はてなキーワード: プールサイドとは
ビーチやプールサイドで寝転んでる時もかよ。
もう夏も終わりなので、人もそうそう集まることがないかもしれないから相対的に問題は薄くなるかもしれないけど、
でもこの夏に西武園ゆうえんちに行った人から聞いた話がやべぇと思ったので共有します。
ああ、わかりますよ。この時期にプールに行く心理がすでにやばいと。そんな奴がコロナ対策を言うなんて五十歩百歩だと。それは最もなわけだ
ちなみにその家族は、友人とソーシャルディスタンスを保ちながらプール際でちゃぷちゃぷして話をするというのをしたかったので遊園地に繰り出した。地元ということもあって割引券があったというのもある。
ああ、みんなが言いたいことはわかる。プール用マスクなんて水が口に入るんだから意味がないというわけだろ。それはわかる。だがプール際で飛沫が防げるならばということで買ったんだが、
なんと西武園ゆうえんちでは、プールではマスクが禁止だったんだ。
通常のマスクでは窒息するから禁止というのはわかるが、水泳に特化したマスクも禁止らしい。
そしてプールサイドはマスクが必須とされているらしいが、誰もマスクをしていない。
従業員もなんちゃってフェイスシールド状マスクで意味がない対策をしている。
更衣室が喚起されていない上に、人が多く、みんなマスクしていないで、大声で話している。
さすがにこれはやべぇってことで、プールに入ったけれども何もせずに出てきた。
ウォータースライダーに並ぶ列もマスク無しでソーシャルディスタンスもしておらず、みんなしゃべっている状態だったそうだ。
プール外の普通の遊ぶエリアもやばい。ほかの遊園施設だと消毒タイムがあったり、雑談、大声禁止などがきめられているのだが、西武園ゆうえんちはそれがないそうだ。消毒せずにどんどん人を入れていっているらしい
ジーンとナタリーがプールサイドで会話するシーンあるじゃないですか、あそこでナタリーがプールに両足いれちゃってるわけですけど、あの時点で別に距離感も近くないジーンと一緒に自分の自信のなさを打ち明けるという場面で「ちょっとその前に私プールに両足いれますね」ってなります? なる? ならんよね? ダルベールがスイスの景色に感動するはずがないみたいなことをジーンに言わせる映画ならそこでナタリーがプールに足をいれるはずがないってなりません? それともあの環境で急にナタリーの野性味が顔を出して「おっプールがあるやんけちょっと両足いれたろか」ってなったんです? ねとらぼのレビューで「創作の中で、創作論を語るのは難しい。なぜなら「こういうのが良い○○だ」と作品内で述べたことは、その作品自体が守らなければならない戒律になりかねないからだ。」って指摘がありましたけどあのシーンのナタリーはまさにそれで、最後まで作品を見終えたあとでも「やっぱあそこのナタリーはおかしかったと思うよ」と一緒に見た友達にぶちまけたかったけど実際は一人で見に行ったのでそんな事を言う相手もおらずおれは静かに家に帰った。
え、お上(文部科学省?よく知らないけど…)やっていいって言ってるの? 調べてみました!
これは「やるな」ってことなんでねぇの?
校長からの伝達で知ったことだが、数日前に教育委員会に市内の小学校の児童の保護者を名乗る人から電話があったらしい。
「こんなに暑くなってきたのに、娘が休み時間にマスクを取って鬼ごっこをしていたら教員に注意をされた。だったらマスクを着けながら活動できる環境を整えてください」
ごめん、どういう意味?
その先生がどの状況を見て注意したのかはわからない(走っている最中なのか、マスクを取って話していたのか)
うちの学校の基準は、「暑い時、息苦しい時はマスクを取ってもよい(ただし、マスクをしていない時は友達と話さない)」で職員で共通認識を図って指導をしている。
こういう時はいい、こういう時はだめ。って白黒はっきりつけると、重箱の隅をつつかれてお気持ち表明電話やら、連絡帳やらが来て面倒だから。
自分は低学年の担任をしているが、仕方ないとは言え、子どもたちの「マスクをしていない時は話さない」「人とくっつかない」という意識は低い。
「息苦しくなったら取ってもいいよ」は低学年には分からない。え、取ってもいい?じゃあ取っちゃお!そんだけ。
腕相撲もするし、ハグもしている、ジャングルジムや登り棒でぎゅうぎゅうになりながら笑って遊んでいる。
「近づきすぎないよ」とは声をかけるがまぁ無駄。というか、マスクした状態の接触はどこまでOKなの? 白黒はっきりつけ始めると面倒だからこれもグレーだけど。
あと最近増えてきたのが、「コロナ心配なのでしばらく休みます」(欠席ではなく出席停止扱いになる)ってやつ。
全然休むのはいいんだけど、「宿題だけでは不安なので、授業内容を簡単にまとめたプリントをポストインしてください」って何?
上に相談したけど、「まぁ信頼関係築けると思ってやってやってくれ」 まぁ作るのあなたじゃないですもんね。
え、お上(文部科学省?よく知らないけど…)やっていいって言ってるの? 調べてみました!
『プールサイドでも他の児童生徒との距離を2m以上確保』『プールに一斉に大人数の児童生徒が入らないように』
『更衣室利用中は不必要な会話や発声をしないこと』『更衣室のドアノブ、スイッチ、ロッカーなどは適宜消毒を行うこと』
無理に決まってるだろバカ。
「2年連続でプールやらないのはまずい…」っていうのは分かるけど(2年分の履修範囲ができないのは痛いですよね分かりますよ)
無理無理かたつむりだよ。
幼稚園とか保育園の先生とかってどうしてるんだろう。マスク指導もっと大変そう。
去年の今頃は「コロナは子どもは無症状!」(それによって移される家族とかはいいのか?)って理論で、あんまり小さい子はマスク付けなくてもOKって空気が流れていたように感じる。
ふつふつとした怒り(何に怒っていいかもわからない。親御さんの気持ちも分かる)が溢れた結果の書きなぐりだから、「こんな文章力のやつが教員やるな」とか言われてしまうんだろうか。すみません。
嫌だ嫌だと言いながら、転職したいという気もないし、辞める気もありません。ただの愚痴です。
でもなんだかここ2,3年で、保護者の方の「先生=忙しい」って労いの気持ちというか、温かい言葉をかけてくださる方が増えた気がする。
感謝です。
【追記】考えてた10倍の反応(ブコメ、トラバ)がいただけてびっくりしています。
昼にわーっとなって書いてしまいましがた、敬体常体ぐちゃぐちゃですね。乱文だね。
なるほどな~と思ったコメントなど、少し反応させてもらいます。
書き方が悪かったかもしれませんが、教育委員会に匿名の電話→市内の校長達→我々ヒラ
なので、難しいです。電話の件に関しては、うちの学校の保護者かどうかは分かりません。
「無理無理かたつむり」
自分が子どもの頃から母親がよく使っていたのですが……もしかして一般的な表現でない?
