はてなキーワード: madとは
https://anond.hatelabo.jp/20211004080408
注意。自分語りです。
上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。
結論から言っちゃうと、上の26歳増田はオタクではないと感じている。
俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。
当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。
小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、
子供の性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である。
小学生の自分は爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョのスレ、エロ関係のスレを食い入るように見ていた。
確か11歳か12歳のころ、ジャンプ・サンデー・マガジンを購読するようになる。
2ちゃん的価値観を刷り込まれた俺は「ドラマやバラエティは下らない」という結論に至り、
高校生くらいまでSMAPのメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。
ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。
映画になるまでフレディってクロマティ高校のキャラという認識しかなかった。
ちなみに当時好きだった漫画は日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。
だが、オカズはドラゴンボールのブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~やこち亀のエロシーンであったことが記録されている。死にたい。
本屋の立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌、クリムゾン先生の存在を知り、自分の性癖がソフト陵辱であることに気がつく。
だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。
早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。
また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、
同時期にハヤテのごとく!のSSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントでボコボコにされたらしい。
今となっては恥ずかしいが、アニメはほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋(TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。
日記の落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースターの武器にやたら憧れていたらしい。
とにかくそんなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。
情報の授業の時間にFLASHを見て喜んでいる層に「やれやれ…もっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分もFLASHにハマっていた。
オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板で長門×キョンのSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァとナデシコとGS美神にSS経由でハマった)
だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。
中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSSを乱造して、
パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。
ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。
あと『スクールランブル』の八雲と播磨、『Dグレイマン』のリナリーとアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったか、おにぎり派だったか。記憶が定かでなくなってしまったが。
というか、日記を見るにリア友の情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
「ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨は死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。
大体この世代のネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。
AKBやジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたかえ応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。
ボカロは何か合わなかった。
同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分を演出したかったからで、エロゲはシコるためである。
帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリアか乱菊の同人誌をレジまで持って行ったのだが、
「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。
だが、その後、代引きでAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。
俺が人生で初めてセックスというものを理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンのエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックスを理解していなかったのだなあ)
そこから2ちゃんのエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレに毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。
名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。
また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。
古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版全シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。
「やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプのゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。
また、無駄にガンダムSEEDを叩き、無印のガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、
ひぐらしとスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書が日記に残されており、今、ダメージを受けている。
小~中の時代にこじらせすぎて、Mステも人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。
ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。
一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。
パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手なものである。
(デレマスと呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)
200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?
まどマギやSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。
だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものだから、
「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、
やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。
そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞に投稿した。
『文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFate丸パクリの会心のネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。
「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。
この頃には、同世代でそれこそボカロで成功したり、ラノベ作家にデビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。
その後、なんだかんだあって、大学を卒業し、今はアニメ業界にいる。
有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲームや出版関係の人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。
ネット上の文字列、雑誌の写真のインクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。
仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。
周りでも海外への配信権を売るビジネスが好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。
以上が、大体の俺の人生である。オタクの人生であると言っていいんじゃないだろうか。
引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。
君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。
そして、結論を書こう。
この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。
アニメは間違いだった。
漫画も間違いだった。
ゲームは間違いだった。
ラノベは間違いだった。
この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。
オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。
オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。
その辺で盛り上がってたのって10年近くじゃなくて15年くらい前だよなー
26歳(95年生まれ)だけどオタク差別が社会、特に学校から衰潮していく様をリアルに体感したわ
小学校の時に電車男が大流行して、オタクという概念への認知が生まれた
そしてドラマの舞台であった秋葉原では路上でハルヒダンスを展開するオタクがニュースにもなった
秋葉原+オタク=秋葉系みたいな概念が世間に浸透していった時期だと思う
しかし、中学に上がる前にその秋葉原で秋葉原通り魔事件が起きた
宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人の加藤はオタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク=危険人物みたいな風潮が強まった
でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う
むしろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画が流行っていたのでオタク文化のイメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う
当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動のMAD動画経由で再びブームに火がついた
そして物語シリーズ、けいおん!、あとやっぱりハルヒも流行った
影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった
この頃のお昼の放送は
AKB系列、ジャニーズ系列、ボーカロイド、アニソン(主にけいおん!とハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった
けいおん!がオリコン1位をとってMステで紹介されたのもこの頃だった記憶
高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された
またこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーからの世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラスの過半数がスマートフォンになっていた
みんな暇があったらパズドラやってた
そしてこうしたソシャゲはアニメを見ない人達にアニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる
ソシャゲのキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインのキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザインに自然と親しむ様になった
