はてなキーワード: 嘲笑とは
リンクに申請や通知が必要なんて言ったら笑われた。実態も技術も何も知らないものとして嘲笑された。
時代は下がって、企業Web担当者よりも平均的な個人ユーザーのほうが概ね賢くない時代、
リンクに申請や通知が必要なんて言ったら……おそらく、実態も技術も何も知らないものとして嘲笑されることはないだろう。
…まあ、なんだ、その…、いや、まあ、
どこまで意図されたものかはわからんし、担当の人そこまで考えてないと思うよ的な感じもすごいするのだが、
サーバ負荷も帯域負荷もコンテンツ盗用も全く考えずリンク張ったり埋め込んだり手元に保存してアップロードしたりしたりしてる昨今、
そのサイトをどう利用しようとしてるかを相手サイトに(結果的に)報せて許可もらってきてください、という手順はうまいこと選別の役を果たしてると思う
ああいやもちろん、前から嫌いだった悪の組織電通を叩ける最ッ高に楽しい遊びを邪魔されたくないだろうからまだ「疑惑」とか「想像」とかを持ちだして電通叩きを喜々として続けるし、電通に濡れ衣を着せた件を訂正したり謝罪したり反省したりせめて静観につとめることなんてしないし、これを教訓にいかに日頃から批判的な人・集団であってもいや日頃から批判的な人・集団であればこそ嬉ション漏らしそうな相手の「やらかし」情報をちょっと聞いただけで時間を置くとかよく調べるとかをせず軽々に叩くようなことは控えようと自分を戒めるなんて選択肢にものぼらないし、それはそれとしてこれから先も今の自分の振る舞いは棚にあげて「オタク」とか「フェミ」とか「ネトウヨ」とか「サヨク」とか嫌いな連中の軽率さだけは嘲笑する、なんてことはわかってんだけど一応。
・レビュー総数が何千件とあっても表示されるのは10件程度のみ
・並べ替え等はできず、どういう仕組みでその10件が選ばれているのか不明
・「★1のレビューを読みたい」とか「直近3ヶ月のレビューを見たい」等は一切できない
・レビュワーのIDもクリック不可のため、信頼できる人物なのか、そもそも実在しているのか判断できない
つまり、PayPayモールでは販売店がレビューを捏造していたとしても確認する術は一切ない。
ここのレビューは怪しい通販ページにある「この商品で病気が治り異性にモテモテになりました!」と同じ。
通販サイトによくある★5が◯件、★1が◯件……というグラフもあるのだが、クリックできなければ実態があるとは言えず、販売店側でいくらでも操作可能である。
レビューとは消費者が良質な商品を選ぶため、つまり一種の消費者保護的な意味合いを持つ仕組みだ。
販売店がレビューに悪く書かれるのを恐れるからこそ、商品やサービスの改善につながるのだ。
PayPayおよびYahooはレビューと称して広告を掲載することも可能な今の仕組みをどう考えているのか?
景品表示法とか公正取引委員会のガイドラインに違反してないか?
よく楽天の「期待をこめて★5です」的なレビューが嘲笑されるが、PayPayモールに比べればまだ透明性があるだけマシだ。
Amazonのサクラレビューや食べログの点数操作も話題になるが、ネットの口コミやレビュー周りの悪質さにはうんざりする。
そして、これだけネット上のレビューが機能してない現状にも関わらず
「そんなのに騙される奴らは情弱」とせせら笑う自称ネット上級者が多いのにもうんざりだ。
Amazonでなくヨドバシで買えとかそういう話じゃないんだよ。
レビューや口コミに期待されるはずの消費者保護機能が破壊されていることが問題なんだよ。
これもう、文章の最初に書くことを法律で義務付けない?????????
