はてなキーワード: ポリティカル・コレクトネスとは
まず、あらゆる先験的な価値判断は偏見であり、反対すべきだ、という主張がポリティカル・コレクトネスであるというのは全くの間違い。
そのような相対主義的な発想はポリティカル・コレクトネスの主張とはむしろ真逆。
「間違った」先験的な価値判断だけが忌避されるべき偏見である。
「正しい」先験的な価値判断は大衆の啓蒙とアップデートを促すために推奨される。物語の構造だけでなく描写にも埋め込まれる必要がある。
「中立な描写」をしようとすれば、表現者および鑑賞者に埋め込まれた無意識のバイアスによって
だからこそ、「正しい」方向に逆のバイアスをかけておくことがポリティカル・コレクトネスなのである。
これってあんまりコンセンサスのとれた話じゃないと思うんだけど、ポリコレで「悪」を醜悪に描くことに言及したソースあれば教えてほしい。
どんな悪を醜悪に描いても絵や映像や文章で表現すると、どうしても悪とは別の属性が付加されてしまって
その属性に対する偏見を強化することになってしまうと思うんだよね。
藤本タツキ『ルックバック』が修正せざるをえなかったように、ポリコレ言うなら極力属性を持たせず犯人像を透明にすべきなんだよ。
「最悪のオタク」と「まだマシなオタク」を描写し、キモさに傾斜をつける事によってオタクに啓蒙を促す。
これもまさにポリティカル・コレクトネスの模範のような描写と言えよう。
まず当然、オタクを醜悪に描くことを忌避するのは「普段みなさんが嫌ってるポリティカル・コレクトネス」ではない。
元ツイートが、橋本宗洋が、ポリティカル・コレクトネスの基準を全く理解していないことを端的に表している、という認識はあっている。
ただそれはポリティカル・コレクトネス支持者たちの反応を見てから初めて分かるものではない。
なぜなら、そもそも、ポリティカル・コレクトネスの基準においては、「悪」を醜悪に描くことは、政治的に正しいからだ。
オタクの行為が「悪」であることを、行為によってだけではなく、その描き方でも表現することにより、無知な大衆でも直感で「悪」を判定できるようにする。
これはポリティカル・コレクトネスの基準において正しい。
行為の良し悪しは無知な大衆には容易には判定できない。その基準を言語化できない。その訓練を受けていないからである。
だから、作者があらかじめ「善」「悪」を判定しておき、それが直感的に、生理的に理解できるように表現を工夫しておく。
もちろん、「悪」でないもの、例えば特定人種や性的マイノリティを醜悪に描くことは明確にポリティカル・コレクトネス違反である。当たり前だ。
だが、間違っているのは、「悪」でないものを「間違って」醜悪に描くことであり、「悪」であるオタクを醜悪に描くことは当然正しい。
醜悪に描いているからポリコレ違反、なんていうのは、全くの勘違い、何ひとつ理解していない証左だ。
冤罪は悪だから、犯罪者を逮捕するのも悪だ、というレベルの全くの誤謬である。
橋本宗洋およびその賛同者は言語的な訓練を受けておらず、認識能力の欠如した無知な大衆側の人間だから、ポリティカル・コレクトネスの運用基準が理解できていない。
ただし、醜悪に描かれたものに反応する生理的な性能はあるから、ポリティカル・コレクトネスを用いれば、彼らのような大衆も動員することが出来る。
オタクの何が悪いかを理解していなくてもオタクを叩くことは出来る。
これこそがポリティカル・コレクトネスの真骨頂だ。
だから、彼らの反応はポリティカル・コレクトネスの運用者の意図通りの行動をしているにすぎない。
ゆえに橋本宗洋たちの言説そのものを批判してもあまり意味はない。
それすらもポリティカル・コレクトネスという装置の内側での、想定通りの挙動である。
彼らは、いくら批判されても、醜悪な批判者が向かってくるから、我々は正しいという認識を深めるばかりであろう。
