「ポリティカル・コレクトネス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ポリティカル・コレクトネスとは

2021-07-29

anond:20210729090330

氏の発言表現作品のものが許されべきか否かを語った"批判"として読むなら、なには許されて(BLレイプ)なには許されない(勇次郎レイプ)かの基準恣意的過ぎて話にならない。

バキ世界価値観時代錯誤であることも、見る人によっては呪いになる可能性も否定はできないけど、バキはそれでもそういう価値観に殉じて生きる人達物語なんだよ。

そして、そういうリアル価値観で言えば不正義にあたる行為が当然のように存在する世界観の作品なんていうのは、バキに限らず、またBLも含めて、なんら珍しくない。

そうした創作全般に対してフェアな視点である程度の明示的な基準を示して「ポリティカル・コレクトネスではない作品全てを許すべきではない」とまで言えるのなら、賛否はともかくスジの通った意見として認められただろうけど、氏の発言はどこまで言っても「勇次郎から気に入らない」「レイプ描写から気にくわない」の域を出ていないんだよ。


でその一方、氏の発言を"批判"ではなく、あくま個人の好嫌でしかない"感想"として読もうにも、氏の発言には氏自身の考える善悪に基づいたジャッジと受け取れる内容が多すぎて、こちらもやはりスジが通らない。

個人的に嫌だ」というレベルの話がしたいだけなら、もっと言葉を選ぶべきだった。

特にフェミニスト看板を掲げるならば尚更だ。

フェミニストは今まで表現善悪に対して善悪に対してジャッジをするような振る舞いを積極的に行い、またそのジャッジは少なからず人々への価値観への影響や圧力という形で力を持つようになってきた。

からこそ、フェミニストという看板を掲げるなら、キッチリ個人の好嫌と善悪を分けて語らないと、大上段から正義の刃を振り下ろすようなジャッジとして受け止められるということをしっかりと意識しないといけない。

それは、政治家個人的な話をしても政治的意見と受け止められるのと同じで、社会に対して影響力を行使する者が負う責任だろう。

そうした意識に欠け、強い言葉で"批判"をしながら、反論をされれば"感想"に逃げる氏の態度は極めて卑怯ものだと思う。

2021-07-25

これがPC配慮したオリンピック開会式だ!

大坂なおみのせいで何もかもが台無しになった東京五輪開会式 - Togetter

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1749260

という意見に対して、はてなブックマーカー批判的にとらえ、

大阪なおみの参加こそが多様性があってすばらしいことだという評価が強い。

 

私はこれを政治開会式演出に介入した事例だと考えるのだが、

これが素晴らしいことならば森元小池百合子の介入も許容しなければならないだろう。

どちらも政治的な力学で決まったことだ。これらこそがポリティカル・コレクトネスだ。

要するにはてなブックマーカーがいろいろ文句言ってるけど

彼らが開会式演出考えても政治的内紛の末に同じようにグダグダ開会式しかならないよ。

 

あーあほくさ。

演出的な美しさがどうかなんてどうでもよくて、政治的な象徴性の方がみんな大事なんだろ?

誰も大事にしていないものが重視される訳ないよ。

重視してたらユダヤ人団体交渉して演出家解任は開会式終わってからにしようとするだろ。

いいや違うか、

ビジョンを持って全体を統括する演出家なんてものもの存在しなかったということか。

 

日本芸術分野の才能に自由やらせてみるってことが出来ないんでしょうかね?

2021-07-23

anond:20210723043112

これこそが厳格なポリティカル・コレクトネス戒律

時には罪人の職や名誉のみならず命すら奪うこともあろう。

身をもって罪を償わねばならぬのがこの世の理。

刑は弱者の声、民衆の声を聴き、言い値で定まる。

たとえ法が赦そうとも社会は赦さぬ。

刑を恐れるなら最初から表現者になどならなければ良い。

2021-07-22

将来の教科書での差別騒動記述

東京2020オリンピック競技大会では、国民一丸となって来日した外国人おもてなししたことから

ポリティカル・コレクトネスPC)の考え方が国民に広まる契機となりました。


直接的な原因である大会関係者差別行為国民鬱憤には言及しないようにすることが教科書検定を通過する際のポイントとなる。

2021-07-18

anond:20210718092738

「人それぞれだから俺の意見を最優先で聞け」の方が思考停止だろ

「昔なら許されてたラインなのに今許されないのはおかしい」ってのは老害の発想だろ

ついに(少なくともこのツリーじゃ)誰も言っていないことまで言い出したな。

誰と戦っているんだ?

