はてなキーワード: パートとは
2,3年に一度の愉悦
ギターが印象的
退廃的でもリズム隊が躍動しているのが良い
2.Fifty's map
melody+i'm lovin
Cメロのガレージバンド感は新しい この路線を突き詰めたミスチルが見たい
3.青いリンゴ
サビはギターが弱いので、音源だと迫力不足の意見もわかるが、このサウンドのスカスカ感を許せるようになったのは大きな一歩
4.Are you sleeping
音源の方が映える曲
5.LOST
クラップをうまく曲調に合わせた
Bメロが良い
サビはベースがいい味を出すが、Cメロではいったん消える。この緊張と緩和が良い。
6.アート
数年後にはブラッシュアップして韻を踏みまくっているのかもしれない
挑戦することが大事
7.雨の日のパレード
アートとの対比でこの曲が活きている
これでいい
ライブでの常套句、リフレクのデモ音源を聴いて、常々弾き語り曲をリリースしてほしいと願っていた。
この路線本当に今後も見たい
天頂バス+跳べ
I♥Uに入っても違和感がない
コード進行がこのアルバムでは珍しくシンプルなのでサウンドのいい意味での荒ぶりが際立つ
「トカオモッチャァ~ウ」「ワキオコッチャァ~ウ」のコーラスとか新しすぎ
個人的にこの曲も弾き語りで聴きたかったが、party is overが弾き語りだったので2曲はいらないかな
ただストリングスは完全なるオーバープロデュースで、このアルバムで珍しくアレンジの意図が理解できない
ただアルバムの流れで聴くと、このデカいストリングスも悪くない気がしてくる
歌詞のLINEをメールに変えればHOMEに入ってても違和感がない
さりげなく入る田原ワウギターが実家感(いつものミスチル感)を生むスパイス
いつものミスチルサウンドと思わせておいてサビ終わりもう一つアクセントを作るコード進行で意表を突く。「優しい驚き」パート2
12.deja-vu
構成はシンプルにAメロ→Aメロ→Bメロ→サビ→Bメロ→大サビなのに、サビ終わりのBメロに音を肉付けすることによって大サビに昇華させ、本来の大サビがアウトロ的な役割を果たしている
はっとした。これは「優しい驚き」
13.おはよう
歌詞の世界観がかなり現実的なのは心象風景描写に長けたミスチルでは珍しい
こんな優しい曲でも間奏でアコギソロを見せてくる。こんなミスチルは見たことがない
優しいのに乾いたアコギの演奏も珍しい。これまでだと秋がくれた切符のように高音ストリングスをこってり入れていただろう
総じて
予想外だったのは4人の音がかなりフィーチャーされていた点。
特にギターとドラムのダイナミックなマスタリングはヘッドホンで聴くと心地いい。
一方弾き語りやラップは初挑戦だが、こちらは今後突き詰めていった音を聴きたい
いわゆる売れ線を聴きたい人には全く刺さらない
2023/10/04 追記: この日記は週刊少年ジャンプにて連載中の「アスミカケル」の感想文になりますが、以下のような特徴がありますので先に注意点をば。
【注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。
岸田がウンコなのは増税もだが、130万の壁を緩和するぜ!とか検討段階のクセに盛大にオモラシしやがったこと。
あのな、やるならもっと先に発表しとけ?
詳細未だに出てね~じゃねえかよッ!役所に聞いても知らん言うし(決定事項じゃないので当然)、パートは壁崩壊確定と思い込んでるしさあ…
会社の同期同士の親睦会だの合コンの人数が足りないなどの理由で集まりに呼びつけては
呼んだ友達は悪くない!悪いのはその女だけだ!ってホモソも凄い。女性の場合はレズソーシャルでも言うの?知らんけど。
女性ってすぐ自分達の非を棚上げして女性差別だーって被害者面するよね。
ミソ男やキモオタに絡まれてある事無い事叩かれたとか言ってるけどそいつの言うことも案外当たってたんじゃね?