以上より、彼がサブカルのノリを引きずっていて、真なるポリティカル・コレクトネスを理解していない、という推論はありえない。
むしろ、彼はポリティカル・コレクトネスを全く理解しないまま、その正当な実行者として振る舞っているにすぎない。
彼らがオタクをいじり、馬鹿にし、気味悪がるのはポリティカル・コレクトネス違反ではない。
むしろ、それにより、ポリティカル・コレクトネスの体現者となることができる。
真なる信仰者は、聖書を読めなくても、神学の論理構造を理解しなくても、その行いの聖性によって信仰を示すことが出来る。
ポリティカル・コレクトネスの構造も全く同じだ。
学会の質疑応答から考える、心理的安全性の確保|Yuta Sawa|note(旧題:物理学会のパワハラ体質)
内容は、不躾な質問やヤジ、批判が飛んでくる物理学会の体質について、心理的安全性を担保するために対応すべきという批判。
ここで指摘される「心理的安全性」を担保するためには、参加者に対して一定の【気を遣う能力】を要求することが必要になる。しかし、そもそも、この能力は平等ではない
さらにいえば、発達障害により、この能力が生得的に無い人も珍しくなく、特に理系のトップティアになると、イキリ発達障害者としか言いようがない連中がゴロゴロいる。
最近は、「心理的安全性」や「ポリティカル・コレクトネス」のように、インテリ・リベラルの価値観を前提とした、【気を遣う能力】が求められるシーンが増大しており、それに馴染めない人たちが、質の低い労働に従事せざるを得なくなったり、地位を追われるような事態に陥っている。LinusやRMSのような押しも押されぬ大御所ですら、その地位を追われかけた。高木博光がTwitterで容赦のない批判を繰り広げているのも、いつまでできるか分からない。フォン・ノイマンが生きていれば、学会から追放されていたことだろう。
そして、こうやって【気を遣う能力】が求められるようになれば、それ以外では大した能力は無くても、SDGsだのなんだのとペラいことを言って金を集めるソーシャルアクティビストだの起業家だの、クソの役にも立たない連中が重要な地位を占めていくことになる。
都立高の男女別定員、廃止目指す方向 合格ライン性差の是正目的で | 毎日新聞
都立高校の男女別の定員枠により、底辺~中堅上位校にかけて、女子の方が合格点が高くなる傾向にあることが差別だと取りざたされている。しかし、この「合格点」には、内申点や面接が含まれており、実質的に、学力では無く、感じの良さや【気を遣う能力】が高い女子が有利になっているということを考慮する必要がある。
もし、学力以外の選考を入試で用いるならば、男性が優位になる体力テストなどを平等に課すことも妥当になるだろうが、それは差別と言われること間違いなしである。その意味では、いわばこの【気を遣う能力】のようなものが、別の差別を生み出しているとは考えられないだろうか。
男性が中心となる集団は、ときにボーイズクラブと批判されることがある。しかし、ボーイズクラブは問題ある部分もあるものの、イキリ発達障害者を排除せず、他人の自由を尊重するといった美徳もある。
しかし、今の、インテリ・リベラルによる社会批判は、「心理的安全性」の名目で気を遣うことができないイキリ発達障害者を排除し、あるいは「ポリティカル・コレクトネス」の名目で人の自由を制約しようとする。そして、そのことを「価値観のアップデート」といって、問題点を無かったことにしてしまっている。
言語化する能力のあるインテリ・リベラルは、このような問題を無視する。自分たちのアイデアを妨害することになるから当然だ。そして、その結果生まれるのは、社会の分断である。
DaiGoさんの発言内容云々は全然考察とかつぶさに反論する意味ねぇと思うのでしないんだけど、
(あーいうとんでもない考えの人いるんだなー、という感想をもつモラルがこっちにあるかないかが重要)