別に俺は自分が線引きをしたいなんて欠片も思ってない。

ただ、ポリコレ勝手に線引きするのは間違っているというだけで。

強いて言えば、人それぞれで線引きが難しいからこそ、第三者が一律的なジャッジをするのは避けた方が正しいと思っているかな。

何か酷い差別的なことを言われたと思った人がいたらその場その場の人達解決していけば良いし、身内コミュニティ創作物みたいな嫌なら避けられるモノは「俺は否定的に見るかな」って思った人が避ければ良い。


そしてその上で、存在するだけで極めて高い加害性を持つ表現や、公的表現に関しては、"本当に"世間多数派が許さないのなら規制がかかるのは間違っていないとも思うよ(もちろん表現自由配慮した必要最小限の規制である必要はあるが)。


ただポリティカル・コレクトネスという思想やそこからまれ運動は、ふんわりした世間意見より悪い意味で一歩踏み込んで、正義と悪を切り分けようとするから問題なのであって。

anond:20210718010459

差別をやめましょう」くらいならもちろんそれは両手を挙げて賛同できる思想なんだけど、ポリティカル・コレクトネス自体が「なにが正しく、なにを悪とするかの線引きは俺がする」っていう極めて傲慢かつ権威的な発想を内包した思想からなぁ。

別にこれは暴走するネットポリコレ(笑)だけの話ではなく、ポリティカル・コレクトネスのもの本来的にそうした性質を持っている。

2021-07-03

anond:20210703221000

ポリティカル・コレクトネス」を一時期「PC」って言うヤツが居たけど批難が多すぎて流石に分が悪いと思ったのか主流の「ポリコレ」ってみんな言うようになったよね

英語圏でも似たような感じで「Political Correctness」って素直に言う人のほうが圧倒的に多くなったらしい

どう考えてもPCは「Personal Computer」が主流だしググラビティ悪いもんなwww

2021-06-28

anond:20210628125443

1.ネット情報共有の発達でパンピー物事を考えられるようになった

2.ポリティカル・コレクトネスに関する意識が高くなった

の相乗効果で、

しかそもそもナチに関する議論は、第二次大戦以降の旧連合国を中心とする国際秩序維持を前提としなければ評価できない。

戦後秩序を支持する限り、ナチ絶対悪とするしかないんだよ。

から内心どう思っていようと論理的おかしかろうと「ナチ絶対悪とする」フリをするしかない。

これの論理的おかしさに一般人が気付いたんだろうな。

2021-06-19

ポリティカル・コレクトネスの誤り

ポリティカル・コレクトネスについては調べると出るから割愛する。

要約すると差別を解消しようと言うことなのだが、理念にたいして運用が間違っていると言う話だ。

まず、ポリティカル・コレクトネスがここまで嫌われるように差別解消のために元々白人キャラ黒人女性に変えてしまう事で原作雰囲気世界観ストーリーを壊してしまうからである

実際、バイオハザードのウェスカー黒人になったとして微妙空気が漂っている。

マイノリティからすれば、マイノリティ枠を作って無理矢理ねじまれるのは差別が加速するからやめて欲しいのであるが、白人差別解消オナニーに夢中でマイノリティの声など聞く気がない。

やめろと言ってるのに「お前のためにやってるのだ!」とひたすらに殴り続ける。

それがポリティカル・コレクトネスなのだ

我々は日本人名を名前に含まない日系アメリカ人スパイダーマンが欲しいのではない。

スパイダーマンピンチを救うサンファイアが見たいのだ。

ご当地ヒーロー同士が手を取り合うことが差別解消のためにして欲しいことなのだ。

日系人スパイダーマンを出すことは、結局は白人が上、マイノリティは下を固定化させるだけだ。

イメージとしては、スパイダーマン股間を広げて女子校生に「スパイダーマンになりたいならしゃぶれよ」と言っている感覚である

2021-06-14

不純異性交遊という言葉があるが、反対言葉は清純異性交遊か?

