はてなキーワード: 繁華街とは
http://anond.hatelabo.jp/20130418190633
自分のチェックポイントをあげていたのですが、求人サイトのライター経験者の方から貴重な声が寄せられたので、間違っていた情報を削除と追記。
twitterや、はてブのコメントで寄せられた情報も追記。最後に「良い求人の見分け方」を追加してまとめました。
決まったら給料の一月バックとかそういう条件でやってるわけでさ。
「良い求人の見分け方」
http://anond.hatelabo.jp/20130318183655
期末だから仕事が忙しくて忙しくて、肉体的精神的疲労が溜まって効率悪くなって仕事の進みが遅くなってますます忙しくって、そりゃあ心を亡くすと書いて忙しいだわ~てな感じで、そのイラつきたるや、通勤途中に道を譲らぬ対向者がいたら猛然とダッシュしてドロップキックでも食らわしてしまいたくなるような昨今なのだが、貴様は如何がお過ごしか。って書いてあったな。なんとなくは把握した。
上記の通り、俺はイラついてイラついて仕方がないのだが、夜食代わりにコンビニで買ったタカナシのおいしいバナナのミルクラテとかいうのが存外うまくて気分が良いので、俺で良けりゃ回答しようか。気に入るかどうかはしらんがね。
なっちまったもんはしょーがねーよ。若いと脂っこいんだ。跡が汚いのは手入れしなかったツケだ。俺もそうだった。今から手入れすれば、ちったあマシになる。
方法はググれ。
ニキビの発生自体は年取りゃ収まるが、きれいにするにはちょっとずつでも手入れするしかねーよ。レベル上げみたいなもんだ。
それと、今はともかく、結婚するような年になると、顔のことはあんまり気にしない女は多い。
でも、顔の手入れは女のほうが上手なので、手入れした結果の顔なのかどうかはバレる。美醜そのものよりも、そういうのの方が減点ポイント高い場合もあるよ。
薬でなっちまうもんはどうしようもないけど、あとは手入れだ。レベル上げだ。1日1回やれば1年で365回だ。やらねばゼロだ。やるのだ。
お前の顔の具合なんかしらねーよ、見えねえもん。
大事なのは表情と髪型。ほとんどそれが全部だ。アイドルになるんじゃあるめーし。
鏡に向かって笑顔の練習すれ。真偽の程は定かでないが、楽しくなくても笑顔でいるとなにやら楽しくなってくるという説もある。
とりあえずお前の顔の原型になってる両親が結婚できたんだから、磨けば少なくともそのレベルにはなるだろーよ。
どっか繁華街のマックに行って、窓際の席で通行人眺めてみろ。どいつもこいつもたいしたツラじゃねーから。
あと髪型はとりあえず清潔にしときゃいいんだよ。ハメ外すのは大学に入ってからで結構。というかハメ外す必要は別に無い。向いてないだろ、そういうの。
すまん。よく知らない。でも文章を見るぶんには特にひどいようには見えないが。
なんかして良くなるものなら良くすりゃいいし、どうにもならんもんならどうにもならんので気にするな。
すまん。これもよく知らない。小学校の頃の同級生に人工透析してたのがいたけど、あんな感じか?
不便だろうけど、こればっかりはなったことが無いので想像するしかできん。
同じ病気の人とかに相談すれ。ネットならそういう人も探しやすかろうよ。
おまえ身長160cmの人の前で同じ事言ってみろ。
俺は身長180あるけどな、俺の好みは俺を物理的に優しく包み込んでくれる人であり即ちデカイ女なんだよ。俺よりデカイ女なんてほとんどいないぞどうしてくれよう。
んー、あれだ、ぶら下がり健康器やれ。
何のためにやってんの?
俺は一応、親が大学進学できなかったのがコンプレックスだったみたいで、しかもありがちなことに小中だけはろくに勉強せずともトップクラスなもんだから、妙に期待されちゃって、
でも俺は勉強なんか全然面白くもなんともねーし、入った高校が曲がりなりにも進学校だったもんだから勉強は大変だし、予習復習する習慣もないし、
アホ教師が地理と倫理選ぶと受験が楽だとか言っちゃうもんだから、俺がやりたかった世界史の選択授業が人数不足でなくなっちゃってやる気ゼロだったよ。アホすぎる。
あまりにもアホらしいので3年になったら授業サボって部活だけ出てたよ。引退しても部活だけ顔出してた。あとは寝るか食べるかゲーム。んで卒業式の日に退学。
まあ俺の話はどうでもいいんだ。
で、何のためにやってんの?