初期の弁明のなかで「これは辛口回なんで」(トークスタイルで辛口回/甘口回というのがあるらしい)という説明を堂々とするのが現代的だなぁと思った。
要するに「これはポリティカル・コレクトネスを無視したトークだったのですよ、もちろん大人だしちゃんと"どういう意見を持つべき"かはわかってますよ(例:テレビじゃこんな事言いませんよ)」という意味でなのだけど、これが多少なりとも弁解になると思っている点が興味深い。
これは逆に、根本的に善意・理想・良心の類は「社会的処世術、使い分けとして行われるものである」という世界観で生きてるってことなんだよな。
単純な、本能的な「善」とかなど存在するわけがない、という世界観に生きてる。
たぶんそうだと信じてしまう環境で育った、あるいは大人になってそういう世界観に浸かりすぎたのだと思う。
「辛口回だから~とかなんの弁明にもなんねーだろw」みたいなのは、単にDaiGoさん個人のお脳が回る回ってない話なので別に論じる価値なし。
ホロライブ
勢い ★★★★★
安定感★★
将来性★★★★
今をときめくトップ事務所。過激化しやすいファン、大金を投じている企画の動きが鈍いこと等が不安材料
勢い ★★★★
安定感★★★
将来性★★★★★
最大事務所。不祥事が起きると派手に燃やされがち。新しいことの挑戦に熱心
774 inc.
勢い ★★★★
安定感★★★★★
将来性★★★★
.LIVE
勢い ★★★
安定感★★★★
将来性★★
可燃分は燃えきった。外部コラボもよくやるようになったがリスナーの新規獲得には苦戦
勢い ★★
安定感★★★
将来性★★★
.LIVE並の経験をしているが、炎上すら目立たない。人の出入りが活発なため良い演者が現れる可能性はある
勢い ★★
安定感★★★★
将来性★★
主な演者:萌実、エトラ
代表の表向きのイメージに反して非常に堅実な運営をしている。演者同士の仲も良好(少なくとも表面上は)。ミルダムとの二足草鞋で伸び悩む
Vshojo
勢い ★★★★
安定感★★
将来性★★★★
海外の配信者文化やポリティカル・コレクトネスの影響を一番に受けそうな点で気になる
Cottage
勢い ★
安定感★★
将来性★★
.LIVEと対象的な意味で可燃分は燃えきったが重い枷を背負う。新人投入するも伸び悩む。実際見てみると嫌いな感じではない(個人の感想です)
勢い ★★★★
安定感★★
将来性★★
「乳を許せ」ではてなで話題になった赤月ゆにと餅月ひまりが所属する。ひまりが後輩できると言っていたが来ていなくない?3つ目の変な休止チャンネルはあるが。エロゲが好きなひまりの変な勢いは物凄く(実は歌も上手い)、見たこともないコラボをぶち込んでくるが、内容的によく収益化が剥がれる。
下記はトラバに教えていただいた情報の抜粋です。詳しい説明はトラバまで
ぶいすぽっ!(トラバanond:20210810115637より)
勢い ★★★★
安定感★★★
将来性★★
主な演者: 一ノ瀬うるは
FPS(というかApex)においては非常に勢いがあり、ストリーマーとのコラボで数字を伸ばしているが、個人配信の数字が思ったほど出ていない。運営自体は比較的安定しているが、良くも悪くもApexに将来が左右されている印象は否めない
のりプロ(トラバanond:20210810115637より)
勢い ★★★★
安定感★★★
将来性★★★
アイドル部門(男共演NG)とバラエティ部門(男共演OK)で棲み分けする戦略は面白いとは思う
あおぎり高校(トラバanond:20210810175055より)
勢い ★★
安定感★★★
将来性★★
元々ゲーム部の派生で生まれた人達で、実はゲーム部騒動の煽りを一番受けてたとも言える。元々ゲーム部の3Dなので所属している子達は3Dで可愛く動く。
神椿(トラバanond:20210810175055より)
勢い ★★★
安定感★★★★
将来性★★★★★
主な演者:花譜