性教育にとって最も厄介な概念がこの「不純」である

やれイヤらしい、性的だ、などといった表現排除し、否定する。

だが、じゃあ非性的でイヤらしくないものはなんなのかという問いに対する答えは無いどころか、問いすら無いのが現状だ。

多くのはてなーと同じく、不純異性交遊など性にダメ出しするヤカラはとにかく減点方式でアレはダメコレはダメ否定する口だけは達者だが、

では何が良いのかというゴールのイメージ像は霞ですら形をなさない。

政治的正しさ、いわゆるポリティカル・コレクトネスに適合した性のあり方ですら、

性交遊の最終形である性交について合意書を交わす、くらいしかたどり着いていない。

不純でないもの

それを清純というのか正純というのか知らんが、

こうあるべきという異性交遊をあなたたちは提示できるというのだろうか。

清純という概念こそがおかしいと叩くのは簡単だしあなたたちはすぐそれに飛びつくのだろうが、

たまには否定ではなく肯定からアプローチすることはできないのかね。

2021-06-09

今日フランス人との会話

仏「すばらしい日だわ。我らが共和国大統領がようやく痛い目に遭ったわよ」

増「ああ、マクロン大統領がほっぺた引っ叩かれた件ね」

仏「胸がすく思いね日本はなぜスガの横っ面を引っ叩かないの?だから日本は遅れてるのよ!hihihi!

  まあ冗談は置いといて、私はマクロンは大嫌いだけど、テロにも繋がる危険アクシデントなので、手放しでは容認できないわね。

  個人的には実に素晴らしい出来事だったけど」

増「言いたいことはわかるよ」

仏「ところで日本のミュズルマン土葬請願したっていうニュースあなたは知ってる?」

増「さあ」

(ここでNHK WORLD-JAPAN記事を読む)

