はてなキーワード: 似て非なるとは
エグみとか嫌な匂い、渋味が一切なくなって口当たりスッキリ、でもコクだけは程よく残っていて飲みやすい。
まさかコーヒーが、こんなにゴクゴク飲めるなんて夢にも思わなかったよ。
コーヒーって本当はものすごく洗練された飲み物ってか、ヨーロッパの大陸人どもはこんなクールなものを飲んでたのかと。
個人的には、中華の炒め油をピーナッツオイルに変えたら高級感マシマシでめっちゃ旨いに並ぶ大発見だった。
ちなみにいろはすとかの天然水と、evianようなミネラルウォーターは似て非なるもの。
前者は軟水で後者は硬水。
硬水はまさしくミネラル≒マグネシウムの含有量が、軟水よりも桁違いに多い。
そんで、ひろゆきの味噌汁dis配信をいじったブクマで硬水を知って、調べたらパスタやコーヒーに向いてるとあったので、試してみたら大正解。
インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言を日銀総裁がしている
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ
https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1
「MMT」は暴論にあらず 消費増税は凍結せよ!(西田 昌司 氏 自民党参議院議員)
「財務真理教」のプロパガンダ
――財務省は財政制度等審議会に62ページに及ぶ反論資料を提出し、「異端」の理論として切り捨てようとしています。
西田 MMTは異端でも暴論でもない。ガリレオが唱えた「地動説」のように、やがて目から鱗が落ちる日が来るでしょう。アベノミクスによる「異次元の金融緩和」は、本来、民間企業の投資拡大が目的だったが、政府が国家の長期ビジョンと、それを実現するための財政出動を怠ったため、民間には国の先行きが見えず、投資をためらっている。そもそもデフレ危機からの脱出には、政府の財政出動による民間需要の創造が不可欠なのに、財政再建しか頭にない財務官僚は「これ以上国債の発行残高が増えると、いずれ返済不能になり財政破綻する」と言い続けてきた。特に問題なのは、国家の財政問題を家計にたとえて危機を煽る手法です。収入以上の生活を続けた家計が破綻するように国家も破綻すると、財務省は言うが、税収以上の予算を使っても、国家は決して破綻しない。なぜなら政府には、国家の経済状況に合わせて通貨を発行したり、租税を徴収したりする超越的な権限があるからです。一方、国家から通貨発行権を保証された日銀も、いくら国債を買っても、破綻することはない。要するに、通貨発行権を持つ主権国家が、自国建ての国債を発行し過ぎて返済不能に陥ることなどあり得ないのです。それを、いつの日か国家財政が破綻し、国債が暴落すると喧伝するのは、国家と一般家庭を混同させる詐欺的プロパガンダと言わざるを得ない。財政再建至上主義の財務省は、国民経済を無視する本末転倒の過ちを犯している。私は「財務真理教」と呼ぶが、マスコミや識者の中にも、何と信者が多いことか(笑)。
――財務省の反論資料には諸外国における財政危機の事例が縷々紹介されています。ハイパーインフレになりませんか。
西田 予算が伸びる一方で税収が伸びず、その差が広がっていく折れ線グラフを、財務省は「ワニの口」と呼び、このまま「ワニの口」が広がると、財政が破綻すると警告する。さらに国債を発行し過ぎて国債の信認が失われると、円レートが暴落し、エネルギーや食糧を海外に依存する日本国内の生活必需品が暴騰し、ハイパーインフレに陥ると、真顔で脅すのです。仮に国債が投げ売りされても、通貨発行権を持つ日銀が買い支える限り、国債暴落などあり得ない。だいたい中央銀行に対して、円建ての国債を売り浴びせることなど、誰が想像できますか。
第2次安倍政権の発足当時から、私は京大の藤井聡教授と評論家の中野剛志さんと3人で総理を囲み、政策提言をしてきました。我々が申し上げたことは、まず公共事業費などデフレ脱却のために必要な予算を国債発行で賄うこと。日銀が政府と協力して、市場から購入する国債を増やせば、民間投資を市場から締め出すクラウディングアウトに陥ることなく、民間投資を増やすことができ、短期間でデフレから脱却できると訴えてきた。
アベノミクスは、新自由主義に基づくマネタリズム論に依拠するものでしたが、我々の主張は、政府の需要創造が民間投資を呼び起こし、それが通貨発生量を増やすことになるという、似て非なるものでした。金利がゼロでも融資が伸びない状況は、銀行の収益力を極端に悪化させ、この状態が続けば、金融破綻が続出するハメになる。間違いなく危機が迫っています。そうならないためにもアベノミクスは進化しなければならない。
まだイラストの紹介文でデイリーランキングに入ったことについて
「男性に人気○位、女性に人気○位ありがとうございました」なんてふうにアピールする人もいる。
絵を描くときに「これはどちらの性に向けて描いているか」という意図があったたとしたら、
想定外の性別の方にランキング入りしていたとしても伏せておくと思う。
二兎を追う者は一兎をも得ずと言うじゃないか。余計なアピールをしたら本来の客層が「これって俺らの性別に向けたものじゃないの?」と疑念を呈すようになって以降来なくなってしまうかもしれない。
イラストは作る側も見る側もはそういう性別とかを勘案するような狭量な文化ではないのかもしれない
同じ二次元を嗜好対象とするものとして漫画とイラストはファンの属性が似た文化だと思ってたんだけど似て非なるものなのかもしれない
「MMT」は暴論にあらず 消費増税は凍結せよ!(西田 昌司 氏 自民党参議院議員)
「財務真理教」のプロパガンダ
――財務省は財政制度等審議会に62ページに及ぶ反論資料を提出し、「異端」の理論として切り捨てようとしています。