VTuberの音楽事務所といえばここ、にじさんじやホロライブにも負けないぐらい濃度の高い表現力で圧倒してくるのがこの事務所。VTuberと名乗ってはおらずバーチャルアーティストである。
V-clan(トラバanond:20210810175055より)
勢い ★★★
安定感★★★
将来性★★★
にじさんじが前やろうとしてたにじさんじネットワークみたいなのをもっと大枠かつ多数のアーティストが参加できるようなまぁそういう大規模なネットワークらしく、全然違うみたいです。よくわからんけれど。
岩本町芸能社(トラバanond:20210810175055より)
勢い ★★
安定感★★★
将来性★★★
馬越健太郎を知ってる?知らない?そっか…彼女達は今でも苦難の中を走り抜けていて、それでも定期的に自分たちのファンに向かってライブをしている。それが多いとは言えなくても、少ないとも言えないから。
Balus -バルス-(トラバanond:20210810213403およびanond:20210810222006より)
勢い ★★★
安定感★★★★★
将来性★★★★
にじさんじやホロライブが導入する以前からViconのフルトラスタジオを保有しており、それを使った全員3Dフルトラの動画が強み。
Vtuberを知らない人に有名どころを紹介した後見せると受けが良い。動画の内容が3Dを使いながら面白いもの、タレントとして面白いものが多くある。
深層組(トラバanond:20210810222006より)
勢い ★★★
安定感★★★
将来性★★★★
初期に漫〇村をダウンさせるなど何かとお騒がせな動画を出していたDWU。
途中で運営と演者側が揉め、運営側が一掃されると同時にDWUの姉妹を連れて帰ってきた。
WACTOR
a.k.a.ZIG
VOMS Project
イリアム(他の箱に人材を輩出しつつ治安に問題があることが周辺情報から伝わってくる)
GEMS COMPANY (増田で言及されたことがある anond:20210507115334)
主な演者:水科葵
https://anond.hatelabo.jp/20210810175055
あおぎり高校(ちょうど8/10に新人2人の加入が発表された)
神椿
v-clan
Balus -バルス- は、このトラバが書いてくれた https://anond.hatelabo.jp/20210810213403
DWU(深層組)とBalus -バルス- をこのトラバも書いてくれた https://anond.hatelabo.jp/20210810222006
氏の発言を表現や作品そのものが許されべきか否かを語った"批判"として読むなら、なには許されて(BLレイプ)なには許されない(勇次郎のレイプ)かの基準が恣意的過ぎて話にならない。
バキ世界の価値観が時代錯誤であることも、見る人によっては呪いになる可能性も否定はできないけど、バキはそれでもそういう価値観に殉じて生きる人達の物語なんだよ。
そして、そういうリアルの価値観で言えば不正義にあたる行為が当然のように存在する世界観の作品なんていうのは、バキに限らず、またBLも含めて、なんら珍しくない。
そうした創作全般に対してフェアな視点である程度の明示的な基準を示して「ポリティカル・コレクトネスではない作品全てを許すべきではない」とまで言えるのなら、賛否はともかくスジの通った意見として認められただろうけど、氏の発言はどこまで言っても「勇次郎だから気に入らない」「レイプ描写だから気にくわない」の域を出ていないんだよ。
でその一方、氏の発言を"批判"ではなく、あくまで個人の好嫌でしかない"感想"として読もうにも、氏の発言には氏自身の考える善悪に基づいたジャッジと受け取れる内容が多すぎて、こちらもやはりスジが通らない。
「個人的に嫌だ」というレベルの話がしたいだけなら、もっと言葉を選ぶべきだった。