幼い時の虐待による対人関係の不得意さ、不登校による学力のなさ、ストレスによる肥満で周りから嘲笑される、摂食障害、精神疾患(診断書あり)、その他もろもろ。
生きてるの辛い。
何かあるごとに、同じ人はいないか、どう克服したのか、と思い検索する。
出てくる出てくる。いろんな人の体験談。そのどれもが最後には判を押したように書いてある。
この人はわたしと同じだ!と読み進めて最後にこれがあると絶望する。
パートナーはいない、親にも分かってもらえない。わたしに救いはないのだなと。
共感者のふりして、かけがえのない恋人の様な人も得られなくて、孤独で、孤独で、孤独に戦い今日も手首を切る人間の傷口に塩を塗ってることに気付いて欲しい。
騙されてやんのwwwって嘲笑する
いやボカすのも伏せるのもアレなんであんスタなんですけど
名前だけ知ってて闇深いとか言われてるなー、程度の認識なんですけどアニメみたらちょっと気になるなってキャラがいたのでアプリ始めました。半年くらい前に。
そしてらなんか大型アップデートするらしくて私が始めたころにはもう新しいイベントやってなくて復刻?でイベントストーリーがたくさん解放されるイベントだった。
新規としては嬉しかったけどそしたらなんとアップデート後にはストーリーはもう新章で今の3年生は卒業。下級生は進級。物語の舞台はアイドル学園から芸能界へ…
ええええ…私はアイドル学園物のアニメを見て興味を持ったのに、それで原作アプリ始めたらアイドル学園物としてのストーリーは終わって普通の芸能界メインの話になるの…?そんな…。
ファンの人がよくプレゼンする通りイラストが本当に良い。こういう適度にかわいい感じの絵柄の女性向けソシャゲってあまりない(ように思う)のでそれも良かった。
基本的にはタップゲーでたまに発生するキャラとの会話イベントで選択肢を選んで親愛度を上げる。あと石を貯めてガチャをして良い絵のカードを手に入れる。
その会話イベントで後輩キャラに昼食に何を食べたいか聞かれて選択肢から『パスタ』を選ぶ。パスタ大好き。
するとどうだ
後輩「え~?女の人ってパスタ好きですよね~?」 >> luck down << (luckは高いと多分タップ中に何かが多少有利になる何か)
パスタが好きだと悪いのか????女の人って~って、女という人類の半分の区別ではなく今目の前にいる私がパスタを食べたいと言っているのだが?????
この人が食べたいと言ったものをそれとなく否定する発言、それを女という属性でくくる行為、そしてとどめのluck downというハズレ選択肢であるという肯定
女の人ってパスタ好きだよね~、ピンク好きだよね~、スイーツ()、タピオカ()
すげえ言われてるよ。現実世界でもネットでもすっげえ言われてるよ。多くは嘲笑の意味合いを含めて言われてるよ。
というかこのキャラもそういう嘲笑や見下しを含めて発言している。そこまで具体的でなくても、マイナスな感情であることはこれがハズレ選択肢であることから明白だろう。
こういう発言は男同士で女を(特定の誰かではないどこかに存在していそうな「そういう女」だ)こき下ろして盛り上がったりそれによって結束を固める用途で行われることがほとんどだ。
稀に本気にして現実の女に対して同じようなことを言う奴がいるが。というかコイツだ。
でもこのキャラクターが普段から典型的な女叩き思想をしているのか、といえばそういった描写はゲーム内では特に見られない。ゲーム全体に流れる古臭いライターの思想は少々感じるが、特別このキャラが「これだから女の人は~」という性格であるという描かれ方はしていない。突然このイベントでパスタ食べる女disという「中身」が漏れてくるのだ。
別に男同士でそういった女叩きで盛り上がるのは構わない。逆の性別でもやってることだろう。
でもこのゲームをやっているユーザーは殆どが女性だろうしプレイヤーの分身である「転校生ちゃん」も女子生徒だ。普通女性向けソシャゲのキャラがわざわざ女(キャラとユーザー双方)に女disぶつけてくるかああああああ????
