はてなキーワード: プラスチックとは
出口ゲートで止まっちゃった
秋の行楽シーズンになると、はてなのみんなも行くと思う、ピサの斜塔。そう、イタリアの
日本では見慣れない方法で料金を払うのだけれど、自動販売機でプラスチックのコインを買って、出口ゲートでコインを入れるとゲートが開く
ピサの斜塔の実物は見といた方がいい、奈良の大仏くらいの感動がある。というか見事なまでに斜めっている、立ってるというレベルじゃない
でも登ったところでさほど感動はしなかったな。でも聖堂含めてキレイだった。それにしても斜めってる
さて、コインを買ってカーナビの設定を分からないイタリア語を何回も間違えつつ入力して、出口にレンタカーを走らせ機械にコインを入れてもゲートが開かない
ゲートが開かずに止まっちゃったの、、
では無くて、コイン買って一定時間経っちゃうとゲートが開かないらしい
なにしろ、こんなこと初めてだわ。
私がもっとしっかりしてたら、
・・後ろ詰まっているのでバックもできない、でも並ぶベンツとかフィアットが
「すまん、コイン買ってくる」、、パニクっててよく覚えていないけど多分日本語で言った、でも通じた
ターミネーター的に「I Will be Back」とでも言えばよかっなたと苦笑い
これを、教訓に以後気をつけるわ。
ちなみにレンタカーはグランドピカソだったけど、高速道路でよそ見運転してたら路肩を踏んでタイヤウォールをバーストさせてしまった
まさかイタリアの高速道路の路肩でタイヤ交換をすることになるとは
バーストした弾みで側壁に擦って、ほぼ全損状態。タイヤ交換したら走ったので次の目的地リオマッジョーレへ
全損? 大丈夫、保険入っているから。でも、ごめんねレンタカー会社の人達
デトックスってwikipedia で調べたらインチキだって。軽くディスりました
【参考文献】
そういう考え方もアリ、そういう正論もある、という所から見た歪んだ世界を表現したいのだろうけどそういう考え方は無いしそういう正論もないよ。
その思考の原点となる「負ける」って何に対してどうなる状況を言っているのか言ってる本人もわかってない。
資本をたかめることか経常利益をあげることか給与を多くすることか社員の品質評価をたかめることかどれかを決めかねたあげく、だれかに良いといってもらえそうなものは全部と思っているのだろう。
マラソンで何回優勝してもドーピングしたり無理な走行で寿命を縮めたり公害や事故にあったり外的要因から非難をされたりする可能性を含めていないようだ。
そもそも何に勝つのかも考えてないだろう。
個人という単位で方向性を問うなら個人の価値に帰結するものだ。
個人が会社の仕組みについて問うのであればそれは個人と会社の関係性であって会社の方向性という個人に影響はあれど個人の意思決定等とは全く関係のないものである。
結局、勝ち負けや会社や休日といった人気ワードを撒き散らしたレプリカで本質を突いた気になっているまたは気にさせるこを目的としているだけということになる。
例えて言うなら、プリンセスダイヤをちりばめた本物のお姫様ペンダント、という夜店で売ってるプラスチックの玩具と同じ意味合いを持つ。
それが本物であるという思い入れが個人にあるならそれはそれでいいだろうし、その個人の思いが本質でありつづけられるのは個人の心のなかだけという程度のことは理解できるだろう。
その人気のワードをちりばめているという事実だけで馳せる思いを共感しようとさせるのは、一般に気持ち悪いということも理解しているのだろう。
そんなに気持ち悪いアピールをつかって企業は単純で愚かな選択をしていると非難してみても、それは夜店の玩具の剣を昼間平日一般人にひけらかしてみようという行為に見えて滑稽だ。
そのしたいことに合致した内容を用いれば望み通りになるのだろうけれども、それでは期待した反応ではない。あくまで冗談であることはわかってほしいが真剣にそれをやっている姿が滑稽とも見せたい、というところから導き出された経験不足の結果だろう。
したいことを実践するのであればそんな安物のワードではなく世界的に有名な成功者の例を出してそうでもしないとどこに到達できないと明確にすれば良い。