保護者対応に我々教員が苦心していることを労ってくださる方々がたくさんいて、頭が下がりました。
これは実際には難しいと思います。保護者対応はやっぱり、その子のこと、親のこと、家庭環境のことが分かっている担任が行うのが、一番スムーズかつ今後の関係性をケアしながら問題解決が行えるので……。
テストの採点、会計、教材の注文、プリントの印刷、コンクールへの応募など、「担任じゃなくてもできる仕事」が減ったらうれしいと思っています。人が足りないので無理ですが。
「「コロナ覚悟でなんでも許すコース」「マスクの指導等はするが、徹底が無理なものはリスクを取るコース」「安全最優先でカリキュラムは犠牲にするコース」に分ければよい」
全く思いつかないアイデアで笑いました。楽しそうですがどこの担任がしたいかと言われると悩みますね。
温かい言葉がたくさんあって、書いてよかったな、と思いました。ありがとうございます。
これだけぶちぶち言ってしまいましたが、「こんなこと言ったらクレーマーと思われるんじゃ…」って思う親御さんの訴えは、大概「教えてくださってありがとうございます!!」と思っていますので、なんでも言ってくださいね。
野生の先生や、お子さんの担任の先生を見つけたら、優しくしてあげてください。完璧にご要望に応えられはしないかもしれないけど、頑張りはしたいと思っています。
男児も含めて用語としては「児童性愛」だっけ? そうした考えを持つことそれ自体が悪だと見なす人がいる。
実際、Twitterでそうした主張の人と少しだけ意見交換して、「いくらなんでも内心は自由でしょ?」と言ったところで全く聞き入れてもらえなかった。
確か、幼女ドールで炎上していた頃だったかと思うけど、幼女ドールは児童性愛趣味自体を認めてしまうことに繋がるからダメなんだってさ。
でも無茶言うな、だとしか思えなかった。
私は特になんの変哲もないような大人の男性で、ロリ趣味はなく、どう説明すればいいのかわからないが、一般的なAV的なところを好む程度の性的指向があるだけだった。
だから、例えばまだまだ未熟な小中学生を見たところで、特になんとも思わない人間だ。……と割とずっと思っていた。
この冬、田舎に帰ったんだ。
この田舎には、地元では有名な温水プールがあり、冬でも楽しめる。
あんまり行かなかったんだけど、そこは大浴場もあり、ちょっとしたサウナもあって、それも目当てで半日くらいゆっくり過ごそうかとプールにも入ったわけよ。
その中に一人、ど偉い美少女がいたわけよ。
個人的には、かの国民的美少女コンテストの全国大会最終選考レベルだと思った。
歳の頃はどうやら小学六年生のようだった。その子が友達となんかそんな話をしていたのが聞こえたからわかった。
そこそこ広めの温水・室内プールに十数名程度しかいないんだから、どうしたってその少女に視線がいってしまう。
私は、田舎に来ていた親戚の子供を連れてプールに来ていたんだけど、親戚の子供なんか半ばほったらかし。
で、その少女が割と目の前のプールサイドに来て、ワンピースの水着の肩紐?を、その手でちょっと直すような感じで触れた時に、一瞬だけど胸が見えてしまったわけ。
勃起するな、なんて無理だった。
プールサイドの椅子に座っていた私は、慌てて近くの子供用プールの中に逃げ込んで、下半身を隠すようにして座るしかなかった。
その直後だったかと思うけど、ほんの一瞬だけその美少女と視線が合った。
彼女が私のえっちな視線に気づいたのかどうかは知らないが、それ以降は遠くの方へ離れていってしまったし、勃起してしまった私は恥ずかし過ぎて、もはやその美少女を見ることは出来なかった。
田舎から帰ってもしばらくはあの一瞬がどうしても記憶から呼び起こされてしまい、勃起こそ我慢できたものの、股間に熱いものを感じざるを得ない日々が数日続いた。
それくらい衝撃的だったんだと思う。
しかもそれ以来、街中で可愛めの小学生高学年くらいの女子を見かけてしまうと、どうしても意識がそっちにいってしまうようになった。
エロい想像まではしないように、別のことを考えるように努力はしているけど、一度そうなってしまうとこれがなかなか・・・。
付き合って四年になる彼女がいる
もはやドキドキするって感じじゃない
いや、ときどきそういうタイミングもなくはないんだけど、ちょっと書きづらい感じのアレなので、割愛
とにかく、付き合う前の、デートに誘うメールを送った後3時間くらい何も手につかなくなる感じとか、付き合いたての手を繋ぐだけでドギマギする感じとかはなくなって久しい
でも、たとえばスーパーに買い物に行った時なんかに、わりと常に彼女のことを考えている
会いたいなーとかではない
お、コレ彼女が好きそうだな、とか、このコーナーに一緒に来たら楽しいだろうな、みたいなことだ
これが愛なのではという気がせんでもない
恋って感じではない
彼女とプールサイドに置かれたビーチチェアみたいなやつに寝そべって、サングラスかけながら謎のトロピカルジュース飲みたい
そういうことなんだよな
と言っても、あれはいつ行ってもできる体験という訳ではなく、天候不順時限定である。
2年ばかり前のゴールデンウィークの最終日の事だった。
時期的に江の島は滅茶苦茶混んでいた。
どれくらい混んでたかというと、江の島の裏側から表側に出ている船が、乗船まで3時間待ちだったくらい混んでいた。
江の島の参道(というのか)は、せいぜい100mかそこらしか長さが無いくせに、そこを歩いて抜けるのに1時間かかるとアナウンスされていた。
それくらい混んでいた。
午後、島の裏側まで歩いた我々は、当初船で戻るつもりだったが、あまりの待ち時間に諦めて歩いて戻る事にした。
江の島は小さい島だが、船を使う以外で裏側まで行こうとすると、一度山の頂上まで上らなければならない鬼畜構造だ。
正直、一度上って裏側に下り、再び上って帰らなければならないのは疲れるが仕方ない。
天候が曇りで、どうにも雲行きが怪しかったから、というのも理由の一つだが、この判断は結果的に正解だった。
あの時、船を待つ判断をした人達はその後の夕立でズブ濡れになっただろう。
その日も帰りに汗を流すために、当初から江の島スパを利用する計画だった。
江の島スパ(正式名称:江の島アイランドスパ)は、料金は通常の温泉や銭湯よりお高めである。普通で3000円以上する。
しかもゴールデンウイークで特別価格だったため、なおさら高かった。確か4000円くらいしたはず。
高いだけあって設備や広さは通常の温泉より1ランク上であり、通常の温泉施設がエコノミークラスだとすると、ビジネスクラスくらいの余裕があった。
通常の男女に分かれる温泉部分のほかに、水着を着る事で入れる混浴部分があり、
その中には半露天の洞窟風呂や、露天プールやらプールサイド的な、まあなんやかんや「外」の海に面したロケーションがある。
ついでに、値段が高いせいで、利用をためらう人が多いらしく、外の歩くのもままならないギュウギュウ詰めとは別世界のように広々していて、客の半分くらいは外国人旅行客だったと思う。
我々が入館してほどなく・・・30分くらいしてからだろうか、江の島は夕立に見舞われた。
我々はタッチの差で事無きを得たのだが、これがまー最高だったのだ。
雨がドバドバ降ってたので、屋外のプールサイドみたいな施設は利用できなくなったのだが、
我々は、他の外国人観光客の人達とその洞窟風呂につかりながら、外の海に降り注ぐ雨を眺めていた。