仮にライターがアホでこういうのをおもしろいとか、女性向けソシャゲでこういうことやっちゃう自分☆でこんなの上げて来たとしても他のスタッフがストップかけないか?まあ、かけてないからこうして世にでておるのですが。
この運営には女性向けソシャゲでキャラにパスタ食べる女disるさせることに疑問を抱く人間が1人もいなかったってことなんだよ。もうそういうのがこの運営大丈夫か?コンプラとかさ、という気持ちになる。
男尊女卑で燃えてるヒプマイですらラジオ時空はコンプラがあると言われているというのに。(ラジオ時空で多少良くなってもそれ以外に問題は山積みだけど)
というか「女が好きな物をdisる」という行為において、disられる物の中にはお前たちが作っている「女性向けソシャゲ」も含まれてるんだぞ。そこのところわかってるのか?わかってないんだろうなあ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4682386438714765538/comment/segawashin
segawashin 本物なのかな?まあ後は当人同士の問題、震えて眠れとしか。/それにしても本件、殆どの反表現規制反対派がだんまりを決め込むどころか一部には同調さえしてた連中がいた点、予定通りの反応とは言え醜悪でしたな。
あんま笑わすなよ。
「一部には同調さえしてた連中がいた」は確かにその通りだね。どこにでも一部アレなひとはいるものだ。
以下は
[B! togetter] 赤木智弘氏、北守氏、Simon_Sin氏などのアカウントが凍結される - Togetterから。
HILOKI-T 何が「表現の自由戦士は批判しないのか」だ、この措置が不満ならまずは自分たちがこれまで散々やってきた「気に入らない者の口を塞ぎ表現を凍結させてきた」ことを反省しろ。絶対しないだろうが。
big_song_bird 北守は不必要に相手を見下して煽っていたから、両手両足だけでは足りないくらい敵も多いだろう。そんな輩に同情するほどお人好しじゃないのw。
chiguhagu-chan 表現規制賛成派が表現規制食らったのなら本望なのでは?さんざ規制規制言っといて都合のいい時だけ「規制反対派は助けてくれますよね?」とかキッモ
sunechamacell いやあお前らが普段やってたことじゃん。お前らの主張通りの結果になったんだから甘んじて受け入れろとしか
kawano_chan 難癖つけて表現規制しようとしてた面々が難癖付けられてTwitter規制されるっていう落語みたいなキレイなオチ 因果応報って奴だな
こんなところかな。
余談:以下は自分に正直な人
tattyu DMCAテイクダウン使わないと凍結出来ないのはクソだし酷え事するなと思うけど北守はそのまま永久に凍結されてて欲しいと言う気持ちもある。
tukanpo-kazuki 表現の自由を大切にする立場としてTwitter Japanの行動には反対だけど、それはそれとして表現規制を叫んでた人の表現が叩き潰される様子には「ざまぁ!」という感想を持ってしまう。人間だもの。
でもね、
「それにしても本件、殆どの反表現規制反対派がだんまりを決め込む」は、ねーわ。お前の目玉はどこについてるの、マジで。
※筆者注:「反表現規制反対派」は「表現規制反対派」の間違いだと思うので、その筋で書いていく。つうか、「表現規制反対派」を自分の対立軸として語るって、ようは自分は「表現規制派」ってことだろ。すごいね。自分の表現が規制されるなんてみじんも思っていないんだね。君らが「ネトウヨ」ってレッテル貼りする属性と同じ思考だね。
以下、だんまりを決め込んでいない証拠。このうちどの程度が「表現規制反対派」か知らないが、筆者視点で、表現規制反対派だと目しているidは多数含まれている。
CocoA 表現の自由の戦士は擁護していると思うけど、揶揄している人たちは何を見ているの。山口貴士弁護士、青識亜論さんなど反対していること知っているでしょ?