西田 MMTは異端でも暴論でもない。ガリレオが唱えた「地動説」のように、やがて目から鱗が落ちる日が来るでしょう。アベノミクスによる「異次元の金融緩和」は、本来、民間企業の投資拡大が目的だったが、政府が国家の長期ビジョンと、それを実現するための財政出動を怠ったため、民間には国の先行きが見えず、投資をためらっている。そもそもデフレ危機からの脱出には、政府の財政出動による民間需要の創造が不可欠なのに、財政再建しか頭にない財務官僚は「これ以上国債の発行残高が増えると、いずれ返済不能になり財政破綻する」と言い続けてきた。特に問題なのは、国家の財政問題を家計にたとえて危機を煽る手法です。収入以上の生活を続けた家計が破綻するように国家も破綻すると、財務省は言うが、税収以上の予算を使っても、国家は決して破綻しない。なぜなら政府には、国家の経済状況に合わせて通貨を発行したり、租税を徴収したりする超越的な権限があるからです。一方、国家から通貨発行権を保証された日銀も、いくら国債を買っても、破綻することはない。要するに、通貨発行権を持つ主権国家が、自国建ての国債を発行し過ぎて返済不能に陥ることなどあり得ないのです。それを、いつの日か国家財政が破綻し、国債が暴落すると喧伝するのは、国家と一般家庭を混同させる詐欺的プロパガンダと言わざるを得ない。財政再建至上主義の財務省は、国民経済を無視する本末転倒の過ちを犯している。私は「財務真理教」と呼ぶが、マスコミや識者の中にも、何と信者が多いことか(笑)。
――財務省の反論資料には諸外国における財政危機の事例が縷々紹介されています。ハイパーインフレになりませんか。
西田 予算が伸びる一方で税収が伸びず、その差が広がっていく折れ線グラフを、財務省は「ワニの口」と呼び、このまま「ワニの口」が広がると、財政が破綻すると警告する。さらに国債を発行し過ぎて国債の信認が失われると、円レートが暴落し、エネルギーや食糧を海外に依存する日本国内の生活必需品が暴騰し、ハイパーインフレに陥ると、真顔で脅すのです。仮に国債が投げ売りされても、通貨発行権を持つ日銀が買い支える限り、国債暴落などあり得ない。だいたい中央銀行に対して、円建ての国債を売り浴びせることなど、誰が想像できますか。
第2次安倍政権の発足当時から、私は京大の藤井聡教授と評論家の中野剛志さんと3人で総理を囲み、政策提言をしてきました。我々が申し上げたことは、まず公共事業費などデフレ脱却のために必要な予算を国債発行で賄うこと。日銀が政府と協力して、市場から購入する国債を増やせば、民間投資を市場から締め出すクラウディングアウトに陥ることなく、民間投資を増やすことができ、短期間でデフレから脱却できると訴えてきた。
アベノミクスは、新自由主義に基づくマネタリズム論に依拠するものでしたが、我々の主張は、政府の需要創造が民間投資を呼び起こし、それが通貨発生量を増やすことになるという、似て非なるものでした。金利がゼロでも融資が伸びない状況は、銀行の収益力を極端に悪化させ、この状態が続けば、金融破綻が続出するハメになる。間違いなく危機が迫っています。そうならないためにもアベノミクスは進化しなければならない。
インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言を日銀総裁がしている
黒田総裁は「指摘の通り現在は金本位制を採用しておらず通貨供給量などは日銀の保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀が国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ
https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1
安倍前首相は次のような内容を述べていた。
「『国債発行は子供たちの世代にツケを回す』という批判があるが、その批判は正しくはないんです。なぜかというと(略)政府日本銀行は連合軍でやっていますから政府が発行する国債は 日本銀行がほぼ全部買い取ってくれています。皆さん、どうやって日本銀行が、この政府の出す巨大な国債を買うと思います?どこからかお金を借りてくると思っているんです。それは違います。紙とインクでお札を刷るんですよ。20円で1万円札ができるんですから」。
あと左?の分類でいいかはよくわからないがとりあえず野党なら山本太郎はMMT賛成派だぞ
古賀茂明「山本太郎の『MMT』理論はアベノミクスと本質は同じ」
LGBTとは何か?の説明を今更ながら引用させていただきます。
「LGBT」とは:レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(性同一性障がい者を含む、心と出生時の性別が一致しない人)アルファベットの頭文字を取った言葉
とされています。ここにQueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)のQも加えて、LGBTQは「性的少数者の総称」として用いられることもあります。
以前から、LGBTに対しては男性より女性の方が寛容的で理解を示す人が多い傾向にありました。それを即ち「女性が性的少数派に対して一切の差別をしなかった」とまでは言いません。
ですが、「ホモとか気持ち悪い」「お前オカマかよ」など、同性愛者やトランスジェンダーに対して直接的な中傷・侮蔑的な言葉を浴びせる人は男性が目立っていました。覚えがある人も居るのではないでしょうか。
では女性はどうでしょうか。上でも書きましたが、傾向の話ではありますが積極的にレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーを侮蔑しコミュニティから排除しようとする動きは女性にはあまり見られません。
むしろゲイやオネエなど性的少数派の人々と積極的に交友関係を結び、性的少数派の人々を理解しようとする女性は昔から数多く居ました。
これは、平均的に女性が男性より異性愛規範によらない人々への抵抗感が少ない事と無関係では無いでしょう。
かつて「エス」と呼ばれた女性同士の友情とも恋愛とも取れる強い絆を尊ぶ文化・文学がありました。今では「百合」と呼ばれ男性も好むジャンルになっていますが、かつては女性に深く愛された文化でした。
現代でも宝塚歌劇団など、主に女性による女性だけの世界を愛好する女性は少なくありません。例え自身が同性愛者でなくても、同性愛に対する理解を持つ女性は決して少なくありません。