気が向くと洞窟から出て行って、温泉の水面に波紋を散らす雨に頭を打たれながら露天のオーシャンビューに浸った。
正直、雨の中でみんなで温泉に入りながら海を眺めるのがこんなに楽しいとは思わなかった。
目の前には湘南海岸が広がってるわけだが、時折その海面を魚が跳ねたりしていた。
そのうち雷が鳴りだした。
はっきり言って露天風呂のオーシャンビューは視界が広い。晴れてれば富士山まで見えるらしい。
その広い視界の中、遠方の海上や陸上の山の方角に稲光がバシバシ光った。
ひっきりなしに海の上に落ちる稲妻を遠く眺めながら、我々は温泉に浸って雷鳴を聞いていた。
やー、最高だった。
多分、あの時一緒にいた観光客の江の島好感度はMAXまで振り切っただろう。
(一方、そのころ島の裏側で船を待っていたであろう人達の好感度は神のみぞ知る)
サウナに入ったり、ジュース飲んだりして時間を潰し、もう辺りも暗くなりかけた頃、我々は施設を出て帰路についた。
その時もう雨はやんでいた。
またあの体験ができるなら、4000円は全然惜しくないのだが、よく考えるとタイミングがかなり難しい。
「もうすぐ夕立が来そうだな」くらいのタイミングで行って、運が良ければ体験できるかも、というレアなイベントだ。
そんなわけで、今日みたいに天候不順な日が来ると、
先⽇⾦曜ロードーショーで『打ち上げ花⽕、下から⾒るか?横から⾒るか?』を初めて観て、これがなぜ世間で酷評されているのかが私にはわからなかった。この作品に与えらえた不当な評価を少しでも覆すことはできないだろうか、インターネットの⼤海の中に⼀艘でも肯定的な感想を加えられないだろうか、と思いここに駄⽂を書こうと思う。
誰かに伝えるメディアを持たない私が、おそらく一番⼈⽬に触れる場所、⽅法として本来の⽤途とは違う、この場所、はてな匿名ダイアリーをお借りすることをご容赦いただきたい。
私がインターネット上で⾒た感想、この作品の⽋点としてあげられるものは⼤きく5つに分類される。
・主⼈公に対して都合の良すぎる物語
私は映画化された⼩説、ドラマ化されたアニメ、現代化された古典作品、どれにおいても原作が最も優れた作品だと思っているからだ。また以下の考察はすべてアニメ映画を元にしている。
⽣徒が先⽣同級⽣等に対してセクハラを行うことは、若いからと⾔って許されることではない。実際の教育現場で現在⽣徒たちがどのような発⾔をしているのかは学徒でなくなった私にはわからないが、実態とは関係なくそれを映画館という⼤衆の場で晒すということを、フィクションであるならばこそ考慮しなければならない。
上記は台詞による登場⼈物間で⾏われるセクハラである。そしてもう1つ、映像を通して⾏われる観客へのセクハラも問題だ。それは必要のないシーンでの性描写である。もちろん場合によってそれが必要とされるシーンも存在する。主⼈公である中学⽣男⼦が、ヒロインの揺れるスカートに⽬を奪われることはあるだろうし、後述する都合のいいヒロインは主⼈公の意のままに動くことも肯定される。
しかし、ヒロインが部屋の中で着替えるために下着になるシーン。これは物語にとってこの作品にとって必要だろうか。ローアングルでスカートの中をのぞくシーン、これを誰が求めているのだろうか。せっかく⼈格を与えられて動きだした登場⼈物を、お⼈形遊びによって再び創作物へと叩き落す⾏為は、この作品に限らず、こうした作品においてあまりにも散⾒される。これは私が多くのアニメを観るのが好きでない理由でもあり、⼤衆映画として成功するジブリなどのアニメ映画作品と、ただのアニメとの⼤きな境界でもあると私は考えている。
これは主⼈公が新たなストーリーを始める、過去を巻き戻す、ようにみえる、際に起こる、映像の揺れ、歪みを指す。はっきり⾔って邪魔である。主⼈公の既視感の整合を表現しているのだが、この作品中都合3回も繰り返すのだから、いい加減主⼈公も慣れてくれ。初めの1回で観客は慣れている。この表現の過剰さ、強弱の無さがこの作品をやや分り⾟くしている要因であると私は思う。
以上3点においてこの作品を酷評し、つまらないと思っている⽅はもう少し我慢してこの駄⽂を読んでいただけないだろうか。これから4つ⽬について反論し、5つ⽬のわからなかったという⽅のために私なりにこの作品を解説したいと思う。
好きな⼥の⼦が夏休みの間に転校することを知った、主⼈公はその最後の1⽇を⼀緒に過ごすために、うまくいかなかったこと、失敗したことを、もしあの時こうしていればと、何度もうまくいくまで繰り返す。
確かにこの作品は都合の良すぎる物語である。主⼈公は意のままに時を戻すことができ、ヒロインはいつの間にか主⼈公を好きになる。この作品にはハラハラドキドキという⼭場、⾼揚感が⼀切ない。壁にぶつかっても努⼒無しに乗り越えてしまえば、観客たちは何のカタルシスも得られない。感情移⼊も出来ない。
しかしここに⼤きな誤解がある。この作品はタイムリープものではない。主⼈公は好きなように時を戻すという能⼒は与えられていない。彼は主⼈公だからといって特別な能⼒を⼿にしたわけではない。私たち観客も皆持っている能⼒を使って物語を作っている。それは「もしも」である。
この作品はすべて主人公の妄想である。実際に時を戻しているわけでも、本当のヒロインが主⼈公のことを好きになったわけでもない。ただ妄想の世界で主⼈公が願った通りに物語が進⾏しているだけなのだ。すべてが都合良くいくのはこれが理由だ。
⼀般に妄想で物語を終えることは、くだらない、夢オチかよ、などと⾔われるが、この作品においてはそれが許される。なぜならくだらない妄想への批判こそがこの作品の根幹であり、テーマであるからだ。
単⼑直⼊にこの作品を述べると、
【好きな⼥の⼦が⾃分を好きになってくれない現実を受け⽌められずに、妄想の中で⾃分のことを好きな彼⼥を作り上げる、という思春期の愚⾏】
を丁寧に描いた作品である。原作が、恋愛と友情との天秤を主題に据え主⼈公に⼩学⽣を置いたのに対し、思春期の始まりである中学⽣を主⼈公としたのはここに意味がある。
ではどこまでが現実でどこからが妄想なのだろうか。いつからヒロインは主⼈公に都合良くなっていったのだろうか。この作品の現実はこうである。
主⼈公を差し向けるという形でライバルに振られたヒロインは、親に無理やり⼿を引かれて引っ越す。それを⾒た主⼈公はライバルを殴る。新学期が始まり、先⽣が名簿を読み上げる。そこに転校したヒロインの名前はなく、主⼈公は学校に⾏っていない。
つまり「もしライバルに⽔泳で勝っていたら」からラストシーン⼿前までがすべて妄想である。
妄想であるという根拠は後述するとして、この作品をわかりにくく、かつ魅⼒的にしている謎について先に解説していきたい。
ヒロインは花畑で主⼈公に何を語ったのか。そして主⼈公はなぜライバルを殴ったのかである。
このシーンを境に妄想が始まっているので、妄想の動機、この物語において最も⼤事な出来事であるといっても過⾔ではない。
この物語の中で唯⼀、意図的に観客に隠されているシーンがある。それはライバルの代わりにヒロインを病院へと迎えに⾏った主⼈公と、ヒロインとの会話である。
「なんで島⽥くん(主⼈公)が勝つと思ったかわかる?」
その後に続く台詞は省略され、次のシーンではヒロインは主⼈公から⾛り去ってしまう。これを聞いたことで主⼈公はライバルへと怒り、結果として殴ることになる。ではその内容はどのようなものであっただろうか。
