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はてなキーワード: 「ムー」とは

2019-09-26

anond:20190926105609

すまん、「結城友奈は勇者である」みたいなことを言ってるのではないのは分かるよな?

ダンジョン飯ウィザードリィ等のCRPGありがちなファンタジー世界モチーフとしている」等の、ある表現された形や絵に対してのオリジンとなる(何を表現たかったのか)の話をしてるのは分かるよな?

んで、宮崎映画における飯描写は、千と千尋みたいな特定作品を除いたら「お約束」として出しているものであって何かを表現たかったりして出している<訳ではなさそう>っていうのも理解はしてくれるよな?

んで、一番わかり辛い「崖の上のポニョ」は何をモチーフにした作品なのかって「これ!」って断言できるか?

断言してもいいけど、増田が出せる答えは雑誌「ムー」記者が書く妄想よりも数段根拠にも理屈にも劣ったものしか出せんぞ。

そういうことや。

2017-06-04

ドッジボールはいじめに繋がるか?−ネット微妙な異常さ

人口に対するネットユーザー比率ビックリするほど増えた割に

ネットメジャーになる思想の極端さもまたビックリするほど顕著である

 

これはネットメディア特性に過ぎないのか

はたまた時代による考え方の移り変わりなのか

自分の回りには自分とともに年を重ねた人間しかいないので今ひとつからない

 

とかくネット思想は極端である

中庸とはかけ離れたある種の怨讐じみた極論が支持を得がちである

 

個人的特にからないのが、運動音痴な連中による体育への怨嗟である

単に体育嫌いが分からないという話では、もちろんない

 

自分もいわゆる文化系であり体育は苦手な方だった

体育会系の「ノリ」も大嫌いで、徹底してそういう連中とは距離を取って来た

からないのは、これらの怨嗟がことに目の敵にする「ポイント」の微妙なズレである

 

例えば一時期やけに槍玉に挙げられた「ドッジボール

ネット「声」曰く、ドッジボールは「暴力的」で「特定個人集団でいたぶる」ことができ、「いじめに繋がる」そうなのだ

寡聞にしてドッジボールがそんな風に受け止められているところをこれらの人々の書き込み以外で見たことがない

 

ドッジボール標準的ルールに則れば「顔面セーフ」「一回当たったら外野」「敵は全員平等に倒さないと勝てない」はずなのだ

一体どういう風なローカルルールを作り上げれば「いじめられっこが集中的に狙われる」事態などが起こりうるのだろうか?

 

もちろん、ドッジボールいじめに「使われる」ことはあり得る

ドッジボールと「称して」ボールをぶつける暴力行為存在は容易に想像出来る

 

しかしそんな事を言い出したら「野球と称して」棒切れで叩くいじめもあれば

サッカーと称して」集団で足蹴にするいじめもあることも普通は知っているはずだ

なぜドッジボール「だけ」にこの何か特殊な怨讐は狙いを定めてしまったのか?

 

ドッジボールに対しては、自分の知る限りでは他の球技に比べより平等な楽しみ方ができる中庸ものという捉え方が多く見られる

「逃げ回ってれば良い/人に隠れてれば良い」から運動音痴でも楽しめたという声は数知れず

とあるノスタルジー系の漫画でも「女子男子が交じって遊べる」球技として言及されていたし、

アメリカではドッジボールは実際禁止のところもー」なんて怨嗟連は言うのだが、明らかにオタク系のアメリカ人

HxHのドッジボール編の感想で「ドッジボール好きなんだよねー」と漏らす始末

 

もちろんドッジボールにいやな思い出がある人間存在否定するものではないが

どう考えてもそういう経験、考え方の方が特殊事例であるように見えることは否めず

どうしてここまで「ひた隠しにされていた真実」といった感じの風を吹かせているのかただただ理解に苦しむ

 

ことがたかドッジボールから大げさに聞こえるかも知れないが、非現実性で言えば「ムー」ともタメを張っている

何のこととは言わないが「ネットの声」というものはおおむね他の事例もこのような極端さを持っている

 

面倒くさくなったので個人的結論をまとめると

こう言った中庸さの欠落には以下の三つの理由が考えられる

一、極端な思想は極端な声の大きさを持つ

 説明不要

二、中庸自体への反逆

 いわゆる反知性主義という奴か、ドッジボールのような「味方も多い」ものこそ噛み付きたいのかも知れない

三、お客様アンケートのズレた感じ

 コンビニなどで商品への要望を客に聞くと、必ず健康的な商品などが上げられるのだが、実際出しても売れないのだそうだ

 自分はこれを「アンケートに答えるような奴は賢しらにアドバイスがしたいだけで本当の要望なんて本人にも分かってない」からだと思っている

 有り体に言うと「言ってみただけ」

 とにかく何か槍玉に挙げてみたかたかマイナーな攻めどころを探しただけなのだ

 

ネットの声に騙されやすい人たちは「中庸こそ武器である」と知った方がよろしおす

2016-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20160902030318

時代にもよるのかな。

ぼくらが小学生の頃はUFO超常現象ブーム「ムー」やなんかが学級文庫として置かれてたし、テレビ番組でも毎月のようにUFO特番があって、準レギュラー並の出演頻度でナスカの地上絵が出てきて「宇宙人へのメッセージ!?」みたいに扱われてた。そういう時代経験してると「ナスカの地上絵」に触れないってのは帰国子女テレビを見せてもらえないガリ勉かと思うのも致し方無い。

2014-01-12

はてな脳」は感性を殺す?