しかし実際に身を呈して目的を達成する価値を言いたいわけではないのだろう。それをバカにしたいのだが著名人を露骨にバカにするのも批判しかあつまらない、それをバカにする自分の愚かさを指摘されて不快になる程度は想像がつくのだろう。
どこにでもある良い話系のなかに、そういう表現者がこまったとき先人からもらったありがたい一言というのはだいたい定番としてよくあるだろう。
安っぽい見かけで表現したいことを全部詰め込んでみました、といって満足できるのはその本質をしらない子供だけだということに主観的では気がつかないものなのかと呆れることも多いだろう。
実際世の中には、家に居場所がないから会社に毎日出たいむしろ帰りたくないという人間がいる。そしてそれは非常に邪魔で迷惑だ。
しかし家庭という問題を会社の評価と結びつけらえない場合、数値的には非常に優秀な人材に見えてしまう。
そんなことは想像がつかなかったのだろう。実際これは人事として非常に困難な対応を迫られる問題だ。
最終的には、きみの渾身のパフォーマンスに対して観客は困り顔で笑っている様子になる。
表面的にみればきみは満足な公演結果だろう。しかしそれはきみの想像している結果の方向性と合致してはいない。
満足な結果に成功を確信しつつ前進していけば、その間違った方向でいつか「どこで間違っていたのだろう」と振り返ることになる。
その時のためにここに記しておこう。
ここもきみの分岐を間違えた一つだったと。
母親と赤プリ通りを歩いて、赤坂にある某ラーメンチェーンに向かった。
このビルには一流企業や超高級ホテル、高級賃貸住宅が入る予定らしい。
一流企業というのは美人が多いわけで、一流企業がここへ来るとなると、この通りに美人がたくさん歩くことになるだろう。
超高級ホテルや高級賃貸が入るとなると、自分よりも金持ちなやつらがたくさんくるだろう。
金持ちや美人を見るのは苦しい。この通りを顔を上げて歩けるのも僅かだ。
母親と某ラーメンチェーンに向かったのだが、某ラーメンチェーンは潰れていた。
土曜日の夜だから、空いているのは当たり前だけど、某ラーメンチェーンの時の方が混んでいた。
内装は某ラーメンチェーンとあまり変わっていなかったし、同じようにedyで払えたし、同じプラスチックの水差しだった。
メニューは650円からで某ラーメンチェーンの時に比べて高い。
店員がいうに某ラーメンチェーンの別ブランドだそうだ。某ラーメンチェーンのHPを探してもこのラーメン屋の名前は見つからないから試験的にやっているのかもしれない。
母親は安心していたが、ラーメンは値段の割にうまくなかった。某ラーメンチェーンの麺とスープが好きで母親も自分も来たのに、変に凝った麺でスープは濃かった。
自分は店員が某ラーメンチェーンの別ブランドだということを述べたときから余計なことを考えていた。醜女はどこへ行ったのだろうかと。
赤坂の某ラーメンチェーンにはとてつもない醜女がいたのだ。いつもそこでキッタナイ容姿で声で、働いていた。
背は低く、丸々と太り、顔はそれはもう醜く、髪は自分と同じような陰毛みたいな髪の毛だ。顔はパンパンだった。
声は顔のように潰れた声で、年齢がどのくらいなのかわからないほどの醜さだ。
もしかしたら50かもしれないし、はたまた30かもしれない。
醜女は頭が悪くて人とまともに会話ができない雰囲気であった。大学生らしき男の店員と業務中にコミュニケーションをしようとしても、醜女はうまく物事を伝えられない。業務中に汚い顔で笑みを作り、すごい汚い声で男店員に何か言うときがあるのだが、男はスルーする。醜女の容姿と声の汚さで、ラーメンがまずかった。
別ブランドになって土曜日もいたはずの醜女は消えた。運営側はラーメンの値段を上げたくて、一生懸命この別ブランドを立ち上げているのだろうから、あんな醜女いては困るのだろう。
また醜女に会いたいとか、見たいとか、声を聞きたいなんて気持ちは一切ない。
新しい店はラーメンの味はイマイチだったが、醜女がいなくて居心地は良かったのは確かで、自分は醜いのに醜いものに嫌悪感をいだくのがよくわかった。
あの醜女がいま何をやっているかはわからないけど、ただわかるのは、あの醜女は何をやっても不快だろうから、どこでも良い扱いは受けられないだろう。
[ト・タル][文][形動タリ]
1 虫などがうごめくさま。