ヒロインがライバルにプールで告⽩をし、花⽕を⾒に⾏こうと誘ったこと。しかし振られてしまったこと。再婚で転校しなければならないこと。そのために「家出」をしたいこと。その後の妄想の種となる部分を聞いたのは間違いないだろう。ただそれだけではないのは明確である。それだけのことなら省略する意味がないからだ。
ここで妄想前後のライバルの変化について注⽬したい。プールで勝ったライバルは、主⼈公がヒロインを好きなことを知っていて、それを応援している。主⼈公とヒロインが⼆⼈きりになるようくだらない理由をつけ、また逆に⾃分とヒロインが2⼈きりにならないよう振舞っている。しかし、プールで負けた彼の態度は⼀変する。主⼈公とヒロインが2⼈きりでいることに苛⽴ち、主⼈公への不満を露⾻に表す。後者は主⼈公の妄想をもとに作られているということは重要な点だ。妄想後にプールで負けたライバルは妄想前にプールで負けた主⼈公と同⼀なのである。
ライバルは⾃分へと向けられているヒロインの好意に気付いていたのではないだろうか。しかし、⾃分はヒロインのことを、少なくとも主⼈公がヒロインを想うよりは、好きではなく、告⽩されても振ると決めていた。なぜならそれに対して主⼈公が苛⽴ち、ライバルへ不満を持つことをわかっていたから。そしてライバルがそのように思っていることを、ヒロインも察知していたのだろう。それが上述の発⾔「(主⼈公)が勝つと思った」につながっている。
転校前に最後の思い出が欲しかったヒロインは、ライバルへの告⽩を決意する。その結果はライバルが⼿を抜くという形で、主⼈公の勝利という形で、実際に想いを伝えることなく、判明する予定だった。しかし、実際には主⼈公のアクシデントによってライバルが勝ち、主⼈公の⼝からヒロインは⾃分がライバルから振られたことを告げられる。
そのことを聞いた主⼈公は、親に⼿を引かれるヒロインが「助けて」と⾔った相⼿が本当は⾃分ではなかったこと、ライバルのヒロインへの適当な態度に対して怒り、ライバルに殴りかかったのだ。
そして主⼈公の妄想が始まる。もしあの時⽔泳で勝っていたら、ヒロインがライバルに振られることはなかったのではないか。ヒロインを助けるのは⾃分だったのではないだろうか。ヒロインは⾃分に対して告⽩してくれたのではないか。
妄想であり、ヒロインは⾃分のことが好きではないとわかっているから、花⽕⼤会へは誘われるものの、告⽩は⽔の⾳にかき消されて主⼈公の⽿へは届かない。
この告白のシーンは主人公自身だけでなく、観客をもごまかし誤認識させている。プールで勝った方を誘うと言うヒロインの言葉をそのまま信じてしまえば、主人公が勝ったことをヒロインが喜んでいるかのように、まるで現実では主人公のことが好きだったのに負けてしまったから不機嫌になったかのように誤解してしまう。制作者は上述した会話の意図的な省略により、ここで主人公と共謀して観客を妄想の中に引き摺り込んでいるのだ。
妄想が進むにつれて、主人公はヒロインを自分の都合の良いものへと作り替えていく。「家出」であったはずのヒロインの⼩さな反抗は「駆け落ち」へと変わり、浴⾐から⽩いワンピースへと⾐装が変わる。
主⼈公は⼀度は変な花⽕の形を⾒てこれが妄想であると気付くものの、妄想の中のヒロインに2⼈でいられるならどっちでもいいと⾔われ、世界を好きなように変え始める。海の上を⾛る電⾞、レンズに囲まれた世界。
「これは典道くん(主⼈公)がつくった世界なんだね」
世界のおかしさを気にする主⼈公に対し、同じおかしな存在である妄想のヒロインは世界をおかしいとは気にしない。その後主⼈公の望み通りにキスをしたヒロインは
「次会えるのはどんな世界かな?」
という⾔葉を残していなくなってしまう。
そして主⼈公は妄想の世界から抜け出せないまま、現実が始まる。主⼈公が今も妄想の世界を渡り歩いているのかは明らかにされずに物語は終わってしまう。
上記の論の根拠となる、妄想の開始位置を示す手掛かりは3つある。
1つ⽬は⾵⼒発電のプロペラの回転方向である。現実では時計周りに対し、妄想が始まると反時計回りに回り始める。おかしな世界になってからはプロペラが回転を止め、妄想世界が破綻すると再び時計回りに動き始める。
2つ⽬は「茂下(もしも)」という駅名、町名である。駅舎や標識などで度々映り込むこの地名は、現実世界では⼀度も登場しない。
そして3つ⽬、ヒロインの表情である。同じシーン、プールサイドでの告⽩で比較するとその差が顕著であるが、現実のヒロインは感情を顔に出さないのに対し、妄想のヒロインは常に笑顔で表情が豊かである。これこそがこの世界は主人公の妄想である明確な根拠と言える。今⽬をつむり、頭の中にあなたの好きな⼈を思い浮かべて欲しい、おそらく彼、彼⼥はあなたに対して微笑みかけているはずだ。
『打ち上げ花⽕、下から見るか?横から見るか?』は、誰しもが思春期の始め、クラスメイト、芸能⼈、またはアイドル等々を相⼿に、通ってきた道、妄想という愚行を再体験させる、素晴らしい⻘春映画だ。もちろんこれは私なりの解釈であり、皆さん⼀⼈⼀⼈の考えを否定するものではない。ただ私のこの⽂章を読んでいただいた⽅が⼀⼈でも、もう⼀度この作品を観返そうという気持ちになって頂けたのなら、幸いである。
タイトル通りだ。
嘘みたいな本当の話でどこにでもいそうな坊主頭の小太りで初老のおっさんが、女性用のド派手なワンピースの水着にこれまたド派手な水泳帽を合わせて颯爽とプールにやって来る。
見てはならないものが突如目の前に現れ、他の利用者はもちろん係員もショック状態に陥り困惑してるんだが、これは何かしら犯罪行為にならないのだろうか?
いちおう言っておくとチ◯コは水着にきちんと収納されている。ちゃんと男性用更衣室を使っていてる。他の利用者に絡むようなことはない。
ただただ、おっさんが女性用の水着でプールサイドをうろうろしたりストレッチしたり泳いだりしてる。
はっきり言って非常に不気味なので何かしらの対策を求めている。みんなの知見を教えてくれ。
最近2日に一回ぐらいの割合でプールに通っている。とても楽しい。泳ぎは全然下手なんだけどそれでもとても楽しい。
行く前に YouTube で水泳の動画をいくつか見て、やってみたい練習方法を見つけたらそれをやる。それだけ。それだけなのにとても楽しい。
自分のペースでやれるって言うのがとても良い。周りで泳いでいる人も、ものすごく上手い人ばっかりっていうわけじゃないから気にせずに泳げる。まあコロナの影響で空いてるしね。
小学生ぐらいの時にスイミングスクールに親に入れてもらったことがあるんだけど、お試しの1ヶ月期間の中で、早々に挫折した。正確には週に1回のスクールだったんだけど、2回目からもう行かなくなった。そのことを泳いでいる最中に思い出してしまうと、とてもつらい気分になって、呼吸が乱れる。アラフォーのこの歳になってもまだ、小学校の時の思い出に引きずられているのかと思うと、情けないなぁと思うと同時に、時間が経つのは早いなと感慨にふけるなどしながら泳ぐのも楽しい。
泳ぐ前に飲み物を買って、プールサイドにおいておいて、途中で休憩しながら飲むんだけど、目の前のプールの中にこんなに大量に水があるのにわざわざペットボトルで水を飲むという行為の冗長さ?も楽しい。
水を飲みながら、プールで泳いでいるおじいちゃんおばあちゃんも見ると、こんな年齢になってもこんなに泳げるものなのかと感動して、楽しい。
俺は全然泳げなくて、プールの途中で足をつきそうになったりするレベルなんだけど、俺も定年退職する頃にはこのくらい泳げるようになるのかなあと思うと、また楽しい。
