はてなキーワード: 考察とは
まず「大半」を強調しておく、もちろん尊敬に値する素晴らしい人も「まれに」いる。
かつてインフラ系とフロントエンド系のエンジニアを職業としていた。
いまはまったく別の職種、ユーザー側として常駐しているSEにリクエストを出すこともある
今の立場になり他者として技術者と対面すると、SEをしていた時は気づかなかったことが、いろいろ見えてきたこともありまとめておきたい。
最後にもうひとつだけ。下記にあげたものは職務遂行能力とは直接関係ない。技術職・事務職を問わず職務遂行能力はあって当たり前であり、なければ配転や契約打ち切りとなる。ここにあげるのはどちらかというと社会集団的あるいは企業文化的の枠組みでなぜIT技術者が軽く扱われるかについて考察している。前置き長くてすまん。
これはよく言われるので一例のみ。質問に対し字句通り答える。質問の言外の意味を察しろとは言わぬまでも質問の上のレイヤーさえも推測しようとせず字句にそのまま答えるので相手にとり会話の流れをつくっていくことが非常に困難となる。
たとえばシステムやアプリケーションの不具合について質問すると「これはこうこうこうでこうなっています」(話のすじみちはとおっている)と答える。仕様についても「仕様ではこうなっています」と「こうだからこう」ではただ「こうなっている」と解決策を示すこと無く今の状態を記述する。何か規定されたルールを絶対の所与のものとして、過去にそれがどのような目的のもとでつくられたかに関する想像力が及ばない。「こういうことをしたいのだけど…」と聞いたら「それはこうなっています」と答えることのある種の異常さに気づいてない。現在時点を中心に狭い範囲の時間軸しか認識・理解できないという意味では猫や犬などの動物に近い。
見方を変えればモノ(ソフトウェアやシステム)をつくる職種が徹底的に「as is」ベースの思考というのも何が深い原因があるのかもしれない。
興味範囲外のことについて広く知識収集せよとまでは言わないが、興味が無いことについてバッサリと切ってしまうので話が広げにくい。たとえば営業系の社内システムを保守しているのに営業の職務内容については自分に関係の無い話としているなど。そうした指摘をしても我関せず、えてして自分の雇用契約(派遣契約、期間雇用契約)などを理由に理論武装しているが個人的に考えたくないのが見え見えである。
一部前項とも重なるがここで言う教養とは業務知識やいわゆる(公務員試験などの)一般常識レベルのことではなく社会人になってからの学び、つまり文化・芸術や歴史に対する理解が低いの。せいぜいゲーム、アニメ、マンガ、あるいはテレビのバラエティなどのサブカルチャー方面に造詣が深い程度である(もちろんこうしたサブカルチャーを馬鹿にする意図はないよ)。
そう言ってしまえば文化資本が家庭環境、周りの環境が云々と言い出すひともいるが、自分はこうしたものを身につけるのはむしろ社会に出てからと思っている。よく言われる「うちの職場は休憩時間にはパチンコや風俗の話しかしない奴ばかり」と言うのは自らの選択の結果であり親や周囲の人間のせいではない。
ここであげるかどうか迷った。というのもこれは技術者にかぎらず日本の社会人の多くに共通する問題かもしれないから。
もちろん過去の自分もこれにあてはまる言動をした可能性があるのでそれについて弁明はしない。
一般に日本のIT技術者は他国のそれに比べて低所得と言われているがそれもむべなるかな、現在の待遇は不思議でもなんでもない。
なお、ここであげたIT技術者は、自身の経験から企業や団体の中の情報システム部門、ユーザー支援のために外部から雇用あるいは派遣されているSEなどを対象にしている。開発委託先や運用委託先のシステムベンダーの担当者、などについても一部当てはまるかもしれない。
たとえば、ドローンに液体を積んで無差別な何かをやらかす輩が現れたとして、どうやったら被害を最小に抑えられるだろう。
繁華街のゴミ捨て場とかなら、機体を設置した瞬間もわかりづらいし、そこから上昇しながら液剤を散布するだけでも、いろいろ厄介なことになると思うのさ。
その液体が可燃性だと、とても面倒だよな。
そこそこ人生に絶望してる人間が100万をドブに捨てる覚悟で創意工夫をすれば、とても鬱陶しい事件を起こすことだって出来るんじゃないかなぁ。
[追記]
別にドローンが危険だと言いたいのではなく、加害行為に知恵とアイデアを注ぐ輩にはどう対処すればいいのかなぁという、ボンヤリした考察です。
電車の網棚にガソリンを置くだけでとても嫌な事件を起こせると思うし、かといって乗客の手荷物に対して全数チェックは不可能だ。
816 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 02:33:37.52 ID:qqeIP6ai [1/2]
東方同人が衰退しているという話はよく聞く話で、感覚的には話題性も少なく、同人が売れてるという話も聞かない
しかしそんな個人の感覚とは裏腹に、オンリーでは過去最高来場者を記録し、盛況をしているという情報もある
このギャップから、東方は閉じコン、オンリー重視でコミケ軽視などという推測がよくされる
委託予約ランキングでも、とらのランキングでは100位中に1つか2つしか入らない
ホームグラウンドのメロンでも艦これと大きくその差を離している
「東方はオンリー中心でコミケでは弱い」「東方はイベントに足を運ぶので委託販売を使わない」などといった推測で説明できないこともないが、
東方 86
艦これ 8
オリジナル 2
ボカロ 1
ガンダム 1
スプラトゥーン 1
東方 44
艦これ 28
グラブル 6
悪魔のリドル 5
アイマス 3