「―として御玉杓子 (おたまじゃくし) の如く動いて居たものは」〈漱石・趣味の遺伝〉
2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。
「―たる凡俗の徒輩」〈谷崎・神童〉
【閲覧は自己責任で】
サラリーマンは小遣いが貴重だ。
子供が夏休みに入ると同時に弁当をこさえることをやめてしまう嫁から、その代わりにと500円ばかりの昼食代を援助してもらっている。
学生時代から昼食代を切り詰めては遊興費に回すことは得意だった。
最近では家にある冷凍ご飯を持ち出し、コンビニのレトルト惣菜とインスタント味噌汁や粉末スープで300円前後に抑えるのがマイブームだ。
会社のレンジとポットを使えば、温かいスープと主菜、さらにサラダまで楽しむことができる。
個別の皿に盛られて出てくるだけで3倍はかかると思うと、最近のコンビニはランチ産業までをも脅かしているに違いないとよく知りもしない畑の心配をしていた。
以前からもコーヒーはインスタントで楽しんでいた。缶やペットボトルなんぞは外で飲む以外に買う理由はない。
これらすべてを100円ショップで買ったどんぶりとマグカップで楽しんでいる。
ずぼらな私ではあるが、ここで使い捨てを選んでは元も子もない。
ランニングで考えれば洗剤のほうがはるかに安価なのは考えるまでもないことだ。
コーヒーの水面を揺蕩う湯気は、自分の経済観念を讃えているかのようだった。
そんな私だが、コーヒーと砂糖をすくい取るスプーンを入れるカップだけは使い捨てを使っていた。
濡れたスプーンはカビの原因になる。
そのためにすくい取る専用の乾いたスプーンを用意しておいたのだ。
そのスプーンを瓶に刺しておくのも棚に直接おいておくのも憚られたため、汚れたら捨てれば良いとプラスチックのカップを用意したのだ。
もともとがずぼらな私だけに、我ながらいいアイデアであると感心していた。
コーヒーやスープなどが置かれた棚に並ぶように、一枚のタオルを半分に折りたたんで敷いた上にそれら食器一式は置かれている。
洗ったのちの乾燥もそこで行っていた。
四六時中パソコンのモニターとにらめっこしては、そこに現れる問題点を潰していく仕事だ。
正義感も罪悪感もなく、ただただ単調に害虫を発見しては潰していくのだ。
そんなちまちました作業には、自律神経を緊張から開放させてくれる温かいコーヒーが不可欠だった。
さて、午前のノルマを終え優れた経済観念を楽しもうといつものように逆さに向けられたどんぶりを手にした時だった。
何の気なしに、安物と言えども丈夫な作りをしてくれているなぁとどんぶりを覗きこんで見たのだ。
そこで私は、クリーム色の陶器に反射する蛍光灯の光を遮る何かを見つけてしまった。
目を凝らして見ないとわからないほど小さな、それも一つではなく、数個の、どんぶりの色によく似た白い個体が、陶器に足を滑らすでもなく、自由自在に動きまわっていた。
蟲だ。
急いで流しに駆け寄ると勢い良く水で洗い流し、半ばパニック状態になりながらも洗剤も使って念入りに洗い直した。
動くたび鳥肌が衣服に触れ、まるで小さな蟲が体中を蠢くようなかゆみに耐えながらふと疑問が頭をよぎった。
「いつからか?」
普段ならどんぶりの中など気にもせず、レトルト食材を袋からどんぶりに移してレンジにかけていた。
ラップに包まれていた温め終えたご飯をどんぶりに加え、さらにサラダまで盛りつけて食べていたのだ。
加熱処理をしているから問題ないという言葉が一瞬浮かんでは見たが、それがなんの慰めにもならないことに気づいてかえって苛立ちは増して行った。
そんなことを考えながら食器の置かれていた場所に戻ると、コーヒースプーンの入ったプラスチックカップが目に飛び込んできた。
そこには、カップの底にわずかながらの、しかし暫くの間放置されたであろうコーヒー豆と砂糖のカスを見ることができた。
やつらはどこからかこの匂いを嗅ぎつけ、時間をかけてここに仲間を呼び寄せたのだ。
コーヒーはかれこれ半年ほどこうして飲んでいる。食器を買い込んで惣菜で弁当を食べ始めたのはここ1ヶ月くらいの話だ。
よもや期せずして昆虫からのタンパク源摂取の臨床実験を成功させていたとはなんという皮肉。
ねえねえ、ちょっと聞いて?