 「はえ~、そんなことがあるんやな。都道府県に1施設って随分欲張りね」

仏「気をつけてよ。モスクができるまで秒読みよ?」

増「まあ日本ラシス(笑)からミュズルマンだろうとそうでなかろうとまず突っぱねるだろうね」

仏「それは賢明ね。かれらは自分宗教要求は最大化させるし、キリスト教その他の文化は最小化させる。

  メリークリスマスすら言えないのになぜブルカ容認しなくちゃいけないのか理解に苦しむわ。

  ライシテを悪用するミュズルマンには(以下自粛)」

増「・・・ま、まあポリティカル・コレクトネス時代だしね」

仏「増田ね、これはポリティカル・コレクトネスではないの。宗教的正しさよ。

  宗教的正しさは絶対から自分宗教は最大化し、そうでない宗教は最小化させるの。

  イスラム教ホント侵略宗教よ、気をつけて...」

増「お、おう」

仏「まあジャポンは狭いからね、棺を入れるような墓場なんてつくるスペースないだろうけど」

増「そうか、土葬火葬に比べて場所取るんだね。気づかなかったな」

仏「棺桶高いのよ」

増「はえー。その点うちは骨壷だからスリムね」

仏「火葬ね。まあ衛生的で合理的だとは思うけど、ダンナの親戚の不幸で葬式に出たけど、あれは衝撃的だったなあ。

  遺体と面会して、しばらくしたら灰と骨になってる。で、骨をバゲットで拾うわけ。随分酷いなと思ったよ」

増「そうか、酷いって感じるもんなんだな」

仏「まあ文化差異だけどね」

増「でもgoogleヤフーニュース見てたけど、そのニュースは目につかなかったな。

  日本ではイスラム教の影響力はさほどでないってことじゃないかな」

仏「それが一番。もちろん宗教差別絶対に許してはいけないけど、

  異郷の地で自分流儀100%押し通そうというのは異郷文化へのリスペクトの欠如よ。

  自分文化を主張したければ自国ですればいいの」

あとワクチンの話

仏「イギリスではワクチン接種率が順調に高まっているのに、感染はむしろ増えている。

  フランスイギリスの後追いをよくするので、我が国もいずれそうなるだろうね」

増「へえ。こないだ動画見せてもらったけど、ロックダウン解除とかワクチン普及とかグッドニュースがあるたび、

  ヨーロッパの人は不用心になりやすいんじゃない?」

仏「それはそうだけど、そもそもワクチン効果自体をもう少し疑った方が良いよ。

  少なくとも日本もっと慎重になれていいんじゃない

  うちら欧米と違って感染者数の桁が違うんだから

増「というと?」

仏「増田ワクチンに対する態度はどんな?」

増「ワクチン接種は増えてほしいけど、私は打ちたくないなあ」

仏「Très Bien。打ちたくないというのがまともな判断。ただ緊急事態に限ってまともな判断も再検討されて良いでしょう。

  欧米感染爆発したので、リスクを取ってでもワクチンを打つという選択肢は仕方がない側面はある。

  私もフランスに居たら、家族のためにも打つ必要検討したわね。

  でも日本にいる限りはそもそもワクチン選択肢に入らない」

増「ん?」

仏「考えても見て。”ワクチン副作用があります。でも安心して下さい。副作用確率は限りなく低いです”

  こう説明されるはずでしょ。

  じゃあコロナの症状はどう?日本のケースよ。

  ”コロナ感染力の強いウイルスです。でも重症化する確率は限りなく低いです”

  コロナに罹るのはどうしようもない。でもワクチン選択できる。選択できるなら、リスク回避するのが当たり前でしょ?」

増「???ごめんよくわかんない」

仏「感染者数もコロナ死亡数も"他に比べて"(entre guillemets)圧倒的に低い日本では、リスクは均衡しているってことよ。

  欧米では感染リスクの方が圧倒的に高いかワクチンを受け入れざるを得ない。

  でも日本コロナリスクが”欧米に比べて”大したこと無いんだからワクチンリスクを恐れて拒否することは当然の合理的選択ということよ。

  ワクチンを打ちたい人は打てばいい。でもワクチンリスクが有ると思うのなら、そのリスク回避するのは合理的でしょ」

増「そのりくつはおかしい。コロナ重症化するリスクは限りなく低いってことはないでしょ」

仏「だったらワクチン打ちなよ。コロナリスクワクチンリスクより遥かに高いって判断するならね。

  でも考えようによってはワクチンリスクコロナリスクは同じか、むしろワクチンリスクが高いって見方もあるでしょ?ってこと」

増「おぅ・・・

仏「コロナリスクワクチンより高いならワクチンを打ちなよ。リスクがイーブンなら、感染対策バッチリした上でのワクチン拒否合理的

  でもコロナリスクよりワクチンリスクが高いならワクチンを打つ方がバカでしょ。増田はどう考える?」

増「んんん~・・・。まあ確かにそうだなー。

  ワクチン摂取増えろ増えろ、でも私はギリギリまで打たないぞー、ってスタンスだったかあんま考えてなかったや」

仏「合理的だろうと非合理的だろうと人にはそれぞれ考えがあるし、それは認める(Je le constate)。

  でも私は理屈に合わない話を受け入れるつもりはないな」

増「なるほど」


今日覚えた単語

mont-joie:マクロン襲撃者が言ったらしい言葉解説聞いたけどよくわからんかった。

pétitionner:請願する

avoir failli~:危うく~するところだった

avoir pour objectif de:~する目的

déficit:不足。manqueとどう違うんだろう。

stagner:停滞する。淀む。スタニェではなくスタグネ。

consession:譲歩、払い下げ。特に墓地の分譲地。

cercueil:棺

sépultures:墓、墓地、埋葬。

crémation:火葬。incinérationとも言う。

constater:確認する、認める。同意ではないがその意図はわかる、的ニュアンス

「 Je ne suis pas d’accord avec ce que vous dites, mais je me battrai jusqu’à la mort pour que vous ayez le droit de le dire」的なヤツ?