ごちうさ 3
PCゲーム 2
なのは 2
オリジナル 2
パズドラ 2
その他 3
とらのあな 同人アイテム 週間ランキング(12月4週 集計)
東方 50
オリジナル 20
遊戯王 6
艦これ 4
コスプレ 2
悪魔のリドル 2
その他 16
同人グッズはキーホルダー、クリアファイル、カレンダー、カードスリーブなどなど
とらの同人アイテムはこれらに含めて、エロCGやエロゲーも含まれる
これらのランキングでは東方が圧倒的に上位をしめているのである
817 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 03:24:40.40 ID:7srR1huB
「東方で売れているのは同人音楽、同人ゲーム、同人グッズ等であって、正直同人誌は売れてないんじゃないか?」
ということである
これで、東方同人誌がイマイチ売れない感と、東方同人イベントに人がたくさん来るという事実のギャップを埋めることができる
東方オンリーに人が多いのは同人音楽、同人ゲーム、同人グッズ等を求めて集まっているからではないだろうか
一次作品自体の売上と二次同人の売上は必ずしも比例するものではないというのは、このスレのテンプレにもある常識だが、
東方は一次作品自体も同人であるという特殊なジャンルである、だから一次作品の公式も同人即売会に参加する
つまり極端な話、同人即売会の来場者数が多いとしても東方の一次作品にだけ興味があって二次同人に一切興味のないファンばかりの可能性もある
話によると、昔に比べて最近の東方一次は公式漫画連載が多く評判も悪くなくけっこう売れてると小耳に挟んだんだが、
それにより公式漫画に需要を取られて健全非エロ二次同人の需要が奪われてる可能性もある
しかしまぁ、2日目の西館に隔離された閉じコンなので真偽の程は不明
そもそも普通は男性向け同人=同人誌なのだから、同人グッズや同人ソフトの世界は消去法的に東方が独占して強いだけの可能性もある
それがすなわち東方の同人誌が売れないという話に結びつくわけではないから、この推測は言いがかりかもしれない
でもなぁ・・・そんなに売れてる感じがしないんだよなぁ・・・東方同人誌
そこんとこどうなのか、コミケは3日目で出るけど東方のオンリーにも出してみたタイプの人にぶっちゃけた話を聞いてみたい
818 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 03:28:53.60 ID:AeAJYMFp
まさにその両方やってたけどそんな感じでいいと思うぞ
まあ一次創作が来る東方イベって例大祭だけでその他オンリーは前者のみの影響だが
819 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 04:48:14.09 ID:wt7tytPZ
本だけなら書店で買えるし
820 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 05:05:44.96 ID:UNOEd889
あの手のグッズは需要があるから作られてるのではなく パッと用意できて 単価上げられて
オマケの本当にクソペラい8P本つけとけば体裁が保てる壁専用必殺技の為にある
本だけというが 海鮮が本当に欲しいのは本だ
823 名前:名無しさん@どーでもいいことだが。[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 12:00:57.09 ID:qbBNv8Pa
その書店への委託販路を持たない(持てない)作家が東方で増えてる理由もあると思うぞ
若い世代がどんどん東方に入っていってると言うし、絵師も世代交代が進んでるのは渋見りゃわかる
店側も店側でもうとらもメロンも成長期は過ぎて安定期には入っている
葉鍵型月~東方バブル期あたりの売れる作家でもう店舗は磐石だから、基本的には門前払いする
結果として書店では見ることのない若い同人作家が東方オンリーに次々に集結し
KADOKAWAとはてなが共同で、新しい小説投稿サイトをオープンしたそうだ。
小説投稿サイト自体は今時珍しくない。が、公式で定められた作品の二次創作が可能だそうで、むしろ奨励しているように見える。
今まで出版界では、煩雑さ(と、もしかしたら売上げの事情)により、二次創作を黙認していた。
それが、TPPという時代の波により、こぞって「二次創作がなくなっては困る」というスタンスに転じている。
新しいサイトをこしらえて、さあどんどんやってください、と宣っているのだから、乗っかればいいようなものだけれども。
某大手サイトを見てみれば、数えきれないほどの二次創作がアップされている。アニメショップへ行けば、薄い本がいやというほど並んでいる。
男性向けは、絵の上手いこと、キャラクターが魅力的(多くは女性キャラが可愛い)ことが重視され、ストーリーに拘らない短いものが多い。
特に同人誌ではほのぼの系の4コマや短めの話、または山も落ちもないR-18が多く見られるように思う。
女性向けの大きな特徴は、キャラクター単体の魅力でなく、キャラクター同士の関係性、多くは恋愛関係が描かれがちなことである。
その夢を見る力(言い換えれば妄想力)による二次創作は、外野からすれば理解できないほどの熱量がある。
もちろん、男女や作品の傾向に関わらず、考察や本編の補完、シリアス物などの二次創作も多く存在する、が。
一介のオタクとして、色々な漫画を読み、アニメを観てきた。もちろん本家の作品に加えてグッズも買うし、その延長線上に、二次創作の消費がある。
しかし、薄い本を開きながら、スマホの画面を見ながら、あなたは思ったことがないか。