それは近頃の男性が忌み嫌うボーイズラブというジャンルを女性は古くから受け入れて親しんでいる事からも見てとれます。「愛情があるなら性別など障害にならない」という理解がそこにはあります。
しかし、最近LGBT界隈で一つに議論されている事があります。
それは
というとても難しい問題です。
性自認は本人の認識によって決定される物なので、性自認が女性なら肉体が女性でも男性でも「女性」として扱うべきだという考えは近年になり広まってきました。
トランスジェンダー女性とは、肉体的性別は男性で精神的性別は女性である方を指す名称です。昔から「オネエキャラ」と呼ばれるタレントさんが活躍してきた事は皆さんはご存知だと思います。
彼女達は男性の肉体を持って生まれましたが、自分達は女性であると認識していてそのギャップに苦しんでいます。
当然公衆浴場やお手洗いなどで同じ空間に居る男性に自分達の体をじろじろと見られる事に耐えがたい苦痛を感じています。プライベートな場所で異性に体を見られる不快感は、万人が共通する物でしょう。
なので、トランスジェンダー女性が公共の施設で男性用のスペースではなく女性用のスペースを使いたいと願うのは、当然の事だと思います。
しかし、「性自認が女性なら女性用の公共スペースを使って良いのではないか」というこの願いに、シスジェンダー女性(※)の間でも意見が真っ二つに別れる事になりました。
(※シスジェンダーとは、自分自身が認識している「心の性」と、生まれ持った「体の性」が一致している人を指す言葉である。シスジェンダー女性とは自分自身を「女」だと認識しており、サラに生まれ持った性別も「女」である人の事)
「例え性自認が女性でも肉体的に男性である事に変わりはない。男性の肉体を持った人が女性用のスペースを使う事は女性に恐怖と苦痛を与える。トランスジェンダー女性は女性用スペースを使わないでほしい」
「例え肉体が男性でもトランスジェンダー女性の心は女性であり、女性として認められているのだから女性用のスペースを使う権利はある。それを一方的に拒絶するのはトランスジェンダーに対する差別に他ならない」
一行に纏めるとこういう感じかもしれません。細かいニュアンスなどは色々と異なっていると思うので、気になった方は是非トランスジェンダー女性について調べてみてください。
シスジェンダー女性の中にはトランスジェンダー女性が女性用のスペースを使う事に拒否感を持つ人が少なからず居ます。
しかし、だからと言って彼女達がトランスジェンダー女性に理解を持っていないという事ではありません。肉体の性別に関係なく、女性同士良き友人として付き合っている人は沢山居ます。
シスジェンダー女性が恐れるのはトランスジェンダー女性の「心の性」ではありません。ジェンダーに関係なく、女性を恐れ苦しめているのは「男性」という「体の性」なのです。
そもそも、トランスジェンダー女性が男性用スペースに抵抗感を抱き女性用スペースを使いたいと願うのも、男性用スペースを利用する「男性」の目線が怖いからという理由があります。
精神的には女性だと分かっていても、肉体の性が「男」である人が女性用スペースに居る事に、どうしようもない生理的な恐怖感を覚える女性の数は少なくはありません。
また、自らトランスジェンダーを称し女性用のスペースに入り込み、女性に性暴力を加えようとするシスジェンダー男性がこれから幾度となく現れてるであろう事は想像に難くありません。
そして、トランスジェンダー女性とシスジェンダー男性を本人の申告以外で区別する事は現状不可能に近く、親しくない間柄の女性が肉体的男性の性自認を判別する事は非常に困難です。
トランスジェンダーの難しい立ち位置について多くの女性は理解しようとする姿勢ですが、今のところ女性用スペースはシスジェンダーとトランスジェンダーの女性が共存出来るほど広くはないのが現実です。
『LGBT』を理解し正しい認識を持っていても、『トランスジェンダー』を受け入れる精神的・物理的余裕があるとは限らない事がこの悲しいすれ違いを生んでいるのかもしれません。
トランスジェンダー女性が公共施設の女性用スペースを利用する権利は現在のところ認められていないケースが多い、というのが正直な所です。
その代案として「男性用でも女性用でもないトランスジェンダー用の利用スペースを作ってはどうか?」という物が良く挙げられています。
例えばお手洗いならば、利用者の性別を限定しない多目的トイレが近頃徐々に増えてきています。これは性的少数派の人に対する配慮が行き届いた結果と言えるでしょう。
「トランスジェンダーを第三の性として男性にも女性にも分類しないのはそれ自体が差別だ」という声も勿論あります。
肉体的性別と精神的性別の乖離に苦しみ、それでも自分の性別はこちらだと選んだトランスジェンダーの人々に「貴方達は第三の性なので既存の性には当てはまりません」と告げるのは残酷でさえあると思います。
性別に関係なく、性的少数派であるLGBTの人達にも生きやすい社会を作っていく事が、二十一世紀を迎え20年を過ぎた人類が新たに実現しなければならない課題なのかもしれません。
https://anond.hatelabo.jp/20210729090330
フェミニスト的な申し立てする人にしばしば見られる困ったポイントが大体出てる。
めんどいけど箇条書きする。
この事について、「金田氏はかつてキャラクターがレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」
として反感を示している人も多く見られた。
そりゃあそうでしょうよ。
BLのレイプファンタジーとバキのレイプファンタジーで何が違うのか
「わたしのお気持ち」を超えた客観的な論理での説明が必要になりますよね。
これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。
「0か100か」とか「自分は思う」とかじゃなくて
「自分のぼけぼけーっとした気持ち」と「他者にご披露できる論理」との区別がついてないっていう黄信号。
頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか?