と聞いたらまあそんな感じかしらとのこと。

2021-05-21

anond:20210521143415

ポリコレ」とは「政治的正しさ」を決める行為なんだからそりゃ正しいに決まってるだろ。

正しくないならそれはポリティカル・コレクトネスではなくポリティカルインコレクトネスになってしまう。

2021-05-15

はてなー与党になったらそれこそおしまい

はてなーは、正しい人だと思う。正しいことを言うから

日本空気に逆らうのはとても勇気のいることだから尊敬するよ。

ただ単にバカなだけかもしれないけれど。

…まぁ明らかなのは、そういう人は珍しいってことだ。

まり一般的でもなく普通でもない、「特殊な人」だ。

それに対してはてなーから見れば日本人は、

他人より自分利益を優先させて、自民党悪事スルーして次の選挙自民党投票する、

こんな人たちをあんたらはてなークズとか悪と呼ぶ。

かに

ネットを見渡す限り、野党が頼りないとか言って自民党を支持するクズ悪人が大半を占めていた。

まあ実際にクズだし悪いやつに違いないと思うよ。

到底政治的に正しい人間とは言えないだろうけれど、

それも、

普通人間じゃないの?

はてなーが言うように本来日本人がポリティカル・コレクトネスを守っていれば、

この国はこんなに腐ってはいないでしょ?

日本という国の仕組みが人間本質がよく表れるような構造になっているだけで。

私はただ、そうやってネット空気に流されるような弱いヤツでも、

普通日本人だと思われたい。ただそれだけ。

2021-05-06

二次創作BLおよび百合等もセクシャリティの改変なのではないか

主に少年漫画系を想定する話として、漫画アニメキャラが当然のようにヘテロセクシャルであるということを前提とするのはヘテロセクシズムであり、そのキャラがもしかしたら同性愛者かもしれないじゃないか、というのはわかる。

ただ現実的には性的指向が明かされるキャラなんてそうそういるわけでもない。彼氏彼女がいる、性欲があるキャラの描き方がされることもあるけど、そうでないことの方が多いくらいなんじゃないかテクストだけを見るならば、むしろ多くのキャラが無性愛者だと考えたっていいくらいではある。

恋愛描写のないキャラに対して半ば強引に二次創作ヘテロものBL百合あるいは夢小説にするというのはセクシャリティの改変であり、厳に慎まなければならないことなのではないか

先日、アセクシャル矯正する薬を飲ませて恋愛をさせるという漫画Twitter炎上していた。これは別におかしなことではない。その人物、そのキャラクターのセクシャリティ尊重せず、無理矢理恋愛あるいは性行為をさせることなど以ての外だからだ。そのことは多くの人が批判点として共有していた。

しかし、そうであるならば二次創作として描かれる恋愛ものも同じなのではないか? そこに刃は向けられないのか。

別に例はなんでもいいが、カヲルくんとシンジくんでも、煉獄さんと炭治郎でも、五条悟と虎杖悠仁でも、その他無限カップリングについても、そのキャラゲイまたはレズビアンではないのではないか場合によってはヘテロセクシャルですらないのではないか、という疑問は残る。メインキャラはともかくサブキャラになればなるほど恋愛描写なんてなくなるわけで、ヘテロセクシャルなのかどうかすら描写が皆無なんてのは珍しくもない。

もちろん、仮に性的指向であるからといって、相互関係性を必要以上に縮ませる(はっきり言うと性行為をさせるエロ同人など)こともまたそれでいいのかどうかという問題もある。

ミスジェンダリングという言葉があって、トランスジェンダーやノンバイナリーに対して当人の自認するあり方とは違う性別で呼ぶことを批判する用語なのだけれど、それはゲイレズビアンヘテロセクシャルとして扱うことにも適用されるものではあると捉えている。このことは二次創作には適用されないのだろうか。

所謂ポリティカル・コレクトネスについて、私は重視しているのだが、そうであるが故に、それを推し進めていくと今まであった二次創作もまたどんどんキツくなっていく。インターネットにおいて二次創作ファンアートは聖域に近く、その存在を認めない発言は極めて少数だ。二次創作存在していいものとしてあることが明らかな既得権になっている。ポリティカル・コレクトネスを重視する人はしばしば批判対象の既得権特権)を指摘するのだけれど、そういう人が、個別的エロ同人などはともかく、二次創作のものにまで批判を向けることは、意外に少ないようにも思う。フェミニストでありオタクでもある、というのは非常によくあることでもある。そのこと自体別に問題ない、けれど、自分の持つ刃をどこまで適用するか、という問いはいつでも突き刺さったまま残るのではなかろうか。

