はてなキーワード: ベットとは
○ご飯
朝:なし。昼:なし。夜:回転寿司で軍艦祭り(納豆軍艦三つ。ツナマヨ軍艦二つ。オクラ軍艦二つ。温泉たまご軍艦一つ。カニカマ軍艦一つ。マヨコーン軍艦一つ)間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、さんれんきゅーの最終日。
○ NG
・はじめに
DRPGの老舗エクスペリエンスが開発した心霊ホラーシリーズの第二弾。
前作の死印とは世界観が同じで仄めかすシーンはあるものの、別の街の事件を扱っているため、必ず順番通りに遊ばないといけない類のシリーズではなかった。
無頼漢で無愛想な喧嘩が超強い男子高校生の鬼島空良が主人公で、彼とその仲間と共に怪異が蔓延る夜の街を調査するアドベンチャーゲーム。
選択肢、ポイントアンドクリックなどの基本的な要素に加えて開発会社のエクスペリエンスらしいDRPGめいたフィールド移動のシステムなどは前作の死印と共有している。
とはいえ、かなり冗長だった前作と比較するとマップデザインは簡略化されているし、特定の仲間を連れていかないと詰む場面もシステムで補助が入るなど、かなり遊びやすくブラッシュアップされている。
特にマップの簡略化は、正直ここまで簡略化するならもう移動システム自体がいらないんじゃ? と思わなくもないが、さくさく遊べたのでそこまで嫌うシステムでもなかった。
マップを探索して怪異に立ち向かうためのアイテムや情報を揃えてから、怪異と対峙してそれらの情報とアイテムを駆使して知恵と勇気で戦う構成も、前作のフレーバー的なHPや攻撃力の表現は削ぎ落とされていて、文章でちゃんと楽しめるようになってて良かった。
浦島太郎をモチーフにした「うらしま女」や、桃太郎をモチーフにした「殺人桃」などの怪異が登場する。
怪異はどれもまず都市伝説としてのエピソードが紹介されてから、その現場に赴くと姿を現す。
日常的な描写から一気のアクセル全開で恐怖描写が始まるので心の準備ができず毎回ビビりながら読んでいた。
一目で人外であることがわかり、ディフォルメされていないリアルな気持ち悪さが満載の恐ろしいデザイン。
公称ジャンルの心霊ホラーADVの通り、ホラーな恐ろしい表現が徹底されている。
特に今作のらしさを感じたのは、主人公の鬼島の自宅にまで怪異が付いてくるせいで、現場より自宅の方が危ない部分だ。
怪異を退治するために都市伝説の情報を元に街を歩き回るのだけど、時間や諸々の都合でその日は切り上げお家に帰る展開が何度もある。
最初の一回はまだしも、流石に繰り返されると、家に帰るなら怪異を倒してから、倒せないなら家に帰らず朝まで探索した方が良いのではと心配になるぐらい無警戒に怪異を家に持ち帰る。
そのため、本来なら一息付く自分の城である自宅こそが最も危険な場所になっていく。
細かいことを気にしない鬼島の“脳筋”な知恵より腕力な性格故なので、テキストを読んでいてそこまで違和感はないものの、流石に毎回繰り返されると不憫で可哀想になってくる。
お風呂、冷蔵庫、ベット、ベランダ、キッチンといった日常を過ごす自宅に恐ろしい化け物が侵略してくる描写はかなり恐ろしいのに加えて、汚く嫌になる展開も多く心が削られる展開が多かった。
そのせいで、怪異が登場する事件現場に赴くのよりも、自宅に帰る方が恐ろしいという奇妙な逆転現象が起きていた。
鬼島はそんなことあまり気にせずに家に帰って、怪異を持ち帰ったことに気付いて毎回律儀に戦ってるので、良い意味で感情移入できない独特な主人公だった。
・親友の天生目聖司がいいヤツ
そんな“脳筋”な主人公を知恵の面で支えるのが、小学生からの親友天生目聖司だ。
今作最大の魅力であり“カップリング”的な妄想も広がってしまう相棒キャラ。
無愛想で無頼漢な鬼島とは対照的に、社交的で仲間が大勢いる天生目。