フェミニストは今まで表現の善悪に対して善悪に対してジャッジをするような振る舞いを積極的に行い、またそのジャッジは少なからず人々への価値観への影響や圧力という形で力を持つようになってきた。
だからこそ、フェミニストという看板を掲げるなら、キッチリと個人の好嫌と善悪を分けて語らないと、大上段から正義の刃を振り下ろすようなジャッジとして受け止められるということをしっかりと意識しないといけない。
それは、政治家が個人的な話をしても政治的意見と受け止められるのと同じで、社会に対して影響力を行使する者が負う責任だろう。
という意見に対して、はてなブックマーカーは批判的にとらえ、
大阪なおみの参加こそが多様性があってすばらしいことだという評価が強い。
私はこれを政治が開会式の演出に介入した事例だと考えるのだが、
これが素晴らしいことならば森元や小池百合子の介入も許容しなければならないだろう。
百合子の支援団体の江戸消防記念会を参加させろと要望出してきて、
演出路線に沿わないMIKIKOを電通が排除して言うこと聞く演出家を据えた、
みたいなことが今年の前半に行われましたって書いてあります。実現しちゃったね…
— フタガワカサラ (@FutagawaKasara) July 23, 2021
どちらも政治的な力学で決まったことだ。これらこそがポリティカル・コレクトネスだ。
要するにはてなブックマーカーがいろいろ文句言ってるけど
彼らが開会式演出考えても政治的内紛の末に同じようにグダグダの開会式にしかならないよ。
あーあほくさ。
演出的な美しさがどうかなんてどうでもよくて、政治的な象徴性の方がみんな大事なんだろ?
重視してたらユダヤ人権団体と交渉して演出家解任は開会式終わってからにしようとするだろ。
いいや違うか、
ビジョンを持って全体を統括する演出家なんてものものは存在しなかったということか。
ついに(少なくともこのツリーじゃ)誰も言っていないことまで言い出したな。
誰と戦っているんだ?
ただ、ポリコレが勝手に線引きするのは間違っているというだけで。
強いて言えば、人それぞれで線引きが難しいからこそ、第三者が一律的なジャッジをするのは避けた方が正しいと思っているかな。
何か酷い差別的なことを言われたと思った人がいたらその場その場の人達で解決していけば良いし、身内コミュニティや創作物みたいな嫌なら避けられるモノは「俺は否定的に見るかな」って思った人が避ければ良い。
そしてその上で、存在するだけで極めて高い加害性を持つ表現や、公的な表現に関しては、"本当に"世間の多数派が許さないのなら規制がかかるのは間違っていないとも思うよ(もちろん表現や自由に配慮した必要最小限の規制である必要はあるが)。
ただポリティカル・コレクトネスという思想やそこから生まれる運動は、ふんわりした世間の意見より悪い意味で一歩踏み込んで、正義と悪を切り分けようとするから問題なのであって。
「ポリティカル・コレクトネス」を一時期「PC」って言うヤツが居たけど批難が多すぎて流石に分が悪いと思ったのか主流の「ポリコレ」ってみんな言うようになったよね
英語圏でも似たような感じで「Political Correctness」って素直に言う人のほうが圧倒的に多くなったらしい
どう考えてもPCは「Personal Computer」が主流だしググラビティ悪いもんなwww
ポリティカル・コレクトネスについては調べると出るから割愛する。
要約すると差別を解消しようと言うことなのだが、理念にたいして運用が間違っていると言う話だ。
まず、ポリティカル・コレクトネスがここまで嫌われるように差別解消のために元々白人のキャラを黒人や女性に変えてしまう事で原作の雰囲気や世界観、ストーリーを壊してしまうからである。
実際、バイオハザードのウェスカーが黒人になったとして微妙な空気が漂っている。