なんて嫌味の一つでも吐きたくなる。
普段は警戒心全開で塩対応どころか攻撃的な態度まで取るのもいる癖に
こっちが相応の態度でちょっとでも接した途端すぐに騒いで被害者面してこちらが悪い加害者にしようとするクソみたいな女多すぎ…
まあ男が酒の席で酒苦手だからって烏龍茶飲んでるだけで馬鹿にしてくる様な昭和セクハラ脳の女が未だに多い時点でお察し。
それでちょっとでも不快な顔したら後でヒソヒソ悪口して評判下げようとしてくる始末。
酒飲めないとか強くないとか、男だから女だからとか関係ないだろ。男ならアルコール中毒になって死んでも飲めとでも言うのかよ。
アファーマティブ・アクションや男女共同参画社会とか言いつつ実際は女性優遇社会政策や女性支援法みたいな
女に都合いい男女平等だけどんどん進んで、家計負担や家事・育児みたいな男の負担はそのままなクソみたいな女尊男卑大国。
そりゃ結婚願望持たない男増えるよね。
男だけ家庭と仕事の両立しろ!出来ない奴は女性差別ミソジニー!とか言われるけどな
何で男ってだけで家庭の家計支えて家事も育児も女並にやらないといけないんだってキレる有名人はいないのね。
家を支える気も無い癖に共働きとか言って低収入労働に甘んじたりパートで育児要件をしっかり握って
40歳独身資産8000万円でFIRE生活してる俺が既婚に抱いてる気持ちがついにわかった。
塾帰りの中学生が帰り道でたむろしてるヤンキー見て楽しそうで羨ましいがかといってああはなりたくねえなぁという気持ち。
35年ローン組んだり子供の学費に頭悩ませたりパート妻を養ったりで定年迎えても死ぬまで労働し続ける地獄には足を踏み入れたくないなと。
○ご飯
朝:なし。昼:ナポ。コーンスープ。夜:ピザ。間食:あめ。アイス。
○調子
○ ワールズエンドクラブ
・はじめに
全国の小学生の中から落ちこぼれだけが集められたガンバレ組に所属する11人の男女が、生死がかかった奇妙なゲームに巻き込まれることから始まる、トーキョーゲームスが開発した青春アクションアドベンチャーゲーム。
打越鋼太郎、小高和剛、中澤工と言った僕が度々高評価を付けている作品のスタッフが関わっており、期待度は高めで遊んだが、僕は楽しめた。
実は発売当初に悪いインターネットで無遠慮かつ粗雑なネタバレを読んでしまい、それが記憶から消えるまで熟成していたので遊ぶのが随分遅れてしまった。(ちゃんと忘れれた)
テキストを読むパート以外にも2Dアクションのパートもあるが、そちらはあっさり目で難易度もイージーを選べば難しくはない。
所謂初見殺しの要素が多いためゲームオーバーにならないわけではないが、覚えてリトライすればチェックポイントの間隔も短いので苦戦することはあまりなかった。
落ちこぼれのガンバレ組が天下無敵になっていく過程の演出としては悪くはなかった。
・登場人物たちの仲良しシーンが良き
開幕の状況からは考えられないぐらい、登場人物達の仲良しなシーンがたくさん楽しめる。
途中参加のキャラも含めて12人の色々な組み合わせでエピソードがある。
視点人物は概ね無口な男の子れんちょが務めるものの、要所要所では視点人物が切り替わる群像劇スタイル。
まだ小学生ながら恋愛っぽいエピソードも幾つかあるのもいいアクセントだった。
三角関係もあるもののギスギスせず、明るい雰囲気で最後まで楽しめる。
喧嘩したりもするけれどパッと笑えばまた友達に戻る良い意味で引きづらない良い子ばかりなのがイイね。
協調性に欠けるキャラもいるにはいるものの、各々の事情を解決していくに連れてどんどん仲が深まっていくのも王道の面白さ。