言うまでもなく、いい大学に入学→いい企業に入社ってなもんなんだろうけどさー。
他にやることないなら、別にそれでいいんだけどさー。
無いっていったって、これまで生きてていいことなんてひとつもなかったよ! なんてこたぁないだろ。
なんか楽しい思い出の一つや二つあるだろ。些細なことでもいいんだ。漫画見るとかでもいーのよ。
それがなんで楽しかったのか、どうすればまた&もっと楽しい気分になれるのか、それを考えればいい。
ちなみに俺は家族も友達もうっちゃって、貯金でどこかのど田舎に引きこもって絵とかプログラムとか好きなもん作ってたい。そんで、どうせ金にはならないだろうから、そのまま野垂れ死にたい。野垂れ死ぬ自由のある素晴らしさよ!
親に相談しなさい。
んなこと恥ずかしいと思ってるんだろうけど、別に恥ずかしいことじゃない。
ただ、恥ずかしいからって何気なく話すと、何気なく流されちゃったりするので、
相手の目を見て、真面目な顔で、相談があるって言えばいい。
親は親で忙しかったりするから、その場ですぐにってなわけにはいかないかもしれないけど、
日程決めて、約束して、その日に話そう。
もし約束をすっぽかされても怒っちゃいけない。大人だって辛いこともあれば、約束を忘れることもあるのだ。また次だ。
で、何を話すかだが、増田に書いたようなことでいいのだ。
何をしたらいいのか分からなくて悩んでいると、素直にかつ真面目に言えばいいのだ。
だって、お前、自分が親になったと仮定して、子供が悩んでる時、一人で悩むくらいなら相談して欲しいだろ? 違う? 違うとしても、お前の親はそうかもしれないだろ?
ただ、親を責めるような風に言わないように。親だって人間だ、責められればつらい。
でも、なあなあで済まそうとされるのなら怒ってもいい。養われてたって、雑に扱われたら怒る権利くらいある。ひと通り怒った後に許そう。相手を許すのは超大事。自分のために許す。
で、相談したとして、一回の相談で簡単に答えが出るもんでもないだろう。それは期待しすぎだ。焦るな。おちけつ。また次だ。
少なくとも、両親の内、片方くらいは真面目に聞いてくれると思う。
駄目ならじーさんばーさんだ。兄弟や仲の良い従兄弟がいるならそれでもいい。
30歳wって揶揄する奴。まあたしかにきつい面もあるけれども、少子高齢化社会では勤労者の高齢化も考えられますので今後は…
40歳ミニスカサンタも当たり前になってくるんじゃないかね…と思うのはおかしいのかね。
福岡市中央区の繁華街・天神地区に、今年も女性サンタクロースの集団が
12月の週末に現れ、きらめくイルミネーションの中でクリスマス気分を
盛り上げている。
サンタの衣装を着ているのは、天神地区のデパートや商業ビルなど
12施設の従業員ら約50人。
天神を盛り上げ、人を呼び込むのが狙いで、昨年に続き2回目。
今年最初の登場となった8日は、午後5時ごろから2グループに分かれ、
各施設前で魅力をPR。最後は1日にリニューアルオープンしたばかりの
警固公園に集結した。
「警固公園もきれいになり明るくなった。天神にはいろいろな施設が
あるので、来て楽しんでほしい」と笑顔を見せた。
ソースは
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/121210/cpd1212100814000-n1.htm
サンタの衣装で福岡・天神のクリスマスをPRする商業施設の従業員ら=8日、福岡市
http://www.sankeibiz.jp/images/news/121210/cpd1212100814000-p1.jpg
http://www.sankeibiz.jp/images/news/121210/cpd1212100814000-p2.jpg
http://anond.hatelabo.jp/20121204141230
飲み屋に行かない人に、飲み屋で目撃されるわけがないの。繁華街を1人で歩いてたら、おかしいの? 地元の町なんだよ? 噂が回るってこと自体が、その飲み屋街と、その地域の人たちが密着しているってことじゃない。なんで、元増田だけ、その輪に入っちゃいけないの? 何考えてるの? その奥さん。「どこで誰が見てるかわからないから、紳士的に振る舞ってね」というのならわかるが。行くなって。地元で友だち作っちゃいけないの?
