くらいからだったから、きちんと数えるなら三年ほどになるか。煙草もちまちま吸っていた。
そのことについても適当に書いてみるつもり。
毎日ストロングゼロを呑めるだけ呑んで、酩酊の中書いてみるコンセプトでこの日記は進めていこうと思う。
と、日記を書き始めるその前に、最近放映していたnhkでの社会学者の水無田気流さんの若者の孤独感についてのコメントを引用してみる。
かつての自分だったら、きっとこんな孤独感はなかっただろうけれど。
今の自分は、まさにそれだ。
だからこの日記を書く理由もたぶん、誰かに反応してほしくて、自分の存在を存在たらしめたくて、書いている節はあるのだ。不純な動機の日記というわけだ。
この日記は自分の成人式となる一月八日まで、つまり一〇日間に渡って書き進めていくつもり。
それを一日遅れで載せていくつもりだ。