clamm0363 虚偽の権利主張で言論を封じようとする輩も、ここぞとばかりにイキリ散らしてる向きも、害悪であるという点では同じ。表現の自由の敵。
kenjiro_n 短文投稿サービスに十全な言論の自由を任せるというのも変な話なので通報はバンバンやるべきだという立場だけど、DMCA虚偽報告という手法で安易に凍結を狙うようなことはあってはならない。
dpdp こういう口の塞ぎ方は許し難い
filinion 私は反表現規制派のオタクであり、無論このような言論弾圧を憎む。これに「表現の自由戦士何してるのー?(チラッチラッ」しか言えない党派主義者は恥を知るべき。チベット問題を反中国ネタとしか見ない輩と同列。
hapze-23_45 虚偽による凍結であれば当然認めてはならない。
tikuwa_ore 相手が誰であれツイート内容を問題とされて凍結されたのならば自業自得。しかし、虚偽の通報によって凍結させられたのであれば被害者。この認識は公平性を保つためにも絶対必要。
starlet01 こんなん駄目に決まってるじゃん。反論すればいいんだよ。口を塞ぐのは卑劣で一番やっちゃいけないことなんだよ。そしてこういう時まず怒るんじゃなくて表現の自由戦士を煽りに行く性根の薄汚さが凄いと思いました。
inatetu 最悪…どれだけ嫌だとしてもこれやったら負けや、人として
littleumbrellas よほど明確な差別発言をしたとかでなければ発言の機会を奪ってはいけない。無能な敵は生かしておけ。新しいアカウントをミュートする手間がかかる。いろんな意味でこんなことはするべきではないししてほしくない。
dambiyori アカウント停止機能自体相当例外的なものとして取り扱われなければって個人的に思うけど、これ論外だよなぁ。
tenkinkoguma 気に入らない言論の人の口を虚偽申告で封じるのは反対します。ただこの方面疎いのでそれ以上の言及はできません。
sumika_09 表現の自由を守ろうぜ。言ってることには賛同できんが、それを言える権利は守らなきゃいけない。騙りで他者を陥れる卑劣な行為は許されない。
stand_up1973 主張は違っても、こういう割とまともな論敵がいなくなったらtwもはてなもつまらない所になってしまうよ。。
gryphon こんな方法があると知らなかったが普通に違法、犯罪では。被害者にお見舞申し上げ、法的措置を求めたい/ブクマ&コメント欄見ると「表現の自由を重視される方の公平性を証明」感(id:kyo_ju さんらもお手本にできる)
筆者注:後半部は「id:kyo_juさんらにとって、表現の自由を重視される方の公平性をお手本にできる」の意味だと思うのだけど。
nagaichi DMCA(デジタルミレニアム著作権法)の虚偽申告か。これはあかん。
Dragoonriders 誰に対してもDMCA悪用はダメ。歴史の消去。犯人は罰せられるべき。ただ、DMCA運用に各アカウントが合意している建前だから発生は避けられないのが現状でしょ? いきなり誰かのせいにする煽りはどうかと思います。
the_sun_also_rises 北守氏も赤木氏も僕はこれっぽっちも評価していないがだが言論の自由は守られねばならない。いかにクソな意見多しとはいえ発言を守ることは重要な人権を守ること。ツイッター社はもっとまともな運営を行うべき。
b4takashi 異論反論あるのは分かるが、DMCAの悪用が反論手段として正しいわけないだろう。それはそれ、これはこれ。表現の自由を守るべきと思う私はもちろんこれにも反対である。
Zephyrosianus こういう時にも「言い方が気に食わない」とか、凍結された人を揶揄するような人には決してなりたくないと思いました