これはパチンコ好きのヤンキーがエヴァやアクエリオンに抵抗なくなる現象に近いと思う
それを未成年の世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代のアニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる
こんな感じで高校までの自分の学生時代を振り返ると、アニメが若者文化のメインストリームにめちゃくちゃ接近してきた時代だったなと思う
今の10代はもっと当たり前にアニメを消費しているので、俺もその感覚を前にすると当惑を隠せなかったりする
単純にキモい奴、暗い奴、ノリが悪い奴を陰キャ、チー牛として差別するだけ
「お前が差別されるのはオタクだからではなく、お前がキモいからだ」という時代の到来は、果たして旧来のオタクが望んだ世界だったのか疑問ではあるけど
衰微と退潮がごちゃ混ぜになって衰潮と書いてしまった……恥ずかしい……
又聞きの又聞きで、ここまで憎悪を増大させてしまう今のネットははっきりいって異常だ。去年も騒動の後どこかに、書き残したがアレは「It's Media」の風刺画そのものであり、このような憎悪を滾らせる人が発生してしまっているのは、悲劇でしかない。ここまで強い認識となっているならいくら説こうが改められないから虚しくもあるが、一応は説明しておくが、マインクラフトのホロライブサーバーにて架空の会社「AKUKIN建設」における話題で、「弊社はアットホームであり線路を建設していることから子供さんにも自慢できますよ」「社長の上司である宝鐘さんは勤続20年です」「(宝鐘さんはなんの仕事をされているのですか?)清掃員です」という話の流れで「なんで社長の上司が清掃員やねん」「建設会社の社長の上司が勤続20年ずっと清掃やってたんかーい」「お父ちゃん長々と自慢してはるけどようよう聴いたら清掃員やって線路建設してへんやんなんで自慢しとんねん子供のワイでも察せるわ」という新喜劇もかくやのツッコミどころがたくさん生まれた会話だったわけ。そもそもゲームであるマインクラフト上で膨らませた架空の関係であり、ネザーとか一歩足を踏み外したらマグマに落ちて死んでしまったり、空中から絶えず自分めがけて一直線に火炎が放たれるなど、線路建設は極めて危険で命がけの作業であり、現実に置き換えたら子供にも胸を張って誇れるだろうことが想像できる一方、うっかり落下死した他の人の遺品を回収したり、クリーパーが自爆して破壊された家屋の補修をしたり、労働災害の恐れもなく安全な清掃作業は、線路建設に比べたら自慢できるものではないだろう。命を懸けて建設してると思って話を聴いていたのに、実は安全な後方で回収してただけだと判明したら、笑いも起ころうもん。エラソーに説教してるのに実はちゃうやんけ、と。で、あくまでゲーム上、Vtuberさんたちはマインクラフトでの話をおもしろく膨らませていたのに、あろうことか、その一連の前後の流れを一切秘匿した切り抜き動画だけが一人歩きしてしまい、結果マインクラフトが下敷きとなった会話ではなく現実と直結させての話であるとして悲観や憎悪、あるいは差別や侮蔑を、Vtuberはじめ関係ない各方面へ爆発させた人たちが大量に出てしまった。これはもうほんとうにやめろ。長時間労働でニュースを精査できない事情があるにせよ、まとめサイト等の切った張ったの偏向報道を鵜呑みにするのは頂けない。まして憎悪を一年間ずっと溜めに溜めて他人にも憎悪をせよ、決起せよと扇動するのは、やめてくれ。私は悲しい。ホロライブの事務所さんサイドも騒動なったらひよってすぐ当該の動画を削除してしまったもんだから、第三者があとから検証もできなくてデマの訂正もままならず、悪評が野放しなってんだわ。Twitterのオタクとかも、ニコ生上がりのVtuberたちに内心ビビってて、隙あらば悪評ばらまいてやろう、デマでもなんでも評価を下げられればそれでいい、って暴れてるからさあ。今までは「とりあえず貶していい対象」にホロライブが入ってたんよね。今は事務所さんが悪質なものは法的措置をとる宣言したから、ニコニコ動画のアニメMADに青春をつぎこんだTwitterのオタクさんはなりを潜めたけども。ともかく、当該の放送動画をフル見たわけでもなく、切り抜き動画だけを見て掲示板やまとめサイトのコメント欄にあてられて舞い上がって、自分勝手に解釈して落ち込んで憎悪を溜め込むのは良くないと、私はこう思います。
数々の悪行、身勝手な動機、結果あらゆる所に集約される彼女への憎しみ。それら全てがとても悲しい。
だがかつてあれだけ衝突や惨劇を乗り越え互いを大切に想う仲間達の一人であるはずの沙都子は梨花以外は見えていても見ていない事が何よりも悲しかった。
ただこのひぐらし業卒の沙都子はどうも自分の沙都子像と乖離し過ぎている、業の郷壊し編から既に違和感はあったけど卒で暗躍している様を見る度に「(誰だ?)」とずっと頭に?マークが浮かんでいた。
それは劇中でもちゃっかり描写されてはいるのだがぶっちゃけ「(解ってやってるとか質が悪いしだったら最初からそんな事やるなよ制作陣)」としか言えません。
私が業卒を楽しめない最大の原因がこれ。正直勉強しろとかどうでもいい、こっちはこの子が誰なのかが気になるんだ。
んでこの業条さんを考えている内にある事に気が付いた、この構造って所謂『成り代わり型の転生モノ』のそれに近い感じがあるのでは?と。
たまに漫画の転生モノを試し読みしては「(『誰々に転生した俺/私は~』ってその俺/私はまず誰なんだ!)」と読む度にモヤモヤしていたアレと同じ現象がこっちでも起きていたのだ。
個人的で物凄い偏見な見解で申し訳ないですが、成り代わり型の転生モノって何処の誰ともわからない奴がいくら悪逆無道でもその元になったキャラ像を否定しているのがとても苦手です。
で劇中の他人物は「あいつ変わったな~」程度で基本は良いこととしてスルーされるのでたまには文字通り変わってしまった事に気付いた他キャラが元の人格の行方について考えて欲しいなとは思うのですがそれは最早転生モノに要求される要素じゃないのでそこはまぁよいでしょう。
ただ悲しいかなこれ、元のキャラ像を視聴者が把握しちゃってんのよ。
転生モノだと概ねが劇中劇の作品なので気にはならないのですが今回の場合『ひぐらしのなく頃に』という作品の『北条沙都子』というキャラが現実に存在している結果、何処の誰かもわからない奴に北条沙都子が乗っ取られた悲しみは深いし人によっては
「誰だよお前!元の人格は何処へやったんだよ!」ってなってしまうって訳です。少なくとも私がそれ
こんな転生モノ超見たかったけどいざ体感するとクソオブクソですわ!
ついでに成り代わり型の転生モノだとヴィランが善良化されるのに対しこちらは仲間ポジがヴィラン化してるのでそこも胸糞ポイントですね。
後ついでにエウアさんに関して。
エウアさんはエウアさんでうみねこを知らない人からするとぽっと出も同然、知っていたとしても劇中では業条さんにキッカケを与える程度で自分はだらっと見てるだけ。
当人は「あ~面白れwww」って毎度愉しそうだけどこちらとしては動きが無さすぎてすぐ飽きたよ。
あ、ちなみに残りのメイン各梨花は14話のキレっぷりは酷いし「(な~にOPEDで聖人面してんじゃダラズ)」って思うけど上二人程のモヤモヤは感じてません。後神楽しの羽入は邪魔。
上記二つの見解を踏まえた上で考えたら結局のところ『ひぐらし業卒』って成り代わりの別キャラが無双してぽっと出のキャラが嘲笑ってるだけ、残りの人達はフレーバー程度。
ぶっちゃけこれひぐらしとか抜きにしてもあんま面白くないんじゃないですか?