マイノリティ側からすれば、マイノリティ枠を作って無理矢理ねじ込まれるのは差別が加速するからやめて欲しいのであるが、白人は差別解消オナニーに夢中でマイノリティの声など聞く気がない。
やめろと言ってるのに「お前のためにやってるのだ!」とひたすらに殴り続ける。
それがポリティカル・コレクトネスなのだ。
我々は日本人名を名前に含まない日系アメリカ人のスパイダーマンが欲しいのではない。
ご当地ヒーロー同士が手を取り合うことが差別解消のためにして欲しいことなのだ。
日系人のスパイダーマンを出すことは、結局は白人が上、マイノリティは下を固定化させるだけだ。
イメージとしては、スパイダーマンが股間を広げて女子校生に「スパイダーマンになりたいならしゃぶれよ」と言っている感覚である。
やれイヤらしい、性的だ、などといった表現で排除し、否定する。
だが、じゃあ非性的でイヤらしくないものはなんなのかという問いに対する答えは無いどころか、問いすら無いのが現状だ。
多くのはてなーと同じく、不純異性交遊など性にダメ出しするヤカラはとにかく減点方式でアレはダメコレはダメと否定する口だけは達者だが、
では何が良いのかというゴールのイメージ像は霞ですら形をなさない。
政治的正しさ、いわゆるポリティカル・コレクトネスに適合した性のあり方ですら、
異性交遊の最終形である性交について合意書を交わす、くらいしかたどり着いていない。
不純でないもの、
それを清純というのか正純というのか知らんが、
こうあるべきという異性交遊をあなたたちは提示できるというのだろうか。
仏「すばらしい日だわ。我らが共和国大統領がようやく痛い目に遭ったわよ」
仏「胸がすく思いね!日本はなぜスガの横っ面を引っ叩かないの?だから日本は遅れてるのよ!hihihi!
まあ冗談は置いといて、私はマクロンは大嫌いだけど、テロにも繋がる危険なアクシデントなので、手放しでは容認できないわね。
増「言いたいことはわかるよ」
仏「ところで日本のミュズルマンが土葬を請願したっていうニュースをあなたは知ってる?」
増「さあ」
「はえ~、そんなことがあるんやな。都道府県に1施設って随分欲張りね」
仏「気をつけてよ。モスクができるまで秒読みよ?」
増「まあ日本はラシスト(笑)だからミュズルマンだろうとそうでなかろうとまず突っぱねるだろうね」
仏「それは賢明ね。かれらは自分の宗教の要求は最大化させるし、キリスト教その他の文化は最小化させる。
メリークリスマスすら言えないのになぜブルカを容認しなくちゃいけないのか理解に苦しむわ。
増「・・・ま、まあポリティカル・コレクトネスの時代だしね」
仏「増田ね、これはポリティカル・コレクトネスではないの。宗教的正しさよ。
宗教的正しさは絶対だから、自分の宗教は最大化し、そうでない宗教は最小化させるの。
増「お、おう」
仏「まあジャポンは狭いからね、棺を入れるような墓場なんてつくるスペースないだろうけど」
増「そうか、土葬は火葬に比べて場所取るんだね。気づかなかったな」
仏「棺桶高いのよ」
仏「火葬ね。まあ衛生的で合理的だとは思うけど、ダンナの親戚の不幸で葬式に出たけど、あれは衝撃的だったなあ。
遺体と面会して、しばらくしたら灰と骨になってる。で、骨をバゲットで拾うわけ。随分酷いなと思ったよ」
増「そうか、酷いって感じるもんなんだな」
増「でもgoogleやヤフーのニュース見てたけど、そのニュースは目につかなかったな。
日本ではイスラム教の影響力はさほどでないってことじゃないかな」
仏「それが一番。もちろん宗教的差別は絶対に許してはいけないけど、
異郷の地で自分の流儀を100%押し通そうというのは異郷の文化へのリスペクトの欠如よ。
あとワクチンの話
仏「イギリスではワクチン接種率が順調に高まっているのに、感染はむしろ増えている。
フランスはイギリスの後追いをよくするので、我が国もいずれそうなるだろうね」
増「へえ。こないだ動画見せてもらったけど、ロックダウン解除とかワクチン普及とかグッドニュースがあるたび、