peta0227 絵師凍結の時と態度が違う人は軽蔑する。だいたい非表示になってるけど。不当な手段で言論封殺するのはよくないよ。この手の責任を負うにはTwitter社には荷が重いか。
iheettkun 言論がどうとか以前に普通に違法行為なので裁かれてくれ。ていうか赤木智弘とかどちらかというとフェミ批判側では。
noki32 悪評隠蔽などの目的で行われることが多いDMCAの悪用。毎日膨大な数の申請があり審査が甘いようだが本来著作権を守るためのものでどんなに気に入らない人でもこのようなことはするべきではない。
nakakzs 言説が気に食わない相手であったとしても、Twitterの中で収まっている言論である以上はいかん。じゃないと同じ方法でまた別方向で表現規制をやられてしまう可能性が高まってしまう。
kagerou_ts なんかなしくずしに例のポスター擁護派が犯人扱いされてるけど、事実としてそうなの? どちらにせよDMCAの悪用で口封じされてるのだとしたらTwitter社運用しっかりしろよって思いはするけど。
Ri-fie 立場などは関係なく、相手をうそで貶める奴は軽蔑する。今回の件が虚偽申請であるならば、申請した者は適切な罰を受けてほしい。
GluttonousSeals 私は保守だけど、この表現規制には反対だな。Wantedlyが上場手前で火消しに走るのも反対。
筆者注:私はリベラルだと自認しているし、表現規制には反対だな。というか、保守派って表現規制派多いのかな?
sirobu DMCAの悪用ダメ、絶対。Twitterの対応がガッバガバなのは今に始まったことじゃないのに、日本青年所ガーとか的外れなことを言うのも悪。アイツらも青少年健全育成派だから表現の自由の敵
nemuiumen 自分はこの人たちが大嫌いだけどこれはやっちゃいけないことだと思うよ。今大喜びで「自由戦士はさぞやこれに対してあれ?怒ってない?ww」的な反応してる人たちの中には逆の時意思表明すらしない人もいたようだけど
morikakeokawari 「私はお前の意見に反対だが、お前がそれを言う自由は守る」だっけ? それ思い出せよ、虚偽報告した野郎どもは
knok これはいかんでしょ
tobalno1 虚偽申請で口を噤ませようとするのはどちらの陣営にしてもダメだろう。Twitterは炎上までいかなくても数人の個人レベルでこういうことができるシステム上論戦するのにはとことん不向きよね。
kamm 好感を持ってない人ばかりだけど、こういうやり方はしてはいけない
suimin28 虚偽申請による凍結には反対するが普段ネトウヨやオタクへのヘイト垂れ流して表現の自由満喫してる連中が表現規制反対派を揶揄してるのはギャグか何か?
Rootport 党派性に従ったコメントにスターが集まっていて、暗澹たる気持ちになります。派閥を問わず、気に入らない言説を凍結で黙らせるのはダメでしょう。次は私やあなたかもしれないのに。
zaikabou 赤城智弘、北守、Simon_sin、イナモトリュウジ、森哲平、の各氏。虚偽DMCAなら不当な措置。あと、コメント欄の『ログも消えるから過去のやらかしとかも掘れなくなる』は、確かになー、と思った
kotobuki_84 案件自体は最悪で、制度上仕方ない部分もある様だけど、早急に解決して欲しい。/「表現の自由戦士」という括り(蔑称)で当て擦りしてる連中がその上を行く最悪。仲間(?)の被害すらマウンティング遊びの道具か。
sewerrat 自分の気に入らない相手の自由を認めてこそ表現の自由に意味があるんだよな。気に入らないからって相手の口を封じてはいけない。
ton-boo 表現の自由戦士って括りは意味不明で嫌いだし自分がその括りに入ってるものかどうかもよくわからないけど、twitterのこの雑な対応は昔から本当駄目だと思う/DMCAって本来の目的での利用と悪用と比率どれくらいなんだろ