何を信じて何を疑えば良いのか難しい展開も多い中、このガンバレ組12人がずっと一緒であることだけは疑う余地のない大前提として物語が進むのが心地よかった。
個人的には天才プログラマで少し幼く明るいバニラと、途中参加の記憶喪失不思議娘の雪の組み合わせが好きだった。
お互いどこか白っぽいという謎な共通点で意気投合し二人だけのニックネームを付け合うのが良かった。
・サプライズ重視の展開
ゲームでの表現を利用した演出や、メタフィクションのような展開に、信頼できない語り手など、小学生達の仲良しエピソードが主ながら、各ライターの過去作品に負けなぐらいサプライズ展開が待っている。
設定が開示されていくにつれ、ガンバレ組の根底を揺るがすような展開もあるものの、この世界が終わってもガンバレ組は一緒だと思えるからこそ、その先の奮起が早く読みたくなった。
絶望感が無いのは良い意味で過去作との違いがハッキリして僕は好きだった。
この辺はシリアス度が足りないと否定的な人もいるのも納得いくので、この辺のバランス感は難しそう。
登場人物が小学生なんだから小学生レベルの下ネタで盛り上がることは理にかなっているだろ? と言われるとグウの音がでないが、いつものやつを今回も楽しめる。
「ちんこ」と言うだけで人が笑顔になれると信じきっているライターの信念が伝わってくる。
・歌の力はすごい
今作の名シーンはどこでも「ガンバレ組のテーマ」が流れている。
おちゃらけた歌詞だがメロディとシチュエーションが合間って泣かせにくる。
クライマックスでの使い方も最高に決まっていて大好きな楽曲だ。
・さいごに
明るい仲間たちの友情のエピソードに、びっくりする驚きの展開、そして泣ける楽曲。
製作陣の過去作と比較するとテイストはかなり異なるものの、面白いゲームだった。
ただボリュームの薄さと、アクションゲームパートのとってつけた感は否めない。
特にボリュームの薄さはアクションゲームパートの水増し感も相まってかなり感じた。
ただ、良いところがいっぱいある好きな作品だ。
ガンバレ組は不滅だぜ!
レイトショーが多いからか、昼間やってるとこは朝残席わずかだったが付いたら満席になってた
仕方なく夕方からのとこに行ったが、そこも残席わずか。需要はあるんだよな
予約後に女学生集団が来て、席足りるか不安だったけど、後から見たらまだ残席わずかのままだったから間に合ったか?
しかし、シネコン階のレストランって高いわ並んでるわなんなんやろな
結局なんも食えず映画館へ
あと、すずめグッズ再販はなし
わかってたが、ファミリーや学生集団が多くシングルの爺さんには辛ひ。ほぼ満席やし…
で、デカ画面で前の席だからか、線が太く感じる。エンコードミスった感じ。実際は前の方すぎるだけだろうけど。
今回は遊園地戦でも(当然面白いんだけど)エンジンかからず、常世でピークが来た。
記憶共有おさらいパートもいいけど、被災地の記憶を鎮めるいってきますがクライマックスやね
相変わらず面白いが、やはり33回も観ると飽きが来てしまうか。
別件ですがシン・仮面ライダー乱舞、
ボイスやらBGMが中途半端だったり、味がしないといいつつピザやニンニク食うのはどうなんだ…?と思ってたが、いやこれ面白いよ!クモ先輩強すぎてまだ勝ててないけど、それ含め楽しい。
六万稼ぐってどんだけ大変かわかってんの?
前に一度だけ働け働けうるさい親が知り合いのつてで近所のスーパーのバイト見つけてきて「自分で稼いだ分でタバコと酒買えば誰も文句言わないから気分いいぞ」とか言うから働いたわけ
腰は痛い、客はうざい、おばさんパートは怖い、学生バイトからは冷たい目で見られる、荷物は重い
56,000円
ふるさと納税ってそんなに悪政か?