「これ、もう原作の要素どこにも残ってねぇな…」と。
この辺りは、人によってもかなり意識が異なるように思われる。ある男性は「本家じゃないんだから、本家から近いとか遠いとかどうでもいい。原作が全て」という意見で、それはそれで最もだと思う。
逆に、「原作が好きなら、どうしてこんな話を書いてしまうんだろう」と、割り切れない思いを口にするのも、むべなるかな、というところではある。
個人的には、二次創作というのは、あくまで「ファン活動」だと思っている。ある作品を好きになり、自分でもその世界に浸りたい、拡張してみたい、と思う気持ちから、人は絵を描いたり文字を
描いたりしはじめる、のではないのか。
商業ベースに乗る作品は、いや商業ではなくとも、人を惹きつけ、二次創作したいと思わせる作品には、当たり前だが「魅力」がある。
その魅力的な作品の、さらに好きな部分だけを抜き出し、都合のいいように改変し、はては自分の性欲のはけ口にして楽しいか。
見る影もなく可愛らしくなってしまった男性キャラ。何だかやたらとお手軽になびいてくる女性キャラ。そんなものを描いて、読んで、消費して捨てていくのは楽しいか。
慣れない書き方で肩が凝ったから手短に言うと、二次創作界隈って、残すべき文化がどうのとか言うほど高尚なもんだったんだっけ、という素朴な疑問である。
基本的には愛がだだ漏れてるだけのファン活動だろう。本家を超えることはないだろうし、これは本家を超えた!とか言われたらむしろ戦争が起きる。
コミックマーケットは確かに、「何かをつくる」「愛好する」、人の営みの祭典だろう。
参加していて誇らしいし、ずっと続いて欲しい。その中に、二次創作というジャンルも勿論あるべきだ。楽しみたいし、実際楽しい。
でも、
何が言いたかったのか忘れた。たぶん、自分から何か言いたかった訳ではない。
二次創作のことは好きですか。二次創作に大事なものは、何だと思いますか。
物語のことは好きですか。物語に必要なものは、何だと思いますか。
何かとても間違ったことを言っている気がするけども。叩き台のつもりで書いてるので適当に噛み付いてくれていいです。
以上。
増田アドベントカレンダーもあと2日。
今日は、僕の敬愛する榎本俊二先生の漫画についてランキング形式で書きます。
本当はベスト100にしたかったんですが、全部で10コくらいしか作品が無かったのであきらめました。
あそこまで気軽に死んだり脱糞したり射精したり去勢したりする漫画はそうそうないだろう。
この順位に甘んじている要因として、ちょっとキャラクター性に頼ってしまっている、と言う点が挙げられる。
葛原さんとかすげぇ良いキャラだと思うんですよ。でもこの漫画に萌えとかいらないじゃないですか。
エログロ下ネタをディフォルメして描くことで逆にそれを感じさせない、という絶妙なバランスで描かれていたのに、たまにちゃんとエロい、っていうのはよくないと思うんです。
キャラクターを好きになってしまうとこの漫画にもドハマりできると思うんですが、それは榎本先生の漫画の本質ではないような気がしてしまうんです。
特に最後の「風前の灯火ジョニー」は奇跡。20世紀最高作品の1つと語られています。(僕の中で)
単調なコマ割り(4x4が並んでいるだけ)。シルエットだけのキャラクター。全てのコマがほぼ同じ構図。
ではセリフだけでストーリーが進んでいるのか?というわけではない。
単調なコマ割りだからこそ生まれる単調なリズムによって生まれる「先読み」がゾワゾワとした恐れを生み、シルエットで単調な絵柄だからこそ怖い。
この作品は一度読んだだけだとちょっと怖いだけの話に見えますが、あの男がなぜあの行動をとったのか、さらにFinの後なにをしていくのかを考えるとさらに恐怖が深まっていくことでしょう。
すごいとおもいました。
現在連載中の作品。IKKIは無くなってしまいましたが、またどこかで連載が続くことを切望しております。
今のところ2巻まで。
分かりやすく面白い話、ばかばかしい話、意味が分からない話、怖い話、がごちゃごちゃになっています。
怖い話に関しては、榎本先生どうしたの?って思うくらい、社会風刺的でわかりやすく怖い話です。(携帯、もあみ)
他の作者の作品であれば、ふぅん、っていうくらいなんですが、榎本先生がわざわざこんなわかりやすい話を書いちゃうなんて!って思ってしまいます。
昔の榎本先生だったら、一度話を分解して、全てのパーツをちょっとずつゆがめて、無理やり組み立て直そうとしてぐちゃぐちゃになった状態にしてくれてたと思うんです。
イモ軍団パワーズのような意味が分からない系の話は、カオスなストーリーの上に純粋な恐怖がそっと置いてある感じですごくいいです。
フルチンシリーズはただただばかばかしく、合間に読む分にはちょうどいいと思います。少しくらい風刺な要素があってもいいのにね。
初期は絵も安定しておらず、ちょっととっつきにくいところもありますが、週刊ギャグ4コマ作家が徐々にこなれていきつつ壊れていく様が垣間見え非常に楽しい。
後半、キャラクターに頼ってしまっているところもありますが、何とかひねり出しているであろう4コマに底知れないモノを感じさせる。そんな感じです。
あと、最終回のもうどうでもいいや、っていう感じがすごい。でもその中でもルールを徹底していたりと、几帳面さがうかがえる。
どれだけナンセンスに見える作品でも、理詰めで作ってるんだろうなぁ、というのがわかります。
「面白いとは何か」を考えすぎちゃって、いつのまにか「考えるとは何か」までたどり着き、面白いかどうかわからなくなってしまった系漫画。
天才。全2巻。
主人公の小学生ムー夫の日常的な疑問に対し、ミノル(父)や身の回りの人と話しながら考えていく、というような平和な世界。