知ってる? アイスのやつ
あ、待って、チョコかもしんない
ってゆーか、ここんとこずっと暑いでしょ、
アイス食べたくなるでしょ、
で、pino 買ったの
ローソンで買ったの
うちから歩いて10分くらいかな
暑くて暑くてまぢかんべんなんだけど、
歩いて10分
でね、ようやく帰ってきたところ。
なんかね、やな予感はあったのかもしんない
外側のフィルムを剥いて、
紙の箱を切り取り線に沿って開けてみて。
台形気味の円柱のチョコが6個、縦2×横3で並んでるの
でね、
あちゃー、溶けちゃったかー、
ってなるじゃない
溶けてないの
もうね、暑かったの
だからね、思い切って、中に入ってたプラスチックの楊枝でぷすっと、
チョコを刺してみたんだけど、
案外、ちゃんと刺さったの、溶けてるって感じじゃなかったの
で、
ひょいっと口に入れたわけ
口の中で、pino が弾けたね
人類補完計画でヒトの形を保てなくなるとパァンっと弾けてLCL になっちゃうけど、あんな感じ
口に入れるまでは保っていた形が、口に入れた途端にパッと弾けて、
口の中全体にじゅわわわわーっと広がっていく感じ
あぁ、これが、溶け合う心が私を壊す、って感覚なのねー、と
人類の補完を擬似的に体験できちゃった
至福のひととき。
そうそう、気をつけなくちゃいけないのは
溶け具合がけっこうシビアみたいなんで、
溶けすぎちゃうと口へ運ぶ前にチョコの底が抜けて中身がどろーっとこぼれちゃうの
なかなか思い通りにはいかないのかも
最近革のロールペンケース買ったですよ、ほぼ持ち歩かないけど。
で、さすがに中に入ってるのが透明プラスチックのボールペンとかだとサマにならないので
万年筆とまでは行かなくても1000円以上のシックな見た目の筆記具でそろえてみたんです、
ハイテックCコレトも高い軸にしたりね。
でもどうしようもないのが一つ、蛍光ペン。
蛍光ペンだけはどのメーカーも80~150円ぐらいのチープなものしかなく、
ペン先が透明とか、しなるとか、機能性はともかく見た目にほぼ選択肢がない。
ボールペンでは同じ中身でもいろんな価格帯のボディを用意してるのに、なんで蛍光ペンは
過去に高級軸出しても売れたためしがないのかね。
あのUIは何なんだろう。
タッチパネルを搭載したから無理やりタッチ操作を組み込みましたというだけの何の意味もない操作の数々。
プラスチックみたいに安っぽいちゃちな配色。
悲しくなるくらいに酷い。
収益の要であるはずのストアでさえ、一覧性も検索性も皆無のクソデザインだ。
ダサすぎる上に使いづらすぎる。
涙が出てくる。
デザイン素人の新卒が思いつきで作ったみたいな代物が出てくるのだろう。
しかもそれが、5年ものあいだずっと、何の修正もなく運用されているのだ。
本当に信じられない。
このゴミクズのことを改良の余地もないほど素晴らしいプロダクトだと思っているのだろうか。
はてぶでたまに上がってくるけどさあ、ジェムリンガってすげえな。官能小説かよって思うよな。
普通の日常生活ですぐそばを歩いてる人がタンポン以外のものをまんこにぶっさしてるとかふつう思わないよな。
張り型突っ込んで日常生活するとかもうそれは調教ものじゃん。官能小説かエロ漫画かはたまた抜きゲーか。
そのうえおもちゃをまんこに突っ込んでるっていうのにコンドームかぶせてないんですって。絵面重視のAVやらエロ漫画じゃないんだからそこはちゃんとかぶっとこうよ。ちゃんと。
しかもさ、つるっとしたシリコーンゴムやプラスチックならともかくさ、ちょっととげとげごつごつしたのを凧糸みたいなひもでつないであるとか。痛くないのかよ。
ごつごつしてるってあれかやっぱマゾ調教奴隷はつるっとしてると満足できないのか。それって俺みたいな童貞が妄想するファンタジーの中だけじゃないんですか。教祖様の命令だから入れてなきゃいけないのか。よいご趣味で。いやよくない。
それにさあ、ひもって。清潔感どこいったの清潔感。やっぱコンドーム使おうよ危ないよ。雑菌繁殖しないんすか。俺だってオナホールに精液ぶちまけた後ちゃんと石鹸で洗い流してるよ。かび怖いもん。まんこひっくり返して洗うわけいかないでしょ。危ないことやめようよ。
同じ危ないことならジェムリンガ教の教祖様のちんこ生で入れっぱなしにしてるほうがまだしも安全だとおもうよ。変なもの入れるのやめようよ。
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-383.html
という記事で、内海さんの主張していることをまとめてみました。
内海さんは「障害者の親は一生反省してもらってけっこう」と主張する根拠として5つの要素を挙げています。
で言われていることは
長くなるため理由は省くが、そもそも自閉症や発達障害や知的障害など存在しない。
患者を何千人と見ていれば、誰でも気付くことができる。
一部の良心的な精神科医でさえこれは認めている。
ということです。
で言われていることは
自閉症や発達障害や知的障害の原因の最たるものはワクチンである。
その証拠に、ワクチンを使わない民族であるアーミッシュの自閉症発症率は低い。
これは何者かの意思によって行われていることである。
ということです。
で言われていることは
フランスの高名な産婦人科のミシェル・オダンによれば、妊婦の生活によって溜まった「毒」の多くは胎児に流れる。
毒が流れた胎児は子宮内で体を作り変えねばならない(そのせいでいわゆる"障害児"が生まれる)。
現代の妊婦に羊水がプラスチック臭いのがいたり、妊娠が最強のデトックスと言われる理由はこれである。
ということです。
で言われていることは
先住民や100年前の日本を見ると、障害児はほとんどいない。
それは、妊娠する女性に栄養価の高い食品を与えるためである。
今の日本人は妊娠している時期に栄養状態をよくしようとしていないせいで、障害児を生んでいる。
だから、そもそも障害は遺伝ではない。
ということです。
で言われていることは
「なぜ昔はいわゆる障害児がいなかったのに、今はたくさんいるのか」を証明することは難しい。
解明するには科学だけでなく歴史的な視点が必要になるが、医学者や科学者にはその発想がない。
彼らがダウン症が生まれる原因を高齢出産だと思っているのは、着目しているところが違うからだ。
ということです。
最後のまとめでは
以上のことを直視できない者しか今の日本には残されていない。
地球と日本を汚してきた親たちは被害者ではなく、子供に障害を残す加害者である。
本当に反省している親は障害を認めたり正当化したりはしない。
それらは業界がふりまいた嘘であり、反省しているならその嘘を見抜くべきだからである。
と書かれています。
文章のてにをはが所々怪しいので意図を掴むのが難しいのですが、だいたいこんなところだと思います。
まず、内海さんは「この世に自閉症その他など存在するわけありません。」と書いているのですが、あとのほうで「アーミッシュの自閉症発症率は日本の300分の1。」と書いています。あるのかないのか?