自治体の労働力を無駄遣いしてると言われるけど、そもそも地方税の収支バランスを取ることはもとから無駄な労力だったわけじゃん。
今はそれを弱肉強食かすることで死んだ地方の自己責任論のもと強者目線では効率化されていってると思う。
中央に手間だけ押し付けて自分たちはピーピー悲鳴を上げているだけで済まそうとする受け身体質の自治体の多くが自立心に目覚めてる。
そもそも地方創生の本質は地方に「自分たちが頑張ることしか道はない」という自立心を促すことであり、へその緒から全栄養を貰えばいいという甘えさえ産んでいた今までの地方財政制度はそれを阻害してたんだよね。
それはまるでパート賃金の見えない上限のごとく「下手に頑張るだけ損じゃね?」という閉塞感を産んでいた。
でも今は頑張れば頑張るだけ結果が出る理想的な競争社会が地方財政に開かれている。
一見強みのない自治体であっても様々な創意工夫に寄ってふるさと納税で優位に立つことが可能。
「弱いままでもいいんだよ」という態度は一見優しい用に見えて実際は相手をいつまでも弱者として縛り付ける見限りでしかなかった。
強くなることを義務付ける野生の価値観に戻ったことで地方は再び活力を取り戻していってる。
そういう見方は出来ないのかね?
発達障害の人は非凡な才能があり、それをいかして仕事をしているというキラキラしたストーリーを見かける。
私はまったくそういうのがない、何も取り柄がない普通の発達障害。そして、障害の程度が中途半端すぎて障害年金も障害者雇用も福祉サービスも引っかからないので、普通の人より出来ない健常者として生きていかないといけない。そんな中途半端な障害者の紹介がないので、人生のロールモデルがいなくてこの先どうしていけばいいのか悩んでいる。50年近く生きていき、理解ある彼君は一度もいたことがないため、お一人様の老後を過ごすことは決まっている。
私が間違えたのは、診断を受けたことと、それに起因して自分が出来ない人と思いこんでしまったことではないかと思っている。
大学時代に違和感があって発達障害の診断を受け、知り合いのつてで就職した。事務アシスタントと清掃の仕事だが、簡単な仕事だけを行っていた。ここは障害をオープンにして就職したので、一応の障害の配慮はあった。
しかし、配慮しすぎたのか、簡単な仕事をずっと続けることになった。変化がよくないということで新しい仕事であったり、スキルの獲得ということがなかった。なので、15年間同じ職場にいたのだが、スキルの獲得もなく、キャリアアップとは程遠く、昇給も賞与も手当も一切ない状態だった。
給与は上がらないのか?という相談をしたことがあったが、「時給換算をするとパートの時給を上回るのでこれ以上は上がらない」というよく分からない回答をされて、それ以上何も言えなかった。というか、私はもしかしてパート職員だったのか?という疑問が今でも残る。
経済状態がギリギリすぎて、二次障害の鬱が悪化した(後にこの鬱は双極性障害の鬱であったことが分かったのだが、15年の勤務のうちに鬱だと思っていた二次障害は双極性障害になっていた)。経済的安定を図るために手帳を取得して、障害者控除と障害年金を取ることを主治医から提案された。
手帳を取得し、年金を申請したが年金は落ちた。たぶん、不登校であったり、休職をした期間がないからではないだろうかと予測される。年金申請時の私の状態は、仕事は辛うじて行っていたのだが、自宅では寝たきりで生活はほぼ出来てなかった。食事や身辺の清潔さを保つことができず、帰ってきて布団の中に入ってそのまま動けなくなっていた。
当時、私が住んでいた県は精神障害の人への年金支給がとても厳しい所だった。それもあるかもしれない。
手帳を取得したことにより、障害者控除を受けることで住民税の非課税世帯になった。非課税世帯になっても私の手取りは12万円程度だったので、一週間で使えるお金は4000円程度しかなく、この経済問題が私の鬱の悪化を加速していたように思う。この時の私は貧困妄想が過度に酷く、いかに迷惑をかけずき死ねるのをずっと考えていた。アパートの廊下は壁際しか歩けず(気をつけないと無意識に外側へ踏み出しそうになる衝動を抑えていた)、ベランダ側の窓は閉め切っていた。