YouTube で説明してたのはこれか!とわかる瞬間がたまにあってその時はとても楽しい。
泳ぎ終わったらシャワーを浴びるんだけど、さっきまで水の中にいたのに上がってからまたシャワーを浴びるという冗長さ?も楽しい。
更衣室で着替えながら、泳ぐ前に見た YouTube の動画を見返して、よしよし思ったように練習できたなあ、と満足感に浸る時間が最高に楽しい。
帰り道、両腕と腹筋と配筋と太ももあたりに疲れを感じながら歩くのも楽しい。
そういえば今日は何メートル泳いだんだっけ?最初は数えてたけどだんだんわかんなくなっちまったなぁ。まあたくさん泳いだし楽しかったらまあいいか。今度からちゃんと数えてみよう。あれ?こないだもそんなこと思ってなかったか?とか思いながら、自宅で晩御飯を食べるのも楽しい。
【初めに】
コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である。
【本文】
ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。
そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。
だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分の全裸、特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。
目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。
とはいえ、男女混浴が可能な場所は国内でも限られている。ましてや、近年は混浴のマナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしまう地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴が誕生した時代とは、私たちの羞恥心の感覚も変わってしまった。
そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツやオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。
もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂な人間ではない。
私は建築や美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムト、シーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである。
日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである。
駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄の香りがしている。そうしたところは我が国の温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルのレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。
ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。
ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。
まずは、せっかくなので水着エリアで温泉を楽しむ。とはいえ、水着エリアは温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である。
これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリーは温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。
他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップルや夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールでほとんど温まらない。日本の温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。
そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イスト・サウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。
なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。
サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである。
サウナの入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。
二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやりと天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。
ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナで読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。
しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本の温泉は露天風呂がメインで、サウナが複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプのサウナがあり、存分に楽しめた。
たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかわからなくなってしまうのだが。
ちなみにこの眼鏡、裸眼で転ばないように、日本でサウナ用の眼鏡をわざわざ購入したもののである。
【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである。
そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチがオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルでサウナの人々に熱風を浴びせるのである。
それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。
そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞の活用が無茶苦茶なドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルト・カルト」(寒い、寒い)などというものだから、思わずその場は笑いに包まれた。