単にその症状としての呼称と、理念としての呼称の2種があるようです。
つまり、一般に自閉症etc..と呼ばれる症状自体は認めているものの、それを生みだす因果関係における定説、たとえば遺伝説など……は否定しているのです。
そして、その症状を生む本当の原因は、悪しき生活態度にあるのだ、と言いたいようです。
その証拠に挙げられるのが、「アーミッシュ」や「100年前の日本人」のような人々には障害児はほとんど居なかった、ということです。
だから、障害児の親は悪しき文明の利に溺れて子供に「毒」を送り込んだ「加害者」であり、そのことは反省するべきだと、そう言いたいようです。
うまい飯その1
「お、うまい、もぐもぐ、もぐもぐ、あ、もうお腹いっぱいです。もういいです。」
うまい飯その2
「お、うまい、なにこれ、うまい、うまい、うわぁ、うまぃぃぃ、ぴぎぃぃぃぃぃ、もっともっとぉぉぉぉ、もっとちょうだぁぁぁい、ぴぎぃぃぃぃぃ。」
うまい飯その1は昔ながらの日本の郷土料理、世界各国の郷土料理、欧米のエリートビジネスマンの日常の料理です。
うまい飯その2はアングロサクソンの開発した人間豚用の中毒性麻薬です。
主成分は主に油です。食料の形をしたプラスチックといわれるトランス脂肪酸がたくさん含まれてます。
食べれば食べるほどおなかがすきます。人間から豚に形態変化しても食べ続けます。
心臓病等様々な病気を引き起こし、タバコ、酒、に劣らず危険ですがあまり危険性は知られていません。
欧米には米、稲、ご飯を分ける単語はありません。文化的に必要なかったためrice一文字ですませてきたのでしょう。
我々もうまいと言う言葉をひとつの単語ですませてきました。文化的に必要なかったからです。
しかしこれからは違います。我々は前者のうまいと後者のうまいを分ける必要があります。
さあ、ブクマーの皆さん。うまいとうまいを分ける新しい言葉を考えてください。
マスダーのみんなは今回はタバコでも吸って待っていてください。
私の前を歩く女子高生と目が合った。
同じ方向に向かって歩いているのに、前を行く人と目が合うとは何事か。出会え、出会え、ヒットラーをひっ捕らえよ。少し賢い人であればそう思うだろう。
しかし、私は決して賢いとは言えない頭と連れ添ってうん十年、そんな事など理解できっこない。目が合ったと私が言う限り目が合っているのだ。うん十年とウンディーネは少し似ているかもしれない。
少し気になったが、うん十年と言う表現は、実際何十年経過していれば使って良い表現なのだろうか?十年、二十年程度では「うん」の足下にも及ばないというのはわかる。五十年超えていれば良いかな?あっ、そうすると先程のうん十年は使っちゃダメだな。三十年だ、三十年。
しまった。おおよその年齢がバレてしまった。三十年も生きてきて、さっさと言いたい事も言えないのか。そう、反町に言われた気がした。調べたところ反町氏がpoisonしたのは氏が25歳の時で、結婚したのは28歳の時だそうだ。いやーんどんだけー!今の私より若い時に言いたい事言ってるー(憶測)
ドキドキ動悸、救心、救心。幸いにも私は求心力のあまり無かった上役と同じ名字であったため、その上役が居ない時には部下達が私のデスクに行列を作り、私の印鑑を求めた。承認。承認。誰かに見られて居ないだろうか。この不正なんだか不正じゃないんだかわからない承認ゲーム。
女子高生がつけていたヘアゴムは、お世辞に趣味が良い物とは言えなかった。血管の浮いた目玉を模したプラスチックの飾りが着いていたのだ。この飾りと目が合っただけである。あっこんな話をしていたら、乗車した駅まで戻ってきてしまった。
今度は きちんと やり直し したい
すこし長くなるので、長文にがてな人は無視してくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20150513013343
いろいろ誤解を与えそうなんだよねー、これだと。
俺もちびっと文学かじってたんだけど、たとえば、
太宰が好きだーっつってるピースの又吉にやきもきする程度には。
あれはヤク中で人生ダメにして人を道連れに自殺しただけの人だから。
文学を摂取して毒にかかって心身を崩す人は、文学に向いてないんだよ。
文学を摂取して薬として癒しを感じる人は、おそらく文学に向いている。
だけどそれはね、感動があるからではないのさ。
そしてその特質は、「文章」つまり「文字」での表現であることにのみある。