が、疑問もそれに対する受け答えも常識的ではないが間違っていない、というギリギリを攻めていてスゴイ。
常識にとらわれず、作品の中のキャラクターの考えを理解することが出来れば、その深い世界観に感銘すること間違いなしでしょう。
そして、ストーリーの面白さもさておき、絵の独特さもかなりのものです。
ミノルが出てくるコマに顕著なんですが、とにかくおかしい。パースがズレているとかそういうレベルではなく。
おそらく、常識を無視しつつ、反面論理的である父親、という概念を表現しているのでしょうか。
でも、気にならない。
ストーリーが会話メインで進んでいるというのも理由の1つかと思いますが、絵のおかしさがディフォルメのギリギリ許容できる範囲になっているのでしょう。
また、規理野くんが出てくるエピソードでは、ビッグデータとは何かという視点を非常に鋭く描いています。
8年以上前の時点でここまでの考察をしているのは本当にすごい。
テーマは哲学的なものが多く、文化とは何か?科学とは?言葉とは?意識とは?1つ1つ、常識を疑っていく。
そんな漫画です。
榎本先生の作品は全体的にナンセンスに見えますが、SFや思考実験に近いものもあり、組み立てられたものなのか完全なナンセンスなのか、深く考える楽しみがあります。
解のない問いかけに対し、全てが組み立てられた世界が構築され、わかりやすく読み解くことができます。
榎本先生の作品には実はナンセンスなものは1つもなく、全て組み立てられたものなのではないか、とすら想像してしまいます。
特に、榎本先生の描く「人間」は、マックス・エルンストの絵画にも非常によく似たものがあります。
新しい狩場を開拓したり、新しい戦術を編み出したりするのは、たいてい外国人(のトップ集団)だった。
日本人プレイヤーはその後にやってきて、それらを元にテンプレを作り始める。
外国人プレイヤーは英語を話しているようで実は通じてないのもいるし、野良の集まりだとハチャメチャやらかす奴も多いので、
連携の取れた日本人パーティの叩き出す効率の高さにはかなわず、どうにかしてそちらに潜り込もうとする者も現れた。
よくある日本人論として、真似がうまいとか、集団主義とかいうのがあるが、概ね当たっていると思う。
既にあるものを考察し、改良し、洗練させることにかけては、間違いなく一流だ。
加えて、それを広く行き渡らせることにも長けており、平均レベルの高さも目を見張るものがある。
ただ、パイオニアはなかなか出てこないのだ。
ここ2,3年くらい、Vimが妙に流行っている。はてブやqiitaでもVim関連のページが出れば大量にブクマがつくし、「俺はVim派だから」みたいな発言を大学だったりtwitterだったりでもみる。
しかしその実、世間に出回る「vim tips」みたいなのをみると、cやr,はたまたw,$,0,..など超がつくほど基本的なものしか載っていない。
なんでこんな常識的なものにこんなにブクマつくの???っていっつも驚く。
昔はvimに憧れるワナビーがブクマをつけてるのではないかと思っていたが、どうやら今のネット界隈では「vim派」と言って通ぶることが一種のステータス?になっているのではないかと思うようになった。
ちょっと前に流行ったvim pluginブームにもびっくりした。vimはあくまでもIDEなんていらないスクリプトを書いたり、CUIでエディットしたい時に使うものだろう。
ものには使いみちというものがある。文章、少なくとも日本語はVimに向かないし、Javaの開発ならeclipseですらvimよりよっぽど生産性が高い。
vimにpluginなど入れて喜んでいる一部の人達をみると、やはりvimで通ぶっているだけではないかと思えてしまう。
.vimrcは長けりゃいいっていうものではない。それがemacsに対するvimの美徳のひとつではなかったのか。
そもそも、vim人口が見かけ上増えているにもかかわらずemacs人口が増えていないのがおかしい。どうも最近のvim派の人たちはemacsをあまりうまく使えていないようである。(俺のまわりだけかもしれないが)
昔のhackerはエディタ戦争なんて言いながらもお互い両方のエディタを使えたものだ。大体がshellでset -o viなんてしたら使いづらくて仕方がない。shellはctrl-aで先頭に戻るし、ctrl-rで履歴検索をするものである。
そもそもエディタ戦争なんて洒落にすぎないんじゃないかと個人的には思っている。viとEmacsは基本教養である。どちらかしかできないのは文盲のようなものである。
vimvim言ってブクマしてるみなさん、vimtutorは起動したことありますか?Vim関連の記事を100個ブクマするよりよっぽど有用です。
Do one thing and do it wellって知ってますか?一つのプログラムでなんでもしたいならwordかVSで十分です。無理してviを使う必要はないです。
俺はまだLinuxを使い始めて10年くらいだけれど、エディタはvi(m)一筋だった。
何がいけなかったのだろうか。
あとviとvimがうんぬんというブコメありましたが、逆に今日びviとvimを使い分けることがあるんでしょうか…?
(もちろんインストール直後のdebianとかだとvim.tinyしか入ってないけど)
普通/usr/bin/viってvim.basicを指してることが多いと思います。もしvim.tinyを指していたらごめんなさい。
てかaliasなりupdate-alternativesみたいなの使われたほうがいいのでは…?
id:akanehara (増田はじめてだからよくわかんないけどブコメに返すのこれでいいの?)