が好きな人は現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人にレイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?
はあ?
さらっと当たり前みたいに
まるでついていけない異星の論理展開おっぱじめるのやめてもらえませんか。
が、こうやって一連の呟きを見ると
いや金田をたたいてる人間でも「金田が現実での性暴力を推奨してる」なんて言ってねーだろ。
何の話をしてんだよ。
こいつまともに会話やコミュニケーション成り立つ相手なのかなあ
という疑念を感じずにはいられないところがあるかなあ。あなた。
自分は週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、
「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど
えっ ちょっと待って。
問題の回を読まずにこんだけ長広舌振るってたのか?
あのさあ、本当にお前、議論のスタート以前のところなんだけど。
頭大丈夫なの?
なんで問題の物を読みもせず「問題だ!」「ケシカラン!」とか大声出せちゃうの?
そんなんBLのレイプファンタジーにだって同じこと言えるじゃん。
「気づいてなかったけど実は望んでた」っていう展開や心理描写を性暴力被害者に堂々と見せられんの?
そういう現実との混同を始めるならBLとバキに差なんか数ミリもねーぞ。
「フィクションと現実の区別をつけてくださいね」しかありえないんだよ。
いや「考え」というほど立派なものはないだろうけどね。
あんたらって自分の主張を反転させてチェックするとか客観的に眺めるとか本当に極度に苦手だもんな。
「嫌がってる男をレイプしたら落ちてイチャイチャした受け攻めの恋人関係になれる話」と
「嫌がってる男をレイプしたけど地上最強の生物なので報復や裁判を受けない話」と
なげえお気持ちズベラズベラと垂れ流す前にそこピシッと整理して説明してよ。
ついでに個人的には板垣が最終的に描きたいのは「メス堕ちする勇次郎」だと思うよ。
本部に守護ってやるって言われてあれだけ動揺の描写したのとか見てりゃ伏線は明らかなんだよなあ。
あ、お前は読まずに叩いてるんだっけ。 じゃあ話が通じねーな。
というようにあんたの主張も金田と同じく支離滅裂で他者に理解できるようなものじゃないんだけどさ、
あんたみたいなのを何度も見てるせいでなんとなく気持ちは読み取れるよ。
保育園の先生がグズる子見て何が不満なのかまあまあ察せるみたいにはね。
つまりあなた達はBLのレイプファンタジーは何も考えずに楽しめたのに
バキのレイプファンタジーにはなんらかの現実のような脅威や不快感を覚えたってことでしょ?
面白い心の動きだよね。
矛盾してるみたいだけどなんでだろうって深堀したらフィクションの消費体験について面白い話ができる気がする。
でもあんたらそういうことはまるでしないじゃん?
そういう加工を一切経ずに矛盾したハチャメチャなお気持ちのままクレームとして人にぶつける。
(頭ボンヤリ&自分の気持ちを分析する習慣がないので情動の矛盾すら自覚せず「自分のお気持ち=事実」になってる。)
整理して、「なんで自分はこんなに感じ方が違うのか」を客観的に自問して
他者に披露できるような論理を組み立てて、それから人に向けたお口を開いてよ。
究極的に言えばフェミニスト的な人たちに言いたいのってそれだけなんだよ。
あんたらと話をするのすげー疲れるの。
自分の気持ちを論理に加工せずに投げてくるからいちいちこっちで掬い取って整理してあげないといけないから。
支離滅裂な話を「ここに矛盾があるけどどうして感じ方が違ったのかな?」とか
こっちがあんたらの心の動きに気付いて聞いてあげないといけないのなんなの?