私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。
その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰からも干渉されない時間だけそこにあった。
それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。
人間の身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現の規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたものは普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。
そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】
さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。
その一、スポーツマンタイプ。ものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分の身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアやローマの彫刻そっくりである。スポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。
その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。
その三、老夫婦。なんというか日本の混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気。ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。
その四、比較的若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。
ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。
で、こうして振り返ってみると、比較的若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。
混浴について、猥褻だとか下品だとかいう意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂とサウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそもお風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから、勝手な判断は差し控えるが。
というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。
それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉が気持ちいいのでどうでもよい。
そういうわけで、私はオーストリアの混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナーを一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴の文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。
プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。
個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。
もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。
ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。
最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。
【最後に】
本記事はカクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。
【付記】
ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?
【アクセス】
地下鉄U1の終点、Oberlaa駅
高校の体育教師が見学する女子生徒に生理日数を申告してたってニュース見て思い出したので書く
うちの通ってた高校は、3年の水泳の授業はなぜか男女合同だった
で、それが嫌だって嘘ついて見学する女子が多かった。まあ、補習も男女合同なんだけど。
で、あんまり関係ないし叩かれそうだけど私は当時メンヘラだったので手首ちょんぱしてた。
長袖シャツ着て誤魔化してたけどプールはごまかせないから、カウンセラー的ポジションにいた先生に相談して、担任(女、おばちゃん、体育教師)呼んで、嫌だったけど背に腹はかえられぬと思ってリストカットカミングアウトして配慮してもらえないか頼んだ。プールの分の内申点が0になるかわりに補習もしなくてよいことになった。
いざ水泳の授業がはじまると、生理の子と男女合同を嫌ったズル休みとの生徒がプールサイドに山盛りいたので私も混ざっていた。
ある授業が終わったあと、担任じゃない方の体育教師(女、クソ)に大声で名指しされて「増田、なんで休みなの」「補習もきてないだろ」みたいなことをみんなの前で指摘された。
私は担任から情報共有されてるものと思ってなんとか誤魔化そうと思ったけどしどろもどろになっちゃって不審な感じになって余計問い詰められた。
その後何か言われたことはないから担任から聞いたのかな。あの時のクラスメイトからの視線で余計に精神病んじゃって……その後のことは関係ないから割愛するけど。
肌さらけ出したり身体のことだったりなんだからもっと柔軟にやってくれりゃいいのになって思ってたし、今朝のニュース見てまたそう思った。
めんどくさい、やりたくないって言ったらそこまでなんだろうけど、その裏にあるデリケートな部分が教育だから、授業だからで土足で踏み込まれてる現状がきつい。
特にプールサイドショーについてはあまり情報がなかったので残しておく。
プールショーについて、前段階の情報としてスコアバーズ(Score birds)ホテルにて開催。
オークション形式に女性を落札しアフターも楽しめると言うものだった。
※実際にはABCホテルでも開催されており、ガイドに聞くとこちらの方が有名との事だった。
まずスコアバーズホテル前の入口にて、500ペソの支払いを行い、ワンドリンクチケットとビーズのネックレスのような輪っかをもらう。
ドリンクを頼んでモデルが出るのを待つが、14時開始のはずが、始まりは当然のように1時間程度遅れた。
なお13時半ぐらいに行けば、良い席を確保することが可能。
番号が振られたモデルが綺羅びやかな衣装でプールサイドに降りてきて紹介される。
このとき、人気投票も兼ねているらしく、ビーズをショーの最中にプールに向かって投げ込む。
投げ込まれた量が人気の度合いを示しているが、1位になった女の子が表彰される・・・といった事はなかった。