これだけならまだしも、かつての名作『ひぐらしのなく頃に』を利用した上であらゆる展開を踏みにじられているのでファンは原作レイプに嘆くしエアプはエアプで今作がノイズになって後に原作見てもスッキリしなさそうだしそもそもこんなの見て原作見ようとは思わないだろうから視聴者層は誰が得してんだ?!MAD製作勢か?
そんな訳で私の中で『ひぐらし業卒』は存在を忘却して封殺させた方が良いタイプの作品だと思いました。
長々な上に乱文で申し訳ございません。
最終回どんな展開でブーイングが言えるか楽しみです!
【MAD GEAR SOLID】 FUCK THY ENEMIES 【full,高画質ver】
下ネタMADの代表作といえばこれ、と言っても良いかもしれない。
このFTEバージョンは元祖のPS1版ではなくGC版の映像を使った元祖MAD GEAR SOLIDのリメイク作である。
METAL GEAR SOLIDシリーズのキャラクター達が原作の流れに沿いながら数十分間下ネタを垂れ流す何とも言えない作品。
公式側からの認知度も高く、METAL GEAR SOLIDシリーズの監督小島秀夫氏は、MGS3で遂にこのMAD GEARのノリを逆輸入した。
変態サーキュレーション(ロックマンSEエックス ゼERO)
ロックマンXシリーズのキャラクター達が音楽に合わせて卑猥な掛け合いを繰り広げるシリーズ。製作者は634隊長。
2007年に第一作が投稿されてから現在2021年まで常に新作が投稿され続けている。シリーズ総数はとうとう1150作を超えた。
ロックマンXの新作が2005年以来ご無沙汰という事で、元のゲームを知らない人にとってはロックマンX=ゼEROという認識もあるかもしれない。
具体的にこのシリーズがどういう雰囲気であるかはリンク先の動画を見てもらえれば分かると思う。このノリの作品が、本家634隊長によるものだけで1150作もある。
アーマードコア音声MAD詰め合わせ【高音質】
アーマードコアシリーズの音声MADシリーズ。元のゲームがシリアスな作品だけあって落差が凄い。
オナニーがバレるケイイチくん【ひぐらし業】
去年ひぐらしシリーズ最新作ひぐらしがなく頃に業の放送に合わせて突如現れた新星。ひぐらしエロMAD集・ひぐらシュールとも呼ばれる作品の新作でもある。
ただ一人の例外もなくひぐらしシリーズのキャラクター達がオナニーと乱交を繰り広げる作品。あまりにもノリが昔の下ネタMADすぎて本当に令和の作品なのか疑わしくなる。
サザエさんMAD
ジブリ 総集編
それぞれ国民的なアニメの音声MAD。やはり各キャラクターが淫行を繰り広げる卑猥な内容である。
今ちょうど「映画のターン」。元々ネトフリ、フールー、アマプラを契約しっぱなしなので毎日仕事が終わってから2本くらい流しっぱなしにしている。知り合いからは「理解できない」って言われがちだけど、個人的に「同じ映画を何回見ても楽しめる派」なので、本数には困らない。
ホラー、アクション、ミステリ、サスペンス何でも見る。日本の映画も海外の映画もチャンポンで見るけど、ネトフリがネトフリ作品っていう「売れた」ってフィルターを取っ払った作品をどんどん流してくれることで「海外でも売れてない作品はあってそのクオリティは正直たいしたことない」ってことを教えてくれた。洋画にもゴミはいっぱいある。買い付けられないだけなんだな。
ただ、売れた邦画と売れた洋画だと圧倒的に売れた洋画のほうがクオリティが高い。もう圧倒的。
その前は『日本のドラマ』のターンが来ていて、日本のドラマをいっぱい見ていた。アマプラとフールーは日本のドラマの取り揃えが結構よくていい。まぁ、日本のドラマだけなら日本の放送局が組んでやってるサブスクがあるのでそっちを契約したほうがいいんだろうけど、「映画のターン」と次の「洋ドラのターン」の時には完全に死んでしまうことを考えるとちょっとね。
これも同じのを何回も見たりする。一話完結であることが好ましい。けっこうながら見をするので全部ちゃんと見てないといけない作品だと途中で「あれ?どうなってたっけか」ってなるから。こういう時に「毎週1話」って形式は悪くないなって思う。次の話が来るまでいろいろ情報を整理する時間があるのは別に悪いこっちゃない。