今まで自明であったものがそれは抑圧だという批判に晒されるということはよくある。例えば所謂腐女子(この名称にも問題は多数あるわけだが割愛)の中での「ホモ」呼びもこの10年で漸減してきたとは感じるけれど、それと同じように、そもそもの前提としての性的指向の改変自体が好ましくないものなのではないか、という問いの声は、もう少し出てきてもいいとは思っている。

既得権からは「二次創作文化である」という反論が来るのだろうけれど、そんなのはセクハラ文化だと言っているに等しい、とさえ言うことができるのではなかろうか。既得権はいだってそれを自覚せず傲慢なままだ、というのはポリティカル・コレクトネスを重視する側ではよく聞く話でもある。

すぐに変わるとは思っていない。変化には長い年月がかかるだろう。ただ、自分の楽しんできたものは正しかったのかを問い直す作業は、どの分野でもあって欲しいとも思う。

2021-04-20

政治的に正しいということ

たとえばこんな言葉を考えてみよう。

社内政治的に正しい」

「党内政治的に正しい

派閥政治的に正しい

.

.

これらが本当に正しいと思うか?言うまでもなく、まちがっていることをことさら正しいと言うと有利になるよ、という意味言葉だ。

ほんとうは間違っていることを政治的理由で賛美するときのことばだ。

.

.

じゃあ世に言うポリコレ政治的な正しさというのはどうだろう。

冠詞を略しただけで、ほんとうに正しいことを指していると思ってくれる人がいるのだからちょろいものだね。」

彼らは、あくま自身利益に沿って動いている。

関心のない相手を楽しく殴ってそこに正義お墨付きがつくんだから、こんなにいいことはない。

ポリティカル・コレクトネス政治的な正しさとは、いじめ犯罪者にとっての正しさという意味なのだ

2021-03-28

anond:20210323220429

そこまで言うならいかにBLが「正しくない」ジャンルなのかを説明してあげるね。まあどうせ釣りなんだろうけど。

なんか勘違いしてるかもしんないけど、BLの最大の問題点エロとかじゃないからね。エロあくまで付随的な問題

女性一方的に鑑賞される側におき、客体として消費することはフェミニズムにおいて長年批判対象になってきた。女が、男に都合の良い客体である鑑賞物のように扱われることはよくないことである、という主張は強い賛同を集めてきた。とりわけ、女性差別存在する現状においては。

であれば、同性愛差別存在する現状において、ゲイを、女に都合の良い鑑賞物のように扱うこともまた、よくないことだと言わなければならない。これは論理的に当然導かれる帰結だ。

要するに、BLエロいか問題なのではない。マイノリティを客体化し、都合よく消費しているか問題なのだ

とはいえ抽象論だけ言われてもわけがからないと思うので、具体的にどういう点が問題なのか説明してみよう。

何年か前、人工知能学会をめぐる炎上が起きたことがある。人工知能学会という学会が出している学術誌の表紙に、箒を持っている女性ロボットイラスト掲載されたのだ。これはまったくエロではないがフェミニストを中心に猛烈な非難が浴びせられた。

このイラスト批判されたのは、女は男に従属して家事をするものである、という女性に対する偏見ステレオタイプ助長するからだ。もちろん、日本には多くの専業主婦がいる。だが、たとえそれが統計的傾向として事実であっても「女は家事」というのは偏見でありバイアスである。そのようなジェンダーバイアスけしからん、というのが批判側の主張だった。

NHKによるノーベル賞解説記事聞き手役としてキズナアイが選ばれたとき番組構成彼女の振る舞いに対して「男が解説し女はふんふん頷くものだというジェンダーバイアス」「女に理数系のことはどうせわからないという偏見」のような批判が浴びせられたのも記憶に新しい。