いやね、俺はNeoなんちゃらとかなんちゃら.vimとかのプラグインが流行りまくってるのどうかと思うんよ。
vi使いたくてあんなゴタゴタした画面分割するならtmuxかscreenで別タブにシェル開けばいいしそのほうが拡張性高いじゃん…っていう。
それかVSなりIntelliJで(ちなみに俺はeclipse使います。微妙にdisったけど)
あとはSIGSTOP(てかSIGTSTPか)で止めるのもよい使い方だと思う。
とにかくこれからviなりunixを使い始める人達がああいう害悪に影響されてほしくない。Neoほげほげよりtmuxとかctrl-zのほうがのちのちず~~~っと役に立つから。
viが流行ること自体はいいと重います。emacsももっとはやって欲しいです。nanoは即update-alternatives --config editorするんで知りません
と思ったらなんかみなさんいろいろ考察してくださっていますが、今やviクラスタ≠unixクラスタなのか…
なんてこったい
TeXは確実にGUIのほうが使いやすいよ。俺はTeXstudioだけど、シェアウェア買ってる人もいるね。特に仕事道具にしてる人は。
vimじゃあPDFからジャンプとかできないから校正の時とか使いづらいことこの上ない
一理ある
問題はvim scriptはelispに劣ってるところだと思う。
言語プラットフォームとしてみたときやっぱりemacsには一日の長があるよ
なのにpluginとか言って喜んでるのはなんか違うと思うなあ。
はてなブックマーク - 新井俊一のソフトウェアビジネスブログ: 今話題のブロックチェーンとは何なんだ? 部外者の技術者として考察してみる。
はてなブックマーク - イーサリアム共同創業者Vitalik Buterinが語る、ブロックチェインの真の価値 | ビットコインニュースのBTCN
ビットコインがブロックチェーンより重要な理由 | TechCrunch Japan
「ブロックチェーン技術は、蒸気機関や燃焼機関と同様に扱われるべき世紀の発明であり、金融界どころか、その外までをも変貌させてしまう可能性を秘めている。」
ブロックチェーンというのは、ブロックチェーン+Pow+トークンによる経済インセンティブ、この3つがセットになっているのが決定的に重要。10;対検閲性、対改ざん性、非中央集権は、その3つがあって始めて達成される。— 佐藤ヒロシ(※旧大石哲之) (@tyk97) 2015, 12月 22
ロシアの政治家でIT起業家でもあるニコライ・ニキフォロフはブロックチェーンテクノロジーに注目
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071031/286012/?ST=selfup&P=2
てなのがあったので、やってみる。
ニュース解説系増田の中でもかなりブクマを伸ばしたエントリ。内容もさることながら文が上手い。この増田には時々でいいからまたこの分野のニュースの解説を書いてほしい。
ショートショート。増田に創作は案外少ないが、清涼な印象を残した一編……だったと記憶していたのだが、今読み返してみたらちょっとどろっとした感じあるな。だけどそれもまたよい。
増田本人の障害をカムアウトするエントリなのだけど、なんか妙にあっけらかんとしてて前向きなのが逆に救われる印象。
プリンプリン物語を例にサブカルチュアのアーカイヴの意義を説く、はてならしい好エントリ。
ばかばかしいことを真面目にやるエントリは意外と少ないが、その中で心に残った一編。男ってばかねえ(主語の大きい個人の感想です)。
今年の夏の一大トピックだった新国立競技場について、設計と積算の観点から一言。こういう視点がひとつあるといろいろ応用が利きそうに思う。
同増田には「列管理の難しさとコツ」という四桁ブクマの名エントリがあったが、これはその続編。トラバがないのでもしかすると読んでない人もいるかと思いこちらをとりあげた。コミュニケーション力と文章力を併せ持つ逸材で、またなにか書いてほしい。
わずか21文字で400以上のブクマを稼いだ怪物エントリ。一文字あたり実に22ブクマである。割ってどうするんだという話だが。元増田からのこれは天才としか言いようがない。ブコメも面白かった。
仮称浮世絵増田。昨年いきなり浮世絵に目覚め、時々浮世絵エントリを投下していく人。詳しい人から見てどうなのかは判断できないが、知識のない身で読むと単純に面白いし、なにより楽しそうなのがとてもいい。トラバ先にも同増田の別記事があるのでそちらもどうぞ。
短いが心に響くスポーツ賛歌。文体もよくて、読点の代わりにカンマを使っているのが独特の乾いた印象を残す。今読み返しても最後から二段落目で涙が出そうになる。
以上です。
無気力。することも目標もあまりない。できればこのままぼーっとして生きたい
人間というのは割とよく出来ていて、自分の今いる環境に適応しようとする能力が備わっている。なにもしない、する必要が無い、という環境下において、なにもしたくないという感情が生まれるのは自分がその環境に適応している証拠で、ある意味当然のことである。だから、無気力から逃れるためには、なにかを強いられるような環境に身を投じればよい、ということになる。勿論、自分の能力や性格と、その環境とがあまりに乖離していると、生活は破綻してしまう。そうならないように、うまく環境を選べば、気力や欲求を取り戻すことは可能であろう。もしそれが不可能なようであれば、これをプリントアウトして病院に行くなり、諦めて無気力の海に溺れるなりすればよい。
気力や欲求を取り戻し、様々な事柄に精力的に取り組むことで、充実した生活が可能になる。充実した生活というのは、世間で流布されているほど良いものではないが、悪いものでもない。
退屈で満たされた環境に安住し、なにもせずにすむ環境に完全に適応してしまうと、些細な日常生活ですら困難を覚えるようになる(現にそうなりつつある)。症状の軽い今のうちに脱却すべき