しかし、それは表向きのペルソナで、本性は反社会団体の偉い人の息子で、自身もその立場を利用して裏社会で暗躍している悪いヤツ。
鬼島も彼の裏社会の伝手を使って、喧嘩で金儲けしているため、二人してアウトローを自称している。
脅迫王子という異名すらあり、怪異よりもまず法で捌けるコイツらを対処した方が良いのでは感も少しある。
そんな悪いヤツながら、鬼島の親友であり、彼との関係値の揺るがなさは読んでいて気持ちがいいぐらい痛快なシーンが多かった。
反社会的な人間が身内には甘いというのは創作物のテンプレートだけど、王道さをしっかり押さえていて、この二人の関係はかなり引き込まれた。
体力担当の鬼島と知恵担当の天生目という役割分担もしっかり決まっていて、怪異という人間社会の立場が関係ないエピソード故の苦難もありつつも、彼のサポートのおかげでサクサク話が進むのも良かった。
・高校生にたかる最低な中年男性の番直政はやる時はやる格好良さ
ルポライターでオカルトにも裏社会にも詳しい番直政も格好良かった。
お金にだらしなく、高校生の主人公にお金をせびり、そのお金を麻雀や競馬などに注ぎ込むダメ人間。
しかし、本業に調査の仕事や、根回しの技術は素晴らしく、やるときはやる男だ。
特に作中で、300万円を急遽作る必要がある場面での立ち振る舞いは、短い文量でサラッと流されたがかなり格好いいことをしていて惚れた。
くどくど自慢しないところも大人な態度で素敵だった。
後半は彼の調査力と金銭調達能力が非常に頼りになる場面が多く、オカルト方面にも長けているため脅迫王子の天生目に負けず劣らずな有能なキャラだった。
・おわりに
恐怖と気持ち悪いの境目は難しいのだけれど、この綱渡りをしっかりこなしている良いゲームだった。
恐ろしいだけでなく、鬼島と天生目の熱い友情も燃え沸るものがあり、恐怖描写を反発心に変えて奮起する展開も良かった。
なお男性キャラに着目して感想を書いたが女性キャラにも、天生目と対をなす相棒キャラのオカルトとゴスロリ好きの葉月薫、手先の器用さでストーリーをスムーズに進めてくれるお姉さんなムーラン・ロゼ、主人公の保護者でホラー作家の那津美、愛すべき義妹の愛海、ガハハ系の大江さんと魅力的なキャラ揃いだった。
千葉って東京のベットタウン化されて、その路線しかないからなあ。
内房の工業地帯なんかも、県内から行こうとすると結構不便だったりする。
ま、それが好きで千葉県に住んでんだけどな。
あのな、相談している時点で電子書籍は論外なの。「えっ、今ってスマホ(PC)で本が読めるんですか?」って言うとでも思ってるのか?むしろkindle日本に来た時に速攻試したり、各社の電子書籍サービス一通りアカウント持ってるわ!
この相談しているって事は電子書籍が駄目なの。理由はフィーリング的な物なので電子書籍ユーザーからしたら馬鹿げているだろうけどもう仕方がない。スマホは小さい、PCは場所が固定される、専用端末は読みやすいのは高い、あと本によって出るサービスが異なるので本棚一つに出来ない。色んな工夫で解決できるんだろうけど、自分は買ってきた本を本棚にぶち込んで気になった本をベットに寝転んだり椅子に座って読みたいので難しい。あとスマホとPCは誘惑が多すぎる。あと大体の本電子書籍で出てると思うなよ。自炊は論外、切りたくないしスキャン面倒だしそもそも環境作るのにいくらかかる
とりあえず電子書籍のフォーマットが統一されてサービスの横断した本棚が作成できる端末が安価で買えるようになってから代替としておススメしてくれ
恋愛系が駄目だ! 純愛だろうがドロドロの多角型方だろうがなんだろうが、駄目だ。駄目だ! 駄目なのだ!
フィクションだろうが、ノン・フィクションだろうが駄目なようだ。
何故なんだ? 分からないけどもゲロゲロとなってしまうのだ。キモイのだ。
恋愛で頬を染める連中を見るだけでキモイとすら思ってしまう。吐いてしまう程に!