だからさー。友だち作りが目的じゃないんなら、家で飲めよ。と私は言ってる。元増田は「たまには外で飲みたいんだ。近所がいいんだ。居酒屋の雰囲気を楽しみたいんだ」って言ってるけどさ。店の人と交流したり、常連さんと交流したりしないのなら、今、無理に外飲みにこだわる必要はないよね。幼稚園は卒園するんだし。
まー、元増田の奥さんは、小学生になっても中学生になっても高校生になっても、同じこと言いそうだけど。つまりは、地元に友だちを作って欲しくないわけでしょ。
落ち着けよ。
俺は「繁華街じゃないところに飲み屋がある」と言ってるんだぞ。
例えば23区内にある俺の家(住宅街)から歩いて5分のところに美味い店が3件はあるわけ。駅にたどりつく前にな。
(うまくない店も含めたら10件はあるぞ)
東京じゃ、そもそも繁華街の近くに住宅地って無いでしょ。それ、無茶苦茶高級住宅地だし。第一、「家の近くで飲まないで」と言われても、有名な繁華街が電車で30分以内のところに3つも4つもあるんだから、そんな制限されても、どうしようもない。
元増田の地元は、たぶん、東京でも郊外、例えば、吉祥寺とか、大宮とか、それなりに大きくて、気のきいた店がいくつもあるあたり。
酒飲んだことないだろとツッコミたいのは、こっちのほうだよ。一人で酒飲んで、つまみつつくわけ? お店の人とか常連の人とかと話さないの? 「この食材美味しいねえ。どう作るの?」とか聞かない? ってか、居酒屋の雰囲気を楽しむって、そういう会話するのがメインじゃないの? ただ、黙々と杯を傾けて、つまめればいいんなら、デパ地下あたりで、いい酒と美味しいつまみを買って、家で飲むことをお薦めするよ。
常連になるくらい通って徐々に仲良くなる、とかはあるけどね。
いきなり話しかける奴もいるけど、それでもその店とは馴染み、という感じが多い。
改めて読み返してみると、「繁華街に飲みに行く」という表現に違和感を感じる。
東京だと少人数または一人で飲みに行くのに繁華街に出る、という感覚はあまりない。
繁華街じゃなくても店があるし、むしろそっちの方がいい店が多いから。
(個人経営の店は無駄に土地が高い繁華街なんかには出店できないし、繁華街は空気読めない奴とか若者も多いから)
もちろん繁華街にもいい店はあるけど、なんというか、そこの常連になって他の客とコミュニティを形成する、という雰囲気じゃない。
というわけで、あの増田は少なくとも都市部には住んでいないと思われるし、あなたの言うことを考えると
やはりそもそも酒を飲まない人なんだろうと思われる。
私は家から1時間もかかる繁華街で飲んでたら、近所のママ友とばったり会って、ものすごーくきまずい思いをしたよ。
家の近くで堂々と飲んでたほうが、評判は悪くならないと思うなあ。
そだなあ。未就学児がいる母親が「単なる飲み」に行くのは許されないと思ってるし、そういう感覚は時代錯誤じゃないだろ。
母親は父親と違って、子どもと接触するシーンが多いんだ。酒くさい母親なんて無し。
母親がやってるのは「生き物の世話」なんだから、24時間365日母親でいるべきだよ。生き物は24時間365日世話を必要としているんだ。就学する年齢になれば、たいがいのことは自分で出来るようになってるから、遊びに行っていいよ。
あ、ちなみに「許可」をするのは、「子どもの年齢」ね。私じゃないから。
「1人」というのが問題なら、元増田の悩みは即解決だな。飲みに行けば飲み友だちがすぐ出来るだろ。ってーか、そういう飲み方するんじゃないなら、家で飲んでも変わらないんだから、家で飲めば、安くて、奥さんもごきげんなんだから、迷わず「家飲み」を選択するだろ。
繁華街に1人で飲みに行って、友だちも作らないって、どんだけ暗いのー(w
http://anond.hatelabo.jp/20121203154432
本気でわかんない。飲み屋に寄ったら「幼稚園ママ」に目撃されるってことは、その繁華街には夜飲みに行くような時間帯に「幼稚園ママ」がうろうろしているわけ?