その前が「洋ドラのターン」。洋ドラをいっぱい見た。洋ドラのいいところは無駄にシーズンがクソ長い作品が多くて毎日毎日続きを見続けられること。個人的にはクリミナルマインドとかクローサーみたいな一話完結モノが好き。恋愛系は正直ちょっと価値観が違いすぎてあんまり……って感じ。ライトゥーミーの第一期はマジで名作だからミステリサスペンス好きは見て。二期はゴミ。
あと、洋ドラを見ると日本のドラマは安っぽすぎて見られないみたいな意見をよく見るけど確かに「金かけてないなー」とか「脚本の質悪いなー」と思うことも多いけど、『お母さんのカレーライス』みたいなもんで作品自体のクオリティは低くても「日本の風土に根付いた作品」ってだけで視聴ストレスが低く、理解が容易いという利点があって、この「安心感」は割と何物にも代えられない。
その前が「無料動画のターン」。具体的には「Youtube」「ニコニコ動画」みたいな、投稿動画ばっかり見る時期。YoutuberからアニメゲームのMAD、Vtuberのまとめ、歯石取り、整体、ゲーム実況、フィットネス、MCバトル、ナショジオ、声優ラジオ、料理等々、マジで何でも見る。あなたにオススメみたいなのの中から面白そうなの順番にザッピングしていく。圧倒的ジャンク感。
ただYoutubeを見てるとニコ動時代と違って「その道のプロが新たなマネタイズの一環としてやってる」動画がめちゃくちゃ増えてるなって感じがする。歯石取りとか整体とかはまさにそうで、これまではテレビの特集とがあったときに稀に見られた、くらいのものが普通に見られてしかもたくさん再生されてる。時代は変わったもんだ。あ、歯石取りは結構グロなので注意してね。
そんな中でもいまだに昔ながらのゲーム実況とかMADを作ってる人もいて、いいぞもっとやれって感じで見てる。ただゲーム実況は昔みたいに大スケールの長編は見れなくなったな。年取ったってことか。
その前が「アニメのターン」。日本のアニメはいいぞ。涼宮ハルヒの憂鬱による「深夜アニメ革命」以降の「アニメが円盤でマネタイズできる」時代の作画クオリティが異常に上昇した後のアニメはやっぱり見ごたえがあるし、前時代的にやってるワンピースみたいな「いかに作画枚数を抑えられるか」みたいなアニメも趣がある。昔のアニメマジで動かないからね。そのセル画何秒スライドするねーんみたいな場面がめっちゃある。息詰まる演出だ。
新旧ちゃんぽんで見ていると気付かされることは多い。昔のアニメのほうが作画も演者も「太い」と感じることが多くて、今のアニメのほうが作画も演者も「繊細」だなと感じることが多い。毛筆習字とペン習字に近い。昔のほうが骨太で個性があるけど荒くて、今のほうが繊細で小回りが効くけど個性は薄い。最近の声優は演技が下手って言う人が多いけど当時のアニメ見返したらわかるけど、今のベテランも新人時代の演技は今の新人に比べたら明らかに雑。雑だけどパワフル。どっちがいいと感じるかは人それぞれ。僕はどっちも好きです。
一番好きなアニメは「アイドルマスターゼノグラシア」ですが、なんとフールーで見られます。
そしてその前が「映画のターン」。これで一周する。テレビがないのでテレビのターンはないです。
だいたいこれが2か月くらいの間隔でローテーションする。そのターン中は基本的にそればっかり見るので、1周してる間に新作が結構溜まってる。やったぜ。
90年鬼畜文化批判の流れで現在進行形の淫夢文化や恒心教芸術路線はどうなんだ?さっさと止めさせろって話にもなってるけど
まず恒心教芸術路線は布教よりもこの文化の本質(暇潰しがてら弁護士の嫌がらせをするだけ・ハッキングや匿名通信技術による爆破予告は手段に過ぎない)を理解しない外野が増えることを恐れて
もうMADやMMDからは撤退する空気になりつつある そもそも件の弁護士が復活直後のsyamuのように馴れ合いを求めるだらしない姿を露呈しているのを見て呆れ果ててるのが現状
あと淫夢実況をやってるユーザーの趣味の自分語りを見るに、ケモナーや女装癖、ディルドによるケツイキといった盛ってる部分もあるとはいえ