ここまでしても15年も同じ所にいたのは、自分はここ以外では働けない、ほかの職場は障害に理解してもらえず、さらに精神的に悪くなると思い込んでいたのと、職場の人に思いこまされていたということがある。
友人が転職をしたことで、転職の仕方が分かった。転職サービスに登録したが、全てに断られた。何もスキルがなく、無駄に15年を過ごしていたので当たり前だと思う。障害者用の転職サービスにも登録したが、ここもすべてお断りをされた。中途障害の人を求めているのではないかと気がついて、絶望したことをおぼえている。
転職活動を2年以上して、在庫管理の仕事へ転職する事ができた。障害はクローズドで健常者のふりをして転職をした。初めて、手取りが20万以上になって、あんなに酷かった鬱が和らいで安定したことに驚いた。
結局この仕事は2年ほど働いて、さらに健常者として転職した。今度は清掃がメインとなる仕事であるが、新卒から約18年ほどで初めて定期昇給、退職金、通勤手当、確定拠出年金がある仕事に就くことができた。前職より手取りは少し減ったが、昇給があるという安定感が今の精神的安定に少し役立ってる。
私みたいに中途半端な障害程度な人は健常者の振りして普通のまともな企業に新卒で入って、スキルを獲得するのがよいと思う。それか、診断が在学中にでたら、就労移行支援を受けて、大企業の障害者雇用に潜り込むのが一番よいように思う。
私のようになにも取り柄のない発達障害は本当に中途半端すぎて生きにくい。なので、新卒カードを無駄なく使わないと、私のように無駄に若い時を過ごしてしまうことになる。
なるほど。自分だったら、そこで逆に「庶民一人にいい顔しようとして、成り行きで自滅(自爆、自己封印など」にするかな。
「あーあ、俺、何やってんだかなァ…」みたいな自嘲混じりで死ぬやつ。
死因を追うパートで、「何であの身勝手な最強野郎が自分を犠牲にして……」→「なるほど、あいつらしいな」みたいな流れで、「最強キャラがあっさり死んだ理由付け」「人間味が薄くなりがちなキャラに、人間らしさを付与して好感度を上げる」などの展開に持っていけるから。
燃料費の高騰などもあり、最近は光熱費だけで月30万円もかかってしまうとかで、当店はどうやらコンスタントに赤字であるらしい。コインランドリーのそれ以外の支出といえば人件費で、これは基本的にスタッフ一人につき月2万円。二人雇われているなら4万円だし、三人ならば6万円だ。三人以上雇われることはないので、人件費はかかって月6万円ということになる。
当店は人手不足のため、スタッフは私と癖つよ先輩のみであり、しかも癖つよ先輩はシフトを入れるだけ入れてよくドタキャンをする。
ドタキャンの穴埋めを私が完璧に埋めるということはしないと、本部との話し合いで合意が取れている。
9月は、癖つよ先輩が非常識なレベルで休みまくったので、私の1日の労働時間を3分の1日に分割して出勤日数を増やすことで対応した。つまり、私は1日一時間労働で大体1日おきくらい出勤したのだ。
がんばってやってみた結果作業効率が爆上がったので、最低限大事なお掃除は一時間の間にやりきれるようになったが、接客対応が入るとグダグダになる。
不運にも癖つよ先輩ドタキャンの日々は季節の変わり目とモロ被ってしまい、羽毛布団とコインランドリーへの好奇心をもりもりに抱えたお客様が続々と来店。そういうタイプのお客様への対応は一人一人に10分とか15分とかを費やすので、出勤したけど接客以外ほぼ何も出来なかった日もあれば、本部に残業の許可を取って結局規定時間(3時間)働いた日もあれば、更に残業になった日もあった。
そんなグダグダな二週間が過ぎ、お陰で乾燥機と浄化槽は壊れずに済んだけれど、店内の床には埃がうっすら積もって蜘蛛が隅っこ暮らししている、微妙に不潔なランドリーが出来上がってしまった。そのせいで苦情が来たという情報はこちらには来ていないけれど、もしかすると本部には苦情が来ているが対応出来る余裕が当店にないから黙ってるってだけかもしれないなあと思ったり。
掃除が行き届かないのも気がかりだけれど、金銭管理に回す時間が無いというのも問題だ。
前回の集計業務が癖つよ先輩の担当で、この時にどうやらまた派手に金を盗まれているようなのだが、いくらマイナスになったのか確認する暇がない。私の計算によれば癖つよ先輩に盗られた可能性があるのは3300円で、今までに盗まれた額と比べればだいぶ少ないのだが、それにしては両替機の中の100円玉が少なくて怪しい気がする。
癖つよ先輩はどうやら両替機のお金を盗む時は「売上金」のカテゴリーに入る1000円札には手を着けずに100円玉を盗んでいるようだ。そのせいで、多額のお金が消えるのに売上金の送金は出来るという状態が毎集計日ごとに続いていたらしい。
100円玉を盗むって、重いし手前なんじゃないのかと思ったけど棒金にしてしまえば重さはともかく嵩張らない。それに気づいたのはコンビニで労働中に事務所にストックしてある棒金をふと見た時。ランドリーのバックヤードには100均によく売っている50枚入る小銭ケースが大量にあるのだが、その多くが癖つよ先輩の私物。思えば、集計業務で売上の100円玉を数えるのにそんなに小銭ケースが必要な訳はない。1万円でも棒金2本。小銭ケース2個ぶんでしかないし、バッグに忍ばせて持ち帰る事は可能だろう。
去年、癖つよ先輩が当店に勤め始めてから集計日の度にお金が合わなくなって、横領の疑いが出たので本部がスタッフに指示したのが、毎日の売上金と日計データを写真に撮りグループLINEに投稿するということだった。
だが、それは両替機の中にあるお金のうち売上金しか把握出来ない。両替機内のお金の売上金を除いたものの殆んどは両替用の100円玉としてストックされているはずだ。100円玉は金額にして15万~20万ほどになるはずなのだが、私が知るかぎりでは7万円ぶんも入っていないというのが常態化している。
この増田にASDだけが発達障害だと思うなよ的トラバがちょいちょいあるのに具体例が上がってないからでしゃばってADHD(注意欠陥優勢)語りするね。
まず最大の違いとして、ADHDの発達障害当事者は黙示のルールをだいたいは察知できる。ADHDはとにかく情報が大好きで情報でパズルすることがもっと大好きなので、”明示のルールの上では違反だけど、情報を繋ぎ合わせて考えると違反してもしょうがないところがある“黙示ならいくらでも飲む。パチンコがどうして三店方式を採用してるのか分かるし、学校にスマホを持ってきている友達を見ても「お母さんが車で送り迎えしてるから」みたいな事情を把握できれば放っておく。そもそも不良だったとしても怒りを抱けないので放っておく。これはASDとの大きな違い。
ADHDは相手の感情をなんとなく察知したり、頭が良いほうなら定型発達みたいに話すこともできる。そのうえで他人との接触をどうでもいいと思っている関係上ほとんど反発しないので、感情面においては、いわゆる発達障害特有の焦燥は生じにくい。ここでは話が逸れるので扱わないが、基本的にADHDの”つらさ“は身体面に集中している。
ADHDは自分の意志や感情を抱くことがなにより苦手なので、それを逆手にとって穏やかに振る舞うことができる。ADHDは喋るのもとろいのであんまりとげとげしいことは言わない。ADHDはぼんやり生きているので発言はいつも的を外しているし、言いたいことの7割くらいはそれを口に出す前に他のことに興味が移動するから、”“言いにくいことをついスパッと言ってしまって気まずい空気になる”“みたいなイベントはADHDにはめったに起こらない。
とにかくADHDが最も苦手としているのは、周囲に馴染むことではなく、情報に付随する情動やライブ感みたいなものを持続させること。ADHDはマホちゃんのスカートを見て「似合ってない」「ダサい」みたいなことを思えない。ああ、知らない形のスカートだ。初めて見たな。それだけ。