では自分の恋愛話はどうなのか? それは勿論ながらゲロゲロである。
なんであんな汚物のなかの汚物ような悪臭漂う臭い台詞を撒き散らすことが出来たのだろうか? 永遠の謎である。
若さ故の臭さという奴だろう。加齢した臭さのほうが万倍ましなのである。
僕のような臭い人間は「君の瞳に映った僕に乾杯! 乾杯!」といってオナっていればいいのに、ひねって臭い台詞を言って女子をベットに誘導してた過去がキモイ。
なんてキモイのだろうか? 恋愛する奴はとにかくキモイ。恋愛話を聞いてるだけで胸が苦しい寿命が縮むくらい苦しい、そうだ! 恋愛するような奴らは人殺しと同じなんだ。自覚があるならさっさとそのキモイ恋愛をヤメテ俺様にかしずいて謝罪しろ! 恋愛してすいません、許可願えますか? とな。だが、俺は許さんし、許可しない。何故なら恋愛する奴等がキモイからだ。本当に爆ぜてしまって構わない。
原因はおそらく前々日に食った鶏のもも肉の加熱が中途半端だったことだ
前々日
夜ベットに入ってから腹痛がしたが、便意はなくしばらく我慢しているうちに就寝
前日
体調は良好、朝起きてウンコする
更に出かけ先に着くなりウンコ、朝の残便だと思い気にせず
更に更に夕方にもウンコ、今日はよくウンコが出る日だなあと思う
帰宅してからもウンコ、腹痛と下痢を自覚するもまさかカンピロとは思わず
夜中晩酌しているとだんだん頭痛と寒気が発生、風邪をひいたと考えて早めに寝る
起きると早速ウンコ
それから昼まで怒涛の下痢便、途中で固形物が無くなり完全に水に
その頃よりは酷くないが、下痢と腹痛に苦しむ
熱がなくて動けるので昼間は外出しつつ、今の今まで下痢でトイレを出たり入ったり
夫の投資用口座は当然夫が管理しているけど、投資にあまり興味がない人なので勝手に売買しないでほしいと言っていたのに、春にドルと米国株を全て売っていたことがわかった。
意味がわからないし理由でさらにブチギレそうになった。というか実際ブチギレた。
「ケニアの大統領が数週間以内にドルは紙屑になると言っていたから」らしい。
それを聞いてアメリカに関するものを全て売却したらしい。頭沸いてる。
確かにこれから各国でドルではなく現地通貨での決済が増えたりBRICS通貨が流通したりドルのシェアは徐々に減るだろうけど今のタイミングではない。
反米派が思うようにそんなにすぐにはドル崩壊の日はこないだろう。私は今からアメリカ・ヨーロッパ以外の株の割合を増やしてるけどまだアメリカ株やドルを手放す気はない。
1番許せないのが売却して円に変えて何を買うわけでもなくずっと円を握りしめてたこと。円にフルベットしてどうするんだ。
去年からもう120円とか130円とかの円高になる日はもう来ないだろうから円を持つのは最低限にしようとずっと言ってたのに。
結局円高にもならないし米国株がガタ落ちもしないからいつ私にバレて怒られるか不安に思っていたらしい。
なんで私に相談せずケニアの大統領の言うことを信じたのか意味がわからない。本当にイライラがおさまらない。本当に消えて欲しい。
昨日食べた辛辛魚のまぜ麺のせいで、目覚めた時に腹痛が起きる予感がした。今日も昨日と同じで13時に始まる映画を観るために11時前にはベットから起き上がり、準備をする。
ギリギリ時間内に映画館に到着することができた。ロング・グッドバイと雨にぬれた歩道の二本立てを観る。
初めのロング・グッドバイはどのシーンも絵画のように美しく、映画館で観賞して正解だった。最初は少しキザなセリフが多いと感じたが、次第になれてしまった。面白かったのは飼っている猫が夜中に餌を求めに主人公(マーロウ)を起こした上に、カレー印の猫缶しか食べない頑固さがあったところだ。実家で飼っていた黒猫もあのちゅーるでさえ見向きもせずに、カリカリしか食べない変わった奴だった笑。少し話が逸れてしまったが、くたびれた雰囲気を醸し出すマーロウが素敵だった。やっぱりそういう大人はタバコが似合うなぁ。うーん、どういう訳かあまり感想が出てこない。とにかくお洒落でかっこいい作品だ。