ほぼゲイ当事者に片足突っ込んでいるのが語録でノンケとコミュニケーションを取る為のツールとしての一面も併せ持ってるから、悪ふざけしつつもその差別性に関しては皆薄々感づいている
淫夢20周年を境にして自主的に店じまいをしていく流れになるんじゃないかなーと希望的観測を持っている まあネット文化の行先は誰にも予想できないから恐ろしいんだけども
1:gueuleは顔、口という意味なのに、sale gueulesというワードのうちのgueulesが醜いという意味だと勘違いしてしまう
2:差別にあたるかどうかはデンベレ本人の内心が大事であるとして引用したツイートが発言を隣で聞いていたグリーズマンのツイート
3:フランス語通訳で7ヶ国語を操るフランス人ダバディ氏に対してフランス語の解釈でレスバして無視される
4:在仏53年の言語学博士号取得者に対してフランス語の解釈でレスバしてボッコボコにされる
5:ピュータンピュータン言っていたら読み方はピュタンだと指摘を受けて、以後ひっそりとputain表記に変える
6:スラム街出身の黒人主人公の映画、現代スラム街が舞台の映画で何度も出てくるワードだからputainは日常で使われる言葉であると反論
7:執拗に辞書を引用して反論を試みるも、早稲田大学文学部大学院教授から、文脈を無視して「辞書にこういう訳語がある」と主張してくる学生みたいと呆れられる
8:内心から差別に当たらないとかどうのこうと言ってたくせに、裁判で確定しなければ差別には当たらないとか言い出す
9:フランス人の友人に確認してみれば?というツイートを全無視
10:仏仏辞書を引っ張り出してputainにtres familierな表現として感嘆の意味があると反論するも、tres familierは「よく使われる」という意味ではなく「口語的」、即ちスラングという意味であると反論される
11:見ず知らずのフランス人のTwitterにフランス語初心者を名乗って人種差別ではなかったか質問するが、自分が欲しかった答えがもらえなかったためにお礼の返信もせずに消える。お礼を言ってないことを複数人から指摘されて4日後にようやくお礼の返信をする
12:都合の良いツイートを見つけたのでひろゆきがリツイートしたら、ひろゆきの意見に否定的な人だった
13: パリ在住の元大学教授から「ひろゆきはよほどフランス語ができないか、言われ続けて麻痺してるか、ヘイトを親しみと勘違いしている。留学したての若者にありがちなその国を選んだ自分を否定したくない認知の歪みが起きてる」と言われる
14:ラテン語さん(ラテン語歴10年、英検一級、仏検一級持ち)に、なぜ差別行為があったとされる動画内の文脈を考えずにputainという単語の多義性を強調しているのかと疑問を呈される
15:11のフランス人へのtweetで男性ホテル従業員のことを「Les japonaises」と書いてしまい、動画に映っている日本人男性三人を女性と勘違いしたか、「男の日本人」と「女の日本人」をフランス語で区別することが出来ないということが露呈する
16:11で送ったお礼の文が例文の寄せ集めとしてバカにされる
17:F爺に対して無視を決め込み、YouTube liveのF爺関連コメントも一つずつ手作業で削除する
18:東大大学院哲学科博士課程の学生から、論破がかっこいいと思ってる奴いるけど、相手の議論の弱点を突いて自分の(一時的な)優位を示す「論破的思考」よりも、 互いの議論の穴を補い合うことで、新しい洞察を共に獲得できるような「対話的思考」の方が健全だし時代に適合していると言う正論を言われる
19:7/14の配信中に日本人がピュータンの使い方で議論するのはおかしいというブーメランを放つ
20:F爺に対する無視を解除し論破に向かうも、仏大統領が貧困層への親近感アピールのためにあえて汚い言葉を使った動画を切り取ったmad動画に騙され、仏大統領が大統領選挙の場面でputainを使っているというデマをツイートしてしまう
21:20の動画で自分が優勢であると考えて、それまで某ブログ主とトーンダウンして批判していたのに、F爺と個人を特定して攻撃を再開する
こちらも。