極力なにもしない生き方というのもある。ニートなどはその代表格である。自分を変えることで既存の社会に適応するのではなく、現在の自分が満足できるように自分の周りの環境を造り替える、という選択肢もある
できるだけ何もしない生き方というのも、近年では少しずつ日の目を見るようにはなってきたが、まだまだ主流とはいえない。そして、先達を見る限り、何もしない生き方というのは割と困難そうだ、というのが正直なところだ。社会の風潮として、きちんと働いて、経済を回していくことが求められている。自分も社会の構成員である以上、これを無視することはできない。現段階では、楯突くよりは流される方が懸命だと感じた。
よって、これからは、自らになんらかの強制力のあるタスク(バイトなど)を課すことで、自己を変革していく、そして社会に馴染んでいく、といった方針をとることとする。
そうして、社会に馴染み、気力を少し高めつつ、電車で知らない町に行ったり、散歩、睡眠、ネットサーフィン、銭湯通い、といったのんびりとした時間を充実させていきたい。
なにかをすることによって、なにもしないことを達成できれば、それが一番良い。なにかをすることに熱中できるなら、それもまたそれでよい。
ということで、モラトリアムを脱却すべき、という結論に至った。次は(あるのかどうかわからないが)、どうすれば脱却できるのか、という実践的側面について考察してみたい。これが一番難しい。
自分の根源的な快楽を禁じて、信仰の強さを我慢することで実感するのが喜びって言うマゾ性と、
その教義や倫理の名のもとに他者を容赦なく裁くっていうサド性が両方強い。
このサド嗜好とマゾ嗜好は、結局正義への偏愛ってことにまとめられるのかもしれない。
あいつら正義っていう旗印が大好きすぎて、潰れそうになりながら旗印を支えることも、その旗印で他人を完膚なきまでに叩きのめすことも異常に好んでる。
なんでそんなに正義を求め、その元に集い、その名のもとに行動したがるのかはわからんけど……。
ありがちな考察だと、過剰に正義たらんとするのは、劣等感や不安が強いことの裏返しである、つまり劣等感が強いから正義の一員になることでマトモな自分というのを得たくなるし、不安が強いから正義という確固とした道標に従いたくなる、なんてのは言えるかなあ。
これから毎日朝起きたらがっこうぐらしに関する1記事を書こう。
幸いここは匿名なはず。
今日はがっこうぐらしに登場する武器についてのその1をお送りする。
そのうち一番良く描かれるものはなんといってもシャベルであろう。
・必要性
そのため、正常な生徒の一人は少なくとも武器を持つ必要がある。
ゾンビを撃退することができ、さらに日常系という世界観を保つためには、
家庭で普通に存在するものでありかつ威力のあるものが必要である。
日常系という世界観を保つという条件のため、家庭で普通に存在するとしても、
続いて考察しなければならないのはシャベルがもつそのイメージである。
しかしフライパンには少なからず調理という家庭的イメージが付き沿う。
まっすぐにいこう。 全15巻セット (集英社文庫―コミック版) きら
☆コミュニケイションのレッスン 鴻上 尚史
クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫) 若桑 みどり
日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち (新潮選書) 板谷 敏彦
山本五十六 (下) (新潮文庫 (あ-3-4)) 阿川 弘之
心の力の魔術―驚くほどの富と幸福が得られる成功法則 ダビッド・J. シュワルツ
食卓からの経済学―ニュービジネスのヒントは「食欲」にあり (ノン・ブック―先見サラリーマン・シリーズ) 日下 公人
もろい青少年の心―自己愛の障害 発達臨床心理学的考察 (シリーズ 荒れる青少年の心) 上地 雄一郎
「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画 高橋祥友
モテないのではない モテたくないのだ! ! (アクションコミックス) カラスヤ サトシ
もっと! Vol.4 2013年11月号 (増刊Eleganceイブ) 水沢悦子
ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉 アドルフ・ヒトラー
しろうと理論―日常性の社会心理学 アドリアン・フランク ファーンハム
グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA) 飛 浩隆
☆ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ) ペーター ガイス
ドイツの歴史【現代史】 (世界の教科書シリーズ) ヴォルフガング イェーガー
ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて) 村澤 和多里
☆言葉にして伝える技術――ソムリエの表現力(祥伝社新書214) 田崎真也
滅びの風 (ハヤカワ文庫JA) 栗本 薫
大日本サムライガール (星海社FICTIONS) 至道 流星
☆少女マンガの表現機構―ひらかれたマンガ表現史と「手塚治虫」 岩下 朋世
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫) イタロ・カルヴィーノ
スティーブ・ジョブズ(1) (KCデラックス Kiss) ヤマザキ マリ
カリガリからヒットラーまで (1971年) ジークフリート・クラカウアー
物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫) 大塚 英志
ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書) 荻上 チキ