二本目の雨にぬれた歩道はあまり期待していなかったが、面白かった。主人公の女性(デニス)が好きな人ができて徐々に狂っていく内容だった。デニスは亡くなった自身の母親の知り合いとしか交流がなく箱入り娘で几帳面な性格をしており、よく世話している男性に話しかける。一方その男性は母親と滅多に会わず自由奔放な性格でデニスと一切口を聞かない。わかりやすくするために両極端な二人にしたのかな。男性は言うまでもないけれど、デニスも彼を世話しているようで、全く相手の意見(まあ男性は口を聞かないけど)を聞かないで一方的に自分の話と思いをぶつけている。観ていてカーソン・マッカラーズの悲しき酒場の唄に似ていると思った。どちらも愛の身勝手さ描いた作品で、ひたすら女性の愛が重い。それに恋人ができてわかったけど、女の人は好きな人ができると真剣になってしまうが故に多かれ少なかれヒステリーになってしまう部分があると思う。最近彼のLINEの返信が遅いだけでイライラしてしまう。今までこんな事なかったのに。
観終わった後、専門学校の説明会に行く。それからレイトショーのイメージズを観に行こうかと迷ったけれど、明日バイトがあるから泣く泣く家へ帰る。どこかの映画館で上映されないかな。
12時から映画が始まるのでめずらしく11時以前にベットから起き上がり、準備をする。
ぎりぎり5分前に到着することができた。奇想天外映画祭2023の上映作品の1つだった子供たちをよろしくを観る。
この作品は、当時全米一暮らしやすいと言われていたシアトルに集まってくるストリートチルドレンの生活を撮ったドキュメンタリー映画である。フィルム撮影のどこかぼんやりとしたあたたかい質感やシアトルの賑やかな雑踏によって生まれた浮世離れした空気感のなか、ストリートチルドレンの常に死と隣り合わせの過酷な現実とそんな暮らしの中でも彼らの一抹の輝かしい青春を映し出した作品だった。どの子供達も家庭に居場所がなく街に流れてきて、同じような背景を持った者同士集まり、物乞い、売春、ドラックディーラー、ゴミ漁りで生計を立てていた。そういった生活を送っているせいか、女の子は特にスレた雰囲気を醸し出し、世を見る沈んだ目は中学生には見えないが、何気ない言動や行動、笑っている姿はやっぱり年相応で、どうかこの子供達が安住の地にたどり着いてほしいと願わずにはいられなかった。タイニーという痩せた14歳の女の子が売春で留置場に捕まった時、アルコール依存症の母親は施設に入っており面会に来れず、来てくれた好きな男の子がフロリダへ旅立つと知った彼女の噛み締めるように泣いた顔、同じく留置所に入ったが父親は逮捕されていて会いに来れず、ただ一人きてくれたのは児童指導員だけでその後自殺してしまった17歳の男の子。彼らの抱える深い孤独。観終わった後、暗い気分になる。
帰宅後、英語版ウィキペディアを読むとなんと子供達のその後が簡単に書いてあった。売春婦のまま殺されてしまったり、喧嘩の最中刺されてそ致命傷となったり、AIDSで亡くなったりと20代のうちに命を落とすものもいれば、生き延びて親となった者もいた。80年代の作品ではあるが、どの国・時代にも彼らのような子供たちはいるのだろう。私が育った田舎町では、家庭環境が良くなかった子は中卒のまま街へ流れていくケースが多い。小学校の同級生で一人いるが、元気にやっているだろうか。
「言葉は変化する」
メガネをクィッと上げながら「幼稚な君たちはわかってないと思うけど」みたいな雰囲気を出してくる。
残念きわまりない。
みんなとっっっっっっっくにわかってるんだよねそんなことは。
わかった上で、「その乱れは変化として許容できるところまで来ているかどうか」とか「現時点で新しい語彙と認めてしまってもよいかどうか」を論じてるんだよね。
裁判にたとえると、みんなが「刑期はどのくらいがいいか、執行猶予をつけるべきか」と話し合ってるところに割り込んできて「有罪だぞ!」と騒いでる人。
言ってることが周回遅れなわけ。もうそのレイヤーの話は終わってるのにね。
きのうは「一番」を「1番」と書いてもよいかが話題になっていた。
いますね、何人か。変化するおじさん。
まったく相手にされず「はいはい(苦笑)」という雰囲気がほかのブコメから伝わってくる。
「言葉は変化する」という意見の背後には、「だから日本語の乱れは許容すべきだ」という価値観が隠れている。
だがよく考えてみてほしい。
あらゆる言葉の乱れを許容するということは、誰もが自分が好きな意味で言葉を使っていいということになる。
既存の単語の意味を捻じ曲げることだって変化には違いないわけだからね。
若手社員がお客さんに「こちらの資料を拝見してください」って言って差し出したらどうする?