tomoya_edw ファミニストの暴力を担ぐような輩はこの程度ガタガタいうな、お前ら決まりに守ってもらいたいのかぶっ壊したいのかどっちだよ…とは言うが、DMCAの悪用はダメだ。プロセスを見直してほしいが…無理なのかな。
murishinai 単なるブコメではなく、ちゃんと意思表示したいと思うのだけど、これが DMCA テイクダウンの悪用によるのであれば悪用した者をちゃんと罰して欲しい。これによる経済的損失も発生しうるでしょ、この知名度の面子なら。
t-oblate こういう場外でケリをつけようとするやり方ほんとクソ。ぼくは北守やイナモトなんか大嫌いだけど、こんなやり方で発信する機会を奪われるとか許されざるよ。つかJCの件といい、Twitter仕事しろ案件。
hobo_king 虚偽DMCA報告臭いって? もしそうならやった連中を軽蔑する。個人的に意見が合ったり合わなかったり色々な人ばかりだが、口封じは何よりも表現の自由の敵だ。
Fuggi 反対。クソは批判されなければならないが、声を奪ってはならない。
wideangle DMCAtakedownでの嫌がらせまだ有効なんだな。それはだめだ。(それとは別に名前の上がってるような人たちの暴言は目に余るものはあったぞ……。)
anmin7 DMCAの悪用ほんとクソ。俺はこいつらが大っ嫌いだが、こんな形で口をふさいで何になる。抗議のやり方しらべてちょっと入れてくるか。"Twitterがその申し立ての正確性、有効性、完全性をチェック” してねえよ。
ryokusairyokusai 虚偽の通報は論外。目的が正しければ何をしてもいいといふのでは、はてな村のうすらばかどもが激賞してゐるどこぞの医師と変はらん。
Sarutani 相手が誰であれ、こういうときに「今どんな気持ち?」みたいに煽るのは皮肉のつもりでも大人げないからやめような。加害者そっちのけで被害者を嘲笑うのは筋違い。
malasumasu id:kyo_ju 実際声を上げている人はいるわけだし、こういう皮肉めいたこと言ってさも誰もいないかの様に見せかけるの止めません?
colonoe まだ誰のせいなのかわからない段階で犯人を決めつけてる人がいるな。こういう人が地震の後に死者が出たら「朝鮮人が井戸に毒を入れたせいだ」とか言うんだろうな
oshisage なんで表現の自由を重要視してる人間はこれに抗議しないことになってるんだろうな。藁人形とは言わんけど属性まとめ過ぎでイラッとするわ。
sanam 数百単位でブクマされてるにも関わらず批判的な意見が無いのなら表現の自由戦士は~にも納得いくが、一発めからそういう事書いても反発呼ぶだけだし普段あちら側が性犯罪系の記事でフェミにやる事の真似にしかならん
niwaradi id:kyo_ju氏やid:segawashin氏らの期待に答え、自由派としてブクマ並びに抗議の声を上げさせていただきます。ニセ科学やヘイトの発信源かつ、以前から恣意的な凍結をしてきたtwitterには元々信頼などないわけですが。
【追記】
fut573 当選してない……
すまねえ…。
fut573 ブコメで上がっているクラスタの犯行なら、フェミニストが先に全滅してそうな感もある。時間差なのかもしれんけど
同様の理由で、
himakao キチ集団ラブライバーを敵にしたら滅茶苦茶な反撃がきた巻。表現界隈が実行してたらとっくの昔にフェミニストがこうなってるし、別の集団と推測するのが自然だけど頭悪い人だらけ
も外した。
もう日本は令和だよ、2020年だよ。いいかげん「性被害に騒ぐのはブスばかりw」とかいう価値観は過去のものになってほしいんだよ。なのにこれだよ!