ところで、現代において、男同士のカップルには「男役と女役がある」あるいは「挿入する側とされる側は固定されている」というステレオタイプがある。実際に固定しているカップルもいるだろう。しかしそういう問題ではない。問題はそれが偏見バイアス助長するということなのだ。

まり、攻めと受けとを固定している時点で、「女キャラは全員家庭に入って家事をしている/することを希望している」並の偏見に満ちた作品であるということになる。あるいはそれを暗示するのと同じことだということになる。

すなわち、CPの左右を固定している腐女子には、「この作品におけるこの描写ジェンダーバイアスなのでは?」などと物申す資格はない

なるほど女がBLを真似て性犯罪を起こすことは身体構造上ありえないかもしれない。だが女もゲイへの偏見の流布の加害者になりうる。

これはあくまで一例に過ぎない。他にも「『優しい世界』は差別の透明化なのでは?」「非当事者マイノリティセクシュアリティを題材に創作するのは文化の盗用だ」「同性愛かどうかを明示せずに『匂わせ』て視聴者を釣るのはクィア・ベイティングであり搾取だと思う」など、ポリティカル・コレクトネス観点から見たときBLは様々な観点から問題視されうる。

繰り返す。エロ問題ではないのだ。女性文化としてのBL根本的に「正しくない」。

そしてもちろん、「正しくない」ことは「滅ぼすべき」を意味しない。開き直って「正しくない創作でも堂々と存在してよい。それが表現の自由だ」と吼えることもできる。というよりも、そう吼えるしかBLにとって生き残りの道はもはや存在しない。

2021-03-16

anond:20210316021253

弱者をないがしろにし続けて、遂に彼らの怒りが頂点に達した時何が起こるか

ポリティカル・コレクトネスというのは弱者を守るだけじゃなく強者を守るためにもあるんだよ

2021-02-19

anond:20210219022017

ポリティカル・コレクトネスにも限界があるんだよね。

特に最後まで残るのがマイノリティに対する結婚差別問題

結婚は心身をゆだねる究極の契約であるがゆえに、その選り好みだけはポリといえども手出しできない。

マイノリティであることを理由婚約破棄が起きたとしても、破棄した側に慰謝料を払わせるのが限界

「かわいそうだから前言撤回してちゃん結婚してあげなさい」とは命令できない。

2021-02-10

プペルバスに感心した。「絵本」という「ポリティカル・コレクトネス」な知財であれば、全く売上見込めない商品展開であれども題目を用意し気持ち良く顧客を騙して動員できるのだと。

絵本1つから死ぬほど商売を広げられる目の付け所であるなあ。

2021-01-28

トランスジェンダースポーツ問題

リベラルが推進してきたポリティカル・コレクトネス文脈に沿っていて、論理的に一貫しているのは明らかにバイデンの方で、反対している方は、ポリティカル・コレクトネスではなく自己幸福の追求のことしか考えていないだけ。

大統領論理的に一貫していない政策を進めるわけにはいかない。

反対するならポリティカル・コレクトネスという概念自体を捨て去らねばならない。

2021-01-03

最近ハリウッド映画

ポリティカル・コレクトネスには特別配慮はしていないけど、

「この部分はポリコレに反していない」と業界が強引に評価することによって活動家から批判を避けている模様。

2020-12-30

お母さん食堂

お母さん食堂、というネーミングがまあ荒れに荒れている。

「お母さんという言葉に、無意識のうちに料理を作らなければならない人としてのジェンダロールを強制する働きがある。表現を改めるべきだ。」というのが要旨である

私は正直なところ、この指摘は充分受け止めるべき意見ではあると思う。人のあり方の多様性が叫ばれて久しい昨今、たしかにそういう側面がこのネーミングには感じ取れないことも、ない。

けど、なんか、違うのだ。その議論もっと高尚なところですべきで、言葉狩りのようになってはならないと思うのだ。

本質役割の押しつけの解消で、気に食わないもの排除では無いはずだ。

ただ、否定しようとしても、先方の論理はかなりしっかりとしていて、こちらの反論感情的ものであるから、かえって相手意見の補強になる。

(実際に「いやカントリーマアムとかあるやん、別にいいやん」みたいな反論に「それらも変えるべき、問題提起きっかであるだけ。黙殺する風潮を作るな」というような反駁があり、なるほど確かになぁとなったりした。)

一応私なりにも反論を試みたりはした。

そもそもこの「お母さん」のニュアンス母性とかその辺に由来するものだと思う。授乳に始まる母親から食事供与人間のみならず広く動物に見られるし、その過程で獲得した母に対する安心感無意識のうちに想起させるものなのでは?