叱るでしょ? 「これも日本語の変化だから」って笑って許容するの?
コーディングしたプログラムをコンパイルして実行ファイルを作ることを「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットを作る」と言ったっていいわけだ。
言葉の意味や使い方には互いの中である程度の共通認識が必要で、コミュニケーションはコンセンサスの上で成り立っている。
つまり、野放図に言葉の意味が変化してしまったらコミュニケーションが阻害されるわけ。
だから義務教育には国語という教科があって、言葉の意味や使い方について統一した見解を子供のうちから学ぶわけよ。
バベルの塔の建立に腹を立てた神は人々から共通言語を奪い、バラバラな言語を与えた。
人々は意思の疎通が難しくなり、バベルの塔の建設をやめて世界に散り散りになってしまった。
言葉は変化するおじさんのやっていることもこれだ。秩序の破壊だ。
「言葉は変化する」と言いたくなったらまずやってほしいことがある。
自分が小学校か中学校の先生になったつもりで、生徒がテストに書いてきたらマルをつけるかバツをつけるか考えてみてほしい。
あるいは、小学校か中学校の子を持つ親になったつもりで、子が宿題に書いていたらどう言うか考えてみてほしい。
「言いたいことはわかるが、それでは点数をやれない/もらえない」
そう思うんだったら、まだその日本語の乱れは変化として許容するには時期尚早だということだ。
近々図書館の司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。
そして誰かの参考になればいいな思う。
タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発系youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣、与沢翼、メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発系youtuber、俺的名言集など。
今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報が無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生の本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノートに一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。
「本なんて読まなくても、youtubeの動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。
そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。
今思えば、陰謀論者みたいだな。
高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターでフリーター人生。
仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である。
どうだ?
みんなよりもクソな人生だろう。
※メンタルヘルス、精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHD、ASD系統の性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分の感覚だと3割くらいはその気があると思う。
話を戻す。
書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。
でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutubeの自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実の世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。
仕事のプレッシャーと職場の人間関係からなるストレスから発症したと思う。
(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)
http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347
※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会~
症状としては死への恐怖が一番強かったかな。
主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。
「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」
それが図書館に行くことの始まりだった。最初はポジティブな理由でもなんでもない。
「この病気を自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。
最初はメンタルヘルス、うつ病、パニック発作、パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。
本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。
本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)
ちなみに、この時の自分は読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。
ただなんとなく、当時見ていた自己啓発系youtubeよりも多種多様な情報が図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは?
それくらいの解像度だった。
たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館に直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。
1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。
いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。
「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。
幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事で文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。
パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記、旅行記。それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。
旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界の絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。
俺の実家は宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。
「宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。
その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。
その頃のジャンルは宗教学、人間関係、旅、メンタルヘルス、ハンディキャップ、働き方、思考方法など。
そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。
余談だが図書館の環境も良かったと思う。自分が通っている図書館は音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。
読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。
選書もとても良く、新しい本から古い本、海外の翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館に出会えたのは本当に運が良かった。
そうして3年が経った今年。
3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtubeの自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンルも法律、社会学、経済学、起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。
それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。
https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html
そして自己啓発系動画は現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。
Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサーの情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。
自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚、図書館は偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。
何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。
頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。
この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店で平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。
今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣の革命のファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。
ただ、おかげさまで有益な情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。
岡田斗司夫は図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロの目線で有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。
最近は「得た知識を抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。
読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。
また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。
新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗や借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。
そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。
今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。
だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。
自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである。
自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。
ここから先の人生は読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。
そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」
読書は楽しい。死ぬまで続けたい。これからも自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。
そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報はyoutubeなどのネットで得られる世の中だからだ。
電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。
youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益なものは非常に多いが、元をたどると古典などの本からの情報であることが多く、だからこそ読書は他人と差別化が図れるものだと思っている。
これからも続けて行きたい。
いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。
そして図書館の司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。
いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。
書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書が継続できた理由のひとつは、やはり図書館の環境がとても良かったこと。
それから、オンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学の講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来を自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。
読書サークル内では日夜テキストチャットで議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。
いろいろな意味で運もあったのだと思う。
読書サークルにたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。
友だちが少なく、親の介護も無く、仕事で要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベートの時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。
この文章を書いてから、ナンパをしていた時代に毎日の様に行って、よくたむろしていたビル(飲み屋やカラオケ、ホストクラブやダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。
派手な服装の女性と、その女性を口説き落とそうとしている男性。
ウェーイって騒いでいる学生。
怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。
仲間で歩いているホストくん達。
4大卒正社員で手当込み初年度の年収モデルが350~400万とかで、短大卒だと330~380万。
残業は少なめ(求人票に記載されているのが正しいなら)、年の休日120日以上と一般企業と比べても良い待遇だ。
一方で非常勤/パートの求人で見てみると、こちらはものすごく待遇が悪い。
一日8時間労働だとして正社員と比較すると20%ほど月収入が少なく手当も賞与もなし、年収で見ると240万ぐらいだろうか。
これではまともに生活も出来ないだろう、離職率が高いのは正社員ではなく非常勤やパートタイマーの職員のほうだと思われる。
運営されている保育園の保育士の割合が非常勤やパートタイマーが多くなると保育の質も落ちることが懸念されるのではないか?