幼児連れで飲みに行くママ(そんなことは書いてないとわかった上での誇張表現ね)のほうが問題だろ。
そんなお達し守る必要なし。
せっせと飲みに行って、隣近所の飲み屋さんたちと親交を深めなさい。そしたら、妻がつかんでいない情報が手に入るかも知れない。
あー、もしかすると、奥さんが気にしているのは、こっちのほうかもなあ。今、昼間、主婦向けに営業している居酒屋系の店も多いから。「奥さん、昼間から飲んでたよ」なんて話が、元増田の耳に入ることをおそれて、そんなこと言うのかも。
自宅の近所は結構な繁華街で、酒の好きな自分にとってはベストスポットになる・・・はずだった
しかし、妻から「自宅の近くの店では飲むな」と言い渡されてしまった。
その理由は
「アンタの姿を近所の店で目撃されると、幼稚園ママとかに噂になりかねない」
「アンタは気付かなくても、向こうが目撃して噂するケースが結構あるから」ということだそうだ。
仕事の付き合いの飲みは許されても、純粋に「自分が楽しむ飲み食い」はご法度なんだとか。
これでは「灯台元暗し」である。
・・・「亭主が一人で外で酒を飲む」というのは、幼稚園的には、許されないのか?
幼稚園パパたるもの、仕事が終ったら、真っ直ぐ帰って、マイホームパパを演じなきゃならないのか?
そういう「肩肘張ったライフスタイルの押し付け」が、世の中の男性を子作り子育てから遠ざけてる気がする。
マイホームパパ、理想的なパパ以外にも、「ぐうだらパパ」「飲み屋で飲んでるパパ」が
いてもいいじゃないか。
家族に暴力振るうとか、飲んだくれてる/給与が少ない、とかなら問題だが、
普通に家庭生活していて、それなりに収入を家計に入れていれば、
「飲み屋で飲んでるパパ」は、許されていいのでは?
auで1年と半年ほど使ったスマホを買い換えたいところにiPhone5の誘惑。
どちらかといえば使い慣れたアンドロイドのほうがと思ってるんだが、おサイフも防水もいらない派だし。
いままでWiMaxでテザリングしてたので、テザリング使えないのは辛いなぁと思ったら、iPhone5は容量制限こそあるものの、LTEでテザリング出来るらしいし。
いままでのauのように、新規とMNP優遇で既存ユーザーはほぼ定価というわけでもなく、MNPはたしかに優遇度が高いが、新規も機種変もそうは変わらないプランのようだ。
別にアンドロイド機も最新機種を実質無料くらいのことをやればいいのにと思う。
スマホに求めるスペックの一番の希望、カメラや音楽プレーヤー、ブラウザが素早い起動と、電池の持ちで、そういう点だとiPhone5なんだが、主に郊外や田舎に行くときにGoogleMapをカーナビがわりに使ったりもするのでその点だとアンドロイドじゃないとという気もしてる。
あのスカスカのナビだって、田舎を車での移動には問題ないのだろうか。
東京の繁華街とかだと不足だけども(GoogleMapも徒歩の時は使いにくいのであんまり使っていないんだが、これは端末の性能というよりGPSの性能の差と思ってる)
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.designmap.info/tobewebdesigner/preparation/webselfstudy2012/
はてなブックマークで定期的に「WEBデザイナになる方法」みたいな記事がホッテントリになる。多分スパムなんだろうけど、もしかしたら夢見がちな若者が「かっこいいクリエイティブな職業」と勘違いしているのかもしれない。そこでこれを増田に書いておくことにする。
想定する対象は10代後半から20代前半の「WEB業界」を志す若者。
http://doda.jp/guide/heikin/007_02.html
WEBデザイナはとにかく給料が安い。20代だと300万円を割る。同年代平均からも60万円も安い。これは敷居が低くある程度パソコンが使えれば誰でもなれるためだ。特に地方では手取り月収13万なんて言うのも当たり前。アルバイトでも時給800円なんていうのもよくある。正直、深夜の繁華街のコンビニでレジを打ってたほうがよっぽど稼げる。