「気持ちをもって何が悪いんだ!」とかさらに頓珍漢な逆上してくるでしょ。
対話がすげー難しいじゃん。
あんたたちの問題点は他者とディスカッションする以前の準備段階ところにあんのよ。
el-condor この記事の筆者のように弁別力の低い人との対話には一般に相当なスキルが要求されるもので当方には無理そう。
2021/07/29
「弁別」。感心した。
捨て台詞として素晴らしいというか
べんべつ
【弁別】
まさにこれがこのアホどもの会話が成り立ちにくい理由の根本なわけよ。
「自分の言ってることは道理であり、常識であり、ことは善悪の問題であり、だから論理的なチェックを受けたり反論をされたりするのは不当でありプンプンプン!」
ってお気持ちなんだよね。
なんでバキのレイプがダメでBLのレイプがセーフなのか、フェミニストさんの言ってることなんかおかしくないか、
そこを問うたり理屈のチェックしたりすること自体常識がない、わきまえがない、普通に考えればわかるでしょ。
と。
このバカ保守ジジババみたいな台詞がサヨクidから飛び出てくるのが現代なわけ。
「常識で見分けられる是非・善悪・道理のわきまえ」だぜ?すごすぎでしょ。
昔はこのエルコンドル君みたいなレベルって保守やってたんだよ。
頭が悪くて議論が弱くて論理がよくわかんねえって人は保守やってた。
自分の理屈が立たない部分を「これが普通だ」「これが常識だ」「昔からこうだ」でなんとかしようって勢力。
左派や進歩派はそこに論理で突っ込んでいって保守をイラつかせる役回りでさ。
もの考えるの苦手なウスラボケの期待する「弁別」なんぞは持ってないいったん全部疑わせてもらいますってのが左派や進歩派ってものであってな。
「これが普通の感覚」「わからないほうがおかしい」「弁別」なんて言い出す脳ヨワちゃんが左派ぶるようになってる。
いや左派の方がかっこいいのは確かだけどバカにはできねーから左派は。
根本的に無理があるから当人も苦しいし矛盾や嫌な思いばっかりだと思う。
もの考えるのがニガテな人間は無理せず保守かネトウヨかやってろって言うんだけどな。
つい先日、ボーイズラブ研究家・金田淳子氏のある呟きがちょっとした炎上騒ぎになった。
週刊少年チャンピオンという漫画雑誌で連載中の板垣恵介氏による漫画作品「グラップラー刃牙」シリーズ、
その中でも高い人気を誇るキャラクター「範馬勇次郎」が一般人に性暴力を振るうというショッキングな事件が起きたのだ。
金田氏のみならず、この展開にはネット中で「刃牙シリーズ」ファンの動揺が見られた。
「勇次郎はそんなキャラじゃないだろう!?」「板垣先生は勇次郎をどうしたいんだ!」など、怒りと悲しみの声があちこちのコミュニティで観測された。
金田淳子氏も「刃牙」のスピンオフを手掛ける程の「刃牙シリーズ」のファンであり、この展開には悲しみを感じずにはいられないようだった。
今週のバキ道読んだんですけどね…。
あと不幸にも襲われた方にも伝えたい。男性に襲われるのは「女の部分がある」からではありません。社会的なジェンダーの呪縛でそう思ってしまうのはわかるのですが、女性は「男性に襲われる性」ではないからです。
(※原文ママ)
この呟きが、荒れた。「範馬勇次郎が他者をレイプした」という事件の話題性もあり、小規模な炎上に近い状態になった。
「またフェミニストが~」
「今更勇次郎に対してそれ言う?」
要は、「少年漫画をBL的な目線で楽しんでいるフェミニストが少年漫画に口を出すな」「勇次郎は元々犯罪者なのだから今更レイプくらいで騒ぐな」という事なのだろうか。
この事について、自分としては納得が行かない…という気持ちが無い、と言えば嘘になる。
フェミニズムという男女平等を目指す思想を持ち、またボーイズラブを愛好する人間が少年漫画について何か意見してはいけないのか?
犯罪者のキャラクターが作中で性暴力事件を犯した事に対して遺憾の意を持つ事はいけない事なのか?それは違うんじゃないかなぁ…と、思う。
漫画雑誌というのは誰が読んで誰がどんな感想を抱いて意見を発表しても良い筈だし、犯罪者なら犯罪を犯しても仕方ないでは納得行かないと思っても良いのではないか。
この事について、「金田氏はかつてキャラクターがレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」として反感を示している人も多く見られた。
つまり、レイプという展開を娯楽として消費した事がある人間は、レイプに対して嫌悪感を示す事は許されない、それは矛盾している。と言いたいのだろうか。
これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。
頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか?
が好きな人は現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人にレイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?
好きなBLモブおじさんは、路地裏に複数で生息していて、火照ったカラダをもてあました受けがそこに迷い込んでくると、「上玉じゃねぇか」「いいケツしてやがるぜ」などほめちぎり、一糸乱れぬチームワークで(※脳を共有している)、受けをもてなして絶頂に導くモブおじさんです
~(中略)~
私のこういう発言をたまに「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人がかつていたので、無粋ながら一応書き添えますが、「創作」の話ですよ! 「現実」の性暴力(痴漢やレイプなど、相手の同意を得ない性行為)はダメ、絶対!