アメリカの中学教科書で英語を学ぶ―ジュニア・ハイのテキストから英語が見えてくる (CD book) 林 功
☆☆「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか 鈴木 涼美
ぬばたま (新潮文庫) あさの あつこ
果てしなき渇き 深町 秋生
小学校、中学校、高校、大学と学生生活を過ごしそのまま会社員になったごく普通の男だ。
今の時代にごく普通という言葉を使うのもなかなか難しいところはあるかもしれないが特にこれといった特技もない。
と。
正直、答えに詰まった。
私はこれをどちらかというとオタクでアニメや漫画のほうに興味があるしテレビも見ないから答えられないんだよな~とずっと思っていた。
ただ、社会人になってから周りに結婚している人がいたりおっさんも多かったりでそういう話になることが学生時代よりも多くなった。
それでそういう話を振られるたびに答えに窮するようになる自分に気づいた。
場の空気が死んでしまうことも経験上知っていたので適当なうそをついたり話をごまかしたりしていたのだが、答えることが若干苦痛になっていた。
仕方がないので少し話のネタを考えることにした。
自分の好きな女性のタイプだったり学生時代のことを無理にひねり出したり。
「まったく楽しくない」
妄想や分析、考察するのはわりと得意で好きなはずだったが、ことこの話を考える場合はぜんぜん面白くなかった。
そこでふと考えた。
学生時代もこの手のことはまったく考えたことがなかったし、よくアニメで俺の嫁がどうのだの言っている人を見かけるが
皆が俺の嫁、俺の嫁とかいいあいながら楽しく話しているのを見ながら俺も楽しんでいた。
でもよく考えたらおれ自身はまったくそんなの考えたことがなかった。
ただ、オタクたちのコミュニケーションを外から見て眺めるだけだった。それが楽しかっただけだった。
確かに傾向として自分がどちらかというとおっさんくさいキャラが好きだったり硬派ぶったキャラだったりが好きなのは自覚していた。また、自分が人見知りでコミュニケーションが苦手なのを自覚していたのである種の弱者男性的なキャラに感情移入することはあったし、好きなキャラ多い。
でも女性キャラをそういう目線で見たことがほとんどないことに気づいた。
好きだった女性キャラも草薙素子だとか「かっこいい」キャラが好きなだけだった。
攻殻機動隊2話後半でタチコマ(戦車)から草薙少佐が降りるシーンがあって、そのアングルがお尻の後ろから移したようなショットがある。
ネットの感想で見たときそのシーンをエロイといっている人を見てはじめて気づいた。
「あ、このシーンエロイんだ」
と。
人並みに性欲はある。
でも俺はそれを逃げ道にしていただけだ。
ただ、単に興味がなかったのだ。
だから、そういうことを考えたこともなかったし、考えようともしなかった。
なんだか弱者男性と同じ立ち位置になった気で擁護したりしていたがそんな資格はないのかもしれない。
自分の容姿にコンプレックスを持っている人がセックスだの何だの言っている増田を見かけたがあんまり共感できなかったのはそういうことだったのかもしれない。
よく考えたら俺は自分の容姿にコンプレックスを持ったことがなかった。
でも鏡を見たら俺の肌もわりとずたぼろだった。
覚えてない方はこんにちわ。
今回も長文でごめんなさい。
わたくし実はクレーム担当という側面もございまして、先日ちょっと話題になってた某オリエンタルランドにおけるチケットクレームの件を少し考察してみたいと思います。
要約すると「特別なチケットをもらったのに、入場制限がかかっていて入れないのはおかしい。それをなんとかしないディズニーは殿様商売だ」といったものです。
まず、クレームに対応する上での鉄則がありまして、その話を一つしてみます。
今回で言えば、「特別なチケットで入場ができなかった。」さらに踏み込めば、「それによって家族の労力が無駄になった。」というものです。
その結果として、大半の場合、その被害に見合った補償、もしくは解決のための要求がなされます。
それが今回で言う、「なんとか入場させて欲しい」だったり、「せめて心付けほしい」といった内容だったわけです。
クレーム対応とは、一見この2つに対して解決を行うものと思われています。
しかし、クレーム対応が最もこじれるポイントは、その解決にこだわりすぎてしまうことでもあります。
「相手の言う被害と要求に、絶対にこだわってはいけない」ということです。
さて、今回のクレームにあたって、現段階で明るみになっていない部分があります。
クレーム対応とは、即ち、この「原因」を読み解くことが全てといっても過言ではありません。
今回の方のブログを拝見すると、この原因部分がまだ解決されていない印象を受けました。
それは、「もらったチケットが特別なものである」という誤解です。
他の方の反応を見るに、このチケットにはそうした特別な能力はなかったようです。
その誤解が解決されないままに、いくらディズニー側が解決手段を提示したところで、当事者としては納得ができるわけがないのです。
なぜなら、自分の被害の責任は先方にあるという誤解が解決されていないからです。
本来、クレームに対応するにあたって、こうした「相手の考える原因」を紐解くことが真っ先に求められます。
そのためにヒアリング技術などを用いて、まずは相手の話を聞き出すことが必要なのです。
今回であれば、このチケットが特別なものではないという誤解を解くことが、まずはこの対応において再優先になります。
しかし、ここで相手方の無知や調査不足を指摘するようでは、さらなるクレームに火を付けてしまいます。
ここは解決を優先させて、説明責任が不足していたことに原因をシフトさせる必要があります。
「当方の説明が不足しておりまして、誠に申し訳ございませんでした。大変恐れ入りますが、当チケットは入場規制が発生してしまった日には入場することができません。誤解を招く結果となってしまい、誠に申し訳ございませんでした。」などでしょうか。