まあ、これはコーダーに毛が生えたレベル、あるいはDTPオペレーター崩れが名乗る「なんちゃってWEBデザイナ」レベルの収入で、いわゆる「看板デザイナ」レベルになればもちろん収入も増える。ただそれは「テレビに出てない若手芸人が冠番組を夢見る」「新人賞で佳作を取った新人漫画家が週刊少年ジャンプで看板作家を目指す」「序二段の相撲取りが横綱を目指す」レベルの話である。
じゃあフリーランスならどうなの?と思うかもしれないが、フリーだと自分で営業して仕事を取ってきて、自分でディレクションして、自分で制作して納品して、自分で経理人事総務やって、自分で銀行や税理士と話をして…と、本当に全部自分で面倒を見なければならない。外注で制作会社から仕事をもらうという手もあるが、もちろん買い叩かれる。おまけに社会保障も自分で何とかしなければならない。ノマドなんてカッコイイ事言ってるペテン師みたいな人も見かけるが、はっきり言って勤め人よりもきついし自律心が必要である。
ちなみに、WEBディレクターは20代後半で413万円、プログラマは365万円。サーバエンジニアが398万円。WEBデザイナはWEB業界でもはっきり言って底辺である。
http://diamond.jp/articles/-/21790
IT系とクリエイティブ系の宿命である長時間労働どうであるが、WEBデザイナも例外ではない。あなたが運が良ければ、土日祝日休み、定時退社が当たり前で残業はたまにあるという、天国のような制作会社に勤めることも出来るだろう。しかし長時間労働が常態化している制作会社が多く、納期前のデスマーチなんていうのも当たり前になっている会社も多い。
特に営業が中心の会社は注意が必要だ、無茶なスケジュールと予算で案件を取ってくる場合が多く、そのしわ寄せは大抵立場の弱い人間に振りかかる。特に社長が営業畑出身の会社は避けたほうがよい。
更にクライアントが原因のデスマーチもある。資料をギリギリまでよこさない、納品直前に修正要求、突然の方針転換など。これはどんな業界にでもあることだろうが、特にWEB業界ではそれが多い。金を出すクライアントのおっさんたちは、「そんなのパソコンでちゃちゃっと直せるだろ」という感覚なのである。とにかく平穏で余暇を大事にする人生を送りたい人にはおすすめできない職業である。
当たり前だが、常に新しい情報を入れて勉強し続けれいなければならない。数年前まではFlashがこの職業の必須スキルだったが、今では役に立たないとまでは言わないまでも積極的に覚えるべきスキルではなくなっている。今はHTML5とCSS3とAjaxが必須になりつつあるけど、これだって数年すれば陳腐化する。というか、半年かけて覚えたことがあっという間に陳腐化していくのである。
冒頭で「パソコンが使えれば誰でもなれる」と書いたけど、当たり前だが「趣味はインターネットです。ニコ生と2chを9時間見てます」「ExcelとWordは任せて下さい」という人がなれるわけではない。PhotoshopとIllustrator(FWは別にいらない)、HTMLとCSSは必須というか最低限の基礎知識で、配色やレイアウトの知識、AjaxやActionScript、PHPやRubyなどのプログラミングやデータベースの知識、WordPressなどのCMS、SEMやLPO(SEOはすでに陳腐化している)、場合によってはイラストやコピーライトや写真撮影と、とにかく広く薄く覚えることがたくさんある。とにかくたくさん本を読んだり、検索エンジンと格闘したり、下手すれば英語のサイトを読んだりして知識を入れなければならない。業務時間中では当然のように時間が足りなくなるので、プライベートの時間も勉強することになる。ニコ生と2chで9時間というタイプの人には無理だし、普通の人にもまず無理だ(普通の人って土日とか平日の夜に勉強するもんなの?)。まあ、はてブに沢山いる「勉強熱心な人たち」には大したことではないかもしれないが。
さて、ここまで読んで「WEBデザイナになる方法」をブックマークして満足している人はそれでも「WEBデザイナ」になりたいのか。もしなりたいならば、ポートフォリオを作る前に、Adobe CSとMacを買う前に、専門学校に願書を出す前に、身近でWEB業界で働いている人の話を聞くべきだ。但し間違っても、ドワンゴとかはてなとか、あるいは博報堂なんかにいる「エリート」ではなく、出来れば聴いたこともない会社に勤めている人に話を聞こう。