そういえば私の母が保育士で知り合いに正社員として保育園での働き口を斡旋するというのをしばしば行っていたのだが、物凄く感謝されていたのをよく覚えている。
この待遇の差を見るならばその感謝にも納得がいくものだなぁと思った。
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(追記)
どこの話だとか自分の知る保育士の実態とは異なるという意見があったので書ける範囲で書いてみる。
自分の住まいは一都三県内の地方自治体であり、その中でも財政黒字を続けている、比較的お金のある自治体です。
ベットタウンとして都市開発が推進されており子持ち家庭の割合が伸びている地域でもあります、保育園も急速に数を増やしており子育ては比較的行いやすい街です。
(ここまで書けば行政に詳しい人ならある程度範囲を絞れるかもしれません。)
自分の知っている保育士の実態とは違うという意見も少なからず見受けられましたので、私の出身地、つまり私の母が保育士として働いていた地域についても求人情報から収入がどの程度なのかを調べてみました。
地方の求人票だと4大卒や短大卒のような記載のされかたはしておらず「有資格者」という枠でしか募集がありません、加えて新卒枠という記載もみつかりませんでした。
月給の範囲は18~25万と大きい開きがありました、また賞与は具体的な記載があるところは少ないものの書かれている文から読み取るに2~3ヶ月程度と見受けられます。
ですので、260~360万が地方保育園での年収になるでしょうか?
間をとると310万なので、この投稿の言及元に記載されている300万という数字はある程度正しいものであると判断出来ます。
給与以外で目立つ記述としては、たいていの場所で「持ち帰りなし」という記載が目立ちました。
また、残業代全額支給という記述も目立ちます、厚生労働省の調べでは保育士の平均残業時間は5時間程度だそうです。
この内容が正当なものであるなら業務自体が激務であるというのは疑わしく思えます、一方、保育士は激務であるという声も多く見受けられるのでこれが何らかの情報操作でないならサービス残業という形でのしかかっていることになりますから労働環境自体は非常悪いのだろうと考えられます。
真実は保育士及び関連業者しか知りません、ちなみに私の母(保育士)は残業をすることはほとんどありませんでしたし家で持ち帰りの仕事をしている姿も見たことがありません。
なお、地方の保育士のうち非常勤やパートの実態はどうなのか調べるのは正社員が何とか年収300万というラインなのを見ると悲惨な実態が浮き上がりそうで辛い気持ちになるのが見えたので調べていません。
今日の事はどこかに書き記して、そして忘れたかったから、この日記帳に記して捨てるつもりだ。
昨日、初めて限界を超えて酒を飲んでいた。
自分は酒を好む性格ではなく、ましてや日常的に飲むことはない。
3%の酒くらいが関の山で、それでも2,3本飲めば終わりしておく。
その原因はもっと単純で、計画中の旅行の代金をもっと安くできたはずなのに、それを選ばなかった事を後悔したこと。
そして、その後悔を覆すためのキャンセルができないと知ったことだった。
しようと思えばもっとできるのかもしれないが、そうしたならば折角の休学中の身分を活かしきれないと思っている。
それに何より、休学後、つまりは来年度の内定先の月収を超えてしまうのは、何となく、来年度からの仕事に身が入らなさそうで嫌だったのだ。
そんな我が儘による月10万程度の稼ぎ。
それを優に超える出費というのは、慎重に選ばなければいけなかった。
それなのに、キャンセル不可。ついでに変更不可。
もっと安くする手段があったはずなのに、慣れていないという理由から友人に全てを任せてしまって、いろいろと決められた時には手遅れだった。
数万単位の金は戻ってこない。やり場のない感情だったから、愚痴を言うほかは無かった。
私は母に対し、愚痴を言った。
母がよくそうするように。