お母さん、としてでは無く「その人」としてらしくあろう、そのためには役割を課してはダメだよね、ならば、「お母さんとしての私」を拠り所とする人は否定していいの?

しかに前時代的な考えかもしれないけれど、前時代的な考えにすがることは間違っているの?



これが私の、精一杯の反論である


少し話が逸れるけど、こういうポリコレ的な話ってかなり気をつけて発信しなければならないはずなんだけど、否定肯定派ともにそれが欠けている気がする。

社会的に認められていたかつての「正しさ」がどんどん力を失って「正しさ」が曖昧になってきた時代

多分今の時代お題目としては「多様性を認め合い、個々人の中にある正しさを尊び、大切にしましょう」ってところだと思う。これには私も賛成だ。

けれど、最近話題になるものはどれも「これが今の正しさ!そぐわない考えは悪!その考えを捨てきれない民衆社会も悪!」みたいなのが、多くない?と思う。


ポリティカル・コレクトネスあくま政治的な正しさである

差別偏見によって不当な扱いを減らすべきなのは当然なんだけど、個々人の価値判断とかその辺まで「正しさ」を強要できるほどのものではなくない?

というか、それをしてしまうと出発点である多様性」とか「価値観の押しつけから解放」とかに矛盾しちゃわない?

っていうのがずっとある。これじゃあポリコレ的に悪とされる前時代的な価値観社会体系そのものじゃん。

具体的に言えば、ジェンダーとしての女性ジェンダーとしての男性は、尊重しなくていいの?みたいな表現とか、よく見られる気がする。他にもある気がするけど、ここではあげないことにしておく。


ともかく、「お母さん食堂」というネーミングに対するアクション、私は反対である。「お母さん」という言葉の中にある温かみは「お母さん」にしかない。

尊重すべき価値観、信念とその手段が入れ替わってしまったら良くないよね、というお話でした。

2020-12-11

武蔵大学北村紗衣先生の教えに反するディストピア作品解釈の数々

武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方話題になっている。「ディストピア文学自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家北村紗衣先生の教えに反しているためである

作家 宮部みゆき

フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションディストピア未来現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著

自分が今いる良いところの再確認(「日本ディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である

膨大な読書量で知られる「現代知の巨人立命館アジア太平洋大学APU学長 出口治明

「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラースターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想

過去外国のことしか想像できていない。

翻訳家 鴻巣友季子

フランス作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在アメリカ、あるいはアメリカ象徴される利潤追求第一物質競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評

ディストピア作品日本ではなくアメリカに結び付けている。

イギリス ブッカー国際賞 選考委員

小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子リボン小鳥、様々なもの消滅していく島で、秘密警察消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。

 日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補

イギリス文学選考委員であるが、ディストピア作品アメリカと関連付けている。

評論家 栗原裕一郎氏(村上春樹音楽で読み解く 共著者)

身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感

日本舞台としたディストピア作品アメリカと結び付けている。

P+D MAGAZINE小学館による本情報キュレーションサイト

果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。

ディストピア作品世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。

早川書房新訳版一九八四年担当編集者 山口晶

トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民イスラムから入国制限など過激政策を進めているが、「独裁者彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で

ディストピア作品アメリカと結び付けている。

文芸春秋(40年前に発表された小松左京短編小説アメリカの壁』を電子書籍で発売)

文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)

ディストピア作品アメリカと結び付けている。

批評家 佐々木敦氏(元早稲田大学客員教授

批評家佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実フィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)

ディストピア作品アメリカと結び付けている。

まとめ

北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈浅薄解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品解釈は、学生だけではなく、書評専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄解釈が、日本のみならず、イギリス文学選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学北村紗衣先生感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん