はてなキーワード: すみっことは
「涼宮ハルヒの憂鬱」と言えば、2000年代を代表するライトノベルの筆頭だ。当時読者であった私はインターネット環境を持っていなかったので、そのオタクの熱狂ぶりを確かに知っているわけではないが、今もtwitterなどでハルヒの話をしていると、他のオタクが「懐かしいなあ」と言って話に乗ってくれたりする。彼ら、彼女らの大半は長門が好きだ。私も自分が男だったら長門みたいな女の子がきっとタイプだったと思う。
私は普段SFを読まないし、こんがらがった話は苦手なので、正直ハルヒシリーズの世界観や伏線を真面目に考察することはできない。それでも「涼宮ハルヒシリーズ」が今でも一番好きなライトノベルだ。それはひとえに涼宮ハルヒのことが好きで、彼女が羨ましいと本気で妬んでいたからである。萌えキャラクター的観点から言えば、みくるちゃんや長門に軍配が上がると思っているけれど、涼宮ハルヒは私の中で、嫁にしたい女の子ではなくまさに「私がなりたい理想の女の子」だった。
ハルヒシリーズに出会ったときの私は学校に馴染めていないオタクだった。教室のすみっこで一人でライトノベルを読んでいる自分を、気持ち悪いことに、突飛さでクラスから浮いていた涼宮ハルヒと重ねていたのだと思う。ハルヒ以降もそこそこの数のライトノベルを読んだけれど、ヒロインに自己投影するというのは後にも先にもこれっきりだ。
ハルヒは私と違って顔がかわいいし、胸があるし、声も平野綾だが、私とハルヒの決定的に違うところはやはり「神様かそうじゃないか」である。涼宮ハルヒは、「涼宮ハルヒシリーズ」において間違いなく世界の中心だ。あのライトノベルの中の人物たちは皆、ハルヒに振り回され、ハルヒのために行動している。ハルヒシリーズはキョンの一人称視点で書かれているので、当然一番わかりやすいのはキョンの心情だが、彼は何だかんだと文句を言いながらハルヒの暴挙に振り回されることを是としている。私はハルヒが心底羨ましかった。自分が好き勝手に振り回したってめったなことじゃ怒らないキョン、自分の気持ちが無意識に暴れ出したら何より優先して閉鎖空間へ向かう古泉、自分の一挙一動にいちいち慌てるかわいいみくるちゃん。
今の私はハルヒシリーズを読んでいたときより、年齢的にも年をとったし、精神的にも少しだけ大人に近づいたとは思う。人に合わせなきゃいけない場面が生活の上で本当にたくさんあることも分かる。話せる人がクラスに誰一人としていなかった時代に比べれば、少ないながらも友人がいて恵まれている。当時はとにかく手の付けようがないメンヘラだったが、今は折り合いをつけられていると思うしゴリラメンタルとも言われる。
元気溌剌で、単純明快。
小さい子を可愛がるのがかわいい。
前向きに努力する姿がかっこいい。
悪いことを悪いと言えるのが素敵。
個性を打ち消し合わないよう、
プリキュアで育まれた価値観のもとに子育てをするのかと想像すると、
子供向けの番組は、キラキラ、シャピシャピ、憧れだけではなく、
ハナデカチャラ男社会学者が言うところの感染動機で落とし込んでいく。
月曜になれば、幼稚園や保育園でプリキュアごっこをするのだろう。
あるいは小学生であれば、ロールプレイでキュアショコラをイタコし、
人格を同期することもあるかもしれない。
息を吐くように自分語りすると、幼い頃は仮面ライダーブラックやターボレンジャーの相関図で社会を見、
成長とともに感染源を替え、脱ぎ捨てた殻を粉々にしたり宝箱にしまったりして社会に溶け込んでいく。
アンパンマン、トーマス、プリキュア、仮面ライダー、トッキュウジャー、
こうやって頭と体が発達していき文化が移り変わっていくのかと思うとゾクゾクする。
かっこいいものに触れてかっこつけるのを、
いつから忘れてたんだろう。
深酒して寝過ごしてプリキュア見れなかった。
こんな公的支援がある
医院と薬局を一カ所だけ指定して申請すると、精神科の医療費と薬代が一割負担になる。転院したり引っ越ししたりしてもまた申請すれば大丈夫。収入によっては一カ月の中で支払う上限が変わる。
http://seseragi-mentalclinic.com/jiritu-shien/
・障害年金
18歳未満に病気が発生したか、それ以上かによって支給要件変わる。発達障害単体だと無理の可能性高いけど二次障害起こしてるともらえるかも。受給するための支援してくれる障害者支援施設もあるので使ってみてもいい。
一番のメリットは障害者雇用に応募できる。配慮をもらえるのはすごく楽。あと公的施設の入場料が無料になったり映画が1000円で見られたりバスなど移動手段が割引になったり。電車は割引不可のところがまだまだ多い。持っていると色々役立つ時がある。ただし障害者雇用は賃金がだいぶ安くなるから気をつける。
上記は主治医の診断書が必要になるので治療方針が食い違うと書いてもらえなくなるかも。要相談。ちなみに障害年金受けてるとその受給者証を見せれば楽に手帳の申請ができる。
学生生活では、いちかばちかテストやレポートのすみっこに、これこれこういう理由で授業を受けるのが困難だった、と書いてみる。時々同情してもらえて単位もらえる。最終手段として。
退学するかどうかは家族と良く話し合おう。うつ症状は判断を狂わせるので、あまり重要な決断をしないのが一番いい。どれだけ時間をかけても卒業するか、休学しながら体調を回復させるか、はっきり辞めてしまうか。道はたくさんあると思う。
やりたい勉強があったなら、退学は最終手段にしてほしいな。やめるのは簡単だけど、入るのはすごく難しいから。お金の問題もあるから一概には言えないけど。コメにもあるけれど通信教育や放送大学という手もある。
ざわつきが気になるならデジタル耳栓とかイヤーマフなんかを試してみてもいいかもしれない。授業になったら外す、とか。周りの目は気にしなくていい。好きなように言わせとこう。
何よりも、無理せず。やりたいようにやろう。
私も卒論の指導教授には、たぶん見えないところでたくさん下駄を履かせてもらえたと思う。うつの治療しながらではあったが、なんとか卒業させてもらえた。ありがたかった。味方は必ずいるから。
都道府県には必ず「発達障害支援センター」や「障害者職業センター」が存在する。場所によっては「障害者生活・就労支援センター」などもある。「若者サポートステーション」などもいいかも。公的機関とは別にNPOなんかも。相談先はいくつかあると楽。たまに信用できない支援施設や相談員もいるから気をつけて。
もうそもそも発達持ちなら自営業とかの方が合うかもしれないとつくづく思っている。ブログで副業とかどうなのだろう。そこはお好みで。
ADHDと自閉症スペクトラム併発すると結構職業が限られると思う。これは私も今模索中。広々した場所で全員の挙動が全部見えるデスクワークは最悪だった。経験談として。
また何か思い出したら書くかも。
お互い頑張ろう。
あ、あと自分から「ガイジ」という言葉を使うのはおすすめしない。あまりにひどい言葉だしはてなにもたくさんいる発達持ちに失礼。
※色々追記
ADHDは治らないよ。薬で症状を押さえてるだけ。でもこのコンサータやストラテラを飲むと、発達持ちの特性である、創造性が失われるという話もある。それが嫌なので私は飲まなかった。元増田はいい方向に行ってるようなので何より。
一割負担の話は政府に文句言ってくれ。だけど精神障害持ちはロクに働けなかったり薬がべらぼうに高くなる傾向なので大目に見てくれると助かる。
精神障害二級はだいたい労働や生活にかなりの支援を必要とする、くらいだったと思う。
ガイジって言葉は誰であれ使うなと強く言っておく。アスペもあまり好きでない。
発達持ちは謎の体調不良を起こしたり疲れやすかったりするので授業にたどり着くだけでもけっこう大変。そして休んでも友達にノートを借りたりできずに落とした単位がいくつかあった。人によるから簡単にちょろいと言ってやらないでくれ。
※またまた追記
>>偶に自立支援の申請に必要な診断書の交付を拒む医師がいるらしいが、医師法19条2項違反だからな。
申請を受理するか却下するかは役所が判断することで、医師がその申請が通るかどうかを必要以上に気にすることは無い。<<
そうなのか。一番最初に自立支援の申請をした医者がどうも渋り気味だったから印象で書いてしまった。補足助かる。
それも十年近く前だから、きっと少しは良くなっていると信じたい。申請にマイナンバーが必要になったのはアホかと思ったが。
まだ成人の発達障害は誤解も多く、私の主治医はとても良い信頼できる主治医だが、私が発達障害であると認めてくれない。(主治医に内緒で発達障害専門医にセカンドオピニオンに行って発覚した)
発達障害に詳しい医師にかかるのが一番だろうが、地方ではそれも難しい現状だ。
ただ、障害者職業センターはだいぶ発達障害に力を入れ始めていると聞いた。何かの助けになるかもしれないから、元増田以外の発達障害持ちも相談してみるといいかもしれない。
2年前に実際に行動を起こし、自宅の鴨居にロープをかけて首を吊ってみたことがある。
その時は幸か不幸か、ロープから首が外れてしまい死ぬには至らなかった。
意識が一瞬で飛び、耳元で大きな爆発音がしたくらいで苦痛は全くなかった。
昨年練炭を浴室で火をつけてみたもののムセてムセてしんどかったからすぐやめた。
何となく同僚が冷たい気がする。
少しでも心が揺らぐことがあると、「あーあ、そろそろ死んどくかな。死ぬのってそんな苦痛じゃないみたいだし」という考えがにじみでてくる。
でも自分が死んだからって誰かが悲しむイメージがわかなくて抑制にならない。
先日猫を拾ってしまったので、自分が死んだら猫の引き取り手もいないだろうし猫を看取るまでは実行にうつしちゃだめだよな~と思って今日もなんとか帰りにホームセンターでロープを買うのを止められた。
毎日死ぬことを何回も何回も考えてしまうのでなんとなくしんどい。
病院に行ってもその場ですぐ治るわけじゃないだろうから行くのが面倒くさい。
だったらこの場でサクっと死んだ方が楽だよな~とかまた考えてる
プライドが高く自己肯定感が低く、生育環境に問題があるからこういう考えかたになるんだろうか。そんなん治すのに気が遠くなるじゃんね。あー死にたい死にたい
誰に助けてほしい。
俺もそれなんだけど
その作業が決まった時点とか1日の最初に「細かいタスクに分解してリストアップしておく」、というのをやったら結構うまくいく
サボってるときって「あれやんなきゃなあ…」って漠然とした思考が頭のすみっこにずっと残ってると思うんだけど
タスクを細かく具体化しとくと、その頭のすみっこの思考レベルで一つ一つ解決できたり処理できたりする
「こんなん考えるよりやっちゃったほうが早い」でパッとやっちゃえることもある
うまくいくとサボってるつもりでもいつの間にか作業が進んでいく感じがある
いつもの感覚で尻に火がついて「そろそろやんなきゃやばい」と思った時点で実は何割か終わっててびっくりする
http://anond.hatelabo.jp/20170202144732
元増田があんまりオススメするから読んだよ、『ソシャゲライタークオリアちゃん』。
これ、普通につまんなくて出来悪くて、普通につまんなくて出来の悪いラノベってなんなの、ということを考えるのにすごくいい素材になってしまっているように感じた。
「ラノベなんてみんな同じだろw」というような声がどこからともなく(というか元増田のブコメあたりから)聞こえてくるんだけど、そんなことはない、『クオリアちゃん』はかなり出来が悪いよ、ということをしっかり言っておきたいな、と思って、エントリを起こす。
小説としての出来云々じゃない部分、ソシャゲシナリオライターとしての主人公たちの生き方については
http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000
http://anond.hatelabo.jp/20170203190941
この批判が当たっていると思う。
とりあえず俺はクララ先輩には機を見て空売りを仕掛けていくことをオススメしたい。
さて。
漠然と出来が悪い、と言ってもわかんないと思うので、サンプルを用意する。
と言っても、ここで新城カズマとか古橋秀之とか秋山瑞人とか石川博品とか出してもそういうのは例外と流されるだけだと思うので、もっと、普通っぽい奴を見繕いたいところ。
例えば、商業性があると評価された実績のある人が書いた作品、すなわち「アニメ化作家の新作」と、ラノベ業界の作品を送り出す人たちが評価して世に出した「新人賞受賞作」……と考えて本屋でラノベ棚を見てたら『勇者のセガレ』((アニメ化作品『はたらく魔王さま!』の和ヶ原聡司の新作))というやつと『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』((第29回ファンタジア大賞大賞受賞作))というやつが目に入ったので、買ってきた。増田のために『クオリアちゃん』と合わせて2000円くらい課金した計算である。
http://dash.shueisha.co.jp/bookDetail/index/978-4-08-631161-8
http://dengekibunko.jp/newreleases/978-4-04-892615-7/
http://fantasiataisho-sp.com/winners/mother/
三作品とも試し読みがあるので読み比べてみてほしい。冒頭だけだけど、それでも出来の良さの違いが見て取れるから。
一見して『勇者のセガレ』のレベルがとびきり高く、『お母さん』がその次、『クオリアちゃん』は論外、と俺は思うけれど、そう思わない人もいるだろう。
説明する。
小説には、概ね、お話が付き物だ。もちろん、お話で引っ張る小説は低級、みたいな話もあるんだけど、一般的なエンタメ小説(多くのライトノベルは一般的なエンタメ小説である)においては、そういう議論はあまり考える必要はない。一般的なエンタメ小説じゃないラノベに出くわす可能性はいつでもあるので頭のすみっこにはおいておいたほうがいいけれど、でも、今回の三作品は全部一般的なエンタメ小説志向なので大丈夫。
『勇者のセガレ』なら、父親に異世界を救った勇者の過去がある、と知ってしまった少年が、異世界での魔王復活を巡る騒動に巻き込まれるお話。『お母さん』なら母親と一緒にMMORPGの世界にダイブして冒険しながら親子関係を見つめなおす話。『クオリアちゃん』なら平凡な男が惚れた先輩に巻き込まれる形でソシャゲシナリオライターになる話。
んで、さっき示した試し読みで、そういう話だ、とわかるまでにかかる文字数は大体どれも同じ、5ページくらいなんだけど、その最初のとっかかりまでに与えられる情報の無駄のなさを見てほしい。
『勇者のセガレ』は単刀直入にお話の全体像(テーマ、というやつだ)を提示し、そのテーマについての主人公の開始時点での認識を提示し、そして、それが揺るがされる場面が、いい意味で突然始まる。
『お母さん』はそれに比べれば随分もたつく印象だが、それでも母親と息子の関係の物語だ、ということは十分手早く、一直線に提示されている、と言っていい。
『クオリアちゃん』は無駄だらけだ。同級生に平がからかわれる話とか、いらない。
そもそも主人公の平凡さに何故ここまで言葉を費やすのか。クララ先輩にソシャゲシナリオライターの道に誘われる場面から入っていい。主人公が平凡さを脱して何者かになるお話なんだからスタート地点を明示しなければいけないのでは、というのは罠だ。平凡だ、とは、平凡という特徴がある、ということではない。非凡な特徴がない、ということだ。ならば、クララにソシャゲシナリオの道に誘われるまで、何らかの特徴があるかのような描かれ方をしてはいけない。この主人公、狙ってか事故でか、かなり平凡ではないキャラなのだが、それもまあ、いいのだ。普通の男子高校生と言って始まった話で主人公がとんでもない過去を思い出す、すげえ設定が明らかになるなんてのはよくある話だ。語り出す位置に変な癖をつけないことで間口を広められることだけが平凡な主人公という設定の美点で、それをこなしたらあとはどんどこヘンな奴にしていっていい。逆に、ヘンな設定をあとから盛りやすくするためにも、平凡さを積極的に描くのは悪手だ。
ここには多分、ライトノベルがキャラクター小説である、という誤解がある。
商業性を認められたアニメ化作家も、送り手に評価された新人賞作家も、テーマや登場人物の関係性を提示するところから小説を書きだしている。主人公の人物像に無駄に筆を費やしたりしていない。主人公の人物像を描いてはいけない、のではない。主人公の人物像は、この際テーマや関係性よりも後回しにすべきだ、という話だ。
ライトノベルはキャラクター小説だと早合点していると、主人公のキャラクター性を提示するのが大事だ、と思い込んで、本筋のお話よりも先に名前をからかわれるエピソードを入れ込んだりしてしまうのではないか、と思う。
そうした結果、ソシャゲシナリオライターの手伝いを頼まれるという展開の驚きが盛れなくなる。驚きのない掴みは最悪だ。
そもそも、ソシャゲシナリオの仕事を手伝うことになるって普通に考えて驚くような話なのか、という問題はある。
ソシャゲシナリオの仕事の手伝いを頼まれて驚くのは、ソシャゲシナリオに関わることをまったく想定していなかった場合だ。主人公は脚本科の学生なんだから、ゲームであれシナリオの仕事を頼まれるのは、そんなに違和感のある話ではない。先輩に手伝ってと頼まれた、なんてのは、ライターデビューの王道と言ってもいい。
どうすればソシャゲシナリオライターデビューで驚きを演出できるのか。主人公がソシャゲを嫌いだ、という設定にしたらどうだろう……と王我は作者にささやいてはくれなかったのだろうか。
これも、関係性やテーマを後回しにしたことで生じた問題だ。ソシャゲと主人公の関係をちゃんと設定していないから、こうなる。
ソシャゲマニアが制作現場に関わることで現実を知る、でもよし、ソシャゲ嫌いが制作現場に関わることでソシャゲを認められるようになる、でもいい。ソシャゲどころか物書きとさえ無関係な主人公なら(脚本科に在籍し、名作の名台詞を書きぬいてノートを作っている主人公はどう考えても無関係ではない)ソシャゲというものに触れる、というだけでも驚きがあるだろう。
半端にクリエイター志望でソシャゲに特に何も思うところがない主人公、というのは、掴みのインパクトを出すには最悪だ。
テーマ、関係性、お話というあたりにあまり気を回さず、四姉弟の設定とかでインパクトを出そうとしている((『涼宮ハルヒの憂鬱』の構造をいただいているつもりなのかなって思いついて、ちょっと戦慄した。あれはハルヒについての話をあの三人がしてくれる構造であって、異能者が三人ただ自分の異能を見せてくれるという構造ではないのだ。))んだけれど、そりゃ読者にも驚く理由がないよね、としか言いようがない。『ハルヒ』は、読者と視点を共有しているキョンにハルヒは普通の少女だと信じる理由があって、だからこそ、超常的な存在なのだ、と語る長門たちの言葉に驚かされることができる。本作では、クララがタイムリープしない、オーガが異世界転移しないと信じる理由がどこにもない。だから、平がどれだけ驚いても読者は( ´_ゝ`)フーンとしか思わない。
あとがきにラノベ200作品を勉強した、って書いてあって、それは感心なんだけれど、でも、勉強する方向を間違えてはいなかったか、そこは疑問。
ライトノベルはキャラクター小説だ、とか、男オタク向けの作品は関係性萌えじゃなくて属性萌えだとか、そういう俗説を真に受けて、バイアスをかけた勉強をしてしまったんじゃないだろうか。
結果、普通につまんなくて出来の悪いラノベになってしまったんじゃないだろうか。
なお、ソシャゲ周りの設定について付言しておけば、作中作『初恋メモリーズ』のシステムは、『プリンセスコネクト』に似ている、らしい。まあ伝聞なので確言はできないんだけど、だとすれば、元増田が言うほどソシャゲとは違うものの話をしているわけではない。とはいえ、『チェインクロニクル』のライターが書いた本で『プリンセスコネクト』の創作秘話を読まされることをみんなが望んでいたかどうかは不明だけれども。
母とは私が3歳の頃離婚したらしい。
理由は母と父でそれぞれ言い分が違ってて、母は「脅されたから」とか、父は「あいつが男作ってた」とか。まあどっちも濁してたし本当の理由はわからん。今さら知ろうとも思わない
んで父に引き取られてナマポで生きた。子供がいると受給しやすいのかな?
父はなんというか欲望に忠実なやつで、金が振り込まれると大抵ゲームを予約したりネットゲームに課金したりした。
子供にせがまれれば物を買ってやってたしケチなわけではない?でも子ども手当の存在を子供に隠して新しいパソコンを買ったりしてた。
あとネトゲでできた彼女に会いに子供置いて九州行ったりとかもあったな。その時従姉妹の家に預けられて性に目覚めたような気がする。
父との外出の思い出、映画館まで行って実写デビルマン見て(私は寝てたけど)ゲーセン寄って帰った。そんだけ。
あとちょっとDV気質だったのかな?姉がネトゲいじってプレイヤーキャラ殺しただけでぶちギレて壁に穴開けてた(私と姉はすみっこで震えてた)
父に「無職の癖に」って姉が言ったときはフライパンで殴られかけてた。直接やられたことはないけど。
私自身の話も書こうと思ったんだけど全然書けないわ。しょうがないので思い付くことだけ書く。
父のことはそんなに嫌いじゃなくて反抗期も無かったんだけど、なぜか高校2年生あたりから急に父のことを死ねばいいと思うほど嫌いになった。
卒業式にも来てほしくなかったくらいだった。放課後スクールバスを待つ時間姉と悪口大会開いたこともあった。
そんなこんなで今年高校卒業して、母の助けも借りながら就職して家から離れた。
当然生活も変わった
手取り12万をひとりじめ!!初めて多額のお金を自分のためだけに使った。もちろん携帯料金とか生活費あるけど、余裕のあるときは好きなことに好きなだけつぎ込めた。
ゲーム買って、ぬいぐるみ買って、雑貨品買って、本買って、お菓子買って、姉にお土産送って……と、子供の頃からずっっと欲しかった・憧れてたことをみんなやれた。
実は小さい頃からアイボンで目を洗うのに憧れてた。それもできた。
それに社員寮住まいで食費がかからず家賃も格安ときた。仕事でも上司はみんないい人だし最高だった。
まー結局言いたいのは、死のうと思ったとき死ななくてよかったなーってこと。
文章じゃ伝わらないだろうけど色々辛かった。働くのが怖い、人が怖いと思って死のうと思ったことが何度もあった。
実際働いてみたらそんな思いも薄まった。
こんなことなら高校生のときバイトしてお金貯めればよかったな~
仲良い姉とは離ればなれになったけど、こっちに休みがあれば押しかけてる。この間くそたかい肉を土産に遊びに行ってカラオケで歌いまくった。あと母と久々にあったとき名字変わってた。びっくりした
ちなみに父は甘ったれた理由でバイトやめてまたナマポ受給した。お前援助できん?って手紙が役所から届いた。野垂れ死ね。
思った以上にコメントもらえて嬉しい反面驚いてる
父のことはスラスラ書けたんだけど、自分の思ったこととかまったく書けなかったから、微妙に辛い過去持ったやつがお金ゲットしてはっちゃけてるバカな話だなって読み返して思ってたんで。
なんか自分のこと書こうとしても途中で消しちゃうんだよね。精神的な邪魔があるのかな?心理学的な?
まあ家庭環境のおかげで自分の人生の大半がめちゃくちゃになったのは間違いないね。
父はかなりゲーム好きで美少女の出るゲームが特に好きらしかった。基本パソコンの前に張りついてたよ。
辛いことは順調に忘れてってると思う。子供の頃のこととか、高校なんて半年前に卒業したばっかなのに担任の名前すら覚えてないわ。
父ははてなとか知らないんじゃないかな。はちまとか俺的ゲーム速報とかはよく見てたっぽい。
「家族はお互いに助け合わなければならない」役所からの書類にも似たようなこと書いてあったわ。知るかボケ。
文章中だと子供は私と姉しか出てないけど兄もいるよ。私が中学上がる前に職就いて県外行った。LINEで絵文字ごてごてのメッセージたまに送ってくる。なんでクソ父が親権取れたんだろうね。母が手放したんじゃないかと思ってるけどあんまり興味ない。
父は無駄なものを買わずに娯楽につぎこみたがる感じだったからアイボン買ってもらえなかったんだよね。アイボンだけじゃなくてメガネとか色々なもの買ってもらえなかった(生活保護で代金おりるの知らなかった)おかげで高校卒業するまで0.06の視力で過ごしたよ。ずっと目細めてたせいで卒業アルバムみんなゴリラみたいな顔になっとる。即ゴミ箱行きだったけどな。
あとはサイゼリヤにさえ行けば子供の頃の憧れは完全制覇なんだけど近くにないの残念。
最後に自分の思ったことマジで書こうと思ったけど無理だったわ。
ほんとうにみんなありがとう
周囲の客の行動がストレスになっている事が多いのではないだろうか。
僕はそういうのがとても嫌なので、可能な限り最後列の一番端の席を選んでいる。
ひとりで観る映画は良い。
素晴らしい映像や音楽、役者の熱演に大いに怖れ、驚き、笑い、涙する。
ロード・オブ・ザリング 二つの塔でのガンダルフ率いる援軍の逆落としのシーン。
エイリアンvsプレデターでプレデターがジャイアントスイングをかますシーン。
様々な名シーンを目の当たりにして、
その感情の発露を
そのひとときを
しゃべる。音を立てて食う。座席を蹴る。
上映前にパンパカパンツが幼稚園児でもわかるよう、マナーを守ろうと言っているのに
貴様らは何故むざむざそれを犯すのか。
ただ静かに映画をみたいだけの僕は
また僕が移動することで馬鹿以外の観客に迷惑をかけてしまうのは嫌だった。
そうして心が凍るとき、
かつて自分しかいない映画館でイノセンスを観た思い出が蘇ってくる。
僕はその記憶に縋って
ひとりスクリーンの光に身を任せるのだ。
アニメや漫画で仕入れたオカルトの知識は非オタクの人より豊富だと自負している。が、非オタクの人よりもそれらはフィクションでしかないと痛切に知っている。お化けや神様が「現実だったら楽しいだろうに」と考えていた。我が身に降りかかるまでは。
私が現在進行形で体験しているオカルトの話をしたい最大の理由は、後続者がオカルト体験に直面した際、何かの足しになれば良いと考えたからだ。困ったときに検索してもらえたらと思う。あるいは漫画、小説、脚本などを書く参考でも構わない。胡散臭い情報の1つとして有意義に活用してほしい。
冒頭の通り、私は単なるオタクで、オカルト事象に関してはド素人である。だから事実誤認や妄想が過分に含まれているだろうが、どうか許してほしい。誤字脱字、読み辛さもしょせんは素人と見逃していただきたい。統合失調症などの精神錯乱を含め、思いつく限りを一生懸命調べたけれど、確かめようのない、分からないことばかりだ。
判断は読者にお任せする。体験した出来事に対する主観と、憶測を記す。
我が身へ最初に起きたのは、奇妙な夢を頻繁に見ることだった。神社や神託めいた助言の夢。
そんなある日、神社で狐に驚かされる夢を見て起きた瞬間、某稲荷神社の映像が写真のように鮮明に見えた。もちろん、漫画の読み過ぎだと思った。けれど、本当にその稲荷神社の狐が夢に出ているなら驚かせないでくれ、偽物なら困っているから退治してほしい、と稲荷神社へ直談判してみようと思った。春先の出来事だ。
いきなり稲荷神社へ行くのは恐ろしく、ちょうど厄年だから厄払いをしようと思いついたのと人に相談できればと考えて、まずはいつも初詣で行く地元の神社へ参拝することにした。社務所は無人で、厄払いは電話で申し込むようにと書いてあった。仕方なく参拝だけをして、願掛けしながらおみくじを引いた。
私にはちょっとした特技があり、願掛けして手ずからおみくじを引くと、まさに神様がアドバイスしてくれたかのような文章を含む結果を引き当てることが出来た。今回もそれにあやかるつもりだった。結果は『生きて居らるる親に仕える心持ちで神様を拝み嬉しい時にも、悲しい時にも御話申して御祭りする』だった。親なら話せば分かるだろうと思った。御話申してと書いてあるし。
その足で稲荷神社へ。神社本社に参拝してから、すみっこの稲荷神社へ向かう。狛犬代わりの狐像がこちらを見ている気がした。二礼二拍手を正しく出来たかどうか記憶にない。手を合わせ、困っている助けてほしいと祈った。もちろん何も起こらない。が、何もしないより気が済んだだけましだ。他の参拝者がやって来たから退散しようと「いつもありがとうございます」と呟いて、外へ出ようと鳥居をくぐった。
その瞬間、何かのスイッチが入った気配があり、背中に2つ、重たい何かが飛び乗った。逃げるように本社へ戻り、これは何だと問いを念じながらおみくじを引く。結果は地元で引いたおみくじと全く同じだった。
『親心をもって常に側去らず』『そして常にぴったり御一体になって居る事が肝要だ』などと書いてある。「憑かれた」と思った。
帰りの電車で、狐らしき気配が混雑した電車に驚いている様子を感じた。銀色の狼みたいな大きいのと、漫画に出そうな小さい白狐が居るような気がしていた。それらの幻覚は日中に鮮明で、夕方に日が沈むと消えた。
私はとりあえず「マジかよ」と笑った。
この一年ぐらい某刀が擬人化されたブラウザゲームでゆるく遊んでいて(なにしろ無課金)、情報を得るためにTwitterを見るようになり、そこからPixivもチェックするようになり、二次創作本が欲しいなぁ、と思うようになった。
過去同人誌は通販では買った事がある。即売会には出かけた事がなく未経験。妹がコミケやその他イベントによく出かけて買い物をするので、一度行ってみたいと相談したら、夏冬のコミケよりはまだ気候が穏やかで待機しやすいから、スパコミ行ってみたら? と、勧められた。
小学校から中学校にかけて、ガンダムWやXの二次創作に少しだけ触れたけど、それ程はまりはしなかった。
BLを匂わす程度の描写はいいけれど、基本的はギャグが好きなので、腐女子ではないと思う。漫画は今でも月4~5冊単行本を買うし、アニメもちょいちょい気になるものを見るぐらい(少し前まではオルフェンズを、今は坂本ですが? を見てる)。ぬるいアニメ漫画好きだ。
妹に教えてもらいつつ、当日の準備をした。
普段買い物がカード・電子マネーばかりなので、500円を作るよう現金でなるべく買い物。配置図を見ながらサークルチェック……などを10日程前からして、どきどきしていたところに、悪天候の知らせだ。
普通に出かけるのも嫌な天気なのに、雨風対策も考えなくてはならなくなり、夕方100均に走って雨具を調達。本を濡らさないためのビニール、晴れた後の事を考えて、マフラータオルを荷物に突っ込んだ。
今朝家を出た時は風も雨もひどくてどうなる事かと思ったけれど、りんかい線乗り換えの大崎で少し様子を見ていたら雨は止んだ。やった!
国際展示場駅に着いたのは8時半。もう列が長く長く伸びていて、パナソニックセンター辺りから列の最後尾に並んだ。太陽は高く、陽射しが強かったのでマフラータオルが役に立つ。首が焼けてはならない。
うねうねと列は迂回し、牛の歩みだ。やっとチケットを購入して、広い駐車場に並ぶ。いつの間にか開場時間が10時半に変更になっていた。
移動する間、既に買い物と思われる列が見えたので妹に質問したら、「サークルチケットで事前に中に入った人たちが、あれだけもう並んでいるんだよ」と、教えてくれた。なるほど……。
妹にも買い物を頼んだので、私が回るのは東4ホール。机も人も思っていたよりも多い。コスプレしている人もいる! 自分が一瞬どうしたらいいか、わからなくなり、きょろきょろしてしまう。
机配置の法則が初めはいまいちよく分からず、少し戸惑ったけれど、目当てのサークルにはすぐたどり着けて、欲しかった本を手に入れる事ができた。
売り子も買い手もレイヤーだと華やかだなぁ、とか。キャラクタをイメージしたグッズやアクセサリーも売っているんだ、とか。即売会の雰囲気が新鮮で、妹と待ち合わせしている間、ぼんやりホールのすみっこで、会場を眺めていた。
今回欲しかった本は数冊だったので、買い物だけの話をするなら、1時間もかからなかった。待機していた時間の方が長い。
帰宅して買ってきた本を読んでる。通販しようかとも考えたけど、買いにでかけてよかった。雰囲気も含めて楽しい一日だったな。
たくさんの人がイベントを目指して集まるのが、ちょっと分かった。
他のイベントも行ってみたい。
でも、待機は三十路過ぎの身体にはかなりこたえたなぁ。夏は耐えられる気がしないよ。
俺オタクで服は目立たなくて着れるものならなんでもいい的なタイプなんだけど、それでもたっまーにちょっとおしゃれしないといけないときとかがあったりすると、かならずげんしけんを思い出す
自分の感覚でコーディネート考えることが大事ってのはずっと頭のすみっこにあって、古着屋でもユニクロでも、単に黒いものじゃなくて、全体の着合わせを考えたり、ワンポイント何かアクセントがある服にしたりしてる
でもまだアクセサリーには手を出せていない
ネックレスとかね
首元に何かあるのとないのとでは全然違うってのは重々承知してるんだけど、いざどんなのを買えばいいのかってなるとかなり難しい
何のためにネックレスまで買っておしゃれするんだみたいな
はーこりゃマジでわがままファッションガールズモードやんないとだめかな・・・
(追記)
確かにいい年したおっさんでネックレスなんてしてる人いないね。
あぶねーあぶねー
http://anond.hatelabo.jp/20140511001043
すでに指摘されてるけど、長文であげてるところはすべて問題点ではなく、艦これがそういうゲーム・運営だというだけ。
どんなに準備・レベリングしても運ゲーの確率・試行回数をちょっと下げるくらいでしかない。
「貯めた資源を使って回数ですりつぶすんだよ」という擁護が絶対に沸くのはそのせい。
だから結局のところ、艦これに不平不満をもらす人間の根源的な原因は、ゲーム・運営が悪いのではなく、自分が合わないというだけにすぎない。
結局運ゲーになるっていうところと、マクロ対応やその他不誠実なところがプレイヤーに甘く評価されがちな運営が気に入らないならやめればいい。
もしくは単なるキャラゲーだと割りきって、キャラを把握したらやめるくらいの楽しみ方にとどめておくのがいい。
俺は春E5でそういう諦観をやっと実感として持てたから、GW以降演習をちょくちょくやるくらいしかプレイしてないよ。
デイリーを南西以外全部こなすことすらやめたよ。
春イベ前は、デイリーどころかイベントに向けた空母、ドラム缶要員、航空巡洋艦要員のレベリングと思って5-4をひたすら回すくらいやりまくってたけど。
目が覚めた感じ。
個人的な不満点は全部あんたの言うところと同じだよ。
対人要素ないっつっても、必然的にソーシャルで話題を目にする機会も多いから、どうしても自分と比べてしまってネガティブになっちゃうのは避けられないし。
でもそこらへんの少数の既存ユーザが不満感じてるところを修正しなくても、口開けてるだけで新規がいくらでも入ってくるんだからそっち重視するのも運営方針としては当たり前だし。
あと、ネガティブな意見がことさらに叩かれるのもげんなりする。
好きなものを否定されたらどんなに予防線張られてたってむかつくのは当然なのはわかるけど、どれだけ気を遣った表現にしても短絡的に叩かれる。
嫌ならやめろっていう思考停止厨がよく沸くけど、艦これについてはマジでこれ。煽りでもなんでもなく。
やめるか、コミット度合いをかなり減らして別のことしたほうがいい。
艦これは最後まで変わらないよ。運ゲー、キャラゲー、お祈りゲー、無心で回数こなしゲーのままだ。
ゲーム自体、運営、信者というそれぞれの要素において合う合わないが顕著に現れるから、どれかが自分に合わないと感じたら早い段階でやめたほうがいいというのが最初で最後の真理。
流行ってるからというだけでやるには、艦これはゲームとしてはあまりにも苦行すぎる。
だからといって豚になるのはまだ早い。
朝潮はいつもそばに控えている。直立不動だけど疲れを必死に押し隠そうとしている。疲れて水分補給したくなったときにprprprprprprする。朝潮だけに塩の味がする。冬に指先が冷たくなったらニーハイの中に手をつっこめばいい。汗で蒸れてるくらいで驚く。あと乳首つんつんしてモールス信号ごっこね。ただ、まだしこりを残した固い胸に対して無理に触るのはよくないことは留意すべき。
文月はいつも足をばたつかせながら俺のひざの上にいる。つまらなさそうしてるのを我慢してるように見えるときもあるから、退屈ならどっか別の場所で遊んでてもいいよと言うんだけど、俺の膝の上から離れようとしないから困ったものだよ。ふざけて脇腹をくすぐるときに間違っておむねのあたりをわきわきしてしまっても、ちょっと戸惑った「?」顔でこっちを見上げて「なんですかなんですか?えへへ^^」と笑ってくれる文月ちゃん。ずっと年をとらず性に目覚めることはないから、後々思春期の娘に対する父親のような事例が発生する危惧もない。
睦月が中破して大泣きして帰ってきたから急いでお風呂に入れて新しい服きせてあげてよくがんばったねとほめてなでなでしてあげる。そうするとまだ少し涙目だけど笑顔に変わるんだよ。
長良と一緒にトレーニングしてるつもりで毎日筋トレしてる。上腕二頭筋がすっげーがっちりして大胸筋も盛り上がってるくらい。腹筋も見える。なかやまきんに君ネタができるくらい(不知火の前でやるとすっげー冷めた目で見られるけどそれもまたよし)。腕に駆逐艦たちが喜んでキャーキャー言いながら鈴なりにぶら下がってる。ほら響もそんなすみっこでそわそわしてないでいっしょにぶらさがれよ。俺は気にしないから。
球磨を抱きまくらにして寝てる。抱きまくらじゃないクマー!というけど気にしない。
冬になれば体温高めの天津風とチェンジだ。やはり小さい子は体温高いんだよね。なんでだろうね。天津風の場合はそれと合わせて照れ屋さんなのもあるけど。なんだかんだ言いながら拒否らずにむしろ逆にぎゅっと抱き返してくれる。布団の中での天津風のけなげな可愛さを知っているのは俺だけだろう。早すぎる胸の鼓動が伝わってくる。暗闇の中で吐息も感じる。いい風ね。
夏は潜水艦たちと泳ぐといい。俺も一緒にクルージング行くぜ。スク水も買ってある。去年は市民プールだったが今年は海に行く予定だ。
金剛型の脇の下から手を入れたい。榛名は戸惑って困ったように照れて顔を赤くする。金剛は意外とさらっと流される。でも内心心臓ばっくばくなのを夜戦時にそっと告白されて俺の鼻息がますます荒くなる。
綾波とお茶したい。ほっぺつんつんぷにぷに。ほっぺたよくのびるね。だらだらしながらゆったりセックス突入したい。
鈴谷がからかってくるのに対してマジで押し倒して、挑発的な言動が実は奥手で臆病なところの裏返しに過ぎなかったことを発見したい。
熊野をエステしながらいたずらして顔真っ赤にして全身震えながらも強がり言ってるのをニヤニヤしながら見てたい。そんでもって何ニヤニヤしてるんですの!とどつかれたい。
艦これなんて難しく考えなくてもこういう楽しみ方だけでいいんだよ。
「そこで犬のうんち踏んじゃうかね?」
タイトルでなんじゃそりゃ、ってなっちゃうけど、この歌詞を要約すると
初デートで迎えに来てくれたけど犬の糞踏むとかありえない。
なんでウンコ踏むわけ?台無しじゃんありえない忘れられないんですけど。
こんなかんじ。
転載は趣味ではないので歌詞をご覧になりたい方はこちらなどどうぞ →http://www.kasi-time.com/item-65497.html
っていうのはどうでもよく。
この歌の主人公の彼は、彼女を迎えにオープンカーで颯爽と現れるのです。
家の前でクラクションを鳴らし、彼女のためにドアをあけるために車を降りるんですが、そこで
踏むんですよね。
って歌なのは前述したとおりなんだけど個人的には
「なんでそこに犬の糞が落ちてるんだよ」
彼女がマンションに住んでるのか、一軒家に住んでいるのかはわかりませんが、
どちらにせよ、家の前に犬のクソが落ちているなんて結構ショッキングですよね。
片付けろよ。
片づけてるよ、って犬の飼い主さんは言うかもしれません。
そんなの一部のマナーの悪いやつらの仕業で、みんなが悪いわけじゃない。
袋かティッシュかトングか知りませんが持ってるよって言うかもしれません。
話が変わります。
私は犬が大嫌いです。
犬を散歩してる人を見れば無意識で睨んでるレベルで嫌い。大嫌い。
家の近くを散歩してる人を見つけたら、家の前を通り過ぎるまで監視する。
ウンコしないように?
いいえ、ションベン垂れないように。
ぽろぽろこぼれるウンコは拾っても、小便垂れたらそのまんま。
電柱、看板の脚、すみっこ、公共の場所だったらいいって考えかもしれないけど
それにウチの近所に、私の家の前で小便させる奴が居て本当に困っている。
花壇の端や自転車置いてるところの低い壁が気に入ってるようでよくやられる。
どうして人の家の前にさせるのか…本当に理解に苦しむし不快すぎてたまらない。
「私は人の家の前ではさせないよ」って、そこじゃねぇよなこと言われて。
じゃあ小便垂れたときどーしてんの?って聞いたら
「水かけてるよ」って。
ほぅ・・・
水持ってるよ、って言う人は大概、350mlサイズの小さなペットボトルを持って
小便垂れたとこにピッピって撒いてるだけ。
もう少し考えてほしい。てゆうかオムツさせて散歩しろよマジで。
気持ち悪くてしかたがない。
最終ホールでの優勝を争う最終組の対決。一番の見せ場だ。
一人のプレーヤーは、1打目をフェアウェーキープ。もう一人は、バンカーに入れてしまった。
バンカーに入ったボールは、バンカーのすみっこの芝生との境目に挟まったようになっていて、容易には打てない状態だった。
その場面で解説者は、「これはついていない。ゴルフはわからないものですねぇ」と言っていた。
バンカーに入れたプレーヤーは、なんとか脱出を試みたが、1回目は失敗して、バンカーの真ん中にボールが何とか動いた。
次のバンカーからのショットはすばらしかった。さすがにプロの一打だ。フェアウェーに載せた人と遜色ないすばらしいパフォーマンスだ。
これは、ゴルフに限らないと思う。ちょっとした運の良さ、運の悪さの違いでこれだけの差が出てしまう。
いっしょに見ていたおじちゃんは、フェアウェーキープしたほうは、優勝して賞金3000万で、バンカーのほうは順位を落として500万くらいしかもらえないんじゃないかと言っていた。
プロの世界だから当然だよねという意見があるのはわからないでもない。
どちらもプロとして常人には到底到達できないすさまじい技を持っている。それをシロウトが見て、あっちはすごくてこっちはすごくないというのはどうだろうかと思った。
どちらもすごいよね。
だれかの人生を評するにあたって、同じようなことがいえるのではないかと思った。
ゴルフに限らずして、普通の人生をまじめに進めていても、なかなか出れないバンカーのようなものにはまってしまうことがあるかもしれない。
この間「私はこうしてモンハンが嫌いになりました」っていう投稿を読んだ。
正直わかるような、わからないような、共感できるかどうかは微妙なラインな記事だったんだけど、この人以外にもいろんな理由でモンハンが嫌になっちゃう人はいるんだと思う。
私自身はPSPの2の時からモンハンが好きで、上手ではなかったけれど時間だけはかけてプレイをしていた。
時間だけはかかっていたけれどガチってほどでもなく、それでも皆で狩りに行ったり一人で集会所をプレイして素材を集めたりすることは出来る程度だったと思う。でも、みんなと一緒の方が同じ時間をかけて、色々なモンスターを狩りに行けれるから好きだった。
あんまり意識したことがなかったから、その時は自分が周りよりも上手いのか下手なのかは特別にうまい人一人を除いてわかってなかったと思う。
今回はネットでも一緒にプレイが出来ると聞いていたから、前よりも簡単にみんなとプレイできると思ってすごく楽しみにしてたし、実際にプレイを始めた頃はすごく楽しかった。
仕事や家でしなければならないこともあるからモンハンばかりには時間をさけてはいなかったけど、夜になると友達が「一緒にキークエしよ!」って声をかけてくれるから嬉しくて一緒に遊びに行ったりしていた。個人的には集会所で素材を集めて強くなって村クエを進めるっていうのはあんまり好きじゃなかったんだけど、折角誘ってくれるからっていうのもあるし、誘ってもらえるのはやっぱり嬉しい。
しばらくはキークエを進めたり、埋まってないクエストを埋めたりして遊んでた。
なんか変だなって思い始めたのが、上位に上がり始めた頃。
よく誘ってくれる友達とは別の、一緒に狩りに行く共通の友達に防具とか立ち回りとか、そういうことで色々言われることが増えた。
「下位装備で行くの?」「まだ村クリアしてないの?」「そういうプレイするなら武器を狩猟笛にしたら?」「それスキル発動しないよ」みたいな感じ。
確かに私はまだ素材も全然集まっていなくて、武器の強化はなんとか頑張っていたけれど防具の装備までは手が回らない。
この辺りは人によると思うんだけど、3死したりすると迷惑かなって思ってエリアのすみっこで粉塵を飲んでみたり、あからさまな隙がある時だけちょこっと手を出したりしてた。
もちろん、誘ってくれる時に「あんまり役に立たないよ」とは伝えてあるし、相手も「それでもいいから。一緒に新しいモンスター見に行こう、素材も取れるからピッケルも持って行くといいよ」って言ってくれていたからそれでいいのかなって思ってた。
言われたことは全部わかってるけど、私は急いで言われた通りにしてまで急いでHRを上げたかったわけじゃないし、人に迷惑をかけない程度に一緒に遊べたらそれでよかったし、そうじゃないなら一緒に狩りには行かなくたっていい。
そう言っても友達は「見てるだけでもいいからいこう!」だし、別の友達は「いい加減装備揃えたら?」だし、なんだか疲れてしまった。
別の友達の方も防具の素材集めに行こうかって言ってくれるし、ちゃんと参加できるように考えてくれているのもわかるんだけど、それでもだんだんモンハンをするのが苦痛になってきてしまった。
それで最近、私はのんびりモンハンがしたかっただけだったんだなって気がついた。
採集ツアーで鉱石を取ったり、虫を取ったりして自分の好きな装備を作って、時々モンスターと戦って、っていうのが自分のモンハンだったんだなって思った。
今回は、ちょっと周りに合わせようとして急ぎ過ぎたのかもしれないなって気がする。
明日からはちょうど三連休だし、まだ途中で止まっている村クエを進めて、それからまた友達と一緒にモンハンがしたいなって思う。