たまにアルファブロガー「ちきりん」女史のブログを覗くのだが、
「大阪と京都の間でこの環境を維持するのは至難の業、環境維持のためにサントリーは株式公開すべきじゃない」
と書いた上で、
「先日新幹線不通で足止めされたので、在来線で大阪→京都を走ったら、途中山崎を通ったので
『こういう場所なのか』と感心した」とあった。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/20120424
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120623
自分は今でこそ東京在住だが、幼少時にこの付近に居住しているし、
妻の実家もこの近辺なので、結構このエリアには「土地勘」がある。
「ちきりん女史の心配は有難いが、まあサントリーが遮二無二保護しなくても、
なぜ大丈夫なのか?をうまく説明できないが、
しかし、CMでは「大阪郊外」とは絶対言わず、「京都郊外」と宣伝する。
「JR山崎駅」は駅舎は大山崎町に属しているが、ホーム3分の1は島本町に属している。
★というように、島本町は、「どこに属しているのか、アイデンティティ不明な町」である。
大阪都心勤務者が多いのは事実であるが、「大阪人」の意識は希薄で、
かと言って「京都人」でもない。
人口で言えばせいぜい3万人しかいないのに、特殊なアイデンティティが醸成されている。
★以前は結構工場も立地していたが、近年工場は相次いで移転し、
一方、田畑もちょっとはスプロール化・宅地化しているが、宅地化のスピードは遅く、
まだまだ田畑が数多く残されている。
つまり、「田畑が多く、一戸建てはそんなにないが、その一方でマンションが多い」という景観になっている。
★東京カンテイという不動産情報会社が、3大都市圏の自治体別マンション化率を発表している。
「全世帯数の中で、どれくらい分譲マンションが占めているか?」という数値で、
島本町のマンション化率は「4割」と異常に高く、郡部では全国最高値、
言い方を変えれば、
「駅前や工場跡地をマンション化させて、そこに新住民を収容することで、
田畑のスプロール化を食い止めている」とも言え、一種の「コンパクトシティ」が実現している。
★サントリーの地下水が自慢の町で、かつては町営水道は100%地下水だった。
このような環境で、一方で大阪都心も京都都心も30分圏、新幹線にも乗車しやすい、ということで、
「自然環境にこだわりを持つファミリー層」が意図的に移住してきている。
町営水道は府内一高額だし、町内には繁華街めいたものは一切ないのだが、
「そういう不便やデメリットは百も承知、自然環境が良いんだから、目を瞑る」という
こだわり世帯が新住民として移入してきている。
「文教地区だから移入したい」という理由がメーンであり、「自然が豊富だから移入したい」という感じではない。
東京都心から30~40キロはなれたエリア、例えばふじみ野市とか越谷市とか印西市とか、
しかし、島本町への移入する新住民は、印西市とかふじみ野市とかへの移入住民よりも、
より強い「自然へのこだわり」があるような気がする。
★現時点では町内の工場はサントリー程度で、後は企業の研究所とかが多い
その意味では、公害的問題、あるいは「すさんだ工場街」という感じの風景が、
町内にはあまり見受けられない。
★サントリー工場の税収が多いのか、企業の研究所の税収が多いのか、
町の財政状況はそんなに悪くない。
町のアイデンティティを壊すような高槻市との合併に後ろ向きだった、と言うべきか。
(むしろ気質が似ている京都府大山崎町との越府合併を望む声も)
新住民の気質が良くわかる出来事として、
「かつて島本町議会は、全国で一番女性議員の比率が高かった自治体だった(4割)」
というエピソードが如実に示している。
「男性の行政能吏とかじゃなく、業界人とか女性に町政を担わせる、その方がいいじゃん」
というムードが、なんとなくこの町には流れている。
そういう「尖がった町」「異形の町」なので、サントリーの源水地を乱開発するようなことは、
まあしないんじゃないかなあ?