定型発達やほかの発達傾向のみんなが生のまま摂取できる情報を、ADHDはそのまま手に入れることができない。ADHDが知覚したものはすべて脳みそを通って漂白され、俯瞰的な情報としてだけ記憶に残る。なのでADHDは自我が希薄で、強い感情を抱くのがあんまり得意ではなく、いつもヘラヘラして見える。
ゆえに”黙示のルールの察知“こそできるものの、ASD増田と同じように「浮いた見た目の奴は笑いものにして馬鹿にしていい」ルールには従えない。ADHDには人を嘲る方法が分からないし、それを娯楽とできないので従うメリットがない。なのでこの辺は表面上同じ感じになる。
これによって軋轢が生じにくいのは、ADHDがあまりにもぼんやりしているせいで、こういうときに意固地になるような真面目ちゃんではなく、打っても響かないうすのろとして認識されるからである。
大元の増田の一番の違和感はここだった。とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃうのは”発達“の悪癖ではなく、とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃう定型発達の未熟さである。ADHDは他者に干渉しないので、萎びた観葉植物くらいどうでもいい穏やかでのっそり動く謎の生き物でしかない。
まともな人生を送りたい場合は障壁になることもあるが、素の性格に関わらず偏屈者ではなくまぬけとして認識されやすいのはADHDの大きな強みでもあるので、とにかくここが気になった。
ADHDはマホちゃんにあのスカートが似合わないことにも、周りのみんなが「いっしょになって嗤え」と要請していることにも気づかないが、情報の追加には敏感なので他の子がまずしないような服装であることには気づく。
ADHDは頭の中でとりとめもない情報同士を接続させることに人生のほとんどを費やしているので、”誰も履いていないようなフリフリのスカート“はファッションアイテムではなく”はじめて見る物体“であり、他の情報と接続されるのを待っている新しい情報である。すてきな新しい情報。マホちゃんに似合うかどうかは分からないしどうでもいい。そんなことより既知の情報とスカートを繋げるべく「プリキュアがあんなスカートを履いていたな」とか「ああいう鳥がいた気がするな。なんて鳥だったかな?図書室で図鑑が見たいな」みたいなことを考えはじめ、ADHDの知覚範囲からマホちゃんはいなくなる。
なのでマホちゃんに声もかけないし、マホちゃんがお友達にべったりな性質の子でない限り、高校生になる頃にはマホちゃんとは疎遠になる。
ADHDは来るもの拒まず去るもの追わずなので環境によっては知り合いを多く得られるが、人間関係を維持できないので竹馬の友はいない。
ADHDは人の話を最後までうんうんと聞き、口答えせず、ゆっくりと動き、細かいことを気にしないので、中高年や高齢者の相手をするのが得意である。なのでパートのおばさんから無視されることはあんまりない。
ただ、ADHDの動作は何もかもがとろくさく、仕事中にどうでもいい物事に気を取られるので怒られることは多いかもしれない。
ADHDは美術部には入ると思う。ADHDは自分以外の人間たちもみな、たくさんの情報を頭に流し込まれると幸せになると思い込んでいるので、自分の頭の中に入っている情報をいろんな形で出力して見せびらかすのが大好きである。というかそれ以外にまともなコミニュケーションが取れないので、ADHDにとっては、文章をしたためたり絵を描いたりすることは定型発達における世間話や歓談に相当する。
ADHDは先生のことを好きにならない。ADHDにとって全ての人間は情報の塊であり、有用な情報がたくさん詰まっている先生のことは心から慕うだろうが、それは人間への好意ではなく、使いやすい辞書とか見やすいwikiとかに対する信頼と同じ感情である。ADHDは強い感情を安定させることが苦手なので、恋愛感情が発生するまでテンションを上げ続けることができない。