はてな村の住人は分析論理を重んじる。重んじ過ぎている、とすら言える。

先日、昔投稿していた小説サイトを久しぶりに覗いて、過去自分の作品を読んでみたのだが、技術の如何はさておき、小説としては今はてなで書いている自分の文章よりはるか面白い

当時は自分小説がそんなに面白いものだとは考えていなかった。プロの書くものにはかなわないと思っていた。

歴史ものを書くときには史料にしっかりとあたるように心がけていたが、それ以外のジャンルを書くときには、感性の赴くまま、理性のたがを外すようにして、心の隙間から生まれ出てくるものをそのまま創作物にしている感覚だった。

それは謎を謎のままとして楽しんだり、不可解なものごとに理由を付けず、ただ気味の悪いものとしてそのまま恐れるような感覚を文章にしていたといっていい。

それに比べて最近自分が書いている文章は、論理的分析的かもしれないが無味乾燥だ。なぜこんなに心が乾いてしまっているのだろう。

2chはてなで論争を繰り返し、理論武装するようになってからこうなってしまったように思う。

謎や不可解なものの裏側にある秘密を暴いて、構造を明確にしてゆくと、圧倒的なものに触れたときに生まれた表現への初期衝動は薄れていく。「セックスなんて所詮脳が生み出す電気信号のやりとりに過ぎない。脳の特定部位に電極を突き刺せば同等の快楽は得られる」などという、大脳生理学にかぶれた輩の物言いにも似た事態だ。

はいえ、その物言いは、事実無根だと切り捨てられないのがもどかしい。たしかセックスとき人間が感じている感覚は、脳の反応を見ればただパルス適当な部位にはしっているだけのことだろう。いや、そうではないのだ、といくら強弁したところで、科学的な根拠は提示できない。ネット言い回しを使えば「ソースはない」ということになる。

学研「ムー」という、オカルトの有名雑誌がある。どう読んでもネタしか思えない。だがしかしひょっとしたら事実かもしれない。そんな虚実の入り混じった面白さを楽しむことが、かつての日本の言論状況では可能だった。しかし、はてな村以降の世界では、虚実の虚には完膚なきまでに論破され、挙句、あんな曖昧雑誌はなくなってしまえばよい、という科学原理主義者の物言い正当化される。

別に私もあんな雑誌がなくなっても日常生活に不都合はありはしない。しかし、日常を彩るエッセンスひとつとして、タバココーヒーのように、害を知りつつもほどほどに付き合い、楽しむことが出来るものとして存在していてもいいのではないか、と思うだけだ。

都市伝説ひとつ存在しない、川口浩探検隊のような種類のエンターテインメントがまったくない世の中が、今よりも素晴らしいといえるのだろうか。

サブカルチャーの中で描かれる妖精精霊は認めるのに、一方で、その源流たるアニミズム的な発想はくだらないオカルトとしてバッサリ切リ捨てるような状況には、矛盾したものを感じなくもない。

散漫になった。まとめると、創作に感動をもたらすのはうさんくさい「隙間」だ。隙間なくびっしりと埋められた世界からは、感動するものは出てこない。逆に言えば、感動は理由づけした時点で死に絶える。批評重要だが、創作物には作者すら理性的には踏み込めない部分があり、そこは尊重する必要がある。

目に見えない可能性を潰して回っていると、人類世界を見る目は皮相的な、浅いものになっていくばかりだ。何もファンタジーに限らない。全部理論的に何一つ矛盾なく説明できるSFは突飛さがなくつまらない科学読み物になってしまうし、予測不能の事態が起こらない歴史もの教科書を読んでいるようであくびが出る。

この文章にも反論はあるだろう。論破しようとすればいくらでも出来るだろう。理屈と膏薬はどこへでもつくのだからしかひとつだけたしかなことは、隅から隅まですべてを認識し、理解し、分析しようとする態度は、感性を殺す。仕事ときならそれもいいだろう。仕事感性関係がない。しか仕事と離れた場所で、つまりはてなブックマーク匿名ダイアリーで、仕事のように論理的な態度を崩さずにいることは、不健康だ。もっとはてな村は気楽になったほうがいい。クリエイティブ空間としてはてな村再生されることを望む。

元ネタhttp://anond.hatelabo.jp/20140112071842

2007-05-30

ムー 2007年 06月号 [雑誌]

出版社: 学習研究社

発売日: 2007/05/09

今号では、何度目かのヒトラー特集

目新しさはあまりなかった

でも、ついつい買ってしまうんだよね 「ムー」 

 
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