また絵画やイラストが、非言語的な図形や色から構成されるものであるように。
こんなことは、大言壮語するまでのことじゃない。
教科書をちゃんとそれなりに読んできてれば、わりとわかる。
たぶんはファッションとして芸術を楽しむ人を責めちゃいけない。
それは芸術が人を選ぶんじゃなく、
「俺のほうが芸術を、文学をわかってるんだ!」と自分を慰めてるにすぎない。
太宰の言葉を借りれば、
というものだ。
あえて言葉を重ねるなら、
それは「情けは人のためならず」のような、
一部のファンたちが「どんな扱いでも映してくれるだけありがたい」
どんなに些細でも、芸術が、
鑑賞者にとって一滴でも輝きを残すなら、
そして愚かにも、これは元増田がすでにいっていることだ。
文学は時空を超えて俺たちの心に突き刺さる何かを運んでくる。
これ以外に余計なこと書いてなけりゃ、俺がちんたら書く必要もたぶんなかった。
ただ空しいのは、
という喚きだ。
ちゃんとしろよ。
ちゃんと呪えよ。
ちゃんと呪い殺せよ。
なんだよ、死ねって。
お前の全身全霊の一撃はそんなもんか。
ほんとうに心に傷おわせる自負あんのか。
毒にも薬にもなんねえよ。
(深呼吸)
死は、多く、人を狂わせるような恐怖であるとともに、
一部の人にとっては救いたりえるように、
文学は毒であり、薬たりえる。
それを限定して処方するのは、ですぎたまねだとは思いませんかね。
ふざけんなよまじで分かってねえゴミ共が愚昧な大衆どもめ粛清が必要だぶっころすぞアクシズ降ってこいや
文学や読書のことを教養を身につけるための苦行ぐらいに思ってる、良識派気取りどもが親の仇より憎い。
両親はどっちもピンピンしていて、仇なんていやしないが。
そんなわけねえんだよ。
トランス脂肪酸で食べるプラスチックで保存料で死んだ後も体が腐らなくなるんだよ!
文学は時空を超えて俺たちの心に突き刺さる何かを運んでくる。
科学文明がここまで発達したところで、結局ヒトは何も変わっていやしないんだ。
虫歯と無縁だった関係で歯医者に通う習慣が全然なかったのだけれど、
ガムの噛みすぎか、仕事中にストレスを感じると奥歯を噛みしめるクセのせいか、
原因はいまだ不明だが、4年ほど前のある日「なんか顎が痛いなー」と思ったら顎関節症になっていた。
生活に支障がない程度に口は開くんだけど、ハンバーガー食べる時とかに大きく開けるとバキって鳴るアレだ。
元々拳が口に入るタイプの人間だったので、それが指四本分になっても正直あまり困らなかった。
「なんかバキって言うようになった!」と調子に乗って踊りながら積極的に鳴らしてリズムをとったりして遊んでいたら、
2ヵ月ぐらい経過したある日突然、口を開けると痛くて半開きにするのもやっとという状況に急速に悪化した。
その段階でようやく調べて、自分が顎関節症になっていることを把握、半泣きで最寄の口腔外科に駆け込んだ。
ところが、マウスピースを作ってもらって、翌日受け取りに行く頃には、
医者に「あれ?全然開くじゃないですか」とか言われる程度まで症状が軽くなって、
自分より小さい医者の手だと、貫手を親指まで丸呑みにできる程度には開く感じ。
医者が作ってくれた硬質プラスチックの上の歯にはめるタイプの薄いマウスピースは、
つけて寝るように努力したものの、どうしても異物感が強くてつけている間になかなか寝つけないし、
ようやく口に入れたまま眠れてもすぐに外れるので朝になったら行方不明……ということを繰り返しているうちに、
実家の母親が地元で評判の歯医者に作ってもらって歯ぎしり対策に使っていたソフトタイプのマウスピースの存在を知っていたので、
なんとなくマウスピースが薄いのが良くなかったような気がして別の口腔外科を受診することにした。
「顎関節症用にマウスピースを作ってもらったけど薄くてすぐ外れて割れちゃったし付けづらいから、ぶ厚くて外れにくいのを頼む」
と伝えたところ、どう見ても前と同じ素材だけど上の歯の前面にもやや回り込む形状でちょっと外れにくい構造に進化した硬質マウスピースを作られた。
コレジャナイ感を感じて、ソフトな素材はないのか?と聞くと、「顎関節症用はコレだ」というので、専門家がいうならそういうものなのかと思って引き下がった。
さらに、マウスピースを作る前に撮ったレントゲンを見せられて、
「親知らずが真横に向いて4本とも生えてるから、これを何とかした方がいい。」と言われる。
確かに口の奥の方に生えかけのツノみたいなのが何本かある気がしてたけど、これ親知らずだったのか!