なお、ビーズは中でも1本100ペソで売られており、買い増すことが可能。わたしのときは大体1位は3000ペソ分ぐらいのビーズを投げ込まれていた。
人気投票が終わると、出ているモデルをオークション形式で「席について会話する権利」が観客に売られる。
手を上げて金額を近くにいるスタッフにつたえれば、勝手に進んでいく。
人気の有無で金額は変わるが、大体多くても3,000ペソも払えば権利は買える。
ただし、わたしの場合、2,000ペソで落札したはずが、4,500ペソ請求された。チップみたいなものだろうと深く考えないことにした。
※膝の上に乗せて体を触ることも可能
アフターについては交渉次第だが、バージンの女の子も出ており断られたり、
そもそも出演者はゴーゴーバーのモデルのため、夜にバーに来てくれと言われ、結局2度払いする事になる場合もあるそうだ。
そこからは終了時間までプールサイドで玉入れだったり、ビールの一気飲みだったり適当なショーが開催されているが、こちらは割愛する。
出ているモデルはすべてゴーゴーバーのスタッフであり、夜までのための顔見世といった感じだった。
一旦弱くなった雨足はやがて勢いを取り戻し、カウンターの前から身動きが取れなくなった。
心配と共に空腹も襲って来る。
しばらくして、心配をよそに弱まる雨足。
順番が逆になったが、エントランスで荷物を回収し、完全に雨が上がった夜のプールサイドに戻る。
18:00
今のうちに何か食べておこう。
典型的なベトナム南部料理といえば、お好み焼き様のバインセオらしいのだが、メニューには無かった。
そういえばH.I.Sのラウンジでもバインミーラスクを試食した。
旅の目的だったとはいえ、これほど度々「バインミー」と名のつくものを食うとは思わなかった。
グエンフエ大通りで買ったものの8倍に当たる200,000ドンというお値段に後で驚く事になるのだが、ホテル ニューワールドのプールサイドバーで食べたバインミーは繊細で上品な味がした。
と、旅行中、どういう偶然か何度も聴いた曲のインストバージョンが流れて来た。
どうしても気になる。
曲が終わるとカウンターの奥でにいちゃんが機械を弄っていて、選曲は彼がやっているらしい。
会計の後、声をかけた。
「I want remember song title, ♩rararara ra ra ra rara ~」
「Nothing's Gonna Change My Love For You.」
「それだ!」
寒さを誤魔化すように、Nothing's Gonna Change My Love For You. の歌詞を調べてみた。
表現の世界で概要をいうのも違うと思うが、歌詞の概要は以下の通り。
でも君がいれば永遠だ。
こんな想いは初めて。
夢が行きたいところに導いてくれる。
抱きしめて、触れて。君なしでは生きていたくない。
君への愛は変わらない。
僕の愛がどれだけか君は知るべきだ。
世界が変わっても君への愛は変わらない。
進む道が困難でも愛が星の様に輝き導いてくれる。
君は君のままでいい。
ありのままの君を愛している。
君への愛は変わらない。
僕の愛がどれだけか君は知るべきだ。
これから夜は長いわ、初めての想いだわ、夢の風景に導かれるわ、ここでもまたもや、ありのままを肯定されて、挙句、ベトナムの国旗よろしく星まで出て来る。
思えば昨夜、俺もまた金髪の男に金を渡し、白いシャツの少女が差し出した皮のブローチはハートだった。
ブローチは慎重すぎて手放したが、あれが本当にフェアトレードなら、渡した50,000ドンだけは誰かに届くはずだ。
夜が明ければ、ハート満載で見た目も味も甘々のミルクティーで喉を潤し、アオザイのお姉さんの美しさを絶賛して本気にはされなかったが、ベッドの上に星とハートをちりばめた感謝のメモをしたためた。
これを書いている最中にも、お姉さんが熱々のお茶を持ってきてくれる。
冷房でやられていたので心底ありがたい。
この旅では、ありのままの自分や、恋と愛の話にやたらと出会うようだ。
あとバインミー。
ホテルの日々が素晴らしいものだったとは言え、そのまま10時間あまりラウンジでぼうっとするのも退屈だ。
昨日訪れたH.I.Sのホーチミン支店にまた行って、素っ気ない日本人スタッフに勧められたお土産、バインミーラスクを買おう。
ホテルを出て地図を確認すると、残り少ない旅のタスク、チェーを食べられる店がすぐ近くだった。
そうだ、行けるなら行っておこう。
店のあるベンタイン市場を再び訪れた。
広大で複雑なベンタイン市場で、目当ての店を見つけられず、別のお店のお姉さんにスマホを見せて尋ねると、すぐ背後を指さされた。
店のおばさんにメニューを手渡され、指差し注文すると、おじさんに手招きされて、プラスチックの赤いベンチを指さされた。
座ってまてという事らしい。
いい歳をして、疲れて来ると頬に掌をあてて首を傾げる癖があるのだが、おじさんはそれを観てマネして笑った。
こっちも笑う。
程なくカラフルなチェーが運ばれてきた。
スプーンですくうと、ココナツミルクの中からグミの様に色取り取りな正体の分からないものが出てきた。
大した苦労もなく辿り着いたH.I.Sのラウンジで一休みしながらこの旅行記を書いていると、ベトナム人スタッフに若い日本人スタッフが近づいて、なにやらレクチャーを始めた。
「すいません」の使い所に関する話らしい。
確かに日本人を象徴する様でいて、いろんな場面でそれぞれ違う運用をされるよく分からないフレーズだ。
結構長い間話は続いたが、ベトナム人スタッフはしっかり腹落ちしてない様だった。
まあまあ一息つけたし、旅行記を書いていると時間も過ぎて行ったので、バインミーラスクと、追加で缶入りクッキーを買ってホテルに戻る事にした。
途中、昨日スマホでしか撮れなかった中央郵便局とサイゴン大教会 with マリア様をカメラで撮る。
ホテルへの道すがら、ホーチミンでもう一つの近代商業ビル、ビンコムセンターを覗いてみる。
昨日見たサイゴンセンターのシャツよりはお安いが、ホーチミンにおいてはファストファッションの値段ではない。
そう言えば、平日の昼だというのに、地べたに座った若者が辺りにはいて、一度は声をかけられた。
本屋を物色したのち、もう少し気になる建物もあったが、海外の一人旅で軽々しく予定を変えないというのは鉄則だ。
ファミリーマートで運よく見つけた雑誌を買い、ホテルに戻った。
約束通りホテルに戻った後、朝に教えられた2Fのラウンジに向かう。
一瞬止められるかと思ったが、そんな事はなかった。
ただ、2Fに行ってもラウンジはない。
そう言えばスパが利用できるという様なことを言われたが、荷物をどうしようとか、湯冷めしそうとか思って、プールサイドに行くことにした。
プールサイドバーでは、お兄さんとお姉さんが笑顔で迎えてくれる。
バーカウンター前のテーブルに陣取り、マンゴーで香りづけされたグリーンティを頼んだ。
フレーバーについてお兄さんが念押ししたのは、自分が日本人だと分かったからかも知れない。
問題ない。
そういうのが良かったから。
とうとう雨には当たらなかったな。
これは勝ったのか負けたのか。
ファミマで買ってきた雑誌を眺めていると、プールの水面に幾つもの同心円が広がる。
すぐに雨足が強くなり始めた。
What a thing!
なんて事だ!
ベトナムの事など大して知らなかった時からあった、あのビジョンそのままに、俺は今、お茶を飲みながら雨の水面を観ている!