ツイッターで女性専用車両や痴漢が話題になるたびに、出回った頃にはまだ物心ついてなかった、下手すれば生まれてなかったような中学生や高校生の若者達が、嬉々としてこの画像を貼りまくる。そして「痴漢痴漢と騒ぐのはブスやババアばかりだよなw」と笑うのだ。
「どこでもいいです」の彼女は「何故痴漢のために被害者側が移動しなくてはならないのか」という思いから答えたというインタビューが出たのに、嘲笑われている中年女性は「娘がいるから」安心と言っていたのに。
おばさんだって若い頃があって、痴漢被害経験があって、自分の娘や若い子達に同じ思いをさせたくないからなのに。
第一、ブスもおばさんも痴漢にあうのに。痴漢に顔は関係ないと、大人しそうな被害者が狙われると何度言ったらわかるの?
「ブスを狙うんですよ。誰がお前みたいなブスを触るか!って言い逃れる為に」って言ってる痴漢もいたのに。
コロナ関係のまとめで色々批評されてるのを見て患者がちょっとしたパニックになるのは一般的なことなんじゃないかなって。いや自分は全然専門家でもないから何とも言えんのだけど。ちょっと古い本だけど『四訂 臨床医学入門』にこんな記述がありまして。
医療施設は医療専門職の援助を必要とする人々の集まる所であって,これらの人々は心理的にも不安定な状態であることが多い.医師や看護婦(原文ママ)の場合はその患者の状態を身体的,心理的,社会的に観察し,理解し,必要なケアを与えることが重要な任務となっているが,(中略)
患者にしばしば認められる一般的心理的特徴としては,自身の病状についての心配や,医療行為たとえば注射,電極の装着,手術などに対する不安,恐怖からノイローゼ傾向に陥ったり,自己中心的になって過度に他人の同情を求め,一方,無力感から自発性を失って依存的となり,周囲の人々の言動に対しては疑い深くなったり,怒りやすくなったりすることが多いといわれている.病院にはあらゆる性格の人が来るわけであるし,しかも病気ということでその基本的性格が不安定となれば,過剰な反応や病的反応が観察されても,ある程度は当然といってよい.(中略)
患者にとって白衣やユニフォームを着用した医療従事者は,どの人も自分を守ってくれる人,支えてくれる人であるはずであり,そのひと言その応対のしぐさにいたわりや慰めを期待したとしても,それを一概に依存的とか甘えとかいうことはできない.患者のその期待が無残にも打ち砕かれ,猜疑心,不信感,無力感から怒り,反抗的行動と進んだ場合にも,その原因となった当の医療従事者は束の間のすれ違いにも似て,まったくそのことを知らないこともある.(後略)
もちろん限度はある、限度は。またこれを見て医療従事者に甘えていいんだなどと思うことは勘違い甚だしい。医療従事者も大変である。ただ、一方で患者らがどうしても冷静でいられないというのはそこまで非難・嘲笑できることでもないんじゃないかとも思う。まあ小並感程度の話だけど。
(センター試験で話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)
底本:原民喜戦後全小説 下(講談社文芸文庫)1995年8月10日第1刷発行
I
私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫の魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老いた母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。
その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかに、もっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初「孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。
彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身の青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予で最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。
岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものをノートし、まず文体の研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。
それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。
私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのものを顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部に入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人と同棲した暁には、染料の会社を設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである。
日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線へ派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞の第一面、つまり雑誌や新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見たものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院で殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。
岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。
たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌に掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初の召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京で文化方面の役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズは役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。
既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活に飛込んだのだった。ところが、その相手は資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである。
II
私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに、満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇のほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。
私は妻の遺骨を郷里の墓地に納めると、再び棲みなれた千葉の借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃である。サイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである。
私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉の借家へ移った時のことである。私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。
私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラと千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴムの長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。
「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。
「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、
「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。
その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。
私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日、八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋の小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好がおかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋の小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。
目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたとそっくりの写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。
冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥は簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。
翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真が満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。
その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体で台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである。
そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服の青年が歯医者に挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年も助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。
それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後の消息であった。その後私の妻の病気は悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。
その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境や機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか。親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客の歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅の作品の暗い翳を思い浮べるのであった。