続 さらに、過去にツイートしていた、私の好きな「受けが路地裏でモブにもてなされる」レイプ妄想ですが、これは非常に言葉足らずなものでした。詳しく言えば「受けも実は求めている」という気持ちがあり、実質和姦、という現実にはありえない妄想です。(現実にはありえないからこそ妄想と書いてます)
(※原文ママ)
が、こうやって一連の呟きを見ると「性的な事を望んでいる人間が性的な事をされる妄想は好きだけど、現実での性暴力は絶対にダメ」という金田氏のスタンスは一貫していると思う。
正しく金田氏が言うように『「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人』が噛み付いているのだなという印象を感じずにはいられない所があるかなぁ。
「不特定多数の相手と合意の上で性的な事をしたいキャラの妄想」と、「強者が相手の意思を無視して性暴力を振るう事」は、似て非なる、どころか全く別の事柄である。本来混同のしようがない。
刃牙はもともと、極端な「男女二元論幻想」を立てていることはわかっているのですが、同時に「闘い=セックス」という見立てにより、「男女のみがセックスする」という二元論をすり抜ける部分も持っていたはずです。しかし今週のバキ道は、男性同士の性すら二元論で語っていてもやもやしますね。
こういう内容の時だけ「フィクションに何言ってるの」ってわざわざリプつけに来る人がいるけど、フィクションを本当に愛してるからこそ、度を越したときはリアルと同じように批判をするに決まっているでしょう? そもそもフィクションを全く批判しない人なんてこの世に居る?
今週のバキ道はあくまで「キャラによる語り」なので、板垣先生の意見だと言えないことは踏まえたうえで、「週刊少年チャンピオン」を読む男性の中に「男性に性暴力を受けた経験がある人」が居ないとでも思っているのでしょうか。その人にとって今週のバキ道は呪いになるのではないでしょうか。
今週のバキ道は、「究極に雄度が高い勇次郎から見ると、他のあらゆる人間(男性も)は異性」という極まった二元論幻想と、勇次郎にレイプされたことのある男性が誰にもそれを話せず、自分が男であることを確認したくて登山家になったという話です。前半はおもしろ話として読めるけど、後半がね……。
もちろん「書き直せ」とか「回収しろ」などと思っているわけでは全然ないので、私個人の立場から、自由に批判を書いております(もともと私の刃牙エッセイ本の中でも、特に範馬勇次郎の言動について強く批判してることは読んでくださってる方は知っていますよね)。
(※原文ママ)
自分は週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど(チャンピオンには好きな作品も多いのでチャンピオン・コミックスは何冊も持っています)
と強迫的なマチズモとミソジニー、自暴自棄な思想に誘導する可能性もあるかもしれない、呪いに成り得る。
また、金田氏が刃牙のスピンオフを手掛けているからこそ「看板を借りているくせに何様のつもりだ?」と氏を攻撃する人も少なからず見られた。
それもおかしいと思う。親しい人がおかしな事をしたら、周囲の人はその行いを指摘せずに口を噤まなければいけないのか?
「まああの人のやる事だし…」「自分は作品を貸してもらっている側だし…」と「立場をわきまえて」「わきまえる女」である事、が本当に正しい事なのだろうか。
それは違うんじゃないか?それは間違っているんじゃないか?と自分が思ったのなら、例え親しい相手でもちゃんとその感想を伝える事こそが、正しい事なのではないだろうか。
「男性だけど男性に性暴力を振るわれ自分の中の『女性』を意識した」
という「刃牙シリーズ」の男女観は、確かに金田氏が指摘するように正直言って…古臭い、いつの時代の考えだろうか…?という感覚を抱かずにはいられない。
そういう意味では、以前金田氏が言ったように「凶悪な男性犯罪者が意図的に少年を性的な対象と意識し強姦した」エピソードを1992年に少年誌で描いた「ジョジョの奇妙な冒険」は非常に先進的だったと言える。
「ジョジョ」ではその凶悪な男性犯罪者は、文字通り「死ぬより酷い生き地獄」を半永久的に生き続ける事になり、キッチリと自分が犯した過ちの報いを受けている。
対して、「刃牙シリーズ」の人気キャラクター・範馬勇次郎は文字通り「刃牙」という作品の中で最強の人間であり、地上最強の生物という異名を持つ格闘家である。彼が犯罪の報いを受ける事は、決してない。
決して誰にも報復されない、一方的に暴力を振るう側である「加害者」の範馬勇次郎に、「刃牙シリーズ」の一ファンである金田淳子氏が苦言を呈したくなった気持ちを、自分は分かる。そんな日記でした。
【追記】
あまり本題とは関係ないかもしれないけれど、自分が好きな言葉を二つ最後に書き足します。
批判されているのは、BLレイプを無邪気に肯定する一方で少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合描写は糾弾する姿勢。氏の主張に則ればバキもゆらぎ荘も「本当は受け(女性)の希望だからOKです、以上」で終わる。
少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合主義はそのまま現実でのセクハラや性暴力に直結する可能性が高い前提が忘れられてるような…
AVやエロ漫画で女体の扱い方を理解した気になって、女性は乱暴に扱えば自然と気持ち良くなる物だと思っている男性が恐ろしい事に冗談じゃなくゴロゴロしているこの世の中だし
少年誌・児童誌などでスカートめくり、痴漢などのセクハラ行為が行われる→それを見て「よし、やってみよう!」と即決する小中学生男子は少なからず居る、だからこそゾーニングは大事ですよね
「刃牙シリーズの男女観はこうなんだ」と決め付けるの辞めて貰えますか?なんで一部の人の意見を真理のように考えるのですか?それはコンセンサスを得られた意見ですか?
決めつけるとかではなくて、刃牙シリーズの男女観はむしろ刃牙を読んでいれば自然と伝わってくる物だけど思うけど…
男性側が常に強者で女性を選び女体を食らう側で、女性は出産の経験の有無に関係なく男性の癒しである母親としての役を背負わされ、主導権はいつも男性の側に有り女性はいつも選ばれる側であるような
自分の側から男を選び抱いてやった、というような女性が良くも悪くも「刃牙」シリーズには居ないんですよね…餓狼伝に出てくる数少ない女性キャラ達も「選ばれる側」で、男にはレイプされ、息子を慈しむ母でしたし
あ、餓狼伝なら安原健次の彼女さんは「お前ら男二人が勝手に私を賞品として喧嘩すんじゃねえよ!」って男達を一喝した強い女性だったかな?