それもmadやコラを作るやつはだいぶ少ないけど、見るやつは沢山いるって感じするなぁ
そんなことは最早考えるまでもない。
それはすべてアニメやゲームやライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。
40歳以上のおたくカルチャーを毛嫌いしている人が多い世代には理解しがたいかもしれないがそれ以外に原因はない。
Vaporwaveもシティポップも全部海外のオタクカルチャーに興味があったり、オタクの人が広めたものだ。
Plastic Loveをyoutubeで歌ってバズっていたRainych Ranもチャンネルを見ればわかるが、Plastic Love以前からアニメのOP、EDなどのカバー曲だらけだ。
シティポップ関連の記事を見ていると明らかにその点を強調するのを避けている記事が多い(言及しても流行している原因のメインに上げる人はいない)
海外でJ-POPを聞いてる人はほぼいない。アニメ関連の楽曲を除いて。
チャンソーマンのyoutubeコメント欄は外国語だらけだし、邦画でこんなことは起こりえない。
日本の邦画はネットでごみのように罵倒されている、なろう系以下しか見られていない。
J-POPに限らないが、この日本の中年層以上にあるうっすらとしたオタク嫌悪を直さないと創作も批評も的外れなものしか出来上がらない。
不都合な現実を直視できないのであればシティポップがなぜ流行ったのかもまともに分析することはできない。
日本だのなんだの言う前にアニメすげえ、漫画すげぇ、テレビゲームすげえだろうが。
日本スゴイ論を警戒する前に自分の内面にある"日本の曲/音楽文化スゴイ論"を自省しろよ。
恋愛サーキュレーションのcoverが1億再生超えて、ただのMADが2000万再生されてる事実を直視しろよ。
Rainych RanのPlastic Loveはたったの300万再生だぜ(ちなみにRainych Ranの恋愛サーキュレーションのcoverは500万再生な)
※追記
こんだけいってもわかんね~のか。増田のツリーはひどすぎだろ。
おたくカルチャー以外のエンタメのレベルの低さの話をしてるんだ。
話そらしてそうやって慰め合ってりゃいいけどさ、一生海外で人気でねーよ。
んなことやってる限り全部おたくカルチャーにおんぶにだっこのままだぞ。
この少子化の時代、国内でしか人気ないってことがどういうことかわかってんのか。
このままアニメが海外で人気で続けたら実写邦画は出来不出来の前に金の力で全部叩き潰されるぞ。
もう、そうなりつつあるけど。
ちゃんと向き合あわないとやべーぞ。
歴史に名を残す名馬を美少女に擬人化したどこかで見たタイプのゲームである。それがなんだか大流行しているようで、売上か世界ランキングでかなりいい順位をつけたらしい。
そんなコンテンツなので何も知らない私の元へも様々なウマ娘を楽しむさまが垂れ流されてくる。
あるものはガチャで数万円つぎ込んで目当てのカードが引けず爆死するさまを動画にしてコメント欄で笑われて、あるものは安金で手に入れて低評価を食らう。
あるものはキャシャーンとデビルマンが名馬の名前と「ここーすきっ」を連呼する何が好きかちっとも伝わらない音MADを投稿する。
あるものは名曲に合わせてアニメを切り貼りした映像と白文字の歌詞を書いた音MADを垂れ流す。
SNSではシンボリルドルフを擬人化したウマ娘がブチギレている画像に「王道スポ根漫画です!」とすぐわかる嘘を付き、ライスシャワーやゴールドシップを擬人化したキャラクターの画像に呪術廻戦のコラを乗っけて性癖をアピールする。
目当てのものが何も当たらないガチャ、良さの伝わらない出来の悪いMAD、詐欺広告をしないと買ってもらえないコミカライズ、性癖の垂れ流し。
無論本気で面白さを伝えたい人がいないこともないのだろう。だがウマ娘でインターネットで検索をかけると引っかかるのはGamewithの穴ぼこまみれの攻略サイトか上記のような有様ばかりである。
そして思う。彼らは新参者を呼び込むつもりなど毛頭ないのだと。