しかし、硬質でぶ厚いマウスピースは相変わらずつけたまま寝ろと言われても異物感ばかりで、
数週間経てば慣れると言われたのに全然つけたまま眠れるようにならないし、
たまに眠れても相変わらず起きたときにはどこかに飛んでいっているし、
なんとか眠ろうとして何度か徹夜になったり、あきらめて外してから寝たものの寝坊して仕事に遅刻したりするので使用を中止してしまった。
顎関節症の症状自体はカラオケで全力で歌うことができなくて消化不良になるのと、
サブウェイのサンドイッチを丸かぶりで食べきる頃には顎がバキバキ鳴りすぎて痛むのと、
アクビや笑ったときにたまにバキっと鳴って不快なこと以外は大して困らないし、
なんとなく望んだ治療と違う気がして、二件目の口腔外科も自分の中で信頼度が低くなってしまったので、
同僚から評判のいい歯医者の情報を集めて、割とよさそうな医者を教えてもらって行ってみた。
三件目の医者は街中で、施設も新しくて綺麗だし、医者の説明も今までの医者よりダントツに丁寧だった。
歯石取りというのもやってもらって、歯科衛生士だか歯科助手だかのおねーさんのおっぱいが云々という都市伝説が現実だったのだと知って同僚に感謝を捧げた。
それどころかおっぱいが頭にあんまり当たるというか、いっそ頭に乗る勢いなのでさすがに申し訳なくてモゾモゾ逃げようとすると、
そのことに気付いたおねーさんにちょっと照れながら「ごめんなさい、でも動かないでくださいねー///」とか言われてギュッと押さえつけられる始末。
おっぱいカバーの下側に入ってるワイヤーらしき硬質な感触と、それでは隠しきれない柔らかさと確かな重みを額に感じる。
なんだこれは、保健の効く範囲内でおっぱいを押しつけられた上にそのことを謝罪される空間なんて現実に存在していいのか!?
っていうか虫歯のある奴らは今まで「歯医者めんどくせー」とか言いながらこんなメにあっていたのか!?チクショウなんて奴らだ!
問診で経緯は伝えたものの、相変わらず「全然開きますね……」と医者に苦笑されるくらいには口が開くし、
正式に転院しているわけではないので再度レントゲンを撮ったところ、
「顎関節症も親知らずが原因かもしれないから、マウスピースは一旦置いておいて親知らずを何とかした方がいい。」と言われた。
「じゃあそれで」と返事をして治療プランを具体的に作ろうとしていたら奥から院長が出てきて、
「親知らずが真横すぎてウチの設備では対処できないので、大きな病院を紹介します。」と言われて紹介状を書かれてしまった。
結局この病院には定期的に歯石取りにだけ通うことになったのだけれど、
歯磨きを頑張っていると、おっぱいが的確に褒めてくれるという一点に絞ってもとてもいい病院だったと思う。
その後引っ越して通えなくなってしまったけれど、その間に俺の歯茎は劇的に健康になった。
俺は今もおっぱいの教えを守って歯磨きをしている。
予約を取って大病院に行ってみたところ、
相変わらず顎関節症については「開いてるじゃないですか……」と言われ、親知らずは「見事に真横ですね……」と言われる。
親知らずは、4回通って1本ずつ抜くプラン、2回通って上下または左右で2本ずつ抜くプラン、
1日入院して全身麻酔で一気に4本抜くプランを提示されたが、若干家から遠くて面倒だったので1日入院して一気に抜くことにした。
入院して、手術室に入り、看護師さんにきれいな手ですねー、爪がきれいでうらやましい、とか言われてる間に意識を失って、起きたら親知らずは無事全滅していた。
医者からは「一気に抜くともっと腫れる人が多いのに全然腫れてない、本当にあなたは運がいい。」と心底残念そうに言われ、大病院を後にした。
その後しばらくは抜糸や経過観察のために通ったものの特に問題はなく、
顎関節症についても「ウチで作っても同じタイプのマウスピースになる」
「十分開いてるし、親知らずを抜いたことでバランスが整って治る場合もあるから様子見」と言われてしまい、
一応硬質マウスピースを再度作り直してもらったけれどやっぱりイマイチなじまず、
顎の筋肉をほぐす体操を教えられてその大病院とは縁が切れてしまった。
その後、まあ実際そこまで困っていなかったので顎関節症は放置し、