私はもう解決しないことを愚痴って、気持ちの整理を付けようとしたのかもしれない。
もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答は欲しくなかった。
しかし、愚痴を聞いた母の回答は私の予想以上のものではなかった。
もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答をくれた。
私はその回答を予想していた。母はその通りに答えた。だから最初から、濃いめの酒を私は準備していたのだろう。
それでは足りなかった。
いつもは母が愚痴を言う方で、それが逆転した希少な状況。
そして、私の愚痴の原因は、数万円程度の失敗。取り返そうと思えば、いつでも取り返せる額だ。
だから、私を面白おかしくいじろうとする意図が見て取れた。例えそうでなくとも、私はそう感じた。
私はすぐに酒を飲み干し、買い物に行くと言って外に飛び出した。
そして、コンビニで濃いめの酒を数本買った。
外は幸いにも涼しく、天気が良かった。
日はすっかり沈んでいて辺りは暗く、住宅街を抜けた先の河川敷に移動してしまえば、辺りの暗さは一層に増している。
つまらなかった。
すぐに酔いは回らない。酔いが回っても楽しくもない。自分を責める声だけが、自分の口から漏れ出していく。
だけれど、その大小を決めるのは私である。
途中で何人もの人々とすれ違ったはずだ。
自転車のヘッドライト、ペットの光る首輪、ランニングする人々。
誰も私を気に留めない。
発狂した。
だから、いろいろ上手くいったこともあるし、だからこそ、上手くいかなったこともある。
休学の理由もそうだ。
研究室という閉鎖空間において、パワハラ気質の教授という最悪な人間にあたってしまったが、それでも魅力的な研究をしていると思っていたから、ついていこうと頑張ってきた。
だが、そんなもので人を見るべきではなかった。
研究という科学的なプロセスにおいても、科学的事実よりも人格という感情論を優先して上に立つ者を選ぶべきだったのである。
幸いにも私は、その環境を脱し、色々な苦労を経て、就職先とバイト先を見つけることができた。
ただ、私の性格というものは、どうにも変わり切れていなかった。
今は実家に戻っていて、いわば、居候のような状況で、居心地が良いとは言い難い。
だから度々、客観的には帰りの遅くなる母を思いやって、主観的には居心地の悪さを緩和するために、そして、小言を言われないように、家事を手伝った。
そして、度々、私は母の愚痴を聞いてやるのだった。
さて、発狂した私の話に戻そう。
私は発狂のあと、酷くなる頭痛を治めるために水を買いにコンビニに行った。
水のペットボトル、酒の缶。
それを買って、再び、河川敷に戻る。
空を仰ぎ、水を飲む。頭痛はずっと続き、私を苦しめる。
自分が何もかもの原因で、自分のせいであり、自分が悪いんだと、私は自覚した。
その時、自転車が通り過ぎた。
座り込んでいる私に一瞥もくれずに。
私は買って来た酒の缶を地面に叩きつけた。
噴水みたいに酒があふれ出す。
私の心の中のように。
気が付けば時刻は夜11時を回っていた。
私のスマートフォンは、何の通知も受け取っていなかった。
膨大な数のラインを母に送った覚えはある。それを受けてから、掛かってきた母の電話に出る気は無かった。
これからの私も、これまでの私も、今の私も、他人の事を思いやるくらいはできると思っていた。
傲慢だったらしい。
帰ってみれば、母は寝る準備を済ませていた。
私は一言だけ、たぶん「ただいま」とかいう当たり障りのない言葉を取りあえず投げつけて、ベットの上で、床で、風呂で、眠れない時間を過ごした。
一度だけ、母が目を覚ましていたような気がするが、あれは気のせいだったということにしておく。
そして、朝日が昇った。
私はまだ痛む頭を抱えながら、外に出た。
清々しい朝だった。
私の気分も晴れ晴れとしていた。
心の枷が外れたような気がした。
そのことに気づいただけでも、十分だった。