僕は幼少期の頃よくテレビとかで特集されるような悲惨な家庭状況ではなかったのですが、
怒鳴り声や食器が割れる音、壁を殴る音が自室からもよく聞こえていていつこっちに矛先が向くのかと思い
恐怖を感じていた事を覚えています。まぁ一度も夫婦喧嘩が理由で暴力をふるわれた事はなかったです。
高校に進学してからは両親お互い丸くなったのかほとんど喧嘩もしなくなりました。
その頃に天神祭りっていう関西では大きな部類の花火大会に行った時の話ですが、
最寄り駅がJR桜ノ宮駅っていう駅で周辺にはものすごい数の人がいて花火や夜店を楽しんでいました。
駅につく頃になんとなく体が緊張していたのを覚えています。
で花火が終わり駅に戻ろうとしていた時に僕の近くで不良集団の喧嘩がはじまったんですね。
10人vs10人ぐらいでしょうか。花火の音で緊張している中にとても大きな声での罵倒を聞いた途端に、
動悸がすごく鼻血が止まらず過呼吸になり半気絶状態で救急車をよばれる事になりました。
それがはじめての過呼吸でした。
それから車のブレーキ音や雷の音とかも聞くだけで心拍数が上がり不安状態に陥るため親には内緒で、
精神科を受診した所、過換気症候群と診断されました。大きな音や集団に対して極度に不安を感じ、
過呼吸を引き起こすおそれがあるという事でした。
29になった今でも花火大会には行けません。(ただリハビリのおかげで車のブレーキ音や雷、ちょっとした
繁華街とかには行けるようになりました。)
で話が変わるのですがここ数日各地で起きている脱原発デモのustream配信をみてしまい(最初から
リンク先が分かっていたら絶対見てないです)5年ぶりに過呼吸になり吸入器を使う事になってしまいました。
今これを書いている状態でも少しドキドキします。
ほんとに多くの人が映っており、太鼓?か何かをたたいてリズムをとって歌っていました。
ただ軽快なものではなくメッセージ性の強いものなのだと思います。
数万人が集まる地域もあったと知りました。
それってものすごい恐怖を感じます。(脱原発の批判とかではないです)
近隣住民の方に多感期な子供とかって一切いてないんですかね。
一緒に子供をデモに連れて行っている方は子供に内容を説明しているんですかね。
訳が分からない子供にとって数万の人々と機動隊と大きな音って恐怖にはならないんですかね。
僕みたいにデモが原因で大きな音や集団に対して恐怖を感じてしまう子供が出てこないんですかね。
だけど、そのデモでPTSDをかかえてしまう子供ってゼロなんでしょうか。
将来その子供たちのためにとかNO NUKEとか書いてあるポスターとかでも子供を表現した
キャラクターを入れてあったりとかするんですが、ほんとにほんとに子供たちの事を考えているんでしょうか。
ちょうどコードギアス2期を見直していて思ったんですが、この人たちは他人に優しい世界を作りたいんじゃなくて、
自分に優しい世界を作りたいだけなんじゃないかと感じてしまいます。
左とか右とかそんなんじゃなく人としてその先も考えた行動をしないと、
オウムの信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウムの出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己の解脱に専念することでした。
出家者は教団施設内で共同生活をすることになります。家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞、テレビ、ラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。
入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。
自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職の内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家の意志は皆無でした。
ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウムが出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。
「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末に核戦争が起こる。(本文二十一頁)」
―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒に布教活動をさせたり、さらに、出家の必要性を訴え、多くの信徒を出家させたりしました。
このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。
私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三年晩秋か初冬に私が話した内容です。
町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。
当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン―カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。
また、一般社会の情報は煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。
他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。
これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱・悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。
この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供が出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。
こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末の人類の破滅というタイム・リミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。
このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束をしました。そして、平成元年三月末に出家しました。
私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています。
その初めての説法において、麻原は仏典を引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼の前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼の前生は悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典を引用して「殺人」を肯定したのです。
ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。
ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より)
前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教的経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教的経験を根拠として、この教えを説いていました。
さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウムの価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います。
このような説法が展開されていたとき、私は解脱・悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。
この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分が宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。
解脱・悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。
以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱・悟りに導くことの実体験になりました。
平成二年四月、麻原は古参幹部と理系の出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。
麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。
「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」
そして、麻原が指示したのは、猛毒のボツリヌストキシンを大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートルの水槽四基―の責任者でした。
作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います。
私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。
それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教的経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。
一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビ・コマーシャルを視聴したところ、その音楽のイメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。
一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱・悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。
ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分の意識が肉体から離れ、上方のオレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器、レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。
このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践は日常的なことでした。
そして、平成七年三月、私たちは地下鉄にサリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。
地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウムの宗教的経験に没入している状態でした。
[ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為そのものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマの法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]
以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教的経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。
他方、「禅」も宗教的経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います。
宗教的経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。
また、私は宗教的経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間の感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実と認識してしまうこともあるのです。
神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ)
幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実は検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。
ですから、宗教的経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。
【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。