完璧だ。
こっちの勝手な感動をよそに、雨足はますます強くなり、スコールの様相を呈してきて、これは言い訳できないくらい完全な夕立だ。
「夕立もきっと来るだろう」
予言はまたしても実現する事になった。
移動しながら大声で笑った。
海辺の砂浜に一人寝転がる4,000年に一度の美少女は、イントロでビーチパラソルの下から立ち上がる。
場面が変わって様々な仲間が次々に現れ、共に歌い、踊る。
画面の中ではやがて曲も終盤に差し掛かり、片や画面の外では雨足が弱くなり始める。
画面に目を戻すと、アウトロで、長い黒髪の予言者はまた独り、青空の下、晴れやかな表情でフレームの外に駆け出して行った。
完敗だ。
屋外プールだから虫や葉っぱが浮いてたし、誰かがおしっこしてそうだし、いつも指をしゃぶったりおちんちんをボリボリ掻いているあの子と同じ水に入るのが嫌だった。
プールで先生の指示通りに動く時間(内容は忘れた)が終わり、自由時間になった。
私はこれ以上プールに入りたくなくて、プールサイドで体育座りしていた。
先生に「プールで遊ばないの?」と聞かれても「ひなたごっこしてるのーあったかいよー」と、自分ができる最声のほのぼの笑顔で答えた。
「プール嫌いだから…」とは言わなかった。嫌いなものは克服させようとしてくると思った。あくまで「プールも好きだけどひなたごっこはもっと好き」という雰囲気を醸し出した。
ひなた「ごっこ」が正しいのか「ぼっこ」が正しいのかまだ覚えられていなかった。
普段の仲良し同士ではなく、スイミングに通っているかどうかで分かれているように見えた。
たまにプールサイドを歩く蟻が体を登るので気をつけなければいけなかった。
それでもプールの中の死んでる虫よりプールサイドの生きてる虫の方がまだマシだと思った。プールには虫の血が溶けていると思った。
「園庭で蟻の巣を掘って遊ぶ事もあるけど、その時はなんか靴とか服で守られてるじゃん…でも今守られてないじゃん…だからやだ…靴を登って肌までくることもあるけど、うーんなんだろ。それはすぐ払える感じがする…なんでだろ…」
「プールに入っても虫、入らなくても虫。やだなあ。私だけ早く上がって着替えてみんなを見てたいなあ。見学ですって言えば…見て勉強してまーすって楽しそうに笑顔で…いやー無理だろうなあ。そこで怪しまれるのはなあ」
そんなことを考えていた。
しばらくして、先生がみんなに自由時間はおしまいだと言った。私は嬉しかった。
プールの時間はいつも最初に先生の指示通りに動く時間があって、その後は最後まで自由時間だった。つまり自由時間が終わるということは、プールの時間も終わるということだった。終わるはずだった。
「はーい。では今から増田ちゃんの時間でーす。増田ちゃーん、泳いでいいよー」
えっ
一瞬で色々なことが頭を駆け巡った。
「増田ちゃん、みんなでバチャバチャやってるのが怖くて入れないのね…かわいそう…増田ちゃんもプールに入りたいはずよね。増田ちゃんがプールに入れるようにしてあげなくちゃ!」か?
それでこんな事をしたのか?えっやだ要らない。けどここで断ったら先生かわいそう。
それとも「あなただけプールに入らないなんてダメだよ。嫌いだからってやらないのはダメだよ」ってこと?
私怒られてる?プールに入りたくないことバレてる?!「好きなものはみんなと違うけどこの子なりに楽しんでるのね」みたいに思ってもらえるような雰囲気だしてたのに通用しなかった?!
あの先生は優しいけど、他の厳しい先生や普通くらいの先生はどう思ってるの?あっダメだ顔を見ても読み取れねえ!
一瞬でそこまでしか考えられず、私の口から出た言葉は「や、いいです…」だった。言った直後「〇〇だからいいです」みたいに理由を言えば良かったと思ったが、結局何も思いついていなかった。
きっとみんな「増田ちゃんだけ1人でプールにはいれてずるい」と思ってるはずだし、そんな顔をしているはずだと思った。怖くてみんなの顔を見れなかった。ほのぼの演技も多分出来ていなかった。
「増田ちゃんだけ自由時間にプールにはいれなかったのよー。みんなは遊んだから次は増田ちゃんの番よー遠慮しないでー」みたいな事を先生は言った。
みんなの顔は見てないけど、きっと「そうなんだ。なら次は増田ちゃんの番だな」って顔をしていると思った。
先生はあくまでも優しく提案している。ここで断ったら「増田ちゃん、嫌な事でもやらなきゃダメよ」と、みんなの前で優しく怒られるかもしれない。
みんなにも「折角俺たちの自由時間削って増田ちゃんに譲ってあげたのに断るなんて、俺たちの削り損じゃん」と思われるんだろう。私だったらきっとそう思う。
さっさと入らないと、みんなは「早くしろよ」って顔をし始めるはず。それは怖い。
「あ、うん…」みたいなことを言ってプールサイドのハシゴまで歩いた。
虫の血やおしっこやいつもおちんちん掻いてる子の事は考えないようにして、ゆっくりハシゴをおりた。
プールに入ったけれど何をしていいかわからなかった。適当に水面を叩いてみたけど間が持たない。
「はいったよ。もういいよね」と思いながら先生の顔を見ると「泳いでみて〜」といわれた。もうだめだ。
泳ぐったって…スイミングに通ってる訳でもないし、泳ぎ方わからない…あ、前お父さんと温水プールに行った時「バタ足は膝からじゃなく太ももから動かすんだよー」って言われたっけ。そうするか…でも太ももから動かしたらなんか沈みそうだな。見た目もかっこ悪そうだな…。太ももから動かして「スイミング通ってないのに生意気」とか思われるのも嫌だな…。膝から動かして「泳ぎ方知らないけど頑張ってます」感を出した方がいいかな…うーん、そうしよう…
おずおずと見よう見まねで膝から動かすバタ足をした。水しぶき(=頑張ってる感)が沢山上がってますように!と祈った。
息継ぎの仕方は知らないから、泳いだのは少しの時間だったと思う。顔を上げて先生の方を見ると、「はーい頑張った増田ちゃんに拍手〜」と言われた。
ああ、うん。