仏「それはそうだけど、そもそもワクチンの効果自体をもう少し疑った方が良いよ。
増「というと?」
増「ワクチン接種は増えてほしいけど、私は打ちたくないなあ」
仏「Très Bien。打ちたくないというのがまともな判断。ただ緊急事態に限ってまともな判断も再検討されて良いでしょう。
欧米は感染爆発したので、リスクを取ってでもワクチンを打つという選択肢は仕方がない側面はある。
私もフランスに居たら、家族のためにも打つ必要を検討したわね。
増「ん?」
仏「考えても見て。”ワクチンは副作用があります。でも安心して下さい。副作用の確率は限りなく低いです”
こう説明されるはずでしょ。
”コロナは感染力の強いウイルスです。でも重症化する確率は限りなく低いです”
コロナに罹るのはどうしようもない。でもワクチンは選択できる。選択できるなら、リスクを回避するのが当たり前でしょ?」
増「???ごめんよくわかんない」
仏「感染者数もコロナ死亡数も"他に比べて"(entre guillemets)圧倒的に低い日本では、リスクは均衡しているってことよ。
欧米では感染リスクの方が圧倒的に高いからワクチンを受け入れざるを得ない。
でも日本はコロナのリスクが”欧米に比べて”大したこと無いんだから、ワクチンのリスクを恐れて拒否することは当然の合理的な選択ということよ。
ワクチンを打ちたい人は打てばいい。でもワクチンにリスクが有ると思うのなら、そのリスクを回避するのは合理的でしょ」
増「そのりくつはおかしい。コロナが重症化するリスクは限りなく低いってことはないでしょ」
仏「だったらワクチン打ちなよ。コロナのリスクがワクチンのリスクより遥かに高いって判断するならね。
でも考えようによってはワクチンのリスクとコロナのリスクは同じか、むしろワクチンのリスクが高いって見方もあるでしょ?ってこと」
増「おぅ・・・」
仏「コロナのリスクがワクチンより高いならワクチンを打ちなよ。リスクがイーブンなら、感染症対策バッチリした上でのワクチン拒否も合理的。
でもコロナリスクよりワクチンリスクが高いならワクチンを打つ方がバカでしょ。増田はどう考える?」
ワクチン摂取増えろ増えろ、でも私はギリギリまで打たないぞー、ってスタンスだったからあんま考えてなかったや」
仏「合理的だろうと非合理的だろうと人にはそれぞれ考えがあるし、それは認める(Je le constate)。
でも私は理屈に合わない話を受け入れるつもりはないな」
増「なるほど」
mont-joie:マクロン襲撃者が言ったらしい言葉。解説聞いたけどよくわからんかった。
avoir failli~:危うく~するところだった
avoir pour objectif de:~する目的で
déficit:不足。manqueとどう違うんだろう。
cercueil:棺
crémation:火葬。incinérationとも言う。
constater:確認する、認める。同意ではないがその意図はわかる、的ニュアンス。
「 Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu’à la mort pour que vous ayez le droit de le dire」的なヤツ?
と聞いたらまあそんな感じかしらとのこと。
日本の空気に逆らうのはとても勇気のいることだから、尊敬するよ。
ただ単にバカなだけかもしれないけれど。
…まぁ明らかなのは、そういう人は珍しいってことだ。
他人より自分の利益を優先させて、自民党の悪事をスルーして次の選挙も自民党に投票する、
確かに、
ネットを見渡す限り、野党が頼りないとか言って自民党を支持するクズと悪人が大半を占めていた。
まあ実際にクズだし悪いやつに違いないと思うよ。
それも、
はてなーが言うように本来日本人がポリティカル・コレクトネスを守っていれば、
この国はこんなに腐ってはいないでしょ?