思いやりは、最小限で十分だと気が付けた。
今までは徹夜をすることで簡単に1日を伸ばすことが出来ると思ってた。
でもそれは違った。
授業中に寝たり、仕事中にボーっとしてたり、そういうことで少しずつツケを払っていただけなんだ。
ポケモンスリープをやってから、俺は1日として与えられた24時間に沢山の「税率」のようなものがかけられていることをようやく理解した。
8時間寝て、トイレやお風呂に1時間使って、食事に1時間半使って、移動、着替え、アレコレやってるうちに残り12時間程度になってしまう。
この中から仕事に使う時間と遊びに使う時間とメールチェックとを振り分けていかなきゃいけない。
残業して家に帰ってきて、筋トレしてニュースを見てトレンドを追って、そしてもう遊ぶ時間なんて無くなってる。
ポケモンスリープをやるまで、睡眠時間を削ることで遊ぶ時間を作っていた。
そのことを今やっと強く自覚したよ。
寝るまでのウトウトしながらベットの上で反省会をするだけの時間が完全に無駄で、それを少しでも短くするために気絶するように眠れるまで遊んでから4時間か5時間だけ寝ていた。
それじゃ駄目なんだろうなと薄々気づいていたけど、それを本気で理解しようとは思わなかった。
ちゃんと8時間寝るようになって、人生ってこんなに短いんだなってようやく分かってきた。
学びがあった。
学びの果てに別れがあった。
守破離だ。
美しいゲームだったと思うよ。
自分は、彼女いない歴年齢の30代弱者男性なんだが、昨日、マジで気分が晴れないのが一気に晴れたので、方法を紹介する。
弱者男性が鬱屈としているのは、多分、「自分に自信がない、誰にも相手されない」ということだと思う。
セクハラやパワハラになるリスクを考えず、女性と喋れるのは素晴らしい話。
特に弱者男性なんて発達障害多いだろうから、女性と会話すると、会話内容だけでなく態度なんかで相手がイライラするだろう。そして、一度そんなことをしたらもう一生いじめられる。
風俗なら、そのリスクはなしだ。セクハラやパワハラにあたることはないし、風俗でおいたをしても、2度と来なきゃいいんです。何回でもリセマラできる。
ここは大事なポイントで、無料案内所からの紹介なら、絶対にぼったくりはない、明瞭に料金を教えてくれる。飛び込みで知らない店に飛び込んだら、怖い目に合う確率もあるので、必ず初心者は無料案内所を経由してほしい。
2. 風俗で、服を脱いで、体を洗ってもらう。
自慢目的だとしても、体を洗ってもらうという手順は必須、汚い体を相手させると風俗嬢は怒る
3. 風呂に入りながら、「こういうプレイをしたい」とはっきりと言う。
風呂で、少しまったりする時間ができるから、やりたいプレイ内容をはっきりと言おう。
「セクハラ、パワハラしまくる自慢ばかりのおっさん vs 新入社員」って設定みたいな感じを伝える。
最近書いた論文の講義⇨風俗嬢「これで世の中に貢献してんの!?英語!?すごいじゃん!」
そう、風俗嬢は、褒めてくれるのよ、全裸でおっぱいなでなでしながらで。
強者男性は、彼女なり奥さんなりいるわけだけど、弱者男性にはこれがない。
正面から発達障害丸出しで自慢してもOKなんだよ、風俗なら。強者男性が当たり前に得ている承認が簡単に得られる。
もし、こんなこと、風俗の外でやったらどうなるのかってことだよね?
リアルでやったら、もう一発で人生終わり、それどころか、会話スタート時点で通報される弱者男性でも、ヨユーで相手してもらえる。
やはり、男性は、女性にオラついて、褒めてもらって、気分を回復させることが非常に大切だ。
キャバクラは、お酒をねだられる。つまり、話ではなく、お酒で金払えよと言われる。
これがきつい。しかも、酒が入ると、気持ちよく感じるのが鈍くなる。結局、頭がふらふらで気持ちよさに浸れない。
この増田自体を、論文の形式でよくある、「アブスト、背景、提案手法、実験提示、ディスカッション」の形式で書いてる。論文書いたことある人なら、意味がわかるはず。