それを言うと「BLが」作品レイプというか…「二次創作が」原作レイプなのでは?
BLは創作だからレイプもオッケーって人が創作のバキ道に文句つけてるからなんで?ってなってるんでしょ。そこのところ混乱しなかったの?
個人的に金田淳子氏の主張は一貫してると思ったのでそこのところは混乱しませんでした。
金田氏の好むBLは原作が存在する二次創作で、商業誌で発表されている一次創作の商業作品との影響力は段違いですから…漫画雑誌に載っているプロの漫画と自由帳に描いた自作の漫画くらいには印象が異なるのかなと。
「刃牙」シリーズは四大少年誌というメジャーな雑誌で連載されている上、格闘漫画という題材もあって今時珍しい程「男らしさ」に拘ってますから…男性読者当事者への影響力と反響は凄まじいでしょうね。
【追記2】
自分の素直な感覚と感情には正直になった方が良い、という持論を自分は持っている
理屈と自分の感覚・感情は時に相反する事があるけれど、その時理屈を優先して自分の正直な気持ちを押し殺すと、後で辛い思いをする物だから
メイキャッパーとか読んだ?
わー懐かしい!「メイクで美しくなる」ってテーマに惹かれて昔読みました!
実際の内容は想像と大分違うというか…初期のグラップラー刃牙の前身というか、トンデモ料理バトル漫画の料理要素がメイクバトルになった作品と言うか、面白かったですけども
【追記3】
よく「お気持ち」という言葉が他人の意見を揶揄する時に使われるけれど、感情から発せられる意見が悪い物だとは自分は思わない。
義憤というか、何かに対して「それは間違っている」という意見を発する活力になる物は、その「お気持ち」と揶揄される感情以外にないのではないだろうか。
私は主張したい。
決してメインストリームになれない「陰キャ」上がりの当時の業界人がメディアを介して間接的なマウンティングを行い「陰キャ」の聴衆が受け入れた結果なのである。
実際のところ、小山田が過去に障害を持つ同級生を虐めたか否かは大した問題では無い、何故なら日本全国で小山田の行為に類似したいじめはどの年代でもどの地域でも珍しいとは言えない内容だからである。
だが、普通はそんないじめの経験は、武勇伝としても自慢話としても公の場で話す類の内容では無い。
何故、小山田は25年前に積極的に悪質な虐めを全国誌で語り、その内容がそのまま出版され、多くの読者が受け入れたのだろうか?
その雰囲気を醸成したのが体育会系文化の下位互換としての90年代サブカル文化だったのである。90年代サブカル文化は、00年代以降のオタク文化とは似て非なるものであった。
00年代オタク文化はハレとケの、褻に当たる存在であることを自認しており、また、それは属性ではなく役割である。つまり、普段は「陽キャ」として振る舞う一般的な大学生が熱烈なオタク文化のファンになることも、役割であるが故に成立するのである。
90年代サブカル文化においては、これは成立しない、何故ならサブカル文化は属性であるが故に、メインストリームになり得ない存在であることが所属と同時に確定するからである。
多くの者が成長と共に就職等で、サブカル文化という属性から自然に離脱することにはなるが、留まり続ける者もいる。それが、メディアを牛耳る業界人だ。
今でこそ高収入で社会的地位が高いイメージだが、当時、サブカル文化属性の業界人はメインストリームに対して劣等感を抱いていた (※ ハリウッドでも似た話があるので、これは珍しいことでは無い)。
この劣等感は金銭的な収入では満たされない感情だったのだろう。社会的な地位が上がるにつれてサブカル属性の業界人は、メインストリームの体育会系の強者に匹敵するようなエピソードが欲しくなる。
しかし、人間は正直な生き物なので、完全に空想の嘘は付けない。結果生み出されるのが、90年代に公放送や出版物で繰り広げられた下劣ないじめ体験談につながった。
これは、小山田だけの問題ではない、小山田の経験を自らと同じサブカル属性の強者の武勇伝と位置づけ誇示するように掲載した雑誌関係者、自らと同じサブカル属性の英雄の功績として希望を感じた読者は、皆等しく文化を醸成した因子なのである。
陽と陰が協調し一つの目的に向かう初めての機会は、学生時代の文化祭である。(※ 24時間テレビが近いと思うかもしれないが、24時間テレビは、テレビ業界に所属している者が中心であるためにサンプリングに偏りが生じている)。
五輪はこの文化祭以来の、初の世代を跨ぐメインストリームと非メインストリームの協同作業だったのである。
この機会に、90年代サブカル文化の代表的な負の象徴である、小山田の過去が全国規模で炙り出されたことは決して偶然では無い。
海外で賞賛される「日本の伝統木造住宅」の価値を我々はどこまで理解しているか
https://news.livedoor.com/article/detail/20527573/
一方、海外で一目置かれる日本の木造の技能は、これとは似て非なる「伝統木造(伝統構法)」と呼ばれるものの方である。戦後の建築基準法は「伝統木造」を素通りし、現代において一般化した「在来木造」を法制度の拡充を通じて作り上げてきた。