日本という国の仕組みが人間の本質がよく表れるような構造になっているだけで。
主に少年漫画系を想定する話として、漫画やアニメのキャラが当然のようにヘテロセクシャルであるということを前提とするのはヘテロセクシズムであり、そのキャラがもしかしたら同性愛者かもしれないじゃないか、というのはわかる。
ただ現実的には性的指向が明かされるキャラなんてそうそういるわけでもない。彼氏彼女がいる、性欲があるキャラの描き方がされることもあるけど、そうでないことの方が多いくらいなんじゃないか。テクストだけを見るならば、むしろ多くのキャラが無性愛者だと考えたっていいくらいではある。
恋愛描写のないキャラに対して半ば強引に二次創作のヘテロものやBLや百合あるいは夢小説にするというのはセクシャリティの改変であり、厳に慎まなければならないことなのではないか。
先日、アセクシャルを矯正する薬を飲ませて恋愛をさせるという漫画がTwitterで炎上していた。これは別におかしなことではない。その人物、そのキャラクターのセクシャリティを尊重せず、無理矢理恋愛あるいは性行為をさせることなど以ての外だからだ。そのことは多くの人が批判点として共有していた。
しかし、そうであるならば二次創作として描かれる恋愛ものも同じなのではないか? そこに刃は向けられないのか。
別に例はなんでもいいが、カヲルくんとシンジくんでも、煉獄さんと炭治郎でも、五条悟と虎杖悠仁でも、その他無限のカップリングについても、そのキャラはゲイまたはレズビアンではないのではないか、場合によってはヘテロセクシャルですらないのではないか、という疑問は残る。メインキャラはともかくサブキャラになればなるほど恋愛描写なんてなくなるわけで、ヘテロセクシャルなのかどうかすら描写が皆無なんてのは珍しくもない。
もちろん、仮に性的指向であるからといって、相互の関係性を必要以上に縮ませる(はっきり言うと性行為をさせるエロ同人など)こともまたそれでいいのかどうかという問題もある。
ミスジェンダリングという言葉があって、トランスジェンダーやノンバイナリーに対して当人の自認するあり方とは違う性別で呼ぶことを批判する用語なのだけれど、それはゲイやレズビアンをヘテロセクシャルとして扱うことにも適用されるものではあると捉えている。このことは二次創作には適用されないのだろうか。
所謂ポリティカル・コレクトネスについて、私は重視しているのだが、そうであるが故に、それを推し進めていくと今まであった二次創作もまたどんどんキツくなっていく。インターネットにおいて二次創作・ファンアートは聖域に近く、その存在を認めない発言は極めて少数だ。二次創作が存在していいものとしてあることが明らかな既得権になっている。ポリティカル・コレクトネスを重視する人はしばしば批判対象の既得権(特権)を指摘するのだけれど、そういう人が、個別的なエロ同人などはともかく、二次創作そのものにまで批判を向けることは、意外に少ないようにも思う。フェミニストでありオタクでもある、というのは非常によくあることでもある。そのこと自体は別に問題ない、けれど、自分の持つ刃をどこまで適用するか、という問いはいつでも突き刺さったまま残るのではなかろうか。
今まで自明であったものがそれは抑圧だという批判に晒されるということはよくある。例えば所謂腐女子(この名称にも問題は多数あるわけだが割愛)の中での「ホモ」呼びもこの10年で漸減してきたとは感じるけれど、それと同じように、そもそもの前提としての性的指向の改変自体が好ましくないものなのではないか、という問いの声は、もう少し出てきてもいいとは思っている。
既得権者からは「二次創作は文化である」という反論が来るのだろうけれど、そんなのはセクハラは文化だと言っているに等しい、とさえ言うことができるのではなかろうか。既得権者はいつだってそれを自覚せず傲慢なままだ、というのはポリティカル・コレクトネスを重視する側ではよく聞く話でもある。
すぐに変わるとは思っていない。変化には長い年月がかかるだろう。ただ、自分の楽しんできたものは正しかったのかを問い直す作業は、どの分野でもあって欲しいとも思う。