ウマ娘は売れまくっている覇権ゲーなのだから、大して存在しないやったことのない人向けのアピールをすることなんかより、下劣な内輪ネタのほうがいいねも高評価ももらえて絶頂できる。そしてその評価の裏には実際に楽しんでいる人がいる。だから現状が正解なのだ。
これが強者の余裕だ。新規層にアピールせずとも、長らく続く覇権を確約されたコンテンツだからこそ見られる、地獄だ。
だがそれは同時に極楽でもある。楽しんでいる人がいるからこそ、覇権は成り立つのだ。彼らの思いを否定することはできない。だって実際に楽しんでいるのだから。
彼らのお楽しみを、内に入って混ざることもできなければ、外から批判するのもまた違うからだ。
別世界のことと思って忘れるのが吉だ。
いつまでこの覇権が続くのかだけだ。
増田はたぶんこの元増田よりはきっともう一世代年下という事になると思う。
要するに初期のニコニコやYouTubeの頃、動画文化の走りぐらいの世代間の人間である。
だが感覚としては同じで、「当時尊敬していた大人は狂人になってしまった」という印象である。
当時からおっさんだったような人は、大体おもんないジジイに進化した。
昔は無邪気で楽しいおっさんだった。面白いものを作るおっさんだった。場を盛り上げるのが上手なおっさんだった。
おっさんはキッズよりも博識で、交流があったおっさんからは色々と良く教わったものだった。
ただそれも後半になってくるとどちらかというと「シュババババwww」というニュアンスになってきたような気がする。聞いてもいないのに飛んできたりな。
おっさんたちは最近、何も創らない。作ってるならいいけど何も作ってない。
ただ今日の政権にケチをつけて、東京都の今日の感染者数を確認して、炎上現場にガソリンをまきに行って、インフルエンサー()に噛みついて、競馬を見ているだけのおもんない1年を過ごしている。
元増田は男らしさとの関連を見出していたりもしたが、自分の場合は女性もちらほら居たのでその話もしよう。
政治経済へ物申すところは男とあまり変わりないが、特徴的なのは痴漢とか家事をしない夫の悪口なんかをRTしてくる事だ。
自己矛盾を起こしていることで有名なポリコレ腐女子と化してしまった人もいる。
昔はあんなに面白い動画を作っていたのに。楽しい人だったのに。そんな人たちがネットで見かけるクソ女カテゴリーになってしまった悲しみは筆舌し難い。
ニコニコ動画ないしこの時代感のクリエイター文化では、ここを出身として後に有名になった人もそんなに珍しくなく存在している。
世代感としてはさらに少し後になるが、最も有名な所だと音楽業界の頂点まで上り詰めてしまったハチこと米津玄師氏などがそうだろう。
特に音楽系においてはボカロPや歌い手からメジャーデビューする人も多く、例を挙げるだけでも絞るのが大変なぐらいである。
それ以外の分野においてもニコニコで手描きMADを書いていたうp主がプロのイラストレーターになって活躍していたとか、
MMDをやっていた人が3Dモデラーとして発注を受けるような立ち位置になったとか、ゲーム実況者がえげつない数のファンを獲得していてそれで生計を立ててるとか、
あるいは大きな知名度は無くても、その分野でちょっとした有名人の立ち位置を未だにキープし続けている人だったりとか。
有名とか人気とかにも度合はあるが、クリエイターとしてある程度成功を収めている人っていうのは結構いる。
なんでこんなことを話題にしたかというと、おもんないジジイあるいはクソフェミババアに進化した彼彼女らは
この「未だにクリエイターとして活躍しており、大なり小なりそれなりの人気を維持している人」”ではない”という共通点があるからである。
要因はいろいろあるだろう。時間が無くなって物理的に作れなくなった人も、体力が尽きてしまった人も、もう感性を失ってしまった人も、文化についていけなくなってしまった人も、クリエイターとして挫折してしまった人もいるだろう。
どこを経由したかはさておき、いずれにしても「ニュースに物申す老人」という結果にたどり着いていく。
逆に活躍している人ほどセルフマネジメントとしてセンシティブな話題への言及を意図的に避けているというのもあって、どの程度センシティブな話題に触れるか自体がある意味脱落者チェッカーの役割を果たしているような気もする。