前述の通り引っ越したりしたのもあって、また歯医者そのものと縁がない暮らしに戻ってしまった。
ところが、最近になって何度か開閉していると顎がすぐ痛くなるようになったり、
平常時でも顎のあたりに感じる違和感が強くなり始めて、やっぱり顎関節症をなんとかしたいと思うようになった。
しかし口腔外科は大病院でも硬質プラスチックのマウスピースだったし、
硬いマウスピースはどーも合わないし……と思うと病院探しも億劫になる。
というかもう「治したい」というより、「ソフトタイプのマウスピースが欲しい!」という気持ちになっていた。
売ってた。ドラッグストアで。
お湯につけて柔らかくなったマウスピースを噛んでから冷やせば形状記憶するというもの。
医者はどうも作ってくれないし、千円ちょっとだし、もうこれでいいや、と思って買うことにした。
説明書通りにして使ってみる。寝床に入って装着。やっぱり異物感があって眠れない。
グギギ。グギギ。マウスピースを噛みしめながら深夜3時まで粘ったものの眠れないので外して寝た。
ミントの味とか染みだしたらいいのになー、などとしょうもないことを考えた。
若干オーバーサイズなマウスピースの端が擦れるダメージにも、おっぱいの教えを守って鍛え抜いた歯茎は出血することなく耐えてくれた。
翌日も、翌々日も、同じことを続けた。
三日目の朝。異変に気付く。
あくびをしても顎が鳴らない。
思わず顎を外す勢いで口を開く。鳴らない。
拳を咥えてみる。鳴らない。
それどころか顎にずっとあった痛みも違和感もない。
ハンバーガーをチマチマかじらずに蛇のごとく縦にかじってみた。痛くない!
ヴァーティカルバーガースタイルを選べる自由を得た喜びに震えた。
足が遠のいていたカラオケに行って思いっきり歌ってみた。痛くない!
久しぶりに新しい歌を覚えたくなった。
結局のところ、どういう理屈で顎関節症が消え去ったのかは自分でもよくわかっていないものの、それ以後も俺の顎は好調そのものだ。
俺のように、治らないものだと半分諦めている顎関節症患者も多いと聞いたので、
こんな感じで治ることもあるんだということを知って欲しかったので書いてみた。
愚痴です。
当方30代前半、既婚子無し。夫の両親と同居中。
中途で入って1年めくらい。社員は私を入れて10人足らずの事務所です。女性は私一人です。
もともと仕事自体がそれほど難しい内容でなく他の社員さんでもできることを社長の意向で電話や入り口の受付は女性がいいというくらいの気持ちで入れたらしいです。
最初の面接のときから見た目や態度について気を使ってほしいようなことは言われたので、自分なりに努力はしています。
ですがスカートの丈についてもっと短くと言われたり、メガネはプラスチック製フレームは禁止と言われたあたりからちょっと?と思うようになりました。
社長が言うには「社会人としての服装のマナー」がそのスカート丈やメガネフレームの素材なんだそうです。
最近ややエスカレート気味になってきて、飲み会(回数がかなり多い)に強制参加になったり、その場合にはかならず社長の隣に座るように指示を受けるようになりました。
私は既婚だし舅が食事の用意にうるさいのでできたら早く帰りたいのですが、病気などでもないなら会社行事を優先しろと言われて仕方なく従っています。
他にも私が普段使用している電話をわざわざ社長が兼用にしたり(使ったあと加齢臭が残って不快)、事務所に一つしかないトイレに私の後にわざわざ入っていったりということをされてかなり精神的につらいと感じることもあります。
ただ仕事内容はたぶん他の会社の事務職さんよりかなり楽ですし、残業もほとんどなく飲み会のない日は定時上がりが普通です。
先日かなり社長や他の中年男性からの行為をつらく思い姑に相談をしたところ、「条件がいいんだしそれも給料のうちと割り切れば?」と言われました。
確かにこちらが不快と感じることは多いですが、世間一般のひどいセクハラのように胸や尻を触られたりホテルに誘われたりという直接的なものはありません。
ですが給料のうちと割り切るのもなんだか腑に落ちない気分です。
夫は自営業なのでやや収入が不安定なところもあるので仕事はすぐにやめたりということは難しいのですが、今後やはり我慢をしていかなければいけないのかと思うとかなり気が滅入ります。