ここで大切なことは、できないことはできないとはっきりと相手に伝えることです。
ここに少しでも緩和の余地があると、相手に食い下がるポイントを与えてしまうことになります。
これによって、「当日入れるはずのチケットで入れなかったことに対する被害」を、「当日入れると思い込んでしまった勘違い」にシフトさせることができました。
そうなれば、もともとあった「その日に入場できないとおかしい」という要求は意味を成さなくなります。
これによって、本来の問題に対する解決は、「チケットの説明不足に対する謝罪」、もしくは「それに見合う対応」に変わるわけです。
説明不足(ただし、ある程度説明責任を満たしていたとして)、もしくは当人の勘違いが原因となれば、本来あると思い込んでいた当日入場できる権利は行き過ぎた要求になります。
それでもなお要求が続く場合は、今度は過剰な要求に対する対応へとシフトすることができるようになるわけです。
ただ、今回の件に限っては、何故入場制限が必要なのかというポイントに対する説明も不足しているように感じられました。
ここにも原因に対する勘違いがありそうなので、説明があると解決が早まったように思えます。
「お客様に快適に楽しんでいただくために、一切の例外を作らず対応させて頂いております」
「これだけの混雑ですので、小さいお子様をお連れの場合であればむしろ入場をすすめることはできません」
「警察からの指導のもと、パーク内でのお客様の安全を優先することが義務付けられています」
「何かしらトラブルが発生してしまえば、今後さらに厳しく入場制限を設ける必要が発生してしまいます」などなど。
実情は知りませんが、あくまでサービス提供側の都合ではなく、お客様のためにあるルールであることが伝わると良いのだと思います。
さて、今回に限っては、当人を後に引けなくさせるもう一つの要因がありました。
もしここまでにこの要因を見抜けた人は、クレーム対応においてかなりの才能があるといっていいと思っています。
もし、本人だけであれば、この方はこれほどまでに食い下がることはなかったかもしれません。
人知れず一人で恥をかいたならば、こっそりと身を引くことは容易いからです。
しかし、今回はこのまま引き下がれば、家族の前で大きな恥をかいてしまうことになります。
文章の内容から見るに、そのことは彼の中で絶対に許されるべきことではなかったのでしょう。
例えばここで、パークの説明員(しかもそれなりの責任がある人物)が、家族の前に立ち、説明不足を謝罪していたら解決はもっと早まったかもしれません。
なぜなら、それによって自分の力で謝罪させたという男性のメンツが保たれるからです。
こうした相手が引き下がれなくなった理由を素早く見つける能力は、クレーム対応において非常に優れた能力であるといえます。
まとめるとこんな感じです。
・ヒアリングから原因を読み解き、全てを聞き出した上で間違っていれば正しい原因へと導く
・正しい原因から被害に対する誤解を説明し、適正な被害とそれに対する解決策を提示する
・この時、相手がなお元の要求にこだわる場合、過度な要求として態度を改める必要がある(第三者が介入した時に有利になる)
・一連の内容以外、相手が引き下がれなくなっている理由があれば、察知して解決策を提案する
・ルールを主張する場合、それは運営側の都合ではなく、あくまでお客様の権利を守るためであることを前提として説明する
当然実際のクレームは、簡単にフローチャートでわけられるようなものではありません。
しかし、こじれてしまう理由のほとんどは、原因を共有しようとせず被害と要求にこだわってしまっていることも事実です。
クレームを訴える側は要求が正当だと信じ、クレームに対応する側はクレームが不当だと戦うことになってしまうわけです。
被害の責任がどこにあるか。それによって相手の要求がどこまで現実的であるか。
クレームの解決において、両者がその部分をどこまで正しく共有できるかが最も重要なポイントといっていいと断言できます。
尚、クレーマーが要求を通すための常套手段に次のようなものがあります。
・解決にかかった時間をどうするつもりだ。
今回も数時間を無駄にしたことが言及されていましたが、全てとは言いませんがこれらの都合は先方にあります。
諦めなかったのは先方ですし、予定があるのも先方の都合です。
それによってクレームを受ける側が態度を変える必要はありません。
そんな要求に屈することなく、勇気を持って毅然と対応してもらいたいと思います。
蛇足ですが、例えば今回の例に限っては、後日利用できる日付確定型の入場チケットに変えることが妥当なところではないかなと思いました。
さて、運営側として読まれる方も多いかと思うのでここで忠告を一つ。
クレームを解決するにあたって、ルールを主張することは大切なことです。
しかし、解決を優先するあまりにその都度ルールを変えてしまうようでは、それだけ信用を失うことを意味しています。
クレーム対応は組織を成長させるものとして、不明瞭な部分を明確にするために役立てるのがいいのではないでしょうか。
パチンコなんかで言うと理不尽な要求なんて日常茶飯事なのですが、それが理不尽かどうかはその時点ではこちらの視点でしかないわけです。
たとえそれがどんな要求であれ、まずは原因を紐解かずして解決はないと言えるのです。
みてれば当然わかる!そのくらい読み取れバカ!とか言うが、そこらのにわかとは一味ちがうネットの上位層のブクマカですらも意見分かれてる辺り、ちょっと分かりにくかったのかなって気にはなる。
関係性の補足などの割りと重要な話してたりするのにブルーレイには付かない補足のコーナーもしっかり聞いて、歌詞などもしっかり読んで本編と照らし合わせて考えてみたり、ぱっと見の言動や行動だけでなく、隅々までみて数カ月前の放送の構図と照らし合わせたりの考察が好きだったりするような玄人様向きで、流し見や何度も雨がやんだりあがったりするのが嫌いな人はお断りな雰囲気になっていた感はある。