ADHDは具体的でないアポを全て忘れるので、社交辞令で飲み会に誘われたことをそもそも覚えていない。ADHDは人間とのコミュニケーションを情報として知覚できないので、具体的なアポであってもたまに忘れる。
ADHDは交友関係を維持する努力ができないので、大人になったADHDのスマホにマホちゃんの連絡先が入っている可能性は限りなく低い。ADHDにとって他者との繋がりは最も価値の低い情報なので、スマホを新調するさい電話帳の引き継ぎを忘れるかめんどくさくて移さないに決まっている。もし奇跡的に連絡先が入っていても連絡する理由が分からないので、マホちゃんに電話する代わりにTwitterで久しぶりにたずねた地元のラーメン屋にかんするツイートをする。
ADHDに友達はいない。好きな人もいない。ADHDは悲しくない。ADHDの感情はいつでも「眠い」一択である。いろんな情報が絶えず頭に流れ込んでさえいれば幸せなので、ADHDは人間を欲しがらない。
まぁでもADHDはADHDなので職場で気にかけてくれるパートのおばちゃんは存在しているはずである。同世代の知人はいない。
ADHDはADHDの特性それ自体も情報だと思っているので、いろいろ調べたりする。そうしてこういう場をめざとく発見してはADHDの情報を見せびらかす。
たぶん多動が強い人はまたちょっと違うんだろうな。
おわり
パートの契約更新のお知らせと書類が本部から届いた。時給が90円上がり、3ヶ月ごとの雇用契約の更新だったのが無期限になった。
私は夜はコンビニでバイトをしていて、そっちの方がメインで月5万7000~6万1000円くらい稼ぐ。コインランドリーの方は月2万円くらい稼げればいいといってシフトを調節していたので、少し前なら時給が上がってうれしいと思うよりも先に戸惑っただろうけど、最近の世の中の動向を見ると、主婦パートの時給を上げたらシフトに入って貰えなくなったという歪みは改善していく方向性に行ってるっぽいので、時給のことでいちいち不安にならなくていいのかもという気がしてきた。まあ、半端に多く稼いでも、そのぶんの賃金は私の懐には入らず税金になるだけのような気はするけど。
10月のシフトが送られて来たが、なかなかエグい。私が二日連続で出勤した後二日連続で誰もシフトに入らず、その翌日に癖つよ先輩が入り、翌日はまた誰もおらず、その翌日に私が二日連続で働く……ということなので、9月のように癖つよ先輩がドタキャンしまくると4日くらい店は職員不在のまま放置されることになる。
コインランドリーは二日空けるのが限界だといわれる。乾燥機や浄化槽に埃が詰まるからだ。浄化槽のほうは、数日放置するとドブのような臭いになるのと(当店は洗濯機とバックヤードの洗い場からしか排水が出ないので、浄化槽はちゃんと手入れしてあれば石鹸の香りしかしないのだ)下水管が詰まり易くなるかもしれなくて若干人迷惑なくらいのものだ。
だが、乾燥機の場合は詰まった埃が原因で故障が起きたり最悪火事になることもあるので、何日もほったらかすと危ないのだ。
癖つよ先輩に1日でも休まれると乾燥機が危険にさらされるシフトの組み方なので、癖つよ先輩欠勤の場合は私が臨時でシフトに入ることになる。毎日私と癖つよ先輩が交互に入るシフトだったらこうはならないのだが。
なんだか試されているようであまりいい気分ではない。空いたシフトを私が補い切れずに根を上げることを待たれているんじゃないかと、被害妄想してみたり。その場合、試しているのは本部なのか癖つよ先輩なのか。
癖つよ先輩から先日急にLINEがきて、ぶっちゃけ来月はシフトに入ろうかどうか迷っているとかいう内容だったんだけど、そんなにお忙しいなら辞めていただいて結構ですのよw ってリプライしたくなったけどしなかった。
最近季節の変わり目で、新規のお客様たちが羽布団を何枚も抱えて来店するのに、職員不在な日が多くて商機を逃しまくっててよくないなと思うが、私にどうにか出来ることでも私がどうにかすべきことでもないので、まあしょうがないよねーと思って知らないふりをしている。