「国の大型事業を始め、伝統木造はさまざまな実験がされており、安全性が検証されてきました。ところが、大変な状況が改善されないように、積極的に法制度に反映されません。その理由の一つは、計算で安全性を証明できないからだ、といわれています。それならば何のために国費を投じて実物大の建物で耐震実験までしたのでしょうか。
米国では戦前、戦後と日本の庭園と木造が流行した時代もあるそうで、ドイツ、オーストリア、フランスなどでも日本の大工棟梁への賞賛を聞くのはいつものことです。
伝統的木造建築(ただの木造全般では無くて伝統的なもの)は世界で評価されているが
うまく生かし切れていないらしい。
漫画やアニメのいじめっ子ライバルってドラゴンボールのベジータみたいにめちゃくちゃズタボロにされた挙げ句見下してた主人公に情けをかけられて以降態度が軟化する話がセットで来るのが定番だからその時に「まあ許してやるかな」「かわいいとこあるじゃん」って気持ちになれるけど
作者の倫理観が死んでてクズ萌えしてるとそういう展開ないままふわっと仲間やヒーロー枠になったりする
擬人化ジャンルだから元ネタへの敬意が必要でたとえいじめっ子相手でも鼻っ柱をボコボコに叩き折る展開なんてできないとか(いじめっ子キャラにする時点で不敬だろと思うけど)
偉人のイケメン化ジャンルでかませライバルみたいなキャラ付けにしたけど徳川家康みたいに史実で勝った側の人間だから負け展開ができないとか
メインストーリーがなくてサザエさん時空のソシャゲなのに「負け知らずの俺様キャラ」属性で恒常カードを実装してしまったからその設定を保持し続けるために負けて成長するイベントが永久に来ないとか
バカなの?って感じだけど公式も途中から「少年漫画によくいる人気のライバルキャラにあやかって作ったキャラだけど負けイベできないのまずくね?」って気付いて持て余し始めるんだよね
永久に負けられない俺様くんにどうにか親しみを持ってもらうための策としてやることがだいたい「真面目で優しくてみんなに好かれているキャラに褒めさせる」なのが一番クソ
あの○○くんが好意を持ってるんだから俺様くんっていい奴なんだな~なんて思うかよ
でも負けない俺様くんって負ける俺様くんと同じくらい人気あるんだよな~~……人を踏み台にし続けるキャラを推すってさぞや快感なんだろうな……それを思うとあんまり責められないかもしれない……
ガチャよりも邪悪なシステム、それがチケット。MMOなんかには経験値2倍とかドロップ率2倍とか、そういう課金要素があったりする。チケットは後者に近く、ドロップ率が上がることは確かだが入手に関しての保障は一切ない。チケットを消費しても何も出なかったりする。
これがMMOならドロップ率増加とガチャは似て非なるものだ。期間限定の効率アップとなんらかのアイテムやらキャラやらを入手。求められる結果は似ているが、与える印象は違う。
しかしチケットはどちらかといえばガチャに近いシステムだ。周回1回分に対してドロップ率を向上させる。もちろん他のゲームと同様に入手の確定は保証していないので、1枚使用して何も入手できない。穿った目でみるとガチャの完全上位システムだ。
たとえばガチャであれば、手に入ったアイテムやらキャラの弱体化は難しい。大抵の場合はなんらかの補填とセットにした上で実装し、その上で場合によっては返金騒動が起こるレベルだ。
しかしチケットはアイテムが手に入るわけではなく、アイテムが手に入りやすくなる権利。故にチケットを利用して入手したアイテムはガチャと比べてもナーフしやすい。
ハクスラモンスターズにおいて、かつて一瞬だけ超優秀だと謳われたモンスターが居た。エルダーエルフ。敵に狙われにくいという特性を持ち、後衛で回復役として貢献するユニットだ。
単独では少し狙われにくいという程度なのだけど、このゲームには二つ名というシステムが存在する。入手したエルダーエルフは稀に同じダンジョンに出現する他のモンスターを能力を得ることがあるのだ。
そこでうまいこと他の狙われにくいユニットの二つ名が噛み合うと、誕生するのが敵対0%エルダーエルフ。他に味方キャラクターが存在している場合敵対0%のエルダーエルフは絶対に狙われない。
同じダンジョンにその2つの存在が同時に出現すれば容易に想像がつく組み合わせ。これが全ての能力からランダムでオプションがつくとかなら話はわかるが作者が選んだモンスターだけが出現するダンジョンなのだから当然想定内だと思うだろう。
けれど修正された。下限値が設けられていなかったバグという扱いで。
バグなら仕方ない。チケットを使っていたとしてもやむを得ないだろう。それがチケット期間限定販売+ドロップ率アップイベント終了直後のことでなければ。
悠長にイベントが終わってからの修正。100歩譲ってアップデートが間に合わなかったとして、次のアップデートで修正しますと告知すればまだわかる。しかしそんなものはない。
どうせこのゲームに毒されたユーザーはエルダーエルフがいなくてもチケットを買っただろう。それにエルダーエルフ以外にも優秀なモンスターは存在している。
けれどさぁ。こんな事をやってもドロップ率という過程を挟めばなんにも問題にならないんだね。手動探索効率アップは延々と自縄自縛でゲーム性を粉微塵にしてるのにね。